2-1 ルクルティア帝国
フォートレス王国には4つの国が隣接している。
西のアンバット国、東のヴォアグニック武国、南のサリーメイア魔国、そして北のルクルティア帝国である。かつてはどの国々も豊かな資源や土地を持つフォートレス王国を狙い、苛烈な攻撃を仕掛けてきていた。
特にルクルティア帝国はその高い技術開発力から様々な武器や魔法道具を作り出し、それにより最もフォートレス王国を苦しめ、そして追い詰めたことのある国である。
しかし、それも過去の話。
15年前に行われた戦争によって、ルクルティア帝国は崩壊寸前にまで追い込まれることとなった。
度重なる敗戦、減少して行く人口。一度は王国を追い詰めたという事実が、撤退という言葉を忘れさせてしまったのだ。
そして敗戦後には王国側から要求される莫大な戦争賠償。今までならば無視することができていたそれを、その時ばかりは飲まなければいけなかった。
なぜならば、フォートレス王国には強大な力を持った戦士がいたからである。
王国の英雄、グレン=ウォースタイン。
15年前の戦争について両国合わせて多数の死者が出たと言われているが、実際にはルクルティア帝国側の死者数がほとんどであった。その原因が彼なのだ。
その圧倒的な力は類を見ず、帝国内でも未だグレンの名を聞くだけで震えあがる者もいる程である。
曰く、その者の力人にあらず。
遠く離れた敵を切り裂き、山をも両断する。戦場を駆ける姿を捉えることができる者はなく、ただ仲間の死体が増えていくことでその存在を認識する。
「――ふんっ」
あまりにも荒唐無稽な記録が載っている書類に不満を覚えながら、1人の女性が呟く。それに続いて、今度は大声を出した。
「爺!爺はおるか!?」
その声を聞きつけたのか、紳士服に身を包んだ老年の男性がゆったりと姿を現す。皺と白髪から短くない時を生きていると思われたが、その姿勢に老いは見えない。
「何か御用でしょうか、姫様?」
老人に『姫』と呼ばれた女性は、苛立たしげに手を振った。
「姫ではない、姫皇帝と呼べ!――まあいい。それよりも先の戦争について書かれた報告書、これは誠か?」
彼女の名前はアルカディア=ファース=ルドヘルム=ルクルティア。25歳という若さでありながら、ルクルティア帝国の現最高権力者――つまりは皇帝であった。
「左様でございます、姫皇帝陛下。ちなみに、その質問は今回で53回目になります」
やや呆れながらも答えたのは、彼女の執事兼護衛のヴァルジ=ボーダンである。
「何度聞いても信じられぬわ!余を誑かそうとしておるのではあるまいな!?」
「滅相も御座いません。ちなみに、その質問も今回で53回目になります」
溜め息を吐きつつではあったが、ヴァルジはそう答える。
しかし、執事のその言葉をアルカディアは聞き流した。
「まったく・・・!敗戦の原因を探ろうと報告書を漁っても、常に『グレン』の名が出てきて終わりになっておる・・・!たった1人の英雄がいるだけで、そんなにも戦況が変わるものなのか?」
「私には分かりかねます。ちなみにこれも――」
「分かっておる!53度目であろう!?」
アルカディアは声を荒げる。
そんな彼女に、ヴァルジは真剣な声で尋ねた。
「姫様、1つだけ伺ってもよろしいでしょうか?」
「姫皇帝と呼べ!・・・なんじゃ?」
「もしや再び、フォートレス王国と戦うおつもりですか?」
予想外の問いではなかったのか、執事の言葉にアルカディアはさしたる動揺を見せなかった。それだけでなく、皮肉めいた笑みさえ浮かべる。
「馬鹿を言え。15年前の戦力ならばいざ知らず、今の帝国に他国と争うほどの力は残っておらん。国を維持するのだけで精一杯じゃ。見よ、この部屋の質素な事を」
2人は今アルカディアの――つまりは皇帝の私室にいる。
国の権力者の部屋と言えば豪勢な家具で埋め尽くされているものだが、ここにあるのは質素な机、椅子、そして寝台だけであった。
何故かというと、先の戦争における損害や戦争賠償が莫大なものになった事から、それに当てるために皇族の私財を投げ売ったからである。さらには働き手を無くした家庭や五体満足でなくなった者に対する補償も国から支払われていた。
これら全てを取り仕切ったのは、他ならぬアルカディアである。
「嘆かわしいことでございます・・・」
「言うな。これも全てはあの戦争において、父上と母上が早々に負けを認めなかったせいじゃ。ならばその負債は、余が受け継ぐべきでもある」
この言葉にヴァルジは目頭を押さえる。嘘泣きではあったが。
「姫様・・・御立派になられて・・・!」
「姫皇帝と呼べ!・・・そうでもなければ、今頃生きてはおるまいよ」
敗戦後、帝国内部において反皇帝の機運が急速に高まった。自分の家族を亡くし、財産を戦争に当てられたのにもかかわらず敗北を繰り返した帝国軍、延いてはそれを導く皇帝に批判が殺到したのである。
その勢いは、ついに全皇族を断罪すべきだという所まで行った。
そこで、当時10歳であったアルカディアが動く。
大臣たちと結託して皇帝と女王、つまりは自身の両親を処刑したのだ。さらに国民に金をばら撒くことで不安や不満を取り除き、怒りを収束させた。
これは自身の命を護るため、そして何より可愛い弟を護るために断腸の思いで行ったことである。
そしてその日より、アルカディアは皇帝となった。
若干10歳での帝位継承は、ルクルティア帝国歴代最年少記録である。
しかし所詮は子供。政治について右も左も分からないアルカディアは、私腹を肥やす大臣たちに利用され続けた。
そのことに再び国民の怒りが爆発する。
慌てたアルカディアは、なんと全ての大臣たちを処刑するという声明を出し、これを実行。それにより、今度は帝国の政治機能が麻痺するという事態に陥ってしまった。
しかし不幸中の幸いか、アルカディアにはずば抜けた政治管理能力があった。自分1人だけで国の政治を回さなければならないという異常事態に、その能力が覚醒したのだ。
今では執事であるヴァルジと最愛の弟と共に、たった3人でルクルティア帝国を仕切っている。
その筆頭に立つアルカディアは、机の上に置かれた書類の山に視線を移した。
「昔はあれを捌くため、泣きながら一日中机に噛り付いておったものじゃ・・・。しかし、今では半日と掛からん」
在りし日の思い出にふけり、アルカディアは目を瞑る。
「そして暇な時間ができたから、15年前の戦争について調べていた、と」
しかし、ヴァルジの一言が皇帝を現実に引き戻した。
「姫様、なにも息抜きをするなとは申しませんが、過去のことを調べても仕方ありますまい。それよりも、今の問題を解決しなければなりませんぞ。不法入国者などが、後を立たないのですから」
帝国は先の戦争で多くの国民を失った。
そのためアルカディアは、人口の減少した村や町の住民を全て、帝都または帝都近くの街に集めることを決める。そうすることで、互いに助け合いをさせようとしたのだ。
しかしその結果、帝国領土内に監視の目が行き届かなくなる場所が大幅に増え、そこに外から来た者たちが住みつくようになってしまっていた。
「偵察隊の報告によれば、犯罪者集団や盗賊ギルドまでが拠点を作っておるらしいですぞ」
「そのことは耳にしておる。だが、その者たちを討伐するための戦力もなければ予算もないのじゃ。まったく・・・どうして我が帝国には、こうも蛆虫が湧き続けるのか・・・」
「我が国にも、王国のような英雄がいれば良かったのですが・・・」
床を忌々し気に睨み付けるアルカディアに向かって、ヴァルジはそう告げる。
もしそのような人物がいるならば、先の戦争でも敗北などしていなかっただろう。だから、これは単なる願望でしかなかった。
しかし、その言葉にアルカディアは何か思いついたように顔を上げる。
「そうか・・!英雄か!」
「姫様?」
急に元気になったアルカディアを、ヴァルジは不思議そうに見つめる。
「でかしたぞ、爺!そうじゃ、簡単なことであった!我が国にも英雄がおれば良いのじゃ!」
我天啓を得たり、とばかりにはしゃぐアルカディアであったが、何を言っているのか分からないヴァルジは頭の上に大量の疑問符を浮かべていた。
「姫様・・・?大丈夫ですか・・?」
あまりの苦境についにおかしくなったかと、心配して声を掛ける。
「姫ではない、姫皇帝と呼べ!――分からないか、爺?帝国にも英雄がおれば、不法入国者など一網打尽にできる!さらには、恐れをなして領土侵犯などもせぬようになる!」
「それは・・・・分かりますが・・・。ですが、その英雄をどのようにして御用意なさるおつもりで?我が国にも未だ兵士はおりますが、英雄になれるような潜在能力を秘めた者がいるなど聞いたことがありませんぞ」
大幅に数は減らしたが、帝国にも兵士は存在していた。それでも残った国民を警護することができる程度の数であり、戦力としては頼りないものである。
そのため、もし英雄と呼ばれるほどの実力を持っている者がいれば、耳に入らないわけがない。ヴァルジはアルカディアの希望的観測に、心を痛めながら異議を唱えた。
けれども皇帝はさらに反論する。
「確かに帝国にはそのような者はおらん。だが、隣の国に丁度いいのがおるではないか」
その言葉によって、ヴァルジは主の真意を察する。
「まさか、英雄グレンのことを仰っているんですか!?」
アルカディアは「うむ」と頷いた。
「しかし、英雄グレンと言えば忠義に篤いと聞きます。そのような人物が帝国に寝返るなど、考えられないのですが・・・」
英雄グレンは国のため、常に最前線で命を掛けて戦う。
それはアルカディアも知っていた。
「余に名案がある。いかにグレンと言えども、帝国に寝返りたくなるような名案がな」
「それは・・・どういったものなのでしょうか・・・?」
聞きたくないような気もしたが、ヴァルジは話の流れ上聞かざるを得なかった。
「グレンを余に惚れさせるのじゃ」
ほらやっぱり、とヴァルジは額に手を当てる。
「情報によると、グレンは独り身らしい。余ほどの美貌の持ち主であるならば、籠絡するのも容易かろう」
アルカディアは自信満々にそう語る。
確かにアルカディアは美しい。真っ直ぐ滑らかに伸びた長い黒髪はその美しさを一層際立たせ、高い身長は歩く姿すら魅力的にさせる。絶世の美女とはこういう者だ、と正に体現しているようであった。
しかし――。
「いささか女性的魅力に欠けますがな」
ヴァルジからの批評に、アルカディアは固まった。
そう、アルカディアには女性的魅力がない。つまりは胸が平坦で、尻が小さいのだ。
これは、アルカディアの劣等感でもあった。
「し・・仕方がなかろう・・・。成長期に満足のいく食事が取れなかったのじゃ・・・。そう、そのせいじゃ・・・!」
その割に身長だけはすくすくと成長したな、とヴァルジは思った。
「と、とにかく!これから余はフォートレス王国に向かう!」
話題を変えようと、アルカディアは声を張ってそう言った。
「今直ぐの御出立ですか!?しかし、それを王国側が聞き入れてくれるかどうか・・・」
いきなり他国の最高指導者がやってくるのだ、警戒されるに決まっている。許可が容易に下りるとは考えられなかったため、ヴァルジはそう指摘した。
「それは問題ない。帝国と王国の間には、平和条約が結ばれておる。それを理由に親善大使として参りたいとでも言えばよかろう。ふんっ、あの忌々しい条約がこんな所で役に立つとはな」
15年前の戦争終結後、戦勝国であるフォートレス王国は敗戦国である帝国に対し、戦争賠償の他に平和条約の締結を要求してきた。
この条約は平和条約とは名ばかりの王国側に都合の良いものであり、アルカディアは常々それを憎らしく思っていた。しかし、今回はそれを利用させてもらおうと言うのだ。
「そんなに上手くいきますかね・・?」
「いく!というか、いかせる!爺、さっそく連絡を取れ!」
こういう時のアルカディアは言っても聞かないため、ヴァルジは仕方なく指示に従うことにした。伊達に両親や大臣を処刑した過去を持つわけではない、ということだろう。
そう思い、連絡に向かおうとしたヴァルジであったが、ふと思い留まってアルカディアに尋ねる。
「まあ、よしんば許可が下りたとして。その後はどうなさるおつもりで?グレンをどのように籠絡するのです?」
「ふふんっ!聞きたいか?ならば耳を貸すのじゃ」
アルカディアは計画の一部始終をヴァルジに話して聞かせる。
話し終えた時、ヴァルジの「えぇ・・・?」という声だけが部屋を満たした。




