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オレと、ご主人様。

作者: 神城水都

 十一月某火曜日午前六時。

 外出するのにはまだ早いこの時間、オレと連れの南は、近所の公園の並木道を歩いていた。

 昨日が晴天だったせいで、今日の冷え込みは一段と厳しい。そのため南は時折、

「うー、寒い」

などと呟く。

 スマン、南。オレに付き合わせて。

 口には出さなかったけど、オレはそう思っていた。そして、そ知らぬ顔で歩いていく。

 両側に生えているのはイチョウやケヤキの木。もうすっかり葉が落ちて、裸の枝を、雲一つない青空に広げている。そろそろ霜が降るかな。冬はすぐ傍まで迫っていた。


「いいなぁ、ユウキは。暖かそう。私は寒いー」

 南が言った。お前、さっきから寒い、しか言ってないぞ。因みにユウキってのはオレの名前。

「まあな。確かに寒くはない」

 そう答えるものの、ふと思う。お前だってしっかり着込んでいるから、オレとそう変わらないじゃないか。

「私は夏生まれだから、寒いのは苦手なのに。

暑いのは平気だけど」

 何、その理屈。当たり前だけど、抗議する。

「南サン、オレだって夏生まれですケド……。暑いのは苦手ですが、何か?」

「確かに、ユウキ、夏は暑苦しそう〜」

 何が楽しいのか、嬉しそうに言う南。はしゃぐなよ。

オレは今、南の『夏生まれは何とかかんとか』という理屈を覆したはずだぞ。なのに抗議しないなんて。この女、気付いていないな。

 そんな南は、笑いながら爆弾発言を落とす。

「あ、そういえば今日、健太郎をウチに呼ぼうと思うんだけど」

 その言葉に、不覚ながらも、オレは一瞬止まってしまった。

 何ですと!?今、何とおっしゃいましたか?健太郎を呼ぶだって?

「だからユウキ、部屋汚さないでね」

 南はのん気に続ける。冗談じゃないぞ。

オレは、切実にうったえた。

「南、お前何言ってんの。オレという男がいながら、別の男を部屋に呼ぶだなんて」

 すると南は、笑いながら、

「何いってんの、ユウキ」

と言って、オレの頭を軽く叩く。そして、

「あんた、犬じゃん。」

と言った。


「ムッ。まぁ、確かにオレは、生物上じゃあ犬に分類されるだろうさ。けど……」

「けど?」

「オレと南の愛の巣に他の男を呼ぶのは、やっぱりオレに対して……」

ボカッ。

失礼だろ、と全部言い終わらない内に、南がオレの頭を殴った。

「痛ってー!何すんだよ。お前なんか動物虐待の容疑で、動物愛護団体に訴えられるべきだ」

半分は冗談だったのに、殴るとは。

本気で痛い。犬だから、患部を押さえられないのが辛い。前足が届かないからだ。

「ユウキが、懲りずに変な事言うからでしょ。犬のクセに」

動物を虐待した事に、何の罪悪感も感じていない様子で、南が言った。


犬。そう、オレは犬だ。英語で言えばdog。生まれて一年と二カ月、拾われてからは十一カ月。何故か喋れるボーダーコリー。(何故喋れるかは、ノーコメント)

それがオレを説明する言葉。

対して健太郎は、南と同じ大学の同級生。そして高校から南と付き合っている彼氏。勿論、人間。

オレは、コイツが嫌いなんだ。

確かに、オレは新参者。南と過ごした年月だってあっちの方が多い。

でも、嫌いなものは嫌いなんだ。

南はオレの唯一のご主人様。あの日、餓えと寒さに震えていたオレを拾ってくれた、命の恩人。

憎まれ口も言うけれど、いつも感謝している。


「ホラッ。帰るよ、ユウキ」

思考の淵に沈んでいたオレを、南が呼ぶ。

「そうだな、帰るか」

南が、オレのリードを引っ張る。辺りは大分明るくなってきた。

南は、相変わらず

「寒いなぁ」

と呟いている。でも、今日も晴れそうだ。

オレと南は、帰っていった。


お世辞にも広い、とは言えない築三十五年のボロアパートの一室。現在オレと南が暮らしている部屋だ。

その内部のやはり狭いキッチンには、小さなテーブルが一つと、向かい合う様に置かれた椅子が二つある。その一つに南が座り、もう一つにオレが座るのが、この家での食事スタイル。

今、オレの目の前にはドッグフードが置かれていた。向かい合った南は、既にトーストを食べている。

そう、オレはいわゆる『おあずけ』を食らっている状態だ。何でも、散歩中に、変な事を言った罰らしい。

でも、きちんと躾られたできる犬のオレには、こんな事苦でも何ともないさ!

「……ユウキ、口からよだれ垂れてる。汚いなぁ……」

「ムッ、それは気のせいだ。速やかに忘れろ」

まぁ、いくらできるオレでも、腹が減っては戦が出来ない。

ここは一つ、『上目使い作戦』決行だな。

「ユウキ、そんなに食べたいの?」

ノーコメント。その間もオレは、ウルウルした大きな瞳で、南を見つめ続ける。

南はハア、と溜め息を吐いて、

「じゃあ、『よし』」

と言った。

ミッションコンプリート。オレは、さっきまでの悲劇的な犬の表情をかなぐり捨て、驚異的なスピードで食べ終えた。


「じゃあ、行って来まーす。水は、いつもの所だから。ユウキ、散らかさないでね」

そんな事しねーよ。

「行ってらっしゃい」

ガチャンとドアを閉めて、南は出て行く。向かう先は大学。

南が出て行きヒマになったオレは、テレビを付けた。お目当ては、教育テレビの英語講座。

オレは、英語が話せる犬になりたい。日本語だって話せるんだ。英語だってその内話せるだろう。

オレは、画面を見つめた。その中では、ライオンや鳥などのぬいぐるみが駆け回っている。

オレの瞼は、次第に重くなってきた。


南と胸くそ悪い匂いに、オレはガバッと起きた。

どうやら寝ていたようだ。ライオンの英語講座を見ていたはずなのに、いつの間にか画面では囲碁を打っている。そんな物、誰が見るんだよ。テレビを消して、オレは玄関まで駆け寄って行った。

「ただいま」

「お邪魔しまーす」

南と、あの男の声。南は、出迎えたオレに気付くと、しゃがみ込んで、

「ユウキ、いい子にしてた?」

と、頭を撫でる。オレは、

「クゥ〜ン」と言って、その手を舐めた。アイツの前で喋るわけにもいかないからな。

そして南が一歩引くと、あろうことかあの男が抱きしめてきた。

ぬぉー、止めんか!男、特にお前なんかに抱きしめられたって、これっぽっちも嬉しくないわっ。

よっぽどこの男の肩でも噛み付いてやろうか、とも思ったが、南の顔を見た途端その気も失せた。

そうだな、オレはできる犬なんだ。ご主人様に恥を塗るわけにもいかない。

だから決して、南の顔がテレビで見た般若にそっくりで怖かったから、じゃないぞ!

オレは、動かないしっぽを叱咤して、パタリ、パタリと動かした。可哀想なオレのしっぽ。

そんなオレを一瞥した南は、またしても爆弾発言を投下。

「ねぇ、健太郎。ユウキの散歩に行ってくれる?私は夕飯を作っているから」

はぁ?ちょっと待て。それはオレに対する嫌がらせか?

「あっ、いいよ。俺も犬好きだし」

だから、アンタも快く承諾してんじゃねえよ。

しかし悲しい事に、人間社会での犬の地位、っていうのは本当に低い。オレがこんなにも目で訴えかけているのに、

「じゃあ、リードはあそこだから」

と、物事は勝手に進んでいく。

こうしてオレは、大嫌いな男と散歩に行くことになった。


オレは今、非常に不機嫌だった。あの男は、オレをガードレールに繋いで、コンビニに入りやがったんだ。 南はこんな失礼な事しなかったぞ。

数分後、あの男は、

「お待たせ」

と言いながら出て来た。そして、

「じゃあ行こうか」

と言う。

仕切ってんじゃねえよ、と言おうとしてオレは、

「ワン」

と、一言吠えた。

「ハハ、お前賢いなぁ。返事が出来るんだ」

……思いっきり勘違いされたみたいだけど。


そしてオレ達は、河原にいた。こんな所、南との散歩では来たことがない。この男、どうするつもりだろう。

あの男は、コンビニ袋をゴソゴソかき回し、何か薄い物を取り出した。

「ほらお前、これ取れるか?」

果たしてそれは、フリスビー。

馬鹿にするなよ、との意味合いを込めて、

「ワン」

と一言、鋭く吠える。

「よし、じゃあそれ!」

男は投げた。大空をクルクルと飛んでいくフリスビー。

すると突然、オレの体は奇妙な感覚に襲われた。

嗚呼、ボーダーコリーの血がたぎる。魅惑的な円い物質がオレを呼ぶ。

気付いた時には、オレは走り出していた。 フリスビーに追い付くと、オレは華麗にジャンプして、空中でキャッチした。

この快感。何て形容すればいいんだろう。すごく心地良かった。

オレは、フリスビーをくわえたままあの男の所まで走り寄って行く。

「よしよし、お前すごいなぁ。初めてなんだろ」

フリスビーを離すと、アイツがオレの頭を撫でた。

まあ、これしきの事オレにとっては朝飯前だ。せいぜい褒め讃えるがいい。

「よし、もう一度」

そう言ってフリスビーを、もっと遠くへ投げるアイツ。オレの体は、再び反応していた。

そうしてオレ達は、しばらく遊んでいた。気付けば、辺りは既に暗かった。

「そろそろ帰るか」

アイツが言う。うん、その方がいい。遅くなったら叱られそうだ。

その時、オレのリードを持つかと思われたアイツの手は、またコンビニ袋をあさり始める。

「そうだ、ユウキ。これ、お前にやろうと思って買ったんだけど。食べるかな?」

その言葉の最後は自分へ向けて言っていたようだ。

そしてアイツが袋から何かを出す。ここからでは、暗くてよく見えない。

しかし、封を切った瞬間、オレにはピピッと来た。

辺りを充満させたこの匂いの正体は、ビーフジャーキーだ。しかもこれは、いつもテレビCMで羨ましく思っていたボン太君のではないか!

「ご褒美だぞ。南はこういうの、くれないんだろ?」

全く持ってその通り。お前、メチャクチャ気が利くじゃないか。だから早く頂戴ぃ!

初めて食べたビーフジャーキーは、とても美味しかった。これなら毎日でも食べていたい。

そして同時に、健太郎とは気が合うかもしれない。そう思った瞬間だった。


オレは今、非常に不機嫌だった。やっぱり前言撤回!健太郎は、イイ奴でも気が利く奴でも何でもない。オレの早とちりだった。

今は夕食。なのにオレは床に這いつくばって、目の前のドッグフードを睨んでいる。

何故かって?それはあの男のせい。アイツがオレの椅子に座ってやがるんだ!

オレは不機嫌さをアピールするため、さっきから何度も唸っていた。しかし、その都度入る南の

「ユウキ!」

という叱り声。

本当にやってられない。悪いのは健太郎なのに。

そんな訳で、夕食はサイアクだった。


「じゃあね。また明日」

という南の挨拶と、

「ああ、また来る」

というあの男の声。

もう来んな、と一人ごこちながら、オレはこの至福の瞬間を噛みしめていた。

やっとアイツが帰って行く。どれだけ待ち望んでいただろう。

玄関の扉が閉まる音がして、南が来た。

「アイツ、帰ったんだろ?」

「健太郎?帰ったけど」

オレは久しぶりに日本語を話した。吠えるだけっていうのも、なかなか辛い。

「なあ、ゲームしない?一昨日の続き」

やっと二人になれたのが嬉しくて、オレは南を誘った。なのに、

「今はダーメ。私、お風呂に入ってくるから」

風呂だって?ふざけんなよな。

「じゃあ、オレも一緒に……」

「ダメ。昨日一緒に入ったでしょ?じゃあね」

取り付く島も無い。南は手を振りながら、浴室へと消えて行った。

一人、取り残されたオレは、ポカンとしていた。そして同時に、怒りがフツフツと沸いてくる。

何だよ。オレを除け者みたいに扱いやがって。

 オレは、南が消えていったドアを、いつまでも睨みつけていた。


「あがったよ、ユウキ」

 数分後、浴室の方から南の声がした。

「ゲームするの?」

「……」

 オレを除け者にした事を、すっかり忘れているような南。絶対に答えてやるもんか。

 オレは背中を向けた。

「どうしたの?」

「……」

 あくまで沈黙を守るオレ。

 すると、南は声を少し尖らせた。

「ユウキ、黙っていたんじゃ分からない。何か言ってよ」

 オレが怒られる謂われは無いのに。ここまで言われたんじゃ、黙っていられない。オレだってカチンときた。

「……だったら言わせてもらいますよ?」

 振り向きながらオレは言った。その言葉に、たっぷりの恨みを込めて。

「言っとくけどな、南が悪いんだぞ」

「私?」

「そう。お前」

 オレの不機嫌の理由は全て南(それと健太郎)にあるというのに、コイツときたら気づいていなかったらしい。余計に憎たらしくなってくる。

「えっ、何で?」

 驚いた口調で言う南。

「……健太郎……」

 オレはボソッと呟いた。そして続ける。

「アイツのせいでオレ、朝からずっと不機嫌だったんだぞ」

「健太郎?」

「南さ、アイツを呼ぶといつもアイツばっかり構うじゃん。オレ、お前の飼い犬なんだぞ。家ではオレの相手をしてよ」

 以前からずっと言いたかった事を、今日やっと言うことができた。それは、オレを構って欲しい、という事。

 これは嫉妬なんだろうな。犬だから決して人間には勝てないオレの。

「そう、ゴメンね、ユウキ」

オレの言いたい事は伝わったみたいだ。南は、真剣な顔で謝った。

「まっ、別にいいけどさ」

オレは少し照れくさくなって、言葉をはぐらかした。

「分かったなら、もうアイツ、呼ぶなよ。オレ、今日は椅子に座れなかったし」

仲直り出来たからか、オレは調子に乗ってしまった。

「ホラ、アイツなんかと付き合ってたって、良いことなんかないさ」

だから、言わなくていい事まで言ってしまったんだ。

「この際別れちゃえよ、あんなヤツ。どうせ結婚とかしないんだろ」

でも、言ってしまったからもう遅い。オレは、その事を後悔する事になる。

「それにあっちだって、そんな気……」

「ユウキッ!」

突然大声を上げた南。

オレは、この時初めて言い過ぎたかな、と思った。

「アンタみたいな犬って、本当に最低!」

「なっ……」

確かにオレは最低な犬だ。飼い主に口答えするなんて。

南は、その目に涙を浮かべていた。そして突如立ち上がり、オレに背中を向ける。

「ってオイ、どこへ行くんだよ」

慌てて止めようとするオレ。でも、それを振り切って南は進む。

「ユウキなんか、拾わなきゃ良かった!」

ドスドス、ガチャン。

呆気に取られている間に、南は出ていってしまった。

「何だよ、アイツ。何でいきなりキレてんだよ。犬を相手に」

思わず呟いてみたけど、少し虚しかった。もう後の祭りだ。

最後に見た南の背中は、昔見たあの人間と、少し似ていた。


南が出ていって二十分。オレは、すっかり後悔していた。

本当は追いかけてでも謝りたかったけど、それは出来ない。このアパートのドアは、犬の手では開けられないんだ。

オレは溜め息を吐いた。さっきから、最悪な事ばかり考えてしまう。

このまま南が帰って来なかったら?

オレ、捨てられるかもしれない。

そんな考えを捨てるように、ブルブルと頭を振った。

オレはこの不安を知っている。昔の事だ。あの時は南が救ってくれた。でも今は?

オレはトボトボと歩き出す。南が恋しくて、ベッドへ潜り込んだ。そこは、南が使っているシャンプーの匂いがした。

南の香りに包まれていると、少し安心してきた。

目を閉じると、あの時の事を思い出す。そう、オレが生まれた時の事を……。


オレは去年の九月に生まれた。

最初の頃は幸せだった。母さんがいて、五匹の兄弟がいて。そしてご主人様がいた。

オレ達はいつも遊んでいた。オレは末から二番目の生まれで、甘ったれだった。

夜はいつも、みんなで丸まって眠った。そんな安心で、幸せな毎日。

でもその生活は、長くは続かなかった。

十一月のある日、オレ達は段ボール箱に入れられ、橋の下へ連れて行かれた。

あの時は、それが捨てられる、という事だとは思わなかった。新しい遊びかな、と思っただけだった。

ただ、そこから立ち去るあの人間の背中は、よく覚えている。今でも思い出すと、虚しいような、やるせないような、そんな気分になるんだ。

そうしてオレ達は捨てられた。

そこからは大変だった。オレ達六匹の幼い兄弟は、力を合わせて生きなければならなかった。

オレ達は、精一杯生きた。でも現実は厳しい。半月も経たない内に、まずは妹が死んだ。餓えだった。

オレ達には、悲しんでいる暇は無かった。すぐに冬がやって来たからだ。

冬になると、食べていく事が、ますます難しくなった。体が大きくなった分、もっとたくさんの食べ物が必要だからだ。すぐに二匹死んだ。

そして雪。

雪が降ると、凍えそうな程寒かった。オレ達は、段ボール箱に固まって、ブルブル震えていた。

そしてまた、一匹死んだ。残ったのはオレと、すぐ上の兄貴だけ。アイツとは、一番仲が良かった。


あの日は朝から大雪が降っていた。視界が悪く、たよりの鼻も調子が良くない。

後から知った事だけど、その日は十二月二十四日。人間でいう所のクリスマス・イヴだったんだ。

だから当然いつもより、人も車も多い。

オレ達は、警戒しなきゃいけなかったんだ。人が多いって事は、それだけ危険も増す。オレに言わせれば人間なんてエゴの塊だからな。

でも、オレ達は浮かれていた。普段と違う街並みや、どこからか漏れてくるいい匂いに、すっかり興奮していたんだ。

それがいけなかった。だから気付かなかった。ヤツらの存在を。

保健所。それはオレ達野良犬にとって、最も警戒しなきゃいけない所。

オレ達は、あろうことかその職員に見つかってしまったのだ。

捕まったら殺される。オレ達は必死で逃げた。

でも所詮は子犬。距離は段々と縮まり、今にも捕まりそうになった。

オレは、サッと横道へ逸れた。分散した方が、捕まる危険性が減ると思ったからだ。

オレはバカだった。大雪で視界が悪い事、鼻が利かない事をすっかり忘れていた。

突如、眩しい光がオレを照らす。オレは、車の前に飛び出していたのだ。

オレは悟った。

そうか、とうとう死ぬのか。

オレの体を衝撃が襲う。吹っ飛ばされて、転がるオレ。

でも、何故か死んでいなかった。ムクリと立ち上がる。体中が痛かった。

その時やっと理解した。すぐそこには、血まみれで転がる兄貴の体。

オレは、すぐさま駆け寄った。その紅く染まった体を、必死で舐める。

「……逃げ、ろ……」

それが、兄貴の言葉の言葉だった。


オレは、走った。走って走って、走り続けた。

涙が、後から後から溢れては、落ちていった。どうやって段ボール箱まで帰ったかも覚えていない。

兄貴はバカだ。オレなんかを庇うなんて。

死ぬのはオレだったハズだ。なのに、何で……。

でも、その兄貴よりバカなのはオレだ。

オレは兄貴を殺してしまった。オレが死ねば良かったんだ。

とうとうオレは、一匹になってしまった。 何をする気も起きなかった。死んで、兄弟の元へ行こうとも考えた。

その時、人間の気配がした。オレは、サッと身構えた。

今思えばバカだよな。ついさっきまで、死ぬ気でいたのに。

果たして、そこへ来たのは、南だった。オレが駆け込むのが見えたらしい。まあ、当時はそんな事、知らなかったけど。

オレは、近づいてきた手に、とっさに吠えた。人間なんて信用出来ない。

「ホラ、怖がらないで。キミ、捨てられたの?」 なのに、尚も近づいてくる手。

オレに構うな。

「ウゥゥ、ワン!」

オレは、その手を噛んだ。そうすれば、去ると思ったからだ。

「大丈夫。傷付けないから大丈夫」

驚いた事に、ソイツ(南)は、オレを抱き上げた。オレは、本気で噛んだのに。

「ヨシヨシ、ヒドい目に遭ったんだね。もう大丈夫」

その腕の中は、暖かかった。まるで昔、母さんに抱かれていた時みたいに。

「キミ、ウチへ来る?」

オレは、急に申し訳なくなった。この人間は、本気でオレを案じてくれている。

「じゃあ、帰ろ。『ウチ』に」

「クゥーン」


その後、ここへ連れてこられたオレは、南に何から何まで世話を見てもらった。再び始まった安心出来る生活。

だからオレは、南に感謝している。

一度は、死のうと思った。そんなオレを拾ってくれたのは、南ただ一人だ。

南に謝りたい。このまま捨てられるのは、嫌だ。


ガチャ。

玄関のドアが開いた。オレの鼻が、夜風とともに入って来たのは南だと告げる。オレはベッドを抜け出した。

南は、靴も脱がずに立っていた。ただオレを見ている。

オレは気まずさから、傍に寄る事が出来ないでいた。謝ろう、と思ったのに。

不意に、南の表情が和らいだ。

「ユウキ」

情けない事に、ビクッとするオレ。

何を言われるんだろう。

南は、

「おいで」

と言って両腕を差し伸べた。

オレは、トボトボと歩いて、近寄った。そして、南に抱き締められる。シャンプーの香りと、少し、健太郎の匂いがした。

「……こんな事されたって、嬉しくないぞ」

やっぱり照れくさくて、素直に言えない。

「その割には、尻尾振ってるけど……」

「ムッ。気のせいだ。速やかに忘れろ」

オレは、口とは違って正直な尻尾を諌めようと、少しだけ努力した。けれどもダメだった。嬉しかったから。

「ユウキ、もしかして、捨てられるとか思った?」

オレは、その言葉にギクッとした。その通りだからだ。

「な、そんな事思ってねぇよ」

南は、本当に?と言って、空を見つめる。静かに語り出した。

「ユウキ。私はこの先何があっても、ユウキを捨てたりなんかしないから」

オレは、その言葉に、目頭が熱くなった。

「……うん、サンキュ。……それと、さっきはゴメン……」

オレは、南を直視出来ず、ボソボソと言った。

南は、少し笑って、オレを抱き締める手に、力を込めた。

「私の方こそゴメン。犬相手に何やってんの、って健太郎にも言われちゃった」

ムッ。やはり健太郎の所へ行ってたのか。

「だからコレ、仲直りの印だよ」

そう言って、南がコートのポケットから取り出したのは、

「ボン太君のビーフジャーキーじゃないか!どうしたの?」

南がこんなに気の利くヤツだったとは。オレは感動した。

「コレ?健太郎がやったらどう?ってアドバイスくれたの」

健太郎のヤツか。

アイツとは気が合うかもな。二回にそう思った瞬間だった。


それから、まあオレ達は順調に暮らした。

確かにケンカもあったけど、いつも仲直り出来た。

そうそうオレ、英語もマスターしたんだ。今は中国語を勉強中。できる犬っていいのも大変だ。

あと、オレが喋れる事、健太郎にもバレた。アイツ、そんなに驚いてなかったな。


こんな感じで、まだまだ色々あるんだけど、それはまた今度の機会に。

じゃあな。

ムダに長くなってしまいました。(苦笑)


この話のネタは、風呂に入っていて思い付きました。前の短編よりは明るいですね。


次回は、連載を更新しようと思います。そちらも是非読んで下さい。

それでは。

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