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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
帝国の姫皇帝
19/86

2-8 英雄と姫皇帝

 事故は起こったものの大した怪我人もなく、エスタブ学院と聖マールーン学院の合同実習は午前の部を終え、現在は昼休みの時間である。

 そして、この時間こそがエスタブ学院の男子生徒たちにとって、この実習の真の醍醐味と言えた。

 実習中は教師や他の生徒の目があるため、聖マールーン学院の女子に気軽に声を掛けることができなかったが、この時間だけは別である。エスタブ学院の男子は皆、目当ての女子を必死になって探していた。

 「いたか!?」

 「いや、こっちにはいない!」

 「くっそーーー!ファセティア家の子はどこだよ!?他のやつに先越されちまうぞ!」

 男子学生達の第一目標は無論エクセである。

 特に魔法使い以外の生徒は実習での絡みもなく、すでに遅れを取っている可能性もあったため必死であった。

 あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。時には競合相手である他の生徒との情報交換も厭わない。

 そして、ついにエクセを見つける。少女は広い訓練場の隅、そこにある大木の木陰で厚く広い敷物の上に座って昼食を取っていた。

 風になびく銀髪は美しく、白い肌はまるで透き通っているかのよう。すでに多くの男子生徒が集まっていたが、誰も近付くことなく見入ってしまっている。

 「おお・・・!」

 今また情報を聞きつけた男子生徒が1人、エクセを見つけて感嘆の声を漏らした。

 「ん・・・!?」

 しかし、すぐに少女の隣に座る人物に目が移る。

 エクセの隣には、グレンがいたのだ。男子生徒たちが彼女を見つけても声を掛けれずにいたのは、このグレンが原因であった。

 どうやら一緒に昼食を取っているようである。

 しかも、かなり仲睦まじく。

 「さ、グレン様。口をお開けください」

 そう言って、エクセは千切ったパンをグレンに向けて差し出した。

 「いや、遠慮しておくよ・・・!自分で食べるから・・・!」

 いきなりな行動に羞恥心を覚え、しどろもどろになりながらもグレンは拒否を言い表す。

 しかし、少女はそれを受け入れない。

 「駄目です!先程、グレン様は(わたくし)を守るため、右手で魔法を受け止めました。グレン様の利き手となれば、王国の至宝と言っても過言ではないのです。これ以上ご負担を掛けるわけにはいきません」

 言いながらも、口にパンを入れてこようとする。

 気持ちは嬉しいが、やはり恥ずかしく、グレンは逃げるように身を引いた。

 「負担と言っても、せいぜいがフォークやスプーンを持つくらいだろう・・・!それに右手の傷ならば、先ほどエクセ君に治してもらったじゃないか・・・!」

 グレンは男子生徒が暴発させた魔法を右手の平で受けた。そのため少し火傷をしてしまったのだが、後をついて来たエクセがすぐに『回復(ヒール)』で癒したのだ。

 「いいえ、グレン様。確かに(わたくし)は先ほど『回復(ヒール)』でグレン様の傷を癒しました。しかし、未熟な(わたくし)の魔法では完全に治癒できたとは言えません。グレン様の身に、万が一があってはいけないのです」

 力説するエクセであったが、グレンは全く了承できなかった。

 「いやしかし、人前でそんなことは・・・!」

 だからと言って、人前でなければ大丈夫というわけでもなかったが。

 「(わたくし)・・・今日のために頑張ってこのお弁当を作ってきたんです・・・」

 先程まで健気に迫っていた少女はそう言うと、急にしゅんとなってしまう。それを見たグレンも、姿勢を正した。

 「これを、エクセ君が?」

 広げられた弁当はパンを除けば多種多様、丁寧に調理された料理ばかりであった。今朝、お決まりなように自分を迎えに来たエクセの後ろで、ミカウルが重そうに持っていたものがこれだったのだ。

 「はい・・・グレン様に手料理を召し上がっていただきたくて・・・」

 (しと)やかに語る少女の言葉に、グレンは喜びを感じていた。

 「それは済まなかったな。ありがたく頂戴するよ」

 「では口を――」

 「それは駄目だ」

 などと言いながら、2人は再び騒ぎ始める。

 そんな彼らを、その場に同席しているミミットとトモエは冷ややかな目で見つめていた。

 「ねえ、ミミットさん・・・」

 「何?トモエさん?」

 「私たちさ、エクセを魔の手から守ろうとか言ってたよね・・・」

 「言ったわね」

 「これ、私たち必要なくない・・・?」

 トモエは背後を振り返る。

 エスタブ学院の男子生徒たちが皆、ある距離を境に立ち止まっていた。おそらく、いや確実にグレンを視界に納めたことで動けずにいるのだ。

 「さすがは英雄ってところかしらね」

 感心するように小さく笑みを浮かべながら、ミミットはエクセの作ってきた料理を口にする。彼女達の分も、そこには含まれていた。

 「あ、美味しい。エクセって本当、何でもできるのね」

 作った本人を見てみると、今度はグレンに肉団子(ミートボール)を食べさせようと悪戦苦闘しているようだ。

 仕方ない、と思ったミミットは、友人の手助けをすることにした。

 「グレン様、いい加減食べてあげたらどうですか?」

 思わぬ介入に、グレンは戸惑う。

 「いや・・・しかしだな、リンベール君・・・!」

 「あ、ミミットでいいですよ。エクセやトモエのことも名前で呼んでいらっしゃるようですし」

 隣で「プリンちゃんでもいいですよ」と小声で言うトモエを無視して、少女は続ける。

 「おそらく、エクセは先ほど助けていただいた恩を返したいんだと思います。そうでなくとも、親しい男性に手料理を振る舞ってあげたいと思う乙女心を、少しは理解してあげるべきです」

 好きな男性ではなく、親しい男性と表現したのは、彼女なりの優しさであった。

 「しかし、何も食べさせてもらう必要はないだろう・・・!」

 「あれ?ご存じないんですか?手料理を振る舞う時の一口目は、作った人が食べさせてあげるんですよ?」

 もちろん嘘である。

 しかしグレンは「そ、そうなのか・・・?」と言って真に受けてしまった。自分に教養がないため、そのような習慣があることを知らなかったと考えたのだ。

 エクセとトモエは何も言わない。理由は言わずもがなである。

 そしてしばらく悩んだ後、グレンは渋々といった感じに承諾をした。

 「では・・・一口だけ・・・」

 その言葉に、エクセは満面の笑みで応える。

 「ではグレン様、どうぞ!」

 弾むような声で言いながら、エクセはフォークに刺した肉団子(ミートボール)をグレンに差し出した。彼は躊躇いながらも、それを一口で食す。

 「お味はどうですか?」

 もぐもぐと口を動かすグレンに対して、少女は恐る恐る聞いた。口の中を空にした後、彼は答える。

 「ああ、美味しいよ。これ程までに美味しい料理を食べたのは、初めてかもしれん」

 グレンが自分のために作られた料理を食べたのは、昔母親に作ってもらって以来のことであった。その母親の料理も素材が悪く、決して美味であるとは言えない出来であったのだ。

 無論、金を払えば作ってもらえる料理を食べたことはあるが、それを含んでしまってはエクセに対して失礼である。しかし仮にそれを含んだとしても、グレンには彼女の料理が今までで一番美味いと感じられた。

 1人の少女が自分のために料理を作ってくれたという事実が、良い味付けになったのだろうか。

 「本当ですか!?それでしたら、こちらも、こちらも、あとこちらも!全部召し上がってください!」

 歓喜を爆発させ、エクセはグレンの前に料理を並べていく。そんな嬉しそうな友人を見ながら、ミミットは小さく笑っていた。

 けれども、その光景に笑っていられない者たちがいる。そう、エスタブ学院の男子生徒たちだ。

 目当ての女子が目の前で他の男といちゃついてるのを見て、楽しいわけがない。

 しかし相手は英雄。分が悪いどころの話ではなかった。

 (そろそろ他の女子に乗り換えるか・・・)

 と、その場にいる男子生徒のほとんどが考え始めたその時、1人の男子生徒がエクセたちに向かって歩き始める。

 「おお!行くのか、リュウ!」

 それを見た男子生徒達が色めき立つ。

 リュウクシスは腕が立ち、顔も良い。それならば、グレンに一矢報いることができるのではないか。

 そう考えた男子生徒達は皆、彼の背中に期待の眼差しを送っていた。

 「ん・・・?」

 近付いて来るリュウクシスに気が付くと、グレンは食事を中断し、少年に視線を向ける。その様子を訝しんだ少女達も、彼の存在に気が付いたようであった。

 「あれ?リュウ君じゃん。どうしたの?」

 共に汗を流したこともあって、トモエは気軽にリュウクシスに声を掛ける。しかし、少年はそれには答えなかった。

 代わりにグレンに向かって頭を下げ、声を大にして言う。

 「初めまして、グレン様!僕はリュウクシス=ホーラル=セイクリットと申します!姉がいつもお世話になっております!」

 リュウクシスの自己紹介を聞き、トモエ以外の3人が驚いた。

 「シャルメティエの弟か・・・!?」

 「はい!」

 実習の時には「シャルメティエの弟として見られるのが苦痛だ」みたいな事を言っておいて、リュウクシスはちゃっかりグレンに近づく口実としていた。それに気付いたトモエが冷たい視線を送るが、少年は気付いていない。

 「先程のグレン様の御活躍、少しばかりですが拝見させていただきました。まこと、英雄の呼び名に相応しい御方であると感服いたしております」

 しかも、自身に対する態度よりも遥かに礼儀正しい。トモエはなんだか、意地悪をしてやりたくなってきていた。

 「そう固くなるな。どうだ、一緒に食事でも?」

 知人の身内となると意外と人当たりが良くなるのは、グレンにとっては初めてのことではない。隣に座るエクセに対してもそうだったのだ。

 本人に自覚はないが、彼にはそういう傾向があった。

 「いえ、折角のお誘いですが、すでに昼食は済ませておりますので!」

 リュウクシスはこう言ったが、これは嘘であった。グレンに会えるという緊張と興奮で、食欲が全く湧いてこないというだけなのである。

 「そうか。それで、私に何か用か?」

 先程から周りに(たむろ)している少年たちを含め、一体何の用があるのだろうと、グレンはずっと気になっていた事を問い質した。

 その全員に、先程エクセに料理を食べさせてもらった光景を見られているのは、気にしない事にしている。

 「ここでお会いできたのも何かのご縁かと思いまして、ぜひ――握手をしていただきたいと!」

 最後の言葉を少し躊躇いながらも、リュウクシスは言い切った。

 「ああ。それくらいならば構わない」

 なるほどいつものやつか、とグレンは考える。周りにいる少年たちも恐らくそうなのだろうが、勇気がなくここまで来れないのだろう。

 だからと言って、わざわざ自分の方から行く気は全くなかった。

 「ありがとうございます!」

 リュウクシスは満面の笑みでそう言うと、勢いよく頭を下げた。

 グレンは立ち上がり、少年に向かって手を伸ばす。少し距離はあったが、彼の腕は長く、十分届く範囲であった。

 リュウクシスも急いで手を伸ばすと、ミミットとトモエの頭上で2人の握手ががっちりと交わされる。

 「よく鍛えられているな」

 グレンは握った手から伝わる力強さや固さから、少年の実力を推し量って称賛した。整った外見には不釣り合いなほどに、リュウクシスは戦士と言える。

 「あ、ありがとうございます!!」

 「さすがは六大貴族の男子だ。これからも鍛錬に励むといい。ただ、もう少し肩の力は抜いた方がいいかもな」

 グレンのその言葉に、

 (ここだ!)

 と、トモエは目を光らせた。

 「でもグレン先生。リュウ君、私の時はもっとつんつんしてましたよ」

 なに余計なことを言ってるんだ、とリュウクシスはトモエを睨み付ける。けれども意に介さず、少女は素知らぬ顔をしていた。

 「そういえば、トモエ君は彼と親しいようだな」

 「親しいって程でもないですけど。午前の実習で一緒に組み手をしたんです」

 その内容にグレンは彼なりの興味を示したが、トモエは気付かず続ける。

 「私から『やりませんか?』って言ったんですけど、その時のリュウ君、何て言ったと思います?『誰だ、お前?』ですよ!挙句の果てには『俺とお前では勝負にならん』とまで言われました」

 目の前の少年がそのような態度を、という感じに、グレンは「ほう・・・」と呟いた。実際の発言と異なる部分もあったが、大体がその通りだったのでリュウクシスも狼狽えてしまう。

 「ち、違います!誤解です!いや、誤解をしていたんです!」

 「へえ~、それは一体どういった誤解なのかな?」

 トモエが意地悪く笑いながら聞いてくる。その表情にリュウクシスは口籠ってしまったが、ややあって答えた。

 「トモ――カリクライムさんが、僕に言い寄って来たのだと・・・」

 「はあっ!?」

 予想外の返答に、少女は大きな声で驚いた。

 「僕の学院ではよくあることなんです・・・。僕が六大貴族だから・・・。僕と接点を持つためだけに、近接専攻(クラス)を希望する女子もいるほどなんです・・・」

 心底嫌悪するようにリュウクシスは言った。

 それを聞いたグレンは、以前勇士管理局局長のオーバルから聞いた「貴族やより富裕層の男を捕まえるために娘を共学の方に入学させる親もいる」という話を思い出す。

 「だからって、なんで私がそうだと思われなくちゃいけないのさ!」

 トモエは立ち上がり、リュウクシスを睨み付けた。

 「それに関しては本当に済まなかった。だが君の実力を知り、この子は違うと分かってからは普通に接したつもりだ。実際、そうだっただろう?」

 「まあ・・・確かに」

 トモエは自分が蹴りを入れてから、少年の態度が大きく変わったのを思い出していた。

 「でも、ここまで礼儀正しくはなかったよね?」

 うぐっ、とリュウクシスは痛いところを突かれたといった表情をする。その点は彼も自覚していたため、言い返す言葉もなかった。

 「まあまあ、トモエ君。そこまでにしておこう。折角のエクセ君の料理だ。食べる時間が無くなってしまう」

 そこで、見かねたグレンが仲裁に入る。彼にそう言われては矛を収めるしかなく、トモエは渋々座り直した。

 「これは失礼いたしました、グレン様。では、僕はここで――」

 そう言いかけた時、ふいにリュウクシスの腹の虫が鳴る。

 どうやらトモエとの会話によって緊張や興奮が薄まり、食欲が湧いてきたようだ。少年の顔が、恥ずかしさによって見る見るうちに赤く染まっていく。

 「育ち盛りだからな。君も食べていくといい」

 座りながら、グレンはリュウクシスに同席を持ちかけた。

 今すぐ立ち去りたいくらいには羞恥を覚えた少年であったが、憧れの人物からのお誘いという事もあって断りたくはなかった。

 「で、では・・・お言葉に甘えて・・・」

 ぎこちない動きで、トモエの隣に座る。

 (なんで私の隣に・・・)

 と少女は思ったが、それはリュウクシス本人にも分からない事なのであった。






 5人での昼食を終えると、エクセが後ろから小さな籠を取り出す。

 「グレン様、食後のデザートに焼き菓子などはいかがですか?」

 焼き菓子。その単語を聞いた瞬間、グレンは満ち足りたばかりの腹に余剰ができたのを感じた。

 王国の英雄は甘いものが好き。これも、それを知ったエクセが作ってきたものである。

 「頂こう」

 グレンが甘味を好む理由は単純で、幼い頃まったく食べることができなかったからである。特に砂糖を使った菓子は、今でもあまり食べない。

 これは別に金銭的な理由で食べることができないという訳ではなく、彼の貧乏性が原因であった。砂糖は高価なため、より安価な果物で済まそうと考えてしまうのだ。

 故に、彼が菓子を食べるのはかなり久しぶりのことである。

 「これもエクセ君が作ったのか?」

 「はい!」

 グレンの焼き菓子を見つめる視線は熱い。早速頂こうと、その中の1枚に手を伸ばした。

 しかし、それよりも先にエクセが焼き菓子を手に取る。

 「ではグレン様、口をお開けください」

 「こ、これもか・・・!?」

 「当然です。先程はお食事、こちらはデザートですから」

 何がどう当然なのかは分からなかったが、おそらくそれを食べなければ他を食べることを許してくれないのだろうなとグレンは考える。今回は2度目なので先程と同様の条件ならばすぐに承諾したのだが、今は近くに別の人目があった。

 ちらり、とリュウクシスの顔をうかがう。

 先程はエクセの友人しか近くにいなかったが、今は彼がいた。少しでも離れてくれていれば意識することもないのだが、さすがにこの状況でエクセの手から菓子を食べることはやりたくない。

 実はそれと同様の恥ずかしさをエクセも感じていたが、今はグレンに尽くすことが大事だと考えていた。

 「――あ・・・!」

 そんな彼の視線に気付いたのか、リュウクシスは小さく呟くと、2人から軽く視線を外した。

 その行動に動揺の色はない。これは少年が、グレンであるならば少女の1人や2人魅了しても何ら不思議ではない、と考えていたためである。

 そして、それを確認したグレンは、エクセの持つ菓子を素早く口にした。

 途端、口の中に香ばしい甘さが広がる。表情には出ていなかったが、彼の中では大きな幸福感が生まれていた。

 それを見計らっていたように、ある人物が背後からグレンに声を掛ける。

 「やあ、グレン!エクセリュート嬢と仲睦まじいようで、大変結構!」

 アルベルトであった。グレンは菓子に集中するあまり、その気配に気付くことができず、驚いてむせてしまっている。

 「グレン様!お茶をどうぞ!」

 エクセはお茶を注ぎ、グレンに手渡した。

 それを一気に飲み干すと、彼は背後を振り返ってアルベルトを睨み付ける。友人にあんなところを見られるとは、と恥ずかしさを紛らわすためでもあった。

 「アルベルト・・・何の用だ・・・!?」

 「そう邪険にしてくれるな、友よ。折角の食後のティータイムに申し訳ないんだが、君に会いたいと仰る方がいてね」

 その言い方からして身分の高い人物だと思われた。そして初対面であることは確実であり、グレンはあまり気乗りがしない。

 「君が人見知りなのは知っている。しかし、こちらとしてもそれを理由に断りを入れるわけにはいかないんだ」

 アルベルトは何やら必死であった。

 他の者には分からない程度ではあったが、長年の付き合いがあるグレンには理解できる。そんな友人の願いを、簡単に断るわけにはいかなかった。

 「・・・分かった。会ってみよう」

 「流石は我が友。恩に着るよ」

 礼を告げると、アルベルトは元来た道へと引き返していった。そして、しばらくしてから戻ってくる。

 当然、1人ではない。

 (あれは誰だ?)

 アルベルトの他に見覚えのある人物は、チヅリツカくらいであった。

 グレンの背後で、その彼女に気付いたリュウクシスが頭を下げている。これは2人がシャルメティエ繋がりで知り合いだからであり、少年から挨拶をするくらいには交流があった。そしてすぐに顔を上げると、姉も同伴していないか確認するため、急いで辺りを見回してもいる。

 そんな少年に苦笑するチヅリツカの前には、他にも黒い礼服(ドレス)を着た女性と紳士服を着た老人が歩いていた。この2人が自分に会いに来たのかとグレンは考える。

 その考えが正しい事を、到着するなりアルベルトが教えてくれた。

 「グレン、早速だが紹介させてもらうよ。こちらはルクルティア帝国のアルカディア=ファース=ルドヘルム=ルクルティア皇帝陛下。そして執事のヴァルジ=ボーダン殿だ」

 紹介を受け、ヴァルジだけが頭を下げる。

 他国の皇帝の登場に少年少女たちは目を丸くしていたが、すぐに座ったままでは失礼だと思い、急いで立ち上がろうとした。

 「よい、子供たち。用があるのはグレン殿だけじゃ。そなた達は休んでいよ」

 それを、アルカディアが優しく制する。

 ならばとグレンは立ち上がり、彼女の前まで歩いて行った。

 「初めまして、じゃな。王国の英雄グレン=ウォースタイン殿。先程アルベルト殿に紹介してもらったが、改めて名乗らせてもらおう。余がルクルティア帝国皇帝アルカディア=ファース=ルドヘルム=ルクルティアじゃ」

 名乗ったアルカディアを、グレンはじっと見つめる。

 しかし、いくら待っても何も言ってこない。

 (な、なんじゃ・・・!?早速、余に見惚れてしまったか・・・!?)

 アルカディアは心の中で激しく動揺した。

 そのすぐ傍で、アルベルトが困ったように友人に声を掛ける。

 「グレン、君の悪い癖が出ているよ」

 「む?――ああ、すまない。つい。見事な装備だと思ってな」

 アルベルトは肩を竦めると、アルカディアに向けて頭を下げた。

 「彼の無礼をお許しください、アルカディア皇帝陛下。グレンは装備のこととなると、男女の見境なく見入ってしまうのです」

 この会話を聞いた者たちは、グレンがアルカディアに見惚れたのを誤魔化し、それをアルベルトが手助けしたのだろうと考えた。

 けれどもただ2人、このやり取りに驚愕している者達がいる。

 (なぜ分かった!?)

 それはアルカディアと、その執事のヴァルジであった。

 実を言うと、彼女の全身は魔法道具(マジックアイテム)で固められているのだ。

 安全に万全を期すための装備であるため、国宝級のものまで持ち出している。しかし、それをいとも容易く見破られるとは予想外であった。

 見た目に特徴のない物質が魔法道具(マジックアイテム)かどうかを調べるには、装備するか『鑑定(アプレイザル)』を使うしかない。熟練の職人ならば見ただけで分かると言われているが、グレンやアルベルトがそういった技能を持っているかは甚だ疑問であった。

 焦る心をそのままに、アルカディアは口を開く。

 「は、はは・・・!単なる衣類や装飾品に装備などと・・・!グレン殿は冗談が得意なようじゃな・・・!」

 とりあえずそう言って、この場を誤魔化しておく。

 仮にも親善大使として訪れた者が武装をしていることが発覚すれば、問題になることは明白であったからだ。

 それでもグレンの表情に変化はなく、アルカディアの言葉を受けて考えを変えたかどうかは分からなかった。

 「そ、それにしても・・・先程のグレン殿の活躍、誠に見事であった・・・!」

 仕方なく、アルカディアは無理矢理話を変える。

 「学生の危機に己の身を盾にするとは。英雄の名に相応しい所業であると言わざるを得ない。助けられた学生はさぞ感謝したであろうな。傷一つなかったのであろう?」

 アルカディアは事前にアルベルトから実習中の事故について聞いていた。

 その事について話がしたいとグレンとの対面を希望し、ここまで来たということである。加えて、彼を褒めることで自身に対する好感度を上げ、篭絡し易くしようという魂胆もあった。

 「はい」

 肯定し、グレンは後ろにいるエクセを振り返る。

 「おお、そこにいる娘がそうか。愛らしい顔をしておる。傷がつかなくて――ん?」

 何か気になったのか、アルカディアは途中で言葉を止めた。

 眉間に皺を寄せて、じっとエクセを見る。

 「娘よ・・・。すまぬが、ちこう寄ってはくれぬか・・・?」

 そう言われた少女は驚いたようであったが、すぐに返事をすると立ち上がり、グレンの隣に並んだ。その姿を、アルカディアは先程よりもじっくりと観察する。

 「娘・・・お主、名前は・・・?」

 「あ、あの・・・エクセリュート=ファセティア=ローランドと申します・・・。友人からは、エクセと呼ばれております・・・」

 緊張からか、皇帝の問いにエクセはたどたどしく答える。

 「そうか・・・。ならばエクセよ、年はいくつじゃ・・・?」

 アルカディアはエクセが学生であることは知っていても、年齢までは知らない。そのため聞くこと自体はおかしなことではないのだが、その理由が分からなかった。

 少女は不思議そうにグレンの顔を見る。彼も困惑していたが、軽く頷き、エクセに答えるよう促した。

 「今年で15歳になります・・・」

 「15・・・!?15じゃと・・・!?」

 驚愕を多分に含んだ表情で、目の前の少女を観察する。

 「これで・・・15じゃと・・・!?」

 そして最後に、絞り出すように声を発した。

 今、アルカディアは一点を見つめている。その視線の先には、エクセの胸があった。

 (やはり食事じゃ!豊かな大地で作られた物が、このような恵まれた体を生み出すのじゃ!)

 彼女は自分より年下であるのにもかかわらず、女性的魅力に溢れた少女に戦慄する。その差を国のせいにしてしまう程に、アルカディアは衝撃を受けていた。

 「あ・・・あの・・・」

 熱い視線を受けて、エクセも戸惑いを隠せない。

 周囲の者もアルカディアがどこを見ているのかは分かっていたが、何故そこを見ているのかが分からなかった。それでも執事であるヴァルジだけは理解しているようで、主の後ろで目頭を押さえている。

 「エクセよ・・・少し失礼するぞ・・・」

 「え・・・?」

 そんな中、なんの脈絡もなく語られた言葉が何を意味しているのか、発した本人以外誰も分からなかった。そのため誰も何もできず、事が起こるのを未然に防げなかったのだ。

 アルカディアは両手をエクセに向けて差し伸べると、がっしりとその胸を掴む。

 「なっ!?」

 驚きの声を上げたのは少女ではなく、隣に立つグレンであった。当のエクセは我が身に降り掛かったあまりの事態に、目を虚ろにして固まってしまっている。

 「おお・・・!なんとういう柔らかさ・・・!これが王国の大地が生み出したものか・・・!」

 エクセの胸を弄るアルカディアが感嘆の声を漏らす。その様子を呆気に取られて見ていたグレンであったが、少女に対して失礼だと思い、急いで視線を外した。

 他の者の反応も様々で、アルベルトはグレン同様視線を外して苦笑いを浮かべ、チヅリツカは口に手を当て驚いている。リュウクシスは顔を真っ赤にしていたが、その目はしっかりとその光景を捉えていた。ヴァルジは自分の主人のあんまりな行動に、口を大きく開けて唖然としてしまっている。

 ミミットとトモエの反応は少し異なり、2人とも腕を組みながら「うんうん」と頷いていた。どうやら経験済みのようだ。

 「ひ、姫――陛下!!何をなさっているんですか!?無礼にも程がありますぞ!」

 我に返ったヴァルジが、アルカディアをエクセから引きはがそうと後ろから抑えた。

 「ええい離せ、爺!余はもう少し堪能したいのじゃ!」

 「なりません!――申し訳ございません、お嬢様!陛下は箱入り気味だったせいか、少々子供っぽいところがありまして・・・!」

 暴れるアルカディアを抑えつつ、ヴァルジが謝罪した。執事の言葉に、アルベルトとチヅリツカは「それは薄々勘付いていた」と心の中で呟く。

 「さあ!行きますぞ、陛下!」

 「待て、爺!もう少し!もう少しで王国の豊かさの秘訣が分かりそうなんじゃ!」

 「そのようなもの、あそこにはございません!」

 そして、ずるずるとヴァルジに引き摺られて行くアルカディア。

 いくら美しい彼女であっても、その姿はあまりにも滑稽であった。別れの挨拶を言い、アルベルトとチヅリツカもそれについて行く。

 (結局・・・何の話がしたかったんだ・・・?)

 アルカディア一行を見送りつつ、グレンはそんなことを思った。

 続いて、隣に立つエクセを見る。少女は未だ呆然と立ち尽くしていた。

 「あ・・・エクセ君・・・災難・・・だったね・・・」

 何とか慰めようとしたグレンであったが、それだけしか言うことができなかった。

 しかし多少は意識を取り戻したのか、エクセはゆっくりと動き出し――そしてそのまま蹲ってしまう。失意の中にある少女を見下ろしながら、どうすればいいのか分からないグレンは途方に暮れるのであった。

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