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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
帝国の姫皇帝
13/86

2-3 経緯

 エクセと再会する日の前日、グレンはアルベルトから呼び出しを受けていた。

 正直行きたくはなかったが、何やら別の人物から話があるとかで仕方なく王城まで出向くことにする。

 アルベルトの部屋に入った早々、その人物が誰かはすぐに判明した。

 それは、シャルメティエであった。

 シャルメティエは神妙な面持ちで机に座っており、グレンを目にするとさらに表情を硬くして声を掛けて来る。

 「来てくれましたか、グレン殿。どうぞ、座ってください」

 そう言われたため、グレンもシャルメティエと対面するように腰掛ける。

 部屋の中では、アルベルトが別の机で仕事をしていた。その仕事の邪魔になりそうではあったが、おそらくここで行われる会話を聞きたいがために、この場所を提供したのだろう。

 「ここまでご足労いただき誠に感謝します、グレン殿」

 そう言って、シャルメティエは頭を下げた。

 「早速で悪いのですが、話というのは他でもありません。貴方に1つ、頼まれ事を引き受けてもらいたいのです」

 どこか申し訳なさそうな抑揚を含んで語られたその言葉に、グレンは疑問を覚える。単なる依頼とは違うような気がし、その理由をシャルメティエは説明した。

 「本来ならば私がやらなければならないことだったのですが、秘書の不手際で、より重要な任務と被ってしまったのです」

 そう言って、彼女は部屋の隅を見る。釣られるようにグレンも、部屋に入った瞬間からその存在を認識していた人物に目を向けた。

 その人物は、どんよりと淀んだ空気を漂わせながら膝を抱えて蹲っている。

 (なるほど、彼女が有名な・・・)

 シャルメティエの秘書、名をチヅリツカ=クェン=ホプキンスと言った。

 グレンが聞いた噂では、黒髪の美女であると専らの噂である。アルベルトやシャルメティエと同じく騎士ではあるが、その仕事は他の者とは少し異なり、机に座ってこなすものが多い。

 チヅリツカは秘書として、シャルメティエの仕事と見た目の管理に精を出しているのだ。

 見た目の管理――それはつまりシャルメティエの髪型、化粧、服装などについて管理をしているということである。これはシャルメティエがお洒落について全く頓着がなく、放っておくとどのような状態になるか分からないためであり、加えて彼女には美しくいてもらいたいというチヅリツカの個人的な願望のためでもあった。

 また、それに関連してチヅリツカを有名にした『シャルメティエ断髪事件』というものがある。

 ある日、シャルメティエがその綺麗な金髪を、「戦闘の邪魔になる」と勝手にばっさり切ってきてしまったのだ。これを目にしたチヅリツカは失神。そして1週間もの間、仕事を休んでしまうという事態になった。

 これに懲りたシャルメティエはそれ以降、見た目に関して素直にチヅリツカの指示を受けるようになっている。

 それほどまでにチヅリツカはシャルメティエを神聖化し、敬愛していた。ちなみに、シャルメティエの二つ名である『戦乙女』を広めたのも、実はチヅリツカだったりする。

 そんな彼女は今ぶつぶつと、

 「シャルメティエ様に怒られた・・・。もうダメです・・・。解雇です・・・。2人は離ればなれなんです・・・」

 と呟いていた。

 「彼女は有能なんですが、少々打たれ弱い所がありまして。――おい、チヅ!グレン殿が参られたのだ!挨拶ぐらいしたらどうだ!?」

 そう言われたチヅリツカは虚ろな目をグレンに向けると、頷いたかどうか分からないくらいの会釈をしてみせた。グレンも一応会釈を返しておく。

 「任務の予定が重なったことを少し叱ったら、あのような状態になってしまったのです。アルベルト殿に相談するため、2人で部屋を訪れたのが失敗でした」

 つまりはチヅリツカが珍しく失敗をして仕事の日程を被らせてしまい、その事をアルベルトに相談しに来た際に叱った所、部屋の隅を占拠するような事態になったということであった。

 そのことにアルベルトは「僕は気にしないよ~」と書類を読みながら言ってくる。

 「申し訳ない、アルベルト殿。話が済んだらすぐに連れて行きますので。――では、グレン殿。話の続きといきましょう」

 そしておそらく、アルベルトに「グレンに頼めばいい」と言われたに違いない。

 そう思いながら、グレンはシャルメティエの話に耳を傾ける。

 「近々、エスタブ学院と聖マールーン学院の中等部で合同実習があるそうなのですが、それまでに近接専攻(クラス)の能力向上を図りたいと聖マールーン学院の学院長から言われまして。そこで卒業生でもあり、剣士でもある私に指導をお願いできないかと連絡が来たのです」

 エスタブ学院と聖マールーン学院。

 前者は全く知らないが後者は聞いたことがあるな、とグレンは思った。それと同時に、また学院関連か、とも。

 「明日からならば予定が空いているので構いませんと返答し、それをチヅにも知らせたのですが。どうやら忘れていたようで、別の任務を入れてしまったんです。私がそれを受けると言うことで、アルベルト殿や他の隊長達も予定を入れてしまって、替えが利かないという事態に」

 ここでシャルメティエはチヅリツカを見る。彼女は、まだぶつぶつ呟いていた。

 「そこでどうしたものかとアルベルト殿に相談した所、グレン殿ならば私の代わりとして相応しいのではないかと言われまして。この度は学院の臨時講師をお願いしたく、お呼びしたという次第なんです」

 自分の伝えたいことはこれで終わり、とシャルメティエは口を閉ざす。

 「なるほど、話は分かった。しかし、俺には無理だと思うが」

 グレンは自分に教える才能がないことを自覚していた。というよりも、管理する才能と言うべきか。

 先日のエクセとの実習が、それを物語っている。

 「そのようなことはないでしょう。グレン殿ほどの剣士であるならば、剣を振る姿を見せるだけでも学生にとって良い勉強になると思います」

 そう断言してくるシャルメティエであったが、グレンの顔はそれを了承したようには見えなかった。

 「ふむ・・・一応聞いておくが、何人くらいの生徒を教えればいいんだ?」

 未だ依頼を受ける決心がついていないグレンであったが、いきなり断るのもなんだと思い、詳細を聞いてみることにする。

 「そうですね・・・おそらく20~30人程度になると思います。私が在籍していた時もそれくらいでしたので」

 「意外と少ないんだな」

 それならばなんとかなるんじゃないか、とグレンは思った。

 「やはり女子校ともなると、近接専攻(クラス)を志願する学生が少ないようなのです」

 しかし、続くシャルメティエの言葉に、グレンのその考えも消え失せる。

 「女子校・・・だと?」

 「今さら何を仰います。ファセティア家のご息女が通う学院も、聖マールーンではないですか」

 ここにきてグレンは思い出す。自分がどこで『聖マールーン学院』という言葉を聞いたのかを。

 (そうか・・・エクセ君が自己紹介の時に言っていたか・・・。そういえば、局長にも説明を受けたな・・・)

 グレンは、エクセについて思う。

 あの可憐な少女と久しぶりに会うのも悪くはないと考えもしたが、それよりもまず確かめなければいけないことがあることに思い至った。

 そこでグレンは、書類を呼んでいるアルベルトを睨みつける。

 あの話があって以来、あの友人は事あるごとにグレンに複数の女性と接点を持たせようとしてきた。それが嫌で、勇士の依頼を次々に受けていた程である。

 今回もまたアルベルトが絡んでいるのではないかと思ったため、グレンは「お前の差し金か!?」と彼を睨みつけたのだ。

 しかし、その視線に気づいたアルベルトは「僕は関係ないよ」とでも言うように、にこやかに(かぶり)を振った。つまり、これは純粋にシャルメティエの頼み事ということなのだ。

 故にグレンは悩む。

 シャルメティエが困っているというのであれば助けてやりたいと思うし、エクセにも会いたいと思う。

 しかし、他の女学生が自分に対してどのような反応をするかが不安だった。

 エクセはまだバルバロットという繋がりがいたためすぐに順応してくれたが、他の学生はそうはいかないだろう。怖がらせてしまい、授業にならないかもしれない。

 彼は親しくない相手を苦手とするため、猶更であった。

 「いかがだろうか、グレン殿?もちろん、それなりの謝礼は支払わせていただきます」

 シャルメティエはそう言うが、今重要なのは金ではなかった。

 「そうだな・・・・」

 「グレン殿が引き受けてくだされば、私もチヅも助かるのですが・・・」

 シャルメティエの言葉を聞き、グレンはチヅリツカの方を向く。

 すると彼女も彼の方を見つめてきており、自然と目を合わせる形となった。チヅリツカの瞳は可哀想な子犬のようであったが、意外に圧力があり、グレンは思わず視線をそらしてしまう。

 そして、もう一回見てみる。グレンを見つめるチヅリツカの目は、変わらず子犬の瞳であった。

 はあ、とグレンは大きくため息を吐く。

 「分かった・・・引き受けよう・・・」

 その言葉に、シャルメティエは嬉しそうに立ち上がった。

 「おお!感謝いたします、グレン殿!――チヅ、お前もグレン殿に感謝しなければな」

 そう言ってシャルメティエは秘書の方を見るが、先程までいた場所にその姿はなかった。どこに行ったのかと思い周りを探して見ると、いつの間にかグレンの足元にいるのが見えた。

 「うううううう・・・!ありがとうございます、グレン様・・・!このご恩は一生忘れません・・・!」

 グレンの足に縋りつきながら、涙を流すチヅリツカ。

 そんな彼女にグレンは、

 「いいから、足を離してくれ・・・」

 と言った。






 そしてその翌日、つまりは合同実習三日前にグレンは聖マールーン学院中等部校舎に出向いた。

 警備の者に案内され、校舎の入り口まで辿り着く。授業中だったためか、生徒と誰一人出会わなかったのが幸運だった。

 校舎の入り口には光を模したような聖マールーン学院の校章が輝いており、その丁度真下に1人の女教師が立っているのが見える。

 グレンが近づいて行くと、その女教師は笑みを浮かべた。

 「ようこそおいでくださいました。私はここの教師を務めるソルティ=エダと申します」

 眼鏡を掛けた若めの女性は、そう名乗り、頭を下げた。グレンも頭を軽く下げ、自己紹介をする。

 「グレン=ウォースタインと言う」

 「ふふ、知っていますよ。この国で貴方様ほどの英雄を知らない者などいません」

 ソルティは優雅に笑うと、校舎の入口へ手を差し向けた。

 「立ち話もなんですから、どうぞお入りください」

 グレンが「ええ」と頷くと、ソルティは歩き出す。グレンもその後を付いて、校舎へと足を踏み入れた。

 初めて入った学院の校舎と言うこともあってか、グレンは絶え間なく辺りをじろじろと見回してしまう。

 その間、ソルティは部外者が学院内に入るには多くの手続きが必要なこと、今回は特別にそれが免除された事などを話しているが、グレンはあまり聞いていなかった。

 (校舎というものは、こんなにも立派な建物なのか)

 王城までとはいかないが、それでも高そうな建材が使われているのが分かる。今歩いている廊下だけでも、グレンが暮らしている家より値が張りそうであった。

 「――でして、生徒数は大体1つの教室に20人ほどになります。こうすることで、生徒1人1人への教育がより濃密なものになるのです」

 「なるほど」

 グレンは上の空で答える。

 ソルティの言葉が途切れたと思ったため、適当に出た言葉であった。

 「そう言えば、グレン様はエクセさんの実習の教官でしたよね?」

 しかし、ふいに出た『エクセ』という言葉に、グレンは意識を強く引っ張られる。

 「え、ええ」

 「どうでしたか、エクセさんは?ご提出していただいた書類には、『この歳にしては十二分な実力を有している』とだけ書かれていましたが」

 エクセとの実習後――正確にはアンバット国との戦争終了後――グレンは学院から実習についての報告書を提出してもらうよう頼まれていた。彼はそういった作業を苦手としていたため、自分を含む様々な人物の評価を総合して一文で済ませて提出している。

 「そのままの通りです」

 グレンとしては何も間違ったことは書いていないため、率直に答える。

 しかし、教師としてそれで納得してはいけないのか、ソルティは頭を悩ませるような仕草を見せた。

 「もっとこう・・・何かございませんか?伸ばすべき点とか、至らない部分ですとか。それらを参考にして、我々もエクセさんを指導して行きたいと思っておりますので」

 「彼女に至らない部分などない」

 グレンはすかさずそう断言した。

 無論、戦闘に関してエクセは甚だ未熟であったが、それも今だけだ。経験を積めば将来素晴らしい魔法使いになると、グレンは考えていた。

 そして、「今のエクセ」について聞かれているのに、「将来のエクセ」を視野に入れて考えてしまうのがグレンの至らない部分であった。

 「そう・・・ですか・・・。――分かりました、そういう事にしておきます。でしたら、エクセさんの最も良かった所などはありますか?」

 今度は短所ではなく、長所を聞いてきた。

 これに対し、グレンは先程とは打って変わって少し悩む。

 (一番良い点か・・・。魔法の実力・・・装備容量(キャパシティ)・・・あとは・・・)

 あの愛らしさ、と考えそうになったため思考を中断した。

 「そうですね・・・精神力でしょうか」

 「精神力、ですか・・・?」

 予想だにしない回答をされたため、ソルティは目が点になってしまう。

 「それはどういった理由で・・・?」

 「オーガやサイクロプスと出会っても、怯えこそすれ逃げ出さず、私に付いてきた」

 その言葉を聞いたソルティは、驚愕に目を見開いた。

 「オーガ・・・!?サイクロプス・・・!?なんでそんな・・・!?」

 「そういった依頼を受けた」

 グレンは平然と言うが、それを聞いたソルティの顔はどんどん青ざめていく。

 「そんな報告は受けていませんが・・・!?」

 「エクセ君から聞いていないのか。まあ、無事に終わった事です」

 ソルティは額に手を当て、立ちくらみでも起こしたかのようにふらっと2、3歩後ろに下がる。

 「ああ・・・なんてこと・・・!大事な生徒をそんな危ない目に・・・!これからは実習内容についても吟味しなければいけないと、学院長に申し上げなければ・・・!」

 そう言いながら、ソルティは意識を持ち直し、握りこぶしを作る。

 「呼んだかい?」

 ふいに近くの扉が開き、身なりのいい1人の老婆が姿を現した。

 「わっ!学院長!驚かさないでください!」

 「あんたが勝手に驚いたんじゃないか。それよりも丁度良かった。この書類を3年の教室に配って貰っていいかい?」

 そう言って、学院長と呼ばれた老婆は6枚の書類をソルティに渡す。

 「これは?」

 「今度行われるエスタブ学院との合同実習の日程だよ」

 言われたソルティは、渡された書類に目を通した。

 「――3日後、ですか。少し急ですね」

 ソルティのその言葉に学院長は同意するように腕を組んで頷く。

 「本当にあそこの今の学院長は、自分勝手だよ。それ以前に、私はこんな実習、要らないと思ってるんだけどね」

 学院長がそう言うのには訳があった。

 生徒たちには知られていないが、この実習は色々な貴族からの圧力で成り立っているのだ。

 と言うのも、自分の娘を守るために聖マールーン学院に入れたいと思う親もいれば、自分の息子にはより良い相手を見つけてもらいたいと思う親もいるという事である。

 つまり、エスタブ学院に入学した男子生徒の親が、聖マールーン学院との繋がりを熱望したのだ。

 そのような思惑の下、毎年恒例の必修科目となったのが合同実習である。エスタブ学院の方が親の数が多いため、廃止しようにも反対の声が多いというのが現状であった。

 「おや、そこにいるのはグレンさんじゃないかい?シャルメティエの代わりに臨時講師をやってくれるんだっけね」

 ようやくグレンの存在に気付いたのか、学院長が彼に話しかけてくる。グレンは頭を下げると、自己紹介をした。

 「どうも、グレン=ウォースタインです」

 「おやおや。英雄なんて呼ばれてるもんだから、さぞかし図に乗ってるだろうと思ったけど、存外礼儀正しいじゃないか」

 学院長はにこやかな笑顔でそう言ってくる。どうやら悪意はないようだ。

 「が、学院長!国の英雄にそのような口ぶりは・・・!」

 「いえ、お気になさらず」

 ソルティは慌てたが、グレンはそれを受け入れた。気を悪くするような物言いとは感じなかったからだ。

 「いいね、気に入ったよ。これなら安心して生徒を任せられるってもんだ」

 そう言って、学院長は手を差し出してきた。

 「私はここの学院長をやってるマーベル=ライカ=ツツイカって者だ。短いけど合同実習までの間、生徒たちをよろしく頼むよ」

 グレンはその手を握り返すと、

 「こちらこそよろしくお願いします」

 と言った。

 「それじゃあ、私は仕事があるから」

 そう言って手を離したマーベルは、再び学院長室に戻っていった。すかさず、ぴしゃりと扉を閉める。

 「あ!エクセさんの実習について、学院長に言うのを忘れてました!」

 ソルティはそう言うが、学院長室に入って行こうとまではしなかった。

 グレンには分からないことだが、これをすると学院長に「なんであの時言わなかったんだい?」と軽めの小言を言われるためである。

 ひどく印象を下げるようなことはないが、それでも上司に注意されたくはないとソルティは考えていた。

 「まあ、いいでしょう・・・。また今度お話すれば・・・」

 と、自己完結したソルティをよそにグレンは考える。 

 (そう言えば、エクセ君はどこにいるのだろう・・・?)

 グレンは廊下を見渡す。

 もしかしたら、ここにエクセのいる教室があるかもしれなかった。

 「生徒たちの教室はどこにあるんですか?」

 そんなことを考えているものだから、ついそんなことを聞いてしまった。

 それに対し、ソルティが答える。

 「生徒たちのいる教室は、この上になります。1階は教師の個室しかありません」

 どうやら教師1人1人に部屋が割り当てられているようだ。

 聞けば、1階は教師、2階は3年、3階は2年、そして4階に1年の生徒がいるという。これは仮に校舎への侵入者が出た場合に、より実力のある者たちから先に対応できるようにしているためであった。

 勿論、生徒たちは避難優先ではあるが。

 「ご覧になられますか?」

 グレンの気持ちを知ってか知らずか、ソルティがそう聞いてくる。

 「ええ、ではお願いします」

 この返事には、彼自身が驚いた。

 確かにエクセのいる教室を見てみたいと思ってはいたが、このように即答をするとは思ってもみなかったからだ。

 「では参りましょう。こちらの階段から2階に上がれますので」

 無表情のまま自分に戸惑うグレンに気付くわけもなく、ソルティは階段を上っていく。グレンは頭の整理がつかないままそれに付いて行ったため、危うく段差に躓いてこける所であった。

 階段を上りきると、先程と同じような廊下に辿り着く。

 そこには左右に3つずつの教室があり、それぞれの部屋に『3-1』から『3-6』までの名札が付けられていた。

 しかし、廊下に生徒の姿は見当たらない。

 教室内にいるのかと思い、備え付けられている窓からこっそり覗こうとしたが、そこにある窓は全て曇ったように(もや)がかかっており、確認することはできなかった。

 「これは・・・窓ですか?透けて見えないようになっていますが」

 グレンは一番近くにあった窓に触れながらそう聞いた。

 「その窓ガラスには『不透明』の加護が付与されていますから。生徒たちが授業に集中できるように外の景色を遮断しているんです。もちろん、休み時間は全て普通の窓ガラスに戻ります」

 「『不透明』・・・?戻る・・・?」

 グレンは『不透明』なる加護について、聞いたことがなかった。少し考えてみたが、もともと透明な水やガラスにしか意味がないと思える。

 加えて、加護に発動と未発動の切り替えがあることも聞いたことがない。純粋な魔法道具(マジックアイテム)にはそのような機能を持った物もあるが、既存の物体に後から魔力的付与を行う加護は基本的に呪術と同じく、永続的に効果を発揮するはずであった。

 「学院長が以前、とある大神官様に頼んで作っていただいたそうなんです。始めはどれも普通の窓だったんですけれど、その時に全て取り替えまして。ただ、透明な状態から切り替わる仕組みがどのようなものかは存じませんが」

 つまりはこの校舎にある全ての窓が特注であるとのことであった。他にも初等部と高等部の校舎もあるため、そこにある窓も全て同じものであると考えられる。

 一体総額いくらになるのか。さすがは富裕層御用達の学院だな、とグレンは思った。

 「では、学生は今も授業を受けているんですか?」

 正確な時間は分からないが、昼食を取ってから大分時間が経っているはずである。学院ではこんなにも遅くまで授業を受けるものなのかと、少しばかり驚愕した。

 しかし、その言葉にソルティは首を横に振る。

 「いえ、この時間ですと、今は帰りの連絡会が行われている最中――あっ!」

 そして何かを思い出したのか、ソルティは分かりやすいほどに慌て出した。

 「す、すいません、グレン様!用事を思い出しましたので、少々こちらでお待ちいただいてもよろしいですか!?」

 「え!?」

 こんな所に男一人にされては困ると思ったが、ソルティは気にせず「3-2」と書かれた名札のある部屋の扉に手を掛ける。

 その時、中から女子生徒のはしゃぐ声が聞こえてきた。

 グレンは何やら自分の名前を呼ばれたような気がしたが、女子校で自分が話題になるはずはないと思い、空耳だと判断する。

 「あ、そうだ!先ほど学院長から渡された書類を配らないと!」

 と言ったソルティは扉に掛けた手を離し、他の教室へと向かって行く。

 この時、急いで歩いてはいるが決して走ることなく、開ける際にもしっかりと戸を叩いている。

 (さすがは学院の教師と言うべきか)

 グレンは自分にない教養をソルティが持っていることに深く感心した。

 そして全ての教室に書類を渡し終えると、彼女は再び「3-2」の扉の前に戻ってくる。教師としての落ち着きも取り戻し、ゆっくりと扉を開け、中に入っていった。

 学院の廊下で1人になるグレン。

 1人でいることには慣れているため心細くはなかったが、それでも場所が場所だ。もし事情を知らない生徒がグレンを見つけたら、間違いなく不審者扱いされるだろう。他の生徒が廊下に出てくるよりも前に、ソルティに戻ってきて欲しいと願うグレンであった。

 そんなことを思っていたら、意外と早くソルティが教室から出てくる。

 「グレン様、少々よろしいですか?」

 扉を閉めた彼女にそう言われ、グレンは嫌な予感しかしなかった。

 「実は、特別講師であるグレン様を紹介したいと思いまして。本来ならば生徒との顔合わせは明日という事になっていますが。これもグレン様の案内を任された役得というものですかね」

 ならば明日で良いだろう、とグレンは思うが口には出さない。

 「ならば明日でいいのではないですか?」

 と思ったら出ていた。

 余程嫌だったのだろうか。

 「それもそうなんですけど・・・お嫌ですか?」

 「別に嫌というわけでは・・・」

 心の底では本当は嫌だと思っているのだろうな、とグレンは考える。でなければ、先ほど口が滑るわけがない。

 しかし、そんなことを率直に言うほどグレンにも教養がないわけではなかった。

 数日とは言え、共に生徒たちを教えていく同僚みたいなものなのだ。もし何かあった場合に助けてもらえるような関係を築いておきたいと考えるのは、決して間違いではない。

 「でしたら良いではないですか!」

 ソルティが笑顔でそう言ってくる。どちらに転んでも損しかしないようであった。

 ならばと諦め、グレンは小さく頷く。

 「では、すぐにお呼びいたしますので、待っていてくださいね」

 そう指示をすると、ソルティは扉を開けて教室に戻っていく。

 「はい。では、皆さん。こちらが合同実習までの間、近接専攻(クラス)を受け持つ特別講師の方ですよ」

 本当にすぐ呼ばれたことに戸惑うが、グレンはぶつかりそうな頭を下げて教室の入口を潜った。途端、何人かの生徒の小さな悲鳴が聞こえる。

 (まあ、そうだよな)

 グレンは自身が強面であることを自覚しているため、女子生徒たちのその反応が当然のものであると受け止めた。なるべく早く紹介が終わってくれることを祈ろうとした瞬間、1人の学生が席を立つのが目に映る。

 その少女は美しいまでの銀髪と透き通るほどの白い肌をしており、身に着けた紺色の学生服がそれらをより際立たせていた。15歳という年齢にしては発達した体をしており、男性のみならず女性の視線までも釘づけにしてしまいそうな外見をしている。

 グレンは、その少女の事を良く知っていた。

 (エクセ君!?)

 自身の名を呼び、こちらに駆けてくるエクセにグレンは少々驚く。いることは知っていたが、たまたま入った教室でいきなり対面するとは思ってもいなかった。

 そんな彼に、エクセは抱き付く。

 いきなりな展開に頭が混乱してきたが、腹に当たる柔らかい感触だけはしっかりと意識してしまっていた。

 (ど、どうするべきか・・・?)

 自分に抱きついたままのエクセが何やら言ってきているが、グレンの耳には入ってこない。

 それよりも気になるのは、他の生徒たちの反応だ。

 驚いている者、顔を赤くしている者、にやにやと笑っている者などがいるが、2名程とんでもない笑みを浮かべている者までいる。

 なんとかこの場を収めなければと考えた末、グレンはエクセにこう言った。

 「エクセ君・・・とりあえず、席に戻ろうか・・・」

 「席?」

 そう言ったエクセも、ようやく現状を理解してくれたように見受けられる。いや、理解してしまったと言うべきか。

 そして少女は周りの人間の表情をうかがった後、顔を赤くして固まってしまう。

 そんな生徒をソルティが席まで運び、再びグレンの隣にまで戻ってくると、彼に向かって腕を広げた。

 「こちらはかの有名な英雄、グレン=ウォースタイン様です。グレン様には明日から合同実習までの間、近接専攻(クラス)の臨時顧問として指導していただきます。グレン様、何かおっしゃっておきたいことはありますか?」

 そう言われても何も考えていなかったため、

 「よ、よろしく・・・」

 とだけしか言えなかった。

 こんな時アルベルトならばもっとマシな事を言えたのだろうな、と考えながらもエクセを見る。

 少女は、未だ固まったままであった。

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