2-9 王と皇
エスタブ学院と聖マールーン学院の合同実習が行われた翌日の朝、グレンはアルベルトに王城まで来るよう頼まれた。
(最近やけに呼び出しが多いな・・・)
などと心の中で愚痴りつつ向かうと、城門前に多くの騎士がいるのを目にする。基本的には6人体制なのだが、20人はいると思われた。
何かあるのだろうかと、グレンは訝しむ。
「すまない」
理由を聞こうと、手近にいた騎士に声を掛けた。
「これはグレン殿。いかがなさいましたか?」
その騎士は、グレンの登場に動揺することなく対応した。
それなりに場数を踏んだ者なのだろうか。
「警護が厳重なようだが、いったい何が?」
彼の疑問に、その騎士は姿勢を正してから答える。
「本日はルクルティア帝国のアルカディア皇帝陛下が国王様にお会いなさるとのことで、万全を期すため昨日に引き続いて警備の数を増やしております」
そう言えば皇帝が来たのは昨日からだったな、とグレンは思い出す。同時にアルカディアのエクセへの所業も思い出してしまい、1人で気まずい雰囲気になった。
「・・・なるほど、礼を言う。ところでアルベルトに呼ばれているんだが、城に入っても構わないか?」
「はっ!もちろんでございます!」
そう言うと、その騎士は他の者に向かって、
「グレン殿のお通りだ!道を開けてくれ!」
と大声で叫んだ。
言われた騎士達は、さっと道を開け、その両脇に並ぶ。
(何もそこまでしなくても・・・)
騎士達の過剰な反応にグレンは戸惑うが、表情を変えず足早に進んだ。そして、開かれた門から王城へと入る。
フォートレス王国の王城は許可さえ取れば一般市民でも入ることができるため、普段は少なくない人がいた。しかし、厳重警戒のため昨日から市民の立ち入りは禁じられており、今はちらほらと騎士や貴族がいるだけである。
そのため、グレンは見知った人物がいることにすぐ気が付いた。
「エクセ君?」
彼の声に、少女は振り向く。
「グレン様!?」
声を上げたエクセは駆け足でグレンのもとまで向かって来た。
どうやら、昨日の出来事からは立ち直れたようだ。
「王城にまで来られるとは、何かあったのですか?」
過去にエクセがグレンと王城を訪れたのは、厄介事を抱えていた時であった。
そのためもしかしたら今回もと思い、少女は王城訪問の理由を問い質す。アルベルトに呼ばれて王城を訪れる機会がある事を、エクセは知らないのだ。
「いや、アルベルトに呼ばれてな。エクセ君の方こそ、どうしてここに?」
「私もアルベルト様に呼ばれたのです。丁度、そのことでお話を伺おうとしている所でした」
エクセは振り返り、先程まで立っていた場所を見る。グレンもそちらに視線を移すと、そこには確かにアルベルトがいた。
「悲しいよ、グレン。僕より先にエクセリュート嬢に気が付くとは」
そんな事は全く思っていない、むしろ喜ばしい。
アルベルトの顔は、如実にそう物語っていた。グレンはそれに触れず、呼び出しの理由を尋ねる。
「俺とエクセ君に何の用だ、アルベルト?」
その台詞に、エクセは思わずグレンの顔を見た。彼が少女の前で自分のことを「俺」と言ったのは、これが初めてだったのだ。
その視線に、グレンも気付く。
「――どうした、エクセ君?」
「え・・・!あの・・・その・・・グレン様が、御自分のことを『私』と仰らなかったので・・」
「そうだったか?親しい者しかいないと、ついな。これからは気を付けるよ」
その言葉に、エクセは頭を振る。
「いいえ!グレン様のお好きなようになさってください!」
親しい者――そう言われたのが嬉しかったのか、エクセの顔は紅潮していた。そんな少女を見つめるアルベルトの瞳は、期待に満ち溢れている。
「で、何の用だ?」
グレンに再度問われたアルベルトの表情は、すでにいつも通りのものに戻っていた。
「実を言うと、2人に用があるのは僕じゃないんだ。国王が君達に会いたいと仰ってね」
「国王が・・・?」
勇士になってから10年、グレンはフォートレス王国国王と顔を合わせたことがなかった。特に自分から会いに行く理由もなく、もし用があれば国王から呼び出しがかかると考えていたからだ。
そして今回、その用があるという事なのだろう。
しかし、エクセもというのが納得いかなかった。このような少女に国王自ら話をしなければならない事など、果たしてあるのだろうか。
「私も、ですか・・・?」
その疑問にはエクセも思い至ったようで、不思議そうにアルベルトに尋ねる。
「その通りです、エクセリュート嬢。どのような話かは僕も伺っていないので、何とも言えませんが」
アルベルトにも話していないとなると、余程の事か、それともどうでもいい事か。あの国王ならばどちらもあり得る、と思うグレンであった。
「考えても仕方ない。とりあえず、向かうとしよう」
グレンの提案に2人は頷き、国王のもとへと向かった。
王城の5階、そこに玉座の間はあった。それより上は王族の私室がある。
豪壮な扉の前には一際見事な鎧を身に着けた騎士が2人立っており、その手には槍を携えていた。彼らがそこにいるという事は、すでに王は玉座の間にいるという事である。
そして、彼らの前にはグレンたちの他に先客がいた。
「あれは・・・帝国の皇帝?」
国王と皇帝が会うと聞いていたが今からか、とグレンは心の中で呟く。
傍には当然ヴァルジも仕えていた。
「おお、グレン殿にアルベルト殿ではないか」
グレン達に気付いたアルカディアが、部屋の中まで届かないように静かな声を掛けてくる。
しかし、エクセの名がない。
なぜだ、とグレンは思ったが、それはエクセが彼の後ろに隠れてしまっていたからであった。彼女としてもそれが失礼な態度であることは分かっていたが、昨日の出来事に思わず体が動いてしまったのだ。
「ん?グレン殿の後ろにいるのは、もしやエクセか?」
しかし、すぐに見つかる。仕方なく、少女はグレンの後ろから姿を現した。それでもやはり、見せる笑顔はぎこちない。
「おはようございます・・・皇帝陛下・・・」
エクセの恐々とした表情を見て、アルカディアは申し訳なさそうな顔をする。
「昨日は済まなんだ、エクセ。あのようなこと、人前でするものではなかった」
その口振りだと、人前でなければやってもいいと思っている、と言っているように聞こえた。けれども指摘する者はおらず、続けてアルカディアはこう語る。
「もう二度とあのような真似はせぬと誓う。だから、余を許してはくれぬか?」
彼女は頭こそ下げなかったが、心の底から謝罪しているようであった。
そしてその言葉に、エクセは慌ててしまう。
「そんな!もちろんです、皇帝陛下!」
少女が許しを施したことで、アルカディアは一安心したように笑みを浮かべる。
「アルカディアで良い。余とそなたは、もはや体と体の付き合いをした仲なのだからな」
「わ、分かりました・・・アルカディア様・・・。ですが、その言い方は、ちょっと・・・」
アルカディアが笑顔で発する言葉にたじろぐエクセ。そんな2人の会話が終わったことを確認し、アルベルトが口を開く。
「さて、あまり国王をお待たせするのも申し訳ないので、そろそろ中に入るといたしましょう」
本来ならば国王を待たせるなど言語道断な行いなのだが、今回会う相手が王国の英雄と他国の皇帝であったため、アルベルトはそう言い表した。むしろ、今の国王にはそれくらいの表現で丁度良かったりもする。
「少々お待ちください、アルベルト殿。もしや、グレン殿とエクセお嬢様もご一緒ですか?」
アルベルトの言葉を聞き、グレンとエクセも同様に抱いていた疑問をヴァルジが問う。
「はい。王がぜひそうしたいと仰っておりまして」
どんな理由があるのか、そして何の話があるのか、グレンはますます分からなくなってきた。
「それは少し、なんというか・・・無礼とは申しませんが・・・」
自国の最高権力者と――英雄とは言え――他国の一般市民を同列に扱われているようで、ヴァルジはあまり気分が良くなかった。エクセが貴族だと知っても、似たような反応を見せるだろう。
しかし、これにはアルカディア本人が、呆れたように溜め息を漏らす。
「何を言っておる、爺。この国に来て今まで、我らがぞんざいに扱われたことが一度としてあったか?シャルメティエの警護にアルベルト殿の案内、さらには豪華な客室に上質な食事まで提供されたではないか。昨日食した夕餉の味を忘れたとは言わせんぞ」
「それはそうですが・・・。まあ、陛下がそう仰るならば・・・」
主の物言いに、執事は渋々といった感じに返す。
「ヴァルジ殿。貴殿のアルカディア皇帝陛下を重んじるお心、誠に称賛されるべきものであると思います。ですが、ご安心ください。皇帝陛下も仰ってくださったように、我々にお二方を貶めようなどという意思は一切ございません。むしろ英雄グレンと同格に扱うことは、我が国が皇帝陛下をそれだけ重要な方だと考えているからである、と受け取っていただきたい」
アルベルトからの説明を受け、アルカディアは「うむ!」と力強く頷き、ヴァルジも「それならば」と聞き入れた。
「御納得いただき、誠に感謝いたします。それでは参りましょう。私が先導いたしますので、アルカディア皇帝陛下からどうぞ」
騎士団団長がそう言うと、2人の騎士が玉座の間の扉をゆっくりと開ける。その間、アルカディアの次に扉を通るのはどちらかという事について、グレンとヴァルジが譲り合っていた。
結局、ヴァルジが先に入り、次にグレン、そして最後にエクセが入ることになる。
(ほお・・・)
開かれた扉の先はまさに豪華絢爛。その内装を目にしたアルカディアは、自然と感嘆していた。
一目見ただけで高価だと分かる装飾品で彩られた部屋には、それらに負けないほどの衣服を身に纏った者達が立ち並んでいる。
彼らの大半はフォートレス王国の大臣や執政官であったが、王国魔法研究会会長のポポルの姿もあった。そして、玉座の近くにはシャルメティエも仕えている。
彼女との再会に浮かれる気持ちもあったが、アルカディアは真剣な眼差しで真っ直ぐ進行方向を見つめていた。
(あれが・・・この国の王・・・)
数段高い場所に置かれた玉座に座りながら、片肘を突いて顎に手をやる人物こそ、フォートレス王国の王に違いない。
にやつきながらこちらを見る顔は50歳という年相応のものであったが、作り出す表情のせいか若さも感じられた。また、貴人であるのにもかかわらず、どこか野性味を帯びているようにも見受けられる。
そんな彼の座る玉座が設置されている段差、その数歩手前まで来ると、先頭を歩いていたアルベルトが立ち止まり、続いて後ろを振り返った。そしてアルカディアに向けて一礼をすると、静かにシャルメティエの隣まで移動する。
ここからは、国王と皇帝の時間だ。
「おう、よく来たな。俺がこの国の王、ティリオン=オルジネイト=ヴァン=フォートレスだ」
開口一番、まず国王ティリオンが名乗った。予想していた挨拶よりも大分砕けたものであったが、アルカディアは構わず返す。
「お初にお目にかかる、ティリオン国王。余がルクルティア帝国皇帝、アルカディア=ファース=ルドヘルム=ルクルティアじゃ。此度は急な申し入れに応じていただき、誠に感謝いたす。余は今回の交流で、帝国と王国の絆がより深まることを望んでおるぞ」
アルカディアが言い終わると、玉座の間は静寂に包まれた。
(・・・ん?)
彼女の言葉におかしな所はなかった。しかし、ティリオンは何も言わずに黙したままである。
この状況には、アルカディア以外の者たちも困惑してしまっていた。そして、その戸惑いが騒ぎになりかけた頃、国王が再び口を開く。
「それだけか?」
それは何かを求めているようなものでもあれば、これ以上何もないなという確認をしているような口調でもあった。
その発言の真意が理解できず、アルカディアは何も言い返せない。それを理解できたのは、この場に居合わせた者の中ではアルベルトだけであった。
「う、うむ・・・」
とりあえず、用意していおいた言葉は全て言い終わった。後は臨機応変に受け答えするだけだと思っていたが、これ以上こちらから言うことなどあっただろうか。
ティリオンの問いに肯定してみたものの、アルカディアは一応考えてみる。
「そうか!ならばいい!存分にこの国を楽しんでいってくれ!とは言っても、王都には観光するような場所なんぞほとんどないがな!」
その思考を、ティリオンの大声が掻き消した。彼の言い様から察するに、無礼なことはしていないようだとアルカディアは安堵する。
「ところで――久しぶりだな、グレン」
ふいに、ティリオンがそう切り出した。
(なに・・・!?)
自分との会話がもう打ち切られたことに、アルカディアは驚愕する。別に彼と話し込みたいわけではなかったが、それでもこの対応には不服を感じた。
「はい。国王もお元気そうで。最近、また子供が生まれたと聞きましたが」
そんな彼女をよそに、グレンが言葉を返す。ティリオンとは深い仲であるため、普段口にしないような挨拶を滑らかに言うことができた。
「そうなんだよ。しかもまた女ときたもんだ。どうやら俺の女好きが、生まれてくる子供にまで影響してるみたいでよお」
ティリオンは子供っぽく笑うと、さらに続ける。
「そういやグレン、先のアンバット国との戦いでは大活躍だったそうじゃねえか。お前にやった首飾りも、上手く使ってくれてるみてえだな」
グレンの持つ『英雄の咆哮』は、もとは国の――延いてはティリオンの物であった。
しかし15年前の戦争時に、その所有権をティリオン自らグレンに譲渡したのだ。国宝級の魔法道具を個人に譲り渡すなどあり得ないと多くの大臣たちが抗議したが、『英雄の咆哮』を真に使いこなせる者が彼しかいないため、ティリオンは当然のことと捉えていた。
「で、どうだい、皇帝?うちのグレンを見た感想は?」
「は?・・・えっ?」
話が打ち切られたと思ったら今度はすぐに話を振られ、アルカディアは戸惑いの声を漏らす。
「すげえ奴だろ、グレンは。俺が初めてこいつの力を目の当たりにした時は、度肝を抜かされたもんだ」
そう言ったティリオンは大声で笑う。
その光景に唖然としてしまい、アルカディアは何も言えないでいた。
「ん?どうした?まさかグレンに対して何も感じなかったのか?だとしたらすげえな、お前さん」
そのため変な誤解を与え、ティリオンが見当違いな賞賛を送ってくる。何か言わなければと、アルカディアは声を絞り出した。
「あ・・・いや・・・そんなことはない・・・。そう・・・先日の学院による合同実習の時にも、グレン殿には驚かされた・・・」
これでよいのかと、アルカディアは自分の想定していた会話と全く異なる現実に戸惑ってしまう。
「ああ、そのことなら俺も聞いたぜ。――おい、グレン!なんでも、学生の魔法を手で受け止めたんだって!?」
そして今度は、再びグレンに話を振る。
どうやらこの国王は一人一人に話をするのではなく、皆で会話に興じたいようであった。それがグレンとアルカディアを、この場に居合わさせた理由だと推測できる。
「はい」
「くはははっ!やっぱりお前はすげえよ!」
グレンの肯定に、ティリオンは再び大きな笑い声を上げた。先程は気が動転していて気にはならなかったが、彼の笑い声には特徴がある。
王の笑い方ではないな、とアルカディアは思った。
「で、その時に助けたのが――」
そして次に、エクセに視線を移す。
「お前か、バルバロットの娘」
国王に話を振られ、少女はびくっと肩を震わせる。
「危なかったそうだな?」
その時の話を聞きたいような口振りであった。エクセは自分がここに呼ばれた理由を察し、心を落ち着かせてから話す。
「はい。しかし、不思議と恐怖は感じませんでした」
「ほう・・・それはまたどうしてだ?」
少女の返答に、ティリオンは興味を示した。
エクセはグレンの背中を見ながら、誇りを持って答える。
「おそらく、あの場にグレン様がいらっしゃったからだと思います。グレン様ならば、きっと私を救ってくださるだろうと、心のどこかで思っていたのではないかと」
「なるほどな」
言いながら、ティリオンはグレンの顔色をうかがう。
平時と変わらぬ表情をしていたが、国王は彼があまり感情を表に出さないことを知っていた。そのため、本当は内心嬉しいに違いないと、グレンの気持ちに当たりをつける。
そこでティリオンは悪戯っぽくにやりと笑うと、再びエクセに話し掛けた。
「随分グレンを買っているようだな、エクセ」
名前を呼ばれ、少女は意外そうな顔をする。
「国王様は私の名前を御存知だったのですか?」
「まあな。バルバロットから何度も話を聞いている。『俺の娘の美しさは歴史上一番だ』と言ってうるせえんだ。そういや、お前がまだ赤ん坊の頃に会ったこともあったな」
さらに判明した事実に、驚くエクセであった。
そんな少女の顔を、ティリオンはまじまじと見つめ始める。
「いやしかし・・・確かに美しいな、お前は」
そして口にしたのは、エクセの美に対する称賛であった。
国王から唐突にそのような事を言われ、少女もたじろいでしまう。
「もう少し俺の近くに寄って、その顔をよく見せてくれねえか」
「え・・・?」
続けてそう言われてしまい、エクセは逡巡する。しかし国王の命令ならばと、アルカディアの少し後ろまで移動した。
近くまで来た少女を、ティリオンはさらにじっくりと観察する。
「ふむ・・・いいじゃねえか。まだ幼いが、もう数年でいい女になる。バルバロットがああ言うのも頷けるってもんだ。どうだ、エクセ。学院を卒業したら、俺の第4王妃にならねえか?」
彼のその発言は、誰が聞いても冗談だと分かるものであった。
実際同じ部屋にいる大臣も、このような場でまたふざけた事を、と呆れた表情をしている。言われたエクセですら、この冗談をどう返せばいいのか悩んでいたほどであった。
しかし、ティリオンがそう言い終わった瞬間、圧倒的な殺意が彼を襲った。
その殺気は強烈だが鋭く、武に心得のある者――特に近接戦闘に精通している者にしか分からないほどのものである。そのため、この部屋にいる大半の者たちはそれに気付かない。玉座近くにいるエクセも同様だ。
それでも、あまりの殺気にアルベルトとシャルメティエはティリオンの前に飛び出し、抜き放った剣を殺気の源である人物――グレンに向けていた。国王に対して殺気を放ったのは、彼であったのだ。
「あ・・・・!」
「っと・・・・!」
剣を手にする2人が戸惑いの声を上げる。
グレンが国王に牙を剥くわけがない事、そして何より自分達が彼の前に立ちはだかったとして敵うわけない事、それらをアルベルトとシャルメティエはよく理解していたからだ。
自国の王を守らなければならないという使命感から来る反射的な行動だったのだが、それでも不要な行いであったと感じていた。
そんな2人を見て、グレンの殺気に気付けなかった者たちがざわつき出す。
アルベルトは仕方なく口を開いた。
「え~っと、グレン・・・いくら君でも、今のは失礼だと思うよ」
その騒ぎを鎮めるため、剣を納めたアルベルトはグレンに苦言を呈す。実際その通りのことを彼は行ったのだが、友人に責任を押し付けるという行為にアルベルトは心を痛めていた。
「む・・・!すまん・・・!」
グレンも思わず出してしまった殺気について謝罪する。それと同時に、なぜ国王の冗談ごときにあれほど腹を立てたのだろうと、自分に対して困惑していた。
兎にも角にも、グレンは自国の王に向けて頭を下げる。
「申し訳ありません、国王」
しかし、ティリオンは平然とした顔で手を振った。
「構わねえよ。お前が俺に何をしようと、俺はお前を許す。それだけの事をお前はこの国にしてきた。というか悪かったな、グレン。久しぶりにお前と会えたから、少し揶揄いたくなっちまって。まさかそこまで怒るとは思いもしなくてよ」
彼が先程の発言の意図を話すと、ポポルが小さく「分かるわ~」と言うのが聞こえた。けれども、この一連の流れを見た大臣たちは、何がなんだかといった感じに頭を混乱させる。
とりあえず分かった事は、グレンが国王に何かしら無礼を働いて、それを国王が許したという事だけだ。
グレンを叱るべきか、それとももはや終わった事と水に流すべきか。大臣たちは互いに顔を見合わせ、どうするべきかを決めあぐねているようである。
そして、彼ら以上に混乱している者が、その場には存在していた。
(な、なんじゃ、今の殺気は!?英雄グレンは忠義に篤いのではないのか!?自国の王に向かって、あのような・・・!)
アルカディアは自身に向けられたわけではない殺気に怯えていた。額に冷や汗を掻いていたが、それでも体を震わせないように精一杯耐える。
同時に、この殺気を受けて平然としていられるティリオンの精神力にアルカディアは心底驚嘆した。自分があの立場であったら、あのような対応ができただろうかと疑問に思う。
国の王としての年季の違いを、まざまざと見せつけられた気分であった。
「ああ。もう下がっていいぞ、エクセ。これ以上お前の傍にいるとグレンに殺されそうだ」
一体何の話をしているのか分からないエクセであったが、下がれと言われたため、一礼してから元の位置に戻っていく。
その間、アルカディアはグレンが殺気を放った理由について思案していた。
(先程のグレン殿の殺気・・・ティリオン国王の発言に対する物である事は確実じゃ・・・。だが、何故あそこまで・・・?エクセを娶ると言ったから腹が立ったのか・・・?しかし・・・それではまるでグレン殿がエクセのことを好いておるようではないか・・・)
そこでアルカディアは思い出す。
初めてグレンと会った時も、彼はエクセと一緒に仲睦まじく昼食を取っていたではないか。アルカディアは、自身の予想が的中している可能性が高いことに不安を覚えた。
(だとすると余の計画は無駄・・・?いや待て、落ち着いて考えるのじゃ。グレン殿とエクセの年齢差を考えてもみよ。おそらく倍近くは離れているはず。そのような少女に大の大人が惹かれることなど――)
そこでアルカディアは再び思い出す。
エクセが、自身では到底持ちえない魅力を持っていることを。
(あれかーーーーー!!)
自分で触れてみたからこそ分かる。あの双丘には、絶大な魔力が秘められていた。それゆえ王国の英雄の寵愛を受けていても、全くおかしくはない。
だがそうだとしても帝国のため、何とかしてグレンを奪い取らなければならなかった。今更後には引かぬと、アルカディアは意を決する。
そんな彼女に、ティリオンが声を掛けた。
「どうした皇帝?さっきからぼーっとして」
「あ・・・いや・・・」
思考を中断させられ戸惑うアルカディアに向かって、国王はにやりと笑う。
「分かるぜ。こんな堅苦しい行事に飽きたんだろ?実は俺もだ。というわけで、今回はこれでお開きとしようか」
ティリオンとの顔合わせも済んだため、これ以上ここで何かする気もないのだが、いきなりな話にアルカディアはついていけなかった。
「そんじゃあ、皇帝。この国をたっぷりと楽しんでいってくれ。俺に用がある時は、いつでも会いに来てくれていいぞ。――おい、シャルメティエ」
名前を呼ばれたシャルメティエは「はっ!」と答えると、一歩前に出る。
「城外の案内役としてシャルメティエを遣わせる。どうやら王都までの道中、仲良くなったみてえだからな」
どんどん話が進んでいく状況に、アルカディアは焦っていた。自身の計画を実行するためにも、ここは思い切って行動しなければならない。
決意と共に軽く息を吸うと、言葉を発した。
「それでしたら・・・余は、グレン殿にお願いしたい」
アルカディアの主張に、部屋中がざわつき出す。今回の出来事はどのような者にも把握できたため、先程のものよりも大きな騒ぎであった。
「アルカディア様、私では不服ですか?」
そんな中、心底残念な顔をしつつシャルメティエが尋ねる。無論そうではないため、アルカディアは頭を振って否定した。
「そうではない、シャルメティエ。お前ほどの騎士をおいて、不服などあろうはずもない。しかしな、後ろにいる余の執事、この者はヴォアグニック武国の出身なのじゃ。それゆえ、グレン殿と『武』について語り合いたいと言って聞かなくての」
ルクルティア帝国皇帝の執事が他国の者だと知り、大臣達が一転して声を落とす。それくらいの反応は予想済みであったため、アルカディアは構わず後ろにいるグレンに振り返った。
「どうじゃろうか、グレン殿?余としても忠義者であるヴァルジへの少しばかりの褒美として、その願いを叶えてやりたいのじゃが」
すぐ傍で発せられる主の言葉を聞きながら、
(ま、そんなこと思ってもいないんですけどね)
とヴァルジは考えていた。
ヴォアグニック武国出身なのは事実であったが、全てはアルカディアがグレンと行動を共にするための嘘であるのだ。
「ふむ。まあ、皇帝がそうしたいと言うんならいいんじゃねえか?なあ、グレン?」
ティリオンからも許可が出る。後は、グレンの判断だけであった。
「構いません」
それもすぐに決断される。
ヴァルジとは一度も口を聞いたことはなかったが、グレンは別に嫌な気分はしなかった。
というのも、マーベルやムロージとの交流を経て、親交のない年上に対する適応力を自分が獲得したと考えているからである。それ以前にもティリオンやバルバロットといった年上との交流が多くはないがあったことも、承諾した理由の1つであった。
加えて、ヴァルジがヴォアグニック武国出身というのにも興味を引かれる。
ヴォアグニック武国はフォートレス王国の東に位置し、歴史上何度も争った国ではあった。しかしその目的が他国とは異なり、『強者と戦いたいから』といったものであったのだ。
周辺諸国最強のフォートレス王国に対して勝負を挑んで来る武国の戦士たちも、『義と武と勇』を重んじる立派な戦士である。侵略行為をあまりせず、正々堂々と戦うため、王国の中には武国を尊敬している者も少なからずいた。
グレンもそうであるという訳ではないが、戦士として武国の者との会話は興味深いと考える。
「そうか、感謝する」
アルカディアは事がうまく進んだことに内心ほくそ笑んでいたが、そんな感情をおくびにも出さず、グレンに感謝の言葉を告げた。
同時に、感謝の意を告げるため、ヴァルジが頭を下げる。
「話はまとまったようだな。んじゃグレン、頼んだぞ」
ティリオンがそう言うことで、この場はお開きとなった。




