2-13 武国の戦士
「・・・・・・・・え?」
掠れた声でアルカディアが呟く。
先程までアルカディアはベンゼンと呼ばれたヴァルジと相対していた。しかし今、もう1人のヴァルジが姿を現したのだ。
これは夢か。アルカディアの頭は、呆然とそんな事を考えていた。
「ご無事ですか、姫様!?」
息を切らしながらも、後から現れたヴァルジが叫ぶ。
そして、主の体に傷一つない事を確認すると、安堵の表情を浮かべた。
しかし、アルカディアの涙を目にした瞬間、その顔は鬼神のごとき表情へと変化していく。
「許さんぞ、貴様ら・・・!私に化け、姫様を悲しませたその罪!万死に値する!!」
アルカディアは、そのような表情をするヴァルジを見た事がなかった。しかし、自身を思いやるその言葉に、この者こそ本物のヴァルジだと確信をする。
「爺!」
叫び、ヴァルジに向かって駆け出そうとするアルカディアの腕を、刺青の大男が掴んだ。
「逃がすかよ!」
「はな――」
放せ――アルカディアがそう言い切る前に、ヴァルジの怒号が部屋に響き渡る。
「気安く触れるでないわ!!」
ヴァルジは一足飛びに大男との距離を詰めると、その腹部に強烈な右拳を叩き込んだ。王都にてアルカディアが響かせた物よりも、数倍大きな音が部屋の空気を振動させる。
ヴァルジの放った一撃は、彼よりも大きな体をした男を軽々と部屋の端まで吹き飛ばした。
そして、執事は己の使命を全うするため、主の前に立つ。
「爺・・・!」
アルカディアは歓喜した。やはり自分は間違っていなかったのだ、と。
先程までヴァルジだと思っていた者は偽物で、今自分を背にして戦おうとしている者こそ本物のヴァルジなのだ。
「申し訳ございません、姫様。このヴァルジ、姫様をお一人にさせてしまいました」
盗賊達を睨みつけながら、ヴァルジが己の失態を謝罪する。
その言葉に、アルカディアは頭を振った。
「良い・・・!良いのじゃ、爺・・・!こうして、助けに来てくれた・・・!」
アルカディアの歓喜の声に、ヴァルジは優しく微笑んだ。
そんな彼に対して、怒りに塗れた声が掛けられる。
「やって・・・くれるじゃねえか・・・!くそジジイ・・・!!」
ヴァルジを睨み付けながら、先程殴り飛ばされた大男がゆっくりと立ち上がる。一目見れば分かる程に苛立っており、痛みと怒りで息を荒立てていた。
「ほほう。私の一撃を食らって立ち上がれるとは。貴方方も中々侮れませんな」
「たりめえだ、ボケ・・・!この俺の体は、呪術で強化されてんだからよ!」
男の刺青は、その全てが肉体強化の呪術印であった。
呪術印は掛けた者か掛けられた者が死ぬ、または解呪される以外消えることはない。そのため強化魔法とは異なり、いついかなる時でも強靭な力を行使できた。
しかしその代償は大きく、呪術印の数が多くなればなるほど体に掛かる負担が大きくなる。許容量を超えると寿命さえ縮めることになり、そのため『呪い』と称されていた。
「なるほど。では、先程の言葉は撤回させていただきます。苦労して手に入れた訳でもない力――そんな物を振りかざして喜ぶ輩には、勿体ないですからな」
「勝ちゃあいいんだよ!勝ちゃあ!!」
叫ぶと同時に立ち上がり、大男はヴァルジに飛び掛かろうした。
しかし、それを頭領の声が制する。
「待て、ヘドガー」
大男はすぐに動きを止めた。
ヴァルジの攻撃を耐えるような者がそこまでの反応を見せるとは、とアルカディアは驚愕する。
「どういう事だ、ベンゼン?何故、捕らえたはずの爺さんがここにいる?」
そう聞かれたベンゼンは、ヴァルジの顔で焦った様子を見せた。
「わ、分かりません・・・」
ベンゼンは素早く首を横に振る。しかし、それで自分達の頭領が納得しないことを知っていたため、必死になって仮説を立てた。
「も、もしかしたら・・・王国に捕まった『戦刃』の暗殺者が、身代わりに俺達の隠れ家を密告したのかも。――あ、そう言えば・・・!王国の英雄が、皇帝を襲った暗殺者の隠れ家に向かったって聞きましたけど、まさか俺らの方だとは・・・」
ベンゼンの言葉は、聞くからに言い訳であった。
「ベンゼン・・・俺の傍まで来い」
頭領の声は落ち着いたものであったが、言われたベンゼンの顔は怯え切っていた。それでも従わない訳にはいかず、恐る恐る移動する。
「なぜ、言わなかった?」
「え・・・?」
「暗殺者の隠れ家に王国の英雄が向かった事を、だ」
頭領に凄まれ、ベンゼンは生唾をごくりと飲み込む。
定まらない視線を右往左往させた後、観念したように震える声で答えた。
「言わなくても・・・よい情報だと・・・」
ベンゼンがそう答えた瞬間、頭領の左手が彼の首を素早く掴んだ。
余程の力が込められているようで、ヴァルジに化けたベンゼンの顔が見る見るうちに赤くなっていく。
いや、それだけではない。老人の顔が次第に変化していき、似ても似つかない男の顔へと変化していったのだ。
「この役立たずめ・・・!『変化があったら逐一報告しろ』と言った事を忘れるとは!『戦刃』の連中は基本1人で任務をこなす!ならば潜む場所など持たず、拷問から脱するための身代わりとして、俺達の隠れ家の場所を告げる事くらい容易に想像がつくだろうが!」
頭領の言葉は、あまりにも結果ありきなものであった。
しかし、周りの部下達はそれを指摘しない。もしすれば、ベンゼンのような目に遭うのは確実だからである。
首を絞められ続けた男の体は、遂に動かなくなっていた。
それを無造作に放ると、頭領は一度大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。それで冷静さを取り戻し、落ち着いた表情でヴァルジの方へ顔を向けた。
「・・・爺さん・・・悪い事は言わん。大人しくこの部屋から出ていけ。そうすれば、見逃してやろう」
まるで何事もなかったかのように語る頭領の声は、あくまで淡々としたものであった。
ヴァルジが加わったとしても、この状況をどうこうできまいと考えているのだろう。それでも手間は省きたいと考えているようだ。
「それとも、後ろのお姫様を守りつつ戦うか?こちらには人質もいるんだぞ?」
この言葉に、アルカディアは内心ほくそ笑む。
この盗賊達はヴァルジの強さを知らない。今にソーマを救い出し、見事悪漢どもを打ち倒してくれるだろうという期待を持つ。
「確かに、これだけの人数。私1人では、荷が重いかもしれませんな」
しかしヴァルジの口から発せられた言葉は、アルカディアの期待を裏切るものであった。
その不安から、アルカディアはヴァルジの背中を弱々しく見つめる。それを感じ取ったのか、ヴァルジはアルカディアに何でもない風に語り掛けた。
「ですがご安心くだされ、姫様。この私が姫様とソーマ様をお救いする絶対の確信なくして、このような場所に乗り込むはずがございません。実は1人、助っ人を連れて来ております」
ヴァルジの言葉を聞き、盗賊達は辺りに注意を払う。
その様子を見たヴァルジは口の端を僅かに上げると、声高々に叫んだ。
「さあ!お入りください!」
声を張り上げ、ヴァルジは腕を扉の方へ差し向ける。一瞬にして、皆の視線が再び扉へと集まった。
高まる緊張。対立する期待と恐怖。室内を、静寂が支配した。
「・・・・・あん・・・?」
しかし、いくら待っても誰一人として姿を現す気配はない。
「てめえ・・・くそジジイ!誰もいねえじゃ――」
大男がそう言いかけた瞬間、扉とは対角線上に位置するベッド――その近くにある窓ガラスが音を立てて砕けた。
粉々になった窓ガラスが落ちていく方向は室内。つまり、何かが外から侵入してきたのだ。この地上数十mに位置する部屋の窓から、何かが。
「――ぐはあっ!!」
突如現れた侵入者は、すぐさまベッドの近くにいた男の顔面を殴り飛ばすと、ソーマを守るように立ち塞がる。
その人物こそ――。
「素晴らしいですぞ、グレン殿!」
王国の英雄グレン=ウォースタインであった。
「んだ、てめえ!?」
威嚇の声を上げ、刺青の大男はグレンに向かって拳を振るう。
外見からグレンがただ者ではない事を盗賊全員が悟ったが、それで怯むほど彼らもヤワではなかった。すぐに攻撃に移ったのも、それだけ場数をこなしているという証拠である。
グレンは大男を迎撃するために、大太刀を抜こうとした。
「お待ちくだされ、グレン殿!」
しかしヴァルジから制止の声を掛けられ、その動きを止める。執事の声で動きを止めたのは当然グレンだけであり、力の限り振るわれた大男の拳がグレンの顔面を捉えた。
骨の砕ける音が不快に響く。
「ぐあああああああああっ!」
無様な悲鳴を上げたのは、言うまでもなく大男の方である。グレンの顔面を殴った右手の骨が、見るも無残に砕けてしまっていた。
いくら呪術印を刻もうとも骨まで鍛える事はできず、そしていくら肉体を強化しようとも、その攻撃はグレンにとって避けるに値しない。
「どうしました、ヴァルジ殿?」
大男の悲鳴を意に介さず、グレンはヴァルジに問う。
「ここは姫様の御部屋。そこを不届き者達の穢れた血で汚したくはありません。できれば、刃物は使わないでいただきたい」
この言葉に、グレンは動揺する。
「でしたら、窓ガラスを割ったのはまずかったですか?」
「ああ、それでしたら問題ありません。必要経費というやつです」
2人の余裕に満ち溢れた会話を聞かされ、盗賊達は烈火の如く怒り狂った。
「なに余裕ぶっこいてんだ、てめえら!」
ソーマを奪おうと、1人の盗賊がグレンに迫る。その手には剣が握られていた。
グレンはそれを容易く左手で掴むと、男の顔面に右拳を叩き込む。その一撃はヴァルジでさえも完全に捉える事ができないほどに素早く、かつ圧倒的なまでの威力を誇っていた。
男は糸が切れた操り人形のように床に倒れ伏す。
しかし、その男は囮であった。痩せ細った男がいつの間にか、グレンの背後に回っていたのだ。
男の手には短刀が握られている。この短刀は魔法道具ではないため、グレンを倒すには不十分な武器であると思われた。しかし、その切っ先には毒が塗られている。
痩せ細った男は常日頃から「人を殺すのに魔法道具など不要。毒が一滴あればいい」と考えており、今それをグレンに向かって実践しようとしていた。
(殺った!)
すでにグレンを殺した気でいる男に向かって、グレンは後ろ回し蹴りを放つ。
左足を軸に猛烈な勢いで回転。距離が近かったため足を曲げたままの蹴りではあったが、短刀を握る男の右手に凄まじい威力の蹴りが繰り出された。
「ぎゃあああああああああ!」
直撃を受けた男の右手はぐにゃぐにゃになっており、腕の骨までも折れてしまっている。あまりの激痛にのた打ち回る男に向かって、グレンは止めを刺そうと詰め寄った。
それを目にした男は被害のない左手をグレンにかざすと、
「ま、待って!待ってくれ!右手が!ほら、右手が!」
と無意味な主張をしてくる。
「・・・お前は、俺の国の学生にも劣るな」
グレンの蹴りを――直接ではないが――食らっても戦意を失わなかったトモエと比べて、グレンはそう言って相手を見下ろす。同時に男の顔面に強烈な右拳を叩き込んだ。
こんな男との比較対象にしてしまったトモエに心の中で詫びを入れつつ、グレンはアルカディアとヴァルジの現状を把握しようと視線を巡らせる。
見れば、ヴァルジもすでに2人の盗賊を打ち倒していた。今は3人目と対峙している所だ。
負けられないな、と思ったグレンは、未だ右手を抑え痛がっている刺青の大男の顔面に向かって蹴りを放った。
大男が膝を付いていたこともあってか、丁度良い高さに顔があり、グレンの蹴りはものの見事に綺麗に決まる。蹴りの衝撃で後頭部を床に強く打ち付けた大男の顔面は、グレンの足の形にくっきりと凹んでしまっていた。
(これは少々やり過ぎたか・・・?)
と思ったグレンであったが、1人くらいなら、と考えを改める。
他に残っている敵を探そうとしたが、残りは軽薄そうな女だけであった。
その者には、アルカディアが対峙している。
「泣き虫嬢ちゃんは引っ込んでな!」
叫ぶ女の両手には、何の変哲もない短剣が握られていた。
アルカディアはそれらを紙一重で躱していくが、女の攻撃は止まず、次々に攻撃を繰り出してくる。
どうやら手数で勝負する剣士であるようだ。
「ほらほらー!いつまで避けられるかなー!?」
一向に当たる気配のない自分の攻撃に焦りを覚えながらも、女はそう声を上げて相手を威嚇した。
しかし、アルカディアの心は落ち着いている。
今、自分は1人ではない。ならば、自分と共に戦ってくれている者に誇れる戦いをしよう。
アルカディアの頭の中は、その考えで一杯だった。
「ほら・・・!ほら・・・!」
絶えず攻撃を続けてきた女が早々に息を切らす。
鍛錬不足だな、とアルカディアは笑みを零した。
そして女が繰り出してきた左の突きを左手で流すと、その肘に右の掌底を叩き込む。骨の折れる音とともに、女の腕が曲がってはいけない方向へ曲がった。
「・・・・・・・・あれ?」
あまりの痛みを脳が遮断したのか、女は戸惑いの声を上げるだけであった。
しかし、その顔色は悪い。自分の腕の状態を理解しかけているのだ。
「い――!」
女が叫び声を上げようとした瞬間、アルカディアはその足を後ろから払った。そして背中から落ちる女の鼻先に左手の掌底を合わせ、床に向かって思いっきり叩き付ける。
どん、と部屋が震えた。
一呼吸置いた後、アルカディアはゆっくりと立ち上がる。手をどけた女の顔は、見るも無残に歪んでいた。
「すまぬな。貴様ら全員への怒りを、おぬしだけにぶつけてしまったようじゃ」
女を見下ろすアルカディアの目は冷たく、その謝罪が本心からではない事を悠然と物語っていた。しかし、それを責める者は誰一人としていない。
「お見事です、皇帝陛下」
彼女の戦いぶりを見ていたグレンが賞賛の言葉を掛ける。
アルカディアはグレンに近づいて行き、
「グレン殿・・・助けてもらい、誠に感謝する」
と感謝の言葉を述べた。
続いて、3人目の盗賊を仕留めたヴァルジに向かって、
「爺もよくぞ来てくれた。お前ほどの忠義者、余には過ぎたるものであると心の底から思うぞ」
と称賛の言葉を掛ける。
しかし、ヴァルジはいい顔をしない。むしろ、少し慌てていた。
「おかしい・・・。先ほどまで椅子に座っていた男と・・・その近くにいた女がいません」
その言葉を聞き、アルカディアは床に転がっている盗賊の数を数えてみる。
偽ヴァルジを加えて、盗賊は11人いた。しかし、今ここには9人の盗賊が倒れ伏しているのみ。
「もしや、先ほどの戦闘中に逃げ出したのか・・・?」
ヴァルジとアルカディアは扉の近くで戦闘を行っていた。
それにも関わらず2人も見逃がすとは、と執事は悔しさを露わにする。
「おそらくまだ逃げ切ってはいないでしょう。私が先に行って、残りの2人を捕らえておきます」
そう言うと、グレンは窓に向かって進み出した。
「グレン殿、もしや窓から外に降りるつもりで!?」
グレンの突飛な行動に、ヴァルジが驚きの声を上げる。
まさか、とアルカディアは執事に視線を向けた。城壁を登ってここまで来たのだから降りる事も出来るだろうが、最早そんな危険を冒す意味はないのだ。
それでも、グレンは肯定するように頷く。
「ええ、その方が早いので。ですが、城の中は広い。どこかに隠れている可能性もあるので、気を付けてください」
いや気を付けるのはお前の方だろ、と2人揃って心の中で叫んだが、グレンは躊躇いもなく窓から外に飛び出した。
そして、2人の前から姿を消す。
しばらく呆然と立ち尽くしていたアルカディアとヴァルジであったが、
「とりあえず・・・我らも行くとしましょうか、姫様・・・」
「う、うむ・・・」
と、なんとか気を取り直した。
念のため気絶したままのソーマをヴァルジが背負い、グレン同様逃げた2人の後を追う。
地面に足跡を刻む程の衝撃音を立てて、グレンは地上に着地した。流石に何回かに分けて城壁を下ったのだが、それでも最後の跳躍は10mを優に超えていた。
その音に驚いたのか、女の悲鳴を耳にする。
グレンは声のした方へ顔を向けるが、誰の姿も見当たらなかった。灯された照明や松明が辺りを照らしているが、それでも何も見えない。
しかし、グレンにはそこに2人分の気配が存在するのがありありと分かった。
「姿を隠しているようだな。珍しい魔法を使うものだ」
それとも魔法道具か、とグレンは思ったが、どちらにしても同じ事。見つけたからには、絶対に逃がさない。
気迫を伴った視線を受け、観念したとばかりに男と女が姿を現す。
ここはすでに皇帝の私部屋ではないため、グレンは遠慮なく大太刀を抜き放った。
しかし、2人は戦闘態勢を取らない。どうした、とグレンは訝しむ。
そんな彼に向かって、男はこう言葉を返した。
「魔法ではない。『魔術』だ」
その台詞によって、グレンは男達の出自を理解する。
「その言い様、お前らはサリーメイアの手の者か」
サリーメイア魔国とは、フォートレス王国の南に位置する国の事である。
魔国は他の国とは異なり、『魔術』という魔力体系を確立していた。フォートレス王国などの魔法使いは魔法を発動させる際に魔法名のみを唱えるが、魔術は呪文を唱えて発動させる。
どちらが優れているかと問われれば、魔国の人間は魔術と言い、それ以外の国は魔法と答えるだろう。要は、それぐらいの違いしかない。
しかし、サリーメイア魔国の者は魔術に絶対の自信を持っている。
それ故、魔国の人間は自分達の事を『魔法使い』ではなく『魔術師』と呼んだ。そして、サリーメイア魔国の人間は、そのほとんどが魔術師である。
フォートレス王国との戦争では、魔術による火力の高さと射程の長さから序盤は圧倒できるが、距離が狭まるにつれ劣勢になっていき、ついには敗北を喫するという事を何度も繰り返していた。
それでも魔術師以外を育てる気はない。
そのせいで、サリーメイア魔国はグレンという相性最悪な相手と出会う事となる。グレンと相対した魔国軍は、一気に距離を詰められ、あっという間に切り伏せられてしまうのだ。
何度か起こった小競り合いにおいて大敗北を喫してからは、グレンへの恐怖を理由にフォートレス王国へ手を出してはいない。平和条約締結もすんなりと受け入れた。
しかし、目の前の男はそれなりに格闘術も学んでいるように見受けられる。彼の鍛え抜かれた肉体が、そう物語っていた。
サリーメイア魔国も気が変わったか、とグレンは考えたが、続く男の言葉にその考えを捨てる。
「手の者、というのは少し違うな。確かに、俺とこの女はサリーメイアの出だ。しかし、俺の盗賊ギルド『国落とし』は様々な国からのはみ出し者で構成されている。別に母国のために活動している訳ではない」
なるほど、とグレンは思った。
ただそれは、この者達が盗賊ギルドである事を知らなかったために生まれた納得であり、それ以上の意味はない。
そのため現状に変化はなく、グレンは大太刀を男に向ける。
「待て。話をしようじゃないか。王国の英雄よ」
先程ヴァルジがグレンの名前を言ったためだろう。
彼の正体を悟った男が、グレンを英雄と呼んだ。
「――話?」
「そうだ。お前たち王国側にも悪い話ではない」
そう言うと、男はにやりと笑う。
「俺は今、この国を奪おうとしている。お前が邪魔さえしなければ、確実にそうなるだろう。そしてこの国が俺の物となった暁には、帝国は王国に対して永遠の忠誠を誓うと約束しよう。物資、宝物、女。王国の欲しい物全てを捧げる。勿論、お前にもだ」
男の発言は明らかに偽りであった。
しかしグレンは――いや、だからこそグレンは呆れたように首を横に振る。
「何の話かと思えば・・・くだらない。そのような話を俺にしても無意味だ。俺は単なる勇士。ここには、ヴァルジ殿に依頼されて来たに過ぎない」
このような非常事態だ。無論、依頼を受けずとも行動を起こしただろう。
しかし、グレンは男の提案を切り捨てるために敢えてそう言った。
「そうか・・・。ならば、仕方がない。貴様にはここで死んでもらう」
「奇遇だな。俺もつい先程、お前をそうしようと思った所だ」
男の言葉にグレンは非情な一言を返し、大太刀を構える。
その様子を見ながら、男は再びにやりと笑った。
「馬鹿が・・・!俺がただ逃げるためだけに城の外に出たと思っているのか!?」
そう、彼は盗賊ギルドの頭領なのだ。
そして、アルカディアの部屋にいた者達はその幹部。あの人数だけで全てであるはずがない。
彼にはまだ100人にも上る部下がおり、城の周りで待機させていたのだ。非常事態が起こっても対処できるように、アルカディアに逃げられても即座に捕まえられるように。
そして今は、前者に直面している。
ならば、と男は息を吸い込み、叫んだ。
「出て来い、てめえら!」
男の声は、しんと静まり返った夜によく響いた。
しかし、それに答える声はない。
「何してやがる!さっさと出てこい!」
まさかグレンに恐れをなして隠れているのか。
男は苛立ちを覚え、女に詰め寄った。
「おい!どうなってやがる!?」
「わ、私に聞かれても・・・!」
女はびくびくとしながら答えるが、男の怒りはそれでは収まらない。
「ここには部下を待機させていただろうが!」
その言葉には、グレンが答えた。
「なんだ、彼らはお前の仲間だったのか。俺とヴァルジ殿が城に入ろうとしたら邪魔をしてきたため全員気絶させたが、殺してしまっても構わなかったな」
その時は不思議に思いながらも戦ったが、これで合点がいったとグレンは納得する。
しかし、目の前の男はその事実に憤慨した。
「ふ、ふざけるんじゃねえ!100人規模の連中だ!それを貴様とあのジジイとで全滅させただと!?俺達に気付かれもせずにか!?」
100人との戦闘であれば、いやがおうにも物音がするはずだ。
地上数十mにある部屋で会話をしていたとは言え、百戦錬磨の自分達が気づかない訳がない。男はそう考えた。
「現に誰も来ないだろう」
それが答えだ、とグレンは突きつける。そして、そろそろ会話と男の命を終わらせようと動き出した。
今回の件を引き起こした連中には色々と聞かなければいけない事があるが、それは何も目の前のうるさい男でなくとも良いのだ。
「くっそ・・・が・・・!」
男は吐き捨てるようにそう言うと、覚悟を決めたかのようにグレンを睨んだ。
「いいだろう・・・!やってやる・・・!ここで貴様を殺し、あのクソ女も殺し、俺が王国と帝国を支配してやるよ!」
自暴自棄となった男は、支離滅裂にそう叫ぶ。
当然、グレンはそれを聞き流した。しかし、その場には彼以外の者もおり、男の無礼な発言に怒りを露わにする。
「今の言葉、聞き捨てなりませんな!」
声のした方を向くと、ソーマを背負ったヴァルジがアルカディアと共にこちらに向かって歩いて来るのが見えた。
すぐ傍まで辿り着いたヴァルジはソーマをグレンに託すと、盗賊の男を睨み付ける。
「先程の姫様への侮蔑の言葉、取り消していただきましょう!」
男は「はっ!」と笑うと、大仰な仕草を取る。
「いいぜ、取り消してやる!では、他になんと呼ぼうか!?泣き虫女か!?胸なし女か!?」
アルカディアは自身に向けられた罵詈雑言に腹を立てるよりも、先程まで冷静な言動を取っていた男の変わりように驚いていた。
自分達がここに来るまでの間にグレンがそこまで追い詰めたのだろうか、と王国の英雄の横顔を見る。
「貴様は・・・私が滅する・・・!」
そんな彼女とは異なり、ヴァルジは己の主へ向けられた罵りの言葉に怒りを露わにした。その怒気は凄まじく、グレンでさえも目を見張るものがある。
「爺・・・!」
アルカディアの呼びかけにヴァルジはゆっくりと振り返る。
その顔は、別人のように穏やかな表情であった。
「姫様、いつぞやの約束を覚えておいででしょうか?」
その声も男に発せられた物とは異なり、優しさに満ち溢れている。
アルカディアは、いつもの雰囲気に戻った執事の言葉に頷いた。
「ああ、覚えておるぞ・・・。しかし、お前とは多くの事を約束したからな・・・。どれを指しているのやら・・・」
戸惑いながらも聞いたアルカディアの疑問に、ヴァルジは答えない。
それでも再び男に向き直ると、こう言った。
「あの時、私は最後にこう申し上げました。『もし約束を違えた時は、この命で償う』と・・・!そして、今がその時なのです!」
ヴァルジの発言にアルカディアの顔が悲しみに染まる。
「何を言っておる、爺!?あやつがそれほどの強者なのか!?ならば、グレン殿に任せれば良いではないか!?」
そう、ここには王国最強の英雄グレンがいる。
何も、ヴァルジが命を賭けて戦う必要はない。
「いいえ、姫様!これは私が付けなければいけないケジメなのです!」
叫ぶヴァルジの右拳が、眩いばかりに光り輝く。
それは、夜に映える美しいまでの黄金色であった。
「そ、その技は・・・!もしや・・・あれを使うつもりか・・・?」
ヴァルジが体得した格闘術は己の体内にある気力と魔力を自在に操り、肉体を著しく強化させるものである。それと同様のものをアルカディアも身に付けているが、ヴァルジとは練度が違った。
アルカディアには視覚的に捉えられる程の力を生み出す事は出来ないのだ。人の骨を容易く粉砕する事が出来るアルカディアでさえもだ。
つまり今、ヴァルジの右拳にはそれ程の力が集まっていた。
その技はヴァルジの究極にして最大最後の奥義――名を『極死拳』と言った。
「やめよ、爺!その技は、お前の命を・・・!」
アルカディアはかつて、ヴァルジから『極死拳』について話を聞かされた事がある。
曰く、己の中の気力や魔力だけでなく、生命力をも相手に叩き込む黄金の技。
そんな事をすれば死んでしまうのではないか、というアルカディアの問いに、ヴァルジは悲しい笑顔を見せるだけで答えてはくれなかった。
しかし今、その答えを教えようと言うのだ。
「やめよ・・・!やめよ・・・!爺・・・!」
アルカディアは必死に叫びながら、ヴァルジを止めようとその手を伸ばす。
しかし、凄まじい力の奔流に押され、すぐ近くにいるにも関わらず触れる事すら出来ない。
「グレン殿!頼む!爺を止めてくれ!」
自分では無理でもグレンならば、とアルカディアは声を上げる。
しかし、グレンは動かない。全てを投げ打って主に忠誠を示す戦士の姿を、その目に焼き付けていた。
「見ていてくだされ、姫様!このヴァルジ、一世一代忠義の拳を!」
ヴァルジは拳を構える。
その姿に呼応するように、男も構えた。
「話は終わったか?」
先程まで乱心していた男の顔には余裕が戻っている。
実はこの時、男は自身に強化魔術をいくつも施した後だった。ヴァルジが拳に力を溜めている間、男は密かにそれを行っていたのだ。
単に会話が終わるのを待っていた訳ではなかったのである。肉体を強化したせいか、今ならばグレンにも勝てると本気で考えていた。
そんな男の問いかけに答えず、ヴァルジは息を大きく吸い込み、叫ぶ。
「我が名は、ヴァルジ=ボーダン!勇猛なる武国の戦士にして、アルカディア姫皇帝陛下の忠実なる執事!我が信念は、『義に生き、武を通じて、勇に死す』!いざ、覚悟せい!」
ヴァルジは武国の者特有の名乗りを上げる。
ヴォアグニック武国の戦士は『義と武と勇』を重んじ、決死の戦いの際にはそれらを使った各々の生き様を謳う事を常としていた。
それを受けて、男は笑う。
「謳うか、ジジイ!ならば良かろう!俺の名はジャン――」
「――聞きたくもない・・・!」
声は、男のすぐ近くから発せられた。
ヴァルジはすでに、その懐にまで到達していたのだ。
(速い!)
その速度はグレンでさえも驚きを隠せない程。おそらく今まで彼が出会ってきた者の中で一番の速さであるだろう。
その速度に驚愕できたのも、グレンだけであった。
そして一瞬の間も置かず、黄金の拳が光の速度で男の体に打ち込まれる。打撃音を置き去りにしたその一撃は、男の体に深々とめり込んだ。
そしてそのまま、互いに全く動かなくなる。
「爺・・・?」
どうなったのか分からないアルカディアは、執事の下へと駆け寄ろうとした。
しかし次の瞬間、『極死拳』を食らった男の全身から黄金色の光が溢れ出した。放出される力が体をびくびくと震わせ、それが頂点にまで達した瞬間、男の体が勢いよく後方へと弾け飛ぶ。
その体は城を囲む壁を突き破り、遠く遠く彼方まで飛ばされていった。もはや生きてはいまい。
「がはっ・・・!」
それを見届けたヴァルジは、力尽きたように倒れ伏した。
「爺!!!」
アルカディアは急いでヴァルジのもとへと駆け寄り、その体を抱き抱える。
「爺!この馬鹿者!なぜ余の言う事を聞かなかった!?」
ヴァルジの顔を覗き込むアルカディアの顔は、悲しみに満ちていた。
「申し訳ございません、姫様・・・。これが・・・武国の者の・・・不器用な所でして・・・」
謝罪の言葉を口にするヴァルジの声は弱々しい。
その命が尽きかけているようにアルカディアには感じられた。
「誰か・・・、誰か・・・爺を救え・・・!グレン殿・・・!グレン殿・・・!!」
悲痛な声がグレンを呼び、涙に濡れた瞳が懇願してくる。
しかし、2人に近づきながらもグレンは首を横に振った。今、グレンは『英雄の咆哮』を身に付けていない。加えて、回復薬も持ち合わせてはいなかった。ヴァルジを癒す手段は何もない。
もしやと思い、盗賊の女に視線を送る。吹き飛ばされた男の近くに立っていた女は、必然2人のすぐ傍に立ち尽くしていた。
グレンの視線に気づいた女は、慌てたように首を横に振る。
「わ、私・・・幻術しか・・・使えないから・・・!」
つまりはこの女が仲間をヴァルジの姿に変え、姿を消す魔術を使用していた魔術師であったのだ。しかし、幻術というものに興味がないグレンにとってはどうでもいいことであり、回復魔法を使えないのならば用はないと女から視線を外す。
「良いのです・・・姫様・・・。これも・・・全て私の責任・・・。甘んじて・・・受け入れます・・・」
「な、何を言っておるのじゃ!?お前に責任など、あろうはずもない!」
アルカディアの言葉にヴァルジは首を横に振る。しかし、その動きは小さく、つい先程まで賊と戦いを繰り広げていた者の動きには見えなかった。
「あの時、姫様と別れた後・・・私は奴らに捕まりました・・・。油断・・・していたのでしょうな・・・。王国の都が・・・あまりに素晴らしく・・・そして姫様が・・・楽しく笑うのが・・・あまりに嬉しくて・・・」
勇士管理局でアルカディアと別れ、1人準備をしている時にヴァルジは『国落とし』の者達に襲われた。帝都を離れてからずっと、監視をされていたようだ。
ヴァルジが襲われた場所もアルカディアと同じくあの通りであり、目撃者は誰もいなかった。
咄嗟の出来事にも関わらず数名を撃退して見せたヴァルジであったが、ついには気絶させられ、『国落とし』の隠れ家に捕らわれてしまう。
そしてヴァルジに似た背丈のベンゼンという男が彼に化け、ここまでアルカディアを引き連れて来た。ずっと寄り添ってきた執事に裏切られたと思わせる事で、アルカディアの心を砕こうと考え付いたのだ。
「ならば、やはり余の責任じゃ・・・。こんなにも・・・ボロボロになって・・・」
アルカディアはヴァルジの全身を見る。
体こそ戦いを経てもなお傷一つないが、服が所々破れていた。これはアルカディアを助けに駆け付けた時にはすでにそうなっており、さらに言えば『国落とし』の隠れ家でアルカディアの魔法道具について尋問を受けたせいである。
しかし、ヴァルジは何一つ答えることなくそれに耐えた。
黙るヴァルジに過熱した暴力が何度も振るわれたが、それでも口は閉ざしたままであった。それゆえグレンがヴァルジを発見した時には、服だけでなく体までもがボロボロの状態になっており、すぐにポポルに癒してもらったのだ。
そして、ポポルが生き残らせた男達から今回の計画を聞き、急ぎグレンと共にここまで駆け付けたという事である。
「私のことなど・・・どうでも良いのです・・・。姫様が・・・ご無事・・・ただそれだけが・・・」
ヴァルジは最後まで言い切る事ができなかった。声も先程よりさらに弱々しいものとなり、時折咳き込む仕草も見える。
「爺!」
最早、目も霞んでいるのだろう。
虚ろな目をしたヴァルジは、己の主を求めるようにその手を伸ばす。アルカディアは執事の手を優しく掴むと、それを自分の頬へと寄せた。
「ああ・・・アルカディア・・・。私の・・・愛しい・・・娘よ・・・」
先刻、アルカディアはヴァルジの高尾を家族のように想っていると言った。偽物には否定されたが、本物のヴァルジもまた、アルカディアを娘のように想っていたのだ。
その言葉に、アルカディアは喜びとともに悲しみを覚える。愛し愛される家族の1人が、今まさに死に絶えようとしているのだ。
「死ぬな・・・!死なんでくれ・・・爺・・・!」
大粒の涙がアルカディアの頬を伝う。手を濡らす感触から、ヴァルジはアルカディアの状態を悟った。
「姫様・・・泣かないでください・・・。私は・・・姫様の笑顔が・・・好きで・・・ございます」
アルカディアの涙は止まらない。止められるものではないのだ。
「ならば、生きよ・・・!生きて余の傍に仕えるのじゃ・・・!」
その声にヴァルジは優しく微笑むと、大きく息を吸う。
そして目を閉じると、そのまま動かなくなってしまった。
「爺・・・?爺・・・!?」
アルカディアはヴァルジの体を揺さぶる。それでもヴァルジが目を開けることはなく、それが何を意味するのかをアルカディアは察してしまった。
「いやじゃ・・・!いやじゃ!うあああああああああ!」
ヴァルジの胸に顔を伏せ、大声で泣く。
その慟哭は聞く者全ての胸を痛め、夜の闇に溶けていった。
短い時が流れ、そして静寂が訪れた。
今まで黙って2人を見守っていたグレンも、さすがに可哀想だと思い、声を掛ける。
「それくらいにして差し上げたらどうですか?――ヴァルジ殿」
「・・・・・・・・・・ぶぇ?」
酷く掠れた声でアルカディアは戸惑いの声を上げる。
グレンは今、ヴァルジの名を呼んだ。死んだはずのヴァルジの名を呼んだのだ。
ただの嫌がらせか。いや王国の英雄がそのような事をするはずがない。
ならば、とアルカディアは体を起こし、ヴァルジの顔を涙目で見つめる。すると、固く閉ざされていたヴァルジの片目がぱちりと開いた。
「おや、グレン殿には気付かれておりましたか」
その声は先程まで発せられていた弱々しいものとは打って変わって陽気であり、いつもアルカディアを揶揄う時のものと同じであった。
「それだけ生き生きとした気配を発せられれば、嫌でも気付きます」
グレンはヴァルジが倒れ伏してからずっと、それが演技である事に気が付いていた。
ヴァルジから発せられる気配が、決して死に行く者のものではなかったからである。というか、死ぬ寸前の人間があれだけ長い時間喋られる訳がない。
「ほっほっほっ。まだまだ、若いということですかな?」
グレンの言葉に笑い声を上げつつ、ついにヴァルジは両目を開けた。
そして、わなわなと震えるアルカディアの姿を捉える。
「おや?どうかなさいましたかな、姫様?」
当然ヴァルジはその理由に気づいていた。
そして、その言葉に対してアルカディアが返す台詞も、大体予想付いている。
「ど・・・・」
「ど?」
「――どうかなさいましたかな、ではないわ!!!余がどれほど心配したと思っておる!?」
アルカディアの涙はすでに枯れ、その眼には怒りの炎が灯っている。
「先の会話全て、演技と申すか!?だとしたら、お前はとんだ名優じゃ!今すぐ余の執事を辞めて、劇団にでも入るがいい!!」
そう叫び散らしたアルカディアは最後に「ふんっ!」と言うと、顔をそっぽ向かせた。
しかし、その腕は未だヴァルジを抱きかかえたままだ。
「申し訳ございません、姫様。ですが・・・」
アルカディアの横顔に向けて、ヴァルジが呟く。
顔を向ける事はなかったが、アルカディアは続く言葉に意識を集中させていた。
「――ですが、先ほど申し上げた言葉は全て真実でございますよ」
それが聞きたかったのか、アルカディアは顔を赤く染めると、
「ふ、ふんっ!ならば、良い!」
と言った。
それを受けて、ヴァルジは呟く。
「しかし・・・、これで一件落着ですな・・・」
ヴァルジは微笑み、それを見たアルカディアも笑みを浮かべた。
「そうじゃな・・・」
「そう・・・、それでございます」
突然の台詞に、アルカディアは首を傾げる。
「私は、姫様のその笑顔が好きなんです」
アルカディアはそれを聞いて恥ずかしそうにしていたが、再びにこりと笑った。
「ならば、あのような真似はもうよせ。余のために命を懸けるなど、二度としてくれるな」
アルカディアは、『極死拳』を放つ事は命を犠牲にすることだと考えている。しかし、実はそんな事はなく、ヴァルジがその事を明言しなかったのはアルカディアを揶揄いたいがためであった。
それ以前に、命を懸けて技を繰り出すなど愚の骨頂だとヴァルジは考えている。大切な者を守れても、結果その者を悲しませるだけなのだから。
「それは約束できません。姫様の危機とあらば、このヴァルジ、命を懸けてお救いいたします」
しかし、ヴァルジはそう答えた。
その者を悲しませてでも守りたい存在、それがアルカディアなのだ。
「そうか・・・。ならば、もう二度と・・・このような事態が起こらないようにしなければな・・・」
そう言って、アルカディアはヴァルジに立つよう促し、自身も立ち上がった。
そしてグレンの方へ顔を向け、口を開く。
「グレン殿、急な話で申し訳ないが・・・そなた、帝国に住みつく気はないか?」
「え・・・!?」
本当に急な話であったため、グレンは驚きの声を上げた。
「・・・それはまた、何故です?」
いきなり断るのもなんだと思い、一応理由を尋ねてみる。
「今回の件で分かる通り、帝国は犯罪者の巣窟となっておる。これからも、このような事が起こるやもしれん。そなたが居てくれれば、それに対処でき、抑制する事も出来るじゃろう。この国を助けて欲しいのじゃ」
アルカディアの願い、それは聞き入れてあげたいほどに儚く、そして美しいものだった。国を纏め上げるにはまだ若い彼女に強大な戦力が1つあるだけで、どれだけの助けになるであろう。
グレンもそれは理解できた。
しかし――。
「それは・・・できません・・・」
アルカディアの願いをグレンは拒否する。
意外な返事ではなかったのか、アルカディアの表情は変わらなかった。
「なぜじゃ?そなた、本当は王国に忠誠心など持っておらんのじゃろう?でなければ、ティリオン国王にあのような殺気を放つ訳がない」
アルカディアはティリオンとの会見時に、グレンが彼に殺気を浴びせた事に気付いていた。それ故このような言葉を投げ掛けたのだが、そこには問い詰めようなどという意思は全くなかった。
「いえ・・・!私は王国に・・・ティリオン国王に忠誠を誓っています・・・!」
それはその場凌ぎの言葉ではなく、本心から来たものであった。
かつてグレンは、貧しさから両親を亡くした事で国を恨んだこともあった。どうして助けてくれなかったのだ、と怒りを募らせた。
そして兵士になって後、ティリオンとの謁見の際にその感情をぶちまけた事があった。
その時に国王は、
『すまねえ。俺は国の事ばかりを考えて、民の事を蔑ろにしていたようだ』
と言って、一般市民でしかないグレンに頭を下げてきたのだ。
それは強大な戦力であるグレンのご機嫌取りをしたかっただけなのかもしれない。当時のグレンも似たようなことを考えた。
しかし、ティリオンと交流を重ねる内に、その謝罪が真のものであると気付かされた。
そして、ついには貧困者の救済を目的とした法律が作られ、今ではフォートレス王国に飢えで苦しむ者は唯の1人も存在しなくなっている。
その心意気にグレンは惚れた。
故に王国のため、国王のため、その身を賭して戦っているのだ。
「そうか・・・」
グレンの過去を知った訳ではないが、アルカディアはそう言って納得した。
元よりすんなりと聞き入れてもらえるとは思っていない。そのためにあのような作戦まで立てたのだから。
「ならば、グレン殿。王国に帰られる前に、1つ頼み事を聞いて欲しい」
何だ、とグレンは考えたが口には出さず、黙ってアルカディアの言葉を待つ。
そんな彼に向かって、皇帝はこう告げた。
「余を抱いてゆけ」
あまりにも予想外な一言に、グレンの思考は完全に停止しかける。
仕える君主のとんでもない発言を聞き、ヴァルジも目を見開いた。
「な、何を・・・仰っているんですか・・・?」
混乱する頭を落ち着かせ、グレンはなんとかそう返す。
「そなたの血筋だけでいい。この国に残していってはもらえないだろうか。何年か後、帝国にもそなたのような英雄が生まれるように」
アルカディアの言葉は国の事を想ってのものであった。
ただ、自分とグレンの事を想ってはいないようであったが。
(ど・・・どいつも、こいつも・・・人を種馬のように・・・!)
グレンは呆れと怒りが混じり合った感情を覚えた。
「駄目か?」
黙ったままのグレンに向かって、アルカディアが問う。
「当然です・・・!」
相手が皇帝陛下でなかったら窓ガラスを壊す程の大声を出していたであろうが、グレンは静かにそう答えた。
「なぜじゃ?今更守るような貞操もあるまい?」
確かにグレンはすでに女性経験を済ませている。
それはかつて若さから来る情欲を抑えきれず、兵士の野営地にやって来た娼婦を抱いた事があるためだ。その時のグレンの行為は数時間にも及び、当時の兵士の間で伝説になった程である。
英雄として担ぎ上げられてからは、皆その事について黙っていてくれているが、旧知の間柄だけしかいない場では必ずと言っていいほど笑いの種にされていた。
ちなみに、グレンが抱いた娼婦は戦争に巻き込まれ、すでに死んでいる。
「そういう問題では――」
「やはり、エクセか?」
突然の一言に、言いかけた台詞が止まる。
「なぜ・・・そこでエクセ君が・・・?」
アルカディアは小さく笑うと、こう返した。
「隠さずとも良い。そなたはエクセのことを愛しておるのだろう?」
それはまだ、グレンの中で答えの出ていない問いであった。
エクセの事を娘のように愛していると聞かれれば頷くことも出来たが、女として愛しているかは何とも言えない。
そのため、グレンは押し黙ってしまう。
「やはりそうか・・・」
そんなグレンの様子を、アルカディアは肯定と受け取る。
「エクセは魅力的じゃからな。おそらく、毎晩のようにあの体を貪っておるのじゃろう?」
しかし、続く言葉に対しては黙っている訳にはいかなかった。
「ば、馬鹿を言うな!」
あまりの発言に礼儀も忘れ、グレンは吠える。
「隠さずともよい。余を抱けないのも、エクセの体を味わっているからであろう?余はあの娘に比べて、少々見劣りする体をしているからな」
少々ではない事はエクセを知る者であれば誰もが理解できるが、そこに触れてはいけない。
「さっきから『貪る』だの、『味わう』だの・・・!表現を慎んでくれ・・・!」
「細かい男じゃのう・・・」
グレンの苦言にアルカディアが愚痴を零す。
「まあ、よい。余の言いたいことはそうではない。時には余のような娘を抱くことも英雄には必要だ、ということじゃ。それに余は生娘じゃぞ。ずっと城に引き籠っておったからな」
胸に手を当て、自慢げにアルカディアは語る。
堪らず、グレンは小さく溜め息を吐いた。
「なぜ・・・英雄にそのような事が必要だと・・・?」
呆れを多分に含んだ質問に対し、アルカディアは声高らかに答える。
「言うじゃろう、『英雄よく色を好む』とな!」
つまりは、自分を抱くのが英雄といて当然、と言いたいようだ。
どうあがいても、グレンの血筋を受け継ぎたいらしい。
「皇帝陛下・・・さすがの私でも、そのような言葉がない事くらい分かります」
グレンは教養がない。そのため知らない習慣や言葉が多く、その真偽を常に自分が好ましいか好ましくないかで判断してきた。
ことその判断において、他人の意見を取り入れることはない。グレンとて、いい大人なのだ。そう易々と口車に乗ってやるつもりはなかった。
しかし、アルカディアは真実を語っていた。
「う、嘘ではない!本当にそのような言葉があるのじゃ!のう、爺?」
「え?そ、そうでございますな・・・」
突然話を振られ、ヴァルジは戸惑っているようであった。
「最近、年のせいか物忘れが激しくて・・・。そのような言葉、あったでしょうか・・・?」
ヴァルジはそう言ったが、本当は知っていた。
ただ、これはアルカディアを困らせるための行動ではなく、今回の事で彼女に対する親心が強くなったせいか、グレンにアルカディアをやりたくないと思い始めたのだ。
娘を嫁がせたくない、という心境である。
「な、なにを言うか、爺!本当じゃぞ、グレン殿!本当にそのような言葉はあるのじゃ!」
「・・・分かりました。そういう事にしておきましょう」
グレンの渋々といった感じの言葉に、アルカディアは頬を膨らませる。ポポルを真似たのだろうか。
「ですが、私のことは諦めてください」
明確な拒否を受けても、アルカディアは何も答えなかった。
しかし、その顔は暗く沈んでいる。
「だが・・・ならば、帝国はどうすればいい?戦力もなく、財源もなく・・・どのようにして国を守っていけば良いと言うのじゃ・・・?」
一番手っ取り早い手段がグレンを取り込む事であったのだが、その実現はすぐには無理そうであった。国の指導者としてあるまじき行為であったが、アルカディアは他国の者であるグレンに教えを請う。
グレンも帝国の惨状を引き起こした張本人であるため、彼なりに一生懸命考えてみた。
「魔法道具・・・」
そして帝国に関してほとんど唯一と言って良いほどの知識を捻り出す。
「魔法道具が・・・あるではないですか・・・。――そうです、帝国は高い技術開発力を持っているはず。それを生かして素晴らしい魔法道具を開発し、他国に売ればいい」
当然、似たような事はすでにしていた。
しかし大規模戦争がない今、その売り上げはあまり芳しいとは言えない。
「無理じゃ。王国との戦争がない平和な今、帝国の魔法道具を買ってくれる国は少ない。それとも、王国は戦力増強でもするのか?」
そう言われたグレンは再び頭を働かせる。そして、1つの考えを構築した。
それは以前、ある人物に言われた言葉から生まれた結論。その言葉に感銘を受けていたグレンは、すぐにそれを思い浮かべる事が出来たのだ。
「そうではありません、皇帝陛下。平和になった今だからこそ、戦うための魔法道具ではなく、生活のための魔法道具を作るんです」
その言葉が意外なものだったのか、アルカディアは眉間に皺を寄せる。
「生活のため、じゃと・・・?」
グレンは大きく頷いた。
「今、フォートレス王国では日常生活に役立つ魔法道具が開発されています。私もつい最近ですが、食料を保存しておくための物まであるという事を知りました。争いに使われていた技術が、暮らすために使われ始めているんです。帝国でもそのような魔法道具を作り出し、他国に売ればいいのではないでしょうか?」
聖マールーン学院の学院長であるマーベルの言葉から、グレンはそういう発想に至った。
「確かに・・・盲点であった・・・。今まで魔法道具とは、戦うためのものであったから・・・」
グレンと似たような事をアルカディアも言う。
しかし、すぐに頭を振ると、
「いや、やはり駄目じゃ。そのような物を作っていては、今度は戦力維持に支障が出る。此度のような一件を、また引き起こす事になりかねん」
と結論付けた。
国が弱体化すれば、それほど攻めやすくもなる。アルカディアは、そう言いたいのだろう。
「そこは・・・例えば、王国に守ってもらうとか・・・」
グレンの適当な発言を聞き、アルカディアは嘲笑とも取れる笑いをした。
「それこそ無理というもの。今もなお帝国を苦しめる王国が、何故それを救おうというのか?」
言いながら、アルカディアは自分の言葉に違和感を覚えていた。本当にそうだろうか、と。
しかし、グレンが黙ってしまったあたり、そういう事なのだろう。
「どうした、グレン殿・・・?言えることは、それだけか?ならば分かったであろう・・・。帝国にはやはり英雄が――」
その瞬間であった。
アルカディアの頭の中に、ある人物の言葉が思い出されたのだ。
『それだけか?』
そう、この言葉は会見の時に発せられたティリオン国王のもの。
ならば、あの時何を求めていた。今ならば、分かる気がする。
(シャルメティエの護衛、アルベルト殿の案内、王都を挙げての歓迎・・・平和条約・・・)
アルカディアは長い時間を掛けて、考えを巡らせる。
そして、ある1つの結論を導き出した。
「・・・・・・謝罪じゃ・・・」
アルカディアの突然の呟きに、グレンとヴァルジは互いに顔を見合わせる。
「そうか!謝罪じゃ!何故・・・何故、余はこんな簡単なことに気が付かなかったのか!?ええい、余の――いや、自虐している時間も惜しい!」
今度は突然はしゃぎ出したアルカディアであったが、グレンの方へ顔を向けると、
「グレン殿、余は今から国王に向けて文を書く!そなたには、それを国王に届けてもらいたい!」
と言ってきた。
何のためのものかは分からなかったが、断る必要もなく、
「え、ええ」
とグレンは答えた。
そして今度はヴァルジの方へ顔を向ける。
「爺!余が今から書く文は、もしかしたら再び王国との争いを招くやもしれん!しかし、余は十中八九それはないと考える!お前はどう思う!?」
これにヴァルジは笑顔で答えた。
「姫様――いえ、姫皇帝陛下のお好きなようになされば良いかと。もし王国との戦争になったら、私が陛下とソーマ様を連れて、そうですな・・・エルフの森にでも逃げるといたしましょう」
「良い!」
そう言って、アルカディアは城の中へと向かう。
丁度その時、暗く冷たい東の夜空から輝かしいまでの光を帯びた太陽が顔を出していた。
それは微かであるがアルカディアを照らし、まるで彼女に祝福を送っているかのようにグレンとヴァルジの目には映ったのだった。




