第4章「感傷と逃走と新たなる戦いの幕開け
朧想街・商店街。
「そこのキミ、これおすすめだから買っていかない?」
小走りで大通りを進んでいた僕は謎の人物に声を掛けられた。
どうやら女性のようだ。
頭に生えた狸耳が特徴的。
彼女の手にはなんだか怪しげな商品が握られている。
あれか霊感商法かなんかだろうか。
というかあらゆる『術』の方式が証明あれているこの時代にこんなものは一部の人間しか買わないと思う。
もしかしたらあれか。この世界の全てを解明したつもりか、とでも言いたいのだろうか。
「いや、結構です。ちょっと今急いでいるんで」
そう言って僕は彼女のもとから離れる。
さて、僕が何故ここに居るのかと言うとある人物から逃げているからだ。
僕を薔薇の世界に誘おうとした狐――
「見ーつけた……!」
「見付かった!?」
声の主は勿論、九尾魅麗である。なんだか彼女は僕にご執心なのだった。
彼女が普通の綺麗なお姉さんならば良い。
しかし彼女はどんな訳か僕をソッチの人に差し出そうとしているのだった。
こうなれば誰だって逃げるだろう。
少なくとも僕は逃げる。
公衆の面前の中での追いかけっこは非常に目立つが今はそんな事を気にしていられない。
捕まったら最期だ。
という訳で僕は疲労困憊の身体を無理矢理動かした。
「そうそう、ここから神鳴山に向かう道は工事中だから遠回りの方が近いよー」
さっきの女性がそんな事を言った。
ならばその助言に従おう。
×
「お嬢様、紅茶をお持ちしました」
「ありがとう、エリア」
お嬢様、と呼ばれた少女――ワーミィ・リンドヴルムはメイドであるエリア・ワイヴァーからティーカップを貰う。
例によって彼女も夜行のクラスメートである。
なんだかメイドと執事を教室でも侍らせるているあたり、クセの多い仲間達からも一目置かれているが、残念ながら彼女にその自覚は無かった。
彼女の手の中にある金で縁どられた陶器のティーカップはそれだけで美術品にも変わる程の価値を持っている。
ワーミィは淹れられた紅茶に視線を落とす。
ボーンチャイナで作られたポットによって作られた紅茶の色は明るくて良し。
匂いも良し。
彼女はドラゴンである故に嗅覚は鋭く、人間の比ではない。
もっとも良い事ばかりではなく僅かな異臭も感じ取ってしまうのが悩みではあるが。
ダージリン独特の強い香りを楽しむのならやはりストレートに限る、とワーミィは思う。
もっともこの季節に収穫されたダージリンは青臭くもある。
これさえ無ければ、と彼女は思うがそれは贅沢の極みと言うものだろう。
ワーミィは紅茶に口を付けた。
短時間の抽出で出来た紅茶は渋みと苦みは弱く、丁度良い。
甘みを強く感じるが、独特の渋みによって奥の深い味となっている。
彼女は角砂糖を1つ落とし、万遍無くスプーンで混ぜ、それを味わう。
やはり何だかんだ言っても甘い紅茶が一番だ。
ワーミィはカップをテーブルの上に置き、一息を吐く。
「エリア、私達はかつての栄光を手に入れなければいけないわ」
「はい、それが先代の悲願でもありました」
エリアの言葉にワーミィは満足気に目を細める。
そうして彼女は屋敷のテラスから朧想街を見渡す。
かつてリンドヴルム家の誇った栄光は時が奪ってしまった。
あらゆる魔獣の頂点に存在していた種族は異種族との交流によっていつしか畏れを失ったのだ。
別に彼女は地位とか名誉が欲しいのではない。
ただ先代――今は亡き父親達の願いを自分の手で叶えたいと思っている。
しかしそれを叶えるという事はつまりこの平和な世界を混乱に陥れる事と同義。
ワーミィはそれを望んでいない。
彼女は少なくともこの世界を愛している。
それを自らの手で壊すなど愚の骨頂。
「ならば――栄光を取り戻すにはどうすれば良いのかしらね」
「私にはわかりません、それはお嬢様が決める事ですわ」
そんなメイドの言葉にワーミィは小さく笑う。
それは苦笑いのようでもあり、自嘲のようにも見えた。
「自分の気持ちすらわからないなんて……情けないわね」
エリアは何も答えない。
しかしいつまでもワーミィの隣に居た。
ワーミィは内心でそんなメイドに感謝しつつ、また屋敷の庭に目を向ける。
「……あれは」
「如何なされました?」
「いえ、なんだか焔魂夜行の姿が見えたような――」
「あら、本当ですわ。なんだか九尾を持った狐の女性から逃げているみたいですが」
「一体どういう事かしらね?」
「お嬢様、クロードが全速力で彼らのところに」
×
しばらく迷っていたが森の中から抜け出せる事ができた。
僕は走りながら周囲を見回す。
どうやら大きい屋敷の庭園のようだ。
草木は綺麗に整備されて、中央には大きな噴水がある。
庭園は迷路のようになっているので彼女を振り切るのにうってつけだろう。
僕は大急ぎでその迷路の中に入った――が、
「そこの少年、止まれ!」
「って新しい敵が!」
僕の前に現れたのはワーミィが侍らしている執事だった。
いつも教室の中にいるので見慣れている。
名前はクロード・ダークロイドだったか。
彼の手には芝刈り機と刈込鋏みが握られている。
どうやら庭師もやっていたらしい。
というか彼の目は明らかにこちらを敵だと認識している。
僕は助けを求める為に屋敷のテラスでこちらを見ているであろうワーミィにアイコンタクトをする。
が、彼女はこちらから目を逸した。
これって死刑宣告だろうか。
とはいえクロードは芝刈り機のスイッチを押し、刈込鋏みをチョキチョキとする。
後ろを見ればこちらに向かって走る魅麗の姿。
やるしかない。
僕は小さく息を吐き、彼に対峙する。
×
「んー、気持ち良い……」
重たい瞼を上げる。
そうして河童・河瀬瓜はぷかぷかと湖の上に浮かぶボートで伸びをした。
さっきまで昼寝をしていたのだが目が覚めた。
ボートの上に置いたノートパソコンで時間を確かめると午後3時だった。
2時間も昼寝していたようだ。
それが長いのか短いのかはさておき、
ボートの僅かな揺れと日差しが心地良い。
頭に装着した帽子型の皿はまだまだ潤っているようなのでもう一眠りしようか、と思う。
とは言っても皿は水を効率的に吸収する為のものであって実際吸収しているのは彼女の髪の毛である。
勿論ハゲていない。
夏ならば水中に漂うのが至上の楽しみなのだが、この季節だと水温はかなり低い。
いかに河童といえども個人的に寒いのは苦手なのだった。
だからいつもこうして太陽の日差しを浴びながら眠るのだ。
そういえば昔は両親と川の字になって寝ていたっけ、と思い出す。
懐かしさと、小さな痛み。
いつからこうして1人になったんだっけ、と考えるがやはり彼女はわからなかった。
別に家族仲が悪いとかそういう訳ではない、と思う。
ただどこか気まずく思う反面、あの頃みたいに居たいと思うのだ。
成長なのだろうか。
甘えだろうか。
答えは未だ出ないがきっと時間が全てを忘れさせてくれるだろう、と彼女は判断する。
(だから私はやりたい事をやろう)
という訳で彼女はボートで日課の日光浴を楽しんでいたのだが――
×
「……スケートリンクができた」
雪女で瓜の友人である凍白雪が能力を発揮して湖を凍らせていた。
彼女を中心として水面が硬化していく。
流石に湖全域を凍らせる事は難しいだろうが凍らせる事ができた面積はかなり広い。
彼女の言う通りそれはもうスケートリンクと言っても良いだろう。
もっともこの能力は最初から持っていたものではない。
彼女は死んでからこの能力を手に入れたのだ。
しかし死後もこうしてこの世界に留まっているのは彼女が幽霊でもあるからだ。
幽霊というのは生者に対して病気を患っているから診てもらえだとか、この家の下には宝があるだとか何かを告知したり、ここは自分が眠っている場所だから邪魔しないでくれという要求をしてくる。
他にはホラー作品でよくある復讐だとか、非業の死を遂げた悲しみ、後悔、残された人達に対する心配、自分の死に気付いていない、などがある。
それらに共通して言えるのは強い思念。
それが彼ら死者をここに留める重りだ。
だが、彼女にその心当たりは無かった。
気が付けばこの街に居て、あてもなく彷徨っていた。
記憶に残っているのは優しく自分に微笑む家族の顔。
生前は自分もこうして笑っていた、と白雪は思う。
雪の降り積もった冬に生まれたから白雪。
良い名前だろう、と父親が訊いて、自分は頷いたのを覚えている。
そして彼女が中学生の頃、家族総出で山に登った。
それが原因だった。
天候は良いと言われて、その日は危険が無い筈だった。
しかしどんな訳かその日地震が起きた。
それは決して大きいものではない。
地上の人は『割と大きい地震だったけど家具は倒れてないし、大した事は無かったな』と思うくらいのもの。
だが日光によっていつもより脆く、そして不安定な位置に積もっていた雪はたったそれだけで崩れてしまった。
両親はこちらに手を伸ばす。
自身も2人に手を伸ばした。
だがその手が届く事はなく彼らは雪の塊に呑み込まれた。
あの時の両親の顔はいまでも忘れる事はない。
そのまま死んでしまう筈だった自分はどんな理由なのかこうして今もここに留まっている。
ならばその理由はなんなのだろうか。
両親よりも何が気掛かりだというのだろうか。
それが彼女を縛る鎖なのだろうか。
どこか不安定な霊体では何かに触れる事さえ難しい。
だから何かを凍らせる時が彼女が自身を認識できる時だった。
凍らせる事で何かができる訳でもない。
だけどそれでも彼女は十分だった。
いつか、自分を確かにしたい。
彼女は友人に囲まれながら僅かに表情を緩ませ、そう思う。
×
「……」
瓜は何も言わずしょんぼりと肩を下げた。
ボートの下まで凍ったおかげで揺れを味わえなくなってしまった。
やった本人はいつも無表情なのにこういう時になると僅かに表情が柔らかい。
故に瓜は何も言えないのだった。
(まぁ本人は楽しそうだし、こういうのも良いか)
×
「こうやって何かをする訳でもなくのんびり過ごすのは良いね……」
鎌鼬でクラスメートの鼬風芽はボートをのっそりと漕いで瓜の元に行く。
割と高そうなヘッドホンが彼女の耳に装着されており、僅かに音が聞こえる。
どうやらテクノ系の曲を聴いているようだ。
「キミはいつものんびりとしていないかい?」
「それは違うよ瓜。ボクはただ周りに流されているだけさ」
「どう違うのさ?」
「のんびりとするだけなら何も変わらない。流されれば変わってしまう。そういうものだろう?」
そう瓜に答え、風芽は空を見上げる。
どこまでも続く、青い空。
いつから毎日が気だるくなったのだろうか。
別に自殺願望がある訳ではなく、周りに合わせて生きている。
生きるのが退屈なのではなくただ何か重い。
一歩下がって周囲と関わる傍観者としての立場を今までは貫いてきたと思う。
少なくとも自分ではそう思っている。
だけど彼女達と関わって、ほんの僅かに心境が変わった。
もう少し正確に言うならば『焔魂夜行』と出会ってからだろうか。
それは惚れているというより似たような人物に抱く憧憬に近い。
あんな状況においても、あの強大な敵に立ち向かった彼の姿に希望を見出していたのかもしれない。
らしくないな、と自分でも思う。
「……面倒くさい」
彼女は口癖を小さく呟く。
こんな自分が面倒くさい。
×
「……焔魂夜行」
「確かに。まぁボクには関係ないけど」
「なんか必死の形相で走っているね」
とは言いつつも瓜は彼からすぐに視線を外してボートの上に寝そべる。
ああ、気持ち良い。
×
僕はワーミィの屋敷の敷地から抜け出し、全力で走る。
クロードと魅麗が同時に襲い掛かって来たと同時に咄嗟に身を屈めた事で戦闘は回避した。
時間は稼げたがまだ十分ではない。
後ろを見れば魅麗の姿が小さいながらも見える。
このままでは埒があかないと考えた僕は取り敢えず森の外に出る。
大きな湖が広がっていた。
そこには見覚えのある顔が3人。
瓜と白雪と風芽だ。
変わった雰囲気の妖怪達で、パッと見ウマが合わなさそうだがもしかしたら仲が良いのかもしれない。
なんか湖が凍っているけどこれは『この湖を使って逃げろ』という意味だろうか。
そうに違いない。
僕は黒いロングコートをはためかせて凍った湖に飛び出した。
×
「あー今日で休みも終わりか」
「『蠑螺さま』はハートフルコメディじゃねぇ、全国の労働者と学生を絶望の淵に陥れるモンだありゃ」
そんな事を言い合っているのはユニコーンであるアリストとグリフォンのカサスだ。
なんの気なしにブラブラと街の中を歩いているのだがその姿は若干カップルのようにも見える。
少なくとも腐っている方々からはそう見えた。
取り敢えず近道の為に彼らは路地裏に入る。
「おい、そこの兄ちゃん2人」
「あん?」
と、突然誰かから声を掛けられた。
2人はほぼ同時に振り返る。
なんだかいかにもチンピラなゴブリンが3人居た。
アリストとカサスはそれを見ていかにも面倒臭い、といった顔をする。
「テメエら舐めてんのか、お?」
「「別に」」
「ハッ、面倒臭ェ。取り敢えず俺たちカネ無ぇーから携帯、財布、まー持ってるモン全部寄越せ」
このチンピラのボスっぽい奴がそんな事を言った。
当然ながら2人は応じない。
彼らはただ拳をポキポキと鳴らして首をコキコキと動かす。
それを見たチンピラ達は鼻で笑った。
3対2で勝てると思っているのか。
まぁ喧嘩の勝敗は数で決定する訳ではないのだが。
とはいえ元々頭の出来が良くないゴブリンなのでそんな考えには至らなかった。
彼らは各々懐からナイフやスタンガン、ハンマーを取り出す。
それでもアリストとカサスの表情は変わらない。
そこにあるのは圧倒的な自信。
もしかしたらここまでのハンデが当たり前などと思っているのかもしれない。
死体に変えてやる、とチンピラのボスは彼らに襲いかかる。
×
着地した際氷が割れてずぶ濡れになりながらも僕は走っていた。
現在居るのは英国街の路地裏なのだが、なんだかすごい険悪な雰囲気だった。
アリストとカサスが喧嘩を売られているらしいが相手のチンピラは得物を持っている。
これは2人が危ない。
幸いチンピラ達はこちらに気づいていないようなので僕は迷わず彼らに向かって突っ込んだ。
×
カサス達は何が起きたのか理解できなかった。
ただ黒い影が一瞬で前を通り過ぎて、直後に九尾の狐がチンピラを吹っ飛ばしていった。
チンピラは頭を打ったのか全員伸びている。
2人は顔を見合わせ、にやりと笑った。
×
あの後中心部に行った僕は神鳴山を目指していた。
人の間を縫うように走り、ちらりと後ろを見る。
彼女は僕の後ろにぴったりと張り付いていた。
なんか鬱陶しいを通り越して恐怖を感じる。
僕は商店街から出ると取り敢えず山の方へ向かう。
取り敢えず神社にさえ到着すれば彼女も諦める筈。
一縷の望みに賭けて僕は大通りを疾走する。
「そろそろ諦めたら? 追い付いちゃうよ」
「それは死んでも御免だ!」
長い階段が見え始めた。
上り下りは既に慣れてしまっているが今は疲労が溜まっている。
対する魅麗は割とピンピンしている様子。
このままだと追い付かれて彼女に捕まるのは明白。
もう泣きたい。
僕はそれでも力を振り絞って階段を駆け上がる。
人間、限界を感じても動けるものらしい。
僕はただ上へ上へと向かう。
そうして最期の一段を登り終え、
「おめでとう、ゴールだよ」
「へ?」
僕は目を丸くした。
僕の正面。
そこに居たのは商店街で僕に変なオカルトアイテムを勧めた人物だったからだ。
あの目立つ狸耳。
見間違える筈がない。
「な、どうしてアンタがここに!」
見ると僕のすぐ後ろに居る魅麗が狸耳の人にぎゃあぎゃあ言っている。
珍しくその顔にはいつもの余裕が感じられない。
寧ろ焦っているようにも見える。
知り合いのようだ。
どういう訳か知らないがこれは運が良かったのかもしれない。
「久しぶりね、魅麗」
謎の人物が僕の後ろに居る魅麗に話し掛ける。
対する魅麗はその人物を睨みつけた。
「相変わらず腹の立つ女ね……霧路那!」
魅麗が食ってかかるが相手は至って涼しい顔だ。
このような経験はよくあるらしい。
やはり犬猿の仲というのは正しいようだ。
「もしかして全て計算していたというの?」
「その通り。ちょうどその子を見つけたから運が良かったわ」
彼女は小さく笑いながらどういう事なのかを説明した。
狸――徒山霧路那は昔から魅麗と犬猿の仲であり、顔を見るとお互いすぐに戦闘をする程だという。
そしてお互いの実力も拮抗しており、勝敗は五分五分。
故に彼女は手っ取り早く確実に勝てる方法を考えた。
それが『僕をエサに彼女を走らせ、スタミナが切れている隙に襲いかかって彼女を倒す』というもの。
僕はまんまと利用されたという事らしい。
「いやぁ助かった。夜行には感謝するよ、こうして長年の戦いにまた勝利できるわ」
僕は呆れて何も言えない。
「卑怯な手を……!」
魅麗は僕の事をすっかり忘れて唇を噛んでいる。
かなりお怒りのようだ。
「確かにこちらに勝目は無いけど……やってやろうじゃない」
魅麗の髪がゆらゆらと揺れる。
なんだか本気モードになったようだ。
「良い威勢ね、それでこそやりがいがあるわ!」
霧路那も笑顔で力を開放する。
ビリビリと静電気のように2人からオーラっぽいものが迸る。
そうして2人は飛び上がると、紅炎と紫電の刀を生み出して交えた。
凄まじい閃光と衝撃が生まれる。
ここの修繕したばかりなんですけど。
まぁ放っておくのが一番か。
僕だって命が惜しかった。
特に僕はやる事がないので一人神社に戻った。
取り敢えずこちらに迷惑が掛からなければ良いな。