1-2 実習開始
実習の依頼、引き受けましょう。
朝、目を覚ましたグレンは一週間前に発した言葉を思い返した。
思うに、あの時の自分は少々らしくなかった気がする。知人の娘であったとしても、初対面の相手とあれだけ話したのは初めてではないだろうか。
グレンは寝台から起き上がり、台所へと向かう。
水がめの蓋を開け、コップに水を注ぐとそれを一気に飲み干した。もう一度コップを水で満たすと、今度はそれを食卓に置く。
食器棚から大きめの皿を取り出し、そこに少し硬くなったパンを2本と大量の干し肉を載せた。あとは食卓の上の籠に入っているリンゴを加えれば、朝食の準備完了である。
外に出ればもっと上等な食事を店で味わうこともできたが、今は1人静かに考えたいことがあった。そう、エクセとの実習についてである。
あれから一週間、毎日の鍛錬の時間を除けば、そのことばかり考えていた。少女であるエクセにどのように接し、何を見せるか。今も考えているということは、何一つ明確な案が出ていないということなのだが。
グレンは干し肉を掴み、頬張る。常日頃から美味くもないし不味くもないと思っている食料ではあったが、今日に限っては特に味がないように感じた。
グレンは、頭を働かせることが苦手である。決して馬鹿と言うわけではないが、要領が悪い。
ある事柄に対する答えを出すのに、他人よりも数倍時間を掛けてしまうなんてこともざらである。優柔不断と言われればまだ良い方で、自分では脳に欠陥があるのではないかとさえ思っていた。
そんな自己嫌悪を感じつつ、食卓の上に置いてある1枚の書類を手に取る。
それは実習の依頼を受けると言った後、オーバルから手渡されたものであった。『実戦観察』の教官となった者には必ず渡されるものであり、担当学生の成績や能力などが書かれている。
『専攻・・・魔法使い
学力・・・3/126位
体力・・・56/126位
魔法段位・・・2級
魔法錬度|(ここでは特に着目すべきものを記載)・・・火の玉「5」、筋力向上「3」、回復「2」 』
これを見ると、エクセがかなり優秀な生徒であるということが分かるらしい。
魔法を使えないグレンには馴染みのないものであったが、魔法には10級~10段の20段階で習得難度が設定されており、指定されている魔法をいくつか習得すればその段位に昇級できるという制度が国によって施工されている。言わば、魔法使いとしての実力に関して国のお墨付きが貰えるということだ。
さらに使用される魔法の効果には個人差があり、それが『錬度』として5段階で評価される。「5」の評価がもらえれば、その魔法の性能をほぼ引き出していると見なされるとの話だ。
段位に関しても錬度に関しても努力次第で向上を望めるのだが、エクセの年齢で魔法段位2級と魔法錬度「5」――例えそれが8級魔法『火の玉』であったとしても――が1つあることは、かなりすごいことだとオーバルに聞かされた。
それに加えて、学力は学院でも上位。
特にエクセの通う聖マールーン学院は他2つの学院に比べて平均学力が高い、とオーバルは言っていた。また一学年約120人という人数は他の学院の1/3程度であり、かなり少ないのだが、これは聖マールーン学院が女子校であるためなようだ。
富裕層向けの学院は2つあると聞いたが、聖マールーン学院には悪い虫を寄りつかせたくない親が共学であるもう一方の学院を嫌って娘を入れるようで、逆に貴族やより富裕層の男を捕まえるために娘を共学の方に入学させる親もいるのだとか。
体力はエクセの学年において並という評価らしいが、魔法使いならば十分であろう。
そう、エクセは魔法使いなのだ。
それが純粋な剣士であるグレンにとって、どう指導すれば良いのかという一番の悩みの種であった。
今回の実習は生徒の能力向上を狙ったものではなく、あくまで社会人の働きぶりを見て刺激を受けてもらおうというだけのものなのだが、グレンはそれに気づいていなかった。
(やはり、俺が彼女に教えるというのは無理があるな・・・)
一週間前、管理局の待合室では確かに依頼を受けると言った。
無論、それを当日になって「やはり無理そうだから辞める」などと言うつもりは微塵もない。
だがしかし、一週間考え続けた末に何の案も出てこなかったことから、朝食を食べ終える頃にグレンはある結論を導き出していた。コップの水を一気に飲み干すと、決意を表明するかのようにそれを語る。
「よし、エクセ君に無理だと思ってもらおう」
つまりは自分では断れないため、向こうに断ってもらおうという事である。かと言って、今回の実習にあれほど乗り気だったエクセを折れさせるのは、説得では無理であると考えた。
さらにこの実習は学院の授業でもあるため、エクセの成績についても考慮しなくてはならない。生半可な理由で彼女が実習の中断を申し出れば、最悪進級が叶わないかもしれなかった。
そのため、実習の中断を学院側が納得するほどのことをエクセに経験させる必要がある。
幸い、グレンはこの国では『英雄』として扱われている。実習の内容が彼には大したことではなくとも、エクセにとって困難なものであると学院側に思ってもらうことは容易いはずだ。
ただこの一週間、真面目に実習を行うことと並行してこの計画についても考えてはいたが、やはり具体的な内容については何も思い浮かばなかった。
とりあえず管理局に行って、依頼を受ける際にちょうどいい物があればそれにしようと、グレンは考えることを止めた。
空になった食器を洗い、片づける。
壁に掛かった時計を見ると、針は午前9時を指していた。
エクセとは午前11時に勇士管理局で待ち合わせをしている。まだその時間までには余裕があったが、早めに向かって管理局で依頼を見繕うのもいい。
朝の鍛錬をしようかとも悩んだが、依頼内容について1人でじっくり考えたかったため管理局へ向かうことにした。
寝間着を脱ぎ捨て、軽装に着替える。腰に愛用の大太刀を身につけると、扉を開けて外に出た。
「おはようございます、グレン様」
そこには1週間前と同じ仕草で、優雅に朝の挨拶をするエクセがいた。
「――え!?あ・・・お、おはよう・・・」
人の気配を察知することが出来るグレンであっても、それには驚いてしまい、しどろもどろの返事をする。
彼の家は勇士管理局や多くの食事処がある、比較的人通りの多い道に面しているため、家の外に気配があることなど当たり前のことなのだ。そのため別段気に掛けることなく扉を開けたのだが、エクセがいる事は流石に予想できていなかった。
「どうして・・・ここに?」
「アルベルト様が、グレン様ならばお早めに家を出るだろうと仰いまして。教えを乞う身としましては、なるべく長い時間グレン様の傍にいたいと思っておりましたので、ここで待たせていただききました」
要らぬことにその才覚を発揮するんじゃあないと、グレンは友人に対して軽く肩を落とす。
その仕草を自分の行動への反応と受け取ったエクセが、心配そうに見つめてきた。
「あの、グレン様・・・御迷惑だったでしょうか・・・?」
「いや・・・!そんなことはない。良い心がけだと思うよ」
誤解させてはまずいと思い、すぐに言い返す。
「ありがとうございます!――ふふ」
グレンに褒められたことが嬉しかったのか、少女は満面の笑みを浮かべた。前回出会った時もそうだったが、今日のエクセの笑顔は一段と眩しく彼の目に映っている。
それはおそらく少女の服装のせいでもあっただろう。この前の紺色の学生服とは打って変わって、今回は金糸で模様付けされた白い礼服を着用していた。
銀髪と白い肌に白い礼服。ここに詩人がいたならば、エクセのことを雪の妖精とでも表しただろうか。
両手にも同じく白い手袋がはめられており、神聖な印象を受けるのだが、衣服のどれもが妙に体にぴったりしていた。そのため体の線がはっきりとしており、露出がほとんどないにも関わらず非常に艶めかしい。
手には魔法使いが持つような――高級そうな宝石がついている――杖を所持していることから、おそらくこれがエクセの装備なのだろう。
「――っと、大丈夫か、エクセ君?一応これから街の外に出るんだが、そんな上等な服を着てきてしまって」
これくらいの年齢の少女はやはりお洒落というものに気を使うのか、と思いながらグレンは質問した。
「あ、はい、大丈夫です!今日身につけている服には、『清浄』の加護が付与されていますので」
少女が語った『加護』とは、神官のみが使える秘術である。
魔法でも一時的に人に力を与えることができるが、加護は長い時間を掛けて物体に永続的な力を与える事ができた。
今回エクセの服に付与された『清浄』という加護は、簡単にいえば汚れなくなるというものだ。ただそれだけなのだが、効果が永続的ということもあって、加護付きの装備は値段が通常の物よりもかなり高い。おそらく付与されている加護は『清浄』だけではないため、相当な値打ちものであるだろうとグレンはその礼服を品定めする。
見れば礼服や手袋、杖以外にも様々な装飾品が身につけられており、おそらくそれらも何かしら効果のある魔法道具なのだろうと思われた。
能力向上が付与された小物であるならば、持ち運びやすさの観点から値段はさらに跳ね上がる。
「なるほど、見事な装備だ」
グレンは他人の装備を見るのが好きであった。
単純に自分の知らない装備であるならば興味がわくし、それが持つ効果から相手がどのような戦法を取るのかを推察するのも面白い。
また、組み合わせによって思わぬ効果を発揮する場合もあるため、それを考えては1人ひそかに興奮したりもする。持ち主が違うことが多いため、実践したことはないが。
「あの、グレン様・・・。そんなに見られると、恥ずかしい・・・です」
そう言ったエクセは顔を赤らめ、俯いていた。
「あ、すまない・・・!いや、本当に見事な装備と思ってね。見惚れてしまったよ」
グレンは急いで取り繕う。
過去にも女兵士の装備をじろじろ見て怒られたことをグレンは思い出し、全く進歩のない奴だと今回は自分で自分を叱っておく。
「父がグレン様の足手まといとならないようにと、揃えてくれたんです。自分で買った物もありますが」
なるほど流石は六大貴族だな、とグレンは思った。これだけの魔法道具を揃えるだけの人脈と財力は言わずもがな、それらを全て装備できるだけの『装備容量』の大きさに対する称賛である。
基本的に魔法道具は、誰でも大量に装備できるという訳ではない。
魔法道具は例外なく装備者に掛かる負荷を持っており、付与されている能力の数や質によってその大きさは異なった。ある段階までなら何ら影響を受けることはないのだが、それ以上の負荷を受けるとまず体が重くなり、そのままでいるともはや立っていられなくなるほどに疲弊してしまうのだ。
この限界値には個人差があり、それを『装備容量』と呼んでいた。
明確に数値化されているわけではないため確かなものではないが、一般人で1~2個、訓練された一般人で3~5個、貴族で10~12個、六大貴族ともなると20個を超えて装備できるというのが一般的な認識である。
そしてその装備容量の大きさこそが、貴族を貴族たらしめる所以であった。
と言うのも、はるか昔に行われた国作りにおいて、初代フォートレス国王と共に戦った者たちの中で多くの武勲を上げた者が貴族としての位を貰い、特に多くの武勲を上げた6人を指して六大貴族と呼ぶようになったのだ。
魔法道具を多く装備できる者ほど強いというのは、今も昔も変わらない常識として知られている。六大貴族と呼ばれた6人は装備容量が大きく、より多くの魔法道具で自身を強化することによって戦場で活躍できたのだ。
そして、その特性は遺伝した。ただ、例外として貴族の中にも一般人並みにしか装備容量を持たないものもいるし、一般人の中にも貴族並の装備容量を持つ者もまれに生まれることがある。
エクセは、六大貴族の装備容量が綺麗に顕現した少女であった。これだけの装備を整えられるのだから、もしかしたら歴代でも上位のものかもしれない。
ちなみにグレンは、能力微向上の魔法道具ならば6個装備できるくらいである。装飾品を身につけるのが嫌いなため、よほどの戦闘以外に身につけることはしないが。
「うむ・・・さすが・・・。さすがだ・・・」
思わず唸ってしまう。勉学に関しても戦闘に関しても申し分ない。
これならばファセティア家は安泰ですね、とバルバロットに言ってあげたい気持ちになった。
「それでグレン様、これから勇士管理局へ向かうのですよね?」
「あ、ああ。そうだな。じゃあ、行くとしようか」
グレンが頷くと、エクセはくるりと後ろを振り向いた。
今まで気付かなかったが、エクセの傍には甲冑を着こんだ2人の護衛兵がいたのだ。
兜は着けていないため、両者とも青年であることがグレンにも分かる。今までのやり取りを見られていたのかと思うと少々恥ずかしくなるが、それ程までにエクセの存在感が強かったのだと心の中で言い訳をした。
「それでは2人とも、ここからはグレン様と共に行きますので、もう帰ってよろしいですよ」
「「は!」」
ぴったりと息の合った、力強く若さあふれる返事であった。
よく訓練されていますね、とまたもやバルバロットに言ってあげたい気持ちになる。
「――ところでお嬢様、おひとつ、よろしいでしょうか?」
そう言って、護衛兵の1人がエクセに何やら耳打ちをし始めた。
「ええ!そんな我がままを!駄目です、大人しく帰ってください」
「そこをなんとかお願いしますよ~。こんな機会滅多にないんですから」
もう1人の護衛兵が先ほどの態度とは変わって、やや軽薄にエクセに手を合わせた。
主の娘への対応としては適切なものではないが、それくらいの仲ではあるのか、エクセに気分を害した様子はない。
しばらく「お願いします」「駄目です」のやり取りが続いたが、最終的にエクセが折れたようだ。
「もう・・・仕方ないですね。一応お願いしてみますが、駄目ならば大人しく帰ってくださいね?」
「「はっ!!」」
先程よりもいい返事が発せられた。
そしてエクセは再びグレンへ向き直ると、申し訳なさそうに言ってくる。
「グレン様、あの・・・その・・・護衛の者がですね・・・。ぜひ、グレン様と握手がしたいと申しておりまして・・・」
「ああ。なんだ、それくらいなら別に構わない」
こういうことは今まで何度もあったことだ。
グレンは有名人ではあるが、その強面から面識のない人物が近寄ってくるということはあまりない。けれども中には勇気を持って接してくる者もいるため、それに応じることもあった。
そういった場合は、会話はなく握手を求められるだけのことが多い。
ただ手を握るだけで相手は満足するため、グレンとしてはお手頃な意思疎通と捉えていた。実際、護衛兵の2人もそれぞれにとっての満面の笑みを浮かべている。
「本当ですか!よかったですね、2人とも!」
エクセは振り返るとそう言い、2人のために道を開けた。
まず始めに、エクセに耳打ちをした真面目そうな黒髪の青年がグレンの前に進み出る。
「は、初めまして!グレン様!私は、ユーキ=エリント=トランスファーと申します。小さい頃からグレン様のような戦士になりたいと思っておりまして・・・えっと・・・お会いできて光栄です!」
と言って、篭手を外した手を差し出してくる。
名前からして貴族のようだが、グレンは聞いたことがなかった。知っている貴族の方が圧倒的に少ないため、当然ではあったが。
グレンが手を握ると、ユーキは深々と頭を下げた。そして「ありがとうございました!」と言うと、興奮した面持ちで元の位置に戻って行く。
次に来たのは先ほど軽薄そうな印象を受けた金髪の青年だ。余程緊張しているのか、グレンとの距離はたったの数歩であるにもかかわらず、同じ側の手と足が出てしまっている。
「あの、俺、じゃない!――私は、ミカウル=ハインツと言います!同じ平民出としてグレン様を目標に頑張っています!握手してくだしゃ・・・さい!!」
と言って手を差し出してきたが、その手にはまだ篭手がついたままであった。それに気づいたミカウルは慌てて篭手を外し、再度手を差し出す。
グレンは手を握りながら、ミカウルが軽薄な人間ではないと改めた。この青年は面白い子だ、と。
礼を言ったミカウルが元の位置に戻ると、エクセがグレンの前に戻ってくる。
「さ、これでいいですね。グレン様、ありがとうございました」
エクセにそう言われたユーキとミカウル両名は、最後に深々と礼をすると興奮冷めやらぬ感じでその場を去って行った。
今日は朝から濃いな、とグレンが思っていると、なにやらエクセがこちらを伺っているのに気付く。
「どうした、エクセ君?」
グレンがそう聞くと、エクセは「ひゃいっ!」と素っ頓狂な声を上げて小さく飛び跳ねた。
「何やら言いたげな様子だったから声を掛けてみたんだが・・・」
「え!あの、その!」
エクセは顔を赤くしながらあたふたし始める。この子は「あの、その」が口癖なんだなと思いながら、グレンはまた何か自分が失礼なことをしたのではないかと心配した。
しかし少女の態度はそれとは異なり、胸の内を恐る恐る明らかにしてくる。
「あの、グレン様・・・私も、その・・・・握手をしていただいても・・・よろしいでしょうか・・・?」
どうやらあの2人の前では我慢していたらしい。一応目上の者であるからか、従者にそのような態度を見せたくなかったようだ。
「あ、ああ・・・構わない」
そう言われたエクセは満面の笑みを浮かべながら、いそいそと右手の手袋を外し始める。
差し出された手は小さくて美しく、先ほどの青年たちと同じように握ってしまっては潰してしまいそうで、グレンはその手に軽く触れるようにして握り返した。
青年たちとした時よりも長い握手を終えると、顔の真っ赤なエクセがグレンを見ずに、
「そ、それでは、参りましょうか」
と言った。
グレンとエクセは勇士管理局までの道なりを2人して歩く。
グレンの歩幅はエクセのものよりも大きいため、横を歩く少女を意識しつつ、いつもより遅めに歩いた。本来ならば貴族である彼女は前を歩くべきなのだが、恐れ多いとの理由でこうなっている。
そのエクセは、先ほどから口を開かない。それは通行人の好気の目のせいであった。
エクセは、歩き出してから自分たちがいかに目立つかに気付いたようだ。
それもそのはずで、ただでさえ目立つグレンの隣に全身を高級品で固めた少女が歩いているのだ。事情を知らない通行人が訝しむのも無理はない。
エクセの顔は俯いていても分かるくらいに耳まで真っ赤であり、頭から湯気でも出てきそうであった。こんなことならあの2人に勇士管理局まで付いてきてもらえばよかった、と思っているに違いないとグレンは考える。
そんな少女を連れて――いつもより時間が掛かったが――グレン達は管理局に辿り着いた。
管理局の扉を押すと、少女に先に入るよう促す。扉は重いため、エクセでは開いている扉を支えるのにも一苦労であると思ったからだ。
礼を言いつつエクセが管理局の中に入っていき、グレンもそれに続く。
そして、いつもの受付嬢のもとまで向かった。
他の勇士の姿は見当たらず、受付は空いている。この時間帯は勇士の大半にとって、早い時間であるようだ。
「あら、おはようございます。グレン様、エクセリュートお嬢様」
「おはようございます、メーアさん」
グレンがいつも受付を頼む女性が、意外なことにエクセにも声を掛けてきた。どうやら2人は顔なじみらしい。
貴族のお嬢さんが勇士管理局に出入りすることなどないため、おそらく1週間前のグレンとの顔合わせの際に知り合ったのだろう。それにしても、この受付嬢がメーアという名前だということを彼は今初めて知った。
「実習用の依頼を受けにいらっしゃったんですね。予め、こちらで丁度良さそうなものを見繕わせていただきました」
と言って、受付嬢――メーアは書類を3枚取り出した。わざわざ状況を説明する必要がなくて助かる、とグレンは安堵する。
そして依頼書を受け取ると、それを覗き込むようにエクセが近づいてきた。
「えっと、『ゴブリンの巣の偵察』に『回復薬用植物の採取』、あ、この山、小さい頃に行ったことがあります。そして、あとは『キャラバンの護衛』ですか。これは隣町までのようですね」
「比較的戦闘の機会が少なく、目的地も遠すぎないものを選ばせていただきました。グレン様には物足りないと思われますが、エクセリュートお嬢様もいらっしゃいますので」
「もう、メーアさん。エクセと呼んでくださいって言いましたのに」
「いえいえ。貴族の方を呼び捨てになどできませんよ」
仲良くはしゃぎ始めた2人を尻目に、グレンは書類の中身を精査する。確かに、彼とエクセにとって、安全面に関して丁度いい難易度の依頼ではあった。
しかし、グレンにとってはそれでは困る。いざ実行に移そうと考えると罪悪感がひしひしと湧いてくるが、エクセに実習の中断を決断させるよう仕向けなくてはならないのだ。
やるなら今と、グレンは意を決した。
「いや、駄目だな。これでは足りない」
唐突な一言に、会話を楽しんでいた2人がグレンの方を向く。
彼は3枚の書類を返すと、メーアに向かって言った。
「せっかく用意してもらったのに申し訳ないが、これは返させてもらうよ。そうだな、5番棚から適当に5、6枚持ってきてくれないか」
勇士管理局への依頼は全て書類でまとめられており、それぞれ難易度ごとに1~7番棚に納まっている。数字が大きくなれば依頼の難易度も高くなっていき、その分報酬も多い。
先ほどの3つの依頼は、2番棚のものだ。
「お言葉ですが、グレン様。学生であるエクセリュートお嬢様もいらっしゃるんですよ?あまり高難度の依頼を受けるのはお勧めいたしませんが・・・」
メーアは受付嬢として当然の反応をした。
グレンもそれが正論と分かっているが、もはや後には引けない。
「問題ない。エクセ君は私が見た限りかなり優秀な魔法使いだ。装備も充実している。私とならばその程度の依頼、楽々こなしてくれるだろう」
そう言い、グレンはエクセの方へ顔を向ける。
予想外の展開に緊張した面持ちをした少女を目にして、ひどく胸が痛んだ。
「・・・グレン様がそう仰るならば、力を尽くさせていただきます」
グレンの目を見据え、エクセはそう答えた。
彼が評した少女の実力について、嘘偽りはない。しかし、その実力を出し切るにはエクセは経験不足であろうということは容易に想像できた。おそらく、普段の3割も力を発揮できまい。
高難度の依頼に臨めば最悪命を落としかねないが、グレンとしてもかすり傷一つ負わせるつもりはなかった。そこは全力でエクセの護衛にあたると、心の中で誓う。
「お嬢様が構わないのでしたら・・・」
と、渋々といった感じにメーアは5番棚から依頼書を適当に6枚持ってきた。グレンはそれらに目を通すが、エクセは先程と異なり書類の中身を見ようとはしない。
「――では、これにしようか」
グレンは6枚の中から1枚を抜き取り、エクセに渡した。
「『オーガの巣の偵察』、ですか・・・」
オーガとは、地域によって差異はあるが基本的には体毛で覆われた巨大な体と2本の角を持つ亜人種である。知能は低いがその筋力は凄まじく、さきほど名前が出たゴブリンなどよりもはるかに危険なモンスターであった。
また、活動範囲も広く、その巣へ向かうということはオーガと出くわす可能性が高いということになる。討伐ではないため出会っても逃げればいいのだが、それは敏捷性の高い者が出来る技であり、エクセには到底無理な所業であった。
つまり、出会ってしまったら戦わなければならない可能性が高い。1体ならばグレンが抑えるか倒したりしてくれるだろうが、2体以上現れたら或る程度自分の身は自分で守らなければならないはずだ。
それを察したエクセの顔から、冷や汗が一滴流れる。
「グレン様!その依頼は、剣士である貴方様と魔法使いであるエクセお嬢様にとって相性のいい依頼とは言えません!考え直してください!」
これにはメーアも声を荒げる。他の勇士がいないからまだ良かったが、他の受付嬢が何事かとこちらの様子をうかがってきていた。
「いえ、いいんです、メーアさん。グレン様のことです。間違いはありません」
声を震わしながらそう言うエクセの言葉を聞き、グレンは罪悪感で押しつぶされそうになった。さすがにやめた方がいいか、と考え始めた彼の思考を、メーアの声が断ち切る。
「・・・分かりました。ただし、少しでもエクセお嬢様の身に危険が迫るようならすぐに引き返してください。依頼放棄の罰則金は、上に掛けあって不要にしてもらいますから。――ああ、もう!なぜ他の勇士がいないのかしら!エクセお嬢様の護衛についてもらうこともできたのに!」
最後に「いいですね!」と言ってくるメーアに対して、グレンは頷くことしかできなかったのであった。