2-7 合同実習
アルカディアがアルベルトに連れられて辿り着いた場所から見える景色、それは広大な訓練場であった。至る所に鍛錬用の設備が備え付けられており、そこで王国の騎士たちが日々の鍛錬に励んでいる姿が容易に想像できる。
しかし、今その訓練場にいるのは騎士ではない。エスタブ学院と聖マールーン学院中等部3年の学生――総勢400名以上の少年少女達であった。
なぜ騎士でもない彼らがここにいるのかと言うと、王都の学院には400人を超える規模の学生を一度に収められる場所がないからである。そのため、毎年王城にある訓練場で合同実習は行われていた。
今、アルカディア達は訓練場を見渡すための貴賓席にいる。
城の中から直接向かう事ができ、通常は国王などの地位ある者が騎士たちの訓練を視察するために利用していた。
貴賓席は広く、座り心地の良さそうな椅子まで用意されている。そのため座るよう勧められたが、アルカディアは丁重に断っていた。
「少し遠いな・・・」
貴賓席の手すり壁に掴まり、学生たちの様子を窺おうと身を乗り出す。しかし、本来ここは隊列を組む部隊を眺めるための席であるため、学生たちのいる広場からは幾分か離れていた。
「陛下、こちらをお使いください」
愚痴るアルカディアに、アルベルトはすかさず望遠鏡を差し出す。ここに6級魔法『望遠』を使える者がいれば彼女に掛けるのだが、生憎と今はいなかった。
「おお!感謝するぞ、アルベルト殿!」
礼を告げ、アルカディアは望遠鏡を受け取る。それを使って、早速学生たちを見渡し始めた。
皆一様に若々しい顔立ちをしており、彼女からすれば随分と幼い。当たり前のことなのだが、学生というものを見たことがないアルカディアの中では、彼らに対してまずそういった印象が生まれた。
ふとソーマの幼いころを思い出し、軽く笑みを浮かべる。
それに続いて、今度は服装に注目してみた。
基本動きやすそうな格好をしているのだが、胸の紋章が2種類あることに気付く。先程アルベルトが「2つの学院による合同実習」と言っていたので、そのためなのだろう。
しかし、一方の数がもう一方に比べて大分少ないように思えた。加えて、少数派の方は全てが女子である。
「アルベルト殿、あれはどういった構成なのじゃ?一方の人数が少ないように見えるが」
「あそこにいる学生はエスタブ学院と聖マールーン学院の生徒でして、数の少ない方が聖マールーン学院側の生徒になります。聖マールーン学院は女子校ゆえ、一学年の人数が少ないのです」
「なるほどのう。しかし、男女で戦闘訓練などできるものなのか?」
このアルカディアの疑問には、チヅリツカが答えた。
「アルカディア様、王国の女は強いのですよ」
そう言われたアルカディアはシャルメティエを思い出し、再び「なるほどのう」と呟く。
そして再び望遠鏡を覗くと、今度は周りにいる大人たちへと目を向けた。合同実習には当然教師も保護者として参加しており、今は何やら話をしている最中なようだ。
「ん?」
その時、アルカディアの目にある人物が留まる。その者は生徒からも教師からも少し離れ、1人ぽつんと腕組みをしながら立っていた。
特徴的なのはその外見だ。
顔や腕に古傷が見られ、他の男性教師と比較しても随分と大きい。その目は鋭く学生たちに向けられ、まるで獲物を探しているかのようであった。
「アルベルト殿、あそこにいる男は何者じゃ?」
望遠鏡から目を離し、アルカディアは指でその人物を指し示す。距離があるため誰を指しているか分かるはずもないのだが、アルベルトは躊躇なく答えた。
「彼こそが、我が国の英雄グレン=ウォースタインです」
その答えに、アルカディアは驚愕する。
「そうか・・・!あれが・・・!」
グレンについて、アルカディアは名前と背丈くらいしか知らなかった。
これはアルカディアに限ったことではなく、フォートレス王国外ではグレンの情報がそれだけしか伝わっていないのだ。彼が英雄として有名になった時には、『紅蓮の戦鎧』でその身を隠していたためである。
遠く佇むグレンを、アルカディアは落ち着いた表情で見つめていた。
帝国が崩壊寸前になった原因だとは言っても、その発端は結局帝国自身が王国に攻め込んだせいなのだ。
そのため、アルカディアは彼に対して恨みを持っていない。もし持っていたのならば、始めから「グレンを篭絡する」などとは言わなかっただろう。
それを察するように、横顔を見つめるアルベルトが笑っていると、ふいにアルカディアが彼に向かって振り向いた。
「あそこに英雄殿がいるということは、もしや教師の1人なのか?」
学生でも教師でもない者があの場にいるとは考えにくいため、アルカディアの疑問は至極真っ当なものである。そしてもしそうならば、王国が学生の戦闘能力向上にかなり力を入れていると判断するつもりでいた。
「いえ、彼は単なる見学です。もしかしたら、気になる学生でもいるのではないでしょうか?」
などとアルベルトは語ったが、本当のところは事情を理解している。
聖マールーン学院での2日間の臨時顧問を経て、グレンはムロージやマーベルとかなり親密になっていた。そして、どうせなら合同実習にも参加してもらおうという話になったのだ。
始めは遠慮したグレンであったが、その場に居合わせたエクセとトモエ――一応ミミットもいた――に半ば強制的に話を進められ、現在あの場所に立っているというわけである。
ただ、その過程を話しても仕方がないため、アルベルトは惚けておいた。
「王国の英雄が注目するほどの逸材が、あの中にいるのか・・・!」
そのせいか、アルカディアは要らぬ誤解をしてしまう。
なぜ王国にばかり優秀な人材が生まれるのかと、嫉妬すらしてしまっていた。
「アルベルト殿!学生の実習をもう少し近くで見れぬか!?」
しかし、それはそれで好都合である。
学生に興味があるように見せかけて、グレンに近づくいい口実にしよう。アルカディアはそう考えた。
「勿論です。それでは下に降りるといたしましょう」
貴賓席の傍には階段があり、そこから訓練場へと降りることができる。アルベルトを先頭に、アルカディア達は合同実習の現場へと向かって行った。
近接専攻の学生の実習内容は、授業と同じく組み手である。
しかし、基本的にはやはり男女別々であった。
チヅリツカは王国の男女に差がないように言っていたが、学院としては無用な怪我を避けたいため、そうせざるを得ないのだ。先程の発言は、彼女やシャルメティエが接近戦に長けているために生まれたものであった。
しかしその2人と同様、自分の腕に覚えのある女学生も確かにいる。そういった生徒は、相手が男子であろうと関係なく勝負を挑んでいった。
丁度、トモエがそんな感じである。
「ねえねえ。エスタブ学院で一番強い子って、誰?」
そう言って、近くにいたエスタブ学院の女学生に声を掛けた。見ず知らずとは言え、同い年であったために臆することなく答えてくれる。
「それならリュウ君だと思うけど、男子だよ?」
心配から来た言葉であったが、トモエは笑顔とともに手を振った。
「いいのいいの!で、そのリュウ君ってどの子?」
聞かれた女学生は辺りを見回すと、1人の男子生徒を指差す。
「あそこにいる金髪の男の子。あ、ちょうど今一本終わったみたい」
見れば、尻もちをついた相手に木刀を突き付けている1人の男子学生がいた。綺麗な金髪をしており、横顔からでも整った顔立ちをしているのが分かる。
しかし、トモエにとってそんな事はどうでもよかった。
「ありがと!」
女学生に礼を言うと、そそくさとその男子生徒のもとへと近付いていく。
リュウと教えられた男子生徒は、尻もちをついた相手を引っ張り起こしているところであった。その男子生徒が近づくトモエに気付いたようで、リュウに何やら耳打ちをしている。
「ねえ、君がリュウ君?」
リュウはトモエに一瞥をくれると、不機嫌な感じに言った。
「そうだけど。お前は?」
いきなりの「お前」呼ばわりにはカチンと来たが、ここはぐっと堪える。
「私はトモエ=カリクライム。トモエって呼んで」
しかし、リュウは興味なさそうにあらぬ方向を見ていた。自分で聞いておいてなんだその態度はと思ったが、構わず続ける。
「リュウ君がエスタブ学院で一番強いんでしょ?ちょっと私とやってみない?」
その提案が意外なものだったのか、リュウは驚いたようにトモエを見つめてくる。途端、少年の相手をしていた男子生徒が笑い出した。
「残念だったな、リュウ!どうやら告白とかじゃないみたいだぜ!」
言いながら、リュウの肩を力強くばしばしと叩く。
「黙れ、デュラン。お前がそうじゃないかと言ってきただけだろうが」
なお叩こうとするデュランの手を跳ね除け、少年はトモエを見据えた。
「トモエと言ったか。男の俺と女のお前では勝負にならん。止めておけ」
いきなり名前で呼び捨て、さらには上から目線の発言に少女は苛立つ。
「そんなの分かんないじゃん!――あ、もしかして負けるのが怖い?」
そのため、このような挑発をしてしまった。そしてそれは一定の効果あったようで、むっとしたリュウがトモエを睨み付けてくる。
「安い挑発だが・・・いいだろう、やってやる」
「お、おい!リュウ!」
同級生の実力を知っているデュランが止めに入るが、トモエ共々聞いてはいなかった。
「そうこなくっちゃ。それなら、もっと広い場所まで行こうよ」
少女の提案にリュウが「ああ」と答えると、2人して移動を始める。その後を仕方ないといった感じのデュランがついてきていた。
そして周りに人のいない場所まで来ると、距離を取り、互いに武器を構える。
「それじゃあ、行くよ」
「ああ、いつでも来い」
トモエの言葉にリュウが応えた瞬間、少女は疾走した。
間髪入れずの戦闘移行に関してもそうだが、そのあまりの速さに少年2人は驚きを隠せない。
慌てたリュウは木刀を振り上げ、真っ直ぐ向かってくるトモエに振り下ろす。その一撃も十分に鋭いのだが、いかんせん素直すぎた。
少女はその一撃をあっさりと左手の短木刀で受け流すと、対戦相手の左わき腹に右足で蹴りをお見舞いする。
「がっ・・・!」
グレンに足技を使えばいいと言われ取り入れた戦法ではあったが、実を言うと今この場では不要な行動であった。右手の短木刀を首に押し当てれば、それで勝ちだったのだ。
しかし、先程からのリュウの無礼な態度に腹を立てていたトモエは、お返しとばかりに蹴りを放った。その威力には同年代の少年も堪えたようで、わき腹を抑えながら蹲っている。
そんな彼にトモエは武器を突き付け、言い放った。
「はい、一本」
デュランが「嘘だろ・・・」と呟く声が聞こえるが、少女はあまり良い気分ではなかった。なんだか全然勝った気がしなかったのだ。
「リュウ君、今油断してたでしょ?だから隙だらけ。とりあえず、もう一本いっとく?」
情けにも聞こえる提案であったが、少年は何も言わず、歯を食いしばって立ち上がる。そして、これまでの態度からは予測もできない、爽やかな笑みを浮かべて見せた。
「あ・・・ああ・・・すまなかったな・・・確かに、油断していた・・・」
まさか謝罪をしてくるとは思わず、トモエは面食らう。意外と生真面目な奴なのかもしれない、とも思ってしまった。
そうでなくてはエスタブ学院で学年1位の実力を持つことなどできないだろうから、当然といえば当然なのかもしれないが。
「今の一撃は、その代償ということにしておくが・・・。本来ならば・・・攻撃は全て寸止めのはずだぞ・・・」
「ごめん、ごめん。リュウ君に本気を出してもらおうと思ってさ」
トモエは悪びれることもなく謝罪した。
その言葉に少年は怒ることなく、にやりと笑う。
「いいだろう。次からは俺も本気で行かせてもらう」
そして2人は再び距離を取る。
リュウはすぐに木刀を構えたが、トモエはそうしなかった。
「そういえば、リュウ君に名乗ってもらってなかったんだけど!」
今更ながらにトモエは聞く。
対峙している少年に、少しばかり興味が出てきたようだ。
「お前が勝ったら教えてやるよ!」
その言葉に、トモエは首を傾げる。
「さっき勝ったじゃん!」
「総合成績で、だ!」
声を上げたリュウは、今度は自分からトモエに向かって走り出す。先程は間合い調整の主導権をトモエに渡したが、今度はそうはしない。
武器の間合いの広さではリュウの方が有利なのだ。ならば、その利を生かした戦い方をすれば良い。
「はっ!」
先程と同様、少年はトモエに向けて木刀を振り下ろす。剣先がぎりぎり届く、理想的な間合いであった。
これに対するトモエの一手は何か。
受けるか、流すか、躱すか。いずれにせよ、反撃はない。
そして、トモエは半身になって攻撃を右に躱した。それを予測していたのか、リュウの攻撃は振り下ろしの途中で軌道を変えて、トモエ目掛けて横薙ぎに振るわれる。
しかし、その一撃すら空を切った。少女はすでに、リュウの背後にいたのだ。
先程の走りから予想していた動きよりも大分速い。まさかあの速さで力を抜いていたとは、と少年は驚く。
「ふっ!」
逆手に握られた右手の短木刀が振るわれた。リュウは前へ飛び、なんとかそれを回避する。
しかし態勢を崩し、左手を地に付けてしまっていた。即座に反撃のできない彼に向かって、トモエは追撃を加えようと迫る。
急いで起き上がったリュウは武器を正眼に構え、相手を真正面に捉えた。トモエはすでに間合いの内だ。
しかし、まだ動かない。
それを不思議に思いながらも、少年の目の前でトモエは右斜め前へ跳躍。
この動きについてこれていないリュウの横へ移動すると、再び跳躍して背後を取る。そして、左の短木刀を突き出した。
「んっ!?」
しかし、その動きはそこまでで止まる。
トモエの目の前には、木刀の切っ先が突き出されていたのだ。リュウは背を向けたままであったが、木刀を逆手に持ち、背後にいる少女への攻撃としていた。
「一本だな」
振り返ったリュウが、先程以上に爽やかな笑みを浮かべて言う。
「ふう~・・・やるね」
一息吐くと、トモエは対戦相手を称賛した。
まさか今の動きにグレン同様初見で対応してくるとは思ってもおらず、動揺すら覚える。始めは生意気な奴だと思ったが、やはり中々に腕が立つ優秀な学生であるようだ。
「でも、結構当てる気の攻撃だったよね?寸止めじゃなかったの?」
これに苦笑いを浮かべながら、リュウは答える。
「お前にはそれくらいで丁度いいと思ったんだ。それに、本気の攻撃はそっちも同じだったろ?」
ばれてたか、とトモエは心の中で舌を出した。
臨時顧問として訪れたグレンとの組み手によって、少女はかなりの能力向上を果たしている。わずか2日間とは言え、格上との実戦的な訓練はそれほど少女を鍛え上げたのだ。
しかし、リュウもかなり強かった。グレンと比べれば――比べるのもおかしいが――かなり劣るが、それでも簡単には勝たせてもらえそうにないくらいに腕が立つ。
そしてその点については、リュウも同じく感じている事であった。
「そちらの学院には、良い教師がいるみたいだな」
トモエの強さを、間接的に褒めてくる。
「確かにいるけど、ここまで強くなったのは教師じゃない先生のおかげだよ」
近接専攻の教師であるムロージも、良い指導者であるのは確かであった。
しかしトモエを短期間でここまで強くしたのは、圧倒的な力の差がありながら鍛錬に付き合ってくれたグレンである。
「なるほど、そういう人がお前にもいるんだな」
どうやらリュウにもそういった関係の人物がいるようであった。互いに実戦慣れしているのは、共通した理由があったようだ。
「へ~、どんな人なの?」
トモエのこの質問には答えず、少年はわずかに笑う。
「それも勝てば分かる。一応聞いておくが、お前の方は?」
これにはトモエもにやりと笑って言い返した。
「もちろん教えない。でも、私が勝ったら教えてあげる」
「それは・・・少し卑怯だぞ」
愚痴るリュウに少女は悪戯っぽく笑った。
それを合図に、2人は再び対峙する。
何本繰り返したか分からないが、トモエとリュウは完全に疲弊していた。
負けた方が再試合を希望し、勝った方がそれを承諾するということを延々と繰り返していたのだ。汗だらけの2人は膝に手をついて、顔を俯かせていた。
「もう・・・そろそろ・・・終わりでいいんじゃない・・・?」
息も絶え絶えとなったトモエがリュウに聞く。
「俺の・・・勝ちで・・・いいのなら・・・」
こちらも同様に息を切らせながら答えた。
「やだ・・・!」
しかし、当然のごとくトモエはそれを拒否する。
「ならば、引き分けということでいいな・・・。というか、そうしてくれ・・・」
「でも・・・それだと・・・リュウ君の名前とか・・・先生とか・・・」
トモエの台詞を聞き、リュウは思い出したように顔を上げた。
「そう言えば・・・そんなこと言ってたっけか・・・。もういいよ・・・全部教えるよ・・・」
「そ・・・ありがと・・・。じゃあ、後で・・・100レイズあげる・・・」
「いらん・・・。それより・・・話す前に・・・少し休ませてくれ・・・」
少年の要望に、少女は黙って頷いた。それはトモエにも願ったり叶ったりのものであったのだ。
そして、2人は同時にその場に座り込む。
その後しばらくして体力を回復させると、リュウが話し始めようとトモエに顔を向けた。しかし休憩中に決心が揺らいだのか、何やら口ごもっている様子だ。
「あ~・・・俺の名前なんだけどさ・・・」
何を勿体ぶっているんだか、とトモエは呆れた顔をする。そんなに変な名前なのだろうか。
「リュウクシス、って言うんだ・・・」
どうやら『リュウ』というのは渾名らしい。
トモエは自分がいきなり見ず知らずの男子に渾名で呼びかけていたことを知り、失礼なことをしたと心の中で謝罪をした。
「で、他は?」
フォートレス王国では名前で身分が分かるよう貴族名があり、そうでなくとも姓まである。相手が貴族だからと言って態度を変えるつもりはなかったが、それでも名前だけだというのは納得がいかなかった。
先ほど、自分はしっかり姓まで名乗ったのだ。
「ホーラル・・・」
「え?」
ぼそっと呟くリュウの一言を、トモエは聞き返す。何やら聞いたことのある名前であった。
「リュウクシス=ホーラル=セイクリット・・・それが俺の名前だ」
「ホーラル・・・セイクリット・・・」
少女は考え込むように繰り返すが、すでに答えは頭の中で導き出せている。これは、思考を整理しているだけであった。
「え・・・っと、てことは六大貴族・・・?ってことは、シャルメティエ様の・・・弟ーーーーー!?」
フォートレス王国騎士団副団長シャルメティエ=ホーラル=セイクリット、彼女こそがトモエの憧れであり、目標であった。
家族構成については興味がなかったため知らなかったが、まさか自分と同い年の弟がいたとは、とトモエは驚愕に声を大きくする。
しかし、その反応にリュウクシスは悲しそうな表情を浮かべた。
「お前も、皆と同じ事を言うんだな・・・」
「え・・・?」
少年の沈み込んだ言葉に、興奮気味だったトモエも気を静める。表情から、彼が傷付いているように見えた。
「やれ『六大貴族』だ、やれ『シャルメティエの弟』だ。俺の名前を聞いた者は皆そう言う。俺にはリュウクシスって名前があるのにな」
「リュウ君・・・」
少年は寂しそうに続ける。
「偉大な姉を持つと大変だ。すぐに比べられる。そして期待されるんだ。『お前も姉のように立派な騎士になるんだろうな』とな。そのせいでこっちがどれだけの重圧を感じているかも知らないで・・・!俺にあの人みたいな力がある訳ないだろうが・・・!」
吐き捨てるように語るリュウクシスに向かって、トモエは掛ける言葉が見つからない。
「それはリュウ君の努力が足らないからじゃないの?」
と思ったら、あった。
しかも、かなりきつい一言であった。
「お、お前な!ここは慰める所だろうが!」
あまりの言葉に先程までの悲観的な雰囲気はどこへやら、少年は声を荒げる。そんな彼に、トモエは首を傾げた。
「慰めてほしかったの?」
「ば、馬鹿!違うわ!」
リュウクシスの慌てっぷりに、少女は堪らず楽し気な笑い声を上げる。少年は居たたまれないように黙って、顔を顰めていた。
ひとしきり笑うと、目に浮かんだ涙を指で払い、トモエはリュウクシスを慰める。
「でもまあ、心配いらないと思うよ。私の先生は私のことを『将来シャルメティエ様に匹敵する剣士になる』って言ってくれたし。その私と互角のリュウ君なら、頑張ればシャルメティエ様に追いつけるよ」
そう言われた少年は、どこか嬉しそうであった。
それを誤魔化すため、リュウクシスはトモエに尋ねる。
「そういえば聞いてなかったな。お前の言う『先生』とは誰だ?――ちなみに俺の場合は、分かっているとは思うが、姉だ」
少年からの問いに、トモエは胸を張って答えた。
「聞いて驚け!なんとあの王国の英雄、グレン=ウォースタイン様だ!」
少女の言葉に、リュウクシスは別段驚いた様子を見せなかった。しかし代わりに、目を眩しいまでに輝かせ、トモエに迫ってくる。
「本当か!?それは本当なのか!?本当にグレン様に教えていただいているのか!?」
「ちょっ!?近い近い!!」
地面を這いながら顔をぐいっと近づけられ、逃げるようにトモエは後退る。そのような対応をされても気にせず、リュウクシスは感動を覚えていた。
「そうか・・・!俺はグレン様の弟子と互角に渡り合ったのか・・・!」
喜びのあまり両拳を握りしめる少年であったが、トモエがグレンに鍛えてもらったのはたった2日間である。弟子と言うには、積み上げた物が少ない。
しかし、それを教えたら可哀想だと思い、トモエは黙っていた。この喜びが、目の前の少年の今後の活力になると思ったからだ。
「グレン様のこと、尊敬してるの?」
リュウクシスは力強く頷く。
「当然だ。グレン様の伝説は昔から聞かされている。憧れない男などいないほどの武勇をな」
ここが男と女の違いなのだろうか。
リュウクシスはグレンの伝説を完全に信じ切っていた。
トモエも今では信じているが、それは本人や友人から話を聞いたからだ。何も知らない少年が、ここまでグレンに入れ込んでいるのは正直受け入れ難い。
「リュウ君は信じてるんだ、グレン様の伝説」
「ああ!姉からも、グレン様の話を聞いているからな!」
なるほど、とトモエは思う。王国騎士団副団長ならば、英雄の力を目の当たりにする機会もあるのだろう。
ならば、その言を信用してもおかしくはない。
「私としてはシャルメティエ様が先生の方が嬉しいけどな~。別にグレン様じゃ不服ってわけでもないけど」
「贅沢な・・・!お前は何も分かっていない。俺の姉がどれだけ厳しい――」
その時であった。少年の言葉を遮るように、訓練場一帯を爆発音が包み込んだのだ。
肌に伝わる程に空気が激しく振動している。それを聞いた2人は、思わずその身を強張らせていた。
「え!?何!?」
「魔法使いの奴らがいる所からか!?」
2人は立ち上がり、慌てて辺りを確認する。
そんな彼らのもとに、いつの間にかいなくなっていたデュランが走ってきた。
「おい、リュウ!聞いたか今の!それにあの煙!もしかしてやばい事が起こったんじゃねえの!?」
デュランが指差す方向には、確かに黒煙が見える。
それを目にしたトモエは、魔法使いである友人2人のことを心配した。
(エクセ・・・!ミミット・・・!)
その不安からか、少女は判断を仰ぐようにリュウクシスの顔を見つめる。
少年はトモエの胸中を察すると、
「行ってみるぞ」
と言い、3人揃って魔法使いの生徒たちがいる場所へと走り出した。
先程まで疲弊していたトモエとリュウクシスであったが、もはや疲れなど忘れてしまっていた。
その少し前、魔法使いの生徒達は遠方に設置された的に向かって魔法を放つ訓練をしていた。
さすがに近接専攻のように魔法を打ち合うことはできないため、実技訓練ではこのような形式を取る。
生徒たちは順に並び、自分の使える魔法を唱えていた。それに掛かる時間を傍に立つ教師が計り、さらに発動された魔法の威力を推し量っていく。このようにして魔法練度を測定し、生徒たちの成績とした。
ちなみに、これをするには資格が必要で、その資格は王国魔法研究会が発行している。
「素晴らしいですね、エクセさん。これなら1級もすぐですよ」
先ほど的に向かって1級魔法『炎の槍』を放ったエクセに対して、聖マールーン学院の教師ソルティが称賛を贈る。
少女の魔法を食らった的は、跡形もなく燃え尽きていた。
「いえ、そんな・・・大したことでは・・・」
エクセとしては、まだまだであると考えているためそう答えた。
実際、『炎の槍』の練度も最低評価の「1」であるため仕方ないのだが、周りにいる他の学生は少女に対して羨望の眼差しを向けている。
エクセはそれほど優秀な魔法使いであった。
「あんた、それ嫌味にしかなってないわよ」
すぐ後ろにいたミミットが、冷えた眼差しで非難する。もちろん冗談であった。
「え・・・?そう・・・かな?」
しかし友人には通じていないようで、罪悪感から困惑してしまう。
「嘘、嘘。冗談だってば」
ミミットは急いで訂正する。エクセはほっと一安心したようであった。
「では、次にミミットさん」
「あ、はい」
会話が終わったと見なしたソルティが、ミミットに声を掛ける。
少女はエクセと代わるように教師の隣に移動すると、意識を集中させ、魔法を唱え始めた。
「――『氷の連弾』」
『氷の連弾』は3級魔法であり、今ミミットが使える魔法の中で最も難易度の高いものである。
しかし、練度は「2」。これは彼女が凝り性で、どの魔法も練度を2以上に上げないと次に進みたくないと考えているためであった。この性分がなければもう少し魔法段位を上げられるのに、と生徒を見つめるソルティは考える。
そして、ややあってミミットは『氷の連弾』を放った。
エクセが燃やし尽くした的は既に別の教師によって新しいものに置き換わっており、少女の持つ杖から放たれた氷の弾丸がその的にいくつもの穴を開ける。
「ふう・・・」
ミミットは溜め息を吐いた。今のは中々のできだったと、心の中で自画自賛をする。
「はい、ミミットさんもいいですね。これなら、『氷の連弾』以外の3級魔法も覚えていっていいんじゃないですか?」
教師からの提案に、ミミットは「そうですね」と笑顔で答えた。
「すごいよ、ミミットさん」
喜ぶエクセであったが、ミミットは再び冷ややかな眼差しを浮かべる。
「いや、だからそれ嫌味にしかなってないから」
そしてそう言われたエクセは再び困惑し、本気で慌ててしまった。
「だから、冗談だってば」
ミミットは悪戯っぽく笑みを浮かべる。
本当にこの友人はからかい甲斐がある、と思うのであった。
「それじゃあ、また列に並び直しましょうか」
ミミットの提案に、エクセは頷く。
練度の低い魔法を使うことは魔力はもとより、体力も消費するため連発はさせないようになっていた。
2つの学院を合わせても資格を持った教師の数がそこまで多くないという事もあり、一度魔法を使った生徒はまた列の後ろに並び直すこととなっている。その間に、体力を回復してもらおうというのだ。
しかしその時間は長く、生徒達からすれば格好のおしゃべり時間でしかない。そのため列の後ろでは、盛んに会話が行われていた。
「おい、見ろよ。あれがファセティア家の一人娘だぜ」
「うーわっ!まじで可愛い・・・!その隣の子もいいけど別格だわ、ありゃ」
「それだけじゃないだろ。見ろよ」
静かに騒ぐエスタブ学院の男子生徒たちは、エクセの体つきをじっくりと観察する。
「でかいな・・・」
「ああ・・・」
何が、とは言わない。
しかし、男子生徒たちは己の中に存在する情欲が湧き上がってくるのを感じた。
「――で、何でお前はさっきから黙ってるわけ?」
その男子生徒たちは普段、3人で行動している。
その内の1人が先程から何も喋らないため、不審に思ったのだ。
「今・・・話しかけないでくれ・・・!『炎の槍』・・・唱えてるとこ・・・!」
思いがけない返答に、他の男子生徒は驚愕した。
「馬鹿か!無理だって!お前の魔法段位、6級だろ!?」
「ファセティア家の子が使ったから自分も、って思ってんだろうけど、止めとけ!暴発しても知らないぞ!」
友人の制止に、その男子学生は意味ありげに笑う。
「でも・・・すぐに撃てたら・・・かっこいいじゃん・・・!」
つまりはエクセですら苦戦する魔法を今から唱えておいて、測定の際にすぐ発動することで目立とうとしているようであった。それを切っ掛けにエクセとお近づきになれるかも、とも考えていたのかもしれない。
「いいから、止めとけって!測定するまでまだ時間あるし、まじで暴発しかねないぞ!」
しかし、男子生徒は首を横に振る。
その手に持つ杖からは、小さな炎が噴き出していた。
「ほら!やっぱり制御できてないじゃねえか!今すぐ止めろ!」
その言葉に対しても、少年は強く首を横に振った。
騒ぎに気付いたのか、周りの学生も男子生徒たちに注目している。エクセとミミットも、何事かと視線を寄越していた。
その瞬間、男子生徒の持つ杖から炎の塊が溢れ出す。
それは決して槍ではなく、そこから察するに完全に魔法の発動に失敗していた。
間違って生み出された炎は通常の『炎の槍』よりも多くの魔力を男子生徒から吸い上げており、威力も未知数である。
そして一気に魔力を奪われた男子生徒は一瞬意識を失ってしまい、魔法の制御すら完全に手放してしまった。
男子生徒の杖から、炎の塊が撃ち出される。その先にいたのは――。
「エクセ!」
ミミットが友人の手を取って逃げようとするが、遅い。
炎の塊はエクセの眼前に迫っており、逃げるような時間はなかった。
それを理解した少女は友人の手を放す。それによってミミットは前のめりに転んでしまうが、これで魔法の被害を受けずに済むだろうと、エクセは場違いなほど冷静に考えていた。
そして、辺り一帯に爆発音が鳴り響く。
「なっ――!?」
驚きの声を上げたのはアルカディアであった。
しかし、それは爆発音が響く少し前のこと。アルベルトに率いられたアルカディア達が、実習の場へと向かっている最中の出来事である。
彼女は離れた場所にいたグレンを見つめながら歩いていた。
それに気付いていないのか、こちらに一瞥もくれないで腕を組んだまま立っていた彼であったが、何を思ったのか突如走り出したのだ。
その速さは常人の――いや、人間の域を超えており、それゆえにアルカディアは驚愕の声を上げた。
そして、爆発音が響く。
「ななっ――!?」
驚いたのはアルカディアだけでなく、皆も音のした方へ顔を向けていた。
そこからは、煙も上がっている。
「なんじゃ!?何事じゃ!?」
慌てるアルカディアにヴァルジが答えた。
「どうやら事故のようですな」
とは言ったものの不審者である可能性は否定できず、ヴァルジは主の前に壁になるよう立つ。
「学生の子らは大丈夫なのか!?」
他国の子供とは言え、アルカディアは心の底から心配した。しかしそんな彼女に対して、アルベルトが落ち着いた口調で言ってくる。
「ご安心ください、皇帝陛下。幸いなことに、ここには彼がいましたから」
彼――騎士団団長が信頼してそう言う相手は、1人しかいない。
まさかと思い、アルカディアは先ほどアルベルトから手渡された望遠鏡で煙が上がっている地点を見る。
そこには確かに、グレンの姿があった。
慌てふためく学生を掻き分け、ソルティを含む教師一同が事故現場へと辿り着く。
煙はまだ上がっていた。
「ミミットさん!」
そのすぐ傍でへたり込んでいる生徒に、ソルティが駆け寄る。
「大丈夫ですか、ミミットさん!?」
「先生・・・!私は大丈夫です・・・!でも、エクセが・・・エクセが・・・!」
泣き出しそうになっているミミットの声を聞きながら、ソルティの顔は青ざめていた。
事故現場はすぐ傍だ。見たくはないが、見なくてはならない。
そして、一刻も早く回復魔法を唱えなければいけなかった。
彼女の迷いを決意が掻き消すのと同様に、煙が晴れていく。
「エクセさん!大丈夫ですか!?エクセ――」
叫ぶソルティの目に入ったのは、呆然と立ち尽くすエクセ。そして少女を背にして立つグレンの姿であった。
彼は開いた右手を、前方に向けて突き出している。
「え・・・?」
ミミットは驚きの声を上げた。
先程までそこにいなかった人物が現れたのだ。驚かない方がおかしい。
しかも、どうやらグレンは男子生徒が放った魔法――と言っていいのかも分からない粗末で凶暴な炎の塊を、右手で受け切ったようだ。
少女としては、そちらの方が驚きだった。
「怪我はないか、エクセ君?」
エクセに振り返り、グレンは聞く。
「え・・・?あ・・・はい」
突然の出来事に、エクセも未だ呆然としていた。
「そうか。それは良かった」
決して表情には出ていなかったが、グレンは安堵を覚える。そして再度振り返ると、魔法を放ったと思われる男子生徒に声を掛けた。
「そこのお前」
「は、はい・・・!」
友人2人に支えられた少年は、今にも倒れそうであったが、びくっとしたように返事をした。いきなり現れた大男に激怒されると思い、その恐怖から体が動いたのだ。
「気を付けろ」
「・・・・・・へ?」
グレンの静かな言葉に、男子生徒は気の抜けた声を漏らす。
そして彼はそれだけ言うと、先程まで自分が立っていた場所へと戻って行ってしまった。グレンにとって、エクセが無事であるならば、少年の魔法などその程度のことだったのだ。
「お、お待ちください、グレン様!手を!傷の手当てをさせてください!」
我を取り戻したエクセは、慌ててグレンの後を追いかけていく。
そして少女が彼の名を呼んだことで、いきなり現れた大男の正体が周りの学生に知れ渡った。
「グレン・・・?もしかして、あの?」
「なんでこんな所にいるんだ・・・?」
「初めて見た・・・!」
その中で飛び切り目を輝かせながら、グレンの背中を熱心に見つめる者がいた。
「あの方が、グレン様・・・!」
リュウクシスである。
リュウクシスはその顔に喜色を浮かべながら、隣に立つトモエに話し掛けた。
「グレン様がここに来ていらっしゃるなら、そう言ってくれよ・・・!」
「ああ、ごめんごめん。そう言えば、そうだったっけ」
友人2人が無事だったことで安心したトモエが、いつもの調子で答える。しかし少女の謝罪を、リュウクシスは聞いてはいなかった。
ただぽつりと、
「やはり英雄はすごい・・・!」
と呟くのであった。




