第1章「とある鬼の愚痴」
そんなこんなで妖魔夢想の続編、静謐夢想です。今回はたくさんのサブキャラにスポットを当てた朧想街の日常をお送りしようと思います。
「……すごい賑わってるんだなぁ」
一紗が逮捕されてから1週間経過した朧想街。
春真っ盛りになり、どこもかしこも桜の薄紅色で染まっている。
現在は午後の2時。
僕が居るのは天光神社の境内だ。
街の人々の協力によって破壊された石畳や鎮守の森は修復され、以前よりも綺麗になっている。
そこに居るのは沢山の人。
老若男女、人妖問わず人だらけだ。
某夢の国を彷彿とさせる。
勿論、普段からこの神社にこれ程の人が集まる事は滅多にない。
つまり今日は『特別』な日なのだった。
「夜行ーこっちの手伝い頼むにゃ」
「了解、今行くよ」
僕は阿形の声に応じる。
今日は春祭りを開催しているのだ。
……とは言ってもただの花見なのだが。
一応石畳の上にブルーシートを敷いているし、出店の出店もしている。
中央の舞台では若手芸人が漫才をしており、会場に笑いの渦を生んでいた。
一応深夜にはアマテラスの岩戸隠れを攻略した事で有名なアメノウズメのストリップショーを行う予定である。
無論、R18指定だ。
ちょっと見てみたいとは思うが僕はきっと無理だろう。
そうして僕は人の間を縫うようにして阿形のもとに向かう。
そこにあるのは安っぽい折りたたみテーブルと、その上に乗った氷水入りのタライ。
中にはジュース? の缶で一杯になっている。
どうやらあれを販売しているようだ。
「どうしたの?」
僕は忙しそうに動く猫耳……もとい狛犬である阿形に話し掛ける。
彼女の両手、というか腕や頭には沢山の缶飲料が乗っている。
どんなバランス感覚しているんだ。
にもかかわらず、彼女は素早く動き、それを客に手渡している。
乗っている缶には少しもブレが無い。
唖然とする僕に阿形が顔を向ける。
「ちょっとアルコール売るの手伝って欲しいのにゃ」
「アルコールって……未成年なのに売って良いの?」
我に返った僕はそう言い返した。
そういう法律があるのか知らないけど。
僕はテーブルの上に乗っている缶の一つを手に取った。
大手メーカーで販売されているビールだった。
対する阿形は僕に対し、『やれやれ、これだから坊やは』みたいな顔をしてやれやれと肩を竦める。
「私の年齢は人間で換算すると1万歳は超えるにゃ」
そう言って胸を張った。
超ドヤ顔で。
「嘘吐け。アルバムに阿形のペドい頃の写真があったよ」
「にゃに!?」
すると阿形は顔を真っ赤にして猫耳をピン、と立てる。
「可愛い寝顔だったなぁ……本当、子猫みたいな感じで」
「いや、それは……私の子供だよ?」
「語尾はどうしたんだ」
「……ふにゃ」
すると羞恥心が限界を超えたらしい阿形が仰向けに倒れた。
下には休憩用のふかふかクッションがあったので問題ないが彼女が持っていたアルコールの缶が落下する。
流石に気絶するとは思わなかった僕は慌ててそれをキャッチしようとするが、流石に全ては取れない。
こりゃ大量に廃品が出たな、と思いかけた時、僕の前を黒い風がきった。
それは地面に落下していた缶を一つ残らず回収する。
僕は慌てて風に目を向けた。
「危ない危ない……危機一髪だったわん」
両手に缶ジュースを何本も積んでいたのは犬耳で狛犬の吽形だった。
そして彼女はそれをゆっくりとテーブルの上に置く。
「ナイスキャッチ……助かったよ」
「礼には及ばないわん。商品が傷付くと困るのはこっちわん」
前言撤回、彼女達にこんなものを売らせる訳にはいかない。
僕は嘆息すると吽形の手に乗っている缶ビールを没収する。
「あっ……ああー!……ひどいわん……」
吽形が涙目の上目遣いでこちらを非難する。
やれやれ、あの写真には阿形と一緒に幼い吽形も写っていたというのに。
天使のような寝顔をしていたというのに。
どうしてこんなになったんだ……
僕は黙ってその写真を懐から取り出す。
そして彼女の目前にそれを突き付けた。
「! そ、それは!?」
「かつての君達だ……純粋で無垢だった、穢れを知らない頃の君達の写真だ……! なのに、君たちは……どうしてこんな真似を」
僕は心から悲しい。
アルコールを未成年で売って、金儲けに走る君達を見て悲しい。
すると吽形は両膝を着いて項垂れた。
「反省したわん……あの頃に戻りたいわん……」
彼女はきっと立ち直り、更生できるだろう。
勿論そこで気絶している阿形も。
そうして僕はテーブルの上に乗っている缶ビールの山に目を向ける。
これどうしよう……。
やっぱり売ってしまおうか。
いや、さっきまで説教してたクセにそれをするのは僕の信用に関わる。
もっとも、僕がこの街にやってきた当初は神社の境内に無断で侵入した上、テント張った訳だが。
かといってこれを無償で誰かに渡すのもなぁ……
うんうん悩む僕。
「あービール売ってくれないかね」
と、突然声がした。
僕は振り返る。
そこに居たのは背が高い少女だった。
長い黒髪に着崩した赤い着物。
一見、可憐な娘だと感じるが、彼女の頭に生えた二本の角がその感想を覆す。
雄々しいとは決して呼べない、小さなものだがそれでもかなり目立つ。
もしかしたら鬼なのだろうか。
「すみません、ビールは売ってないんですよ」
僕は頭を下げてそれを断った。
仕入れた阿形達には悪いが僕にはこうする義務がある……
「……へぇ、ラベルにちゃんと麦芽ってあるんだがね。しかも極度乾燥のロゴまで。これはオレの見間違いかね」
「いや、ノンアルどころかそれはソフトドリンクですよ。アップルサイダーに綿あめを突っ込んだ商品です。お客様の目は節穴ではないでしょうか?」
僕は顔色一つ変えずにニコニコ営業スマイルを浮かべる。
ここで下がったらきっと僕は死ぬ。
「オレの目は両目共に2・0はあるのだがね……まぁ仕方ないね。買うのは諦めよう」
「さようでございますか」
僕は内心胸を撫で下ろした。
これであとはこっそりと僕が売るだけ……勿論阿形達にお金は還元するつもりだ。本当に。
「ただしお前さんにはけじめを付けて貰わないとねぇ」
「さようでござ……ぇえ!?」
僕は目を見開いた。
けじめだって?
「それって僕の筆おろし……?」
「嘘を吐いた事の反省をして貰うのさ」
やはりバレていたようだ。
なにそれ、ボコボコにされるの?
そして東京湾にコンクリ詰めされた上で沈められるの?
もしかしたら山に埋められるという可能性も……
僕はガタガタと身体を震わせる。
対する鬼は顔色一つ変えずに涼しい顔。
まさに外道。
「という訳でちょこっと付いてきて欲しいのさ。勿論逃げたら……」
「逃げませんよ……ええ」
僕は彼女の顔から眼を背ける。
ニコニコ笑顔が寧ろ怖かった。
逃げたら海の藻屑になってしまう。
まあどっちにしろ変わらないんだろうけど。
「で、お前さん。名前は?」
「焔魂夜行……」
「よし、夜行、ついて来な」
「うっす……」
僕は半ばヤケで彼女に付いて行く事にした。
隙を見て逃げ出せれば良いのだが果たして成功するだろうか。
僕は明後日の方を向いて嘆息した。
×
「で、ここは何ですか?」
「見てわからないのかい?」
「正直に言うのなら……朽ち果てた廃屋だったものでしょうかね」
「オレの屋敷さね」
僕が連れてこられたのは海ではなく山だった。
というか神鳴山のすぐ隣だった。
名前は覚えていない。
僕は彼女が指差す場所に目を向けた。
まさか、これが屋敷だって。
どこからどう見ても瓦礫と木片の山なんですが。
しかも周辺の地面は抉れて大きなクレーターができている。
まるで隕石が落下した後みたいだ。
しかしそんな事はいままであっただろうか。
「何だかほんの1週間近く前に黒い稲妻じみたものが飛んできてねぇ、本当あれは200年以来の驚きだったね」
あ、それ僕だ。
あの時は半ば暴走状態で正気ではなかったので仕方ないとはいえ、これは気まずい。
僕は彼女から目を逸らす。
「で、お前さんにしてもらいたい事があるのさ」
「……と、言われますと?」
「ここの修繕」
僕は何も言えなかった。
というか言う事を許されていなかった、というのが正しい。
彼女は嗜虐的な笑みをこちらに向けている。
一言でもなんか言ったら……ごくり。
その目は『すべてを知っているぞ』と言っているかのよう。
おそらくバレているのだろう。
僕は強制的に近くの妖怪とかを呼び出せるし。
「修繕って……流石に無理な気がしますけど。これ、作り直した方が早い気が」
「まぁそれでも構わんさ。材料は至る所にあるのだからね」
「材料って……この根元から折れてところどころ削れた木が?」
「使えるもんは使うのさ、それが礼儀でもあるね」
何故だかその言葉は僕の心に突き刺さる。
僕は何も言わず、ただ大木の断片に触れた。
ざらざらだ。
僕は両腕に力を込めてそれを持ち上げる。
「……あの、これかなり重いんですが」
「もう面倒だからタメ口で構わん。あと私の名前は大江山朱子だ」
「…………これ重いんだけど」
「若いんだから頑張りなー。オレは高みの見物といこうじゃないか」
「絶対アンタの方が仕事早いでしょ……」
「そりゃそうさね。昔から鬼は人間の宿敵。しかし人間に倒される存在でもなければいけない。だから鬼は昔っから人間の為にある術はあまり使わず、腕力で戦うのさ」
「だからこそ手伝ってよ」
「尻拭いはアンタの手でやりな。じゃなきゃ意味がない」
言っても無駄なようだ。
朱子は軽々と瓦礫の山の頂に飛び乗った。
長い黒髪が風になびき、大分サマになっている。
「一応この空間を切り離しているから時間については気にするな。ついでに身体強化の術もお前さんに掛けといてやるさ」
「さっき術は使わない、って言ってなかったっけ?」
「あまり、って言っといた筈だがね。それとも何かね、術の力はいらないかね?」
「是非お願いします」
僕は観念して修繕に取り掛かった。
朱音から渡されたノコギリやカナヅチを使って取り敢えず土台の部分を作っていく。
そして柱の部分。
屋根の部分。
壁を作って、
「完成……かな」
僕は屋敷を見上げた。
朱音から渡された設計図を基に作ったが、やはり素人。色々とおかしい場所が見受けられる。
まぁ辛うじて屋敷と呼べるものにはなっているだろう。
僕の体感時間では1カ月経った気がする。
しかしその間に僕と朱音の間には何もやましい事はない。
近くにある天然温泉に僕が入っている時に、それを知りながら全裸の朱音が突入してきたりしたが。
因みに空腹は特に無かった。きっと朱音が得意の術を使って何らかの処置を施してくれたのだろう。
しかし家を作るのに大人数でも数カ月は掛かる事を鑑みるとかなり速いペースだろう。
殆ど無くなった瓦礫の山に座っている朱音がほぅ、と感心したような溜息を吐く。
「途中で重要な過程を飛ばしたり、順番がおかしかったりしたが、まぁ及第点、ってとこかね」
「さて、帰らしてもらおうか」
「いや、まだあるね」
「……はい?」
僕は固まった。
これだけ縛り付けられてまだやる事があるのか。
微妙に髪も伸びているのにこれ以上こんな事を続けられてたら流石に他の皆も異変に気付く筈。
対して朱音は小さく微笑む。
今までの不敵なものとは違う表情だ。
「お前さんと酒が飲みたいのさ」
すると彼女はパチン、と指を鳴らした。
何かが変わった気がする。
きっと空間に掛けた術を解除したのだろう。
「んじゃ、神社に戻るかね」
そう言うと朱音はさっさと歩いて行ってしまう。
僕は暫く呆然として、すぐに彼女の背中を追った。
×
なんだか凄い久し振りな気がする。
僕は境内にやってきて一番にそう思った。
電源を切っていた携帯電話を取り出し、時間を確かめると午後2時半。
やはり売り場には失神したままの阿形と打ちひしがれたままの吽形が居る。
勿論、そんな店に客は来ない。
朱音は2人の姿に眉をひそめながらタライの中にあるビールを取った。
そしてテーブルの上のお金が入った缶ケースの中に3万円近いお金を入れる。
まさか全部買う気だろうか。
彼女は缶のプルタブを開けると一気にそれを口に付ける。
「ぷはーっ、やっぱり酒は良いね。オレ個人としての感想じゃ高級なモンより安酒の雑な味の方が好きさね」
「未成年に酒について語られても困るよ」
小さい頃に酔っぱらった父親に騙されて、ジュースだと思って飲んだらチューハイだった、なんて体験をした事がある。
あんな不味いモノ、飲めたものじゃなかった。
「釣れないねぇ、未成年がチャレンジしなくてどうするのさ」
「お酒は二十歳になってから。僕はそれを守っているだけだよ」
僕は彼女の主張にげんなりとする。
「さて、ちょっと老いぼれの愚痴に付き合って貰えないかね」
「どこが老いぼれだよ、外見年齢女子高生」
僕はそれだけ言って彼女の隣に座る。
朱音は2本目のビールに手をつけた。
黙ってそれを飲み、小さく息を吐く。
「さて、何から話そうかね」
僕は黙ったままだ。
聞こえるのは観客達の笑い声。
やがて朱音は口を開いた。
「お前さんもわかっていると思うが、俺は見ての通り鬼さね」
僕は黙ったまま頷く。
「前に言った通り、鬼は人間の天敵。かつて妖怪と敵対していた時でも一番嫌われていた種族さ」
朱音は再びビールに口を付ける。
「で、鬼は人間を襲い、人間は鬼を退治する。そんな構図が出来上がった。昔は大人数の人間が強大な力を持つ鬼と戦っていたから勢力は拮抗していたのさ。そこまでは良かった」
「……」
「で、そんな戦いが何百年も続いた。しかし人間達は1人1人の力が強くなっていったのさ。しかし昔と同じく1人の鬼に対して集団で戦うという戦法を取っていたから、やがて鬼達の勢力は弱くなっていった。そうして起きたのが……」
朱音は何かを堪えるように身体を小さく震わせる。
そして口を開いた。
「鬼の駆逐さ」
僕はそれでも何も言えなかった。
「当時、オレは付き合ってた仲間が居た。私が赤い着物、そいつは青い着物を着ていたから周りの連中には赤鬼と青鬼のカップル、なんてからかわれていたね」
「赤鬼と……青鬼」
「で、オレ達の集落もやがて人間達の手が伸びてきた。そりゃ突然の事だったし、ひどいモンだったね。人間達は男共を優先的に狙い、残った女子供も関係なく嬲り殺された」
掛ける言葉は無い。
見付からない。
それでも僕は彼女の顔から目を逸らさない。
彼女の顔に表情は無かった。
「無力だったオレのもとに人間の手が伸びた。恐怖に震えていたオレはなにもできなかったよ。だけどその手がオレに触れる前にアイツが守ってくれたのさ」
その声はどこか懐かしむ声でもあり、自分の非力を嘆くもののようにも聞こえた。
「オレを庇ったソイツの身体に何本も刀が貫いた。普通なら鬼といえども生きていられないモンだった。だけどアイツは周囲の人間を薙ぎ払って叫んだよ。逃げろってさ。オレは頭を振って抵抗した。お前が死ぬならオレも一緒に死ぬ、ってね。全くどうしてオレはそんな馬鹿らしい事を言ったのかね。人間はゆらりと起き上がるとソイツの首を撥ね飛ばした。アイツの言葉に従っていればこんな光景を見る事は無かったのにねえ」
彼女の表情には何も無い。
そうでもしないと必死に押し殺した荒れ狂う感情が顔を覗かせるだろうから。
「それからはどうも記憶が曖昧だった。そうして我に返ると世界は地獄になっていたのさ。一面に死体が広がっていた。どこもかしこも真っ赤な血で染まり、五体満足の死体は1つも残っていなかったと思うね」
ただそんな中でオレだけが生き残っていた。
そう言った彼女は涙を一筋流した。
「……愛していたのか、彼を」
「ああ。心の底からね」
僕は彼女の嗚咽を聴く。
それは誰に対するものだろうか。
何もできなかった自身に対する嘆きか。
自身の手で殺めた人々に対する弔いか。
自身を庇った事で死んだ彼に対する感謝と哀情か。
それは鬼としてではなく、たったひとりの弱い少女の泣き声だった。
だけど僕は彼女を慰める事はできない。
その身体を抱き締める事もできない。
だからただ彼女の頭を優しく撫でた。
そのままいつまでも、僕は彼女の隣に居た。
そうしていつまで経っただろうか。
「そろそろ帰るさね」
あっさりと朱音がそう言った。
「あれ、さっきまで泣いてなかったっけ」
僕は唖然としたまま朱音の顔を見る。
吹っきれた、どこかすっきりしたような顔だった。
「吐きだしたらすっきりしたのさ。なんならもっとお前さんに付き合って貰おうかね」
「いや、それは良いっす」
「つまらない男だね……まぁ良いさ」
そうして朱音は立ち上がり、僕に微笑みかける。
「じゃ、達者でな夜行。たまに遊びに行くけど」
そう言って彼女はさっさと行ってしまった。
僕も立ちあがって周囲を見回す。
「こ、これは……!」
「私達の初期投資の何倍もあるにゃん!」
全快したらしい阿形と吽形が缶ケースのお金を見て目を輝かせていた。
そりゃ、朱音が3万円払ったしな。
というかこれで商売に味をしめたらどうしよう、かと思うがまぁ無邪気に喜んでいるし、水を差すのもあれだろう。
対して僕の隣にはビールの空き缶の山が出来ていた。
片づけてくれよ……
僕は嘆息するとそれを抱え上げる。
しかしバランスを崩してそれは再び地面にばら撒かれた。
……やっぱり僕には無理らしい。