3-6 お見合い
グレンが避難所として友人の私室に入ってから1時間ほどが経つと、アルベルトが扉を開け、部屋の中へと入って来る。本当に用があるわけではないため、そんなに長い時間待っている必要はなかったのだが、グレンとしてもアルベルトに礼を言いたいと思い、彼の部屋で待たせてもらっていた。
「すまなかったな、アルベルト。おかげで助かった」
アルベルトと対面した瞬間、グレンは彼に向かって軽く頭を下げる。
「気にしないでくれていいよ、グレン。君の手助けができて、僕としても嬉しい限りだ」
アルベルトはさわやかな笑顔を浮かべながら、そう言う。グレンも返す様に笑顔を浮かべた。
「ただ、もし君が感謝の念を持ってくれているのなら、2つほど僕の頼みを聞いてくれないか?」
「頼み?」
アルベルトの問いにグレンも疑問の声を返す。最近はこういった友人からの依頼は珍しくはなく、グレンとしても断る気はなかった。しかし同時に2つというのが気に掛かる。それゆえ、どんな頼み事なのかと少し身構えた。
「まあ、まずは座ってくれ」
グレンの佇まいに変化を感じ取ったアルベルトがそう提案する。グレンは黙って頷くと、アルベルトと共に椅子に腰かけた。
そして、アルベルトが話し始める。
「まず一つ目なんだけど。グレン、近々王国と帝国の『永世友好条約』締結式典が開かれるのは知ってるよね?」
「ああ。そのために皇帝陛下がここまで参られたのだろう?」
それくらい知っている、とグレンは即答する。アルベルトも友人を馬鹿にするつもりはなく、これが彼なりの話の切り出し方であった。
「そう、その通りだよ。そこで君には式典の間、王族の警護についてもらいたいんだ」
友人の言葉にグレンは少々驚く。
「王族の?国王の、ではなくか?」
「国王はまた別の所で式典を進行なさる。そこにはアルカディア皇帝陛下もいらっしゃるから、お二方の警護は僕とシャルメティエ嬢で行うよ」
王国と皇帝の警護に――それが例え騎士団団長と副団長とは言っても――たった2人というのは少々心もとないのではないか、とグレンは考えた。しかしアルベルトがそう判断したのだから、その点に関しては大丈夫なのだろうと結論付ける。
「しかしアルベルト。嫌という訳ではないが、何も俺でなくともよいのではないか?他にも騎士や兵士がいる。彼らにしてみれば自分達の名誉ある仕事を俺に横取りされたと感じるだろう」
「いやいや、君ほどその任務に適した人間はいないと思うんだけど」
グレンの苦言にアルベルトは苦笑しながら答えた。そして、彼にそうはいかない事情を説明する。
「実は今回の式典、予想以上の数の民が王都に集まりそうなんだ」
アルベルトの答えにグレンは「ん?」と呟いた。
「それは観光客ということか?騎士団団長ともなるとそんな事まで把握できるんだな」
「まあね。王都や王都周辺の街にある宿屋の込み具合、外国から王国に入る人々の詳細などにも目を通しているよ」
「それは・・・ご苦労な事だな・・・」
グレンは友人の仕事っぷりに驚きながら、そう返した。これは確実に睡眠時間を削っているに違いない。アルベルトの若々しい顔つきに薄っすらと暗い影が見え始めたのは、今の話を聞いたせいだろう。
「これも王国を警護する者として当然の働きさ。ただ、今回は騎士や兵士を総動員してもギリギリの人員でね。集まってくる人々を整理するのに手一杯になると思うんだよ」
「なるほど。そこで俺か」
グレンの言葉にアルベルトは満足気に頷く。
「そう。君ならば、そして護衛という任務ならば、1人で騎士や兵士何十人分もの働きができるだろう?率直に言うと、手伝ってくれると非常に助かるという感じかな」
「ふむ・・・お前の事情は分かった」
グレンはアルベルトに向かって、一度頷いて見せた。それでも、やはり他の――取り分け騎士の反応が気に掛かる所だ。騎士達も彼ならば文句は言わないのだが、勇士としての分を弁えているグレンとしては出しゃばる様な行為は控えるべきではないかと考える。そんな友人の思考を察してか、アルベルトはこう言った。
「でもまあ、君の懸念も分からないでもない。だから、王族の警護には君以外にも1人騎士をつける予定だ。まだ決まってはいないが、おそらく隊長格の者になると思うよ」
「なるほど。それならば、他の者も納得するな」
始めからそう言えばいいものを、とグレンは思いながらも頭を縦に振る。
「でしょ?相手が決まったら、後で君にも知らせるよ」
「頼む。――それで、2つ目の頼み事とは?」
王族警護の依頼に関しての内容を把握したと判断したグレンは、続けて別の依頼に関してアルベルトに話すよう促した。
すると、アルベルトは何故か居住まいを正し始め、先ほどよりも緊張した面持ちで口を開く。
「今日君を呼んだのは皇帝陛下に会わせるためでもあり、先ほどの依頼をすることでもあったんだけど、実は今から言う頼み事が一番の厄介事なんだ」
アルベルトがここまで言うとは一体何事なんだ、とグレンに緊張が走る。そして彼の見守る中、アルベルトは決心したように言葉を紡いだ。
「実は・・・君に会って欲しい女性がいるんだ」
その言葉にグレンは思い出す。そう言えば、この友人はアルカディアと似た様な事――つまりはグレンに子作りをしてもらうという事を考えていたのだった。いや、むしろアルベルトの方が先か。
「お前、まだ諦めていなかったのか・・・」
「当然だよ。アルカディア皇帝陛下も諦めていらっしゃらなかった。ならば、僕も負けてはいられないよ」
変な所で張り合うんじゃあない、とグレンは友人を呆れた目つきで見る。
「それで、どうかな?先方からも、早く会わせろと圧力を掛けられているんだけど」
それはまた珍しい事をするものだ、とグレンは思いながらも考えた。普段ならば、絶対に了承することはない提案であったが、アルベルトの申し出は今回に限り断り辛いものとなっている。それは当然、先ほどのアルベルトの行動をグレンもしっかり恩に感じているからだ。1つ目の依頼を引き受けたことで恩を返したということにすればいいのだが、グレンにとってはむしろ1つ目を引き受けたことで2つ目がより断り辛いものになっていた。王族のための依頼は引き受けるのに、そうでない立場の依頼は断るのか、と。そこがグレンの優しくて不器用な所であった。先日、勇士管理局でレナリアに言われた『泣き落としに弱い』というのもそこから来ている。
「まあ・・・今回だけは・・・良しとしよう・・・。いや、やはり――」
「本当かい、グレン!?感謝するよ!僕としても今回の相手に断りを入れるのは些か骨が折れそうだったんだ!」
グレンの逡巡を許さず、アルベルトはそう言って会話を終了させてしまう。グレンは「おい・・・!」と声を上げるが、アルベルトは素早く移動すると先ほど閉めた扉を開け放った。
「それじゃあ、少し待っていてくれ。別の部屋で待たせているから、すぐに連れて来るよ。あ、くれぐれも恐れをなして逃げないようにね」
そう言うとアルベルトは嬉しそうに「はっはっは」と笑いながら部屋を出て行ってしまう。閉められた扉を見ながら、グレンは激しく後悔の念に襲われるのであった。
アルベルトの言った通り、少しの間待っていると再び扉が開かれる。席を立ってそわそわしながら待っていたグレンは素早く体をそちらに向け、友人と顔を見合わせた。
「お待たせ、グレン。こちらが今回君に紹介したい方だ」
そう言って、アルベルトが体を横にずらすと、そこには学生服に身を包んだ少女が1人立っていた。その少女は燃えるような赤髪を右肩に流し、落ち着き払った表情からも高貴な生まれであることが分かる。そして、グレンはその少女の名前を知っていた。
「フェムコット君・・・!」
そう、アルベルトが連れてきた女性とはリィスの同級生であり六大貴族でもあるテレサピスであったのだ。
「お久しぶりですわね、グレン様。再びお会いできて、嬉しく思いますわ」
優雅に頭を下げてから顔を上げた彼女の表情は、にこやかなものである。しかし、グレンにはその表情が作り物であるかのように感じられた。
「何故、君が・・・?」
「何故、と言われましても・・・。このお話は随分前から聞かされておりまして。いい加減何かしら進展があっても良いのではないか、とアルベルト様に申し上げていたんですのよ」
そういう事ではない、とでも言うようにグレンは軽くかぶりを振るう。
「君は六大貴族の者だろう?」
「ええ、そうですわよ」
「いいか?このアルベルトは俺と君を国のために利用しようとしてるんだぞ。俺の子を国の未来のために残したいと言う理由で」
グレンの言葉にアルベルトは「ひどい言い草だな」と笑ったが、意には介せなかった。
彼は今、テレサピスを説得しようとしている。おそらく何かしら嘘を吐かれてこの場に連れてこられたに違いないと考えていたからだ。そうでなければ、六大貴族という絶対的な立場に属する彼女がこのような利用される側に回る訳がない。
「ええ、存じておりますわ。国のためにこの身を捧ぐ。とても素晴らしい行いだと思いませんこと?」
しかし、どうやらテレサピスはその事を平然と受け止めているようだった。
「確かにそうかもしれない。しかし――」
「まあまあ、グレン。君の言いたいことも分かるが、まずは座ってからにしようよ」
アルベルトの言葉にグレンはあまりいい顔をしなかったが、テレサピスは「そうですわね」と言って、そそくさとグレンの横を通り、机に腰掛けてしまう。グレンは逡巡したが、彼女に続いて机に腰掛けた。
「じゃあ、僕はここで失礼させてもらうよ」
「なに!?」
二人が席に着いたのを見届けると、アルベルトがそう切り出す。その言葉にグレンは驚きの声を上げた。
「お、おい!アルベルト!」
「グレン」
自分を引き留めようとするグレンに向かって、アルベルトは諭すように彼の名を呼ぶ。
「テレサピス嬢の覚悟をしっかりと聞いて差し上げるんだ」
その言葉にはグレンを怯ませるほどの力が込められており、彼もそれ以上何かを口にすることはできなかった。今の友人の目からは、彼以外の――おそらく先ほど言ったテレサピスの覚悟だろう――意志も感じ取れる。
「あ、それと。今日一日、この部屋は使ってくれて構わないから。僕は久しぶりに家の方に帰るとするよ」
最後にそう伝えて、アルベルトは部屋を出て行ってしまった。残されたグレンは、これから一体どのような会話が展開されるのか予想だにできず、目の前に座るテレサピスとも目を合わせられない。そのため、情けない事だが押し黙ってしまう。
そんな彼に向かって、強気なテレサピスは苦言を呈す。
「グレン様、私以前申し上げましたはずですわよ。会話力を磨いておいた方が良い、と。あれから数日が経ちますが、全くと言っていいほど進歩が見られませんわね」
「す、すまない・・・」
30年以上培ってきた人格に数日で改善を施せというのが無理な話であったが、グレンはその意見を素直に聞き入れてしまった。普段叱られることの少ない彼にしてみれば、このような状況は凄まじく不慣れな事態である。
「まあ、いいですわ。それよりも私がこの場に来た理由ですけども――」
「う、うむ・・・」
「――もちろん、グレン様と婚約を前提にしたお付き合いをさせてもらうためですわ」
覚悟をしていた台詞であったが、いざ言われるとかなり戸惑う一言であった。
「ただ、お付き合いとは言っても、形だけですが」
「ん・・・?」
しかし、続く言葉にグレンは疑問符を浮かべる。一体どういう意味で言ったのか。
「いきなりな物言いで大変失礼な事とは思いますが。グレン様、私は別に貴方様を愛しているわけではございません」
それについては始めから分かっていたことであったため、グレンも軽く頷く。そして、当然の如く生まれる疑問を口にした。
「ならば、何故この話を受けたんだ・・・?」
アルベルトの計画は、グレンに多くの女性との間で子作りをしてもらう、というものである。これに関して、さすがに女性の意思を無視すると言う選択肢はなく、故にアルベルトは何度もこういった場を設けようとしてきた。まずはグレンのことを知ってもらい、そこから好意に発展することを期待しているのだ。
しかしテレサピスは計画には乗り気だが、グレンに対する好意はないと言った。それではまるっきり順番が逆ではないか、とグレンは考える。
「ですから、先ほど申し上げた通り。国のため、グレン様の子を身籠ろうと考えたのですわ」
その言葉にグレンは、理解ができないと顔を顰めた。
「冷静になれ、フェムコット君・・・!君は自分の言っていることが、分かっているのか・・・!?それでは好きでもない男に体を預けるということになるんだぞ・・・!?」
「ええ、そうなりますわね」
当然理解している、とばかりにテレサピスは笑う。
「フェムコット君、君は――!」
「グレン様。私のことはテレサピスと名前で呼んでくださいな。これから形だけとは言え、将来の伴侶として接するのですから」
グレンの慌てた言葉を遮るように、テレサピスの冷静な声が彼の耳に届いた。グレンは口を半開きにしたまま、呆然と彼女の事を見つめてしまう。
「ああ、ご安心ください。私との婚約は、エクセリュートさんの後でよろしいですから」
そのグレンの沈黙をどう受け取ったのか、テレサピスはエクセの名を出し、そう言った。それに対し、グレンは絞り出すように辛うじて言葉を返す。
「エクセ君は・・・関係ないだろう・・・」
その言葉にテレサピスは呆れたような表情をした。
「アルベルト様の言う通りですわ。本当にエクセリュートさんとの関係をお認めになりませんのね」
一体どこまである事ない事話しているのか。グレンは今度アルベルトに会ったら、問い詰めておこうと思うのであった。
しかし今はそれよりも重要な事がある。よく分からない考えを持つテレサピスを説得しなければならないのだ。
「フェムコット君。何故――」
「テレサピス、ですわ」
先ほど名前で呼べと言ったことに拘っているのか、テレサピスはグレンの言葉を遮りそう言った。これ以上姓で呼ぶと怒られそうであったため、グレンも観念して名前で呼ぶことにする。
「――テレサピス君。何故、君はそんな・・・自分の身を犠牲にするような行為をする?」
「犠牲とは、これまたご自身に厳しい言葉をお使いになりますわね。自分を卑下するような発言は慎んだ方がよろしいと思いますわ」
「俺の事はどうでもいい・・・!何故、このような話に乗った?君にも愛しく思う者の一人くらいいるだろう?」
グレンの問いに少しの間を開けてから、テレサピスは答えた。
「ええ・・・おりますわ・・・」
テレサピスの言葉には、どこか緊張したものが感じられる。その事を頭に入れつつも、グレンは続けた。
「ならば、その者と添い遂げることを考えるべきだ。何の理由があって、私との婚約を考えているのかは分からないが――いや・・・待てよ・・・!まさか、君が六大貴族だからか・・・!?」
台詞の途中でグレンは、ある結論に辿り着く。
「まさか・・・貴族の頂点であるが故に、自分を捨て、国のために行動せねばと考えているのか!?だとしたらそれは間違いだ!男である私がこう言っても説得力はないと思うが、女性ならば自分の信じた男と結ばれるのが最善のはずだ!」
グレンらしくない熱い台詞に対しても、テレサピスは口を閉ざしたままであった。
「もし君の親が無理矢理この話を進めようとしているのならば、私も説得に加わろう。君のような若い女性がこれからの人生を決めるのはまだ早い、と」
そこまで言うと、グレンは息を整える。テレサピスの思わぬ言動に心を乱されたせいもあるが、あまり親しくもない少女に対して言葉を浴びせ過ぎたと反省した。
「・・・テレサピス君、君の想い人が誰かは分からない。しかし、やはり君はその男性と結ばれるべきだ」
「リィスさんです」
「・・・・・・・ん?」
テレサピスの発言は、グレンの最後の言葉に対する台詞にしては些か繋がりがないものであった。そのため、グレンも一体どういった意図でリィスの名を出したのかを考える。
そして、1つの結論を導き出した。
「テレサピス君、先ほど私は『親しく思う者』と言ったわけではなく、『愛しく思う者』と言ったんだ。君の愛している人物、とな」
「ですから、リィスさんですわ」
グレンはしっかりと説明をした。それでもテレサピスは答えを変えようとせず、先程と同じ言葉を繰り返す。さすがにグレンも、これは自分の想定した事態ではないと気付いた。
それゆえ、このように返す。
「・・・・・・・な・・・に・・・!?」
その驚きの声は、絞り出すように発せられた。
「ま、待って欲しい・・・!リィスは・・・女だぞ・・・?」
「ええ、理解しておりますわ。私は女性であるリィスさんを愛しているんですの」
テレサピスは平然とそう言っているように思えるが、さすがに胸の内をさらけ出すのは恥ずかしいようで、顔が仄かに朱に染まっている。
グレンは、顔を赤くした女性に突拍子もない事を告げられる事態に心当たりがあった。そのため、彼はとんだ勘違いをしてしまう。
「テレサピス君、君・・・酔ってはいないか・・・?」
テレサピスの言葉に混乱していたこともあったのだろうが、ファセティア家での出来事からグレンはそう判断した。しかしこれは失言であったようで、テレサピスの顔が今度は怒りによって赤くなっていく。
「グレン様!」
テレサピスは机を力強く両手で叩くと、勢いよく立ち上がった。
「1人の女が勇気を振り絞って自身の秘密を打ち明けたのですよ!それをよりにもよって、酔っているなどと!いくら王国の英雄であっても、許し難い行いですわ!」
その声には本気の怒りが含まれているのが容易に伝わった。
それゆえ、グレンも恐怖より先に申し訳なさが立つ。
「す、すまない・・・!今のは失言だった・・・!この通り、謝らせてもらう・・・!」
そう言って、グレンは机に顔をぶつけそうになるほど深々と頭を下げる。王国の英雄が謝罪をしたという事実に、テレサピスも少し冷静さを取り戻したようで、息を一つ大きく吐き出した。
「分かればよろしいのですわ・・・!今後は気をつけくださいませ・・・!」
テレサピスはゆっくりと座り直す。そして軽く咳ばらいをすると、困ったように冷や汗をかくグレンに向かって声を掛けた。
「まあ・・・グレン様が驚かれるのも、仕方がないとは思います。女が女を好きになるなど、聞いたことがないはずですから」
それは確かにそうだ、とグレンは思ったが、口にも態度にもその意思を表すことはできない。そんなグレンを他所に、テレサピスは自身について話し始めた。
「私がこのような嗜好になったのは、何も最近のことではありません。他の女の子たちと少し違うということは、初等部の頃から薄々感付いていましたわ」
落ち着き払った態度で語るテレサピスの話をグレンは黙って聞く。
「そして、その違いに確信を持ったのが中等部の頃。私はあろうことか、初等部の女の子に恋い焦がれるようになっていまいましたの」
そこから察するに、テレサピスの好みは外見が幼い事だと言うのが分かった。
「そんな自分を、私は激しく嫌悪しましたわ。なんて汚らしい心の持ち主なのだろう、と。そして、その事をお父様に告白しましたの」
それはまた勇気のある行動だ、とグレンは思う。思うだけで、当然口には出さなかった。
「嘆く私にお父様は言ってくださいましたわ。『テレサピス、お前の心は決して汚れてなどいない。ただ、お前の持つ愛が他人と違うだけなのだ。そしてそれは、慈愛の女神がお前のみに与えたもの。お前にしか許されないお前だけの愛だ。誇りに思いなさい』、と」
その口ぶりから教養のある者ならば、テレサピスの父親が八王神に対して敬意を持っているのが分かる。しかしグレンは、慈愛の女神とは何だ、と頭に疑問符を浮かべていた。
「お父様にそう言われ、私は決心しましたわ。この感情を隠してでもいい、生きて行こうと。そして、それは上手くいきました。いえ、上手くいっていたと言った方がいいですわね。なぜならば、私はこの感情を抑えることが苦痛に感じるほどの方に出会ってしまったのですから」
「それが・・・リィスだと・・・」
ここに来てグレンも口を開く。少女の告白に少しでも応えてあげたい、と思い始めたのだ。
「そうですわ・・・。思わず抱きしめたくなるほどの華奢な体躯・・・、儚げで無垢な瞳・・・、可憐で繊細な手足・・・。初めて会った時、全てが愛おしく感じられましたわ・・・。おそらく、あれが一目惚れというものなのですわね・・・」
恍惚と語るテレサピスの瞳は、歓喜に潤んでいる。そこまでの激しい感情を未だ抱いたことのないグレンには、少しばかり戸惑いを感じさせる光景であった。
「しかし、以前会った時にはそのような素振りは見せていなかったが・・・」
グレンは先日リィスと共にいるテレサピスと接している。その時は、彼女に対して何の違和感も覚えなかった。
そう言いたいグレンの言葉に、テレサピスはくすりと笑う。
「先ほど申し上げましたでしょう?私がどれだけ長い間、そういった感情を抑えてきたとお思いですか?確かに、私の部屋でリィスさんと二人きりになった時は危なかったですが・・・」
それはリィスにとって危なかった、という意味ではないのかとグレンは思ってしまった。
「それでも何かをしたわけではありませんわ。これからもリィスさんとはお友達として、仲良くしていきたいですから・・・」
テレサピスは、そこまでで口を閉ざした。それが彼女の心の内の全てだとグレンは判断し、続いて彼女に聞く。
「君がリィスに対してそのような感情を持っていることは分かった。ならば、なおのこと今回の話は断るべきことなのではないのか?」
例え愛する対象が同性であろうとも、心に決めた相手がいるのならば、まずはその者のことを想うべきはずだ。グレンは、単純にそう考えた。そしてその気持ちがテレサピスにも伝わったのか、彼女は意外そうな顔をする。
「グレン様は・・・お優しいのですね・・・。私の話を聞いても、嫌悪を見せることなく、真摯に受け止めてくださるとは・・・。先ほど怒鳴ったことを謝らなければなりませんわ・・・」
感動したように言葉を紡ぐ少女に対して、グレンはかぶりを振って見せた。
「その事に関しては気にするな。私も悪かった。それよりも聞かせて欲しい。リィスという者が居ながら、何故この話を受けた?」
理由を聞いたからと言って、グレン自身この複雑な事情を解決できるとも思えなかった。しかしそれでも、テレサピスの意思とは無関係に事が進んでいるのだとしたら、それはグレンにとっても望ましいことではない。話だけでも聞いておきたかった。
「その事に関しては誤解なきようお願いいたしますわ。確かに、始めに話を持ち掛けてきたのはアルベルト様です。お父様と一緒に話を伺いました。ですが、決して無理矢理と言うわけではありません。アルベルト様も『その気になったらで構わない』と仰っていましたわ」
つまり、テレサピスはその気になったと言うことだ。では、何がその気にさせたのか。
「長い間、ずっと悩んでいましたわ。私は男を愛せない身。おそらく男性と結ばれることはない、と常々考えておりました。そしてそれは相手が王国の英雄だとしても同じ事。人並みの幸せが苦痛になってしまうのです。ですが、そんな私をリィスさんとの出会いが変えてくれました」
一体どのような変化が少女の身に生まれたのか。グレンも本腰を入れて、テレサピスの話を聞く。
「グレン様・・・。グレン様はリィスさんを助けてくださったのですよね?」
「まあ・・・、助けたと言うには大袈裟だが、彼女を王都に招いたのは私だな」
「・・・それですわ」
何がそれなのか、とグレンは怪訝な顔をした。
「グレン様がリィスさんを救ってくださったことで、私は彼女と出会うことができました。此度の話はその恩返し。私の愛する人を救い、私と会わせてくださったことへのお礼です。リィスさんを助けてくださった方のもとならば、嫁いでも後悔はしないだろうと考えましたの」
テレサピスの言葉に嘘はない。彼女のグレンを見つめる瞳がそう言っていた。
しかし、グレンとしてもそのお礼を受け取る訳にはいかなかった。
「テレサピス君、そのような事を恩に感じる必要はない。私がしたくて、そうしただけだ」
その言葉にテレサピスは首を横に振る。
「それでも構いませんわ。私もそうしたくて、そうするだけですから」
どうやら相当固い決意らしい。
このままでは駄目だ、とグレンは話を変えた。
「君のご両親は何と言っているんだ?こんな男のもとに来ることを許可したのか?」
「グレン様、先ほど私はご自分を卑下なさるのはお止めになったほうが良い、と申し上げましたわよね?」
「す、すまない・・・」
話題を変えた瞬間怒られてしまい、グレンは出鼻を挫かれてしまったと感じた。
「はあ・・・、まあいいですわ。私の両親ですが、お二人ともこの話には一定の理解を示してくださっています。私には兄がおりまして、その兄が第一王女であらせられるクノハ様とすでに結ばれていることも理由でしょう。王族の血を取り入れたとあっては、もはや我がヒュッツェンベルク家は安泰。私一人くらい自由にさせてあげてもよい、と両親は考えてくださっているようですわ」
そうだったのか、とグレンは軽く頷く。
「恋慕も恩義も感じない男に嫁がせるくらいならば、せめて想い人の恩人の元へ。私も両親もそう考えていますわ」
「そ、そうか・・・」
本人も両親もグレンとの婚約に異議はない。グレンはかつて、エクセとの実習に関しても似た様な状況になったことを思い出した。
しかし、今回ばかりはそう簡単に折れはしない。
「・・・だが、君はそれでいいのか?」
グレンは再度確認を取った。この質問に肯定されても返せるように次の言葉を用意しながらの問いである。
「くどいですわよ、グレン様。それとも私に不満でもおありですか?これでも同学年の中では、一番豊かな体つきをしていましてよ」
それは何となくだが分かる、とグレンは思ったが当然口には出さない。いや、出せない。
「そ、そういう意味ではない。リィスの気持ちを確認せずに私に嫁いでしまっていいのか、と聞いているんだ」
「え・・・?」
グレンの言葉が意外なものであったようで、テレサピスは戸惑いの声を上げる。
「君の気持ちはよく分かった。だが、その気持ちを告げるのは私ではなく、リィスなのではないか?」
この言葉にテレサピスは痛いところを突かれたといった顔をした。
しかしすぐに悲しい顔つきになり、こう返す。
「何を仰いますの、グレン様・・・?そんな事、できるはずがありませんわ・・・。女の私に好きだと言われても、リィスさんを困らせるだけです・・・」
「それは・・・まあ・・・いきなりそう言われれば戸惑うだろうな・・・」
「そうでしょう・・・」
「だが、だったら段階を踏めばいい」
「段階・・・?」
「そうだ。簡単に言えば、リィスを君に惚れさせてしまえばいい」
「リィスさんを・・・・・・私に・・・?」
その発想はなかったのか、テレサピスは再び戸惑いの声を上げる。実はグレンとしても、真にそう考えているわけではなかった。
これはかつて、兵士時代に同僚であるメリッサから聞かされた話なのだ。ただその時は「女が身分違いの男に対して」という条件だったが。
「それは・・・どのようにすればいいんですの・・・?」
グレンの提案にテレサピスも食いついて来た。
あの時メリッサは何と言っていたか、とグレンは必死に思い出す。
「そ、そうだな・・・。例えば・・・自分の女性としての魅力を見せつける、とかか・・・?」
この助言も当然の如く、女が男に対して取る行動として語られたものだ。最早グレンは自分がどんな結論に持っていきたいかが分からなくなっていた。
「私の魅力・・・?と言うと、胸とか足とかでしょうか・・・?」
言いながらテレサピスは自分の胸を両手で持ち上げる。
かなり大胆な行動に、グレンも素早く視線を逸らした。
「そ・・・そうなんじゃないか・・・?」
目線は外しつつ、グレンは答える。
「いえ・・・それだけではありませんわ・・・。容姿も剣の腕も、よく友人から褒められます・・・」
「そ、そうか・・・。それは・・・素晴らしいな・・・」
テレサピスは真剣に相談を始めているようだ。
グレンはしどろもどろになりながらも、なんとかそれに応対していく。
「ですが、それをいつ披露すればいいのでしょう?グレン様、何かご意見はありませんか?」
「え・・・!?そ・・・そうだな・・・」
グレンはかつての同僚に助けを求めたい気分であったが、今は助力を請える状況ではなく、必死に自分で答えを考えようとしてみた。しかしやはり無理なようで、せめて考える振りをしようと腕を組む。
「再び我が家に呼んでみましょうか・・・?いっそ泊まっていただく・・・?いえ、それでは私の身が持ちませんわ・・・!」
テレサピスも思案するようにぶつぶつと呟く。
そしてしばらく悩んだ後、何かを思いついたかのように目を軽く見開いた。
「そうですわ!確か、近いうちに王国と帝国の間で結ばれる条約の締結式典があったはず!それにリィスさんを誘いましょう!」
良い考えが浮かんだとばかりに、その顔は喜色に塗れている。つい先程その話をアルベルトとしていたグレンも、テレサピスの意見を肯定するように大きく頷いた。
正直、何も理解していなかったが。
「そうと決まったら、準備をしなければいけませんわ!服も装飾品も新調しなければ!」
言いながら、テレサピスは勢いよく立ち上がる。
グレンはそんな彼女の力強い笑顔を見上げていた。
「ありがとうございますわ、グレン様!まさかこのような場で相談に乗っていただけるとは思いもしませんでした!さすがは王国の英雄ですわね!」
テレサピスと出会って以来グレンは初めて褒められ、多少なりとも気分を良くする。そんな彼に向かって、テレサピスは優雅に頭を下げて見せると、
「それでは、私はこれで失礼させていただきます。今回のお礼は、いずれ必ず」
と言って、グレンに背を向けると、そそくさと出口へと向かって行った。
そして扉を開けると、再度彼の方へ向き直り、笑顔を見せる。
「ではグレン様、ご機嫌よう」
優雅に頭を下げたテレサピスが部屋を出て行く。続いて、扉が小さな音を立てて閉められた。
その瞬間、グレンは勢いよく頭を抱える。
「俺は・・・何をやっているんだ・・・!」
先程の会話において、グレンはテレサピスを説得しようとしていた。しかし、それはグレンとの婚約を考え直させようとしただけで、決して彼女を焚き付けようとした訳ではない。
結論を先に考えずに言葉を発してしまったが故の結果に、グレンは自身の頭の回らなさを実感した。
「リィスには・・・悪い事をしたか・・・?」
同性から積極的に迫られたら、どのような人物でも――同じ嗜好でない限り――戸惑うものだろう。もし自分がそんな目に会ったらぞっとする、とグレンは考える。
だが、不思議とリィスはそうならないような気がしてもいた。あの少女ならば「嫌ではない」とか言って受け入れそうである。
「いや、だとしてもウェスキス殿が許さないな・・・」
と口に出してみたが、ポポルならば、
『リィスちゃんが~良いなら~構わないわ~』
と言いそうだ、とグレンは考えた。
「案外、丸く収りそうだな・・・」
他人事のように語るグレンは立ち上がると、自身もファセティア家への帰路へ就くのであった。




