最終話
喪服に着替え、葬儀場に向かった。
到着して、美咲のところへ行った。
「これ、上手く書けたか分からないけど……」
「本当にありがとう。大変だったよね。一晩で書けるなんてすごいよ」
「いや……。そんなことないよ」
「じゃあ、またあとでね」
告別式が始まった。
焼香などが終わり、喪主の挨拶が始まった。
「本日はお忙しい中、父、勲の告別式にご参列いただきまして、誠にありがとうございます。父は生前……」
私はハンカチを握りしめ、目をギュッと閉じた。
心臓が全身を揺らすほど脈打つ。脇に尋常じゃない汗をかいて服が張り付く。
「父の生きてた最後の日のことですが」
きた。
「今回、ペンネーム梅川小鳥さんという小説を執筆されている方に、特別に父の最後の日を物語にしていただきました。父が最後の日どのように過ごしていたのか思い浮かぶとても良い物語です。お聞きください」
私はさらにギュッと強く目を閉じた。震える手を必死にとめた。
—————————
窓際のカーテンをゆっくりと開ける。光が差し込み、舞う埃と共にトメ子を照らした。
「勲さん、悪いけど眩しいから閉めてくれませんか」
「すまんすまん。少しは日に当たったほうがええかと思うて」
カーテンを閉め、照明に照らされたトメ子を見る。
「シミができます。と言うても、もうシミだらけの顔ですがねぇ。あはは」
深く刻まれた皺が、笑うと余計に深く刻まれる。そんなトメ子を見て、私も笑った。
「今日は暖かそうやけ、買い物でも行ってこうかの」
「買い物ですか。いつもすみませんねぇ」
「ええてええて。家のことは、よーやってくれよーけ」
こたつ机の上に置いていた財布を取り、玄関へ向かった。
椅子の軋む音が聞こえる。
「トメ子! 見送りはええけ! 座っとれ」
「あ、バレましたか。ほなら座っとりますね。きぃつけて」
「はいはい。行ってくるけぇ」
玄関の戸を開け、外に出る。冷たい風の中に日差しで暖まった風も混じり、私を包み込む。日差しが頭頂部と背中に集中的に当たる。
私の頭頂部にシミができてしまうわい。
ゆっくりと歩きながら、肺に空気を目一杯取り込む。微かに花の香りがする。
周りを見渡すと、梅の花が咲いていた。
立ち止まり、花を眺める。青い空の中に梅の花が描かれているようだった。
「こんにちは。勲先生。今年は早く咲きましたねぇ」
「あぁ、こんにちは。佐藤さん。花の良い香りがして思わず立ち止まりましたわい」
「梅の実がなったらまたあげますけ。梅酒でも作ってください」
「毎年毎年ありがとう。トメ子も喜ぶわ」
二人で梅の花を眺めた。心地良い風が私達の間をすり抜けた。
「そういえばトメ子さん、最近見らんけんど元気ですかい?」
「あぁ、最近足腰が弱ってなぁ。あんまり外に出られんよぉなって」
「そうでしたかい。なら私がトメ子さんに会いに行こう。よろしゅう言うとってください」
「分かりました。言うときます。それじゃあまた」
しばらく歩くと、川が流れる音が聞こえてくる。
ホーホケキョ。
ほぉ。今日はウグイスも鳴いとる。
「ええ日じゃ」
スーパーに到着し、和菓子コーナーに行く。
羊羹、饅頭、苺大福……
「勲先生。こんにちは!」
パートの鈴木さんが横で元気な笑顔を見せていた。
「あぁ、こんにちは。あんたはいつ見ても元気の出る声と笑顔やのぉ」
「それしか取り柄がないんです!」と言いながら鈴木さんが私の肩を軽く叩いてきた。
「今日のおやつ何にしようか迷うて」
「トメ子さんのおやつでしょ? どら焼きがいいと思います。いつもこのどら焼き買ってたので」
鈴木さんが手の平をはみ出るほどのどら焼きを買い物カゴに入れてきた。
「おぉそうかぁ。この町じゃ隠し事できんなぁ。こんな大きなどら焼き食べるの知られとるわい。ははは」
「ええやないですの! こんな大きなどら焼き食べられるくらい元気なんですよ! あ、勲先生は、ビールとスルメでしょ?」
鈴木さんが微笑んでいる。
「私のことまで知られとるわ。こりゃこの町今日出ていかな」
「あははは! なら引っ越し手伝います!」
「あんた引っ越し先のスーパーにもおりそうやなぁ。ははは」
「どこへでもついていきますよ。勲先生」
「ははは! じゃあまた来るけぇ」
「はーい! きいつけて!」
買い物を済ませ、家へと向かう。
また川の流れる音が聞こえてきた。
その音に吸い込まれるように足が向き、川辺に身を寄せた。
水面に光が反射して輝いている。そこにそっと手を入れた。指先を突き刺すような冷たさ。冷たさを感じる指先が、数えることのできないほど皺で埋め尽くされている。
私もいつか冷たくなる時がくるんやろな。
ぶるっと体を震わせ立ち上がった。
夏に水浴びでもしようか。いや、トメ子に怒られるな。
あぁそうだ。そろそろ帰らないとトメ子が心配する。
そのまま帰路に着いた。
深く息を吐き、胸をさする。
今日は疲れたな。
玄関の戸を開けた。
「トメ子! 帰ったぞ!」
返事がない。
家に入り、急いで居間へ行く。
トメ子は椅子に座り、目を瞑っていた。
「トメ子。バレとるぞ」
トメ子が片目を開け、私を見る。
「やはりバレましたか。あはは」
「毎回同じ手やからな。そうや。これ買ってきた」
買い物袋をトメ子に渡そうとすると、手から袋が滑り落ちた。
ゴトン、と床にぶつかる鈍い音がした。
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
「勲さん! 勲さん! 大丈夫ですか!」
息がしづらい。真っ暗でトメ子の声だけが聞こえる。
「だ……いじょうぶ。トメ子……心配せんで……」
もう声が出ない。
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時々言葉を詰まらせながら読んでくれた。周りからは鼻をすする音が聞こえてきた。
「……以上です。こんな風に父は最後の日、ええ日じゃ、と本当に言っていたんじゃないかと思います。梅川小鳥さんにはこの物語を書いていただき本当に感謝申し上げます。父も天国で、ありがとう、と言っていると思います」
ありがとう、という言葉が耳にスッと入り、手の震えが止まった。
私はそっと目を開け、顔を上げる。
遺影の勲先生は笑っていた。
告別式が終わり、勲先生は火葬場へ向かった。
「私達も火葬場行くけぇ」と母が言う。
「え? 私達行っていいの?」
「来てください、トメ子さんが言ってくれたんよ」
「そうなんだ……」
母の車で火葬場へ向かった。
火葬場に入ると、薄暗く別の世界へ来たみたいだった。
最後、勲先生の顔を見た。
「勲先生。遅くなってごめんなぁ。ほんでありがとぉ」
体の中心から湧き出るように、涙が出た。
勲先生と最後に話したのはいつだっただろう。
久々に勲先生の家に行って、筆を握った時だった気がする。
その帰りに言われた。
「久々なのに腕が鈍っとらんやったな」
「まぁなぁ。また来るけぇ」
「……小説は書いとるんか? 書きたいなら書けよ」
「うん」
それだけだった気がする。
体が震えた。必死に声を押し殺した。
勲先生の肉体はもうなくなる。
火葬場の控え室に移動し、美咲が私の元に来た。
「真美! 今日は本当にありがとう。おばあちゃんがお礼言いたいんだって」
「そんないいのに……」
「おばあちゃんのところ行こう」
「うん」
トメ子さんは私に気づくと、微笑みながら手を差し出した。
「今日はありがとうなぁ」
トメ子さんが私の手を握った。皺の入った手で優しく包んでくれる。私の手が温まる。
「いえ……」
「真美さんがあんな物語の書けるなんてびっくりしたわ! すごいなぁ」
「いやぁ全然すごくないですよ……」
「いやいやすごい! あの小説で勲さんは生きとったんやから! 亡くなってもうたけどな、勲さんはあの小説の中で生き続けるんや」
目尻を下げて笑いながら、トメ子さんは泣いていた。
この景色が見たかったんだ私は。
私は人の心に残る小説を書きたいんだ。
じわりじわりと目が熱くなる。私もトメ子さんを見て少しだけ笑った。
トメ子さんと美咲にまた会う約束をして、母が運転する車で駅へ向かった。
窓の外を見ると霞んでいない。山の新緑がよく見える。
「あんた今日も泊まっていったら良かったんに」
「仕事があるから」
「また帰ってこんきやろ? 次会えるんいつかいね?」
母が口を尖らせている。
「いや……近々帰るよ」
「ほぉー珍しい」
「私ね、小説書いとるんよ」
「小説!? あんたそんなん書けるん? もしかして……告別式の時の……」
「そう。あれ私が書いたん」
「ほぉーあんたすごいやないかね」
「もう少しで書き終わるからさ、見せてやってもええよ」
「なんやその上から目線は! こっちが見てやってもええよや!」
私は、ふっ、と鼻で笑った。
「じゃあ、ありがとう」と言って車を降りた。
母が窓を開け、「小説、楽しみしとるけぇ」と言った。
私は少しだけ目を逸らし、頷いた。
口角が勝手に上がる。
駅のホームへ足を進める。
胸を張って、大きく息を吸いながら空を見た。
青い空に綿飴みたいな雲が心地よさそうに浮かんでいる。
ホーホケキョ。
また鳴いている。
「ええ日じゃ」




