2-14 永世友好条約
もはや何度目かも分からないが、グレンは王城を訪れていた。
アルカディアが去ったことで厳戒態勢も解かれ、再び多くの一般市民の姿を見ることができる。グレンはその者たちに紛れるように進み、その者たちから逸れるようにして階段を上っていった。
そして、アルベルトの私室の前に来ると扉を叩く。
すると突然どたどたとした足音が聞こえ、勢いよく扉が開かれた。
「よく来てくれた、王国の英雄!」
眩しいばかりの笑顔を見せながら、アルベルトが言う。
そんな彼に戸惑いながらも、「さ、入ってくれ!」と言われたため、大人しく入ることにした。部屋の隅に視線を移し、戸惑いの表情を軽く浮かべた後、正面を見据える。
「バルバロット公・・・!?」
そしてそこには、いつぞやのように机に座るバルバロットがいた。しかしその表情は前回と異なり、かなり険しい。
バルバロットはグレンやアルベルトとは異なり、感情がすぐ顔に出る。これはかなり機嫌が悪そうだと、グレンは戦々恐々とした。
「さあ、グレン!座ってくれ!」
バルバロットとは対照的に明るい笑顔を振りまくアルベルトに促され、グレンは椅子に腰掛ける。アルベルトもバルバロットの隣に座った。
まるっきり前回と同じ配置である。
「グレン!僕は今回ほど君がこの国に生まれた事を感謝したことはないよ!」
一体何のことを言っているのか。
アルベルトは興奮気味に語り出した。
「僕は常日頃から君のことを『凄い奴』だと思っていた!単純な表現だが、何がどうすごいのかを説明していたら日が暮れてしまうからね!今は時間が惜しいから省かせてもらうよ!」
ならば単刀直入に話をしてくれ、とグレンは思ったが口にはしなかった。
何故か睨み付けてくるバルバロットが気になって仕方がないのだ。
「グレン、君が昨日持ってきてくれたアルカディア皇帝陛下からの手紙を覚えているかい!?」
グレンはルクルティア帝国でヴァルジと共にアルカディアを救った後、厳重に封をされた手紙を受け取っていた。そこには帝国の紋章が印されており、つまりは皇帝として書いた手紙である事が分かった。
アルカディアが手紙を書いている間に解き放った兵士に盗賊ギルド『国落とし』の捕縛を任せ、グレンは急ぎ王国に戻り、その手紙をティリオンへと渡している。
そして、アルベルトに帝国での事の顛末を話した後、夜通し戦っていた事もあり、すぐに就寝。
翌日――今では今日だが――の昼まで起きることはなく、アルベルトが呼んでいる事を伝えに来た騎士が扉を叩く音によって起こされた。
そして、今ここにいるのだ。
「ああ。あれがどうかしたのか?」
皇帝から国王に向けて書かれた手紙なのだ。余程の事が書かれていることは想像に難くない。
もしかしたらアルベルトの機嫌が良いのはそれと関係しているのだろうか。手紙の話題が出た途端、怒りの度合いを増したバルバロットの機嫌に関係しているのは間違いなさそうであったが。
「では、君はもうその中身は見たかい!?」
「いや・・・見てはいないな。あれは国王宛に送られたものだろう?なぜ、俺が見なくてはいけないんだ?」
その言葉にアルベルトは、仕方ないなとばかりに鼻から息を吐く。
「グレン、新聞は取っているかい?」
「一応、取っているが?」
「じゃあ、今日の分は読んだ?」
「・・・いや。そんな暇がなかったからな」
アルベルトに呼ばれるまで寝ており、起きたら起きたで、すぐに王城へと向かったため新聞を読む時間はなかった。
グレンはそう言っているのだが、これは建前で、彼は新聞を取ってはいたが、その実読んだことは一度としてないのだ。小難しい言葉で書かれた文章を読むと頭が痛くなるためであった。
「まあ、君も忙しいしね。でも、今回ばかりは読んでおいて欲しかったな」
納得してくれたアルベルトの勿体ぶりな物言いに対して、グレンは聞く。
「何が書かれていたんだ?」
その言葉にアルベルトは微笑むと、話題の新聞をさっと取り出し、言った。
「アルカディア皇帝陛下からの手紙の内容さ」
「・・・・・・なに!?」
少し間を空けて、グレンは驚愕の声を上げる。
「あの手紙は国王のみに宛てられたもののはずだ!まさか、何者かが流出させたのか!?」
だとしたら、王国の情報機関に欠陥があると言わざるを得ない。いや、それよりも国王の私室に侵入するような輩が王都にいるということになる。
何を呑気に話し込んでいるんだ、とグレンはアルベルトを叱責しようとした。
「国王自らが許可を出されたんだよ」
どうやら受け取った本人が流出させたようだ。
グレンは呆れたように軽く肩を落とす。
「なぜ・・・そんな事を・・・?」
昨日の今日でこれならば、おそらくアルカディアに無許可で公表したのだろう。
そこまでするような内容が書かれていたのだろうか。
「読めば分かるよ」
そう言って、アルベルトはグレンの方へ新聞を差し出す。グレンは嫌そうな顔をしながらそれを受け取った。
見出しには『ルクルティア帝国皇帝から全ての王国民へ』と書かれている。
(国王への手紙ではなかったのか?)
そう思いながらも、読んでみる。
内容は以下の通りだ。
「親愛なるティリオン国王よ、急な手紙に驚かれたことであろう。
しかし、これだけは伝えたかった。先日、そちらを訪れた際に言い忘れた言葉だ。
今まで迷惑を掛けた。帝国を代表して、謝罪したい。本当に申し訳なかった。
長い間王国を苦しめ、民を傷つけた帝国を恨む者もいるだろう。
だから、それら全てに許してもらおうなどと都合の良いことは言わない。
だが、王国の代表者である貴殿にだけは余の誠意を理解して欲しいと心から願う。
また本来ならばこのような文での謝罪は不本意なのだが、取り急ぎということで勘弁していただきたい。
後日、再び貴殿と見えたときに正式に謝罪をするつもりだ。」
ここまで読んでグレンは顔を上げた。
「これは?」
「アルカディア皇帝陛下からの謝罪文さ!」
グレンの質問にアルベルトが間髪を入れずに答える。
「それは読めば分かる。で、これがどうかしたのか?まさか、皇帝陛下から謝罪の言葉を引き出せた事が、そんなに嬉しいのか?」
だとしたら自分の友人は意外と性格が悪いのかもしれない、とグレンは考えた。
しかし、どうやら違うようだ。
「違うよ、グレン!確かに、アルカディア皇帝陛下から謝罪のお言葉をいただけたのは嬉しい事だ。しかし、君の言う『嬉しい』と僕の言う『嬉しい』は著しく違う」
「何がどう違うんだ?」
グレンの問いにアルベルトはにこりと笑うと答える。
「僕は謝罪のその先が訪れる事が嬉しいんだ」
その言葉についてグレンはしばらく考えてみたが、さっぱり分からなかったので仕方なく聞いた。
「どういうことだ?」
「それは、次の頁を見れば分かるよ」
と言われたため、新聞をめくり、再び目を通す。
「そして、もし王国が帝国を許してくれるならば、余は帝国と王国において新たな関係性を築きたいと思っている。
貴殿もよくご存じの通り、今の平和条約は不平等と言って過言ではない。
今まで帝国はそれを罰と思い甘んじて受け入れてきたが、先の王国訪問において気づいたことがある。
それは、貴殿に帝国を虐げる意思がないということだ。
あれほどの歓待を受けて今更か、と笑うならば笑ってくれて構わない。
おそらく貴殿は、不平等な平和条約を締結することで他の国々に気づかせようとしたのだろう。
王国と争っても損をするだけだ、と。
そして、もし共に手を取り歩む気があるのならば話を聞こう、と考えているのではないだろうか。
それ故、先日の急な訪問も受け入れてくれたのではないか。
もし余の言っていることが間違っているのならば、今すぐこの文を破り捨ててくれて構わない。
しかし、もし間違っていないのであれば、余は既存の平和条約を廃止して、新たな『永世友好条約』を貴殿の国と結びたいと思っている。
その事について後日、話し合いの場を設けさせてはいただけないだろうか。」
「これは・・・!?」
グレンなりに驚きの表情を作りつつ、アルベルトに問う。
「さっき言った『謝罪のその先』さ」
アルベルトは自慢げにそう答えた。
「アルカディア皇帝陛下はお気づきになられたんだ。ティリオン国王の真意に。そして、長年の因縁を断ち切り、国と国、共に手を取り合い未来を築いていこうと仰ってくれたんだよ、グレン」
「それは・・・まあ、分かる。しかし、国王はそう言ったのか?『その通りだ』、と言ったのか?」
グレン自身おそらくそうなのだろうな、と思っていたが、意外な事にアルベルトは首を横に振った。
「いや、明言はしていない」
「ならば・・・お前や皇帝陛下の思い違いという事もあるんじゃないのか?」
グレンとしては2人の期待を裏切るような事を言いたくはなかったが、もしかしたら見落としている可能性もあると考えたため聞いてみる。
これにアルベルトは微笑むと、
「でもこの手紙を読み終わった時、ティリオン国王は『ようやくかよ』と仰っていたよ」
と言った。
確かに、あの国王のその言葉ならば手紙通りの考えを持っているのだろう。
「なるほど・・・いや、まだ分からん。国と国が手を取り合う事が、そんなに重要な事なのか?」
「とりあえず、ティリオン国王はそうお考えのようだよ」
アルベルトにそう返されても、グレンは納得ができないようであった。
「ではグレン、君に質問だ。なぜ国王は君という絶対的な戦力がありながら、他国に攻め入ろうとしないと思う?」
「他国の領土を奪っても、旨みがないからだろう」
フォートレス王国は肥沃な大地と温暖な気候という好条件の土地がそこかしこにある。
それを狙って周辺国が侵略をしてくるという事は、他国にはそれ以上のものがないという事だ。ならば、いたずらに領土を増やすことなく、自分の目の届く範囲に収めたほうが良い。
グレンはティリオンがそう思っていると考えていた。
「お、おお・・・!まさか君からそのような的確な答えが出てくるとは・・・!確かに、そういった面もあるだろう」
この台詞にグレンは少しむっとする。これについてはグレンも気になっており、ずっと考えていたのだ。
グレンとて、長い時間を掛ければそれくらいの答えを導き出すことはできる。そう、時間を掛ければ。
「その程度、理解できて当然だ」
グレンの心を読んだ訳ではないが、バルバロットがそう言ってきた。
しかしその語気は強く、やはり不機嫌なようである。加えて、アルベルトのグレンに対する賛辞に向かって言ってきたことから、どうやらバルバロットはグレンに怒っているようであった。
グレンは何故怒られているのか理解できず、説明を求めるようにアルベルトを見る。
「ああ、その事に関しては後で分かると思うよ。それでグレン。君の先程の考え、それ自体は間違っていない。しかし、十分でもないんだ」
バルバロットの不機嫌な理由について今すぐにでも教えてもらいたいグレンであったが、アルベルトは話を戻してしまった。
「確かに王国、延いてはティリオン国王に他国の領土を奪う理由はない。ただそれだけではなく、ティリオン国王は多様性を残したいんだよ」
「多様性・・・?」
「そう、簡単に言えば色々な国があった方が面白いって所かな」
なんだそれは、とグレンは顔を顰める。
「君の言いたい事も分かる。しかし、周りの国を見てほしい。優れた魔法道具開発力を持つルクルティア帝国、武術を極めるヴォアグニック武国、魔法――ああ、向こうでは魔術だったね――それを探求するサリーメイア魔国、アンバット国は・・・置いておくとして。どれもフォートレス王国に負けない要素を持っている」
いわゆる一芸に秀でる、といったものだ。フォートレス王国に関して言えば、他国の得意分野では負けるが、それ以外では各々に圧勝しているという感じである。
「それぞれの色を最大限に引き出し、そして共有して行こう。それが国王のお考えなんだよ」
なんとなく分かった、とグレンは軽く頷いた。
「そして、それだけじゃあない。仮に王国周辺の国が王国と絶対的な友好関係を結び、かつ強大な力を有していたらどうなると思う?」
それについてグレンは論理的にではなく、直感的に答えた。
「まあ・・・安心だな」
「そう!その通りなんだよ!言わば、国という名の壁が出来上がるんだ!」
仮に王国周辺以外の国がフォートレス王国に攻め込もうとしたとしよう。その時に必ず通らなければならない国がルクルティア帝国、ヴォアグニック武国、サリーメイア魔国、またはアンバット国なのだ。
もしそれらの国と友好関係を築けなければ、容易く素通りさせ、王国まで攻め込まれる可能性が高い。アルベルトは、ティリオンがそれを危惧しているのだと考えていた。
「もちろんこれは僕の予想だから、多少の相違はあるかもしれない。しかし、僕はそうだと信じている。だからこそ、アルカディア皇帝陛下にあそこまでの歓待をしたんだ、とね」
「しかし、だったら今ある平和条約というものは逆効果ではないのか?確か、王国に有利な内容だと言っていたよな?」
グレンの質問にアルベルトは指を鳴らす。
「そこだよ、グレン!僕もその事については不思議に思っていたんだ。だけど、アルカディア皇帝陛下の手紙を読んだ際のティリオン国王の表情を見て、やっと理解できたよ。あの条約は言わば、試金石なんだ」
「試金石?」
「そう。勿論アルカディア皇帝陛下の手紙にもある通り、王国との争いを抑止させる効果を期待しての条約でもあるだろう。ただ、それは条約が締結される時の効果であり、条約が破棄される時の効果までは言及していない」
「条約の・・・破棄?」
王国にとって条約を破棄することに何の得があるのだろう、とグレンは訝しんだ。
「一体、どんな効果があるんだ?」
そのため、尋ねてみる。
「グレン、君はもう1回アルカディア皇帝陛下の手紙を読み直したほうがいいね。あの方の手紙には一番始めに何があった?」
「・・・・・・謝罪だな」
頁を一度めくり直し、確認してからグレンは答えた。
「そう!それが重要なんだよ!つまり、こちらから許すのではなく、あちらから許して欲しいと言わせたかったんだよ!」
「ん・・・?どういう・・事だ・・・?」
そろそろ頭が働かなくなってきたグレンが呻くように聞く。
「例えばだ、グレン。王国側から他国に向けて『今までの事は全て水に流して仲良くやろう』と言ったら、どうなると思う?」
「それは・・・舐められるだろうな・・・」
「そうだね。戦争を仕掛けたのにも拘らず、容易く許してくれる国だと思われるだろう。寛容と言えば聞こえはいいが、単に甘いと取られるだろうね。では、そんな国に対して他の国はどうすると思う?」
「準備が整い次第、再度攻め込むだろう」
ここで再びアルベルトは指を鳴らす。
今回のものは、一際大きく部屋に響いた。
「そう!そして、そう思われないための条約なんだよ。『王国はお前たちを許さない』という意思がある、と思わせるためのね。加えて、選択させるためでもあるんだ。『王国と仲違いしたまま苦しむ』か、『王国と仲直りをして楽になる』か、をね」
「しかしそんなもの、嘘を吐けばいいだろう?」
「確かにそうだ。しかし国の為政者というのは、基本的に自尊心が強い。そのため、あれだけ大勢の大臣を集めた場所で謝罪をさせようとしたんだ。心からの謝罪以外言えなくなるようにね。さらに言えば、アルカディア皇帝陛下の場合は君がいたというのが大きい」
「俺が?」
「そう。帝国を崩壊寸前にまで追い詰めた君の前で頭を下げる事が出来たならば、これはもう合格と言っていいだろう。国王もそれを期待しての会見だったんだけど、そう上手くは行かなかったね。その代わりに、こうやって謝罪の手紙を全国民に公表しているんだけど」
もしこの行為にアルカディアが怒りを露わにしたら、その時は元の木阿弥となるだろうが、その心配はないだろうとアルベルトは考える。
「あの会見にそんな意味が・・・」
グレンは唸るように呟いた。
「・・・なるほど。国王の考えは分かった。そして、この手紙が公表されているという事は、国王も皇帝陛下の要求を飲むという事なんだろう。しかし、いいのか?今ある平和条約というのは、王国にとって得になるものなんだろ?」
そのグレンの質問にアルベルトはにこりと笑う。
「確かに、王国と周辺国で結ばれている平和条約はこの国に多大な利益をもたらしている。当然、条約破棄に異議を唱える大臣もいたよ。『国益が損なわれます』ってね。でも、それに対してティリオン国王は『俺の前でもう一度薄汚ねえ金儲けの話をしてみろ。お前の腹の中に金貨を詰めて、湖に沈めるぞ』とお怒りになったんだ」
当然グレンもアルベルトも、そしてティリオンもその大臣の意見が正しい事くらいは分かる。そしてティリオンをよく知る者であれば、その言葉にはそれほど強い怒りが含まれていない事も分かった。
ティリオンは怒りの度合いが増す程、言葉数が少なくなる人物なのだ。最も怒った時は、一切口を開かなくなる。そしてそれは、ティリオンの子供達の何人かに受け継がれていたりもした。
兎にも角にも「俺がそうしたいんだから黙ってろ」と言いたかったのだ。
「あのお方らしい」
グレンはティリオンから『英雄の咆哮』を下賜されたときのことを思い出した。
「そうだね。あと、これは余談なんだが、国王は教育にも気を配られていてね」
「教育?」
教育ということは、学院での授業ということなのだろう。学院に通った経験のないグレンは、一体どんな内容なのか考える事も出来なかった。
「グレン。アルカディア皇帝陛下が、君に会いに行った時の事を覚えているかい?」
教育についての説明をしてくれるかと思ったが、アルベルトは何やら別の事を話し始めた。
「ああ。それがどうかしたのか?」
「では、近くにいたエクセリュート嬢を含む学生におかしな気配はあったかい?例えば、アルカディア皇帝陛下を蔑むような」
「「そんなもの、ある訳がないだろう」」
グレンとバルバロットが口を揃えて反論した。
アルベルトは苦笑しながらも続ける。
「そう、ないんだ。そして、それが国王の教育方針の賜物なんだよ」
「王国の人間ならば当然の事だろう?」
「そう思うのはやはり国王の教育方針の賜物なんだよ、グレン。いいかい?国と国が争えば、必ず戦勝国と敗戦国ができる。そして、戦勝国はその事を祭り上げるんだ。記念日にしたり、記念品を作ったりね。でも、国王はそのような真似をしなかった。既存のものも全て廃止した。この理由は、もう言わなくてもいいよね?」
「む・・・」
そう言って、しばらく考えてからグレンは答える。
「王国民に・・・自分達は戦勝国の民だと意識させないため、か・・・?」
アルベルトはグレンに向かって、拍手をした。
「そう。特に子供達に、だね。学院での授業においても、あまり戦争に勝った事は強調されない。これによって、子供達の中に他国に対する侮蔑の精神が芽生えないようにしているんだよ。これはもちろん珍しい事なんだよ、グレン。聞く所によると、何十年も前の戦争における勝利をネタに金銭を要求してくる国もあるらしいから」
そこまで言ってアルベルトは深呼吸をした。
長い時間、興奮気味に喋っていたせいか少し疲れているようだ。
「とまあ、これを伝えたいがために今日君を呼んだんだよ」
なるほど、とグレンは頷いてみせた。
「話は分かった。しかし、聞いている間ずっと思っていたんだが、何故その話を俺に?」
加えて、アルベルトは話を始める前にグレンを賛美していた。
その理由がまだ説明されていない。
「それはだね、グレン。君が――」
「そこからは俺が話を進めよう」
アルベルトの話を横取りするように、バルバロットが口を開いた。
その言葉にグレンは思わず身構える。なぜバルバロットが話の主導権を握ろうとしたのか、それが全く分からないのだ。
アルベルトに「どうぞ」と手振りをされて、バルバロットがグレンに言う。
「グレン、手紙の続きを読め。それも声に出して、だ」
アルカディアの手紙には、まだ続きがあった。それは先ほど読んだ部分の隣の頁に記載されている。
グレンは戸惑いながらも、それを声に出して読んだ。
「最後に、一つ頼みごとがある。グレン殿に礼を言っておいてほしい。
これを認めるのに気を取られすぎて、手紙を託すだけで別れてしまったのだ。
実を言うと、貴殿の思惑に気付けたのは他ならぬグレン殿のおかげなのだ。
彼の一言で、余は筆を執ることを決意した。
加えて、彼には余の弟の命と国家転覆の危機を救ってもらった借りもある。
余の執事に依頼されての事とは言え、その功績は筆舌に尽くし難い。
ついては、その報酬として余を一度だけ抱く権利――」
「なんだ、これは・・・!?」
グレンは途中で読むのを止め、驚きの声を上げる。
「僕が君を褒めた理由がそれさ。いや、さすがはグレンだよ。アルカディア皇帝陛下に助言をしていたとは」
アルベルトは、アルカディアが王国と新たな条約を結ぶために動き出したことについて、グレンのおかげであると考えているようであった。
しかし、グレンが戸惑いの声を上げた理由はそれではない。
「俺が言いたいのは、そこではない!この『抱く権利』がどうのとか・・・」
グレンは詳細を把握しようと続きを読んだ。
今度は声に出していなかったが。
「待て・・・!しかもここに『この事についてはグレン殿以外には他言無用でお願いしたい』と書いてあるではないか!なぜ、それがここに載っている!?」
その疑問について、アルベルトは苦笑いを浮かべながら、
「それはティリオン国王が、『構わねえ、構わねえ!面白いから載せちまえ!くはははは!』と仰ってね」
と教えてくれた。
(なにが『くはははは!』、だ!!)
グレンは心の中でティリオンを叱責する。
「さて、グレン。これがどういう事か教えろ・・・!」
バルバロットの低い声がグレンの耳に届いた。
見れば、凄まじい眼力でこちらを睨み付けている。これにはさすがのグレンも軽い恐怖を覚えた。
「どう、と言われましても・・・。俺には、何の事だか・・・。確かに、皇帝陛下には『抱いてくれ』とは言われましたが・・・」
その言葉を聞いた瞬間、バルバロットは思いっきり机を叩いた。
殴られた部分が凹んでおり、アルベルトが「ああ・・・」という声を上げている。
「それがどういう事かと聞いている!!国を治める者が、容易く自分の体を差し出す訳がないだろう!!お前は一体、帝国の小娘と何をした!!?」
バルバロットの怒声は部屋中の空気を震えさせるほどに強大なものであった。
「何もしていませんよ!皇帝陛下が、将来のために俺の力を受け継いだ子を帝国に残したい、と考えているだけです!ここにも書いてあるではないですか!」
つまりは、何日か前にここで行われた会話と似たようなことを言われたのだった。
それを聞いたアルベルトが、
「さすがはアルカディア皇帝陛下だね。僕達と同じ発想にすでに到達されているとは、驚きだよ。しかも、皇帝陛下自らがそれを為そうとしている。なんと献身的な御方だ」
と、アルカディアを称賛する。
しかし、バルバロットの怒りはそれでは収まらない。
「それでお前は何と言った・・・!?まさか、受け入れたのではあるまいな・・・!?」
「そんな事、ある訳ないでしょう・・・」
グレンは呆れながら、そう言った。
「しかし、強く拒否をしてはいないようだな。その証拠に、こうやって手紙に書かれてしまっているのだからな」
実際は単にアルカディアが諦めていなかっただけの話であるが、バルバロットには関係のない話であった。
彼にとって、本題はここからであったのだ。
「グレン。貴様、この落とし前をどうやってつけるつもりだ?」
「・・・なんの話ですか?」
バルバロットの急な言葉にグレンは聞き返す。
それを受けて、バルバロットは目を瞑り、語り出した。
「エクセがこれを読んだのだ」
「――!」
エクセどころではなく、王国中の民がアルカディアの手紙の全容を目にしているのだが、グレンにとってはその事実が一番動揺を誘った。
「今朝の事だ。あいつは普段あまりこういった物を読まんのだが、今日だけは何故か手に取ってな。そして始めは笑顔でいたんだが、急に顔色を悪くしたではないか。そして何も言わず、学院に向かって行った。護衛兵を呼ぶのも忘れてな。これがどういう事か分かるか、グレン?」
アルカディアの手紙の最後の部分を読んで、激しく動揺したに違いない。
さすがのグレンも、その事についてはすぐに察しがついた。
「貴様がもっと強く帝国の小娘の要求を拒絶していれば、俺の娘もあのような辛い思いをしないで済んだものを」
バルバロットのその言葉は、とても鋭くグレンの胸に突き刺さった。
「俺のせい・・・ですか・・・?」
「当然だ」
バルバロットは心の底からそう言った。
「確かに、『英雄よく色を好む』という言葉もある。それ故、お前が多くの女と関係を持つ事を止めはしない。この国のためにもなる。しかし、物事には順序というものがあるだろう。エクセと婚約もせずに、このような他の女との色恋沙汰の噂が立っては、娘の負担になるというものだ」
色々と突っ込みたい所はあるが、グレンが一番気になったのは、
(その言葉、本当にあったのか・・・)
という事であった。
しかも国を跨いで伝わっている事から、相当有名な言葉であるのが分かる。グレンは自分の無教養さに軽く打ちひしがれていた。
「聞いているのか、グレン!?」
「え!?」
その間にもバルバロットは説教をしていたようで、反応のないグレンに対して声を荒げる。
「お前はどうするのか、と聞いているのだ!?」
バルバロットの言葉を受けて、グレンは考える。
この人物は基本自分の言う通りに人を動かしたがる傾向があった。それにも関わらずグレンに意見を聞くという事は、彼自身に次の行動を決めさせたい、決めさせたという事実欲しい、ということであろう。
ならば、グレンの言うべき言葉は――。
「分かりました。エクセ君には、俺の方から話をしましょう」
その言葉に「計画通り」と思わず顔をにやけさせてしまいそうになるバルバロットであったが、何とか耐えて、
「娘は今、学院だ!たわけが!」
と言った。
グレンはため息を吐きつつ返す。
「では、そちらの屋敷で待たせていただきます・・・」
「始めからそう言え!たわけが!!」
笑顔で罵声を浴びせたバルバロットは急いで立ち上がると、出口に向かった。
これは「黙ってついて来い」という事であると受け取ったグレンは、ゆっくりと席を立つ。
「ああ、そういえば」
「ん?なんだい、グレン?」
グレンはふと思い出したようにアルベルトに声を掛けた。
「この部屋に入ってから気になっていたんだが・・・彼女達は一体どうした?」
グレンの視線が向かう先はこの部屋の隅。そこにはいつぞや見たものと同じ姿勢を取っているチヅリツカがいた。
彼女が纏う空地は重く、どんよりとした暗闇が目に映るようである。
そして、その隣にはシャルメティエもいた。彼女もまたチヅリツカと同様の姿勢を取り、同様の空気を漂わせている。
「ああ、彼女達か。実は君がここに来る前に、アルカディア皇帝陛下の手紙を読んだ彼女らが『国家転覆の危機とはどういう言か』と聞きに来ていたんだよ」
シャルメティエとチヅリツカは、アルカディアが『国落とし』の姦計に嵌る直前に別れていた。
自分達と別れた直後に友人がそのような状況になっていたと知っては、慌てるのも無理はない。
「僕は一応君からその話を聞いていたからね。教えてあげたんだけど――」
2人は特に、あの時別れたヴァルジが偽物であったという事実に衝撃を受けていた。
チヅリツカにおいては一緒に馬車に乗っていたということもあり、その程度は計り知れない。
「その時に、バルバロット公も一緒にいてね・・・。ほら、公は機嫌が悪くなると口も悪くなるから・・・」
グレンと同様に、2人に対してもバルバロットは罵声を浴びせていた。
まず始めに、アルカディアの危機に気付けなかった事を悔いる二人に対して、
『今更悔やんで何になる?お前たちは友の危機に何も気づかず、何もしなかった。その事実が覆る訳ではないのだぞ?騎士として恥を知れ』
と言い、まずチヅリツカが撃沈。
シャルメティエも心に傷を負ったが怯まず、
『しかし、私とてヴァルジ殿が偽物だと気付けていたのならば・・・!』
と言い返した。
そして、当然のごとくバルバロットも言い返す。
『お前はいつから、たらればでモノを語るようになった?そしていつから、出来なかった事を恥も感じず語るようになった?シャルメティエ、どうやらお前を副団長に推薦したのは間違っていたようだな』
これが止めになったようで、シャルメティエもふらふらと部屋の隅に移動して行ったのであった。
今もまた、
「私は・・・才に溺れ・・・地位に溺れ・・・友人として接してくれたアルカディア様をお守りする事も出来ず・・・言い訳ばかり・・・。何が副団長だ・・・何が戦乙女だ・・・」
と呟いていた。
チヅリツカに至っては、何も喋ってはいない。
「何をしている、グレン!さっさと来い!!」
そんな2人を観察していると、バルバロットがグレンを急かしてきた。
「今、行きます。――ではアルベルト、すまないな」
そう言ってグレンはバルバロットのもとへと向かった。
「さあ、行きましょう」
「エクセに会ったら、詫びに口づけの1つでもするのだろうな?」
「しませんよ・・・!」
などと会話をしながら去って行く。
その声を聞きながら、アルベルトはグレンの別れ際の言葉について考えていた。一体、何について謝罪をしたのか。
しかし、それもすぐに気付く。
「待ってくれ、グレン!もしかして、僕1人で彼女達をどうにかしなくちゃいけないのかい!?」
その声が届く相手はもうおらず、アルベルトは落ち込む2人を見ながら、どうしようかと思案していた。
(こんな所、メイドにでも見られたら誤解されそうだ・・・)
その直後、開け放たれた扉の前をメイドが通り、それを閉めようと部屋の中に入って来たのは言うまでもない事である。




