2-6 姫皇帝来訪
ルクルティア帝国とフォートレス王国の国境に建てられた関所、そこにアルカディアはいた。
その身は漆黒の礼服に包まれており、いくつかの装飾品で着飾られている。絶世の美女と謳われてもおかしくない出で立ちであったが、その顔は何故か疲れ切っていた。
それはつい3日前、執事兼護衛のヴァルジには「すぐに出立する」とは言ったものの、本当にすぐ王国から入国の許可が下りるとは思ってもいなかったのだ。そのため自身の不在が原因で国の運営が滞らないよう、滞在予定期間である2週間分の仕事を今日までに終わらせてきている。
この時ばかりは久しぶりに泣きそうになりながら机に噛り付いた皇帝なのであった。
「それでは姉上、お気をつけて」
そんな彼女に向かって、同じ黒髪をした青年が凛とした声で言ってくる。
彼こそがアルカディアの最愛の弟である、ソーマ=ファース=ルドヘルム=ルクルティアであった。年は16歳と若かったが、それを感じさせないほどに頼もしい顔立ちをしている。
アルカディアが国の運営に精力的なのも、全ては彼のためであった。
ルクルティア帝国における帝位継承は本来皇族の男子にのみ許されるものであり、さらには18歳からと決められている。アルカディアの場合は皇帝の不在を理由に特例として許可されたのだが、ソーマには正式な過程を踏んで皇帝の座について欲しかった。
そして、その際に弟のものとなる国は自分の時のような荒んだものではなく、立派なものであって欲しいとアルカディアは考えている。ソーマが18歳となる日に帝位継承の儀を行う予定であるため、その日までにはどんな手を使ってでも国を立て直すつもりであった。
「うむ、ソーマも息災でな。朝はしっかり歯を磨くのだぞ。あと、三食欠かさずしっかり取れ。寝る時は風邪を引かないよう暖かくしなければいけないぞ」
ルクルティア帝国は他の国に比べて北に位置しているため、1年を通して気温が低い。
それに対応するために魔法道具の開発が盛んになり、ついには周辺諸国で最も技術力の高い国となった。フォートレス王国とは異なり、厳しい環境が国を強大にしていったのだ。
ただ、それもかつての話ではあったが。
「姫様、ソーマ様ももう昔とは違うのです。子供扱いしては失礼なのでは?」
アルカディアの態度に、隣に立つヴァルジが苦言を呈す。
「良いんだよ、爺。姉上にとって、僕はまだまだ子供なのだから」
そうは言ったもの、ソーマはどこか寂しそうな表情をしていた。
彼もアルカディアを補佐しようと努力はしているのだが、まだまだ至らないところがあり、そのため姉に対して申し訳ない気持ちを常に抱えているのだ。この一言は、その感情から生まれたものである。
「許せ、ソーマ。冗談じゃ」
そして、そのことはアルカディアも知っていた。心配から出た言葉だったが、反って弟を傷つけてしまったことに彼女は心を痛める。
2人の間に、重い沈黙が流れた。
「陛下、もうそろそろ・・・」
それを見かねたヴァルジが助け舟を出す。彼がアルカディアのことを『陛下』と呼ぶのは、大抵が真面目に応対する時であった。
「う、うむ・・・そうか」
執事に頷くと、アルカディアは少し躊躇ってからソーマを抱きしめる。
「姉上・・・?」
アルカディアは何も言わない。
ソーマが生まれてから今まで一度も離れ離れになったことがなかったため、最後に抱きしめておきたかったのだ。どうせ2週間後には再会するのだが、それでも彼女にとって、最愛の弟と会えない時間としては長く感じられた。
しばらくして、アルカディアはソーマから離れる。
「ではソーマよ、行ってくる」
先程までの疲れ切った顔に活力を加え、アルカディアは笑みを浮かべて見せた。それに応えるため、ソーマも笑う。
「はい。――爺、姉上を頼んだよ」
今回の王国訪問には、護衛としてヴァルジもついていくことになっていた。
「かしこまりました」
ヴァルジはソーマに対して恭しく頭を下げる。そして執事が顔を上げたのを合図に、アルカディアは歩を進めた。
弟に背を向けると同時に、その先にある関所の門を睨み付ける。平和条約を機に建てられたこの建物こそが、二国間における不平等の1つであった。
まず、帝国の人間が王国に入るのと、王国の人間が帝国に入るために必要な手続きの量と税の重さが違う。要は、王国側の人間はすんなり帝国に出入りできるが、逆は異なるということだ。
また、商人が輸送する品物にかかる税率も異なり、帝国側は王国側の倍近い額を支払わなければならなかった。そのため国家間の行き来がしやすい王国の商人は肥え、それを束ねる王国も富を増していくが、帝国側が交易による恩恵を受けることはないのだ。
「ふんっ」
アルカディアは不機嫌に声を発する。
皇帝ということもあり、もろもろの手続きはほとんど免除されたのだが、それでもこの関所が帝国を苦しめる一因になっているのは間違いない。ソーマのためにも何とかしてこの関所を取り除かなくてはと、アルカディアは常日頃から考えていた。
「姫様、手続きが済みましたぞ」
彼女に先んじて関所内に入っていたヴァルジが、自身の主を呼ぶ。
「姫ではない、姫皇帝と呼べ。――うむ、ご苦労」
ソーマがいた時には言わなかったいつもの台詞を、アルカディアは口にした。この『姫皇帝と呼べ』という言葉は本気のものではなく、ヴァルジとのみ行われるお遊びみたいなものであったのだ。
2人だけのやり取りを済ませたアルカディアは、執事に導かれるようにして関所内を歩いていく。この場を管理する王国の兵士が、そんな自分に見惚れているのがよく分かった。
(ふふん、そうじゃろうそうじゃろう。余は美しいじゃろう)
王国に一矢報いた気がして、アルカディアは少し機嫌が良くなる。それ故に軽やかになった足取りは、彼女を異国に続く扉の前まであっさりと導いた。
それでも、威勢が良いのはここまでである。これまで外国を訪れた経験がなかったため、実を言うとアルカディアは緊張していた。
ここから先は自分の領土ではない。その事実が、アルカディアにとって不安の種であったのだ。
何度か深呼吸をして、心を落ち着かせる。
ヴァルジもそんな彼女を気遣ってか、扉を開けるのを待ってくれていた。そして、決心がついたと頷くと、執事もそれに頷き返してから扉を開ける。
そして視界が開けた瞬間、アルカディアは大勢の騎士たちの姿を見て取った。
おそらく王国が寄越した部隊なのだろうが、それにしても数が多い。1個隊分はいるのではないだろうかと思え、まるで戦闘にでも赴くかのような重装備であった。
表情には出ていなかったが、その光景にアルカディアは怯む。もしかしたら人質としてこの場で捕らえられるのではないかと、不安さえよぎった。
そのためしばらく呆然としていると、彼女に向かって1人の騎士が進み出てくる。
(く、くるか・・・!?)
思わず警戒してしまうが、予想に反してその騎士はアルカディアに向かって優雅に敬礼をしてきた。
「ようこそお出でくださいました、アルカディア皇帝陛下。私はフォートレス王国騎士団副団長シャルメティエ=ホーラル=セイクリットと申します。王都までの道中、私の部隊が御身の護衛をさせていただきます」
シャルメティエと名乗った騎士はよく見れば――と言うか、よく見なくても女であった。そして、美しかった。
アルカディアとはまた毛色の違う美貌であり、後ろに立つヴァルジも「ほうほう、これはこれは」などと呟いている。
しかし、アルカディアにはその美しさよりも気になることがあった。
(今、騎士団副団長と言ったか?このような若い女子が?だとすると王国は相当な人材不足ということに――いや、そのようなこと、あるわけがあるまい)
人材不足に悩む国が帝国との戦争に勝利するはずがない。ならば別の可能性なのだろうと、アルカディアは判断した。
「見たところ、そなたは若い。にもかかわらず騎士団の副団長に任ぜられるということは、相当な実力者なのだろうな」
アルカディアは素直にシャルメティエを褒める。
彼女が敗戦国の指導者である自分に対して礼を示してくることで、一先ずぞんざいに扱われることはないと安心して余裕ができていた。
「お褒めの言葉、誠にありがとうございます。しかし、その若さで国を束ねていらっしゃる陛下ほどではないかと」
確かにそうだな、とアルカディアは思う。
今まで必死にやってきたため実感する暇もなかったが、もしかしたら自分はすごいのではないかと心の中で自画自賛していた。思わぬところで、アルカディアは充実感に満たされる
「ふふんっ。気に入ったぞ、シャルメティエとやら。そなたが率いる部隊ならば、余も安心じゃ。執事のヴァルジともども、よろしく頼む」
「はっ!」
シャルメティエは一層気合の入った礼をすると、部下を1人呼び寄せた。それは鎧を着こんだ騎士ではなく、ゆったりとした服に身を包んだ若い女である。
「彼女は私の秘書でチヅリツカと申します。御用がおありの際には、この者に何なりとお申し付けください。――チヅ、陛下を馬車までお連れしてくれ」
「畏まりました、シャルメティエ様」
チヅリツカと呼ばれた秘書もまた、シャルメティエに負けず劣らずの美女であり、何より外見からでも感じるほどに知性的であった。おそらく何事にも心乱されることはないのだろうなと、アルカディアは思う。
「それでは陛下、あちらに馬車を御用意しておりますので」
「うむ」
そう答えると、アルカディアは手で示された方へ歩を進める。その少し前をチヅリツカが歩き、少し後ろをヴァルジが歩いた。
馬車まで辿り着くと、先にアルカディアが乗り込み、続いてヴァルジが、そして最後にチヅリツカが乗り込む。
「シャルメティエは一緒に乗らないのか?」
シャルメティエのことを気に入ったアルカディアは、馬車の中で会話を楽しもうとしていただけに心底残念そうに聞いた。
「はい。シャルメティエ様は部隊の先頭に立ち、陛下をお守りすることになっております」
「・・・そうか」
そんなアルカディアの気持ちを察してか、チヅリツカは聞く。
「今からでもお呼びいたしましょうか?」
しかし、この言葉にアルカディアは首を横に振った。
「いや、よい。ここまで来たのだ。無理を言うつもりはない」
どうせ王都でまた会えるだろう。アルカディアはそう考え、馬車の外を眺める。
大勢の騎士たちが、馬車を囲むように展開している所であった。
「良いか、皆の者!此度の任務は、アルカディア皇帝陛下とその執事ヴァルジ殿の護衛!近づく者あれば即座に対処するよう、心して掛かれ!」
9級魔法『拡声』を発動させたシャルメティエの声が、馬車の中にまで聞こえてくる。それに続いて、騎士たちの割れんばかりの応答の声が響いた。
(争いのほとんどない今でさえこの統率力なのだ。帝国が敗れたのも、仕方のない事やもしれぬな)
アルカディアがそのように考えていると、馬車がゆっくりと走り出しす。
チヅリツカの説明では、途中の町で一泊した後、王都に向かうという話であった。馬を走らせればその日の内に十分間に合う距離ではあったが、他国の皇帝が乗っている馬車を激しく揺らすわけにはいかないという配慮からくる日程である。
「心遣い、痛み入る」
そこまで説明されたわけではなかったが、アルカディアは全てを理解していた。
「もったいなきお言葉です」
それに、チヅリツカは深々と頭を下げる。
そんな彼女から外に視線を移すと、1人の騎士と目が合った。その騎士は照れていたようであったが、胸に手を当てアルカディアに敬意を示してくる。それを見た回りの騎士たちも、順に彼女に向かって敬礼を行ってきた。
例え敗戦国の権力者だとしても、決して礼を失さない騎士たちにアルカディアは深く感心する。
(フォートレス王国か・・・良い国じゃな・・・)
馬車が進むにつれて離れていく祖国を思い浮かべながら、アルカディアは王国を称えた。
確かに気に食わない部分もあるが、それと同じくらい褒める所が多いのも事実だ。いつの日か、自分の国もこのような素晴らしい国にしてみせると、心の中で誓うアルカディアであった。
翌日の朝、シャルメティエ率いるアルカディア護送団は王都ナクーリアに到着した。
ナクーリア市民にはアルカディアの来訪について、つい先日知らされたばかりだったのだが、歓迎の準備は万全である。
花吹雪が舞い、色とりどりの布地で飾られる家々が、街を華やかに染めていた。
そして帝国の皇帝を一目見ようと、人々は整備された道の両脇に並んでいる。その間を、アルカディアを乗せた馬車が走っていた。
「なんと・・・!」
ぞんざいに扱われる事はないと分かっていたアルカディアであったが、よもやここまで歓迎されるとは完全に予想外であった。仮にも15年前まで争っていた敵国であるのにも関わらず、王国の民達は誰もが笑顔である。
もしかしたら王国民にとって、かつての争い事などもはや風化した物でしかないのかもしれない。アルカディアには、そう感じられた。
「良かったですな、陛下」
チヅリツカの前であるため、ヴァルジはアルカディアにそう声を掛ける。自身の主が王国に対して持っている、罪悪感にも似た感情に気付いていたがための一言であった。
「ふ、ふんっ」
その言葉に、アルカディアは恥ずかしそうに顔を背ける。すると、チヅリツカがにこやかに笑っているのが目に入った。
「なんじゃ?」
「いえ、お二人は本当に仲がよろしいのですね」
ここまでの道中、チヅリツカはアルカディアとヴァルジが仲睦まじいやり取りをしている姿を何度も見ている。その会話に彼女自身が加わることもあったため、この2人とは随分親しくなっていた。
「当然でございます。陛下と私は、かれこれ15年の付き合いになりますからな」
この事もまるで決め台詞のようにヴァルジが連呼していたため、チヅリツカには既知の情報である。
彼女の中での老人に対する印象は、すでに第一印象の「真面目そう」から「愉快な人」という評価に変わっていた。
人となりとは外見から判断できないものである、とチヅリツカは思うのであった。
「おお!見よ、爺!あれがこの国の王城か!」
フォートレス王国の王城は、王都ナクーリア内であるならばどこからでも見ることができた。しかし、馬車に乗っているということと集まった観衆に目が行ってしまっていたため、アルカディアは今更ながらに王城の存在に気が付く。
「立派でございますな」
「しかし、我が国の城とて負けてはおらんじゃろう?」
戦争賠償に皇族の私財を投げ売ったとはいっても、城の外装までは変わっていない。多少整備の行き届いていないところはあるが、それでもフォートレス王国の城に劣ってはいないはずとアルカディアは思った。ただ、内装はひどいものであったが。
「いつか拝見したいものです」
チヅリツカにそう言われ、アルカディアは上機嫌になる。
「そうか!そなたとシャルメティエであれば大歓迎じゃ!」
アルカディアは年が近く親しい友人を持っていなかった。そのため友達という存在に憧れており、年下ではあるがシャルメティエとチヅリツカに対してほのかな友情を感じている。
おそらく両名も同様である、とアルカディアは信じていた。
「ありがとうございます、アルカディア様」
その証拠がこの呼び方だ。
チヅリツカはいつの間にかアルカディアのことを『陛下』ではなく、『アルカディア様』と呼んでいた。これが仲が良くなった証でなくて何になる、と皇帝たる彼女は顔を綻ばせる。
「陛下、顔がにやけておりますぞ」
そんなアルカディアに、ヴァルジが茶々を入れてきた。
「う、うるさい!こういうのは見て見ぬ振りをするものじゃぞ、爺!」
彼女の慌てっぷりに、ヴァルジとチヅリツカ、2人の静かな笑い声が馬車の中を満たす。
その光景を見ながら、アルカディアは久しく忘れていた「楽しい」という感情を思い出していた。
思えば今日まで15年間、休暇も取らず皇帝としての責務を果たしてきた。無論、その間笑顔を見せたことがないわけではない。しかし、城にいる間は常に国のことを考えていたため、休まる時がなかったのも事実であった。
今回の王国訪問は「英雄グレンを篭絡する」ことを目的としたものであったが、それ以外にも楽しめることは楽しんでおこうと、密かに決心するアルカディアなのだった。
「アルカディア様、あと少しで到着となります」
「う、うむ!」
そんな事を考えているアルカディアの思考を、チヅリツカの声が呼び戻す。
慌てて外を見ると、彼女の瞳に王城の門が映った。まだ遠いが、それでも分かるほどに立派である。
そしてしばらくして、ついにアルカディアはフォートレス王国の王城に辿り着いた。
乗った時とは逆に今度はまずチヅリツカが馬車を降りる。続いてヴァルジ、そして最後にアルカディアが降りた。
瞬間、王城の正門とは逆の方向から、感嘆の声がどっと上がる。
どうやら、アルカディアの姿を見ようと、ここまで来た市民たちのようだ。皆、口々に彼女の美しさを称えている。
「皇帝って言うくらいだからもっと年食ってるのかと思ったけど、随分若いじゃないか。それにとんでもなく美人だ」
「見ろよ、あの長い黒髪!それにすらりと伸びた足!いやあ、あんな人が国の支配者だったら俺、何でも言うこと聞いちゃうね!」
「素敵・・・」
「あたしも若い頃はあれくらい綺麗だったもんだよ!懐かしいねえ~」
そんな声を聞いて、アルカディアは堪らなく恥ずかしい気持ちで一杯だった。
関所の時は勝ち誇る余裕もあったが、こうまで群衆の目に晒されるとその余裕も出てこない。基本、城に引き籠っていたがための差であった。
「姫様、参りますぞ」
固まったままの主に対して、ヴァルジが小さく囁く。その声に我を取り戻したアルカディアは、足早に門へと向かうのであった。
「ようこそいらっしゃいました、アルカディア皇帝陛下!フォートレス王国民一同、貴女様のご来訪を心より歓迎いたします!」
門に辿り着くなり、立派な制服に身を包んだ若い男が声を大にして言ってくる。
「うむ、しばらく世話になる。して、そなたは?」
「申し遅れました。私はフォートレス王国騎士団団長アルベルト=カルディアム=オデッセイと申します」
その言葉に、アルカディアは怪訝な顔をした。
(この若さで騎士団団長じゃと!?シャルメティエもそうであったが、王国は今世代交代でもしておるのか!?)
いや、それにしても若すぎるとアルカディアは混乱した。
しかし考えても仕方がないため、一先ず答えを出すのは止めにし、シャルメティエの時と同様アルベルトにも賛辞の言葉を贈っておく。
「この国の若者には優秀な者が多いのだな。その中でもそなたは特に優れていると見える。その年で騎士団団長にまで上り詰めるとは、天晴の一言じゃ」
この言葉に、アルベルトは小さく「はっはっは」と笑った。何か可笑しなことを言ったか、とアルカディアは顔を顰める。
「ああ、申し訳ございません、皇帝陛下。ですが、若者と呼ばれるには私は少々年を重ねすぎております。これでも32の、いい大人なのです」
それを聞いたアルカディアは、驚きに目を見開いた。
(なっ!?これで32歳じゃと!?年上ではないか!)
シャルメティエは騎士団副団長としては若いが、見た目は年齢そのままのものであった。しかし、目の前にいるアルベルトは、地位も外見も年齢にそぐわないものであると思わざるを得ない。
(食事か!?やはり豊かな土地で作られた作物が、このような若さをもたらすのか!?)
この際、地位に関しては何かしらの事情があるのだろうと、考えることを放棄したアルカディアであった。
「なるほど・・・。これは失礼をした。まさか年上とは思わなんだ」
アルカディアの謝罪に対して、アルベルトは「お気になさらず」と答える。
「それでは、アルカディア皇帝陛下。ここからは私が案内役を務めさせていただきます」
「う、うむ。よろしく頼む、アルベルト殿」
アルカディアが頷くと、王城の門が騎士たちによって開かれていく。
その間、ヴァルジがぼそっと、
「姫様とアルベルト殿の名前、同じ『アル』ですな」
と、下らないことを言ってきたため、「黙っておれ」と肘で小突いておいた。
門が完全に開くと、アルベルトが「さ、お入りください」と城の中へ手を向ける。そしてアルカディアが歩き出すと、その後に続いてアルベルト、ヴァルジ、そしてチヅリツカが城の中へと入って行った。
「ほう・・・!」
後ろで門の閉まる音が聞こえる中、アルカディアは感嘆の声を漏らす。
かつて帝国の城もそうであったように、王国の城も豪華絢爛な装飾がなされていた。アルカディアは思わず「素晴らしい・・・」と思ってしまうが、これらの中にはあの平和条約による富で揃えられたものもあるのだと思い出し、すぐに気持ちを改める。
「皇帝陛下、これからのご予定なのですが――」
「うむ」
そんな気持ちが出てしまったのか、彼女の返事には不満が見えた。
けれども触れられず、アルベルトは続ける。
「本来ならばすぐにでも国王にお会いしていただきたいのですが、王は今お忙しいようで、それは明日にしていただきたいのです」
国の最高権力者が他国を訪れた場合、その国の最高権力者に会うことは当たり前のことであった。そのためアルカディアもその心構えをしてきたのだが、思わぬ肩透かしを食らってしまう。
「そうか。おそらく内政に関することなのであろう?ならば仕方あるまい」
アルカディアはそう推測したが、これは全くの的外れであった。実は現在、国王は自分の子供の勉強を見ている最中だったのだ。
これは国王が「自分の子供は自分で育てる」を信条にしているためであった。ただ、それを正直に話してはアルカディアを怒らせるだけなので、アルベルトは詳細については何も語らない。
流石にまずいと思い王に進言したところ、『今日はミスリに勉強を教えなきゃならねえんだ。あいつは約束を破ると、1週間は口を聞いてくれないんだぞ』と言われたなどとは口が裂けても言えなかった。
ちなみに、ミスリとは第2王妃との間に生まれた5番目の娘である。
「しかし、そうなるとやる事もないか・・・」
ならば早速グレンに会いにでも行くか、と考えるアルカディアに対して、アルベルトが1つの提案をする。
「それなのですが、皇帝陛下。実は今、王都にある2つの学院が共同で戦闘訓練の実習をしている最中なのです。そちらをご見学なさってはいかがでしょうか?」
アルベルトの提案に、アルカディアは心底興味が湧いた。
フォートレス王国の教育水準がどの程度かを知るいい機会であったし、何より彼女は学び舎に通った経験がなかった。もちろん帝国にも子供たちの教育の場はあり、今も機能している。
しかし、そこにも訪れたことはなかったのだ。
「それは面白そうじゃ。ぜひそうしたい」
アルカディアが快諾すると、アルベルトはにこりと笑う。
「その実習の場として、王城にある騎士たちの訓練場が使われているのです。すぐ近くですので、早速向かうといたしましょう」
優雅に向きを変えると、アルベルトは「こちらです」と言って歩き始める。その後を、傍目からでも分かるくらい楽しそうに、アルカディアはついていくのであった。




