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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
帝国の姫皇帝
15/86

2-5 英雄、教える

 丁度昼休み直前の授業。

 昼食前に腹を空かせるためであろうか、この時間が聖マールーン学院における戦闘訓練の授業の時間であった。

 訓練はどの学年においても一学年全体で行われる。これは聖マールーン学院の一学年単位での生徒数が比較的少なく、近接専攻(クラス)の人数ともなるとさらに少なくなるため可能なことであり、他の学院では教室ごとに行っている。

 そんな時間にグレンは今、訓練場の一角に立っていた。そう、何人かの怯える生徒を前にして。

 「いやあ、まさかグレン殿と共に教鞭をとることになるとは思いもしませんでしたぞ」

 そう言ってくるのは、今朝方マーベルに紹介されたムロージ=アシスタであった。

 ムロージは白髪に白髭と、外見からでも分かるほどに年を重ねていたが、その声から伝わってくる力強さはマーベル同様若さに満ちていた。肉体も十分に鍛えられており、女学生相手ならば十分な指導ができると思われる。

 「いえ、私も適切な助言ができるかどうか」

 「そんなに心配せずともいいんですよ。これは外から来た人の目があることで、訓練に張りを持たせようとするためでもありますからな」

 初対面の時も思ったが、ムロージは好々爺といった感じの人物であった。

 そんな彼の人となりだけでなく、女子校という空間もあってか、グレンはこの老教師とすぐに打ち解けることができた。マーベルの時もそうだったのだが、初対面の相手を苦手とするグレンでも、意外と年上とは上手くやっていけるのかもしれない。

 しかし、年下相手にはそうはいかなかった。

 今、グレンとムロージの前には動きやすい格好に着替えた女学生が20人ほど集まっている。けれどもそのほとんどがグレンに覚えてしまい、彼の方を見ようともしていなかった。

 それも仕方のないことで、いきなり外部の人間――それも顔や腕に古傷のある大男が現れたら、家族や教師以外の男性に慣れていない少女には恐怖の対象でしかないだろう。グレンはこの学院に来て以来、最大の居心地の悪さを感じていた。

 「さて、そろそろですかな」

 懐中時計を見たムロージが呟く。どうやら授業を始めるようだ。

 「皆、注目。今から戦闘訓練を始めるわけだが、その前に紹介しておきたい方がいる。先程からこちらにいらっしゃる、グレン=ウォースタイン殿だ」

 教師の紹介を受けて、一部の生徒を除き、全員が「え?あの?」というような顔をした。

 「今日明日の2日間、私だけでなくグレン殿にも近接専攻(クラス)の指導に当たっていただく。グレン殿、何か言っておきたいことはありますかな?」

 と言われても相変わらず何も考えていなかったため、

 「け、怪我だけはしないように・・・」

 とだけ言った。

 この言葉に先程まで怯えていた生徒たちも警戒の念を解いたように思われ、結果的には良い助言であった。

 「ありがとう、グレン殿。それでは――」

 ムロージが生徒たちに指示を出そうしたその時、1人の学生が手を挙げる。

 「どうした、カリクライム?」

 彼が名を呼んだ学生は、黒髪を短くまとめた、見るからに運動が得意そうな少女であった。

 「先生。グレン様に質問があるんですけど、よろしいですか?」

 その女学生が自分に用があると知り、グレンは大いに慌てる。いきなり小難しいことを聞かれたら、答えることができるかどうか分からなかったからだ。

 以前にも、若い騎士から「『戦う』とはどういうことなのでしょうか?」とか「最近剣を握る理由が分からなくなりまして」などと言われ、非常に困ったことがあった。

 「なんだね?言ってみなさい」

 ここは断ってほしかったが、ムロージがそんな人物ではないと彼は初めから分かっていた。その女学生が変なことを聞いてこないよう、心の中で強く祈る。指導をする前に、いきなり恥を掻きたくはなかった。

 「『真空斬り』ができるって本当ですか?」

 そして聞かれたのは、彼の技に関するものであった。

 その言葉には他の学生のみならず、ムロージまでもが興味深そうにしている。皆、グレンの武勇を伝え聞いただけの者達なのだ。

 (その技名は一体どこまで広がっているんだ・・・)

 グレンは自身の持つ技に名前を付けたことがない。

 『真空斬り』などという名称も、エクセとの実習で初めて聞いたのだ。彼女の父であるバルバロットが勝手に名付けただけだと思っていたが、どうやら中々に浸透しているようである。

 「・・・カリクライム君だったか、何故そんなことを?」

 「トモエです。トモエ=カリクライム。トモエと呼んでください。名前で呼ばれる方が好きなんです。ムロージ先生はそうしてくださらないんですけど」

 トモエと名乗った少女は、グレンの目をしっかりと見てそう言った。エクセ以外にも自分に対して物怖じしない学生がいるのだなと、グレンは密かに安堵する。

 「ではトモエ君、何故そんなことを聞くんだ?」

 「私の友達で、グレン様の知り合いのエクセに聞いたんです。グレン様がエクセの目の前で、『真空斬り』を放った話を」

 どうやらアマタイ山での出来事を、エクセが友人に話したようであった。別段口止めをしたつもりもないため、その事実に動揺することもない。

 「ああ、エクセ君の友人か」

 加えて、物怖じしない理由にも合点がいった。

 おそらく、エクセから自分に関することを聞かされていたのだろう。もしかしたら、昨日彼女と同じ教室にいたのかもしれない。しかしだとしたら、あの一件も目撃しているはず。

 そう考えると、グレンは少々恥ずかしい気持ちになった。

 「はい。で、どうなんですか?『真空斬り』ってできるものなんですか?」

 やけに(こだわ)って聞いてくるトモエを不思議に思いながらも、グレンは答える。

 「ああ」

 そして肯定を返すと、学生たちが一斉に騒ぎ始めた。

 「え・・!?あの話って本当だったの!?」

 「私、作り話だと思ってました」

 「私もだよ・・!信じられない・・・」

 そんな少女たちに向かって、ムロージが手を叩く。

 「これこれ。皆、静かにしなさい。私もグレン殿の実力を話で聞いただけだが、王国の英雄なのだからそれくらいできても不思議ではないんだろう」

 教師の指示という事もあって、少女達は途端に静かになった。

 それでも興奮は冷めやらぬようで、先程とは打って変わってグレンの方を熱心に見つめてくる。その視線に耐えかね、今度は彼が視線を逸らしてしまった程だ。

 「さて、話も終わったことだ。ではこれより――」

 ムロージが再び授業を開始しようとした時、またしてもトモエが手を挙げる。

 「またか、カリクライム。今度はなんだ?」

 聞かれた少女は、勢いよくグレンに語り掛けた。

 「見せてもらうことはできますか!?」

 急にそう言われ、グレンは頭の上に疑問符を浮かべる。

 「・・・何をだ?」

 「『真空斬り』ですよ!『真空斬り』!!今ここでそれを見せてください!」

 信じていないのか、それとも信じた上で言っているのか。トモエの顔からは、半信半疑ではあったが本当にできるのならばすごい、といった心の声が聞こえてくるようである。

 「駄目だ」

 しかし、彼女の興奮を冷ます様にグレンは拒否をした。急速に勢いをなくした少女は、その訳を不満気に問い質す。

 「え・・・、なんでですか?」

 「危ないからだ」

 皆が言うところの『真空斬り』は、斬撃が及ぶ範囲に存在するもの全てを切り裂く。加減をすれば射程を短くすることもできたが、それでもここには大勢の人間がいる。

 万が一が起こらないとも限らず、そのためグレンはトモエのお願いを断ったのだ。

 「え~・・・でも~・・・」

 「そこまでにしておきなさい、カリクライム。あまりグレン殿を困らせてはいかんよ」

 渋るトモエをムロージが(たしな)める。教師にそう言われたトモエは、まだ不満の残った声色で「はあい・・・」と返事をした。

 「では、今度こそ本当に訓練を始める」

 ムロージの言葉を合図に、学生が一斉に頭を下げ、「よろしくお願いします」と挨拶をする。

 その光景を眺めながら、すでに精神的に疲れていたグレンは、授業の終わりまで持つのか堪らなく不安になるのだった。






 中等部3年にもなると、近接専攻(クラス)の戦闘訓練は専ら対人戦に関するものであった。ムロージの話によると、基礎は初等部で習うらしい。

 今も二人一組で、代わる代わる組み手を行っている最中であった。

 各々、自分の得意とする武器を持って訓練に励んでいる。武器とは言っても木でできたものであるため、多少の傷くらいはできるが、決して危ないものではなかった。その傷も授業の終わりに渡される回復薬で治るため、皆存分に武器を振るっている。

 そんな少女たちの姿を観察しながら、グレンは歩く。

 どの学生も精一杯頑張ってはいるが、それでも未熟な点がいくつもあった。しかし、彼はは少女達にその未熟な点を教えようとはしない。

 なぜならば、自分から話しかけることができなかったからである。

 (やはり俺には無理だな・・・)

 グレンは自分の不甲斐なさを痛感しながら、ただただ歩くのみであった。

 「ん?」

 そんな自分の所に、ムロージとトモエが歩いてくるのを目にする。2人の方へ顔を向けながら、グレンは立ち止まった。

 「どうですか、グレン殿?我が学院の生徒達の実力は」

 「ええ、中々のものだと思います」

 ものすごく抽象的なことしか言えなかったが、それでもムロージは納得してくれたようで「ほっほっほ」と笑った。

 「そうですか、それはよかった。――ところで、1つ頼みたいことがありましてな」

 その言葉に、グレンは内心身構える。

 トモエを引き連れてきたのだ。彼女に関したことなのは間違いないと思われるが、それでも予測はつかなかった。

 「こちらのカリクライムなんですが、この子はこの学年の近接専攻(クラス)において1人だけ突出した実力を持っていましてな。組み手となると、いつも私とやるくらいなんですよ」

 その言葉に、グレンは少々驚く。

 「ムロージ先生とですか?」

 「そうです。中々いい勝負ですぞ」

 ムロージは年老いているとは言っても、15歳の少女の訓練相手になる程度の強さであるわけがなかった。ならば、トモエの実力がそれ程なのだろうと思われる。

 「ほう」

 目の前の少女がそれほどの実力を、とグレンは声を漏らした。

 「それで今回は良い機会ですから、私の代わりにグレン殿にカリクライムの相手をしていただきたいと思いましてな」

 「なるほど、そういう事ですか。構いませんよ」

 完全に予想外な展開ではあったが、グレンは渋る事なく承諾する。

 見ながら指導するよりも実戦形式の方が上手く教えられるのではないか、と思ったのだ。加えて、この年代の少年少女の実力を知っておきたくもあった。今後、何かしらの参考になるという事もなくはない。

 「やった!」

 グレンの言葉を受けて、トモエが小さく喜ぶ。その両手には、木製の短刀が1本ずつ握られていた。

 「それでは、あちらの開けた所でお願いします。カリクライムは素早さを生かした戦いをしますので」

 ムロージが示した場所まで、グレンとトモエは歩いて行く。そして辿り着くと、2人は離れて向かい合った。

 「グレン様は武器を持たないんですか?」

 自分は武器を構えつつ、トモエがそう聞いてくる。

 「ああ、危ないからな」

 例え訓練用の木刀であっても、グレンが振るえば骨の1、2本は軽く折ってしまう。

 無論、本気で攻撃する気などないのだが、それでも反射的に手が出てしまう可能性もあった。戦士として鍛え抜かれた故のものであるため仕方ないのだが、今この場では危険でしかない。

 万全を期すため、グレンは素手で戦うつもりでいた。愛用の大太刀は校舎の中だ。

 「ふ~ん。ま、いいですけどね」

 言いながら、トモエはやや腰を落とす。先程ムロージが言っていた通り、素早く動くための姿勢であった。

 左手の短刀は順手に、右手の短刀は逆手に握られている。グレンの見た限り、左の短刀で牽制をしつつ、隙を見て右の短刀で攻撃をしていく戦法を取ると思われた。

 「それではグレン様、よろしくお願いします」

 「ああ」

 トモエの挨拶にグレンが返した瞬間、少女は走り出す。

 (速いな・・・!)

 少女の鍛えられた脚力に、グレンは思わず感心してしまう。15歳の少女にしては、驚異的な速度であった。鎧を着ていないとは言え、王国の騎士よりも素早いのではないか。

 ただ、これは突進ではない。おそらく、どこかで方向転換をしてくるはずである。もしそのまま向かって来るようならば、後でその点を注意しようと考えた。

 そして案の定、グレンにまっすぐ向かってきたトモエは、その少し手前で彼の左手側へと跳躍した。そしてグレンが左に向くよりも早く、背中に回り込むように再び跳躍。

 あっという間に背後を取る。

 (おお・・・)

 グレンが速いと思った先程の疾走すら遅く感じる程の移動であった。この裏回りを成功しやすくするために、始めの走りは手を抜いていたのだろう。

 (取った!)

 意外とあっさり背後を取れてしまったことに喜びを感じつつ、トモエは右手の短刀をグレンの背中めがけて振り下ろす。

 おそらく相手は油断していたに違いない。しかし、一本は一本。

 王国の英雄に一太刀浴びせることができたと知ったら、皆は何と言うだろうか。

 そのように勝った気でいるトモエに向かって――正確にはその右手に握られている短木刀に向けて、グレンは後ろ回し蹴りを放つ。

 左足を軸に猛烈な勢いで回転。距離が近かったため足を曲げたままの蹴りではあったが、その威力は凄まじく、刀身の部分を丸々抉っていた。

 「うえっ!?」

 右腕に若干の痛みを感じつつ驚愕の声を上げるトモエの眼前に、グレンはその大きな拳を突き出す。当てる気はないため、寸止めであった。

 「一本だな」

 そう言うと、グレンは拳を下ろす。トモエは呆然としたまま右手の短刀――だった物を見つめていた。

 別段この武器に思い入れがあった訳ではないため壊れても何とも思わないのだが、もし蹴りが入った箇所が自分の右手だったらと思うと背筋が寒くなる。そして、それを平然と放ってくるグレンも恐ろしかった。

 しかし、それでも悔しさの方が先に立ったのか、トモエは彼に向けてこう言い放つ。

 「もう一本お願いします!」

 少女の闘志に満ちた言葉を聞いて、グレンはある人物を思い出していた。

 (そう言えば、シャルメティエもこんな感じだったな)

 かつてグレンは、シャルメティエとも組み手を行ったことがある。

 その時の彼女はまだ騎士団副団長ではなかったが、十分な実力を有しており、力試しをしたいと彼に勝負を挑んできたのだ。

 武器は互いに木刀を用いた。他に何も身に着けていないため、純粋な剣の腕による勝負である。

 そして勝負の結果はと言うと、グレンの圧勝であった。

 それでもシャルメティエは諦めず、何度も「もう一本お願いしたい!」と言ってきたのだ。

 最終的には『戦乙女の鎧(ヴァルキリーメイル)』を装備し出し、グレンに対しても『紅蓮の戦鎧』を装備するよう要求してきたところでアルベルトが止めに入った。

 自身に対して果敢に挑戦してくるこの少女も、将来はシャルメティエのような立派な騎士になるのではないかとグレンは思う。

 そのため、少女のその願いを今度は断ることなく承諾した。

 「いいだろう」

 グレンとトモエは再び距離を取って対峙する。






 それからというもの、トモエは何度も敗北を喫し、その度に再度勝負を挑んできた。

 しかし結局一太刀も浴びせることができないままで、授業の時間も残りわずかとなってしまう。

 「むむむ・・・!」

 トモエは負けず嫌いであった。

 例え相手が王国の英雄であろうとも、実力差が大きくあろうとも、何もできないまま終わることだけは絶対にしたくなかった。

 体力はまだある。せめて一太刀。それだけが、今のトモエの想いである。

 「先生・・・提案があります・・・!」

 組み手の様子をずっと見ていたムロージに向けて、トモエが言う。見れば、いつの間にか近接専攻(クラス)の全生徒が見学に参加していた。

 「なんだ?」

 「見ていたから分かると思いますが、私とグレン様との間にはかなりの実力差があります。そこでその差を少しでも埋めるため、魔法による強化をしてもいいでしょうか?」

 トモエの突然の提案に、ムロージは戸惑う。

 「私は構わないが・・・・グレン殿はどうかな?」

 とりあえず、勝負の相手であるグレンに聞いてみることにした。

 「私も構いませんよ」

 彼は即座にその提案を飲む。グレンとしては何の意図もない率直な返事であったのだが、トモエはこれを挑発と受け取ってしまった。

 お前など魔法で強化されても同じだ、と。これは、彼女の頭に少々血が上っていたせいである。

 そのため、グレンの返事を聞いたトモエは怒ったように急ぎ足でどこかへ向かって行った。どうやら魔法使いの学生の所へ行くようだ。

 そしてしばらくして、トモエは2人の魔法使いを連れて戻ってくる。それは、親友であるエクセとミミットであった。

 「あの・・・これはどういったことなのでしょうか?」

 事情を聴かされないまま連れてこられたのか、エクセが尋ねてくる。

 「今、グレン殿とカリクライムが組み手を行っていてね。何度やっても勝てないものだから、魔法で強化させてくれと頼まれたんだよ」

 「で、私たちが呼ばれたってことですか?」

 ムロージの説明に、ミミットが確認を取る。グレンの目に彼女の印象が変わって見えたのは、訓練の邪魔にならないよう髪を後ろで束ねているからだろう。

 「そう!2人には今から私が言う魔法を掛けてほしいの!」

 仕方ないとは言え、状況を説明されてしまったトモエが少し苛立たし気に叫んだ。

 そして友人の肩を抱き寄せると、今度は声を落とし、彼女達だけに聞こえるように囁く。

 「ミミットは私に『加速(アクセル)』を掛けて。エクセは確か『全能力向上(オールアップ)』を使えたよね?」

 『全能力向上(オールアップ)』とは、身体能力の全てを向上させる1級魔法のことである。エクセの魔法段位は2級であったが、昇級に必要な数を習得していないだけで1級魔法も使えるには使えた。

 「うん。でも、錬度は『1』だよ?」

 魔法は唱えればその性能を完璧に発揮できるというわけではない。当然、術者の実力によって威力や効果、さらには発動時間に差が出てくる。

 それを推し量る尺度が『錬度』であり、エクセの言う「錬度1」とは辛うじてその魔法が使えるという評価であった。

 「十分じゃない、それ。私なんてまだ魔法段位4級よ?」

 ミミットはそう言うが、それでもこの歳の学生にしてみれば優秀と評される程の実力である。

 「そうそう、十分だって。とりあえず、今できる目一杯の強化をしておきたいの」

 「でも・・・グレン様に勝つのは無理だと思うよ?」

 グレンの実力を知っているエクセが、言外に諦めるよう提言した。

 どれほど本気で戦う気なのか分からないが、それでも魔法で強化されたトモエを楽々制することができるほどの力を彼は持っている。

 これはトモエに限ったことではなく、この国の誰に対してもそうだろう。だからそんなに熱くならずとも良いのではないか、とエクセは思ったのだ。

 「そんなのやってみなくちゃ分からないじゃん!いいから、お願い!後で100レイズあげるからさ!」

 エクセとミミットは、互いに困った顔を見合わせる。

 「どうする、これ?止まらないみたいよ」

 「う~ん・・・」

 ミミットはもはや諦めて言う事を聞いてやろうと考えていたが、エクセは依然渋っていた。

 というのも、グレンの前で「錬度1」の魔法を使うのは躊躇われたからだ。

 「錬度1」というと効果も完全ではなく、何より発動までの時間が長い。前回の実習の時のように充実した装備を身に着けていたのならば別だが、今持っているのは授業用の平凡な杖のみだ。

 発動までに多くの時間がかかることは明白であり、そんな無様な姿をグレンの前で晒したくはなかった。

 「お願いします!エクセさん、ミミットさん!」

 しかし、こうまで頼み込んでくる友人を見捨てるのもどうかと考え、エクセは渋々頷いた。続いてミミットも「しょうがないわね~」と溜め息交じりに承諾する。

 「ありがとう、2人とも!じゃ、早速お願い!」

 トモエは2人の肩を掴んでいた腕を離すと、びしっと直立した。続いて、魔法使いの少女達が指示された通りの魔法を唱える。

 「――『加速(アクセル)』」

 「――『全能力向上(オールアップ)』」

 そして十数秒後、まずミミットが魔法を掛け終わる。

 トモエは自らの体がまるで羽のように軽く、足にこれまでにない強靭さが宿ったことを実感した。これならば先程の倍以上の速度で駆けることができるだろうと、期待に胸を高鳴らせる。

 すぐにでもグレンに挑みたい気分であったが、まだエクセの魔法が掛け終わっていなかった。彼女は目を瞑って集中しながら、己の魔力をトモエに送っている所である。

 そして魔法を掛け始めてから約2分後、ついに『全能力向上(オールアップ)』を唱え終わった。

 トモエの全身に、力が漲ってくる。

 「よし!」

 と意気込むトモエをよそに、エクセは離れた位置に立つグレンを見る。

 もし彼の目に失望の色が見えたら、激しく動揺してしまいそうだった。けれどもグレンの表情には変わった様子はなく、エクセは一先ず胸を撫で下ろす。

 「お待たせしました、グレン様!最終勝負と行きましょう!」

 意気込み、トモエは武器を構える。ちなみに、今彼女が持っている木製の短刀は、これで15本目であった。

 「ああ」

 それに応じると、グレンはトモエに向かって歩き出す。この意外な行動に、少女はかなり面食らった。

 と言うのも、これまでの組手の中で彼から先に動いた事など一度としてなかったからである。グレンは常に待ち構えるように立っており、トモエの攻撃を後の先で潰してくることしかしてこなかった。

 しかし、今回は違う。今のトモエを、少しでも脅威と思っているだろうか。

 (だとしたら嬉しいかも・・・!)

 友人2人に無理を言って魔法を掛けてもらった甲斐があるというものだ、とトモエは笑う。先程は冗談で金銭を渡すと言ったが、本当に何か奢ってやりたい気分であった。

 けれども、今は勝負に集中しなければいけない。トモエは、自分に向かって歩いてくるグレンに目を据える。

 (やっぱり、どう見ても隙だらけなんだよなあ・・・)

 少女は今までの戦闘の中で、グレンに対して攻めづらいと思ったことはなかった。自分が未熟ゆえにそう思わされているだけなのかもしれなかったが、それでも歩いてくるグレンはどこを攻めても攻撃が当たりそうであったのだ。

 しかし、そう思って繰り出したトモエの攻撃は、全て見てから対処されてしまった。

 (だったら、今度は真っすぐ行ってやる!)

 そう決意し、トモエは魔法で強化された体を走らせる。

 その速度は、自分でも驚愕するほどに速い。エクセに『全能力向上(オールアップ)』を掛けてもらっていなければ、腕を振るのにも一苦労しそうなほどであった。

 そして、一気にグレンの目の前に到達する。

 すかさず強化された腕力で2本の短刀を思いっきり振るった。次の手など一切考えていない、どれか1つが当たってくれればいいと願った攻撃である。

 「――あれ?」

 しかし、それらはどちらも空を切る。加えて、目の前にいたグレンもいなくなっていた。

 トモエが慌てて後ろを振り返ると、背中をこちらに向けたまま歩いているグレンの姿を目にする。

 (行き過ぎた!)

 どうやらあまりの速度に短刀を振るう瞬間を見誤ったようであった。

 しかし、グレンも自分を見失っている。ならば今が勝機と、トモエは短刀を握り直す。

 「あれ・・・?」

 トモエは短刀を握り直そうとした。したのだが、その両手には何も握られていなかった。

 もしかしたら先ほど思いっきり振り抜いたせいで落としたのかもしれないと、トモエは急いで辺りを探す。しかし、見つからなかった。

 「カリクライム、あそこだ」

 いつの間にか傍に立っていたムロージが指差したのは、グレンの手であった。よくよく見ると、彼の手には先ほどトモエが持っていた短刀が確かに握られている。

 「いつの間に・・・!?」

 言ってはみたものの、そんなのさっきの攻撃の際に決まっているとトモエは理解していた。

 「先生、何が・・・!?」

 信じられないと言った風に、トモエがムロージに聞く。離れて見ていた彼ならば、何か分かるのではないかと思ったのだ。

 「いや、それがな、よく分からないんだ。君がグレン殿に攻撃を繰り出したのまでは見えていたんだが、そこから何が起こったのか。いつの間にか2人の位置が入れ替わっていて、いつの間にかグレン殿が君の武器を奪っていたんだよ」

 つまりは、魔法で強化されたトモエの全速力の攻撃を躱しつつ武器を奪い、その横をすり抜けたということであった。これをほぼ一瞬でやり遂げたのだと言う。

 「嘘でしょ・・・」

 呆然とする少女であったが、1つ不可解なことがあった。

 武器を奪ったまではいいが、その後の詰めがない。グレンはトモエに対して、背を向けて歩いたままである。

 一体、どこに行こうというのか。

 その答えはすぐに分かった。グレンはエクセの前で立ち止まり、何やら語り始めたのだ。

 「すごいな、エクセ君。もう『全能力向上(オールアップ)』を使えるのか」

 「え?」

 グレンの思わぬ賛辞に、エクセは戸惑いの声を漏らす。

 「『全能力向上(オールアップ)』と言えば、私も兵士時代に何度か掛けてもらった覚えがある。他の騎士や兵士もその魔法には随分お世話になっていた。平均習得年齢は20歳くらいだと聞いていたんだが、流石はエクセ君だ」

 グレンは魔法を使えなかったが、それでも魔法に関する知識が皆無というわけではなかった。特に肉体強化に使用される魔法は、自身が剣士であることから知っておいて損はないと考えている。

 そのため、今回エクセが使用した魔法がどれだけのものかを理解していたのだ。

 「そんな・・・!恥ずかしいです・・・!まだまだ拙いものですから・・・!」

 頬に手を当てながら謙遜するエクセであったが、顔はとても嬉しそうであった。

 そのように楽し気に話をする2人を見ながら、トモエは唖然とする。

 「あんたの全力、エクセを褒めに行くついでに捌かれたみたいね」

 いつの間にか隣に立っていたミミットの言葉は、これ以上ないくらい的確に事実を告げていた。それを突き付けられたトモエはその場でがっくりと膝から崩れ落ち、両手を突いて項垂れてしまう。

 そして、辛辣な言葉を掛けてきた友人に向かって、静かに囁いた。

 「ねえ、ミミット・・・」

 「何?」

 「私、グレンのこと嫌いになりそう・・・」

 力なく呟くトモエに対し、ミミットは掛ける言葉がなかった。

 どうせ明日には元気になることも分かってはいたが。

 「そう肩を落とすんじゃないぞ、カリクライム。君は良くやったよ」

 そう言ってトモエを慰めた後、ムロージは懐中時計を見る。

 そろそろ授業も終わりの時刻であった。

 「皆、聞いてほしい。午前の授業はこれまでとする。各自、昼休憩に入っておくれ」

 近接専攻(クラス)の学生にそう告げると、ムロージはグレンのもとまで歩いて行った。そして、自分の生徒の力について尋ねる。

 「どうでしたかな、グレン殿?カリクライムの実力の程は」

 その会話はトモエのもとまで十分聞こえるほどであり、おそらく酷評されるだろうと思った彼女は体を強張らせる。

 けれども聞こえたのは、意外な評価であった。

 「いや、とても素晴らしい。私は騎士団副団長のシャルメティエとも組み手を行ったことがあるんですが、あの生徒は彼女を彷彿とさせるほどの剣士でした」

 グレンの思わぬ賛美に、ムロージは「ほほう!」と唸る。

 「あの戦乙女殿ですか。それはまた評価のしすぎではないですかな?」

 「いえ。確かに今は未熟ですが、将来は彼女に匹敵する戦士になると思いますよ」

 自分の生徒が褒められて嬉しいのか、ムロージは顔がにやけていた。

 「ねえ、ミミット・・・」

 その会話を聞いていたトモエが、項垂れたまま友人に声を掛ける。

 「何?」

 「やっぱり、グレン様って良い人だと思うんだ・・・」

 嬉しそうに呟く友人に対し、ミミットは掛ける言葉がなかった。代わりに、溜め息とともに呆れたように(かぶり)を振るのだった。

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