監査記録:007 聖女は皿を拭く
湯船の中で感情を洗い流せるほど、俺は器用じゃない。
それが数年程溜め込んだものであれば尚更だ、目を瞑り湯の中で身体を解している筈なのに、瞼の裏はプラネタリウムのように色々な物が光っている。
プラネタリウムと違うのは、その全てが綺麗なものではないということ、薄汚い物も幾つもあった。
そして俺はそんなことを考えている内に眠ってしまったようで、起きた頃にはすっかり湯は冷めてしまっていた。
顔を拭いて、髪を雑に整えて、浴室の鏡から逃げるみたいに外へ出た。
冷えた廊下の空気が嫌という程、全身に刺さる。
刺さるけど、ありがたい。熱で誤魔化してたものが、ようやく輪郭を取り戻していく。
もうどれくらい経ったのだろうか、彼女達は眠ってしまったか? 色々と考えながらリビングに向かうと灯りは点いていた。
小さな音がいくつも響く。
皿を置く音、布を畳む音、遠慮と丁寧が、家の中をうろついている音。
「……ユウト様?」
レナが、手に持っていた洗濯物(俺の私物)を握ったまま俺の顔を見ていた。その目は何処か眠そうで、起きていようという意思だけは見て取れた。
「起きてましたか」
「はい……あっ、えっと、洗濯物すみません! 勝手に色々しちゃって」
見渡すと部屋は少し片付いていた、元々あまり物の無い部屋だが家主故に分かる。
恐らく、俺を待つ間に手持ち無沙汰だったレナが気を回したのだろう。幼いのに、本当によく気の回る子だ。
「いえ、助かりました……なにぶん仕事が多忙なもので、ついつい雑に過ごしてしまいます」
「お風呂、長かったので何かお役に立てればと……勝手にすみません」
「いいんですよ、あそこでふてぶてしく俺の本を読み耽っているダメ聖女よりマシです」
目を向けた先にはベッドで横になりながらコチラに顔を向ける聖女様。
「あら、レナが浴室を見に行こうとするのを止めてあげた私に、その言い草? 少しでも頼れるお兄さん面させてあげようっていう聖女らしい気を使ったのに」
ニヤニヤと視線からも口調からも俺を揶揄う姿勢がみて取れた、先程のアレは恐らく俺の見た幻覚らしい。
レナはそのやり取りを微笑ましげに眺め、いたずらっ子のような笑みを浮かべて呟く。
「ユウト様、溺れてません」
「確認の方向性が怖いですね」
「あっ……でも、溺れてたらどうすれば」
「叫んでください。王城でもここでも、叫ぶのが一番速いです」
「分かりました!」
素直に覚えるな。
いや、素直なのはいい。生きるためには、素直さは武器だ。
その背後、ソファの上でだらけた声がする。
「文官。顔が変」
呼び名が名前から文官へと戻っていた、いよいよ本格的にさっきのミレイアは俺のみた幻覚説が出てきたな。
「正常です」
「正常はもっと可愛くない」
「俺に可愛さを求めないでください」
ミレイアはクッションを抱えたまま、ふっと口元を緩めた、殊更優しい笑みで。
あの目をされると、少し弱い。なんだか居心地が悪くなる、異世界に来てから優しい視線が苦手になった。
なので俺は話題を蹴り飛ばす。
「そういえば夕食、届いてます?」
「届いたわよ、少し前に」
ミレイアが言う。
「レナが待ってた。あなた、出てこないから。私は暖かいうちに食べようって言ったんだけど」
「ダメです! ユウト様が買ってくださったんですから!」
レナに叱られたミレイアがべーっと舌を出した、これじゃどっちが子供か分からないな。
「……すみません。長風呂でした」
「ふーん、長風呂ねぇ……便利な言葉ねぇ」
含みのあるミレイアの言い方。どうせ俺が泣いた事をからかっているのだろう。
「便利な言葉で生きてますから」
適当な言葉を返した。
テーブルの上には、温かい匂いのする皿が並んでいる、長風呂で使った体力がエネルギーを求めているのか、俺の腹が鳴った。
金で買える幸せって、ちゃんと存在する。悲しいくらい分かりやすい。
俺の腹の音にレナとミレイアが吹き出して、それから三人で夕食を並べる。
レナが小さく手を合わせた。
「いただきます……」
「いただきます」
「どうぞ」
俺も椅子に座る。
ミレイアは既にフォークを持っている。
「文官」
「はい」
「ここ、神殿より美味しい」
「神殿の飯ってどうなんです? ぶっちゃけ、いいものばっかり食ってると思ってるんですが」
「一部だけよ、聖女やら神官達は質素な食事よ。欲がどーたらとか、清貧がどーたらとか言ってたわね」
寺の坊主……所謂修行僧が食べる精進料理のようなものかと納得した。
だが、ミレイアの舌には合わないらしい、油でギットギトの肉を、大変嬉しそうに頬張っている所を見るに。
「沢山食べてください。請求書は局長に回しておきます」
「請求書は私に回しなさい」
「驚いた、払う気なんですか?」
「払う気じゃない。払わせる気、文官に」
「おっかないですね、聖女様ってば」
レナがきょとんとした顔をする。
「せ、聖女様って……お金、払うんですか?」
「払うわよ。払わせるけど」
「どっち……」
「世界ってそういうもの」
「世界……」
適当なことを言い続けるミレイア相手に、レナが真面目に頷いて、スープを一口飲んだ。
そして、目が丸くなる。
「おいしいです!」
「それはよかった」
「おいしい……」
「二回言うと税が来ますよ」
「税!?」
「冗談です」
「よかった……!」
冗談と現実の区別がつきにくい場所で生きてると、こうなる。
レナは悪くない、王城が悪い。
ミレイアが俺の皿を見た。
「文官、食べなさい」
「食べてます」
「その割には進んでないじゃない」
「人と食べるのに余り慣れていなくて、ペース配分が分かりません」
本当は慣れていたけど、コチラに来てから失ったものだ。昔は人目を隠れて急いで食べていた、その癖が今も抜けない。
「気にせず食べるの、アンタがここの主人なんだから。気を使ったらレナが更に気を使うわ」
「正論で殴らないでください」
「私は紙じゃなくて言葉で殴るのよ」
「レナが……って言いましたが、ミレイア様は気を使う気ないんですね」
「なーい」
そんなやり取りの隙間に、レナがそっと俺の皿に、 肉を一切れ置いた。
少し手が震えてる、バレないようにしているのだろう。
「レナ?」
「あっ……」
俺が会話を切り上げレナに視線を向けると、少し肩を震わせたあとに「えへへ」と可愛らしく笑う。
「ユウト様にあげます」
「え?」
「その……えっと……今日、頑張ったので……」
「俺が?」
「はい……!」
「……ありがとうございます。レナもよく頑張りました」
礼を言って食べる。
味が変わった気がした。
料理には変化は無い、だが気のせいでも、変わるものは変わる。
ミレイアが、わざとらしく溜息をついた。
「へぇ……」
「何ですか」
「私も褒めて」
「褒める要素が……」
「あるでしょ? あなた、さっき――」
「その話題は禁止です。この場では無くとも、未来永劫禁止です」
俺が即答すると、ミレイアは肩を竦めた。
「はいはい。文官は繊細」
「繊細じゃなくて、面倒なんです」
「面倒で繊細」
「もういいです」
レナが、ミレイアを見上げて言う。
「聖女様も……頑張りました」
「そう?」
「はい。怖いのに、怖くない顔してました」
「……ふふ」
ミレイアが笑った。
「レナ、よく見てる」
「確認、しました」
「その確認は偉い」
俺は箸を置いて、深呼吸を一つ。
食卓って、こんなに楽しくていいんだな。
いつぶりか思い出した。確か向こうの世界でも、友達とか親と囲む食卓ってこんな感じだった。
随分、懐かしい気持ちになってしまった。はしゃぐミレイアとレナを見ながら、自分のペースで食事を口に運んでいく。
確かに、この世界に来てから食べた食事の中でも、上位に入る幸せな味がした。
・・・
「片付けします」
食事を終え、談笑も程々に眠たい目を擦りながらレナが立ち上がろうとする。
「しなくていいですよ」
「でも……」
「じゃあ折衷案。レナは皿を運ぶ係。ミレイア様は」
「監督」
「監督は却下です」
「じゃあ、邪魔する」
「勿論、却下です……じゃあ、食器拭く係で。後でドアの前に置いておかないといけないので」
「何それ地味」
「地味が一番安全です」
結局、三人で片付けた。
レナは運ぶ、俺は洗う、ミレイアは拭く。
拭く手つきが異様に丁寧で、俺は逆に怖くなった。
「……ミレイア様、慣れてます?」
「慣れてない」
「慣れてないのに、その速度は何ですか」
「才能」
「才能の無駄遣いです」
「無駄じゃない。それに、こういうの嫌いじゃない」
「……意外です」
「意外が好きなの、飽きないから……それに普通になれた気がする」
最後の一言が引っかかった、何か大事なことのような気がしたが、隣では今にも爆弾が投下されようとしていた。
レナが小声で言う。
「聖女様って……本当は、いい人ですか?」
「ちょっとレナ、急に爆弾投げないでください」
俺が即答すると、ミレイアが不満そうに眉を寄せた。
「文官、質問を盗むな」
「盗んでません。爆発を止めただけです」
レナは困った顔で、でも真剣に続ける。
「だって……怖いのに、優しい時があって……分からなくて……」
「分からなくていい」
ミレイアが言う。
「分かったつもりになると、死ぬ」
「まぁ、確かに……それはどこでも同じですね」
結局、不理解よりも理解した気になる事の方が足を掬う。決めつけて行動すれば、真実から足が遠のく。
俺が言うと、ミレイアは頷いた。
「でしょ? だから、分からないまま側にいなさい。そうして時間をかけて見定めるの」
「……はい」
「確認は?」
「確認、します。ちゃんと見ます!」
その解答を聞いた時、少しだけ胸が傷んだ。
レナはもう、巻き込まれてる……俺が巻き込んだ。
そこだけは、誤魔化せない。彼女のその後も考えなければならない、現状聖女付きの方が城の侍女よりも危険度が高い。
片付けが終わると、急に眠気が来た。
身体が「やっと終わったぞ」と言ってる、なーんにも終わってないのに。
寝具を広げる段になって、レナがまた遠慮を発動した。
「わたし、床で……」
「却下です。客人、ましてや子供を床に眠らせられません」
「でも!」
「却下」
「確認!」
「確認しなくていいです」
「むぅ、確認します。却下なんですね」
「そうです」
ミレイアがソファに寝転がりながら言う。
「文官、あなたも床はダメ」
「俺は大丈夫です」
「大丈夫じゃない。あなた、今日だけで二回壊れかけた」
「数えないでください」
「数えるのが会計局でしょ?」
「会計局でも数えたくない種類があります」
「じゃあ私が勝手に数える」
「やめてください」
「私はベッドで寝る」
「はぁ……分かりました、じゃあレナと一緒にベッドで寝てください。俺はソファで寝ます、毛布もありますし」
妥協の勝利。
王城の文化が、ここでも勝つのが腹立つ。
というか日本人なので、別に床に布団敷いて眠るのは苦じゃない。まぁ、布団と呼べるほどの物ではないので、ソファで眠れるならそれがいい。
灯りを落とす前、レナが小さく言った。
「ユウト様……今日は、ありがとうございます」
「何のです?」
「怖いって言っても……叱られませんでした」
「叱りません、レナはよく頑張ってくれています」
「ありがとうございます」
レナは毛布に頬を埋めて、少しだけ笑った。
「ここ、王城より息ができます」
ミレイアが、ぼそっと言う。
「息ができる場所は、守りなさい」
「……はい」
レナが頷く。
俺は答え損ねた。喉が、変なところで詰まるから。
だから、いつもの逃げ道。
「明日は……」
「明日は明日」
ミレイアが被せる。
「今日は寝る。文官、これは聖女様からの命令」
「俺は神殿の人間じゃないので、聖女様からの命令は聞かなくてもいいんですが」
「じゃあ言い換える、これは私のお願い」
「お願いですか……はい、承知しました」
レナが眠そうに言った。
「確認……します……みんな、生きてます……」
「はい」
「生きてる」
ミレイアが言う。
「生きてるなら、勝ちよ」
勝ち負けの概念を増やすな、と言いたいのに。
今は、その言葉が少しだけ救いに聞こえた。
俺は目を閉じた、どうせ数時間の睡眠だ。でも、心が安らかではある。
地獄は夜に来る。
でも今夜は地獄の前に、眠れる。




