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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
英雄の咆哮
1/86

1-1 英雄、依頼を受ける

 フォートレス王国。

 隣国との度重なる戦争に勝利し、強者が集う地として知られる大国である。

 政治、経済、教育、軍事力、どれをとっても他国の追随を許していない。

 その王都であるナクーリアともなればなおさらで、整備された通りを行き交う馬車や人々の数は無数。

 商人の活気溢れる声や子供たちの笑い声が、そこかしこから聞こえてきていた。

 見周りをする騎士や兵士の数も多く、治安も良しときている。



 そんな街の中を、1人の大男が歩いていた。

 2メートルはあろうかという身長に、鍛え抜かれた屈強な体つき。

 鎧を身につけず軽装であることから騎士でも兵士でもない事が分かるが、それ故に腰にぶら下げた大太刀に目が行く。男の露出した顔や腕にある古傷から、一見盗賊か何かかと思われた。

 男の名前は、グレン=ウォースタイン。歳は32である。

 盗賊然としたグレンが武器を所持しながらも、平気で街中を闊歩できるのには理由があった。



 15年前に起こった隣国の1つ、ルクルティア帝国との戦争。

 グレンはそれに参加していた。

 両国あわせて多数の死者が出たその戦争で、彼は数々の武勲を打ち立てたのだ。

 その偉業は15年たった今でも国民の間で伝説として語り継げられており、故に人々はグレンのことを『英雄』と呼んだ。



 そんな英雄を知らぬ戦士はおらず、逆に彼を見かけるたびに敬意を示してくる。そのことに毎度グレンはむずがゆい気持ちを感じながらも、ぎこちない笑みとともに手を上げて応えたりもしていた。

 グレンの顔立ちはまるで頑強な岩のようであり、女性に好まれるようなものではなかったが、男からは「かっこいい」「ああいう男になりたい」などと思われるような風貌であり、そうすることで彼らの憧れに応えてやっていた。皆が言うところの英雄として。

 今もまた二人組の兵士が、やや離れた距離ではあるがグレンに頭を下げてきている。グレンはいつものように手を上げ、それに応えた。

 「・・・ふう」

 見知らぬ他人と接することがあまり得意でないグレンは、小さく溜め息を吐く。

 彼は無表情な方ではあるが、決して無口や無感情なわけではなく、むしろ親しい人間とはよく話す方であった。

 しかし、親睦のない相手となると勝手が違うのか、このような反応をしがちである。

 迷惑でもなければ緊張をしている訳でもない。ただ、なんとなく疲れるのだ。

 他の者に見つからないよう、歩く速度を少し上げ、グレンは目的地へと急いだ。




 王都ナクーリアの中央には王族の城があり、その周囲を囲むように貴族の屋敷が立ち並ぶ。さらにそれを囲むように平民の家々や店があり、グレンはその一角に存在する大きな建物を目指していた。

 その建物に掛けられた、これまた大きな看板には『勇士管理局』と書かれている。

 勇士とは、国や国民からの依頼をこなすことで生計を立てている者たちのことである。

 かつて戦争があった際に多くの兵士を抱えていたフォートレス王国であったが、周辺国との平和条約を締結したこともあって、経費削減と称して兵士の数を減らすことがあった。

 無論、ただ放りだすだけでは反発が起きるため、その受け皿として用意されたのが『勇士』という職業である。安定した収入はないが、好きな時に働けばいいという点から気ままにできるとして、今では腕っ節に自身のある平民に志望者が多い。

 グレンは平和になった国の兵士でいるよりも、いつでも戦いに身を置けるだろうと思い、10年前から勇士を続けている。

 そんな彼らに依頼の仲介や報酬の授与を国から任されているのが 「勇士管理局』であった。ちなみに、管理局の人間は公務員であるため月給制だ。

 グレンは管理局の入口の前に立つと、その扉に手を触れる。鉄製であるためやや重いのだが、扉はすんなりと開いた。

 管理局に入ると、グレンは一直線に受付へと向かい、いつもと同じ台詞を放つ。

 「依頼をこなしてきた。報酬を頼む」

 低く重厚な声が、響かず発せられた。

 今回こなした依頼は『希少植物の採取』であり、集めてきた品は袋に入れられている。それを受付台に置くと、係の女性が神妙に受け取った。

 「ありがとうございます、グレン様。依頼主からは出来れば3日で頼むと言われていたのですが、わずか1日で。さすがでございます」

 「ああ」

 受付の女性の賛美にグレンは無愛想とも取られかねない態度で返す。しかし女性に気分を害した様子はなく、これがいつものやり取りなのだと伺わせた。

 「これが採取できる地域には強力なモンスターがいると伺っておりましたが、その様子ですとお怪我はなさってないようですね」

 「ああ、大丈夫だ」

 勇士管理局では、ある一定水準以上の依頼を達成した勇士に負傷が見られた場合、無料で回復薬を授与する規則となっている。高難度の依頼を達成した者に対する心遣い、ということだ。

 しかし、今回グレンに傷はなく、それは不要であった。

 「かしこまりました。では、こちらに御名前を」

 女性が渡してきた依頼書の一番下に名前を書く。

 本来ならば鑑定士による依頼品の確認があるのだが、グレンの働きぶりに疑いを持たない受付嬢はそれを省いた。これも、いつものことである。

 「確かに。では、こちらが報酬でございます」

 受付台に音を立て、勇士の報酬としては多めの金貨が入った袋が乗せられた。今回こなした依頼は緊急という事もあってか、報酬が割り増しされている。

 「では、これで」

 グレンはそれを受け取ると、受付嬢に背を向けた。

 「次の依頼は受けなくてよろしいのですか?」

 そんな彼に対し、慌てた様子の受付嬢が尋ねてくる。

 グレンは依頼をこなすと、すぐその場で次の依頼を受けていくことを基本としていた。受けないことが絶対にない、という訳ではないため、今回もそうしようと思っただけである。

 「ああ」

 受付嬢に軽く振り向くと、グレンはその意思を告げた。

 今回の報酬は独り身の彼が暮らすには十分過ぎるほどであり、これほどの金を得てなお他の勇士の仕事を取るわけにもいかないと考えたのだ。

 「それでしたら、少々お待ちいただけますでしょうか?」

 表情に何ら変化は起こっていなかったため第三者には分からないが、今度はグレンが少し慌てた。

 「なにか?」

 これまで幾度となく管理局に訪れはしたが、このように呼びとめられることは一度としてなかったからである。今までにない展開にグレンは嫌な予感がしたが、それでも無視することはできず要件を聞いた。

 「局長がグレン様の手が空くようなら、少し話をしたいと申しておりまして」

 局長とは、勇士管理局で最も高い地位につく人物のことだ。

 グレンが兵士から勇士になった際に良くしてくれ、歳は20ほど向こうの方が上ではあるが、グレンの数少ない友人の1人とも言えた。

 局長はたまに高難度のため受け手のいない依頼を、グレンに引き受けてもらえないかと相談しにくることがある。その場合、これまでならば受付嬢からグレンの手が空いていることを聞いた後、局長自ら彼のもとへと話を持ってきていた。

 今回もその類か、とグレンは考える。

 先ほどの依頼が終わったならば、伝えるよう言われていたのだろう。おそらく次の依頼を受けようとしても同じ流れになったに違いない。昨日か今日持ち込まれた依頼で、急を要しているようだ。

 「分かった。局長室に向かえばいいのか?」

 「いえ、待合室でお待ちください。局長の方から伺いますので」

 そういう所は本当に律義だな、とグレンは思った。





 待合室にて5分ほど待っていると、ふいに扉が開かれる。

 「悪いね、グレン君」

 少々小太りだが人の良さそうな中年男性が部屋に入ってくる。彼が勇士管理局局長オーバル=サーナイムであった。

 「どうも、局長」

 グレンは座っていた長椅子(ソファー)から立ち上がり、オーバルに向けて頭を下げた。

 「おいおい、よしてくれよ。君みたいな英雄に頭を下げられるほど偉い人間じゃないよ、僕は」

 オーバルは笑いながらそう言うと机を挟んで向かいに座り、グレンにも座るよう促した。

 グレンは再び長椅子(ソファー)に腰を下ろすと、早速本題について問い質す。

 「それで、話とはなんですか?」

 グレンの向かいに座ったオーバルは、苦笑いを浮かべながらこう言った。

 「実は・・・君に頼みたいことがあって、ね」

 やはりか、とグレンは思う。

 しかし、同時に違和感も覚えた。このような突発的な依頼は一度や二度ではないはずである。

 なぜ今回は歯切れが悪いのか。それほどの依頼なのか、と訝しんだ。

 「どのような内容でしょうか?」

 少し身構え、問い質す。

 強大なモンスターの討伐か、貴重な魔法道具(マジックアイテム)の探索か、はたまた要人暗殺か。

 とりあえず血生臭いことならば断わろうと、グレンは予め決めておいた。

 「グレン君も、学院には通っていたよね?」

 質問に質問で返され、グレンは眉間に皺を作る。

 聞かれた質問の意図が分からず逡巡したが、隠す必要もないと答えることにした。

 「いえ、自分の家は平民の中でも貧しい方でしたので」

 王都ナクーリアには、富裕層の子供が通う学院が2つと一般層の子供が通う学院が1つある。

 そのどれもが6歳から18歳まで同じ学院で一貫して教育を受けるようになっており、学費等の点から編入する学生はほとんどいない。

 富裕層には高い水準の学習と鍛錬を、一般層には勉学だけでなく家の仕事を手伝う時間を与えるための区別である。一般家庭では、子供も労働力として畑仕事などを手伝うのだ。

 しかし、グレンの家は耕す土地も少なく、毎日の食事で精一杯で学院に通うほどの余裕はなかった。かつての王国は、戦争が原因で全ての国民が満足な暮らしを送れていた訳ではないのだ。

 「あ、あれ?そうだったのか。悪かったね」

 「いえ、お気になさらず」

 そのときの苦境が今の自分を作ったと言っても過言ではないため、グレンは最早気にはしていない。だからと言って無闇に話すことでもないため、オーバルが知らなくても無理はなかった。

 「え~と・・・で、だ!」

 気分を変えようと、オーバルは軽く膝を叩く。

 「王国の学院では年代ごとに6~12歳が初等部、13~15歳までが中等部、16~18歳までが高等部と分かれていてね。それぞれの最終年に昇級するための必修科目がいくつかあるんだよ」

 オーバルがやや早口にまくしたてると、グレンは理解を示すために頷いた。

 「その中の1つにね、『実戦観察』という実習があるんだよ。あ、ちなみに中等部の科目ね。これは騎士や兵士、勇士に同伴してその仕事ぶりを見学するというものなんだけど。いや、なにも危険な場所に行くわけじゃないよ?ただ、学業だけでなく戦闘技能も重視する我が国の教育方針としてさ、まさにそれを活かす仕事に就いている大人を見て、いろいろと学ばせたいらしいんだよ」

 王国の教育方針は『文武両道』。

 これは戦争が頻発することから、男女問わず戦力として国民を幼い時分から育てるためのものであった。そのため、学院では勉学だけでなく戦闘に関する授業も多くある。

 「まさかとは思いますけど、私にそれを頼みたいと?」

 「そう!そのまさかなんだよ!学生を1人見てもらいたいなあ、とね」

 「申し訳ないですが、断らせていただきます」

 グレンは表情を変えず間を置かず、そう答えた。

 見知らぬ他人と接する事を苦手とするグレンとしては、自分の半分以下の年齢の若者相手にどう接したら良いか分からないのだ。

 おそらく学生に対して何ら益になることをしてやれそうもないだろう、ならばこれは断った方が良いな――と彼は考えていた。

 「うん、まあそう言うだろうと思ったよ。でも答えを決めるのは、この手紙を読んでからにしてみてはどうかね?」

 そう言うと、オーバルは上着の右ポケットから1枚の手紙を取り出し、グレンに渡した。

 彼はその手紙に印された紋章を目にすると、不可解だと眉を顰める。手紙に印された物はある貴族の家紋であり、その紋章は特によく知るものであったからだ。

 グレンは手紙を開けるかどうか逡巡した後、覚悟を決めて封を切った。

 そして、中身に目を通す。






「やあ、グレン!元気してるかい?元気してるだろうね。

 君の大親友アルベルト=カルディアム=オデッセイさ!

 局長から話を聞いた後だと思うけど、君に1つ頼み事をしたい。

 そう!学院の実習で中等部の学生を1人請け負ってもらいたいんだ!

 本来ならば僕が担当するはずだったんだけど、騎士団団長としてやらなければいけないことが山積みでね。

 で、その学生なんだけど、ある貴族のお子さんなんだ。

 だからこそまず始めに僕が担当する感じだったんだけども、お断りをする際その学生の父君に『代わりに任せられる者はいないのか』と聞かれてね。

 そこでいろんな人を挙げたんだけど拒否されてしまって、最後に君の名前を出したら向こうも納得してくれたんだよ。

 むしろ『君以外には任せられない!』なんて乗り気になっちゃってさ。

 だからここはひとつ、僕とその貴族の顔を立てるってことで、なんとかこの依頼を受けてもらえないだろうか。

 大親友としてお願いします。

  

フォートレス王国騎士団団長兼君の大親友アルベルト=カルディアム=オデッセイより」





 これを書いた後「とりあえず、これくらい書いとけば彼も断れないだろう」と言ったに違いないと、グレンはなんとなく思った。

 手紙の主アルベルトはフォートレス王国六大貴族の1つカルディアム家の長男であり、彼と同い年である。

 15年前の戦争時、他の若い貴族がグレンの活躍に嫉妬する中、唯一積極的にグレンに話しかけてきたことで親睦が深まった。

 言うまでもなく、グレンの数少ない友人の1人である。

 15年前程から騎士団に入っており、現在の役職は王国騎士団団長。異例の若さでの就任ではあるが、彼にはそれだけの才覚があるとグレンは思っている。『英雄』という肩書は、友人の方が相応しいとさえ思えるほどだ。

 親しくなりすぎたせいか、グレンに対してはひどく砕けた態度で接してくるのが玉に瑕だが。

 「なるほど・・・。この依頼はアルベルトからのものでしたか・・・」

 手紙を読み終えると、グレンはそう零した。

 「そうなんだよ。私はまあ、仲介役みたいなものでね。で、どうだい?大親友からの頼みと知って、気持ちは変わったかい?」

 『大親友』の部分は置いておくとして、アルベルトからの頼みは少々断りづらかった。

 15年前に出会ってからこれまで、アルベルトは貴族でありながら平民であるグレンにとても良くしてくれている。それは局長とは比較にならないほどであり、要は貸しがたくさんあるのだ。

 だが、しかし―――。

 「何故、こんな回りくどい方法で依頼してくるのか・・・」

 直接本人が話をしにくれば良いものを、とグレンは呆れる。

 「彼も本当に忙しいみたいだよ。僕のもとにも手紙で連絡が来てね。まあ、平和になったとは言ってもそれは国家間での話で、盗賊やらモンスターやらは今でもうじゃうじゃいるから、その対策に追われているのさ。勇士もいるけど、気まぐれな連中が多いからねえ。まだ手つかずの依頼もたくさんあるし」

 ふむ、とグレンは考える。

 10年前――兵士を辞めて勇士になった日、様々な人物が考え直すように求めてきた。特に、アルベルトからは必死に説得されたのを覚えている。

 しかし、その時のグレンの決意は固かった。自由に動ける騎士とは違い、兵士が動くということは王国が動くということ。これからの時代、そのような事態が起こることは――ないとは言い切れないが――あまり考えられる事態ではなかった。

 あれだけ頻繁に起こった戦争も前回を最後に1度もない。ならば、自分のいるべき場所はここではないと思えたのだ。

 騎士になれば良いとも言われたが、そのために必要な筆記試験に合格できるほどグレンは頭が良くなかった。

 退屈していたわけでも争いを求めたわけでもない。ただ、教養がなく戦うことしか価値のない――そう言うとアルベルトには叱られたが――自分が国のために最大限できることを、自分で考えた結果なのである。

 勿論、後悔はしていない。しかし、友人の苦労を十分に分かち合えないことに対する罪悪感がない訳でもなかった。

 グレンは考える。オーバルは、そんな彼に対してもはや何も言ってこない。

 グレンの中で、学生の将来や友人への罪悪感、自分の苦労などが重しとなり、この依頼を受けるか受けないかの天秤を動かしていた。

 そしてしばらくした後、グレンは顔をオーバルに向け、こう言った。

 「・・・分かりました。その依頼、引き受けましょう」

 「おお!そう言ってくれると思っていたよ!」

 オーバルは満面の笑みを浮かべると、勢いよく立ち上がった。

 「実は学生を局長室に待たせていてね。君が受けると言ってくれたら、会わせる予定だったんだよ。ちょっと待っていてくれるかい?実習は1週間後からなんだけど、今のうちに顔合わせをしておいた方が良いと思うんだ」

 グレンは頷く。

 それを受け、オーバルは「よかったよかった」と言いながら部屋を出て行った。あの喜び様、もしかしたら何か報酬でも出るのかも知れないな、とグレンは思った。

 「しかし・・・学生か・・・」

 学院に通っていなかった自分には、学生がどのようなことをするものなのか分からなかった。勉強をしていることは分かるが、それ以外はさっぱりだ。

 これから自分は勇士として何を教えればいいのだろう。ただ戦う姿を見せれば良いのか、それとも一緒に鍛錬をしていけば良いのか。

 (あまり危険な依頼は受けられないな)

 自分の口からこの依頼を受けると言ったのだ。いまさら断る気など毛頭ない。

 しかし、普段あまり動かさない頭がすでに混乱をきたし、強大なモンスターと対峙した時でさえ痛まない胃がきりきりとしてきていた。

 グレンは慣れない事をしようとする重圧を、その身にひしひしと感じてしまう。

 「う~む・・・」

 などと呻きながらしばらく待っていると、扉の向こうに2人分の気配を感じた。

 その内の1人が扉を優しく叩く。

 オーバルならば許可を取らずに入ってくる。ならば(くだん)の学生か。

 グレンはできるだけ優しく聞こえるよう返事をした。

 「どうぞ、入ってきてくれ」

 「は、はい!」

 返された声に、彼の目は大きく見開かれる。


 



 (やられた!アルベルトめ!)

 グレンは学生の声を聞いた瞬間、そう思った。

 おそらくオーバルにも黙らせていたに違いない。確認しなかった自分も迂闊(うかつ)だったのかもしれないが、親も納得してこんな大男に預ける学生だ、少なくとも隣にいて違和感を覚えない程度の人物であると考えていた。

 しかし、扉の向こうから聞こえてきた声は、とても可憐で繊細なもの。どう考えても少女のものであった。

 いや、まさか、そんなはずはない、聞き間違いであれ、とグレンは願う。

 「し、失礼します!」

 しかし、そんな彼の願いも、学生の二言目で容易く打ち砕かれる。それは聞き間違いようがない位に、声の主の正体を教えてくれていた。

 扉が開かれ、学生が入ってくる。思った通り、姿を見せたのは女学生であった。

 髪は腰まで伸ばしたさらさらの銀髪で、肌は絹のように白い。学生服だろうか、紺色のそれが女学生の白さをより際立たせていた。

 身長は平均くらいで、足首まであるスカートを揺らしながら歩くその所作は15歳にしては出来すぎている。そう言えば貴族の子供と手紙に書いてあったな、とグレンは思い返した。

 彼の目の前まで来た女学生は、スカートの裾を両手でつまんで軽く持ち上げると、優雅なお辞儀をして見せる。

 「初めまして、グレン様。(わたくし)は、聖マールーン学院中等部3年エクセリュート=ファセティア=ローランドと申します。エクセとお呼びください。この度は、英雄であるグレン様が(わたくし)の実習に付き合ってくださるとの事で、とても感激しています。お邪魔にならないよう精一杯努力いたしますので、御指導御鞭撻のほど、よろしくお願いします」

 女学生――エクセはそう言うと、顔を上げ、にこりと微笑んだ。

 エクセは可愛いとも綺麗とも言える顔立ちをしており、その笑顔はとても魅力的である。

 グレンは「あ、ああ・・・」と未だ戸惑いを隠せない空返事をしながら、さぞ男子生徒に人気があるのだろうな、と柄にもないことを考えた。

 それと同時に、エクセの貴族名――貴族は名と姓の間に家名があった――である『ファセティア』と聞いて、ある人物を思い出す。

 「――ん?ファセティア・・・?まさか、バルバロット公の?」

 「はい!父からはグレン様のご活躍について、よく聞かされておりました!」

 ファセティア家は、アルベルトのカルディアム家と同じく六大貴族の1つである。

 エクセの父親であるバルバロット=ファセティア=ローランド公爵とグレンが出会ったきっかけは、アルベルトの時と同じく15年前の戦争であった。

 当時、戦争の総指揮官を務めていたバルバロットは実力主義者であったことから、武力に秀でたグレンと、武力だけでなく知略に輝かしいアルベルトをとても気に入り重宝したのだ。そのことから友人とは言えないまでも、身分の違いを感じさせない程の仲になっていた。

 (しかし、あの方の娘とは思えないな・・・)

 バルバロットは熱血漢で強面といった感じであったが、とグレンは思う。

 その時、ふと自分が長椅子(ソファー)に腰掛けたままだということに気付いた。いかに相手が学生で知人の娘であっても、それでは無礼が過ぎる。ましてや相手は貴族だ。

 グレンは急いで立ちあがると、軽く頭を下げながら自己紹介をした。

「初めまして。グレン=ウォースタインだ」

 こちらこそよろしく、という言葉は言えなかった。

 なぜなら相手が女学生であるということを知った今、依頼を受ける気は薄れていたからだ。グレンは先ほどした決意という名の掌が、くるっと返るのを感じた。

 (さすがに断ろう・・・)

 例えこちらにその気がないとしても、独り身の男と少女が2人きりで行動するのはまずい。

 歳が倍以上離れているのだ。どんな噂を立てられるか分かったものではないし、そんな空間に耐えられる気がしなかった。

 おそらくバルバロットがエクセの意思に関係なく決めたのだろうと考え、グレンは少女に言葉を掛ける。

 「あー・・・エクセ――(くん)。困っただろう?こんな男と2人きりで実習だなんて。今からでもバルバロット公に――」

 「そ、そんなことはありません!!」

 エクセから出たと思えないほどの大声が部屋中に響いた。グレンは思わず言葉を止め、少女の顔をまじまじと見てしまう。

 「し、失礼いたしました!」

 エクセは顔を真っ赤にしながら俯き、そのまま黙ってしまう。

 どうしたものかとグレンも口を閉ざしていると、オーバルが部屋に入ってきた。まだ廊下にいたのは気配で分かっていたため、驚きはしない。むしろ丁度良い所で来てくれたと感謝した。

 「グレン君、これを」

 グレンの傍に来たオーバルが、今度は上着の左ポケットから手紙を取り出した。その手紙には、またもやカルディアム家の紋章があり、手紙の主がアルベルトである事を告げている。

 グレンは封を切って手紙に目を通した。




「やあ、グレン。

 君のことだ。実習相手が女生徒だと知り、やっぱり断ろうと考えているだろうね。

 しかし、それは待ってほしい。

 エクセリュート嬢から教えてもらったと思うが、彼女はあのバルバロット公のご令嬢なんだよ。

 15年前のあの戦争中に生まれた子供だ。

 バルバロット公は当時40歳。長い間子宝に恵まれなかったため、エクセリュート嬢が生まれた時は大層喜ばれていたよ。

 そんなことだから公は、エクセリュート嬢をとても可愛がられておられる。

 それはもう病的にだ。

 そんな大事な娘をどこの誰とも知らない者に預けるわけにはいかないって聞かなくってね。

 学院にも一度「『実戦観察』の受講を免除しろ」って圧力を掛けてさ。

 学院側からは「いかに六大貴族と言えども生徒は生徒。特別扱いはできません」と言われたそうだよ。

 ただ、バルバロット公の心配も分からないでもないとは思わないか?

 エクセリュート嬢はとても魅力的だ。まあ、僕の妻の方が上だけどもね。

 おそらく目の前にいるから分かると思うが、バルバロット公の娘とは思えない程の美貌に加えて、あの体つきだ。

 父親にしてみれば信用していない者に預けるわけにもいかないし、実力のない者に任せてしまった際には下手をすれば攫われてそのまま手篭めに、なんてことも心配してしまう――」




 ここでグレンは手紙から目を離し、今まで意識していなかった――いや、意識しないよう努めていたエクセの体つきを観察する。15歳の少女とは思えぬその胸の膨らみは、野蛮な男どもの欲情を掻き立てるには十分過ぎるものであることは容易に理解できた。

 (何を考えているんだ、俺は・・・)

 無礼な視線をエクセに気付かれない内に、グレンは手紙に視線を戻す。




 「――そこで、バルバロット公が娘を預けるに足るほど信頼していて、かつ何事もなく実習を終わらせられる人物が君だけということになったのさ。

 僕も君以上の適任者を知らないし、君ならば娘を思う父親の気持ちを汲み、この依頼を引き受けてくれると信じて、ない時間を割いてこの手紙を書いている。

 君もバルバロット公に借りがないというわけではないだろう?

 というわけで頼んだぞ、我が大親友。

  

 アルベルト=カルディアム=オデッセイより」



 手紙を読み終わると、グレンはエクセに視線を移す。

 しかし、未だ俯いたままの彼女に掛ける言葉がなかったため、隣にいるオーバルに話しかけた。

 「何故、言ってくれなかったんです?」

 もちろん実習相手が女学生であったことについてだ。

 「驚かせたいから、黙ってるように言われてしまってね」

 オーバルは頭を掻きつつ弁明するが、その顔に謝罪の念はない。

 やはりそうだったかという意味を込め、グレンは溜め息を小さく吐いた。

 「局長。先程この依頼を受けると言いましたが、やはり断らせていただきます」

 この言葉にすぐさま反応したのは、オーバルではなくエクセであった。

 俯いていた顔を勢いよく上げ、驚いた表情でグレンを見つめてくる。それを横目で見つつ、オーバルはグレンに尋ねた。

 「う~む、なぜかね?」

 「実習相手が少女だというのは聞いていない」

 「何か問題でもあるのかね?」

 「私のような男とエクセ君のような少女が行動を共にするのはまずい。バルバロット公のことだ。他の者を同行させるのを良しとしないでしょうし」

 グレンの予測に対して、オーバルは頷く。

 「実はそれも言われていてね。グレン君の足手まといが同行することは許さないそうだ」

 「大事な娘のはずです。不用心ではないですか?」

 「まさか、手を出すつもりかい?」

 「な、何を言ってるんですか。――いや、ですがまあ、そういう可能性のある存在とエクセ君を一緒に、2人きりにしてはいけないのではないかと言っているんです。勇士には女性で腕利きの者がいたはず。彼女らに頼んでみては?」

 「確かに彼女らの実力は申し分ない。しかし、君と比べてしまうと遥かに劣る。バルバロット公が決して認めてくださらないだろう」

 「ならば、私の方からバルバロット公に話をつけてきます。実習開始まで、まだ1週間あると言っていましたね?それまでに説得して――」

 「あ、あの!」

 グレンとオーバルの会話に、エクセの力強く、それでいてどこか寂しさのこもった声が割って入った。

 (しまった・・・!本人の前でする話ではなかった・・・!)

 グレンは己の失態に気付く。

 エクセにしてみれば、今のやり取りは彼が自分というお荷物を押しつけられたくないと抵抗しているように見えたはずだ。

 見れば少女の瞳は潤んでおり、今にも泣き出しそうである。なんとか弁明しなければと頭を全速力で回転させるが、先に口を開いたのはエクセであった。

 「グレン様。この実習の教官という立場が、貴方様にとって役不足であることは(わたくし)も重々承知しております。ですが(わたくし)にとって、これは憧れの英雄様と共に活動できるまたとない機会。決して足手まといにはなりません。どうか、どうかお願いします」

 そう言って、エクセは深く頭を下げた。

 「あ、憧れ・・・?私に・・・?」

 少女の告白に、グレンは困惑した。今まで彼に憧れを抱く者は、屈強な兵士や国を思う騎士達、将来勇士になると決めた少年達くらいであったからだ。

 目の前の可憐な少女に憧れを抱かせるようなものが自分にあるものかと、グレンは強く思う。

 しかし、顔を上げたエクセの目には、確かに憧れという名の輝きがあった。

 「はい!」

 「何が・・・どうして・・・?」

 言葉がおかしい。それ程までに、グレンは戸惑っていた。

 それに気付かないエクセは、どう説明したらよいか考えを整理し、話し始める。

 「グレン様はご存知なかったようですが、15年前の戦争時、母は(わたくし)を身ごもっておりました。しかし、母は生来病弱な身であって、父が戦争の総指揮官になったと聞いただけで不安で寝込んでしまったのです。このままではお腹にいた(わたくし)も流れてしまうのではと、当時の主治医は言っていたそうです」

 エクセは当時の両親の気持ちを思い、胸を痛ませた。

 「しかし、その不安を消し去るかのように王国は連戦連勝。それもそのはずです。戦争の最前線には、グレン様がいらっしゃったのですから」

 確かに、当時のグレンはバルバロットの指揮のもと、アルベルトと共に戦場を駆け回り、勝利を収めていった。

 それらはアルベルトの奇策やバルバロットの的確な指示のおかげだと思っていたが、ファセティア家ではそういう事になっているらしい。

 「父は母に言いました。『あの戦士がいる限り、我が王国に敗北はない。私に敵兵の刃が届くこともない。だから心配せず、元気な赤ん坊を産んでくれ』と。その言葉を聞いてからの母の回復は目覚ましく、無事(わたくし)を産んでくださったのです」

 言い終えた少女は、胸に両手を当てる。

 それは、自分の心臓の鼓動を確かめているように見えた。

 「(わたくし)は今まで幾度となく父に聞かされてきました。『エクセ、お前の命は母によって与えられ、グレンによって守られたのだ』と。父はグレン様に大変恩義を感じているようでした。――もちろん、(わたくし)もです」

 それを聞いたグレンは、少々飛躍し過ぎなのではないか、と思った。

 「戦時中のグレン様のご活躍も全て聞いております。(わたくし)が最も衝撃を受けたのは、敵が築いた砦を山ごと――」

 「――分かった分かった」

 このままだと長くなりそうだと思い、グレンは話を中断させる。

 「つまりだ。君は私のことを命の恩人みたいなものとして捉えている訳だ」

 「それ以上のものであると思っております」

 エクセの瞳の輝きは増すばかりであり、グレンには少々眩し過ぎた。

 「しかしだな、エクセ君。いくら命の恩人とは言え、私みたいな大男と2人きりで実習と言うのは、その・・・嫌ではないか?」

 ここではっきり嫌と言われてもそれはそれで傷つくなと思いながら、グレンは再度エクセに問う。

 「いいえ・・・。いいえ、グレン様。先ほども聞かれましたが、そのような事あろうはずもございません。(わたくし)にとってグレン様は憧れ。今回の実習相手がグレン様だと知らされた時には、父に深く感謝いたしました」

 とりあえず、エクセに不満はないようだ。

 しかし、そうなると猶更グレンは困った。今回の実習について、生徒とその親も乗り気で、さらには王国騎士団団長にまで一筆書かせてしまっている。

 これをこの場で無下にする事など、グレンにはおよそ出来るものではなかった。

 「で、どうするね?グレン君」

 そう言えば局長もいた。

 今までグレンとエクセ、2人のやり取りを黙って見ていたが、グレンが決断を下さなければならない頃合いを見計らって問い質してきたようだ。

 もはや答えは1つ。

 「・・・分かりました。エクセ君の実習の依頼、引き受けましょう・・・」

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