第3章「裁かれし愚者達の悲鳴は木霊する」
なんだか桜も散り始めて一抹の寂しさを感じる。
それは夏の到来が近付こうとしている証明でもあるのだが多くの人は日本における夏の気候は嫌いだろう。
そんな春もそろそろ終わりに近付いてきた頃。
御蔵和良はてくてくと朧想街の大通りを歩いていた。
この通りにある並木は、春は薄紅色・夏は深緑・秋は紅・冬は白、とはっきり姿を変える。
名所でもある通りなので他の場所よりは鑑賞に重きが置かれているのだろう。
夜にはライトアップされ、明るいうちの風景とはまた違った印象を抱く。
なんどかテレビや雑誌でも特集されていた事もある。
そういう理由もあって観光客も多い。
海外からの人も多く、ドレスやスーツが目立つ。
とはいえ彼女が今着ている私服もゴシック風の着物といったものではある。
両親はあまり気に入っていないらしいが彼女はこれを気に入っている。
小学生くらいの少女だが、その外見に反して彼女はれっきとした女子高生である。
住む家を転々として1人暮らしをしている。
そしてその正体は座敷童子。
精霊の一種だ。
座敷または蔵に住む神とも言われており、家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある。
そういう理由もあって彼らはホテルや旅館の従業員として人気だ。
しかし彼らの多くが彼女を見てわかる通り、子どもの姿をしている。
精神的な年齢は人間と同じく、年を経るにつれて高くなるが外見はそうもいかない。
か一部のアンチロリコンな政治家は『彼らの人権を保護する』という建前で何か汚い事をしていた。
が、最近になってそれが発覚し、スキャンダルとなってその政治家は責任を問われてやむなく辞職、直後に逮捕されて社会的に制裁されたという。
しかし悪は潰えない。
政治家の汚職。
税金の無駄遣い。
メディアの規制。
ステマ。
差別。
いじめ。
激務。
学歴・新卒至上主義。
少年法。
詐欺団体。
戦争。
新興宗教団体。
パチンコ。
芸能界の裏。
政府や警察の暗部。
暴力団。
独裁国家。
ゲームソフトの完全版。
アペンド。
ディレクターズカット。
それは世界の歪みであり、諸悪の根源。
根絶やしにしなければいけないのである。
彼女はそんな内容だった朝のニュースを回想していた。
「……ファイナルミックスとフェスとエメラルドは許せないよね! ……でなんだっけ?」
そしてすぐに忘れた。
物覚えは良くないのである。
アホの子と言っても良い。
彼女はその時々に応じて姿を変えるここが好きだった。
と、和良が何も無いところで唐突に転んだ。
「痛ぁい……転んじゃったぁ」
涙目になりながらおでこをさする。
彼女はどこか抜けているのだった。
ドジっ娘と言っても良い。
すぐに彼女は立ち上がり、変な鼻歌を適当に歌いつつブラブラと道を歩く。
その町並みはどちらかというと和風な印象を与える。
中心部とは違って木造の一階建てが多い。
周囲には和菓子のお店が立ち並んでいる。
ケーキやクッキーといった洋菓子は勿論のこと、こういった和菓子も彼女はよく食べる。
かつて和菓子屋を営んでいたおばあちゃんとおじいちゃんが作る和菓子は何よりも美味しく、それを食べている時間は至福の時だった。
二人は彼女が中学に上がる頃に他界してしまったが今でもその時の記憶は鮮明に覚えている。
それはきっといつまでも忘れないだろう。
そしてこの辺りには彼女のお気に入りの店があるのだ。
2人の営んでいた店はもう店仕舞して今は存在しない。
しかし彼女のお気に入りの店は2人の店で修行していた青年が独立して開店した店である。
老舗ではないが、確かな味と評価を得ており売上は上々。
彼女も餡蜜の味は思い出の中にあるものと全く一緒であり、それでいてどこかおばあちゃん達のものと違った風味だと思う。
故に彼女はその店に足繁く通うのだ。
そして彼女は目的の店に到着する。
店の名前は甘蜜本舗。
人気の店であり、今日もたくさんのお客さんが来ている。
彼女は戸を開けて中に入った。
それと同時に甘い、魅力的な匂いが彼女の花を刺激する。
懐かしい匂い、だとも彼女は思う。
学校から帰ると2人が台所でお菓子を作ってくれた。
そして彼女はその時間も好きだったのだ。
2人が和菓子を作る姿も完成を待つ時間も。
和良はカウンターに向かい、長い付き合いの店長に注文する。
ここの店長は接客もこなす。
それはこの店に勤めている従業員を信頼しているが故だろう。
中年の店長は彼女の顔を見ると柔和な笑みを浮かべた。
それはまるで自分の娘に向ける表情にも見える。
「おっ、和良ちゃんいらっしゃい。いつものかい?」
「はいっお願いします」
店長はガラスケースに並ぶ和菓子を優しい手つきで取り出し、箱詰めしていく。
それはまるで創り上げた自らの作品を手に取る芸術家のようでもある。
そうして彼女は最近入手した割引券と代金を払うと商品を店長の手から貰う。
和良はぺこりと頭を下げて店を出た。
「和良ーこっちこっち」
なんだか幼女の声が聞こえた。
名前を呼ばれた彼女は声の主に顔を向ける。
「あ、エルちゃん! 待っててくれたんだぁ」
クラスメートで妖精のエル・ピクシーだった。
エルは和良に駆け寄ると彼女の身体に抱き付く。
一見すると外見の近さもあって2人が姉妹のようにも見えるだろう。
べたべたと付き合っているのも通行人達に一層そう思わせる。
エルはこの街にやってきた和良の最初の友人であり、一番の親友である。
昔から自然の中で暮らしていた彼女は朧想街の土地勘が豊富だ。
早くから親元を離れて森で生活している彼女は、最近では和良と2人で暮らしている。
最早家族と呼んでも良い程の間柄だった。
エルは和良の耳に口を近付けて囁いた。
「で、『例のアレ』は?」
「大丈夫だよ、ほらここに」
和良はエルに向けて購入した和菓子を見せる。
エルは小さくこくりと頷いた。
「じゃあ……行こっか」
「うん、『あそこ』に」
2人は頷き合うと『目的地』に向かって歩き出した。
×
天光神社の鳥居にて。
「という訳で今日は泊めて欲しいなぁ」
「私達のお願い聞いてくれるよね」
「いい加減諦めてよ……」
「そんな事言わないでー」
クラスメートで座敷童子の御蔵和良が僕の身体にしがみ付く。
続いてエルも僕の首に腕を回して背中に乗る。
ひゃあああああああ!
鬱陶しい、という気持ちは一切無く、寧ろ興奮していた。
自分で自分を軽蔑する。
こんな醜態を誰かに知られる訳にはいかないので危うくトリップしかけていた僕は彼女の撤去を始める。
取り敢えず2人の襟首を掴んだ。
……全然離れないぞ。ダッコちゃんか。
「今夜は好きにしても良いからさ。ね?」
と、エル。
「それなら……って認める奴が居るか」
僕は彼女達の首根っこを掴んで無理矢理引き離す。
随分と軽い。
「幸福が訪れるよ? なのにそれを見逃すの? 勿体ないよ?」
和良が僕を見上げてそんな事を言った。
「だって君の外見小学生じゃないか」
五等身、発展途上ですらない身体。
2人とも、これで女子高生なんだよな……
僕が指摘すると和良は首を小さく傾げて、
「世の中には小さい子に恋をする大人も居るよ?」
「そういうのは特殊な人だ」
まぁ、かくいう僕もその一人な訳だが、決してそれを顔には出さない。
幼女は愛でるものだ。
子猫や子犬と同じ。
まさに天使。
そんな存在に不埒な感情を抱く輩は即刻地獄逝きである。
僕は溜息を吐く。
どうしてこんな事になったのか。
曰く『カラオケ、ゲーセンで遊び過ぎて帰りの電車賃が無くなり、帰宅できなくなったので泊めて欲しい×2』とか。
なんともアホらしい理由だ。
勿論2人の家は朧想街の中にある。
ならば徒歩で帰るのも面倒ではあるが可能な筈だ。
僕はそれを指摘した。
『足が痛くて歩けないよぅ×2』
もうこの辺りで無視して神社に戻ろうと思ったが僕は紳士的に努めてここまで粘った。
しかしもう限界だ。
これは何かお返しでもしてもらえない限り認める訳にはいかない。
無論、エロいのは無しで。下手したら国籍不明の日本喩偽腐大使を務めるBBAがやってきて血祭りに上げられる。
もっとも僕も居候の身だが、残念ながら主である祀は仕事の依頼で現在ここには居ない。
確か明日の夕方まで帰ってこれない筈だ。
阿形と吽形もゲームセンターに遊びに行っている。もしかしたらこの2人に会ったかもしれない。
つまり現在、ここの管理を僕は任されているのだ。
居候に任せるのはどうかと思うがまぁそれだけ信頼されているのだろう、と考えると嬉しくはある。
さて、このちっこいのをどうするべきか、と僕は考える。
流石に見捨てるのは僕の良心が咎める。
かといって迎い入れるのもなぁ。
「夜行くん、これをあげるからぁ」
そう言って和良が僕に何かを差し出した。
僕はそれを受け取る。
「こ、これは!」
「そう、なけなしのお金をはたいて買った甘蜜本舗の餡蜜! あげるけどその替わりとして泊めてほしい!」
ドヤ顔でエルがそう言い放った。
僕は僅かに顔を引きつらせた。
なんせこの餡蜜は超有名和菓子屋で売られている商品である。
人気の理由として値段の安さ、上品な味、丁寧な接客などが挙げられており、故に一番人気のこの商品は販売してからすぐに売り切れてしまうという。
僕も何度か食べてみたいとは思ったがいつも僅かに遅れて購入が出来なかった。
今では珍しいがネットや店での商品の予約は承っていないのだ。
しかし思わぬところでこんなチャンスが転がり込んできた。
まぁ冷静に考えるとこんなのを買うお金があるのならバスに乗って帰れば良いのに、とか思うがまぁきっとアホの子なのだろう。
僕は考える。
ここで彼女たちを見捨てれば餡蜜はきっと二度と手に入れる事はできないだろう。
いや、それだけじゃない。下手すると僕は小さい子のお願いを聞かずに出て行かせた最低最悪の男というレッテルを貼られかねない。
対して彼女達を泊めれば僕はこの餡蜜を食べる事ができ、更に2人からの好感度も上昇。
リスクといえば阿形と吽形にバレ、最悪祀にまで知られて幼女を家に招き入れた最低のロリコン野郎として後ろ指を差される、といったところか。
ここまできて悩む僕だが、その時懐にしまっている携帯が鳴った。
液晶を見ると守社阿形と表示されていた。
「もしもし」
「夜行ー、帰るのダルいし今日は吽形と一緒に近くの安い旅館で泊まるからよろしくにゃー」
「わかったよ」
僕は携帯をしまう。
そして静かにガッツポーズをした。
これで妨げはなくなった。
つまりリターンはあるがリスクはない。
絶対とは言えないがほぼ確実ではある。
「では、ようこそ。遠慮せず入ってよ」
×
あれから意識が曖昧だった。
2人とご飯を食べたり風呂……は別だったか。
ただなんとなく幽かに記憶がある。
最期に見たのは仕事が予定よりも早く終わって帰って来た、前髪に隠れて表情のわからない祀と、やっぱり宿泊を止めて帰って来た、サンタクロースの正体を知ってしまった純粋な子供みたいな顔をした吽形と阿形。
僕の布団の隣に居た和良とエルは仲良く僕の部屋の窓から逃走して……残された僕は……ええと、駄目だ思い出せない。
ただなんとなくこれが悪夢であれば良かったと思う。
犯してしまった過ちは二度とどうする事もできないから。
だからこれが夢であれば良いと思うのだ。
僕はずきずきと痛む頭をもたげて部屋を見回す。
2人が居た形跡は――無い。
ならばこれは夢だったのだろう。
そうに違いない、と僕は自分に言い聞かせる。
そうして僕は喉の渇きを覚えた。
長い時間寝ていたからだろうか。
寝汗もひどかった。
部屋を出て、台所に向かい、冷蔵庫を開ける。
そこには冷えた麦茶がある筈だ。
しかし僕の目はあるものに止まって動かなかった。
「あ、ああ……」
自分の意識が遠のいて行くのを感じる。
それはあの2人が持ってきた餡蜜だった。
×
「という訳で2人をお願いします」
「全然構わないよ。寧ろ小さい子の面倒を見るのは好きだしね」
ぺこぺこと頭を下げる祀の前に居るのは旧鼠というネズミの妖怪で、クラスメートの吉野舞子だった。
中学生くらいの外見で頭に丸いネズミ耳が生えている。
かなりの猫好きで捨て猫を何匹も育てており、家は猫好きにとっては楽園だとか。
そして保育園のバイトもしており、小さな子の扱いは慣れているのだろう。
もっとも和良とエルは彼女と同年代だがそんなのは今は関係無い。
「さて、2人とも反省しないとね……」
「「ひぃいいいいい!」」
彼女は顔を引きつらせる和良とエルの身体をがっちりとホールドしていた。
どんなお仕置きをするのだろうかと思いつつ祀は嘆息した。
「それじゃ、学校でね」
「はい、ありがとうございます」
舞子は項垂れる和良とエルを引き摺りながら神社を後にした。
祀は彼女に手を振りながら考える。
さて、あのロリコンにどんな罰を与えようか。