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終末小説  作者: 七瀬乃


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第1話

(いさお)先生が今日亡くなったんやって。あんた明後日帰ってこれる?」

 

 母の電話の声がずっと耳の奥にこびりついていた。


 職場からの帰り道、喧騒の中を歩いているはずなのに、耳を塞がれたみたいに音がこもっている。

 いつもと変わらない足取りでスーパーに寄り、惣菜を選ぶがどれも美味しそうに見えない。結局、カップラーメンを手に取った。


 家に帰りつき、買い物袋をテーブルに置いた。お湯を沸かし、カップラーメンを開けようとしたがやめて、インスタントコーヒーを取り出した。

 インスタントコーヒーにお湯を注ぐ。コーヒーの香りを吸い、吐息がもれる。

 カップの中で揺れるコーヒーの表面。立ち上る湯気から目を逸らし、パソコンに向かった。


 コーヒーに口をつけた。

「あっつ!」

 コーヒーカップを床に投げつけようとしてやめた。コーヒーが床にこぼれている。深くため息をつき、しばらく床を眺めた。

 カップを置き、ティッシュで床を拭く。ティッシュを丸めて、離れているゴミ箱に向かって投げた。ゴミ箱の端に当たって、外に転がった。

 転がったティッシュから目を逸らし、指を鳴らしてキーボードに手を添える。部屋に打鍵音が響き渡っていく。画面上に文字が刻まれ、物語の登場人物たちが動き出した。

 もうすぐクライマックス。もうすぐ十万字。

 

 キーを打つ手を止めた。


 勲先生にいつか小説を読んでもらうはずだったのに。


 ズボンのポケットに入れていたスマホが振動した。


 手を止め、スマホの画面を見るとLINEが届いていた。美咲みさきからだ。何年ぶりだろう。


 LINEを遡る。


『2020年3月28日

 遅くなっちゃったけど、お互い高校卒業おめでと! それと、書道教室今日で卒業だったんだね。おじいちゃんも寂しいと思うから時々会ってあげてね! もちろん私とも遊んでね!』


『おめでと! もちろん! 勲先生に会いに行くし、美咲とも遊ぶに決まってる!』


 そこから連絡が途絶えていた。

 

 書道教室に行って美咲と一緒に落書きをし、勲先生から怒られたのを思い出した。

「こら、今は字を書く時間やぞ! 集中せんか!」と。



真美まみ、久しぶり。突然ごめんね。もう聞いたかもしれないんだけど、おじいちゃんが今日亡くなりました。ちょっと頼みたいことがあって、なるべく早く返信もらえるかな?』


 おじいちゃんが亡くなって、の文字を何度も読み返した。

 スマホを操作する手が何度も止まる。

 

『久しぶり。お母さんから聞いたよ。いまだに信じられない。突然のことすぎて、正直なんて言ったらいいか……言葉が見つからない。ごめんね。頼みたいことって何?』


 スマホの画面を机に伏せた。窓を開けると、暗闇の中から少し冷やされた空気が私の肌を撫でていく。空気を吸い込むと排気ガスの臭いが鼻に充満した。故郷の澄んだ空気が吸いたくなった。


 スマホが振動した。


『真美に小説を書いてほしいの。おじいちゃんが最後の日、どう過ごしていたのか書いてほしい。告別式でお父さんに読んでもらおうと思ってる』


 一瞬息が止まった。

 どうして私が小説を書いていることを知っているの?

 勲先生にしか言っていないのに。


 美咲に電話をかける。三回呼び出し音が鳴った。

「もしもし真美? ごめんね。いきなりびっくりしたよね?」


「うん。びっくりした。勲先生が亡くなったことも、小説書いてるの知られてたことも……」


「まだ私もおじいちゃんに会えてないんだ。信じられないよね。実はね……小説書いてること、中学生の時から知ってた」


「え? どうやって知ったの?」


「たまたまおじいちゃんと真美が話してるの聞いただけだよ」


 あの時のことだろうか。


 書道教室の合間に本を読んでいた私に勲先生は、「また本読んどるのか。ええことやぞ〜」とよく言ってくれた。

「本は面白いか?」

 そう勲先生に聞かれた時に、私は咄嗟に答えてしまった。

「私、小説書きたいんよ」

 これは自分だけの秘密にしたかったのに言ってしまった、と頭を抱えた。

「なしてそんな頭抱えとる! 胸張ってええやないか!」

「だって、恥ずかしいやないの。誰にも言わんとって」

「分かった分かった。書けたら読ませてなぁ」

「読ませられるような小説が書けたらなぁ」

 勲先生との秘密の約束だった。



 この会話を美咲は聞いていたらしい。



「ごめん美咲。亡くなった人のことは書けない。その前に私プロの作家じゃないし無理だよ……」


「あのね……今年のお正月、おじいちゃんに会いに行った時聞いたの。今でも真美が小説書いてるのか。そしたら、『さぁなぁ。私は知らん。でも、もし書きよるなら読んでみたいなぁ』って言ってたの。だから、天国のおじいちゃんのために書いてくれないかな? それに、おじいちゃんが最後の日をどう過ごしたのか知りたい」


「いや、でも……書いたとしてもさすがに告別式では……」


「大丈夫。それは心配しないで。おじいちゃんのことをよく知ってる真美にしか書けない物語を読みたい」

 

 美咲の声が響いて、全身が硬直する。


 カレンダーを見た。告別式まであと三日。私には無理だ。こんな短期間で。

 

 三月十六日が目に入る。赤い丸をつけている。丸の中には新人賞結果発表と書かれている。どうせ今回も落ちているんだ。

 私は黒の油性ペンの蓋を開け、三月十六日を塗りつぶす。何度も何度も塗りつぶす。


「ごめん。書けない」


「短い物語でいいの。まだ時間はあるから通夜までに考えてもらえるかな?」


 時間なんてない。

 

「無理。書けない」

 

「うん……分かった。もし気が変わったら教えて」

 最後美咲の声が小さくなった。


 スマホをギュッと握りしめ、天井を見上げた。



 幼い頃に美咲が勲先生に肩車されていることを思い出した。

 あの時、私はただそれを見つめていた。



 窓を閉め、暗闇からの放たれる空気を遮断した。

 私はまたパソコンへ向かう。文字を打ち込む、消すを繰り返す。


 点滅するカーソルを見つめた。


 小説を書く意味って?

 

 頭を抱えて、髪をぎゅっと掴んだ。


 勲先生の最後、と打ってパソコンを閉じた。

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