3-4 暗躍
ユーグシード教国に存在する神殿の1つにおいて、ある者たちの集いがあった。その者たちは豪奢な衣装に身を包み、教国においては『神官』と呼ばれる階級に属している。
そしてその内の1人、一際立派な衣服を着こんだ老人が他の者に向けて声を掛けた。
「調査の進展は?」
聞かれた者たちの内1人が答える。
「いえ・・・。変わらず、王国に1つ、帝国に1つ、そしてエルフの森に1つあるという情報が確認されているのみです・・・」
「どの神の物かくらいは、分かったのか?」
その問いに誰もすぐに答えることができなかった。それが明確な答えとなっていたが、代表して先ほどの者が答える。
「申し訳ありません。未だ判明しておりません・・・」
その答えを聞いた老人は苛立たし気に手に持った錫杖を床に打ち付ける。その音に他の者たちは、びくっと肩を震わせた。
「この役立たず共が・・・!一体どれだけの時間を掛ければ気が済むのか・・・!もう10年だぞ!10年経って貴様らは8つの内3つの所在しか調べられないのか!その3つもあると言うだけで、誰が、どこに持っているかも分からんと来ている!全く、見下げ果てたわ!」
老人の怒号は静かな神殿内に木霊した。外は暗く、他の信徒たちの姿が見えないのがその場にいる者にとって救いであり苦痛であった。
「しかし、リットー様。八王神の作りたもうた魔法道具の所在を、おいそれと漏らす者も居らぬかと存じます」
その者はとても勇気があったのだろう。その場にいる者全てを代表して語って見せた。しかし、相手がその言葉を聞き入れてくれる人物であったかどうかは考えるべきであったようだ。
リットーと呼ばれた老人は、苛立たし気にその者の頭を錫杖で殴る。
「神官の分際で大神官であるこの儂に意見をするなど、身の程を知れ・・・!」
殴られた者の頭からは血が出ており、顔中を赤く染めていた。それを治療しようとする者も、リットーの行いを非難する者もいない。殴られた男も痛みを堪えるだけで、それ以上口を開かなかった。
「大方、闇雲に探しているのだろうな、貴様らは・・・!だから見つけられん、だから分からん・・・!少しは知恵を働かせたらどうだ・・・!?」
リットーの怒りの声に反論の声はない。しかし、また別の者が恐る恐る言葉を発した。
「リットー様・・・愚かな我らに知恵をお授けください・・・。さすれば、必ずや近日中に所在の分かっている物だけでも揃えて見せます・・・」
その言葉にリットーは呆れ果てた目を向けるが、すぐに表情を直し、こう言った。
「長を捕らえよ」
その言葉を聞いた者たちは互いに顔を見合わせる。
「それは・・・どういったことなのでしょうか・・・?」
「その程度も分からぬか、この愚か者め・・・!」
リットーは再び怒りの目を向けるが、気を落ち着かせて詳細を説明した。
「王国ならば国王を、帝国ならば皇帝を、エルフならば族長を捕らえよ。そして、その者の命と引き換えに『神々の遺産』を要求するのだ。己が国の長を助けるためならば、容易く差し出すだろう」
その言葉に多くの者が動揺する。
「しかし、それではそれぞれの国と戦争になりかねません!」
「教国の神官である我らに犯罪者紛いの行いをせよ、と言うことですか!?」
騒ぎ立てる神官達に向かって、リットーは一際大きく錫杖を打ち付けた。それだけで再び静寂が訪れる。
「貴様らはどこまで愚かなのだ・・・!何故、我ら神に近しい者がそのような行いをせねばならぬ・・・!我らはただ命ずるだけだ・・・。信徒達に腕利きの者がおろう。その者たちにやらせるのだ」
「しかし、その者達が捕まりでもしたら・・・」
「自決させよ」
その言葉に神官達は息を飲む。
「任務に失敗しそうならば、自決するよう伝えよ。神々に仕える敬虔なる信徒ならば造作もない事であろう?」
大神官の命であるならば、例え命がけの任務であろうと遂行しなければならない。彼らの中には、そういった強迫観念が存在していた。ただ、自分達の身に危険が及ばないことを考えると首を縦に振るのも容易いものである。
「ならば、行け。一つでも多くの『神々の遺産』をこの国に取り戻すのだ」
神官達は大きな足音を立てながら、神殿を足早に去って行った。
そして、それを陰から見届けていた者も同時に姿を消す。
「ジェウェラ様・・・ジェウェラ様・・・」
己の主の寝室にて、少年の声が静かに響く。
「ん・・・、ハルマンですか・・・?」
「お休みの所、申し訳ありません。ですが、至急お耳に入れたい事がございます」
そう言われ、ジェウェラは体を起こす。
「聞きましょう」
その顔は寝ぼけたものではなく、彼らの主に相応しい凛としたものであった。
「リットー達が動き出しました」
「なんと・・・!?」
ジェウェラの顔が驚愕の色に染まる。
「彼らは、どうするつもりなんですか・・・!?」
「王国、帝国、エルフ族それぞれの長を捕らえ、その引き換えとして『神々の遺産』を要求するつもりです」
「なんと愚かな・・・!」
呆れたようにジェウェラは片手で顔を覆った。
「『神々の遺産』は散らばっていてこそ・・・!強大な魔法道具が一か所に集まれば、どのような事態になるかすら分からないとは・・・!しかもその手段が長を捕らえる・・・!?下手をすれば、それぞれの国と戦争になりますよ・・・!」
先ほど神官達が抱いたものと同様の懸念をジェウェラも持つ。それに対してハルマンは付け加えた。
「どうやら知識の神に仕える信徒達を使うようです。もし、捕らえられそうになったら自決するよう命じるつもりでもあるそうです」
その言葉にジェウェラは怒りの表情を作る。
「重ねて愚かな・・・!信徒は神々に仕える者であり、神官や大神官の手駒ではないのですよ・・・!」
その言葉に少年は「え・・・?」っと声を上げた。
「そうなのですか?僕は・・・ずっとそうだと思っていました。『戦刃』も、そのような組織だと」
ハルマンの声に不服の色はない。自分たちの扱いはそれで十分と考えていたためであった。しかし、ジェウェラは違う。
「ハルマン・・・。そうですね・・・、明言していなかった私も悪かったですね・・・」
ジェウェラはハルマンの頭を優しく撫でる。
「ハルマン、私は貴方達を手駒だと思ったことなど一度としてありませんよ。『戦刃』も私だけではなく、私と貴方達の組織なんですから」
主の言葉に少年は首を横に振った。
「ですが、僕たちの命はジェウェラ様によって救われました。ならば、ジェウェラ様のお好きなように用いてくださっても気にはしません。それにジェウェラ様もよくおっしゃっているではないですか、『死を恐れるな』と」
「確かに、私はよくその言葉を口にします。ですが、何もそれは『私のために命を掛けろ』と言っているわけではないんですよ。ただ死を恐れるがあまり、何も行動に移せなくなるような事態にはならないでほしい。そういった意味で貴方達に言葉を掛けてきました」
ジェウェラの表情は変わらず笑顔であった。そこからハルマンはその言葉が真実であると感じ取る。
「そう・・・だったんですか・・・」
あまりにも意外な事実だったのか、ハルマンは途切れ途切れにそう言った。
「私も駄目ですね。そのような事をしっかり伝えてこなかったとは・・・。こんなだらしのない男ですが、これからも世界の発展に力を貸してくれますか、ハルマン?」
「も、もちろんです!ジェウェラ様のためならば、例えこの命を犠牲にしてでも、どんな任務でもやり遂げて見せます!」
ハルマンの意気込みにジェウェラは苦笑いを浮かべる。
「ですから、命を粗末にはしてはいけません。分かりましたか、ハルマン?」
「あ!・・・はい!」
少年の元気な声にジェウェラは満足気に頷いた。
「結構。では、引き続きリットーの監視に当たってください。くれぐれも無茶は――?」
「しません!」
「よろしい」
互いに静かに笑い合う。そして笑い終えると、ハルマンは申し訳なさそうにジェウェラに聞いた。
「ジェウェラ様・・・。任務に赴く前に、グレン様のお話を聞かせてもらってもいいですか・・・?」
彼らの耳にも王国の英雄に関する伝説は伝わっている。特にハルマンはその話が大好きで、事あるごとにジェウェラに話を聞かせてくれるよう頼んでいた。
「やはり男の子ですね、ハルマン。いいでしょう。では、最近あったアンバット国との戦いについて話をしてあげます」
「あ、それ知ってます!確か、グレン様がサイクロプスの大群を倒した話ですよね!?」
「おや・・・もう話していましたか・・・。では・・・」
「いえ、もう一度お願いします、ジェウェラ様!あの話だったら何度でも聞きたいです!」
少年の無邪気な言葉にジェウェラは「ふふっ」と笑う。
「分かりました。では前置きとして・・・この話は私も伝え聞いただけで、確かなものであるかどうかは分かりません。ですが、グレン様ならば可能であるということは言うまでもない事でしょう。なぜならばあの方は、戦いの神の生まれ変わりなのですから」
ジェウェラが話し始めたのを受け、ハルマンはフードを取る。そこから現れた顔は、喜色満面に染まった少年らしい幼い顔だった。
それを見てジェウェラも笑みを浮かべると、王国の英雄グレン=ウォースタインの話を始めたのであった。
大神官と信徒が彼の話をしたその日の昼過ぎ、話題となったグレンはようやく目を覚ました。決して朝が早いわけではないグレンであったが、今日は特に遅い。と言うのも、昨夜酒に酔ったエクセをベッドに運んだのだが、そこからエクセがグレンの腕を放してくれず、悶々とした夜を起きたまま過ごしたのだ。腕に伝わる彼女の柔らかさと耳に聞こえる吐息が今も残っているようである。
そんな眠れぬ夜を過ごしたグレンは、朝になって起きたエクセ――その瞬間少女は大変慌てた――と家主に一時の別れを告げると、自分の家に戻り、自分のベッドで寝たのであった。
(朝戻った時には気づかなかったが、バルバロット公の言った通り綺麗にされているな・・・)
自分の家を見回したグレンが心の中でそう呟く。この家には一か月間帰っていなかったのだが、それでもその時より綺麗に掃除されていることが容易に理解できた。
「・・・・・・・飯でも食うか・・・」
朝食も取らずに眠りについたため、グレンは今腹ペコである。寝ぼけ眼で台所まで行き、いつものようにパンと干し肉を皿に盛った。これらは一か月間放置されたものではなく、帰宅途中に買ってきたものだ。
(後で水も買って来なければな・・・)
などと思いながらも、パンにかぶりと齧り付く。
「う・・・!」
その瞬間、グレンの味覚が強烈な拒絶反応を示した。
「なんて味だ・・・!」
吐き気を堪えつつ、それを飲み込む。もしや不良品を買わされたか、と考えたグレンであったが、このパンを買ったのは行きつけの店だ。ならばその可能性は低いはず、と結論付けながらも次は干し肉に口をつける。
「う・・・!?」
そして、再び不快に塗れた声を漏らした。
(どういうことだ・・・?)
パンと干し肉を見ながら、グレンは考える。一か月前までは普通に食すことのできた食品の味が今、全く別の物へと変わっていた。何が原因なんだ、と考えるグレンであったが、その理由はすぐに思い当たる。
「しまった・・・。あの家での生活が長すぎたせいか、舌が肥えてしまったか・・・」
ファセティア家で使われる食材はどれも高級品であり、グレンが普段口にしないような物ばかりであった。それゆえ、グレンは自分の舌がそれを基準にしてしまうようになったと考えたのである。
「仕方がない・・・。エクセ君からもらった菓子でも食べるか・・・」
パンが食べられなければ菓子を食べるしかないじゃない、とでも言うようにグレンはファセティア家を出て行くときにエクセから渡された菓子箱に手を伸ばす。これはエクセが作ってくれたものではなく、偶々彼女の家にあった物だ。グレンはその中の焼き菓子を一つ掴むと急いで口の中に放り込む。
(ふむ・・・不味くはない・・・。しかし・・・美味くもない・・・)
これはファセティア家にあったものだ。ならば、相当な高級品であることは想像に難くない。しかしそれでも彼の舌を満足させることはできず、もう一枚を食べた所で手が止まる。グレンは自身の抱えた空腹とは裏腹に、急速に食欲が失せて行くのを感じた。
「な・・・何故だ・・・?」
などととグレンは訝しんだが、その理由は彼の舌が肥えたからではない。単純にエクセの料理にのみ舌が感動するようになっていたからであった。言うなれば『胃袋を掴まれた状態』といったこところか。朝昼の食事はファセティア家の料理人が作ってくれていたのだが、それに対して一度も「美味い」と言ったことがないことにグレン自身気付いていなかった。この症状は食事もそうだが菓子については特に顕著で、合同実習で初めてエクセの菓子を味わって以来密かにずっとそんな感じになっていたりもする。
しかし、そんなことを理解できるはずもないグレンはほとんど混乱状態であった。
「これは・・・早くあの家に戻らないと、最悪餓えで死ぬかもな・・・」
グレンはかつて山で暮らした時に感じた死の恐怖をその身に味わっていた。
「とりあえず・・・管理局に行って、さっさと仕事を終わらせよう・・・」
さすがに何もせず帰るのは格好が悪すぎるため、グレンはそう決意し、家を出て行くのであった。
久しぶりの勇士管理局に入っていくと、大勢の人々が屯しているのが見える。この時刻が管理局に所属する勇士達が最も多く集まる時間帯であった。
「お、グレンじゃねえか!久しぶりだな!」
「ああ」
「グレンさん、どうしたんすか!?最近めっきり見なくなったなと思ってたんですよ!?」
「ああ」
「え!?グレン様!?本物ですか!?」
「ああ」
兵士時代からの顔見知りや勇士になってから知り合った者、そして全く知らない者に同じ返事を返しつつ、グレンは受付へと向かった。言葉は同じだがそれぞれの抑揚は微妙に異なり、グレンと親しい者ならばその違いを理解することができたかもしれない。
「グレン様、お久しぶりですね」
その光景に笑顔を浮かべながら、受付嬢であるメーアが声を掛けて来た。
「すまないな、メーア君。長い間仕事をさぼってしまって」
「いえ、お気になさらず。他の方も似たようなものですから」
勇士は基本的に自分の働きたい時に働く。グレンは生真面目に仕事をどんどん受けて行くのだが、他の者はかなり気まぐれだ。今ここにいる連中も仲間内で会話を楽しみたいだけで、仕事をする気は一切ない。もしそうならばさっさと目的地に向かうか、そのための準備をしているはずだ。
「今日はエクセお嬢様はご一緒ではないのですか?」
グレンの周りをさっと確認した後、メーアが問う。
「ああ。エクセ君は学生だからな。このような所に顔を出すことなど、そうそうないだろう」
「そうですか・・・」
メーアは寂しそうに言いながらも続いて、
「グレン様がエクセお嬢様の家に泊まっていると聞いて、もしやと思ったのですが・・・」
と言った。
その言葉に、グレンは少々驚く。
「なぜ、知っているんだ・・・?」
グレンの問いにメーアは不思議そうな表情をした。そして、当然のようにこう語る。
「エクセお嬢様に教えていただいたからです。たまにですが、私に会いに来てくださるんですよ」
それは、先ほどのグレンの台詞を否定するような事実であった。彼とは違い、エクセはかなり人付き合いが良いようだ。
「そうなのか・・・。それは知らなかった」
自分も見習った方がいいな、と思いながらも実践する気はなく、グレンは次の言葉を紡ぐ。
「まあ、いい。それよりも依頼を受けたい。7番棚からいくつか持って来てくれないか?」
グレンの言葉に「分かりました」と答えると、メーアは背後の棚に向かって歩き始める。7番棚にある依頼は最高難度のものであるため、本来ならば意思の確認をしなければならないのだが、相手がグレンであったためメーアもそれを省いた。そして、一枚の書類を持ってくるとグレンに手渡す。
「申し訳ありません、グレン様。今7番棚の依頼はこれしかないようです」
依頼内容を確認してみると、『資源採取の護衛』と書かれていた。どうやら帝国において魔法道具の原料となる鉱物を採取する依頼なようだ。
基本、魔法道具作製には武器や防具と同様に鉄、銅、銀、金、ミスリル、オリハルコン、アダマンタイトなどの金属が用いられる。後者になるほどより多くの魔力を封じ込めることができ、より強力な魔法道具を作ることができるとされていた。そのため後者になるほど希少で高価なものとして売買され、帝国ではその中で価格と性能の釣り合いが最も良いとされるミスリルが大量に取れた。グレンが手に持つ書類にもミスリル採取に関する事柄が書かれている。
「帝国か・・・」
依頼の内容を見る限り、山奥における長期間の護衛ということで高難度認定されているようだ。何が起こるか分からず、その何事にも対処することができる実力が必要ということなのだろう。
当然、グレンならば容易い仕事だ。しかし、今の彼には『長期間』という部分が障害となる点であった。
「すまない、メーア君。できれば、短期間でこなせるもので頼む」
そう言うとグレンは手に持つ書類を返す。メーアも頷きながらそれを受け取ると、再び書類棚へと向かって行った。
「およ!旦那っちじゃないっすか!?」
その時、グレンの背後で少女のものと思われる声が上げられる。おそらく若い勇士が知人と出会いでもしたのだろう、とグレンは気にはしなかった。
「お久しぶりっす!旦那っち!」
随分と元気な少女であるようだ。その声は、まるでグレンのすぐ傍で掛けられているかのようにはっきりと聞こえた。
「あれ!?無視っすか!?旦那っち、アタシっす!レナちゃんっすよー!」
可哀想に、少女は知り合いの男性に振り向いてもらえないようだ。
「もしもーし!グレンの旦那っちー!?」
自分ならば声を掛けるのを諦めてしまいそうなその状況に、少女は健気にも――
「ん?俺か・・・?」
自分の名前を呼ばれ、グレンは慌てて振り向く。その一瞬の間にも、自分の事を『旦那っち』と呼ぶ人物を思い浮かべようとしたが、生憎と心当たりがなかった。
「そうっす、そうっす!お久しぶりっす!」
グレンが振り返り、視界に入れた少女は首から下を外装ですっぽりと覆っていた。しかし、快活な笑顔を浮かべている笑顔は露出されており、はっきりと視認することができる。肩まで伸ばされた髪は栗色で、顔も比較的整っていると言えるだろう。
グレンはしばらくの間その少女を見つめる。グレンの見知った人物であればすぐに名前が出てきそうなものであったが、まったくその気配がなかった。
「すまない・・・。君は、誰だ・・・?」
その言葉に少女はひどく心を痛めたようだ。
「ガーーーーンっす・・・!確かにメリッサの姐御と一緒に数回会った程度っすけど・・・。それでも『旦那っち』なんて特徴的な呼び方をする女の子くらいは覚えておいて欲しかったっす・・・」
どうやら自分自身を印象付けるため、グレンのことを『旦那っち』と呼んでいるようだ。しかし、グレンはその事よりも『メリッサ』と言う名前に反応した。
「メリッサ・・・?待て、思い出してきたぞ・・・。お前、レナリアか・・・?」
「そうっす、そうっす!というか、さっき名乗ったっす!」
元気よく頭を縦に振る少女、彼女はレナリア=パタムと言う。歳は19歳と若く、そこから察せられるように新米勇士であった。今年で2年目だ。
また彼女の言う『メリッサ』とは本名をメリッサ=ウィンダーと言い、グレンの兵士時代の同僚で、彼と同様に勇士に転職した後、再び兵士に戻った風変わりな経歴の女性である。ちなみに、かつてエクセに話して聞かせた肌を露出させた装備を好む女兵士がメリッサだ。
レナリアはそんな彼女にとっての妹分であった。
「すまなかったな。久しく会っていなかったから忘れていた」
「いいっす、いいっす!アタシみたいな新米が、旦那っちに覚えてもらえてると思う方がおかしいっすから!」
その言葉にグレンは申し訳なさを感じる。しかしレナリアにその気はないようで、相変わらず快活な笑みを浮かべたままだ。
「ところで、旦那っちは今から依頼を受けるっすか?」
「ああ、そのつもりだ」
自身の後ろを見ながら問うレナリアに対して、グレンは返す。未だ声が掛けられないということは、メーアも依頼を探すのに苦労しているのだろう。短期間でこなせ、その上グレンに相応しい仕事をと頑張っているようだ。
「旦那っち~。アタシ~、頼みがあるっす~」
グレンの頷きを確認すると、レナリアは途端に猫なで声を出してきた。
「な・・なんだ・・・?」
かなり嫌な予感がしたが、グレンも一応聞いてみる。
「その依頼~、アタシも一緒にやらせてもらえないっすか~?」
実力も実績もない勇士が、こういった風に先輩勇士とともに依頼をこなそうとするのはよくある事だった。その中で経験を積み、分け前をもらい、装備を整えることで成長していくのだ。
しかし、グレンに対してというのはかなり珍しい事であった。と言うのも、グレンが受ける依頼はどれも高難度のものばかりで、新人が同行するにはかなりの危険が伴うからだ。加えて、グレンが人見知りと言うのも新人を寄せ付けない理由になっていた。
「駄目っすか?アタシ、弓使いなんで旦那っちの邪魔はしないっすよ?それに、色々と使える女っすよ~?」
何も言って来ないグレンに対して、レナリアは続けて甘えた声で語り掛ける。肩に掛けた弓をちらちらと見せて来てもいた。
「あ・・・、悪いな・・・。今回は・・・できれば、一人でやりたいと思っているんだ・・・」
レナリアの訴えを拒否するように、それでも申し訳なさそうにグレンは言う。途端、少女の顔は悲しみに塗れた。
「そこを何とか頼むっすよ~!――あ、そうだ!」
しかし何かを思いついたようで、再び明るく笑う。そして、自身の体を包む外装をがばっと開いて、その内側を大胆にも見せつけてきた。
グレンの視界に少女の露出された肌が映る。レナリアは姐と慕うメリッサよろしく、肌を露出した装備を着込んでいた。胸は谷間を強調させるように寄せられ、それを覆う皮鎧の面積も少ない。下半身もかなり短めのズボンを履いており、後ろから見れば尻の肉が見えてしまいそうだ。
それらを目にしても特別な感情をグレンは抱かなかったが、少しだけ割れた腹筋を見て、鍛錬はしているようだなとは思った。
「どうっすか、どうっすか!?旦那っち、嬉しいっすか!?」
「レナリア、何をやっている?」
嬉しいかどうかは置いといて、グレンはレナリアが何故このような行動を取ったかについて問い質す。すると、レナリアは不思議そうな顔をした。
「あっれ~?おかしいっすね~。姐御からグレンの旦那っちのご機嫌取りをしたければ、装備を見せればいいって聞いてたんすけど・・・」
(あいつ・・・)
かつての同僚にグレンは心の中で呆れた声を出す。
「お~い、レナちゃん!こっち来て、俺たちにも見せてくれや!」
「嫌っすよ!ゲンさん、アタシのおっぱい触ろうとするじゃないっすか!」
今度メリッサに会ったら一言言っておかねば、とグレンが考えていると、レナリアと他の勇士の楽しそうな会話が聞こえた。どうやらそれなりに顔は知られているようだ。こういった仕事で食べていくには必要なことであるため、当然と言えば当然だが。
「なんだ、他にも頼れそうな者がいるじゃないか。彼らに聞いてみたらどうだ?」
その言葉にレナリアは再びグレンに向き直ると、指を「ちっちっち」と振る。
「分かってないっすね~、旦那っち。旦那っちと一緒の仕事だったら、少人数で高難度の依頼をこなせるじゃあないっすか?それだけアタシの取り分も増えるということなんすよ」
まあ理屈は分かる、とグレンは思ったが了承はしなかった。
「それだけ危険と言うことだ。お前を連れて行くことはできない」
「なに言ってるっすか!?旦那っちだったら、アタシを守って戦う事も余裕なはずっすよ!それにさっきも言ったっすけど、足手まといになるつもりはないっす!」
レナリアの大声で発せられる物言いに他の勇士から、
「そうだぞ、グレン」
「意地悪しないで、一緒に行ってやれよー」
といった援護も入る。
「ありがとうっす~!」
とレナリアは元気に手を振って感謝を示した。
「何故、そこまで必死になる?金がいるのか?」
レナリアの熱意に疑問を持ったグレンが聞く。すると、少女は再び外装を開けてから答えた。
「その通りっす・・・。この装備を買ったせいで、金欠気味に・・・。自業自得なのは分かるんすけど、どうしても欲しくなっちゃって・・・」
かつてグレンも似たような衝動に駆られたことがあったため、その気持ちはよく分かった。それゆえ、別の助け船を出す。
「ならば、金を貸そう。それで当分は凌げるはずだ」
貸す、とは言ったがほとんど譲渡するつもりでグレンは金貨の入った小袋を取り出した。かつて極貧の生活を味わったことのある彼は、金のない生活がどれほど苦しいものかをよく知っているのだ。しかし、レナリアはその行動をびしっと手で制した。
「見くびらないで欲しいっす。これでも一応誇りを持ってこの仕事に就いてるっす。施しを受けるなんてまっぴら御免す。姐御からもそれだけは絶対にやっちゃ駄目って言われてるっすから」
先ほどグレンはメリッサに対して、余計な事を教えているな、という感情を持った。しかし、しっかりと先輩らしいことも教えているようで、少しばかり彼女のことを見直す。
「と言うわけで頼むっすよ~。ここで会ったのも何かの縁ってことで~」
再びそう懇願して来るレナリアであったが、グレンの気持ちは変わらなかった。
「すまない、レナリア。今回はどうしても手早く仕事を終わらせたいんだ」
その言葉は失言であった。暗に、レナリアの事を足手まといと言っているに等しいものであったからだ。そしてそれは彼女にも理解できたようで、しょんぼりと顔を俯かせてしまう。
「そうっすか・・・。いや・・・申し訳なかったっす・・・。無理言っちゃって・・・。ただ、姐御の言う旦那っちの実力を見たいな~なんて・・・思って・・・」
その言葉には先ほどまでの力強さは感じられず、それゆえグレンは少しだけ胸を痛める。周りからも彼に対する野次が小さく飛ばされていた。
「・・・ならば、次はそうしよう」
「え?」
グレンの思わぬ提案にレナリアは驚きの声を出す。
「今回は危険な依頼を受けるため、お前を連れて行くことはできない。だが、次の機会にはお前に合った依頼を共にこなすと約束しよう。それでどうだ?」
その言葉に、レナリアは満面の笑みを見せた。
「本当っすか!?」
「ああ」
「めちゃくちゃ嬉しいっす!やっぱ姐御の言っていたことは本当だったんすね!」
「ん?」
今度はどういった事を聞かされていたのか、とグレンは訝しむ。
「グレンの旦那っちは、泣き落としに弱いって教えられてたっす!見た目に合ってないって、姐御笑ってたっすよ!」
(あいつ・・・!)
グレンはかつての同僚に対して、やはり余計な事を教えているな、と怒りを覚える。一言どころではなく、二言三言言ってやらなければ気がすまなくなっていた。彼女が聞き入れてくれるかどうかは、また別の話であったが。
「それじゃあ、約束っすよ!その間、アタシはアタシで簡単な依頼をこなしつつ食い繋いでおくっす!」
そう言って、レナリアはグレンとは違う受付へと向かって行く。
(それで十分じゃないのか・・・?)
どうやら多額の報酬を受け取るという事よりも、グレンの実力を確かめたいがために先ほどの交渉に打って出たようだ。それならばそうとはっきり言ってくれればまた違った言葉を投げ掛けたものを、とグレンは内心苦笑する。
「こほん」
ふいにメーアの咳払いが聞こえた。大分前から待機していたのか、その手には依頼書が持たれている。
「ああ、すまない。早速見せてもらうとするよ」
グレンはそう言って、書類を受け取ろうと手を出す。しかし、メーアはそれを差し出そうとはしなかった。不思議に思いメーアの顔を見ると、彼女は何故かグレンのことを冷たい目で見つめていた。
「な、なにか・・・?」
「・・・・・エクセお嬢様には黙っておいて差し上げますね・・・!」
その若干の怒りに満ちた言葉にグレンは激しく動揺する。
「待ってくれ、メーア君・・・!何故、そこでエクセ君が出て来るんだ・・・!?」
グレンの慌てた問いにメーアは答えてくれず、そのまま黙り込んでしまった。その後も一言も話さず手続きを済ましていくメーアに対して、グレンも何も言う事が出来ず、ただただ自身に向けられる怒りの波動に冷や汗を流すのであった。




