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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
英雄の咆哮
3/86

1-3 オーガの住む山脈にて

 グレンとエクセは、勇士管理局の用意した馬車に乗って目的地であるアマタイ山に向かった。

 道中、盗賊やモンスターに襲われることもなく、5時間ほど掛けてアマタイ山最寄りのムムル村に到着する。

 グレンに続いて馬車から降りたエクセは、疲れからか若干ふらついていた。

 長旅にあまり慣れていないのであろう。杖を支えに、ようやく立っているといった感じである。

 「大丈夫か?」

 この程度の遠出ならば慣れ切ったグレンが、そういえば馬車に乗ってから後半は全くしゃべらなかったなと思い返しつつ、少女に声を掛けた。

 「すいません・・・少々休ませていただいても・・・よろしいですか・・・?」

 声を出すのも一苦労と言った感じで答えが返ってきた。

 「そうだな・・・この村には何度か来たことがあるから、必要なものは私が買っておくよ。エクセ君は、あそこの宿屋で部屋を借りて休んでいてくれ。アマタイ山への出発は明日だ」

 エクセはこくりと頷くと、おぼつかない足取りで宿屋へと向かって行った。無事宿屋まで辿り着いたことを見届け、グレンも道具屋へと足を動かす。

 その道すがら、必要になりそうなものを考えながら村の様子を観察する。

 ムムル村は、王都から大分離れている割によく発展していた。というのも、この村周辺の山や森には貴重な資源が多く存在しており、それを採取しにくる労働者や勇士がこの村を拠点とするからである。

 また、山や森に住むモンスター討伐の案件も多く、騎士や兵士の姿も多く見られた。人が集まれば多くの金が動く、そうやってこの村は潤っているのだ。

 




 王都にいる時と変わらず、数人に礼を示されながら、グレンは目的の店に辿り着く。

 この店はやや値段が張るが、質の高い商品を並べているため、この村で買い物をするときはまずここと決めていた。

 「へい、らっしゃい!――っとお、グレンの旦那じゃないですか!久しぶりですね!」

 グレンが店の中に入ると、すぐに威勢のいい声が飛んでくる。

 声の主は店主であるガド=ハームという人物で、20代前半でこの店を立ち上げた商才あふれる青年であった。

 「やあ、ガド。世話になるよ」

 「へっへっへ。旦那がこの店を愛用してくれているおかげで儲けさせてもらってますからね。お安くしときますよ!」

 グレンの挨拶に対して、ガドは人懐っこい笑みを見せる。そして素早く紙とペンを取り出すと、「ご注文は?」と言うように構えた。

 いつもの流れであり、グレンもすかさず必要な物を伝える。

 「キャンプ道具一式に2人用の保存食を、そうだな・・・二日分もらおうか。それと――」

 「2人?もしかして、御同行の方がいらっしゃるんですかい?」

 グレンに同伴者がいることが珍しく、ガドが書く手を止めて質問してきた。

 「ああ、学生を1人預かっていてな。2人でアマタイ山に向かう予定だ」

 「へ~、学生さんとアマタイ山に。――っと失礼、続きをどうぞ」

 この後グレンは回復薬を5つ、発光石を3つ注文した。

 「発光石ってことは、その学生さんは魔法使いなんで?」

 発光石とは、魔力を注ぐことで強い光を放つ黒色の石である。グレンが魔法を使えないことから、ガドは学生のことをそう予測した。

 「ああ、その通りだ」

 「じゃあ、俺と同じっすね。『鑑定(アプレイザル)』だったら、教えてあげられますぜ。他はからっきしですが」

 フォートレス王国では教育の中に戦闘科目があることから、基本的にほとんどの国民がなんらかの専攻(クラス)に属し、それに見合った戦闘力を大なり小なり有している。

 勿論、戦う力を持っていても兵士や勇士になる必要はなく、ガドのように魔法使いでありながら商人をやっていたり、剣士でありながら教師になる者もいた。使える能力やそれらの習得過程で培った経験を生かし、就く職業を決めるのだ。

 また、ガドの言う『鑑定(アプレイザル)』とは道具の情報を調べる6級魔法であり、その錬度は「5」であった。

 「いや、今回は遠慮しておくよ。それよりも会計をお願いしたい」

 「ご注文の品はこれだけでいいんすね。じゃあ、しめて1000レイズでいいですよ」

 フォートレス王国の通貨単位は『レイズ』であり、硬貨で取引が行われる。

 金貨一枚1000レイズ、大銀貨1枚100レイズ、小銀貨一枚10レイズ、銅貨一枚1レイズの価値となっていた。

 ちなみに、フォートレス王国の全国民の平均月収は3000レイズと公表されている。貴族が大幅に引き上げていることを考えると、1000レイズは一般家庭には少々手が出しづらい値段という感じだ。

 「少し安すぎないか。この店の回復薬ならば1つ200はするはずだが」

 言いながら店に並べられている回復薬の値札を見る。200どころか300レイズであった。

 「言ったじゃありませんか、お安くしますよって!たまにしか来ないんだから、これくらいは当然ですよ、当然!」

 ガドは笑いながら、軽快に袋の中へ注文の品を入れていく。回復薬は小瓶に入っているため、一番最後に入れられた。

 「どうぞ、旦那」

 グレンは金貨1枚を渡し、それを受け取った。

 「すまないな」

 「いやいやいや、これからもご贔屓にしてくれればいいんですよ!」

 そう言った後ガドは「お見送りを」と言い、グレンと共に出口に向かった。

 そして店から出たグレンに向かって、

 「いつもご利用していただきありがとうございます、英雄グレン様!またのご来店をお待ちしております!」

 と良く響く声で言った。

 こうすることで宣伝しているのだ。

 いつものことなのでグレンは気にせず、エクセの待つ宿屋へと歩を進めた。





 先ほどエクセの入って行った宿屋の受付にエクセの特徴と同伴者であることを伝え、部屋の番号を聞き出す。本来ならば安全面の観点からそういったことはしないのだが、相手がグレンとあっては話は別であるようだった。

 受付に礼を言うと、グレンはエクセの休んでいる部屋を目指す。

 (確か202号室と言っていたな)

 ここもこの村で一番良い宿屋で、3階建ての立派な建物であった。1階ずつの部屋数は10室となっており、1室1室が広く作られている。ここならばエクセもゆっくりできるだろうと思い、向かわせたのだ。

 目的の部屋の前まで来ると、グレンは扉を開ける。

 「エクセ君、体調はどうだ―――」

 直後に目に飛び込んできた光景が、彼の動きを停止させた。エクセは服を脱いでいる最中なのか着ている最中なのか、半裸の状態であったのだ。

 「きゃっ!グレン様!?」

 「すまない!!」

 グレンは壊れてしまうのではないかという勢いで扉を閉める。おそらく、宿屋中に響き渡ったことだろう。

 (ノックをするべきだった・・・!)

 グレンはこういう時に出る自分の教養のなさを、今までの人生の中で一番恨めしく思った。自分で自分を殴りたくなる衝動を抑え、反省しながら部屋の外で待つ。

 しばらくすると、扉の向こう側から声が掛けられた。

 「あの、グレン様。もう入ってきても大丈夫ですよ」

 今さら遅いのだが、なぜかグレンは扉を叩いてから入室する。部屋の中にいるエクセは手袋や装飾品を外してはいるが、すでにあの礼装(ドレス)にしっかりと身を包んで立っていた。

 グレンはエクセの前まで行くと、まず頭を下げる。

 「本当にすまなかった」

 言い訳しようとも思わなかった。と言うよりも、この場面において言葉で誤魔化せるほどグレンの頭は回らない。

 「頭を上げてください、グレン様!こちらこそ、はしたない格好をお見せしてしまい申し訳ありませんでした!」

 なんと逆に謝られてしまい、グレンは驚いたように顔を上げる。

 「受付の方に鍵をお借りしたんですけど、掛けるのを忘れてしまっていました。不用心ですね」

 ふふ、と笑うエクセの髪を見ると少し濡れていた。どうやら湯浴みでもしていたようだ。

 と、ここでグレンは気付く。

 (俺は、何故エクセ君を1人にしているんだ・・・!)

 不用心――そう、先ほどエクセのあられもない姿を見たのが自分だから良かったが、もし理性の抑えられない男だったならばどうなっていたことだろう。そうでなくとも、こんな少女が1人で行動していたら危ないではないか。この村にいる人間が、紳士ばかりとは限らないのだ。

 グレンは今まで一人旅ばかりしていたせいで、二人旅に上手く対応できていない自分に気付く。

 「グレン様・・・?」

 そのことに1人で戦慄していると、エクセから訝しげに声を掛けられた。

 「え・・・あ!そ、そうだな・・・少し不用心だったかもしれないな。これからは部屋にいる時も、鍵を掛けることを心掛けていこうか」

 とりあえずグレンは今までの失態は忘れず気にせず、これから気を付けていこうと思うのであった。

 「はい、分かりました」

 そう言うと、エクセはグレンの横を通り過ぎ、鍵を取り出して施錠した。扉の中で仕組みが動く音が、確かに部屋の中に響く。

 「ん?エクセ君、まだ私が中にいるんだが・・・」

 自分が出て行ってから鍵を掛けなければ二度手間になるのでは、という意味である。しかし、それは無用な心配であった。

 「そういえば言ってなかったですね。ここ、2人部屋なんです」

 思わず、「は!?」と叫びたくなる発言であった。確かに、よくよく部屋を観察してみると寝台(ベッド)が2つある。

 「いや、エクセ君。流石にそれはまずい。君のような少女がこんな男と同じ部屋で寝るなど、それこそ不用心というものだ」

 グレンが慌てながら言うと、エクセは口元を押さえながら上品な笑い声を上げた。何か可笑しなことを言ったかと、グレンは眉を顰める。

 「ふふ、グレン様でも御冗談を仰るんですね」

 「ん・・・?」

 その言葉の真意が分からず、グレンは頭の上に疑問符を浮かべた。そんな彼に対し、少女は笑みを零した理由を告げる。

 「グレン様が(わたくし)のような魅力のない者に、ご興味を抱くわけないです」

 心底そう思っているような声色で、エクセはそう語った。

 しかし、それは大きな間違いである。確かに手を出す気など全くないのだが、それでも彼女のことを女として見ていないわけではないし、若いながらも女性としてかなり魅力的な部類に入るだろうとグレンは思っていた。

 けれどもそこで、ある事に気付く。

 (もしここで俺が部屋を出て行ったら、それはエクセ君の中で俺が彼女を女として見なしているということになるのか・・・)

 それはそれで当たっているのだが、エクセ本人にそう思われるのは憚られた。32歳の男が15歳の少女を女として見ていると、少女本人に思われるのは流石に気まずい。

 グレンは渋々、この部屋に留まることにした。

 とりあえず、王都に戻ったらエクセの父であるバルバロットに、貞操に関してしっかりと教育するよう言っておこうと心に誓う。

 観念したグレンが部屋に備え付けられている寝台(ベッド)に座ると、エクセももう1つの寝台(ベッド)に腰掛けた。

 「・・・では、明日の予定について話をしようか・・・・・・」

 目的地であるアマタイ山に行くには、ここからさらに馬車で1時間ほど移動しなくてはならない。そのため、明日は午前7時にこの村を出る計画であった。

 アマタイ山に着いてからは、勇士管理局からもらった地図――これにはオーガの巣がある可能性の高い範囲が書かれていた――を頼りに目的地を目指し、山を登っていく。どれくらいの時間が掛かるか分からないため、キャンプ道具一式と保存食を買っておいたことをエクセに告げた。

 「まあ、この依頼は特に期間が決められてないから、そんなに急ぐ必要もないだろう」

 そして、万が一モンスターと出会った場合には臨機応変に対応していくこととする。逃げるも良し、戦うも良しだ。

 この(くだり)でエクセの緊張が高まっていくのを、グレンは感じ取った。

 「大丈夫だ、エクセ君。君にはかすり傷一つ負わせない」

 ここまでいろいろと重圧を与えてしまっていたため、一応安心させる言葉を掛けておいた。それを聞いた少女の表情から、緊張感が薄らいだのを見て取る。

 目的地を発見したならば調査することは2つ――『巣の規模』と『オーガのおよその総数』。

 これはオーガを殲滅するために必要な騎士や兵士、勇士の数がどれくらいか試算するのに必要なものであった。オーガは人里に下りてくることがあり、その時の被害は甚大なものとなるため、早めに手を打っておくに越したことはないのだ。

 「なんだか、少し可哀想ですね」

 エクセがそんなことを呟く。少年少女ならば、まずそう思うだろう。

 「確かにね・・・」

 グレンはそれに同調したが、これは嘘であった。

 かつて多くの仲間をオーガに殺された経験を持つ身としては、それらは殺すべきモンスターであると認識している。しかし、ここでそんな考えをエクセに言っても気分を害するだけと思い、嘘を吐いた。

 「だが、私達が直接手を下すわけではないんだ」

 情報を手に入れたら、後は帰るだけだ。行きは時間が掛かるだろうが、帰りはすぐだろうと見当をつけていた。

 「まあ、こんな感じか・・・」

 ひと通りの説明を終え、グレンは一息吐いた。

 「グレン様、何かお飲みになりますか?用意いたします」

 ずっと話していたグレンに気を利かせて、エクセが尋ねる。

 「いや、いいよ。君も長時間の馬車での移動は疲れたろう。私のことなど気にせず、ゆっくりしていてくれ」

 「そうですか・・・。あ、ですが、先ほど湯浴みをしたので疲れは幾分か取れました。よく揺れる馬車に慣れていなかったので、先程はお恥ずかしい姿をお見せしてしまいましたが、これでも体力はある方なんです」

 エクセは両手を胸の前で、ぐっと握って主張した。それを聞き、グレンは学院における少女の評価を思い出す。

 「ほう、君の成績を見させてもらった時は人並みかと思っていたんだがな。エクセ君の通う学院には、意外と運動のできる学生が多いんだな」

 女子校ということもあって、グレンは生徒のほとんどが体力に自信がないものと思っていた。基本的に肉体の鍛錬を重視しない魔法使いともなればなおさらだ。人並み、という評価もエクセに対する気遣いであった。

 「あ・・・それはですね・・・あの・・・(わたくし)、走ることが苦手でして・・。と言いますのも、その・・・」

 エクセはなぜか気まずそうに口籠る。

 「持久力なら自信があるんですが・・・走ろうとすると・・・」

 最後にぼそっと、「胸が・・・」と言った。

 「ああ」

 なるほど合点がいった、と思わずこぼれた言葉であったが、すぐに失態だと気づく。

 今の一言で、グレンがエクセの胸の大きさを意識していた、ということになったからだ。少女の顔が見る見る赤くなっていく。

 「確かに・・・運動するのには邪魔かも・・・・しれないな・・・」

 奇妙な雰囲気になったこの場をどうにかしようと、グレンは絞り出すような声で言った。

 「だが、何も悪いことではないだろう。私の知り合いにやたらと胸や尻を露出させた装備を好む女性がいるんだが、訳を聞いたら『男と戦う時に有利だから』と言うんだ」

 グレン自身何を言いたいか分かっていないが、言い出してしまった以上続けるしかなった。

 「男というものは、どうしても女性のそういった箇所に目が行きがちだ。戦闘中であれば相手の視線や武器に意識を割かなければならないんだが、あえて露出の高い服装にすることで相手の集中力を削ぐことができるらしい。女性として魅力的な体をしていればその効果は大きいだろう。だからエクセ君も――」

 当時この話を聞いたグレンは感心したものだったが、話す相手を間違えていた。結論を考えず話し続けた結果、言葉に詰まる。

 「グレン様は・・・(わたくし)もそのような格好をした方が良いと・・・お考えですか・・・?」

 先程よりさらに顔を赤くしたエクセにそう尋ねられ、グレンは慌てて答える。

 「いや、違う!断じて違うぞ!」

 そしてなんとかこの話の上手い着地点を探そうと考えたが、思いつかず、

 「――すまない、この話はなかったことにしてくれ・・・」

 と言うしかなかった。

 (まったく・・・何をしているんだ、俺は・・・。エクセ君と出会ってから、何度彼女を困らせていると思っている・・・)

 アルベルトならこういう時でも上手く切り抜けるのだろうな、とグレンは思った。あの友人並とは言わないが、もう少し頭が回って欲しいものである。

 「いえ、至らぬ私を慰めようとしてくださったのですよね。そのお気持ちだけで、十分です」

 まだ赤いままの顔を上げてそう言ってくるエクセに対して、グレンは何も言うことができず、ただ頷くだけだった。

 その後、ややぎくしゃくした時間を過ごし、2人して宿屋で夕食を取ることにする。この時にはもう先程の会話の影響はなくなっており、互いにいつも通りに接することができた。

 そして、明日の身支度を済ませた後、少し早い時間に床に就いたのだった。






 「はあ・・はあ・・はあ・・・!」

 村から馬車で移動し、到着したアマタイ山をグレンとエクセが登り始めてかれこれ2時間が経過していた。

 全ての荷物を持ちながらも木々をかき分け平然と進むグレンのやや後ろを、エクセは息を切らせながら辛うじて付いていく。

 エクセは、そんな自分に失望していた。

 (昨日、持久力には自信があると言ったのに・・・)

 思いながら、エクセは自分の左腕に装備した腕輪を見る。

 これは装備者の持久力(スタミナ)を一定間隔で回復するという効果を持つ『木漏れ日の腕輪』といい、先日父親から譲り受けた物の一つである。

 回復量は微々たるものではあるため、先日の馬車のように大きく体力を削られると疲労を感じるが、単なる山登り程度ならば大丈夫だろうと思っていた。

 しかし、思った以上に進行速度が速い。グレンが無意識に1人旅の時のように歩を進めてしまっているためなのだが、これは成人男性でも付いて行くのが困難なスピードであるため、魔法道具(マジックアイテム)を装備していてもエクセでは厳しいものがあった。

 (壊れている、なんてことはないと思うんだけど・・・。お父様に無駄なお買い物をさせてしまった気がする・・・)

 ちなみに、これ1つで小さな家が一軒買える値段であることを少女は知らない。例え小さな効果であったとしても、傷や持久力を永続的に回復する魔法道具(マジックアイテム)は大変貴重で高価なのだ。

 「エクセ君、大丈夫か?」

 エクセとの距離が大きく開いていったことに(ようや)く気付いたグレンが、少女に近づきつつ聞いてきた。

 「はい・・・!大丈夫・・です・・・!」

 息も絶え絶えに答えるエクセであったが、さすがのグレンもこれが強がりであることは分かった。

 「一旦ここで休憩としよう。私も疲れてきた所だ」

 気を利かせた言葉であったが、このグレンの優しさがエクセには堪えた。

 彼女は今回の実習に関して、端的にいえば張りきっていたのである。

 王国を護り、自分の命までをも救ってくれた英雄に少しばかりの恩返しをしたい。それが、今回エクセがグレンとの実習に積極的だった理由であった。

 彼が傷を負ったならば治してあげたい、強敵と戦うことがあれば魔法で援護したい。そう思っていたのである。

 しかし、いざ実習を開始してみればこの体たらく。実習の準備を英雄1人に任せ、山登りすら満足にできずに足を引っ張ってしまっている。そんな事実が悔しくて、エクセは目の端に涙を浮かべた。

 それに気付かれないよう倒木に腰を下ろし、曲げた足を抱え、顔を隠す。

 「大丈夫か?」

 心底心配しているようなグレンに声を掛けられるが、今声を出したら震えていそうで、エクセは軽く頷くことで答えた。これが失礼な行為であることは分かっていたが、彼女にも年相応の意地があったのだ。

 「辛くなったら言ってくれて構わないんだ。この回復薬なら疲れも取れる」

 グレンは、荷物袋からガドの店で買った回復薬を取り出して見せた。

 エクセも『回復(ヒール)』を使うことができたが、それでは傷を治すことはできても病や疲れを癒すことはできない。

 傷だけでなく疲れを癒すための魔法は1段魔法の『大回復(ハイヒール)』であり、病まで治そうとすれば6段魔法の『結晶回復(クリスタルヒール)』が必要であった。どれも今のエクセには遥か高みを感じさせるものであり、それができる回復薬に少しばかり嫉妬した。

 そんな少女が回復薬を受け取る素振りを見せないことに困惑したグレンであったが、疲れたと言った手前、自分でそれを飲むことにする。

 蓋を取り、小さな瓶の中の緑色の液体を一気に口の中へ流し込んだ。

 「ん、苦いな。しかし、効果は高い。さすがはガドの店の商品だ、疲れが随分癒えたようだ」

 元から疲れを感じていなかったため、実際には効果がどれ程か分からなかったが、グレンはそう言った。

 「さあ、エクセ君も飲んでみたらどうだ。このままだと元気になった私だけ先に行ってしまうぞ」

 エクセは顔を少し上げ、グレンを見る。

 少女としても、ここまでさせてしまっては応対せざるを得なかった。自身の状態を悟られぬよう細心の注意を払いながら、エクセはグレンの方へ手を差し出す。

 「・・・頂きます」

 グレンは回復薬を1つ、少女へ手渡す。

 「苦いぞ」

 受け取った回復薬の蓋を開け、両手で小瓶を支えながら中身を少し飲み込んだ。途端、口の中に様々な薬草の苦味が広がり、そのあまりの苦さにエクセはむせてしまう。

 「苦い・・・です」

 エクセはもともと苦いのがあまり得意ではなかったが、それにしてもひどい味だと思った。

 「全部飲むんだ。その方がよく効く」

 グレンにそう言われ、数回に分けてやっとのことで飲み干した。すると先程まで感じていた疲労感はすっかりなくなり、その疲労から来た自身への苛立ちも霧散して行った。

 「すごい・・・。本当に疲れが取れました・・・」

 「ガドの――あの村で行きつけの店に置いてある回復薬だ。少々値は張るが、良い物だろう?」

 「すいません・・・。この実習での費用は、全てグレン様にお支払いいただいているのに・・・」

 一応学院からも実習費としていくらか貰っているが、ここまでの冒険をすることまで想定していないため微々たるものであった。ガドの店でまけてもらったとしても、宿泊費や馬車代などですでにグレンの財布は軽くなっている。

 (直前に大口の依頼を受けておいてよかった・・・)

 十分な貯蓄はあるのだが、それでも金はあるに越したことはない。かつて極貧の生活を経験したことのあるグレンとしては、そう思わざるを得なかった。

 「そのような事、君が気にしなくていい。それよりもどうだ、もう1本」

 グレンにしては、珍しい冗談であった。

 「えっ!?あの、その、お気持ちは嬉しいのですが・・・!先程の1本でもう十分ですので・・・!」

 まだ口の中に残っている苦味を味わいながら、エクセは頭を素早く横に振った。

 「はっはっはっ」

 「――グレン様?」

 エクセは、グレンが笑う所を初めて見た。

 思えば彼と出会ってからこれまで、態度としては紳士で柔和なものであったが、笑顔を見せてもらったことはなかった。この笑い声はある程度親睦が深まった証拠なのだろうかとエクセは思い、そしてそれは実際その通りなのだった。

 「どうだ?私だって、冗談くらいは言うんだ」

 宿屋でのエクセの発言を受けた台詞であった。

 「もう!グレン様ったら、いじわるです・・・!」

 グレンとしても、他人と会話をしていて笑うは久しぶりのことであった。

 かつての上司の娘だと言うだけでなく、自分ですらこのように接してしまうエクセの無防備な愛らしさがそうさせたのだろうと考える。

 「さて、そろそろ行くとしようか」

 ひとしきり笑った後、グレンが立ち上がりながら言った。

 「あ、はい!」

 続いてエクセも立ち上がろうとしたが、ふいにグレンがあらぬ方向へと顔を向けたことでその動きを止める。

 「どうかなさいましたか?」

 「・・・いるな」

 その言葉に始めは首を傾げたエクセであったが、すぐに意味を察し、急いで立ち上がる。

 「オーガ・・・ですか」

 エクセには全く分からないが、グレンならば遠く離れた存在を知覚することもできるのではと思い、問い質す。

 もともと2人はオーガの巣を探していたのだから、いずれは遭遇することもあると分かっていたが、ついにその時が来たようだ。

 エクセは自身の心臓が激しく脈打つのを感じた。

 「ふむ、地図に書かれた範囲より大分外だな。もしかしたら巣が拡大しているのかも知れない」

 いつの間にか広げた地図を見ながらグレンが言った。エクセも横から地図を見るが、その地図上で現在地がどこか分からなかったため、すぐに止める。

 「進む道はこっちで良さそうか・・・。とりあえず行ってみよう」

 「は、はい・・・!」

 オーガがいる可能性が高いにも関わらずそちらへ向かうことを躊躇しないグレンに、エクセは頼もしさを感じた。だが、もちろん不安はある。

 エクセは自然と杖を握る手に力を込めた。

 そして会話もなく数分間歩き続けると、ついにその生物の姿を捉える。

 「――っ!」

 まだある程度距離はあるが、その姿にエクセは息を飲んだ。

 3mはあろうかという巨体は堅そうな剛毛に覆われ、口には鋭い牙、そして頭には2本の小さな角が生えている。腕や脚は自分達のそれとは比較にならないほど太く、容易く人を殺めることができると分かった。涎を垂らし、目を血走らせたその顔に品性や知性は感じられず、エクセは激しい嫌悪感を覚える。

 しかし彼女が最も注目したのはそれらではなく、オーガの持つ岩であった。それは岩と呼ぶには少々薄く平たいもので、それに太い木のつるが何重にも巻かれ、持ちやすくされている。

 「あれは、シールドオーガ!?」

 エクセの小さいが確かな驚きの声が、グレンの耳に届いた。

 「ん?オーガに種類があるのか?」

 エクセはグレンに向かってこくりと頷く。

 オーガの基本知能が低いというのは、老若男女問わず知られている事柄であった。しかし、オーガの中にもたまに通常より高い知能――とはいっても人間の子供レベルだが――を持つものが存在し、それらは自分で作った武器を戦闘に用いることがあるのだ。

 大樹を持ちやすく加工したクラブオーガ、岩を薄くし切断しやすくしたソードオーガなどが確認されているが、とりわけ厄介なのが鉱物を盾として用いるシールドオーガである。

 用いられる岩は分厚く、並の戦士や魔法使いでは傷をつけるのがやっとであり、それを前方に構えた攻防一体の突進の破壊力は筆舌に尽くしがたいものがあった。過去に勇士を30人連れたキャラバンが、たった一体のシールドオーガに瞬く間に全滅させられた事件もある程だ。

 エクセの話を聞きながら、グレンは「そういえばいたな、そんなやつら」と過去何度かあったオーガとの戦いを思い出していた。しかし、シールドオーガとやらには今まで一度も出会ったことがない。

 「少し、試してみるか」

 「えっ!?」

 グレンの一言に思わず大声を出してしまったエクセは、慌てて口を塞ぐ。

 「試すって・・・!グレン様、もしやシールドオーガと真正面から戦うおつもりですか!?」

 やや声を抑えつつもエクセは問う。

 「ああ。エクセ君は・・・そうだな。離れすぎるのも良くないから、私の10mほど後ろを付いてきてくれ」

 「ええ!?(わたくし)も行くんですか!?」

 グレンの思わぬ言葉に、エクセは狼狽する。

 「安心しろ。言っただろ?君には傷一つ負わせないと」

 「それは・・・そうですが・・・」

 いくらグレンが一緒だと言っても、あの怪物の真正面に立つには少女にとって少々の勇気が要るどころの話ではなかった。

 しかし、グレンは決心を出来かねているエクセを余所に歩を進めてしまっている。少女はそんなグレンの後ろを泣く泣く、言われた通り離れて付いて行った。

 そして、先程よりほんの十数歩近づいただけでオーガは2人の存在に気付く。実はグレンがわざと気取られるように歩いていたのだが。

 「ボォォォォォアァァァァァ!!!」

 するとオーガは山中に響くのではと思うほどの咆哮を上げ、手に持った岩――盾を構え、2人に向かって躊躇なく突進を繰り出してくる。

 その攻撃には様子見や逃走など一切ない、見敵必殺の意を含んだ底知れぬ迫力があった。

 オーガが一歩踏み込むたびに大地が揺れ、木々がなぎ倒される。足場の悪い山中ではあったが、オーガにしてみれば故郷も同然。速度を落とすことなく、グレンたちに迫った。

 その光景を前にし、エクセは圧倒的恐怖に駆られていた。いくらグレンが自分の前に立っているとは言え、オーガの突進の直線上にいることには変わりない。

 今すぐ逃げ出したい気持ちではあったが、それをしてしまったらグレンを裏切ることになると思い、少女は微動だに出来ずにいた。それでも、彼に支持された10mよりは遠く離れてしまっている。

 もし万が一グレンがあの突進になす術なくやられてしまったら、次は自分だ。その光景を思い浮かべるだけで、エクセは足がすくみ、冷や汗を流した。

 (グレン様・・・!)

 この状況をなんとかできるはずの唯一の存在を見る。

 グレンはほぼ直立の姿勢のまま、腰に差した大太刀に手を掛けている所であった。それで迎え撃てるのだろうかと、エクセは疑心暗鬼になりながらも彼の一挙手一投足を見守る。

 しかし次の瞬間、「ひゅんっ」という鋭い音が聞こえたかと思うと、視線の先にいるグレンは刀身を剥き出しにした大太刀を振り抜いていた。

 (え・・・!?)

 少女はグレンから片時も目を離していない。

 しかしエクセが捉えられたのは、いずれも静止している開始点と終止点のみであった。本来ならば線の動きをする抜刀の中間を、ごっそり見落としたのである。

 驚くエクセの耳に、続いて轟音が届く。何事かとグレン越しに前方を見ると、突進していたオーガが倒れこみ、先程までの速度そのままに地面を転がっている光景を目にした。

 しかもその姿は五体満足なものではなく、上半身と下半身が別々になっている。内臓を飛び散らせながら転がるそれらから目を背けようとしたエクセは、それとは別のある物を見つけた。

 (あれは、先程までオーガが持っていた盾!?)

 オーガの体と同じく、真っ二つにされた岩が木々を粉々にしながら転がっていたのだ。

 (嘘・・・!?では、グレン様はこの距離からオーガを盾ごと斬ったの・・・!?)

 グレンが大太刀に手を掛けたあたりでは、まだオーガとの距離は数十mはあった。

 しかし、現にオーガは切断されている。学院で様々な事を学んでいるエクセでも、生き物が自然に真っ二つになる事があるなど聞いたことがないし、よくよく見ればグレンとオーガの間にあった木の枝が綺麗な断面を覗かせていた。

 エクセは確信する。これはグレンの技である、と。

 「まあ、こんなものか」

 大太刀を鞘に納め、グレンは言った。本当はシールドオーガの突進を腕で止めてみようとしたのだが、エクセが後ろにいる手前、さすがにそれは出来なかった。

 グレンは後ろに振り返り、少女に声を掛ける。

 「すまなかったな。こんなことに付き合わせてしまって」

 しかし、エクセは呆けたまま返事をしない。

 もしや今の攻撃で何かしらの被害を受けたのではないかと、それを見たグレンは慌ててしまった。

 今まで屈強な戦士がいる戦場か、1人で依頼をこなしている時にしか使ったことのない技であったために、目の前のか弱い少女には予期せぬ事態が起こったのではないかと考えたのだ。

 急いでエクセに駆け寄ろうとするも、彼が一歩足を踏み出そうとした直前、エクセが満面の笑みで走ってきた。

 「すごい!すごい、すごい!グレン様、すっごーーーーーーい!!」

 今まで優雅な振る舞いを維持してきた少女の年相応の姿を見せられ、グレンは大いに戸惑ったが、エクセは構わずそのままの勢いで抱きついてきた。

 彼女の筋力は左手の人差し指に装備された『諸星の指輪』で強化されていたのだが、グレンはなんなく受け止める。そして、腹のあたりにエクセの柔らかいものを感じた。

 「グレン様!グレン様は、本当の本当に英雄様だったのですね!」

 「え・・・ええ?」

 思わぬエクセのはしゃぎっぷりに、グレンはさらに戸惑ってしまう。

 しかし、少女がここまで感情を爆発させているのには理由があった。と言うのも、エクセはグレンのかつての偉業に関して、実はほとんど信じていなかったのである。

 戦場で数々の武勲を上げたことはあの父が認めるのだから確かなのだろうが、それでも聞かされる所業のどれもこれもが荒唐無稽過ぎた。小さい頃は本気で信じたものであったが、歳を重ねるにつれて、自分だけでなく周りの友人達も『武勲は本物だが、内容は脚色されたもの』と思うようになっていったのである。子供たちに聞かせられるように、と。

 それでも命の恩人であることには変わりはないため、『お伽噺の憧れの登場人物』ではなくなったくらいの感覚ではあった。

 しかし今、そのお伽噺が目の前で実現したのだ。

 「今のが昔お父様が聞かせてくれた『真空斬り』ですね!感動です!」

 「し、『しんくうぎり』・・・?」

 グレンとしては今の攻撃に名前を付けたことがないのだが、どうやらバルバロットの中ではそういう事になっているらしい。

 「ほ、他にもできるんですか!?例えば、『崩山刀』とか!」

 エクセは抱きついたまま嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる。そのせいか、グレンの腹のあたりがむず痒いことになっていた。

 「お・・・落ち着くんだ、エクセ君」

 グレンは、ぴょんぴょん跳ねるエクセの肩を抑え、なだめようとする。少しの間が空き、エクセははっと我にかえったような顔をした。

 「す、すすすす、すいません、グレン様!思わぬ出来事に我を忘れてしまいました!」

 そして抱きついてきた時と同じくらいの速度で、顔を真っ赤にしながら後ろに下がっていく。

 「い、いや、構わないよ・・・」

 グレンとしても現状この一言が一杯一杯のはしゃぎっぷりであった。

 そして互いに何も言えずじまいであったが、

 「とりあえず、行こうか・・・」

 「はい・・・」

 と、グレンが切り出し、エクセが応じる事で2人は移動を再開した。

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