幕間 昼食
戦闘訓練の授業が終わった後、グレンは今朝方エクセと約束した場所で待っていた。
学生である彼女は制服に着替えなければいけないため、今は中等部校舎の中だ。
ムロージが少し早く授業を切り上げたのか、それでもまだ昼休みが始まったくらいの時刻であり、そんなに急ぐ必要もなさそうである。共に昼食を取るくらいならば、余裕のある時間帯だ。
(思えば、エクセ君とは約束してばかりだな)
2人で出かけること、剣の指導、そして今回の昼食である。
他は頃合いを見て実行するしかないが、昼食ならば約束したその日に済ませておけるので一安心であった。
そんなことを考えていると、校舎の中から制服に着替えたエクセが出てくる。
しかし、1人ではない。先ほどグレンと組み手をしたトモエと、そのトモエに連れてこられた魔法使いの少女も一緒であった。
「申し訳ございません、グレン様。友人達が、自分たちもグレン様と昼食をご一緒したいと言って聞かなくて・・・」
グレンの所まで来ると、開口一番にエクセがそう謝罪した。
「あ、ああ・・・。構わないよ」
自分と一緒に食事をしたいと思う少女がエクセ以外にいるとは、とグレンは少々驚く。その2人が「よかった」という表情をしたので猶更であった。
「ではグレン様、改めて自己紹介をしたいと思います。私の名前はトモエ=カリクライム。先程はありがとうございました」
まずトモエが自己紹介を済ませると、続いて隣の少女が口を開いた。
「初めまして、グレン様。私はミミット=クリシュプ=リンベールと言います。以後、お見知りおきください」
ミミットと名乗った少女も、トモエ同様優雅に頭を下げる。エクセもそうだが、この学院の生徒は皆こんなにも礼儀正しいものなのか、とグレンは思った。
自分が15歳の時を思い出し、教育の差というものを自然と思い知る。
「それでは、食堂に向かうとしましょう」
エクセがそう切り出したことで、4人は移動を開始した。
エクセから学院内の施設に関する説明を受けながら、グレン達は食堂まで辿り着く。その間、高等部の生徒とすれ違うことがあり、誰もが少女3人を引き連れた大男に唖然としていた。
その表情を見て、エクセに食堂までの案内を頼んで正解だったとグレンは思う。
少女3人を引き連れていたためにその程度の反応で済んだが、もし1人で学院内を歩いていたらどうなっていたか分からない。今までの学生の態度を思うに、グレンがいることは全校生徒にまでは知らされていないようだ。
何事もなく目的地に到着でき、グレンは胸を撫で下ろした。そして避難するように食堂の扉を開け、中に入って行く。
途端、食欲をそそる匂いが漂ってきた。体を動かして空腹なトモエが、香りを楽しむように小さく鼻を鳴らす。
「わ、いい匂い」
「ここに来るのも久しぶりね。確か、入学直後に施設を案内された時以来だっけ?」
「そうですね。それ以来だったと思います」
さらりと発せられたエクセの返事に、ミミットとトモエは怪訝な顔つきをする。原則、友人間での敬語は禁止されているのだ。
そんな2人に気付いてもらおうと、エクセはグレンの方をちらりと見る。つまりは、彼の前では砕けた口調で喋りたくないということであった。
ミミットとトモエは互いに「ああ・・・」といった表情をして、エクセに向かって頷いた。付き合いが長い友人同士だからこそ可能な、友情という名の意思疎通である。
故にグレンは気付かず、食堂内をじっくりと観察していた。
決して広くはないが、それでも50人分の席はあると思われる。隅々まで綺麗に掃除されており、衛生管理が行き届いているのが分かった。
さらにはこの美味しそうな匂い。肉、魚、パンの香りが、強烈に空腹を刺激してくる。味わわずとも、良質な食事を楽しめるだろうと確信できた。
それでも、利用している生徒の数は少ない。3つの校舎合わせて1000人以上の学生がいるのにもかかわらず、ここには20人ほどしかいなかった。
その点にグレンは疑問を抱いたが、都合がよかったため良しとした。
「グレン様、あちらでお食事を受け取ることができますよ」
立ち尽くしたままのグレンに向かって、エクセが教えてくれる。
「ああ、ありがとう。それでは、行って来るよ」
「はい。その間、私たちは席を取っておきます」
「頼む。時間が掛かるようならば、先に食事を始めてくれても構わないからな」
そう言い、グレンはエクセに教えてもらった場所へと向かった。
近づくにつれて、料理の匂いがだんだんと強くなる。腹の虫が豪快に鳴きそうであった。
「すまない」
目的の場所に辿り着くと、奥で作業をしている中年女性に声を掛ける。その女性は作業の手を止め、ゆっくりとした足取りでこちらに向かって来た。
「はいはい、いらっしゃ――何だね、あんた!?」
客に対する態度としては不適切ではあったが、それはそうだとグレンは思う。
この学院に似つかわしくない男がいきなり現れたら、誰でもこのような反応をするだろう。これは予想済みであったため、彼も冷静に言葉を返した。
「今日明日と中等部の臨時顧問として来たグレ――」
「ああーーー!はいはいはい、聞いてるよ!ってことは、あんたが英雄グレンさん!?なるほど、こりゃよく食べそうな体をしてるね!」
グレンの自己紹介に中年女性は大声で割って入る。その声は広くない食堂に響き渡り、他の学生が一斉に2人の方を向いた。加えて、ひそひそとした話し声も聞こえる。
「え・・・?今、英雄グレンって言った?」
「まさか。なんでグレンがここにいるのよ?女子校よ?」
「でもあそこの男性、あまり見かけない人ですよ?」
「本物?もしそうだったら、テレちーに教えたほうがいいのかな?」
グレンは背中に突き刺さる視線を感じながら、さっさと注文を済ませてしまおうと考える。
「料理を頼みたいんですが」
「いいわよいいわよ!じゃんじゃん頼んじゃって!学院長からそこら辺の話は聞いてるから、いくらでも食べちゃって!」
頼むからもう少し静かに喋ってくれ、と思うグレンであった。
「すまない、思いのほか時間が掛かった」
両手に大量の料理を持って、グレンはエクセ達の座る席へと戻った。
そこは4人掛けの食卓であり、片側にミミットとトモエが、もう一方にエクセが座っている。その隣が、グレンの席なようだ。
「いえ、お気になさらず」
エクセからの返事を聞きながら、両手に持った皿を置いて席に着く。グレンの体が大きいため窮屈そうではあったが、少女は迷惑というよりもむしろ嬉しそうな顔をしていた。
「いっぱい持ってきましたね~」
皿の上に載っている大量の料理を見て、トモエが思わず口走る。
「ああ、色々と勧められてしまってな。しかし、豊富な品揃えだ。学生の利用は少ないと思うんだが、何故あれだけの数を揃えているんだ?」
その疑問には、ミミットが答えてくれた。
「学院内の施設に勤めている職員の方が利用されるらしいですよ。始めの頃は学生も多く利用していたらしいんですけど、いつの間にかそういう風になったとか」
なるほど、とグレンは頷いた。
「そんなことより、早くご飯にしませんか?」
先程の授業で空腹なトモエが急かしてくる。
見れば、3人ともまだ弁当には手を付けていなかった。
「すまなかった。それでは、頂くとしよう」
グレンがそう言うと、4人は食事を始める。
小さな弁当箱と大きな2枚の皿がほとんど同時に空になった頃、トモエがグレンに話し掛けてきた。
「そういえば先程の組み手の感想を聞いていなかったんですけど、何か直すべきところはありましたか?」
確かに何も言っていなかったなと、今更ながらにグレンは思う。
「そうだな・・・武器での攻撃だけでなく、足も使うべきだとは思ったな」
予想外の回答だったのか、トモエは目をきょとんとさせた。
「足、ですか?」
「ああ、要は蹴り技ということだ。トモエ君は脚力に自信があるだろう?ならば、その足の筋力を使った蹴りを攻撃に織り交ぜれば、相手は対処に困ると思うんだがな」
グレンの言葉に、トモエは「ふむふむ」と頷く。
「なるほど、さすがはグレン先生ですね」
少女の思わぬ一言を聞き、グレンの「ん?」という言葉と、エクセとミミットの「え?」という言葉が重なった。
「あ、やっぱり可笑しいですか?一応指導していただいた身なんで、敬意を込めて『先生』とお呼びしたんですけど」
「いや・・・そう呼びたいのならば構わないが・・・」
グレンとしては『先生』などと呼ばれるのは気恥ずかしかったが、それだけで少女の敬意を無下にするのは些か狭量であると思われた。そのため、渋々ではあったが受け入れることにする。
隣に座るエクセが、羨ましそうにしているのが少々心残りではあったが。
「本当ですか!やった!国の英雄が先生だなんて、なんだかすごいですね!」
はしゃぐトモエに、「いいな・・・」と言うエクセ。そんな対照的な2人を前に、ミミットが軽く手を上げた。
「私もグレン様に言っておきたいことがあるんですけど、よろしいですか?」
それほど接点があったわけでもない少女の言葉に、グレンは戸惑う。何を言われるのか不安ではあったが、拒否するわけにもいかず、
「構わない」
と答えた。
すると少女は突然立ち上がり、
「先の戦争では兄を救っていただき、ありがとうございました」
と深く頭を下げてくる。
「君の・・・お兄さん?」
グレンはクリシュプ家という貴族を知らない。知らない貴族の方が圧倒的に多いため仕方ないのだが、それでもミミットの兄に心当たりなどなかった。
隣で「プリンお兄さん・・・!」と何やら笑いをこらえているトモエを指で小突きつつ、ミミットは続ける。
「はい。私の兄はシャルメティエ様の部隊に所属しているんです。先の戦争において、命を落としそうなところをグレン様に救っていただいたと言っていました」
先の戦争――アンバット国との戦いには、地上最強のモンスターと言われるサイクロプスが投入された。そのため屈強な王国の騎士であっても被害は免れず、命を落としそうになる者までいたのだ。
「そういうことか。しかし、あれは私のおかげというよりもシャルメティエの奮闘があったからだと思うがな」
グレンが駆け付けるまで、シャルメティエは最前線で部下の命を守っていた。それは戦闘に参加した騎士達全員の知るところであり、そのおかげで死傷者が出なかったと彼は考えている。
「もちろん、それもあると思います。しかし、最終的に敵軍を倒したグレン様にも感謝をするべきだと思うんです」
兄想いの優しい妹なのだな、とグレンは思った。彼には兄弟がいなかったため、そのような繋がりに実感は湧かないが、それでもこれが素晴らしい行いだという事くらいは分かる。
「まあ・・・そういう事にしておこう。しかし、それならば私だけでなく、エクセ君にも感謝しておいた方がいいかもな」
グレンのこの言葉に、ミミットとトモエは「え?」と声を上げ、エクセは彼の方へ勢いよく顔を向けた。
「私がアンバット国との戦争に参加にしたのは、エクセ君に依頼――」
そこまで言って、グレンは口を閉ざす。
と言うよりも塞がれた。突然立ち上がったエクセの手によって。
「・・・どうした?」
と彼は言ったつもりなのだが、口を塞がれていただけあって、何を言ったのか3人には分からなかっただろう。しかし、はっとしたエクセは急いでグレンの口から手を離す。
「も、申し訳ありません、グレン様!ご無礼をお許しください!」
「いや、構わないが」
エクセの謝罪に、グレンは即座にそう答える。
けれども疑問は消えず、それを察した少女は訳を話した。
「あの・・・その・・・ですね・・・そのような事は・・・他人に言い触らすものではないと、私は思います・・・!」
「しかし事実なのだから――」
「グレン様!」
どうやら、その事については黙っていて欲しいようであった。
エクセの力強い瞳が、グレンを見つめてくる。
「――分かった。黙っていよう」
それに勝てるはずもなく承諾を宣言すると、少女は安堵を覚えて席に座った。しかし、友人2人がそれを黙って見逃すわけがない。
「ちょっとエクセ、今のどういうことなの?」
「何かあったっぽいね~」
席に座り直したミミットは身を乗り出して問い質し、トモエは面白そうに笑みを浮かべていた。
「エクセのおかげでもあるならそう言いなさいよ。なんで黙っていたの?」
友人の詰問にエクセはあたふたとし始めるが、ふいに食堂内の時計に目を向けると、
「あ!もうそろそろ戻らないと!授業に遅れてしまいますよ、2人とも!」
と言って誤魔化そうとする。
「そうか、もうそんな時間か」
グレンには分からなくて仕方のないことなのだが、実を言うと現在の時刻はそう遅いものではなかった。聖マールーン学院では昼休憩をたっぷり取るため、中等部校舎へ戻るのにもまだまだ余裕のある時間と言える。
それでも、今から戻ったとしても不自然ではなかった。
「ありがとうございました、グレン様。グレン様と久しぶりにお食事をご一緒できて、とても楽しかったです」
エクセにとってグレンとの食事は、実習の時以来の出来事である。
あの時は今ほどの気持ちを彼に対して抱いていなかったため、特別な感情を覚えなかったのだが、今回は格別であった。欲を言えば、2人きりがよかったのだが。
「ああ、私もだ」
グレンは他人と一緒に食卓を囲むことが少ない。そのため、誰かと一緒に食べる料理の美味さを久しぶりに実感していた。
その2人の会話は食事の終わりを示唆しており、先程の会話も流されてしまったと判断したミミットとトモエは仕方なく席を立つ。それに続いて、グレンとエクセも立ち上がった。
その時である。グレンの視界に、ある物が映り込んだのだ。
それは強烈に彼の興味を刺激し、ほとんど反射的にエクセに向かって詳細を尋ねる。
「エクセ君、あそこの学生が食べているものは何だ?」
彼が指差した方へ、少女も目を向ける。
「ああ、あれは『メロン』ですね。最近、よく市場に出回るようになった果物です。甘くて美味しいですよ」
「果物・・・!この食堂には果物も置いてあるのか・・・!」
果物と聞いて、グレンは何故か興奮していた。
「そうみたいですね。ということは『冷蔵庫』に保管しているのでしょうか?」
「『冷蔵庫』?」
生物は常温のままでは傷みやすい。
そのために開発されたのものが、低温保管を可能とする『冷蔵庫』である。フォートレス王国の技術都市レノで数年前に開発され、今では富裕層の必需品となっていた。
この『冷蔵庫』も魔法道具であり、戦争で用いられた技術を活用して作られている。
「なるほど、そんな物まで作り出されているんだな」
グレンは自国の開発力に深く感心した。もしかしたらすでに技術力の高さで名高いルクルティア帝国を上回っているのかもしれない、などとも思う。
「召し上がっていきますか?」
「ん?」
「メロンです。召し上がったことがないのでしたら、どうぞ食べてみてください。食後のデザートを待つ時間くらいはありますから」
エクセにそう言われ、グレンは「そ、そうか?」と言ってから、先ほど料理を注文した場所へと向かって行く。
後ろで他の3人が座りなおす音とともに、
「墓穴を掘ったな~、エクセめ~」
「さあ。さっき話、詳しく聞かせてちょうだい」
「ああ!そうでした・・・!」
という楽しそうな声を耳にした。
そして3人が会話を始めてからしばらくすると、グレンが席に戻って来る。
瞬間、楽しそうに話をしていた3人の顔が固まった。なぜならばグレンが大量の――昼食よりも多い――果物の山を皿に盛ってきたからである。
「うわ~、これはまたいろいろ勧められましたね」
先程の昼食からそう推測したトモエが驚愕の声を漏らす。
「いや、これは私が自分で頼んだものだ」
しかし予測に反して、グレンが意外な事実を口にした。
それには、3人揃って「え!?」と声を上げる。
「もしかして、グレン様は果物がお好きなんですか?」
「いや、果物というよりも・・・甘い物が好きだな。普段はりんごくらいしか食べないんだが・・・似合わないだろう?」
恥ずかしそうに言うグレンに向かって、エクセは勢いよく首を横に振る。
「いいえ!私も甘い物は大好きです!そうですか・・・!グレン様は甘いものがお好きなんですか・・・!」
いいことを聞いてしまったとばかりに、少女は満面の笑みを作った。
「でもこれ、食べきれるんですか?」
その膨大な量を前に、ミミットが時計を見ながら聞いてくる。
昼休憩は学生である3人にのみ関係あることなので、グレンを放って戻ればいいのだが、彼女としてもそんな形で別れたくはなかった。
「ああ、そうだったな・・・。すまない、君たちは校舎に戻ってくれ」
グレンはそう言うが、ミミットだけでなくエクセやトモエも同じ気持ちであったのか、席を立つ気配がない。
「いやいや、グレン先生。私たちも手伝いますよ」
「そうですね。4人で食べれば、何とか間に合うと思います」
トモエとエクセの言葉に、グレンは少しだけ笑みを見せる。
「そうか。それでは、片付けてしまうとしよう」
グレンの言葉を合図に、4人は山盛りの果物へと手を伸ばした。
結局、そのほとんどをグレンがいとも容易く平らげてしまい、少女達を無事授業に間に合わせることに成功する。
彼と別れてから教室までの間、トモエの放った「やっぱ英雄って胃袋まで英雄級なんだね」という一言に、エクセとミミットは思わず納得してしまうのであった。




