2-4 聖マールーン学院
聖マールーン学院を訪れた次の日の朝、グレンはいつもより早めに起床していた。これは、学院の始業時刻が午前8時からであるためであった。
グレンは時計を見る。これには設定した時間になると発動する『刻限』という加護が付与されており、それによって所有者を眠りから覚ますための音が鳴る仕組みになっていた。
現在の時刻は午前6時。
寝ぼけ眼ながらも台所に行って、朝食を済ませる。パン、干し肉、りんごを平らげると、水を数杯飲み干した。
(さて、どうするか)
聖マールーン学院までは若干の距離があるが、それでも今家を出るのは早すぎると思われる。しかし、学院の教師に指導の仕方について聞いておきたくもあったため、グレンは身支度を済ませることにした。
とは言っても、いつものような服装に着替え、腰に愛用の大太刀を差しただけだが。
「よし」
グレンはそう言うと扉を開け、外に出る。
「おはようございます、グレン様」
「――うおっ!お・・・おはよう・・・」
そこには学生服に身を包み、優雅にお辞儀をするエクセがいた。少女の後ろには、鞄を持ったユーキと眠たそうなミカウルも見える。
以前にもこんなことがあったな、と思いつつ、グレンは問う。
「どうして、ここに?」
「グレン様と一緒に学院に登校したいと思いまして。グレン様ならば、お早めに家を出るだろうと思い、待たせていただきました」
前回の実習からそう考えたのか、エクセが満面の笑みでそんなことを言ってくる。
学院に行くにはファセティア家の屋敷からの方が大分近いはずだが、とグレンは思うが、決して悪い気分はしなかった。
「と言うと、随分待たせてしまったか?家の中に声を掛けてくれても良かったのだが」
「万が一御就寝中だった場合、ご迷惑になるかと思いまして。それに待ったとは言っても、5分ほどですから」
それでも、ここまで来るのに或る程度時間は掛かる。
ならば自分などよりももっと早くに起きたのだろうな、とグレンは推測した。エクセの後ろで必死に欠伸を噛み殺すミカウルが、それを証明している。
ユーキがそんな同僚を窘めている姿を横目に、グレンはエクセに言った。
「そうか、ならばよかった。――じゃあ、行こうか」
「はい!」
そうやって、4人は学院に向かって歩き始める。どうやら今回は、ユーキとミカウルも付いてくるようであった。
早い時間ということもあってか、通りにいる人の数はまばらである。さらに今回はユーキとミカウルもいるため、エクセも人の目を気にしているような素振りは見せず、グレンの隣を平然と歩いていた。
「しかし、グレン様ほどの剣士に指導をしていただけるとは、なんと羨ましい」
道中の会話において、ユーキがそんなことを言ってきた。
「本当そうですよ~。俺も聖マールーン学院に入りて~」
「お前が羨ましいのはグレン様にご教授していただける事か?それとも女学生と知り合う事か?」
「そりゃもちろん、女の子たちと――ってユーキさん、冗談言わせないでくださいよ~!」
そんな2人の会話に、エクセは小さな笑い声を上げる。
「でも、そうなるとお嬢様ももったいないですね。折角グレン様が学院に来るのに、魔法使いだから指導してもらえないんでしょ?」
ミカウルに問われ、少女は顔を曇らせた。
「そうですね・・・そこは少し残念です・・・」
「今回だけは特別に受けさせてもらう事などはできないのですか?お嬢様も剣の扱いを覚えておいて損はないと思いますが」
ユーキのその言葉に、少女は首を横に振る。
「おそらく出来ないと思います。魔法剣士という専攻もない訳ではないですが、未熟な私では無理だと言われるだけです」
そう言ってエクセは目を伏せた。
そんな少女に、グレンは言う。
「別に、剣の指導くらいならばいつでもやってあげるよ」
彼としては気軽に言った言葉であったが、よほど嬉しかったのか、エクセは勢いよく顔を上げ、目を輝かせながらグレンに詰め寄った。
「ほ、本当ですか!?それでしたら、今度我が家にご招待いたしますので、その時にぜひ!!」
エクセがそう言うと、護衛兵の2人も目を輝かせながら、
「では、その時についでで構いませんので、私にもご教授願えないでしょうか!?」
「お、俺も俺も!!」
と手を上げながら言ってきた。
「あ、ああ・・・構わないよ」
何故こんなにも興奮しているのか分からなかったが、喜びを分かち合っている3人を見ているとそれがどうでもいい事だと気づく。
朝から何か良い事をした気分になったグレンであった。
「それで、グレン様は今日からどのようなことを学生達にご教授なさるのですか?」
将来自分たちも教わる立場になったユーキが、興味津々に聞いてくる。しかし、この質問にグレンはすぐに答えを出せなかった。
「それなんだが・・・やはり学生たちの実力を見てからでないと何とも言えないな・・・」
グレンは学院に通った経験がないため、15歳くらいの年頃の少年少女が平均してどれほどの実力を有しているのかが分からなかった。
彼が戦場に立った時も他人の年齢を聞いて回ったわけではないため、年齢から他人の能力を推し量る参考にはならない。
つまり先程のはその場凌ぎの返答であったのだが、英雄である彼の場合は良い方向に解釈してもらえるものなのだ。
「さっすがグレン様!自分の目で生徒の実力を確かめてから、個々に的確な指導をなさるつもりなんですね!」
ミカウルが「うんうん」と頷きながら感心していた。
無論、グレンにそのつもりはない。分からないから後回しにすればいい、という単純な発想であった。
「当然です。グレン様ですから」
そして今度は、まるで自分のことのようにエクセが胸を張る。このままだとこの3人の中での自分に対する期待が無尽蔵に膨らみそうで、グレンは早く学院についてくれと思うのであった。
学院の大門まで来ると、ユーキとミカウルは2人に別れを告げて去って行った。
ここからは許可証を持たない部外者は完全立ち入り禁止である。
初等部、中等部、高等部のどの校舎に行くためにもこの大門は必ず通らなければならないため、警備は厳重であった。24時間魔法で監視され、朝5時~夜10時までは3人2組の警備兵が代わる代わる目を光らせている。
グレンは昨日ソルティから渡された許可証をその警備兵に見せた。
「グレン様ならば昨日と同様、許可証なしでもよろしいと思いますけどね」
とは、警備兵の言である。
ちなみに、エクセは聖マールーン学院の制服を着ているため許可証は不要だ。
ならば制服を購入することで容易く侵入することができるのではないかと思われるが、基本的に学院の制服は入学した生徒にのみ支給されるもので、一般には販売されていない。
さらに万が一誰かしらの制服が盗まれた場合には、入門時に学生証の提示を義務付けることとなっている。そのような事態には一度もなったことがないが。
「そういえば、グレン様はもう学院内を見て回られたんですか?」
中等部校舎への道中、隣を歩くエクセがそう聞いてきた。
「いや、まだ中等部の校舎だけだな」
「それでしたら時間もありますし、今からでもご案内いたしましょうか?」
このエクセの提案に、グレンは少し悩む。
朝早く家を出た理由は、学院の教師に「指導のいろは」を聞いておきたいと思ったからだ。けれども、せっかくの誘いを断るのも気が引けていた。
「そうだな・・・」
そのため、間を取ってどっちもやることにする。
「とりあえず、生徒が訓練をする場所だけでも見ておこうか」
「分かりました。では、こちらに」
そう言って、エクセが手で示した方へ向かう。
大門から学院の敷地内に入ると、左手に初等部校舎、右手に高等部校舎、そして真っ直ぐ進むと中等部校舎に辿り着く。
昨日、グレンが中等部校舎しか見ていない理由がこの配置であった。
さらにそれら校舎を大門と逆方向に通り過ぎると初等部側に図書館、中等部側に訓練用の広場、高等部側に食堂などの施設がある。
これら全てが聖マールーン学院内に納まっているのだ。外から見て取れるそのままの、広大な敷地面積であった。
また、聖マールーン学院は古くからある学院だが、どの建物からもそのような印象は受けない。
これは、どの建材にも『清浄』と物体をそのままの状態に保つ『保持』の加護が付与されているからであった。汚れず腐らず、学院内の建物は長い間その姿を保ち続けている。
戦闘訓練に使用される広場もしっかりと整備されており、近接専攻用の木人や弓使い用の的などが備えられている。そこで朝早くから自主練習に励む学生の姿もちらほら見えた。
「こんなにも早くから鍛錬に励む学生もいるのか」
グレンとしては学生というのはもう少し気楽なものだと考えていたのだが、どうやら騎士や兵士と同じように鍛錬に臨む者もいるようである。
勇士となって以来、朝が遅くなった彼は少々恥ずかしい気持ちになった。
「高等部の先輩方ですね。特に許可がない限り、中等部までの生徒は授業以外で訓練場を使用してはならない決まりになっていますので」
「それはまたどうしてだ?」
「生徒だけでは危ないからだそうです。それと、授業中の居眠りを防ぐためとも言われました」
確かに、体を動かした後に小難しい話をされたら寝てしまいそうだ、とグレンは思った。
「なるほど、さすがは王国の学院だ。文武両道をしっかりと意識している」
グレンは自身にない『文』の部分を持ちながらも、懸命に『武』を極めようとしている若者を見て、王国の未来が明るいのを感じた。
「これならば、アルベルトの計画など無視しても構わなさそうだな」
そのため小さな呟きが漏れ、心の中でにやりと笑った。
「何か仰いましたか、グレン様?」
「え!?あ、いや・・・」
しかしエクセにその言葉を聞かれてしまい、グレンは狼狽する。
さすがに、友人の計画をこの少女に話すのは気が引けた。
彼としても乗り気ではないため、その旨を伝えれば誤解されることはないのだが、それでもエクセに話すことだけはできない。
怪しまれるには十分な時間が過ぎた後、グレンは言う。
「これほど整備された広場ならば、十分な指導ができるだろう、とね・・・」
これは、彼にしてみれば会心の誤魔化しであった。しかし時間が掛かりすぎているという点において、やはり不自然さは否めない。
「ふふ、素晴らしいお心がけです」
しかしエクセはそれで納得してくれたようで、にこやかな笑みを向けてくる。九死に一生を得たような心地に、グレンは小さく息を吐いた。
「そ、それでは・・・訓練場も見たことだ。校舎へ行くとしよう」
これ以上の詮索をさせないためにグレンはそう切り出す。
「そうですね・・・」
エクセは少々名残惜しそうではあったが、これで今回の学院案内は終了ということになった。2人はもと来た道に振り返り、中等部校舎へと歩き出す。
「また今度、他の場所も案内してくれるかい?」
「はい!」
などと会話をしていると、中等部校舎に辿り着く。
校舎入口に設置されている時計を見ると、現在の時刻は午前7時20分であった。
登校してくる他の学生の姿も見え、その中でも事情を知らない学生はグレンに驚きつつ急ぎ足で校舎内へと入っていく。
(これならば、他の教師に話を聞くくらいはできそうだ)
そんな学生を気にせず安堵していると、同じように時計を見ていたエクセが何か思いついたような表情をした。
「そういえばグレン様、お昼はどうなさるんですか?」
「昼?」
エクセはグレンを観察するが、腰の大太刀以外に何か持って来ているようには見えない。
少女は鞄の中に弁当を持ってきてはいるが、彼に分け与えるには少々どころではない程に足りなかった。ならば食堂や購買で買うしかないのだが、グレンは今現金を所持しているのかどうか。
「ああ。それならば、学院長の計らいで食堂を無料で使わせてもらえることになっているらしい」
学院の食堂は、放課後に自習や自主鍛錬を行う学生、または教師が使うことが多い。基本的にどの学生も自宅から弁当を持参しているため、通常の昼時に混み合うことは滅多になかった。
これは節約が理由なのではなく、食堂が高等部以外の学生にとってやや離れた場所に位置しているため、貴重な昼休みの時間をわざわざ移動で浪費しないようにしているからである。
故に初等部や中等部の学生の利用が極端に少なく、それまでの習慣からか高等部の学生の利用もそこまで多くはない。
それによりあまり知られていない事だが、学院の食堂の献立はかなり豪華で高価であった。もしグレンが自腹を切らなければならないとなったら、間違いなく躊躇してしまう程である。
ただ、ここに通う学生にとっては、通常の昼食代と何ら変わりないものではあった。
「それでしたら、お昼はご一緒しませんか?食堂にも案内して差し上げられますし」
どうやら、先ほど思い付いたのはこの事であったようだ。その提案は嬉しかったが、グレンは少女に一応の遠慮を見せる。
「私は構わないが、エクセ君はいいのか?こういうのは、友人と取るものでは?」
「今日明日くらいは平気だと思います。そういうことを気にするような方達ではないので」
「そうか。ならば、お願いしようかな」
「はい!」
エクセに支障がないのであれば特に断る理由もなく、グレンはこれを承諾。少女は力のこもった返事をするとともに、心の中で小さく拳を握った。
「午前の授業が終わり次第向かいましょう。待ち合わせはここでよろしいですか?」
「ああ」
2人はそう約束を取り付けると、校舎の中へと入っていく。
廊下を歩いて2階へと続く階段まで辿り着くと、二言三言言葉を交わしてから別れた。その最中、やはり他の学生がグレンに怯えていたが、こちらもやはり気にはしない。
(さて、教師はどこにいるかな?)
グレンは当初の目的であった、指導について教えてもらうため、学院の教師を探すことにした。できれば昨日出会ったソルティかマーベルがいいと、辺りの様子をうかがう。
教室同様1階の部屋にも名札が掲げられており、そこに書かれているものが人名であることから、探せば2人の部屋をすぐ見つけることができそうであった。
そう思い、グレンは行動を開始する。
そして早速、マーベルの部屋を見つけた。
と言うよりも、昨日そこから彼女が出てきたのだから名札を見る必要もなかったな、とグレンは思う。とりあえず挨拶もしておきたかったため、横開きの扉の取っ手に指を掛けようとした。
(――おっと)
しかし、すぐにその手を止める。まずは扉を叩くのが礼儀だ。
教養のないグレンも、最近の経験や観察からそういった行儀作法に気を付けるようになっていた。
(確か叩く回数は3回だったか・・・?4回・・・?)
かつてアルベルトから教わったことを必死に思い出そうとする。しかし出来なかったため、とりあえず多めにすることにした。
なぜか変に緊張しながらも、彼は拳を軽く握る。
そして軽く叩こうとした――その瞬間、扉が勢いよく開かれた。
「おや、グレンさんじゃないか」
そう言ったのは、この部屋の主である学院長のマーベルであった。昨日と同様、唐突な登場である。
グレンは勇んで挙げた手をちらりと見た。せっかく挙げた手であるため惜しくもあったが、ゆっくりと下ろしていく。そして、頭を下げた。
「おはようございます、学院長」
「ええ、おはよう」
そんな彼の挨拶にマーベルも返してくれたのだが、どこか不満そうに感じられる。グレンは何か自分が粗相をしたのではないかと、少し慌ててしまった。
「何か・・・?」
「ああ、誤解させてしまったのならば御免なさいね。ただ、グレンさんは驚かないんだな、と」
グレンは扉のすぐ向こう側に人がいる気配を感じていた。故に驚かせないよう扉を叩こうとしたのだが、逆にマーベルが驚かそうとしていたようである。
「やはり昨日のはわざとでしたか」
グレンのその言葉に、マーベルは快活に笑った。
「ソルティはいい驚きっぷりを見せてくれるからねえ。楽しくてしょうがないんだよ」
その笑顔からは、老いてもなお若さに溢れているような活力が見える。王都にある学院の長を務めているだけあって、平凡な老婆というわけではないようだ。
「扉の向こうに誰かいることが分かるとは。まるで人の気配を感じることができるみたいですね」
自分のことを棚に上げてはいたが、その一端についてグレンが触れる。
「まあ、私も弓使いとして斥候を務めたりしたからね。昔取った杵柄ってやつさ」
学院長の過去を知ったグレンは、思わず「ほう」と呟いた。おそらく自分が生まれる以前の話であり、少しばかり興味を持つ。
「ところで、何か用があったんじゃないのかい?」
そこで、本題は何だとマーベルが催促してきた。
彼が扉の前に立っていたことからそう推察したのであり、グレンとしても自分から切り出さなくて良くなったため話しやすくなる。
「はい、その通りです。少し話を聞かせてもらっても構いませんか?」
「構わないよ」
マーベルは即答した。断られても困るのだが、すんなり承諾されても戸惑うもので、グレンはすぐに言葉を発することができない。
「で、なんだい?」
そのため、急かす様にマーベルが聞いてくる。
グレンは急いで気を取り直し、自分の知りたい事を伝えた。
「実は、学生をどのように指導するべきかをお聞きしたいんです」
「ああ、そういうことかい。それだったら、私なんかよりも他に適任者がいるじゃないか」
マーベルにそう言われ、グレンは考える。しかし他に知っている教師などソルティくらいなもので、ならば彼女がその適任者なのだろうと結論付けた。
「そうですか。では、エダ――先生に聞いてみるとします」
そう答え、グレンはソルティの部屋を探そうと、マーベルに頭を下げて立ち去ろうとする。
そんな彼の背中に向かって、学院長は怪訝な声を出した。
「ソルティ?なんであの子なんだい?私が言ってるのは、ムロージ先生のことだよ」
聞いたこともない人物の名前を言われ、グレンは怪訝な顔をして振り返る。
「ムロージ・・・?どなたでしょうか?」
「どなたって、グレンさんと一緒に近接専攻の指導に当たる先生じゃないか」
そう言われても、グレンはその人物に心当たりがなかった。加えて、学生の指導に2人で当たることも聞いてはいない。
「私1人で指導するわけではないんですね」
「それはそうだよ。いきなり外部の人に来てもらって、後は全てお願いします、なんて無責任なことはしないよ」
マーベルは笑顔で説明するが、続いてすぐに顔を顰めた。
「しかしという事は、昨日ソルティが2人の顔合わせを忘れたんだね。まったく、あの子は相変わらず忘れっぽいねえ」
そう言うマーベルの口調は決して怒っているものではなく、昔なじみの人物に対して取る態度に思われた。もしかしたらソルティが学生の時には、マーベルが担任だったのではないかと、グレンは漠然と考える。
「それじゃあ、後で私がムロージ先生を紹介するよ」
「お願いします」
「それで、何か他に聞きたいことはないかい?」
もう聞きたいことはないと思ったが、聞かれた手前グレンは考える。
そして、先日疑問に思ったことがあった事を思い出した。
「そういえば教室を見させてもらったんですが、その時に加護が付与された窓がありまして。あれはどういった物なんですか?『不透明』という加護は聞いたことがありません」
昨日グレンが中等部校舎を見学した際、ソルティから教室の窓が特別製であることを教えられた。本来透明であるはずの窓に靄が掛かっており、それが決まった時間に透明に切り替わると言うのだ。
「ああ、あれかい。すごいだろ?知り合いの神官に頼んで作ってもらったんだよ。『不透明』の加護については知らなくても無理ないね。その時に作ってもらったやつだから」
つまりは窓だけでなく、窓に付与した加護まで特注ということであった。
グレンは容易く魔法を開発する人物を知っていたが、どうやらその神官も相当な実力者のようである。
「全校舎分だから、ひいひい言いながら作ったらしいけどね」
マーベルは悪戯っぽく笑いながらそう言った。そのような人物を扱き使えるとは、一体どのような繋がりがあるのだろうか。
「それと、時間で切り替わると聞きましたが、あれはどういった仕組みなんですか?加護は常時発動しかできないと思っていたんですが」
「それも加護さね。ただ色々と組み合わせているらしいよ。『切替』だの、『刻限』だの。おかげで魔力負荷が大きくなりすぎて、窓を運ぶだけで作業員が何人か倒れたりもしたよ」
マーベルはまたしても笑いながらそう言った。
魔法道具が装備者に例外なく負荷を与えるのは、誰でも知っている常識である。その物体が持つ効果の質が高ければ高いほど、数が多ければ多いほどその負荷は増加した。
この魔法道具と呼ばれるものには2つの種類があり、1つは職人が魔力を込めて一から作り出す物。そしてもう1つが、今回のように物体に後から魔力的付与を施した物だ。
前者は人体に影響を及ぼす効果を持たせることができ、自身の能力を強化したい時に身に着ける。後者は神官が行える秘術とされており、物体自体を強化することができた。
厳密には違う2種類であるが、共に魔力を帯びているため総じて魔法道具と呼ばれている。
「しかし、珍しいですね。単なる窓にそこまでの加護を用いるとは」
戦うための装備に多くの加護が付与される事があるのはグレンも知っているが、日常生活に用いる道具にまでそうする者がいるとは今まで聞いたことがなかった。
「まあ、加護や魔法は戦いのために発達してきた技術だからねえ。それでも、そういったものが日常生活に使われ始めることが、平和になったってことなんじゃないのかい?」
なるほど、とグレンは思う。
確かに、長い間戦争を繰り返してきた王国は今、平和になったと言っても過言ではない。
ならば戦うことに目を向ける必要がなくなり、人々が日常生活に目を向けるようになったとしても不思議ではなかった。
と言うよりも、そうなったのだろう。
これからはもっと生活が便利になる魔法道具が出てくるに違いないと、グレンはマーベルの言葉に感動を覚える。
「素晴らしい考えです。さすがは学院長ですね」
「その平和の引き立て役になった人にそんな事を言われると、恐縮しちゃうねえ」
マーベルはそう言って来るが、そんな気があるようには全く見えなかった。
「いえ、そんなことは」
「やっぱり謙遜家だね。だからこそ気に入ったんだけど。――さ、もっと聞きたいことはないかい?」
グレンの態度に気を良くしたマーベルは、さらに質問を受け付ける姿勢を見せてくれる。
「いえ、もう大丈夫です」
しかし、もはや聞きたいことのない彼はそれを断った。
「それじゃあ、ムロージ先生を紹介するとしようかね。先生の部屋はこっちだよ。ついておいで」
そう言うと、マーベルはグレンの横をすり抜けて、そそくさと廊下を歩き出す。グレンは遅れないよう、慌ててその後を追い掛けた。
この行動の速さでは、さぞかし他の教師達は振り回されているのだろうなとグレンは思い、口の端をわずかに上げるのだった。




