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あれから一週間がたった。ローズマリーとの婚約解消には手続きに10日ほどかかると言われていたのであと3日かかるらしい。父上と母上、そして家臣達からは散々考え直せと言われた。最初のうちは反対されればされるほど駆け落ちしてでも結婚してやる!と息巻いていたが、5日目くらいからだんだんと冷静さを取り戻していた。
「私もう家に帰りたいですぅ」
マリアンヌは毎日のように泣き言を言っている。マリアンヌは現在、急遽俺との婚約が決まったことによって城で王妃指導という名の監禁状態になっている。俺としても出来ることなら出してやりたいが、俺と結婚するということは王妃になるということなのだ。王妃になるためにはどこに出しても恥ずかしくないマナーや外国語、知識、社交性を身に付けなければならない。ローズマリーのように幼い頃から王妃としての教育を受けていれば別だが、マリアンヌのような平民出身の者がちょっとやそっと勉強したところで身につくものではない。
「俺達が結婚する為に必要なことなんだ。今は耐えてくれ」
「うっうっ、でも結婚したって公務ばかりなのでしょう?私は普通の夫婦生活を送りたいのです」
マリアンヌの言う普通の夫婦がどういうものなのか俺は知らない。幼い頃から王宮にいたし、父上と母上は毎日公務や外交で家族が揃うことは一年で半分もなかった。でも仕事の合間でも時間が空けば出来る限り家族の時間をとろうとしてくれていたので愛情を感じなかったわけではない。それでは不満なのだろうか。理解してやりたいのにわからない。こういった価値観の違いに、やはりマリアンヌとは育ってきた世界が違うのだと痛感させられる。
「想い人と結婚出来るというのに浮かない顔をされていらっしゃいますね。マリッジブルーというやつですか」
自室で最近任されるようになってきた父上の公務の書類を読んでいた時だった。抑揚のない話し方でそう話しかけてきたのは俺の従兄弟で次期国王補佐官と名高いルークだ。ルークとは学園でも同級生で幼い頃から共に育ってきた為、俺が最も信頼を寄せる人物でもある。
「マリッジブルーか…。そうか、そうだな。最近気が重いのはマリッジブルーだからだ」
「女性に多い症状なんですが、殿下は意外と繊細でいらっしゃったのですね」
信頼出来る奴だが、このいちいち人を苛つかせる言動はどうにかならないだろうか。真顔で言うところが余計に腹が立つ。
「ふんっ。失恋したというのに平然とした顔で恋敵と仕事をしているお前に比べればよっぽど繊細だろうな」
腕を組んでにんまりと笑いながらそう言ってやった。そう、ルークもマリアンヌに恋をしていた男の一人なのだ。しかしマリアンヌが俺と結ばれたことによってルークは失恋、しかも好きな女を奪った男の下で働くなんてよっぽどの苦痛であろう。しかし罪悪感はない。腹が立つほど優秀なこいつと幼い頃から比べられてきた俺の苦痛を味わえばいい。
「失恋?なんのことでしょう。むしろ私はかねてからの想い人とついに結ばれ人生の絶頂期を迎えていると言っても過言ではありませんよ」
「は?」
何を言っているのだこいつは。失恋のショックで頭がおかしくなったか?私がルークの頭を心配していると部屋の扉がノックされた。扉の横に控えている執事が扉を開ける。
「ご機嫌よう殿下。一週間ぶりかしら」
「ローズマリー!」
現れたのは一週間前に婚約解消の話をして以来初めて会うローズマリーだった。普段綺麗に結っている髪は緩くまとめられ、化粧が薄くなった分、洋服は花柄の可愛らしいワンピースを着ている。その姿は私の知っている落ち着いた淑女らしい彼女とはかけ離れた、年相応な可憐さをかもし出していた。
「ふ、雰囲気が変わったな」
「今までは次期王妃として殿下に恥をかかせないように気を張っておりましたの。婚約を解消してからはすっかり気が抜けてしまいましたわ」
そう言って笑うローズマリーになぜかドキドキした。普段と違う姿に戸惑っているのかもしれない。彼女もただの17歳の少女だったのだ。知っていたはずなのに何も知らなかった。ローズマリーが俺の為に気を使ってくれていたこと、彼女が小柄で華奢な美しい女性だったこと。
なんだか申し訳なくなってきた。今までローズマリーにたくさんの苦労をかけてきたのに、俺は一度もお礼を言っていなかった。
「あの、ローザ、今まで」
「そうでした、私時間があまりありませんの。今日はお城に寄ったついでに彼の顔を見に来ただけなんです」
「…は?」
本日二度目の「は?」が出た。彼って誰だ。俺に会いに来たんじゃないのか?俺が困惑していると、ローズマリーはパッと横を向きそこに駆けて行った。そして俺はその人物に絶句した。
「ルーク!会いたかったわ。きっとこの部屋に居ると思ってたの」
「私も会いたかったよ。君と会えない時間は苦痛でしかない」
「は、はあぁぁ!?」
思わず立ち上がって指を指した。そこには熱く抱き合うローズマリーとルークの姿。声が出ずに魚のように口をパクパクと開いていると、そんな私に気付いた二人が腰に腕を回したまま私に向き直った。
「報告が遅れました。私ルークは現在ローズマリー嬢と交際しております」
「そういうことですの。ですから殿下も私のことはお気になさらずマリアンヌ様とお幸せになってね。では私はこれで帰ります」
そう言うと二人は頬にキスを交わしローズマリーは部屋を出て行った。その姿を呆然と見送り、ルークの方を見るとルークは相変わらずの涼しい顔で仕事に取り掛かろうとしている。
「お、お、お前!マリアンヌが好きだとっ」
未だに動揺が収まらないままルークを指差す。確かにあいつはマリアンヌが好きだと言った。普段女に興味を示さないルークがマリアンヌと積極的に関わっているのを見て本気なのだと思っていた。
「何をおっしゃるのやら。私は昔からローズマリー様一筋ですよ。他の女にうつつを抜かすことなどありえません。ああ、そういえばローズマリー様の許嫁殿が他の女に靡いているようなのでライバルを演じて煽ったことがありましたかねぇ」
「なっ…じゃ、じゃあ他の奴らも…」
「もちろん。貴方が恋のライバルと勘違いしていた連中も、ローズマリー様の悪い噂が貴方の耳にだけ入るように仕向けたのも全員ローズマリー様信者です」
う、嘘だ。そんなの信じられない。だが思い返してみると俺とマリアンヌが結ばれた後、マリアンヌに想いを寄せていた連中に何度か会ったがあいつらやけに清々しい顔で祝福してきたな。そんなまさか、俺がマリアンヌと結ばれたのは全て仕組まれていたことなのか?なんだか目眩を感じた。椅子に崩れるように座り頭を抱える。
「もう人間不信になりそうだ…。お前達、今まで一度もローズマリーを好きだなんて素振り見せなかったくせに」
「次期王妃に手を出すなんて反逆罪もいいところですよ。ローズマリー様も殿下をお慕いしておりましたしね。ですから我々は殿下の為に日々王妃特訓に励むローズマリー様を陰ながら見守り応援してきたのです。しかし殿下はマリアンヌ様と出会ってしまった」
何も言えずただ俯いて聞いた。ルークが責めるような目つきで見ていることがわかる。
「ローズマリー様は早い段階から気づいていらっしゃいましたよ。殿下のお心がマリアンヌ様に向いていることを。それでも殿下を問い詰めたりマリアンヌ様に危害を加えるようなことは一切せず、何も気づかないふりをしていらっしゃいました。しかし我々はその気丈に振る舞う姿を見ていられなかった。ですから行動に移させていただいたのです。殿下、我々は何か間違ったことをしましたか?」
「……いや」
心にかなりの打撃を受けたが、結果的に俺はマリアンヌと結ばれ、ローズマリーは婚約解消になりルークと交際をしている。反論のしどころがない。いつだって、正しいのはルークで、間違っているのは俺なんだ。