シンガポールストーリー
199*年春。私はシンガポールチャンギ空港に降り立った。
当時からチャンギは、東南アジア最大の空港である。しかし、
う・・・・何だ?この臭い・・・だ、だからアジアは嫌いなんだ・・
<ドラマのような出会い>
私はある地方銀行に勤める30歳。
と言っても勤務地はその地方銀行の本店がある「地方」では無く東京。
採用時から海外を約束されたエリートで、まずは(と言ってももう30になってしまったが)、
海外事業部がある東京勤務だったわけである。
しかし、まさかこの「私」の赴任地がアジアとは。
数千人いる行員の中でたぶん英語力抜群。
その「私」がなぜ「こんなに待たされた」挙句、赴任地が「欧米」ではなく「アジア」なんだ。*1
はっきり言って、軽い失望感を覚える赴任ではあった。
と、そんなことを考えているうちに税関に。
「そんなこと言っても、開けれないものは開けれない!」
前方で税関職員に叫んでいる日本人女性がいる。
いつもなら無視する私だが、気になった。
「だから開けたらちゃんと元通りにしてくれるんですか!」
「何疑ってるんですか!」
ブロークンな英語でまくしたてている。
しばらくその様子を他の野次馬とともに観察したあと、
私はいつの間にか彼女に近づいていた。そして、
「どうされました?」
と聞いている。
こういう時、下心が無い男なんているだろうか?
ドラマではよくあるパターンだが私はそう思わない。
ここで、
このトラブルを解決
↓
彼女は私に感謝
↓
お互いの連絡先を交換*2
↓
欧米ではなくて不満は残るが、それでも夢のあるシンガポール生活が始まる
と思いつつ、彼女の返答を待った。
彼女は、どうみても土産だと思われるパッケージを指し、
「この中味見せろ!って言うんですよ」
私はおもむろに税関職員に説明し始めた。
数分後、
私は彼女に、
「開けなくていいそうですよ。」
と言っていた。
下心はあったが、いや、あったからこそ、
お礼を言う彼女を置いて去ろうとすると、
案の定、彼女は走り寄り、
「ありがとうございます。」
私は、「極力」、素っ気無く、
「いえいえ」
だけ言い、歩き出した。
と、これも「案の定」、彼女は近づき、
「あのーーーーー」
「何と説明を?」
私は、
「いえ、たいした事は・・」
本当にたいした事を言ったわけではない。だから、それを説明したくはなかった。
それに、秘密めかした方がおもしろいではないか。
彼女は少し沈黙した末、名刺を出してきた。
「私、いなださりと言います。」
名刺には、ある証券会社の保健師の肩書きが付いていた。
稲田沙里。何とは無しにその名刺を眺めていると、
「あの、あなたは?」
はっと気づき、
「今日ここに赴任なんです。だから名刺は。」
「あ!あとで連絡します。名前は、たなしひろしと言います。」
そこに、
「田無さーん!」
と言う声が聞こえた。
そうだ、現地の人が迎えに来てるんだった。
私は急いで彼女にいつ日本に帰るのかを聞き、日本に連絡することを約束した。
*1 1990年代はやっとアジアが見直され始めてきた時代
*2 このころはまだまだ携帯などという便利なものは少なかった
<初めての再会>
本当にあっと言う間の一ヶ月だった。
私の人生でこれほど速く時がたった時はないだろう。
英語はもともと心配していなかったが、やはり初めての海外生活は戸惑いの連続だった。
そして、そのどの戸惑いの瞬間も、「感嘆」ではなく、「失望」とともに訪れた。
「欧米だったらこうだったろうに・・」という。
とにかく、まず英語が全くなっていない。*1
あるイギリス人が隣で英語を話しているシンガポール人を指して、
「何語を話しているんだ?」
と聞いたと言う有名な話があるくらい「変」だ。
私のきれいな英語(少なくとも自分ではそう思っている)がおかしくなるのではと心配してしまう。
最初に感じた「空港での臭い」はもう慣れたのか感じなくなったが*2、
まだ、街中、特に屋台街での臭いはがまんがならない。
そんな中で唯一の救いが私の「秘書フェリシア」だった。
同じく英語はダメだが、何と言っても美人。そのうえ、気立てもよかった。
たぶん、入社以来初めてではないか?出社が毎日楽しみになったのは。
ただ、残念なことに私の恋愛光線は悉く跳ね返されたが。
そのフェリシアのおかげ?もあり、沙里のことは全く私の頭から消えていた。
そんなある日、一本の変わった電話が私の状況を一変させた。
「田無、田無寛さんですか?」
と、その電話は女性の日本語で始まった。
「はいそうですが」
と、私も日本語で答えるとその女性は、
「私、私わかります?」
頭の中を女性の名前が駆け巡る・・・うーーーーん・・・
うーーーーーん・・・・・
あのとき空港で会った女性、サリって言ったかな?
それほど女性関係の多くない私にとっては、
思い浮かぶのは悲しいかなその程度。
でも声も違うような・・
と、私の返事を待たずその女性、
「菊池です」
菊池、菊池、・・・・あーーーーーわからない・・・
わからない・・・
やはりサリはではない・・・苗字も確か違ったような・・
お!そうだ!名刺、名刺、どこ行ったっけ?
カサゴソと引き出しを捜し出した私に、次に耳に入ったのは、
「思い出せないんでしょう?」
うーーーん・・・
気を取り直した私は、ここは冷静に、
「どちらの菊池さんでしょうか?」
そこからは想定外の会話だった。
「会えばわかります。」
え?そんなこと・・・・
そして、なぜか、ときめきよりも不安が先に立った。
それはやはり海外だからだろうか?
そして、その声は続いた。
「今日夜8時に空港第一ターミナルのミーティングポイントに来て下さい。」
夜7時。まだだいぶ早いのに私はもう空港に向かう高速道路上を車で走っていた。
たった一ヶ月なのに、ここを何度こうして走ったことか。
赴任して初めてわかったが、銀行の、それも海外駐在員事務所への派遣なんて、
体のいい現地案内員。自行の行員だけでなく、お客も、空港に迎えに来て当然!
と思っている節がある。
ということもあり、ここ(高速道路)も、空港もすっかり慣れていた。
しかし、今日ばかりは、不安と期待の入り混じった気持ちで運転していた。
やはり、フェリシアか、スタッフのチュアとともに来るべきだったのか?
何と無く怪しいのでは・・・
銀行員というものは悲しいもので、どこまでも身の安全を第一に考えてしまう。
冒険のできない、いや、少ない人種なのである。
そうこう考えるうちに空港に着いてしまった。
駐車場に入れ、ゆっくり、指定されたポイントへ歩く。
ここから見る限り、今は、それらしい人物はいないようだ。
そうだろう。まだ指定の30分前。どこからか見ているのかもしれないが・・
これって、昔流行った、テレクラ利用した待ち合わせに似てるな。*3
何て、少し落ち着いた私は考えていた。
こんなときはドラマでは煙草でも吸うんだろうが、ここは禁煙国で有名なシンガポール。
そんなことはできない。しかたがないので飴でも買おうと思ったとき、
向こうから来る小柄な清楚な女性がいる。そう清楚を言う言葉がぴったりの。
そしてそれは、紛れも無く沙里だった。
*1 シンガポールの公用語は英語、中国語(マンダリンだと思う)、マレー語、ヒンズー語
*2 実は日本の空港も少し前までは、外国人にとっては「醤油」の臭いがしていたらしい
*3 テレクラなんて、今の人は知らないだろう。ネットでお調べください
<始まり>
「あなたは・・」
と驚く私に沙里は、
「先日はありがとうございました」
続けて、疑問を投げかけざろう得なかった私、
「でも・・・・確か電話では・・・」
それに対し、
「菊池は私の友達です。こちらの旅行社に勤めてるんです。
すみません。全然連絡くれないんで、調べてもらったんです。
そしたら、意外に簡単にわかって・・*1
来て見たらシンガポールって素敵なとこでしたし、もう一度行きたいなと菊池に話したんです。
そしたら、空港でのトラブルの話もしていたので『だったらドラマ作らない?』と言われて・・
ほんとにすみません。こんな勝手なことして。」
私は、
「いえいえ」
としか言えなかった。本当はうれしかったのだが。
ドラマねえ、そうですよね、そうやって積極的に作ろうとしなければ、ドラマは自分からは起こらないですよねえ。
と思い、なんとなくニヤついていると、
「どうしました?」
と沙里。
おっと、ここでハンサムが台無しになってはと、また、
「いえいえ」
今日はこれしか言えないのか!とも思った私、
ここで頭を思いっきり回転させ、
「では、そのドラマを始めますか?」
と、今から考えると自分を殴りたくなるくらい気障な言葉を発していた。
沙里の宿泊するホテルへまずは案内することになり、車で今来た高速を運転。
何を話していいかわからなかったが、まずは無難に、
「よく海外旅行するんですか?」
と。それに対し、
「それほどでも。でも2年ほど、海外青年協力隊でアフリカにはいましたが。」
「あ!確か保健師さんでしたね。アフリカかあ・・・行ったことないけど大変なとこなんでしょうね」
「ええ、でも、青年協力隊って、ここの隣のマレーシアにも行ってるんですよ。」
「え?でも、マレーシアってそんなひどいとこじゃ・・・」
と、話がうまくない私の割には、話がはずみ、いつの間にかホテルへ着いていた。
ホテルはウイスティンスタンフォード。よくシンガポールのイメージ写真にも出てくる高層ホテル*2。
ロビーで待っていると、チェックインを済ませた沙里は戻って来て、
「ここの最上階のレストラン有名なんですよね。行きません?」
拒否する理由など全く無い私は当然行くことになった。
超高層ビルから見えるシンガポールの夜景。
前には、美人とは言えないまでも、清楚な女性。
いくら、欧米好きで、美人好きの私でも酔ってしまわないはずがなかった。
*1 今の日本では考えられないだろうが、当時はまだ「個人情報保護」なんて意識は非常に薄かった
*2 今は、買収され他の名前になっています。また今はイメージ写真には屋上にプールのある
マリーナベイサンズがよく使われます
<フェリシア>
前にも書いたように、私の秘書は美人で気立てがいい。
まあ、英語は・・・・でもこれもシングリッシュと割り切れば・・
そんな秘書だったので、私は公私共にお世話になっていた。
と言っても、これも前にも書いた通り、秘書フェリシアは私の「恋愛光線」を悉く跳ね返していたので、
「私」とは、あくまで「相談」。
というわけで、「当然」、「沙里」のことも相談していた。
でもまあ、これは私にとっては、「相談」でも、フェリシアにとっては、単に「のろけ」を聞かされているだけだったろうが・・
「フェリシアにとって、沙里とは?」
は、いつも私が考える疑問である。
「少しでも私に気があるのなら、妬いてくれても・・」
とはいつも考える。
しかし、それは日本文化での事であって海外では違うのか?
こんな風に、当初嫌で嫌でしかたがなかったシンガポール勤務も、
始まってみれば結構楽しんでいた。
平日はフェリシア(と言ってもあくまでも「仕事」のみ)、休日は沙里。
といきたいところだったが、沙里は数千キロ離れた日本。
遠距離恋愛もここまで離れると大変だった。
まずは、電話代。本当にばかにならない。*1
ときどき、仕事ということで(全くそうではないが)、会社から電話したが、
もちろん、そんなことそう頻繁にできるものではない。
となると、数ヶ月に一度の訪星*2を待つのみ。
どうなのだろう?世にたくさんいる遠距離恋愛の人たちは。
こんな状態でも我慢できるのだろうか?
特に今の世の中のように多くの誘惑があるなかで。
凡人の私には無理だった。
しかし、もてるわけでもない私(ハンサムなのになぜなんだ!)にとって、
一番近くの可能性?はフェリシア。
電話や手紙でフォリシアのことを、かなり、そう、かなり頻繁に沙里に話した。
そんなある日。
電話も手紙も沙里からパタッと来なくなったのである。
*1 今のようにメール、ラインなどというものはなかった
*2 シンガポールを漢字一時では「星」と表します。何か、どこかの「星」に行くようで格好いいですね
<深堀>
沙里と連絡がつかないまま3ヶ月がたった。
会ったのが「春」だったのに、季節はとうに「夏」・・・
と書きたいところだが、シンガポールには四季がなかった。
あるのは、よく区別がわからない*1「乾季」と「雨季」のみ。
とにかく、こういうとき、超遠距離恋愛は困る。
そこで、思いついたのが「深堀」だった。
私の高校の同級生。でも変わっていて、家が医者でもないのに、
「金儲けのために医者になるんだ!」
と夢のあるはず*2の高校時代から言っていて、
4浪もして医大に入り、この度、晴れて医者となった男。
早速連絡を取ったところ、高校時代から、「おもしろいこと」が好きだった彼は、すぐ引き受けてくれた。
彼の連絡(手紙で報告が来た。まるで「探偵」のような)が来るまでの日にちの長かったこと。
そこには、以下のことが書いてあった。
「1.会社はやめた模様
2. 自宅はわからず
3. 友人らしき人もわからず
要は何もわからなかった。すまん。
ただ、ひとつ気になることがある。手紙では説明できない。
電話くれ。」
「トゥルルルル・・・・、トゥルルルルル・・・、トゥルルルル・・・」
また居ない。あいつ・・・どこ行ってるんだ!*3
と受話器を置いたところ、電話が鳴った。
「田無さんですか?」
「はい」
「ご無沙汰してます。私、菊池です。」
あ!そうだ!菊池さんがいたんだ!なぜ、今までそれに気が付かなかったんだろう?
と思っていると、菊池さんが続けて、
「沙里さんがシンガポールに来てます。ニューオータニの日本レストラン知ってます?*4そこに今日8時に来てください。」
ニューオータニの日本レストラン?知らないわけがないではないか?
何度、そこに沙里と行ったか・・
シンガポールに赴任するまでは、そんなに日本食が好きというわけでもなかった私だったが、
ご多分にもれず*5、私も日本食が好きになっていた。
と言ってもここは外国、うまい日本食は少なかった。
そんな中で、私が気に入っていたひとつがそこだったのだ。
おっと、今はそんなことより、沙里と再会したとき、どうするかである。
さすがに鈍感な私も、たぶん、沙里が「フェリシア」のことで「去って行った」ことには気づいていた。
*1 「乾季」も雨は降ります
*2 このころは今と違って高校生はまだ夢を持っていた。・・・・と私は思う
*3 しつこいようですが、この時代、まだ携帯はあまり普及していませんでした
*4 ニューオータニもその日本レストランももうありません
*5 海外で生活すると日本が恋しくなるものです
<菊池>
「ゴメン」
開口一番、私が言った言葉はそれだった。
「何が?」
とは沙里。
「フェリシアのこと・・」
「ああ、・・・・いいの・・・そんなこと・・・そんなことじゃないの・・・」
えーーーー!それではこれからの会話、私が用意してきた様々な「言い訳」は・・・
と考えはしたが、深刻そうな沙里の顔を見て、
「どうしたの?」
「うん、いろいろあって、会社辞めて、引っ越して・・・」
「いろいろって?」
「うん・・・・」
「・・・・」
聞かないほうがいいこともあるか・・・
「いいよ。話したくなったら言って!」
「ありがと」
では、話変えなきゃ!さて、何に?と思ったとき思い出したのが、
「そう言えば、菊池さん」
「何?」
「シンガポールにいるんだよね。」
「うん」
「日本の旅行社じゃないんだよね。」
「うん」
「僕のような日本の会社から派遣されていると、現地で就職してって信じられないないな。」*1
「何が?」
「勇気あるって言うか・・」
「勇気はある子よ。」
「沙里はそういうこと考えたことないの?」
「それって、私にシンガポールに来て欲しいという意味?」
「いや、沙里だったら、そういう『勇気』というか、持ってるんじゃないかと。」
「勇気は持ってるかもしれない。でも」
「でも?」
「勇気だけじゃ、海外に、それも女性ひとりで就職なんてできないんじゃない?」
「そうだよな・・・僕みたいに日本の企業に保護されている奴にはわからない苦労あるんだろうね。」
「そうよ。彼女大変なのよ。」
「一度会いたいな。」
「フェリシアさんのように・・・」
「いや、そういうわけじゃ・・いや、えーーーー」
決してそういうつもりで言ったわけではなく、今回のように沙里に連絡が取れないときの
連絡先というつもりだったんだが、こう言われると・・
「冗談よ」
と沙里。
「でも、知らないほうがいいこともあるでしょ?」
「え?」
「と言うか、知らないほうが神秘めいていていいでしょ」
菊池さんが「神秘めいていて」何が私にとっておもしろいんだと思いはしたが。
「そう言えば、彼女、田無さんと違って、こっちの食べ物好きなのよ。」
「僕だって嫌いじゃないよ。」
「私との時は日本食が多いわよ。」
「それは・・」
「それは、私だからでしょ。気を使わない!」
「そう。」
「わかってるわよ。」
「何が好きなの?」
「彼女?それとも私?」
「いじわるだなあ・・・沙里」
「私はねえ、骨肉茶*2かなあ」
「骨肉茶かあ。場所によってちょっと違うんだよ。」
「え?」
「たとえば、マレーシアとは違うし、マレーシア国内でもジョホールとペナンでは違う。」
「そうかあ・・」
「それぞれ、ご当地が一番だと言ってる。」
「マレー人とシンガポーリアンの違いかな?」
「マレー人?マレー人、イスラムだから豚肉食べないよ。」
「あ、そうか、じゃあ、マレーシアの中国人との違いかな?」
「そうかも。」
駐在していると、現地のことをこのようにこちらから沙里に教えることが多いと思うが、
結構、沙里に指摘され気づくことも多かった。
*1 もうすでにこのころから、シンガポールの会社に就職して頑張っている日本女性はかなりいた。もちろん欧米ほどではないが
*2 『ばくうてい』と読み、骨付き豚肉の煮込み
<セントーサ>
セントーサ島。シンガポール一番の観光地。
そこに沙里と来ていた。
「ここ何度目だろ?」
と沙里。
「ここしかないから・・」*1
「ここに来ると、私のような観光客でもわかることがある。」
「何?」
「反日感情」
「なるほど、占領の記念館があるからね。」
「そう、街中では一切見かけない。」*3
「でも、忘れちゃいけないよね。別に何も知らない『平和団体』の意見に同意してるわけじゃないけどさ。」
「そう。」
「それに駐在して思ったことがある。」
「何?」
「日本人って今でも奢ってるって。」
「そう?」
「うん、日本人駐在員は何やかんや言ってもローカル見下してる。」
「そうかあ・・」
「あまり表には出ないけど、セクハラ紛いのことも多い。」*4
言っている自分がフェリシアに対しそうではないか!
と少し、少し、反省したが、
「でも、そう感じている田無さんのような駐在員がいるだけでも、日本人も少しは進歩したんじゃない?」
と沙里が言ってくれて少しほっとした。
「さーて、帰ろうか?」
いつもは車だが、今日は飲むこともあってタクシーで来た。*5
「でもタクシー捕まるかなあ・・」
「ねえ、たまにはバスで帰ってみない?」
「バスかあ・・乗ったことないしなあ・・」*6
と、バスに乗ったはいいが・・どうやら、行き先間違えたようで、途中で降りる羽目に。
しかたがないのでタクシー待ったが来ない。そこにトライショー(人力車)が来た。
「こんなとこにも来るんだ。」
「いいわね。」
「乗る?」
「う、うん」
「でも、タクシーいつ来るかわからないよ。」
「いいの。何か、田無さんとこうして、こういうところで待ってる。それも何だか・・・いい・・」
*1 今でこそ、シンガポールフライヤー、ナイトサファリ等いろいろできたが・・前のトランプ政権のときは米大統領、北朝鮮主席の会談でも有名になりました
*2 シンガポールは前首相の父親であり初代首相のリークワンユーのルックイースト政策(日本に見習う政策)の影響もあり過去より現在を重視する政策を続けてきた
*3 実際は記念塔等がその当時からありましたが
*4 ネット小説だから書けることだが、海外では、まだまだ買春をしていて、それを全く悪いこととは思っていない日本人駐在員は数多くいる
*5 日本ほど飲酒運転に対する取締りは厳しくないが
*6 日本人駐在員は、現地の庶民の乗り物には治安の関係もあって、発展途上国ほど乗らない。因みにシンガポールは発展途上国ではなく、今では一人当たりの国民所得は日本より上です
<告白>
それはあまりにも突然だった。
私は一時帰国し田舎に帰っていた。
2週間の休み。その間に健康診断があった。
そこで言われたことは今でも忘れていない。
「すぐ入院です。」
救いは、自然気胸という大した病気ではなかったこと。
ただ、この一ヶ月の入院は私の人生を大きく変えた。
沙里は当然見舞いに来てくれた。
「何千キロの遠距離恋愛が何百キロに短くなった!」
と、嘘か本当か喜びながら。
私はうれしかった。しかし、実を言うと、これは沙里に対してだけではなかった。
入院して初めてわかったことだが、「見舞い」は本当にうれしい。
会ったとき異常に疲れるのはまいったが。
深堀も来てくれた。
「沙里さん、一度紹介してくれよ」
と言いながら。
しかし、残念ながら、なぜかすれ違いだった。
病院の生活は楽しくはないが、ひさしぶりの長期休暇にはなった。
そういえば、入社以来、休暇らしい休暇を取ったことがなかった。
高度経済成長期はとうに過ぎ、バブルも日本では崩壊間際だった。
そんな中、世間の休暇が多くなったとは言え、私のようなある意味エリートには休暇なんて無縁だった。
いい休暇にはなった。しかし、逆に、
(このまま路線を踏み外すのではないか?)
という不安は付きまとった。
そんな中の沙里の見舞い。
心身ともにありがたく、心底から愛され、また愛している気がした。
長いようで短い入院だった。
そして、あと数日で退院というとき、それは起こった。
いや、起こったのではなく、私が決心した。
もしかしたら、入院という、いい長期休暇が私に決断させてくれたのかもしれない。
最初はその病院に屋上があるなんて知らなかった。
その屋上で私は告白することにした。
それは湖の見える素敵な場所だった。
日本でも有数の水質の悪い湖だったが、ここからはそんなことは全く感じられなかった。
水面に見える小さな小さな波。本当に穏やかな日だった。
しかし、それは沙里にとっては忘れられないものだったろう。
私は沙里に
「告白したいことがあるんだ。」
と、切り出した。
シンガポールストーリー最終回<そして>
「妻がいる。」
「・・・」
「騙しているつもりはなかった。」
「・・・」
「でも、もう何年も別居してる。」
「・・・」
新しくできたオーチャードの高島屋の前にいた。
今、沙里は私の前にいる。
それでも沙里とは続いた。
実を言うと、あの「告白」の後のことはよく覚えていない。
沙里が泣いた気がする。でも、それもよく覚えていない。
間違いなく覚えていること。それは、沙里が一言も言わなかったことだけだった。
とにかく、あのあと一週間、沙里は私の前に現れなかった。
そして、突然、私の前に現れた。何事もなかったかのように。
何も要求しない。これが本当の「愛」では?
と、思ったりしたが、それは「男のエゴ」なんだろうな。
オーチャード通り。観光客で溢れてはいるが、私のような地元?の人も結構多い。
歩道も広く、そこにある出店で食べ物を買って椅子で食べたり飲んだりする。
そこでコーヒーを飲みながら、
「来た当時はシンガポール嫌いだったなあ。」
「言ってたよね。」
「沙里はどうしてシンガポール旅行しようと思ったの?」
「私はね、アジアが好きなの。」
「ふーん、でも、だったらもっとアジアらしい、タイとかの方が・・」
「行くつもりだったわよ。でも、ここで田無さんに会ったから。」
「・・・」
「それと、ここで働いてもいいかなって考えたこともあったし」
「え?でも前にそれはって」
「『勇気』がいるって言ったわよね。考えたことはあったの。」
「そうかあ・・働くんだったらタイとかよりもね。」
「タイ語できないし。」
「はははは!」
避けていた。どうみても二人とも避けていた。「私の妻」の話を。
「シンガポール嫌いだったって言ったわよね。」
「うん」
「ということは今は好き?」
「うん」
「どうして?」
「気づいたんだ。」
「何に?」
「生意気に言うと『私もアジア人』だってことに。」
「え?」
「金融の世界にいる者だからやむを得ない面もあったけど、やはり、仕事でも遊びでも欧米が主流だと思っていた。」
「うん」
「でも」
「でも?」
「違うことに気づいたんだ。」
「違う?」
「そう、別にどちらが主流でも無いんだ。それぞれやり方があるんだ。」
「アジアにはアジアの?」
「そう」
「そして『私はアジア人』だし。それに」
「それに?」
「私もシンガポールで沙里に会った。だからここが好き。」
沙里に初めて会ってから5年がたっていた。
ハイティー*1しながら、私はふと尋ねた。
「沙里。他の国に旅行したいと思わなかった?」
「え?」
「シンガポールばかりじゃ・・と思わなかった?」
「・・・」
はっと気が付いた。それをだめにしていたのは自分ではないか!
「田無さん」
「何?」
「田無さんってわかってない。」
「ごめん、そうだよね。他の国にも行きたかったんだよね。それを僕が」
「そうじゃない」
「え?」
「私ね、私がまさか『不倫』するとは思わなかった。」
沙里があれ以来全く口にしなかった「私の妻」のことを話し始めていた。
「世の中の不倫してる女性って、多くはこうして不倫が始まるんだって、よくわかった。」
「・・・」
「知らない間に始まってる。」
「・・・」
「そして、後戻りできない。」
「・・・」
「そして、『不倫』には終わりがある。」
「・・・」
「終わりましょう、私達も。」
突然、こんな終わりが来る。
そんな予感はしていた。でも・・・
「嫌だ!」
「・・・」
「なぜ何だ!なぜ、今なんだ!」
涙が止め処も無く出て来た。
本当はこんな時、すんなり別れるのが格好いいのだろう。
でも、私にはそれは出来なかった。
やはり、心の準備が必要だった。
しかし、もう沙里の気持ちが変わらない事は、何故か私にもよくわかった。
チャンギ空港。
そういえば、出会ったのもここだった。
私にとって「忘れ得ない空港」になるな。
あのハイティーで終わろうとする沙里に、最後まで抵抗し、
一応「別れの場」を設定した。
高速を車で送っている間、一言も話さなかった。
話せなかった。
そして、チェックインを済ませ、やっと沙里が口を開いた。
「ありがとう。」
「こちらこそ。」
「いい思い出になった。」
「そうしたくないけど。」
「それと、最後も明るく別れてくれて、ありがとう。」
「そうしたくないけど。」
「じゃあ、行くね。」
「うん」
うんじゃないだろ!他に言う言葉は無いのか!
と自分が情けなくなった。
そこに沙里の最後の言葉が続いた。
「いつか、あなたの名前をどこかで見つけたい」
*1 午後のデザート付きお茶アフタヌーンティー。シンガポールはイギリスの植民地だったため、一部イギリス風の習慣が残っている。一番有名な場所はグッドウッドパークホテル
シンガポールストーリー本当の最終回<あれから>
「暑いなあ・・・」
しかし、本当に暑い・・死にそうとはこのことを言うのか・・
50度までしかない温度計をとっくに振り切っているこの温室の暑さ・・
200*年夏。私は田舎の温室の中にいた。
あれから十数年。あまりにもいろいろあった。そして今の私はエリート行員でも何でもない。
ただの貧乏百姓。
沙里と別れて十数年、もう沙里を思い出すこともなくなっていた。
いや、それは自分の心を偽っているな。やはり「シンガポール」。その言葉を聞く度に思い出す。
しかし、私の状況は様変わりした。
今の私は飛ぶ鳥を落とす勢いだった銀行員では無く、自分の生活するだけの収入も稼げないような、しがない農家。当然、金融用語とも、英語とも全く縁の無い生活を送っている。
楽しみと言えば、数年前始めたSNS。
今日も農作業の合間にやっていた。本当に平凡な日々。
の、はずだった。
ある日、変なメッセージが届いていた。
「お久しぶりです」
そのメッセージのタイトルはそうだった。開くと、
「覚えていますか?私のこと?」
中味はそれだけだった。
それも、名前は、
「sari」
だった。
迷った。
本当に迷った。返事を出していいものか。
なぜか悪寒がした。
迷った末、何年もコントクトしていなかった「深堀」に電話していた。
久しぶりだったので、お互いの近況を言い合ったあと、
沙里については、深堀から切り出して来た。
「そういえば、むかーし、お前に言おうとして言い忘れたことがある。」
「?」
「沙里さんって言ったっけ?別れてからの消息知ってるか?」
「知らない・・・けど、今日、変なメッセージが来た。」
「メール?」
「違う。SNSの中の」
「どんな?」
「覚えていますか?だって。それも名前はsari」
「やはりな」
「え?」
シンガポールストーリー本当の最終回<あれは・・>
「今、パソコンの前か?」
「そうだけど」
「そのSNS開いてみろ」
「え?」
「いいから」
「うん」
無かった・・・あの、メッセージが無かった。
「な、無い・・」
「だろ」
「こ、これはどういうことなんだ!」
「いいか。落ちいて聞けよ。」
「う、うん」
「サリという人物など、最初から居なかったんだ。」
数日間は深堀が言った言葉が信じられなかった。
精神科医深堀によると、
私は、幻覚を見ていたそうだ。
そう言えば、最初からおかしな点はあった。
・もらったはずの名刺が出てこない
・友人の菊池さんの存在がわからない
・シンガポールで会った場所「ウイスティンスタンフォード」、「ニューオータニ」等々悉く今ではない
・同じ日本に居ながら、深堀は一度も沙里に会えなかった
深堀は続けた。
「一度俺のところに来い。まあ、『別れた』、『メッセージが消えた』ならいいかもしれないが、また出てくるかもしれないからな。」
そう、沙里という人物は存在しなかったのだ。
私の夢のような5年間のシンガポール。
あれも本当は夢だったんだろうか?




