3-5 再会
ルクルティア帝国の皇帝アルカディアは、フォートレス王国との国境沿いに位置する関所に再び訪れていた。傍には当然、執事兼護衛のヴァルジも仕えている。しかし今回、彼女の弟であるソーマの見送りはなかった。
「それじゃあ、カディア。しっかりとやってくるんだよ」
代わりに、首から下を外装で隠した女がアルカディアに向かって、そう見送りの声を掛ける。女の後ろには大勢の兵士が立ち並んでおり、その者達は王国と帝国の兵士からなる連合軍であった。女は彼らの代表、つまりは指揮官である。
「うむ。ソーマをよろしく頼むぞ、メリッサ殿」
「もちろんさ。任せときな」
メリッサと呼ばれた女性は、幾分かアルカディアよりも年上であった。それが理由なのか、彼女は皇帝であるアルカディアの事を「カディア」と敬称を付けない特徴的な呼び方をする。
以前アルカディアが「なぜそう呼ぶのか」と聞いたところ、
『特別な呼び方をすると、それだけで親しくなれた気分になるだろ?』
と言われた。
どうやら、それが彼女なりの仲良しの秘訣らしい。
相手が年上と言うこともあって、特に嫌悪感を覚えなかったアルカディアはそれを了承したが、その呼び方に関してヴァルジはあまりいい顔をしない。
そんな執事を視界に納めながらもメリッサは言葉を続けた。
「ソーマには色々と教えといてやるよ。色々と、ね・・・」
メリッサは色っぽくそう言った。彼女の歳はすでに30を超えていたが、肌は瑞々しく、類まれなる美貌を持つアルカディアに引けを取らないほどの色香に溢れている。特に左目にある泣きぼくろが妖艶な彼女に儚さを纏わせ、異性ならば容易く虜にされそうであった。
そのため、アルカディアは声を大にして警告する。
「メリッサ殿!ソーマに指一本でも触れてみよ!その時より、そなたは大罪人じゃ!」
アルカディアの威嚇にメリッサはこれまた艶やかに笑みを返した。
「私からは何もしやしないよ。ただ、あの坊やが私と二人っきりになって、何もしないでいられるかは分からないけどね」
メリッサの挑発にアルカディアはただ弟を信じることしかできない。それでも彼女に向かって、「がるるる・・・!」と威嚇をすることは忘れなかった。
「メリッサ殿、あまり陛下を揶揄わないでいただきたい」
それを見かねたヴァルジが声を掛ける。普段は自身もアルカディアを揶揄う立場にあったが、何も言えない主の手助けをするのは執事として当然の行いであった。
「おや。これは失礼、ヴァル爺さん」
ヴァルジに向かって、メリッサはまたもや独特な呼び方を披露した。これに関してはヴァルジも嫌な顔はせず、むしろ少し笑っている。アルカディアに対する態度に多少の不満はあるが、ヴァルジもメリッサのことを嫌ってはいなかったのだ。
「別に揶揄っているつもりはないよ。ただほら、私って良い女だからさ」
そう言って、メリッサは外装をゆったりとした仕草で開いて見せた。
「おほっ!」
そこに広がる光景に、さしものヴァルジも興奮の声を漏らす。豊満な胸を申し訳程度に隠す皮鎧と短すぎるズボン。妹分であるレナリアも似たような服装をしていたが、メリッサはさらに女性的魅力に富んでいた。加えて、鍛え抜かれた肉体はもはや扇情的と謳っていいほどであり、腹部右側に彫られた爪痕のような刺青も彼女の野性味を存分に引き立てている。ちなみにその刺青は呪術印ではなく、お洒落として彫られたものである。おまけとして、ヴァルジの視界には両脇に1本ずつ備えられた曲剣が見えており、それらが彼女の武器なようだ。
「これ!爺!」
アルカディアの叱咤の声にヴァルジは、はっとして自分を取り戻し、急いで視線を外した。メリッサの後ろに控える兵士達は皆一様に、
(俺も見たい・・・!)
とそんな彼の行動を見つめている。
「あははは、やっぱりヴァル爺さんも男だね。ま、貴方みたいな強い男に勝つためにこんな格好しているんだけどもさ」
言いながら、メリッサは再び外装を閉じる。
(嘘つけ!単なる露出狂じゃろ!)
とアルカディアは思ったが、ヴァルジの強さを見ただけで理解するこの女兵士ならばとも思い、声には出さないでおいた。
「さて、長話もなんだ。私らは城に帰らせてもらうよ。それじゃ、カディア。グレンとよろしくね」
そう言うと返事も聞かず、メリッサは外装を揺らめかせながら去って行く。「グレンとよろしく」ではなく「グレンによろしく」ではないのか、とアルカディアは思ったが、それ以上に言っておかなければならないことがあった。
「メリッサ殿!ソーマにはくれぐれも触れるでないぞ!」
その背中に向けて、アルカディアは最後の警告をする。メリッサはアルカディアの方へ顔だけで振り向くと、笑みを作りながら、それに対する答えとでも言うように片目をつぶって見せた。それが一体何の意味を持っているのか、それを問い質す前にメリッサは颯爽と歩いて行ってしまう。
「まったく・・・あの者は頼もしいのか危険人物なのか、分かったものではないな・・・!」
「そうですな。ただ、彼女のおかげで帝国に巣食う無法者どもを短期間で一掃できたのも事実。姫様、それをお忘れなきよう」
「姫ではない、姫皇帝と呼べ!――分かっておる。余は恩には報いる皇帝じゃ」
王国と帝国の関係が改善された後、王国は帝国に大勢の兵士を派遣した。その兵士達はすぐに帝国に拠点を作った犯罪者集団や盗賊ギルドを殲滅しており、その指揮を執った中心人物がメリッサである。国王からの命だとは言え、アルカディアは彼女に多大な恩義を感じていた。
「ただ、ソーマに手を出したら許さぬがな・・・!」
アルカディアは忌々し気に呟く。
「姫様、これからご友人と会うのです。そのような顔をしていてはなりませんぞ」
「む・・・分かっておる」
アルカディアがここまで来たのは、当然の如く王国へ向かうためだ。そして今回王国へ向かう理由は、彼女が提唱した帝国と王国間における『永世友好条約』の締結式典に参加するためであった。故に今、アルカディアは『聖庭』を身に着けていない。これから向かう先は自分にとって最早敵地ではないのだ。ただ、ヴァルジの持つ鞄の中に他の着替えと共に入れられてはいたが。
「シャルメティエやチヅリツカと会うのも久しぶりじゃな」
アルカディアは王国で作った友人の顔を思い浮かべ、先ほどとは打って変わって笑顔を作る。
「ふむ、そんなことを言っておったら会いたくなってきた。爺、急いで王国へ渡るとしようぞ」
アルカディアの催促にヴァルジは「畏まりました」と答えると、二人揃って関所へ向かう。この関所も前回はいくつかの手続きが必要であったが、今では皇帝であるアルカディアならば、顔を見せるだけで通ることができた。そのため、あっという間に王国への扉に辿り着く。
そして、アルカディアは扉を勢いよく開けると、おそらく出迎えに来ているであろう友人の名を呼ぼうとした。しかし、彼女の目に一番最初に映ったのは予想外にも別の人物であった。
「よう、アルカディア。よく来たな」
それはフォートレス王国の国王、ティリオンであった。意外な展開に思わず「お・・・?」などと呟いてしまったアルカディアであったが、国王自らの出迎えがどのような意味を持っているかを察し、すぐに言葉を返す。
「これはティリオン殿。国王自らの出迎えとは、大変恐れ入る」
ティリオンがアルカディアの事を呼び捨てにし、アルカディアがティリオンのことをこのように呼んだのは初めてのことであった。名前を呼ぶことがティリオンなりの友好の証だと判断したアルカディアが、即座に対応した結果である。
「来な。特別に俺専用の馬車に乗せてやるよ」
そう言うティリオンの後ろには、シャルメティエとチヅリツカが仕えていた。二人ともアルカディアが自分たちの存在に気付いたと判断すると、頭を下げて来る。アルカディアもそれに笑顔で応え、3人に向かって近づいて行った。
その時、違和感に気付く。彼らの後ろに立ち並ぶ騎士たちの数がやけに多いのだ。前回も多いと感じたが、今回はその時の倍はいるのではないだろうか。
「どうしたことじゃ、ティリオン殿?このような大所帯まで引き連れて」
「あん?お前さんが気にすることじゃねえよ。さ、乗った乗った」
ティリオンのもとへ辿り着いたアルカディアの質問に対して、彼はさらっと流してみせた。そして、自分一人だけさっさと馬車に向かって行く。
「お久しぶりです、アルカディア様」
そんな主についていくことなく、シャルメティエはアルカディアに向かって声を掛けた。チヅリツカも再度頭を下げる。
「うむ、久しぶりじゃな。そなた達から送られた品々、ありがたく使わせてもらっておるぞ」
「それは良かったです。他にご入用なものがおありでしたら、何なりとお申し付けください」
「ふふんっ!余を見くびってもらっては困るぞ、シャルメティエよ。帝国の財政は既に再生されつつある。今後は己の財で必要な物を揃えて見せようぞ」
本当は王国からの支援金がほとんどであったのだが、アルカディアもこれ以上友人に甘えることはできないと考えているため、そう答えた。
「それはさらに良い事です」
シャルメティエはにこやかに返す。
「では、私は護衛に付きますので、ここで失礼させていただきます。チヅ、アルカディア様とヴァルジ殿を馬車までお連れしてくれ」
「畏まりました。シャルメティエ様もお気をつけて」
チヅリツカとのやり取りを終えるとアルカディアに向かって頭を下げ、シャルメティエは自身の持ち場へと向かった。
「では、アルカディア様。国王様がお待ちですので、急いで馬車まで向かうとしましょう」
「うむ」
互いに笑みを浮かべながら、ティリオンが待つ馬車へと歩を進める。その後をヴァルジも嬉しそうについて行った。
「遅えよ」
馬車に乗り込むとティリオンが開口一番、そう言ってくる。しかしその顔は笑顔で、特に怒ってはいないようだ。
「すまぬな、ティリオン殿。女同士、積もる話があったものでの」
「へえ、どんな話だ?下着の色とかか?」
その言葉に、アルカディアは正直かなり引いてしまった。
「そなた・・・前々から王らしくないと思っておったが・・・そこまで下品であったか・・・」
アルカディアの苦虫を噛み潰したような顔に、ティリオンは「くはははは」と笑う。彼としてもここまで開けっ広げに他国の王と会話ができて楽しいようだ。
扉が閉まり、ティリオンの笑い声が外にまで聞こえなくなるとシャルメティエが号令を掛け、馬車はゆっくりと動き出した。今回は国王と皇帝が乗っているということもあり、かなり丁寧な進行だ。
「アルカディア様。王都までの道中、式典の日程に関する説明をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
馬車が動き出してすぐ、チヅリツカがアルカディアに向かって、そう声を掛けた。
「うむ、良いぞ」
「ありがとうございます。では、こちらを」
そう言ってチヅリツカが手渡してきた書類には、式典の行事内容とその時間割が書かれてあった。アルカディアはそれら全てに一通り目を通す。そして、それだけで全ての内容を覚えてしまった。伊達に書類仕事ばかりしていないということだ。
「ん・・・?」
それゆえ、その日程の穴に気付く。
「ティリオン殿、式典の日程に余の謝罪会見が入っていないようじゃが?」
アルカディアは以前、ティリオン宛に送った手紙に「直接謝罪をする」と書いた。今回の式典はその絶好の機会だと思ったのだが、いくら探しても謝罪の文字が見当たらない。
「ああ、それならもう済ませといたからよ」
「なんじゃと?」
アルカディア自身そのような行動に覚えはなかった。ならば、目の前の国王は何の話をしているのだろうか。全く訳の分からない物言いに、アルカディアも眉を寄せる。
「陛下、おそらく国王陛下はこの事について仰っているのではないでしょうか?」
そう言ってヴァルジは珍しくも執事らしく、さっとある物を取り出した。それは王国の新聞であった。
「なんじゃ?」
と言いながら、アルカディアはそれを受け取る。そして最初の頁に目を向けると、
「なるほどのう。余の手紙を民に公表することで、それを王国への謝罪としたわけか。手間もかからず、王国全体に確実に伝わる。実に合理的な手段じゃな」
と言った。個人への手紙を公に晒されたと知ってもアルカディアは大した動揺を見せず、その事実をいとも容易く受け入れる。その光景にティリオンは満足気に笑った。
しかし、アルカディアが次の頁をめくった瞬間、事件は起こった。
「なあああああああああああああああ!!!!?」
その雄叫びは外まで響き渡っており、シャルメティエの耳にも十分届いていた。
「全隊、止まれ!!」
予め『拡声』を掛けていたこともあり、騎士たちは一瞬にしてその進行を止める。
「守護陣形にて待機!!」
続く指示に騎士たちはティリオン達が乗る馬車を中心に自分たちを壁とするよう動き出した。それは何重もの円が重なったような陣形であり、何人たりとも容易く馬車に近づくことはできない。ただ、シャルメティエと馬車とを一直線に繋ぐ通路は確保されていた。
陣形の完成を見届けた後、シャルメティエは急いで馬を走らせ、馬車の近くまで来ると飛び降りるように地に足を着ける。そして、馬車の扉を勢いよく開けた。
「如何なさいましたか、アルカディア様!?」
その瞬間、シャルメティエの目に飛び込んできたのは異様な光景であった。
「ど、どどどど、どういうことじゃ、ティリオン殿!!?何故、この部分が載っておる!?文にも他言無用と書いたではないかーー!?」
と言いながら、涙目になったアルカディアがティリオンの胸倉を掴み、彼の体を前後に激しく揺らしていたのだ。
「アルカディア様、ご乱心!?――チヅ、一体何があった!?」
状況を理解できないシャルメティエは自分の秘書に説明を求める。聞かれたチヅリツカは、言いにくそうに口を開いた。
「それが・・・どうやらアルカディア様は、ご自身の手紙を全て公開されていたことをご存じなかったようで・・・」
「手紙?」
そう言われ、シャルメティエは一か月も前に出版された新聞の内容を思い出した。
「ああ、あれか。国に対してなんと献身的なんだ、とアルベルト殿が褒めていたな。それがどうかしたのか?」
「そうですね・・・。アルカディア様も乙女であった、ということでしょうか・・・」
チヅリツカの言葉はティリオンを揺さぶるアルカディアの耳にも届いており、それを受けて彼女は叫ぶ。
「そうじゃ!余とて乙女ぞ!このような真似をされて、恥を感じぬわけがないじゃろうが!」
その言葉にティリオンは「そうだったのか・・・!」とでも言いたそうな表情をした。アルカディアの視界には映っていなかったが、ヴァルジもそのような顔をしている。
「なんじゃ、その顔は!?このような事をしておいて詫びもなしか!?それに、爺も爺じゃ!何故、今日までこの事を黙っておった!?」
しかし、その気配を察知したのかアルカディアは怒りの矛先をヴァルジにも向けた。忠実な執事は恭しく頭を下げ、こう答える。
「陛下のお心に負担を掛けたくなかったのでございます。条約作成に専念してもらおうと、少しばかりですが気を使わせていただきました」
「う・・・うむ・・・?」
ヴァルジの言葉は筋の通ったものであるように感じられた。
そのため、アルカディアも納得しかける。しかし、すぐに先ほどの行動を思い出し、考えを改めた。
「ならば何故、これを持っておった!?このような事態になることを予測し、予め用意しておったのじゃろう!?余を揶揄うためにな!」
アルカディアのその推理は当たっていたようで、ヴァルジはにこりと笑うと、
「その通りです。さすがは陛下でいらっしゃいます」
と言った。
ちなみに、王国の新聞をヴァルジが持っていたのは、メリッサから渡されていたからである。
「褒められても嬉しくないわ!――ううー!チヅリツカ~、年寄り共が余を虐めるのじゃー!」
アルカディアはそう言うと、ティリオンの隣に座るチヅリツカの腰に抱き付いた。
「もう、お二人とも。これ以上アルカディア様を揶揄うのをお止めください」
「いいじゃねえか、別に。グレンとの子作りを許さねえ、って言ってるわけじゃねえんだからよ」
ティリオンは心底楽しそうに、そう言った。その言葉にアルカディアは何も返さず黙っていたが、しばら経つとぼそりと呟く。
「――足りぬ・・・」
一体どういった意味でそう言ったのか、と皆アルカディアに目を向けた。
「このような屈辱を受けたとあっては、それでは許さぬ・・・。グレン殿だけではない・・・。シャルメティエとチヅリツカも寄越せ・・・」
「「え!?」」
アルカディアの予想だにしない要求に当の二人は驚きの声を上げる。
「余がグレン殿と子を成す。そして、余の弟であるソーマが二人と子を成す。そうすることで、帝国はより多くの人材を確保できるということじゃ」
アルカディアは自身の意図を説明して見せたが、それで二人が納得するはずもなかった。しかし、その言葉に対して最初に異議を唱えたのはティリオンであった。
「それは駄目だ。男ならば構わん。だが、王国の女を簡単に渡すわけにはいかねえな。それ以前に俺以外の男がこんな美人2人をはべらかすのは気に食わねえ」
その言葉にシャルメティエとチヅリツカは、ほっと胸を撫で下ろす。もし国王が了承してしまったら、それは王と皇による約束。簡単に断ることはできなかっただろう。
「ならば、どちらか一方と言うのはどうじゃ?」
しかし、アルカディアは食い下がる。最初の要求よりも譲歩して見せることで、交渉を有利に運ぼうという魂胆であった。
その言葉を聞きながらも、シャルメティエとチヅリツカは何の不安も感じていない。自分たちの王であるティリオンは己の考えをそう容易く変えるような人物ではなかったからだ。
「まあ・・・それなら、いいんじゃねえか?」
「「ええ!?」」
しかし、ティリオンはそれを了承してしまった。おそらく今回は――滅多にないことだが――自分の意見を曲げてやってもいいか、と思ったのだろう。それだけ機嫌が良かったと言う事なのだが、それが二人にとってはこの上ないほどの迷惑な事であることは言うまでもない。
「ふふん!話が分かるではないか!――と言うわけじゃ、二人とも。余の弟の子を産むと言う名誉をどちらが授かりたい?」
アルカディアの嬉しそうな声に二人は何も返すことができず、どうするべきかと顔を見合わせた。しかし、ややあってシャルメティエが答える。
「それは・・・今ここで決めるようなことではないかと・・・。とりあえず、私は任務に戻りますので・・・。チヅ、アルカディア様のご相談に乗って差し上げてくれ・・・」
それだけ言うと、シャルメティエは急いで扉を閉めてしまった。
「ええ!?シャルメティエ様!?そんな、ご無体な!」
チヅリツカの悲痛な叫びは馬車の外にいるシャルメティエにも確かに届いていた。しかし、勇敢な騎士であるシャルメティエも今回ばかりは秘書に任せるしかないと判断したようだ。
「すまない、チヅ・・・。無力な私を許してくれ・・・」
その呟きは秘書に聞こえることもなく、風に流される。そして、シャルメティエは自身の馬に跨ると敗北感に塗れた声で進行の号令を掛けた。その声に騎士たちは、何があったのかと互いに顔を見合わせてしまい、少し遅れてバラバラな返事を返す。それでも護送団は行進を始め、王都へと向かった。
そしていくつかの街を経て、国王と皇帝を乗せた馬車は何事もなく王都ナクーリアに辿り着く。観光も含めた移動であったため、騎士たちにとっては休憩を取りながらの仕事であり、長期間の旅を終えても誰一人疲れを感じていなかった。ただ、アルカディアの話を四六時中聞かなければならなかったチヅリツカは、彼女の誘いを全力で躱し切るのに頭を使ったせいで疲労困憊になっていたようである。
アルカディアの再来訪ということで、王都は今前回以上の賑わいを見せていた。今回の訪問は前回と異なり、互いの国の友好に関する条約を締結するために行われているのだ。市民の歓迎はより一層盛り上がっていた。
その喧騒を城の中で聞きながら、グレンはエクセやアルベルトとともにアルカディアを待つ。
「もうそろそろお越しになる頃合いかな」
市民の歓声が近づいて来たことから、アルベルトがそう言った。
「アルカディア様とお会いになるのも久しぶりですね、グレン様」
「ああ、そうだな」
エクセの浮かれた声にグレンも微笑みながら答える。ほんの数日前まで飢えで死んでしまうかもしれないと悩んでいた男は今、再び少女の家に厄介になったこともあり活力を取り戻していた。エクセもまた、グレンが再び戻ってきてくれたことに喜び、今まで以上に元気になっている。笑顔を交わす2人を生温かい目で見つめながら、もう婚約したってことでいいのではないか、とアルベルトは思うのであった。
「よかった~、まだ~アルちゃん~来てないみたいね~」
そんな彼の視界に、小走りに駆けてきたポポルが映る。
「ポポル様!」
「は~い~、エクセちゃん~。リィスちゃんと~挨拶に~行った時以来ね~」
ポポルは義娘が学院に通い始める前日に、エクセにその報告をするためファセティア家の屋敷にリィスと共に訪れていた。学院という環境に不慣れな娘を慮った母親らしい行動と言えるだろう。その時にグレンも会っており、ものすごく揶揄われたことを苦い記憶として思い出す。今もまた、若干にやつきながら彼の事を見つめてきていて、彼は困ったように視線を泳がせた。
「ん・・・?」
その視界に、一人の少年がこちらに向かって歩いてくる姿が捉えられた。服装から察するに魔法研究会の一員なのだと判断できる。
(ということは・・・成人しているのか・・・)
その人物はポポルと比べても、それほど身長に差があるわけではなかった。一見中等部生くらいにしか見えないほどである。しかし、グレンがこのように考えたのには理由があった。
というのも、王国魔法研究会に所属するには、まず学院を卒業してからでなければならないのだ。その後、毎年開催される試験に合格して初めて研究員としての資格を手に入れることができる。その試験も難関と言われており、毎年最低でも50倍の倍率が保たれていた。そのため、魔法研究会には若者が少ない。長い年月を掛けて勉学と魔法の実力を高めて来た者だけが、国の庇護のもと魔法の研究に打ち込めるのだ。若い頃から会長を務めるポポルのような才能の塊は、当然例外的存在である。
そしてそこから、先ほど現れた少年――のような成人男性も相応の実力を秘めているということが分かった。
「見つけましたよ、ポポル様。まだ先ほどの質問に答えてもらっていません」
その声にポポルは、嫌そうな顔を青年に向けた。
「もお~、ギノちゃんしつこ過ぎ~。それはまた今度~」
「そうはいきません。僕は魔法を極めるために研究会に入ったんです。ポポル様のように才能があれば別ですが、平凡な僕にとっては一分一秒が貴重なんです」
ポポルが困っている所を初めて見たグレンは、物珍しそうに二人のやり取りに目をやる。アルベルトとエクセも同様の反応を見せていた。
「もお~、やだ~。助けて~、グレンちゃん~」
ポポルはそう言うとグレンの後ろに隠れるように移動する。
「グレン・・・?」
ギノと呼ばれた青年は、訝しむようにグレンの顔を見つめた。その目には何か敵意と言うか、対抗心が宿っているようにグレンには感じられる。
「ポポル様、こちらが王国の英雄と謳われるグレン様ですか・・・?」
ギノの関心がグレンに移ったことを受けて、ポポルは顔だけ出して「そうよ~」と言った。
「そうですか・・・。このような方が英雄として扱われているんですね・・・」
ギノの言葉には、明らかな嫌悪が含まれている。それを感じ取ったグレンは、この青年に嫌われるような事をしただろうか、と考えてみた。
「ごめんなさいね~、グレンちゃん~。この子~、学生時代に~いいお友達が~いなかったみたいで~ちょ~っと性格が捻じれちゃったのよ~」
グレンの疑問に答えるかのように、ポポルがそう言ってくる。そのポポルの言葉にギノは眼鏡をくいっと上げると、
「それは違います、ポポル様。あんな奴ら、僕は始めから何とも思っていません。運動ができないからといって、馬鹿にしてくるような連中など・・・!」
と言った。そのギノの物言いに対して、理解はできるとグレンは思う。本来魔法使いにとって、運動ができないことが欠点として捉えられることはない。なぜならば、それを補って余りある成果を魔法でこなすことができるからだ。ならばポポルの言う通り、同級生に恵まれなかったのだろう。しかし、それが何故グレンに対する敵意となっているのかが理解できなかった。
「その連中が言っていましたよ・・・!『俺は将来、グレン様のようになるんだ』、と・・・!」
どうやら自分を虐げていた者たちの発言から、グレンにも同等の感情を持ってしまっているようだ。グレンにしてみればいい迷惑であったのだが、今ここでギノを慰めるような言葉も出てこなかった。
「僕もグレン様の武勇を聞いたことはありますが、別に大したことではないと思いますけどね・・・!」
その言葉にはさすがのポポルも怒ったような表情を浮かべる。エクセも少しむっとしていた。
「ギノちゃん~!さすがに~口が悪いわよ~!」
そう言ったポポルはギノのもとまで赴くと、彼の左頬を思いっきり抓る。
「痛、痛たたた!痛ひれふ、ほほる様!!」
「グレンちゃんに~謝りなさい~!」
そこまで言って、ポポルはギノの頬から指を離した。赤くなった頬を痛そうに擦るギノであったが、その目は未だ反抗心に満ちていた。
「ぼ、僕は何もグレン様が英雄として扱われているのが不服なわけではありません・・・!ただ、グレン様の逸話として語られる『真空斬り』や『崩山刀』ならば、同じようなことをポポル様にもできるはずです・・・!」
15年前に行われたルクルティア帝国との戦争において、グレンは数々の偉業を成し遂げている。その中でも特に有名なものが、遠くの敵を切り裂いた話と帝国の築いた砦を山ごと崩壊させた話だ。そしてその時に放たれた攻撃に対して、誰が付けたかは分からない――グレンはバルバロットだと思っている――が、それぞれ『真空斬り』と『崩山刀』という名前が与えられていた。
ギノ曰く、ポポルも魔法で似たようなことができると言うことだ。
「それは~、そうだけど~」
そして、ポポルもそれを肯定した。この発言に対して、グレンもアルベルトも意外には思っていない。彼女の実力をよく知るものであれば、当然のことだと受け取ることができた。ただ、エクセだけは魔法使いとして彼我の実力差に驚いている。
「そうでしょう!?ならば、ポポル様もグレン様と同様に英雄として扱われるべきです!そうされない現状に、僕は不服を感じているんです!」
どうやらギノはポポルのことをかなり尊敬しているようだ。近接専攻の者に対するグレンと同じ、と思えば納得はできることだろう。
「はいはい~、あんまり~私に~恥を掻かせないの~」
しかし、当のポポルは冷めたもので、今度はギノの右頬を軽く抓った。
「痛ひれふ、ほほる様・・・!」
そして、すぐにその指を離すと、手を自分の頬に当て、
「ほんと~にごめんなさいね~、グレンちゃん~。この子~どうやら~私に~相当~入れ込んでるみたいなのよ~。そのせいで~こんな事言っちゃうの~。根は~悪い子じゃないのよ~?」
と言って、自分の部下について弁解をした。
ポポルを慕い、グレンに対抗心を燃やす男――ギノ=ウィントレードは、確かに口が悪いだけの人間ではない。決して名のある家に生まれたわけではないにもかかわらず、学院を卒業してすぐに研究会に入ることが出来たのは一重に彼が努力家であったからだ。そのために積み重ねた研鑽は数知れず。遊ぶ時間や寝る時間を削ってまで魔法の鍛錬や勉学に打ち込み、いつかは自分を馬鹿にする者を見返してやろうと頑張って来た。それが実を結び、今では同級生の誰もが羨む存在となっている。その点に関してはポポルも評価していたが、先ほど言った通り自身に対して大きすぎる尊敬の念を持っていることは少し迷惑であると思っている。
「はあ~、美しいって罪だわ~」
思わず、その不満が言葉として零れ出た。それを聞いたギノは、不思議そうな表情をする。
「何を言っているのですか、ポポル様?ポポル様が素晴らしいのは美しいとかではなく、魔法の実力が優れているからですよ?」
言わなければ良いのに、とギノ以外の誰もが思ったが時すでに遅し。今度はその両頬を思いっきり抓られる結果となった。
「何故れふか・・・!?褒えたえはないれふか・・・!!」
「ギノちゃんは~、魔法とかじゃなく~口の利き方から~教えてあげなきゃ~いけないみたいね~!」
そのままギノの両頬を弄りつつポポルはグレン達に振り向くと、
「というわけだから~、私たちは~失礼させてもらうわ~。アルちゃんには~また後で~って~言っておいて~」
と言い、痛がるギノを連れて、去って行ってしまう。それを見届けた後、グレンは思わずこう呟いた。
「ウェスキス殿も大変なのだな」
ギノの失礼な態度に何ら嫌悪感を抱くことなく、その言葉は発せられる。
「あの方も王国魔法研究会会長と言う立場に立たれているからね。一癖も二癖もある部下と上手くやっていかなければいけないんだよ」
自身も騎士団団長という役職に就くアルベルトが同情するように語った。グレンの前では基本的に飄々とした態度である彼も立場上気苦労が絶えないことは想像に難くない。以前にも感じたことだが、その苦労を分かち合えないことにグレンも多少の罪悪感を覚えていた。
「ですが、グレン様に対してあのような態度を取るのはどうかと思います・・・!」
珍しくもエクセが怒りの声を上げる。グレンも彼女のそのような顔を見たことがなく、思わずまじまじと見つめてしまっていた。それに気づいたエクセは顔を赤くする。
「あ・・・!私ったら、グレン様の前でなんてはしたない・・・!」
俯きながら恥ずかしそうに、エクセはそう言った。グレンは、そんな彼女の頭に右手を乗せると、
「いや、俺のために怒ってくれて嬉しいよ」
と言って少女を慰める。グレンの思わぬ行動にエクセはさらに顔を赤くしてしまい、軽く湯気を上げているようにさえ見えた。その光景を見ながら、これは子供が楽しみだ、とアルベルトは思うのであった。
「と、時にアルベルト様・・・!」
グレンの手が自分の頭から離れると、エクセがアルベルトに声を掛ける。
「なんですか、エクセリュート嬢?」
「先ほどの方が言っていた事なんですけど・・・。何故、グレン様だけが英雄として扱われているのでしょうか?もちろん私はグレン様が――グレン様だけが王国の英雄であって欲しいと思っています。ですが、ポポル様も相応の実力を持っているのならば、確かに同等の扱いを受けていてもおかしくはないはずです。グレン様が英雄と呼ばれるのは他にも理由があるのですよね?」
これはグレンの実力を疑っているわけでも、ポポルの扱いに不服を感じているわけでもない。ただ、自分の信じる英雄が特別な存在であって欲しいという少女なりの我が儘であった。しかし、それは当たっていたようで、アルベルトは優しく笑う。
「それは、もちろんですよ。そもそも、彼は前提が間違っていますね。グレンは――」
アルベルトがエクセに対して説明しようとした瞬間、王城の扉の開く音が聞こえた。どうやらアルカディアを連れた一行が到着したようだ。
「――ああ、すいません、エクセリュート嬢。この話はまた今度と言うことで」
アルベルトも騎士団団長として居住まいを正さねばならず、エクセの質問に答えられないことを謝罪した。
「あ、いえ、お気になさらず・・・」
本当は続きが気になって仕方がなかったエクセであったが、仕事の邪魔はできないと追求はしないでおく。グレンの顔をちらりと見ると、彼も扉の方へ意識を向けており、エクセの興味に気が付いてはくれないようだ。
扉が開き切ると、まずティリオンが王城に入って来た。続いて、アルカディアが姿を現す。
「おお!グレン殿にアルベルト殿!それにエクセではないか!」
今回の再会において、エクセはその姿をグレンの後ろに隠してはいなかった。しかし、アルカディアがティリオンの横を抜けて3人に迫ってきた瞬間、慌てたようにグレンの背中に張り付く。エクセの行動と背中に感じる柔らかさにグレンは戸惑いを覚えたが、アルカディアは不服を感じたようだ。
「む・・・無礼であろう、エクセ。余との再会がそんなに嫌か?」
その問いに、エクセは先ほどのポポルのようにグレンの背中から顔だけ出すと、
「申し訳ありません、アルカディア様・・・。ですが、教えていただきたいのです・・・。アルカディア様は今、何をなさるおつもりでしたか・・・?」
と聞いた。
「何を、とはまた異なことを。そなたとの再会を喜び、抱擁をしようと思っただけではないか」
その言葉にエクセは言葉を返す。
「では、その御手はどういった意味があるのでしょう・・・?」
「余の手じゃと?」
そう言って、アルカディアは自分の腕が今どのような状態であるかを確認した。抱擁をする時と言うのは、基本的に腕は広げられているものだ。しかし今、アルカディアの腕は前方に向けられ、その手は大きく広げられていた。まるで、何かを掴むかのように。
「おお!これは済まぬ!余としたことが、うっかりしておった!どうやらそなたの胸の感触を無意識に今一度味わおうと思ってしまったようじゃ!」
アルカディアが悪びれもせず語る言葉にエクセは顔を赤くし、その体をさらに強くグレンに押し付ける。自分の身をグレンに守ってもらおうとでもしているようだ。
「アルカディア様・・・以前私とした約束を覚えておいでですか・・・?」
「うむ、覚えておるぞ。余は一度した約束は忘れぬ」
エクセの問いに、アルカディアは力強く頷いた。ならば、とエクセはさらに言葉を続ける。
「それでしたら、何故そのようなお戯れを・・・?」
エクセの恐る恐ると言った言葉にアルカディアは、にかっと笑った。
「エクセよ、冗談じゃ。約束通り、もう二度と人前であのような真似はせぬ。そう、人前では。人前では、な」
「な、何故そこを強調なさるんですか!?」
以前アルカディアがエクセに誓いを立てた時、グレンはその言葉の違和感に気付いていたが、どうやらそれは当たっていたようだ。エクセは「もう知りません・・・!」と言って、顔も完全に隠してしまう。
「まったく、エクセは冗談の通じぬ奴じゃ。のう、グレン殿、そなたもそう思うじゃろう?」
仕方のない奴だ、とでも言いたげな表情を浮かべ、アルカディアはグレンにそう聞いた。
「エクセ君は純粋なだけです。そこがこの子の良い所でもあります」
グレンにとっては何気ない一言であったのだが、エクセにしてみればこの上ない称賛であり、喜びのあまりグレンの背中に先ほどと同じくらい強くその身を寄せる。
「お熱いことじゃ。まあ、その方が余としても都合が良い。それだけ早く順番が回って来るというものだからな」
何の順番なのか、と聞くまでもなくグレンは理解した。おそらく子作りの、と言いたいのだろう。
「アルカディア様・・・それは、どういう事なのでしょうか・・・?」
いい加減諦めてくれないか、と言おうとしたグレンに先駆けて、再び顔を出したエクセが彼女に問い掛ける。当然、グレンは慌てた。
「そんなもの決まっておろう。グレン殿との子――」
「皇帝陛下・・・!」
「――む、なんじゃ?」
「黙っていていただきたい・・・!」
グレンのその言葉に含まれる怒気は、例え表情を変えずとも目の前のアルカディアに十二分に伝わった。それゆえ彼女も若干の恐怖を感じ、一歩後退してしまう。
自業自得のため、すぐ後ろに仕えていたヴァルジもアルカディアの盾になるようには動かなかった。
「わ、分かった分かった・・・!まったく、グレン殿も相当冗談が通じぬ相手じゃな・・・」
アルカディアはそう言って取り繕うと、
「しかし、エクセよ。助言として、これだけは言っておくぞ。今のうちに体力をつけておけ」
とエクセに向かって言葉を投げ掛けた。
「体力・・・ですか・・・?」
再び理解のできない事を言われ、エクセは首を傾げる。今度は何を言う気なんだ、とグレンは身構えた。
「うむ。今はグレン殿がいるため、詳しくは言えん。だが、いずれそなたも知ることになるだろう。グレン殿の『夜の伝説』を・・・!」
予想以上の爆弾発言にグレンは思わず、目を見開く。アルカディアが言っているのは、おそらくグレンが兵士時代に娼婦と長時間交わった事なのだろう。
誰から聞いた、とグレンは思ったが、その人物はすぐに判明する。少し離れて3人のやり取りを観察していたティリオンがグレンの方をにやつきながら見ていたのだ。
(国王・・・!)
とグレンも怒るが、その意識はすぐにエクセに向けられる。
「グレン様の夜の伝説・・・ですか・・・?私、聞いたこともありません・・・」
エクセの不思議そうな声に、グレンも冷や汗を流した。さすがにあの事実を少女に知られるのはまずい。なんとかして話を変えようとするグレンであったが、気が動転しているせいか、いつも以上に頭が回っていなかった。そこですかさずアルベルトが助け舟を出す。
「アルカディア皇帝陛下、それよりもここまでの道中でお疲れでしょう。お部屋にご案内いたします。こちらへどうぞ」
さすがはアルベルトだ、とグレンは友人を心の中で称賛した。
「うむ、そうじゃな。では、爺。行くとしようぞ」
アルカディアもその話を深く掘り下げる気はないのか、執事を連れてアルベルトの後をそそくさとついて行く。しかし、腑に落ちないのはエクセだ。アルカディアの語った『夜の伝説』というものが何か、気になって仕方がなかった。
「グレン様。グレン様の夜の伝説とは何なのですか・・・?私にも教えてください・・・!」
そのためグレンの前方に移動し、縋るように聞く。グレンの事は全て知っておきたいという思いから来た行動なのだが、彼としても正直に話せるような内容ではなかった。
そのため、アルベルトはさらなる助け舟を出す。
「ああ、そうだ、グレン!僕の部屋で待っていてくれないか!?少し話があるんだ!」
距離があったため少し大きな声で発せられたそれもエクセは意に介さず、グレンの顔をじっと見つめたままだ。グレンも困ったようにエクセを見つめ返すが、相変わらず言葉が出てこない。そこで、今度はチヅリツカが手助けをする。
「ほら、エクセちゃん。グレン様もお忙しいようですので、その話はまた今度にしておきましょう」
これはグレンのためでもあったし、エクセのためでもあった。同じ馬車に乗っていたため、チヅリツカもアルカディアと同様にティリオンからグレンの『夜の伝説』について話を聞いているのだ。それを聞かされたエクセがどのような反応をするかは想像に難くない。
「ですが、チヅリツカさん・・・!」
いつの間に互いを名前で呼び合うようになったかは分からないが、グレンはチヅリツカの行動に目で感謝を告げた。そして、エクセに向かってこう言う。
「すまない、エクセ君。先に家に戻っていてくれ」
それだけ伝えるとグレンは逃げるようにアルベルトの部屋へと向かった。エクセはただその背中を寂しそうに見つめることしかできずにいたのだった。




