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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
帝国の姫皇帝
23/86

2-12 裏切り

 アルカディアを連れた護送団は、すでに王国と帝国の国境沿いにある関所にまで到達している。王都まで向かう際は馬車を揺らさないようゆっくりと行進をしたが、急ぎ帝国に戻りたいというヴァルジの要望によりここまで飛ばして来たのだ。

 そのため、アルカディアは体力を著しく消耗しており、馬車を降りる際もふらふらとした足つきであった。それをチヅリツカが支え、何とか地に足を付ける。

 「すまぬな、チヅリツカよ」

 アルカディアの謝罪の言葉にチヅリツカは首を横に振った。

 「いえ、許しを請わなければならないのはこちらです。アルカディア様を危険な目に遭わせてしまって・・・」

 それを聞いて、アルカディアは微かな笑顔を見せる。

 「その事に関してはもう良い・・・。全く・・・おぬしら騎士という者たちは、どうしてそう生真面目なのか」

 アルカディアは何度目か分からないほどの許しの言葉を口にする。しかし、それでもチヅリツカの顔は晴れない。

 アルカディアとしても、顔を曇らせたままの友人と別れたくないがための台詞であったのだが、それで許されたと思うほどチヅリツカは自分に甘くなかった。

 そして、それはシャルメティエも同じである。

 「アルカディア様・・・!」

 アルカディアが馬車を降りるとすぐにシャルメティエが駆け寄ってくる。

 その表情はやはり曇っていた。

 「なんじゃ、シャルメティエまでそのような顔をしおって。この通り余は健在。おぬしらが気に病むことなど何一つないのじゃ」

 「しかし・・・!」

 尚も食い下がろうとするシャルメティエにアルカディアは手で制止を促す。

 いっそ叱責の言葉を浴びせれば大人しくなるのだろうが、騎士団に非がないと考えているアルカディアにはそれが出来なかった。

 「シャルメティエ、それにチヅリツカよ。余とそなたらは一度ここでお別れじゃ。そのような時に顔を曇らされては、別れづらくなるというもの。今はただ、笑って余を見送ってほしい。なに、騎士団が賊を捕らえた暁には再び王国を訪れるつもりじゃ」

 そう言うアルカディアの顔は笑っていた。それを受けて、シャルメティエとチヅリツカも弱々しい笑顔を作る。

 「分かりました。ですが、お気を付けください。もう日が暮れております。アルカディア様を襲った賊の仲間が現れることもあるでしょう。・・・帝都まで、我らがついていければよかったのですが」

 平和条約によって王国の人間は少ない手続きで帝国に入ることができる。

 だからと言って、それが必要ないというわけではなかった。ましてや他国の戦力が手続きを経ず国境を渡ったとあっては、侵略行為と取られかねない。

 皇帝であるアルカディアがすぐに通れるよう許可を出せば良いのだが、彼女としてもそのような前例を作りたくなかった。

 これは今回の事件を重く受け取った王国と異なり、アルカディアがそこまでのものとは考えていなかったからである。平和な王国に住む者と危険を内包する帝国に住む者との差なのだろうか。

 「安心せい。王国ほどとは言わなくとも、帝国にも兵士はおる。帝都までならば、無事に辿り着けることであろう」

 関所の向こう側では、すでに帝国の兵士がアルカディアを迎えに来ていた。ヴァルジが早馬を手配し、予め呼び寄せていたものだ。

 「そう言えば、爺はどこじゃ?」

 そのことから己の執事のことを思い出したアルカディアであったが、ヴァルジの姿が見当たらないことに疑問を持った。いつもならば、用事を与えない限り傍に仕えているはずだが。

 「爺!どこじゃ、爺!?」

 1人にしたことで賊の襲撃を受けたこともあってか、アルカディアは執事のことが心配になった。

 再びあのような目に遭わせたくはない。辺りをきょろきょろと見回すが、ヴァルジを見つけることはできなかった。

 「ヴァルジさんでしたら、先ほど関所の方へ向かわれましたよ」

 「なに・・・!?」

 チヅリツカにそう言われ、自分を置いてそそくさと先に行ってしまうとは、とアルカディアは衝撃を受けた。

 しかし、今回の出来事をヴァルジがそれほど重く受け止めたのだと考え、気持ちを落ち着かせる。

 「ならば、余もすぐに後を追うとしよう。シャルメティエ、チヅリツカ、息災でな」

 「はい、またお会いいたしましょう」

 アルカディアの別れの言葉にシャルメティエが返し、2人は頭を下げる。

 それを見届けた後、アルカディアは足早に関所内へと向かって行った。

 「爺の奴め・・・。余を置いて行くとは何事じゃ・・・。せめて一声掛けるべきであろう・・・!余の心配も知らないで・・・!」

 友人の目がなくなったこともあり、アルカディアは自分の執事に対して悪態を吐く。関所には一応王国の兵士がいたが、それは気にしないでおいた。

 そして、帝国側の扉を力強く開けると、すぐにヴァルジを呼ぶ。

 「爺!爺はどこじゃ!?」

 アルカディアの声は十分に大きなものであったが、ヴァルジが姿を見せることはなかった。しかし、よくよく観察してみると1人の兵士と会話をしているヴァルジを見つける。

 「爺!爺!こちらに参れ!」

 一言説教をしてやろう、とアルカディアはヴァルジを呼び寄せる。それでも聞こえていないのか、ヴァルジはアルカディアに気づいた様子はない。

 仕方なく、アルカディアの方からヴァルジのもとへ歩いて行った。

 「爺!何をしておる!?」

 「これは・・・!陛下・・・!いかがなさいましたか?」

 びくっとしたようにヴァルジはアルカディアに振り返る。

 「いかがなさいましたか、ではないわ!何故、余を置いて先に行った!?」

 アルカディアの怒りを察し、ヴァルジは頭を下げた。

 「申し訳ありません、陛下。陛下のお帰りを伝えるよう、兵士に指示を出したかったもので」

 「ならば、その旨を余に伝えてから行けばよかろう!?お前らしくもない!」

 ヴァルジの言い訳に対して、アルカディアは許す気持ちを持てなかった。そのため、ヴァルジの顔が悲しみに歪む。

 「確かに・・・その通りでございます・・・。私としたことが、どうしてそれを怠ったのでしょう・・・?」

 ヴァルジは自分でも信じられないといった風に首を横に振った。

 「もしかしたら・・・恐れているのかもしれません・・・」

 「・・・何をじゃ?」

 執事の不安げな物言いに、アルカディアは疑問の言葉を投げ掛ける。

 「何か・・・陛下に良からぬ事が起こりそうな気がするんです・・・。それが不安で、私らしくない行動を・・・。誠に申し訳ありません・・・!」

 ヴァルジは再び謝罪の言葉を口にすると、深々と頭を下げた。自分の身を案じての行動と知り、アルカディアも心を落ち着かせる。もとより、ヴァルジが自分のことを大切に思っていることに疑いは持っていなかった。

 「そういうことならば、爺、お前を許そう。しかし、次からは気を付けるのだぞ」

 アルカディアに許してもらい、ヴァルジは頭を下げる。

 そして、すぐに姿勢を正すと、

 「では、陛下。馬車にお乗りください」

 と言った。

 それに「うむ」と答えると、アルカディアは馬車に乗り込む。続いてヴァルジも乗り込み、馬車は走り出した。





 帝国の城、その大門に辿り着くとアルカディアは城を見上げる。

 (あの時は帝国の城も悪くないと言ったが、やはり見劣りするようじゃな・・・)

 夜ということもあったのだろうが、アルカディアは己の城の殺風景さに落胆した。王国の見事な城を見た後だと、『隣の芝生は青い』という言葉すら慰めに聞こえる。

 「さあ、陛下。急いでください」

 立ち止まり、そう考えていたアルカディアに向かって、ヴァルジが急かすように声を掛けた。

 「う、うむ」

 帝都まで無事に戻ってきても警戒の念を解かないヴァルジに対して、アルカディアは戸惑いを覚える。しかし、それを口には出さない。全ては己を思っての行動なのだ。

 アルカディアとヴァルジは2人して城に入って行く。

 アルカディアの私室は城の最上階にあるため、ここからが大変だった。馬車での移動で疲れ切ったアルカディアは息を切らせながらも階段を上る。

 そして、やっとのことで自分の部屋の前へ辿り着くのであった。

 「ソーマは元気にしているかのう?」

 扉の前でアルカディアはヴァルジに問う。

 アルカディアの帰還が伝わっているのにも関わらず、出迎えには出てこなかった。ということは、このような遅い時刻まで政務に精を出しているのだろう。

 王国に向かう前に十分な量の仕事を消化してきたとは言っても、日ごとに起こる事態には新たに対処しなければならないのだ。

 「おそらくこの中にいるのではないでしょうか」

 ヴァルジも同じ考えなようで、アルカディアにそう言ってくる。

 久しぶりに最愛の弟と会えることもあってか、アルカディアは勢いよく扉を開けた。そして弟の名前を呼ぼうとした瞬間、予想だにしない光景を目にする。

 「あーーー!やっと帰ってきたーーー!」

 そう言ったのは、顔も知らない軽薄そうな女であった。見れば、アルカディアの部屋の中には見知らぬ男女が、10名ほどいるではないか。

 突然の展開にアルカディアは動揺する。

 「もーーーー、遅いよ、アルちゃん!」

 そんなアルカディアに構わず、女は再度声を掛けて来た。

 『アルちゃん』と呼ばれ、アルカディアは不快感を覚える。ポポルに呼ばれたときはそうではなかったのだが、女の言葉には明らかな蔑みの色が含まれていたのだ。

 「な、何者じゃ・・・?貴様ら・・・!」

 アルカディアの戸惑いの言葉を受けて、その場にいる男女全てが不快な笑顔を浮かべる。アルカディアは自身の心臓が強く脈打つのを感じた。

 「私たちは盗賊ギルド『国落とし』って言うの。名前から分かると思うけど、この国を頂きに来たわ」

 先ほどの軽薄そうな女とは別の、アルカディアの机の上に腰掛けて足を組んでいる妖艶な女が質問に答える。

 「余の国を・・・じゃと・・・?」

 「お前の国じゃねえ。俺らの国になるんだよ」

 体中に刺青をした大男が諭すようにそう言った。アルカディアはその男の顔を睨み付けるが、男はにやにやと笑みを浮かべるだけである。

 「まさか・・・王国で余を襲った賊の仲間か・・・!?」

 アルカディアの当然の考えに、盗賊たち全員が笑い出した。

 「ちげーよ、馬鹿。あれは別の組織の奴だ。つーか俺らをあんな狂った連中と同じにすんじゃねえ」

 「むしろ俺らはお前を救おうとしたんだぜ?なあ、べンゼン?」

 今度はやせ細った男とその近くにいた男が言葉を発する。

 しかしその顔はこの場にいる仲間のどれに対してでもなく、アルカディアの方を向いていた。もしや別の仲間が退路を塞いだのか、と後ろを振り返ろうとするアルカディアの耳に声が聞こえる。

 「まあ、成り行き上な」

 その声は確かにアルカディアの後ろから聞こえた。

 そしてその声は、とても馴染みのあるもの。信じられないことに男に言葉を返したのは、ヴァルジであったのだ。

 驚きのあまりアルカディアは目を見開き、ヴァルジに振り返る。

 「じ・・・爺・・・?」

 その声は震えていた。

 それを聞いた盗賊たちが、再び大きな笑い声を上げる。しかし、アルカディアの耳にその笑い声は届いていなかった。

 「どういうことじゃ、爺!?」

 アルカディアはヴァルジに詰め寄る。

 彼は冷たい視線をアルカディアに向けたまま、何も答えない。

 「まーだ分かんねえのか!?騙されてたんだよ、お前はさ!」

 誰が言ったかは分からない。

 そしてその言葉も、アルカディアには届いていなかった。

 「いつものように余を揶揄っておるのか!?だとしても不快じゃ!即刻止めよ!!」

 アルカディアは叫ぶ。

 「いい加減――」

 「爺!」

 別の男が言葉を発しようとしてもアルカディアはヴァルジに向かって叫んだ。嘘であってくれと願いを込めながら。

 しかし、自分たちを無視してヴァルジに話しかけるアルカディアに腹が立ったのか、舌打ちをした刺青の大男がアルカディアに向かって歩き出す。

 そしてアルカディアの腕を掴むと自分たちの方へ引っ張り始めた。

 「離せ!余は、爺に話があるのじゃ!」

 大男の力は強く、アルカディアの細い腕をぎりぎりと締め付ける。

 それでも、アルカディアはヴァルジの方へ進もうとするのを止めなかった。すると、ヴァルジもアルカディアに向かって歩き始める。

 その事に少しだけ安堵したアルカディアであったが、無情にもヴァルジは彼女の横を通り過ぎ、盗賊達の中心で立ち止まってから振り返った。

 「これでいいだろう」

 これならば他の者も視界に収めるだろう。ヴァルジの発言にはそういった意図が含まれていた。

 「な・・・なぜじゃ・・・爺・・・?」

 自分から国を奪おうとしている盗賊のそばに立つ。

 それではまるで、そいつらの仲間のようではないか。

 「全て芝居だったと言うことです」

 ヴァルジの言葉にアルカディアの鼓動は一層早くなる。

 「この国をもらうための、ね」

 妖艶な女がヴァルジの言葉に補足をした。

 「芝居・・・?芝居じゃと・・・!?何を言うておる・・・!?国を奪うならば、お前がここに訪れた15年前にそうすればよかったはずじゃ!?」

 信じられない。信じたくない。そういった思いから、アルカディアは声を荒げる。

 「待っていました。陛下がこの国を、ある程度まで――そう、盗むに値する程にまで立て直すのを」

 ヴァルジは続ける。

 「そして確認したかったんです。帝国と王国の関係性を、ね」

 「なに・・・?」

 言っている意味が分からない、とアルカディアは疑問の声を出した。

 「分かりませんか、陛下。私たちがこの国を手に入れたとしても、王国と敵対関係にあっては意味がない。再び崩壊寸前にまで追いやられる可能性もあるわけですからね」

 ヴァルジの言葉に他の盗賊たちはわざとらしく頷く。

 「ですから、今回の王国訪問でそれを確かめようとしたんです。そして、分かりました。王国には帝国と争う気がないということが」

 ヴァルジの顔は邪な笑みを浮かべている。

 アルカディアはそんな風に笑うヴァルジを見たことがなかった。

 「ですので、陛下。我らに皇帝の座を譲ってください。我々としても正式にこの国を頂きたいんです。そうすれば他国との外交も円滑に進められるはずですからね」

 ルクルティア帝国の帝位継承は、皇帝が死んだ瞬間または皇帝の意思で継承条件を満たした皇族に対して行われる。 

 しかし、皇帝に跡取りがいない場合も考えて制定された仕組みがあった。

 それは皇族以外にも帝位継承を許すもので、そのためには現皇帝の許可が必要不可欠であったのだ。ヴァルジがアルカディアを暗殺者から救おうとし、ここまで連れてきたのもそれが理由である。妙に急いていたのは、それを早く実現させたいがためであった。

 「馬鹿を・・・馬鹿を申すな!!そのようなこと、できるわけなかろう!」

 当然のようにアルカディアはその要求を拒否する。

 「どうしてもですか?」

 「くどい!」

 「痛い目を見ることになりますよ?」

 「殺すならば、殺せ!!」

 その瞬間、『聖庭(ガーデン)』が発動する。そうなったら、命尽きるまで戦って見せるとアルカディアは誓った。

 ソーマのために。

 「――!」

 弟の顔を思い浮かべたとき、ふいにアルカディアは不安を覚えた。

 そういえば、ソーマの姿が見当たらない。

 自分の最愛の弟は、今どうなっているのか。無事なのか。

 アルカディアの頭の中には最悪の事態が思い浮かんでは消えた。

 「そうですか・・・。ならば、痛い目を見てもらうとしましょう。――あなたの弟君にね」

 その言葉にアルカディアはソーマがまだ生きていることを知り、安堵を覚えた。そして同時に恐怖も感じた。

 盗賊達は自分の代わりに弟を傷つけようというのだ。

 ヴァルジの言葉を受けて、アルカディアのベッドに腰かけていた男がシーツをめくる。そこには――気絶させられているのか――ソーマが静かに横たわっていた。

 「ソーマ!」

 「おっと」

 弟のもとへ駆け寄ろうとするアルカディアの腕を大男が掴む。

 再びぎりぎりとした痛みがアルカディアの腕に伝わるが、そんなことを気にしてはいられない。ベッドに腰かけていた男が剣を抜き放ち、ソーマの首にそれを宛がっているのだ。

 「止めよ!ソーマに触れるでない!殺すならば、余を殺せ!」

 慌てふためくアルカディアが叫ぶ。

 そんな彼女に向かって、大男が口を開いた。

 「だから、てめえに死なれちゃこの国を正式にもらえねえんだって!それに、てめえの服が魔法道具(マジックアイテム)だってことは知ってんだよ!」

 なぜその事を、とアルカディアは大男の顔を見るが、おそらくヴァルジが漏らしたのだろう。アルカディアの思惑を看過していることに優越感を覚えた盗賊たちは下卑た笑いを浮かべる。

 「どうやら攻撃を受けることで発動するみたいじゃねえか。どうしてそんな不便な物を身に着けるんだかねえ」

 やせ細った男が馬鹿にするように言った。

 魔法道具(マジックアイテム)と呼ばれる物には基本、効果発動に条件はない。『英雄の咆哮』や『聖庭(ガーデン)』が特別なのだ。

 八王神話の神々に作られたからかどうかは分からないが、それが圧倒的な強化をもたらす代償なのだろう。その代わり、比較的魔力負荷が少ないのが利点といえば利点であった。

 「ちっ、やっぱり『不盗』の加護がついてやがる・・・!」

 ならばアルカディアからドレスを脱がせばいい、そう考えた大男が服を引っ張るがびくともしなかった。

 大男の言う『不盗』とは、付与された装備品を装備者以外、外せなくなる加護である。

 魔法道具(マジックアイテム)は装備して初めて効果が発揮するもの。そのため戦闘中に奪われないよう、落とさないよう、『不盗』の加護が付いている魔法道具(マジックアイテム)は珍しくない。

 当然『聖庭(ガーデン)』だけでなく、『聖域への一指』にもその加護は付与されていた。まだ日が変わっていないため、『聖域への一指』はないも同然であったが。

 「もったいねえなあ。胸や尻はともかく、顔は良い。その邪魔な服さえなけりゃ、楽しめたのによお」

 「違えねえ!」

 男2人が上げる薄汚い笑いにアルカディアは心底嫌悪感を覚える。

 「ええー、そんな貧相な子より私の方がよくないー?」

 軽薄そうな女がその会話に加わった。

 「お、なんだ相手してくれんのか!?」

 「まじか!?」

 2人の期待の込められた眼差しを受けて、軽薄そうな女は言う。

 「国を手に入れた記念に、2人まとめて相手してあ・げ・る」

 軽薄そうな女が色っぽくそう言うと、男2人は歓喜の声を上げた。

 「無駄なおしゃべりはそこまでにしろ。ダック、ハドガー、レジイ」

 先ほどまで黙っていた男が口を開く。

 机の椅子に腰かけているのを見るあたり、おそらくこの者が盗賊ギルド『国落とし』の頭領なのだろう。鍛え抜かれた体をしており、それを証明するかのように3人は急いで口を閉ざした。

 「皇帝、いや――アルカディアよ。早々に選べ。弟か?それとも国か?お前はどちらを守りたいのだ?」

 そう言われ、アルカディアは考える。

 言うまでもなく、失いたくないのは家族であるソーマだ。

 しかしこの国もまた、そのソーマに受け継がせるために15年もの間必死になって立て直そうとしてきた大切なものである。決して盗賊どもに譲っていいものではない。

 答えの出せないアルカディアはヴァルジを見る。

 その目は、助けてくれ、と言っていた。

 「そのような目で見られても困ります、陛下」

 溜息に続いてヴァルジがそう答える。

 「簡単なことではないですか。弟君を選びなさい。そして我々の頭領に帝位を譲るのです。確かに、陛下は皇族としての地位を失いますが、それでも命があるだけましでしょう。この国のことを忘れ、弟君と一緒に余生を平穏に過ごしなさい」

 「――無様にね」

 ヴァルジの言葉に妖艶な女がそう付け加えた。

 途端、頭領以外の者たちが笑い声を上げる。ヴァルジさえも笑っていた。

 「なぜじゃ・・・?」

 「ん?」

 アルカディアの呟きをヴァルジは聞き返す。

 「ならばなぜあの時、余の傍に仕えると言った!?遠くから眺めているだけでよかったはずじゃ!」

 その質問にヴァルジは言葉を詰まらせる。

 「答えられぬか!?それもそのはずじゃろう!貴様は本物の爺ではない!」

 アルカディアの言葉に強がりなどは一切ない。

 本心からそう言っていた。

「爺はそのような笑い方はせぬ!ならば、貴様は偽物じゃ!偽物じゃ!」

 アルカディアの叫びが部屋中に響き渡る。

 盗賊たちも皆黙っていた。

 しかし、ふいにヴァルジが小さく笑う。

 「それは、この国を少しでも早く立ち直らせるためですよ。頭領の命令で仕方なくね。私だって嫌だったんですよ。――自分の親や大臣を殺した人間の傍にいるのはね!」

 最後の言葉は一際大きく言い放たれた。

 そしてその言葉は的確に、そして鋭利にアルカディアの心を貫く。

 そう、自分の親を殺して平気でいられる者などはいるはずがない。

 15年という歳月がその心の傷を少しでも癒したのだろうが、アルカディアがその事に頭を悩まされず笑うことができたのは、ヴァルジという心の支えがいたからであった。

 しかし今、その支えにアルカディアの心は言葉という刃を深く突き立てられている。それは王都で襲ってきた暗殺者の刃よりも一層恐ろしく感じられた。

 「考えてもみなさい!皇帝陛下の窮地だというのに、誰もあなたを助けに来ない!当然でしょうね!誰が好き好んで親殺しを助けに来るのか!?」

 ヴァルジの声はついに怒号へと変わった。その声にアルカディアの体は震え出す。

 だが、兵士が助けに来ないというのは間違っていた。正確には帝都にいた兵士たちは皆、盗賊たちに捕らえられていたのだ。アルカディアが王都に向かうため帝都を発ってから、少しずつ捕らえられ、今は牢に放り込まれている。アルカディアを迎えに来た兵士は、変装をした『国落とし』の下っ端達であった。

 しかし、それを知りもしないアルカディアは兵士に見捨てられたと誤解をする。

 「だ、だが・・・あの時、お前は・・・それでも・・・それでも良いと・・・」

 せめてヴァルジだけは、と最早足掻くだけとなったアルカディアは声を震わせながら言った。

 「嘘に決まっているでしょう!まったくどのような育ち方をしたら、そんな都合のいい解釈ができるのか!」

 怒号を浴びせる度に体を震わせるアルカディアが可笑しいのか、ヴァルジは声の調子を落とさず叫ぶ。その顔は邪悪な笑顔に染まっていた。

 「なぜじゃ・・・なぜじゃ、爺・・・。余は・・・お前を・・・本当の・・・家族のように・・・」

 ――想っていた。そう言いたかった。

 しかし、震えた口はそれ以上言葉を紡いではくれない。

 代わりに、ヴァルジが口を開く。

 「それはあなたがそう思っていただけでしょう!ならば、家族ごっこは今日でお仕舞いということです!」

 今まで盗賊達が発してきたものの中で、この言葉が一番アルカディアに堪えた。

 そのせいか、ついにアルカディアは涙を流してしまう。このような不届き者たちに見せたくはないと思っていた涙を。

 「ベンゼン、それくらいでいい」

 アルカディアが泣き出したのを見て、盗賊の頭領が制止をかける。これは別にアルカディアが可哀想になったからではなく、泣かれたままではまともに会話ができないと思ったのだ。

 「これは失礼・・・つい・・・」

 そう言ってヴァルジ――ベンゼンは頭を下げた。それを視界の端に捉えながら、頭領は机の上で手を組む。

 「今一度問おう、アルカディア。お前は弟と国、どちらを選ぶ?」

 しかし、泣きじゃくるアルカディアはそれには答えない。

 「陛下、こう見えて我々の頭領はお優しい。欲しいものは力づくではなく、しっかりと計画通りに奪うのです。我々にしてみれば、陛下を捕らえ、無理やりにでも帝位継承の書類に名前を書かせることもできるのですよ?陛下が書類に名前を書いたという事実さえあれば、良いのですから」

 先ほどまでとは打って変わって、ベンゼンが優しく語り掛けてくる。これも決して優しさから来たものではない。

 自分が泣かせてしまったせいで、会話が進まなくなったのだ。これは、その失態を取り返すための行動である。

 「一応言っておきますが、弟君も国も捨てて、帝位を守って逃げるなどとは考えなされるな。それは最も愚かな選択ですから」

 そんな事は言われずとも分かっていた。逃げるつもりなど毛頭ない。

 「さあ、どっちだ?」

 頭領は机の上に1枚の書類を出す。

 それは皇族以外の者に帝位を譲るためのものであった。何と書かれているかは分からないが、すでに頭領と呼ばれた男の名前が書かれているのが見て取れた。

 続いて、頭領はソーマの方へ顔を向ける。

 その喉元に、再び剣が宛がわれた。

 「陛下、ご決断を」

 ベンゼンが迫る。

 最早、アルカディアの心は折れかかっていた。

 (誰か・・・誰か、余を助けろ・・・余の・・・余の英雄・・・)

 それはシャルメティエでもチヅリツカでもない。

 (誰か・・・!)

 今、アルカディアを守ってきた者は敵となってしまった。

 彼女を助けてくれる者はここには誰もいない。

 孤立無援のアルカディアはついに、小さく頷いた。

 ややあって、それを帝国を譲ることへの同意と受け取った盗賊達は喜びの声を上げる。

 「これで明日から俺たちがこの国のある主だ!」

 「ありがとー、アルちゃん!」

 「優雅な暮らしを送ってやるぜーーーー!」

 そして最後にベンゼンが優しい声で、

 「よくご決断してくれました、アルカディア『元』皇帝陛下」

 と言った。

 その時である――アルカディアの後ろにある扉が、けたたましいほどの音を立てて開かれたのだ。

 「!――誰だ!?」

 盗賊の1人がそう叫んだ。

 他の者も驚いて扉の方へ視線を移す。

 アルカディアも振り返り、涙目で闖入者の顔を見た。

 そこにいたのはシャルメティエでもなく、チヅリツカでもない。

 そして、グレンでもなかった。

 そこには――ヴァルジがいた。

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