監査記録:006 涙の行先は湯気の向こう
会計局に戻った瞬間、空気が“現実”に切り替わった。
紙の擦れる音とペン先の乾いた打音。誰かの喉の奥から出る、諦めの息。
俺は封緘された受理文書を抱えたまま、受付箱の前で一度だけ止まった。
ここで息を吐き損ねると、抱えている紙が自分の首に見えてくる。
いや、もう見えてる。
できるだけ気楽に頬を叩いてから局長室へ。ノック一回、返事一回。
「入れ」
ヴィオラ局長は机の山を睨みながら、目だけで俺を招いた。神殿への監査なんてビッグイベントは会計局でもウワサの的だが、それはそうとしてミニイベントが盛り沢山なのが会計局の日常だ、他にも仕事は盛りだくさん。
「受理、取れた?」
「はい。おかげさまで毒を混ぜられることは無かったです……向こうの顔色は最悪でしたが」
「それでいいわ。神殿って機嫌いい時ほど信用できないから」
「知ってると思うけど」なんて独り言を呟いて、局長は受理文書の封蝋を一瞥し、鍵付き箱に収めた。
紙が箱に収まる音が、妙に重い。
「今日は半休よ、帰って休みなさい。聖女様たちも流石に堪えているでしょうし」
「彼女達はともかくとして、俺は……」
正直な話をすると《余白註釈》が滅亡を示す滲みを見てから、俺はこの危機を切り抜けるまで休む暇などないと思っている。
自分を高く見積るつもりはない、これでもかと低く見積もった上での判断だ。《余白註釈》は便利だが、万能ではない。
俺が触れた紙、俺が関わる事柄においてだけ発動される一方的な予知のようなもの。つまり、俺の預かり知らぬ所で自体が動けば、手も足も舌も出せない。
「休めるかどうかじゃない。休めと言っているの、理解できないかしら」
「ですが……」
「あら、珍しく反抗? まぁ、ユウトの言いたいことも分かる、でもアナタいつから自分のことをそんなに高く見積るようになったのかしら」
叱責、柄にもなく上司に楯突いたのは疲れのせいか、それとも俺がイキッているのか。後者はないな、確実にない。
「それ自体は喜ばしいことよ、アナタが自分の価値を高く見積もれるようになったのは素晴らしい成長だわ。でも、その上で言わせてもらうと」
局長は書類から顔を上げて、獰猛な獣のような目で俺を見る。
「会計局を舐めるなガキンチョ、血の一滴が流れた所で身体に何の影響もありはしない」
血の一滴は俺、身体は国、そして脳は局長かはたまた殿下か……返しの言葉も浮かばないほどの正論に俺は両手を上げて降参した。
「ま、それはそれとして流れた血の責任は追求するのが会計局なんだけど。理由は分かる?」
「会計局は借りを作らない」
「そう、貸しを作っても借りは作らない。分かったら休む、上司命令よ」
「承知しました」
局長はペンを指で転がしてから、声を一段落とす。
「聖女とレナは、今夜は会計局に置かない。ここは耳が多すぎる」
「はい」
「“帰宅”なさい。ただし表向きは普通にしてればいい、腕利きが派遣されるから」
「殿下の私兵ですね」
「流石ね、同僚の事になると理解が速い」
「ここは耳が多いですよ局長、軽口はそれくらいに」
俺のつぶやきに局長は無邪気な笑みを浮かべた。
それにしても、あの二人を連れて帰宅か……半休って言っても実質仕事だな。
「それとユウト」
「はい」
「アナタ随分溜め込んでるそうね? グレイが金持ってる癖に色気がないって愚痴ってたけど」
「……はい」
「そう、ならいいわ。たまにはパーッと使いなさいな、今日は“使う日”よ」
呻き声が出そうな程に胸に刺さった。
確かに俺は金がある。使う暇がなくて、給金が勝手に溜まっていくだけで。
・・・
避難場所へ戻ると、ミレイアは相変わらず椅子を斜めに使っていた。レナは毛布を抱えたまま、こちらを見て小さく息を吸う。
「受理、終わったんですよね……?」
「終わりました。レナ、よく耐えました」
「確認、しました」
「百点です」
レナの顔が少しだけ緩む。
その横でミレイアが当然みたいに言う。
「文官。帰るの?」
「帰宅します」
「どこへ?」
「俺の家です」
「狭い?」
「三人で寝起きしても問題ないくらいの広さです、ミレイア様からしたら狭いでしょうが」
「なにそれ嫌味、ところでお風呂はある?」
「あります」
「よし。今日は勝った、とっとと帰るわよ」
「勝ち負けの概念をこれ以上増やさないでください」
荷物は最小限。
鍵束と、必要な書類と、気に入ったらしいレナの毛布。
ミレイアは堂々と手ぶら……手ぶらが似合うのが一番厄介だ。
一応、局長が気を使ってミレイアの服を着替えさせてくれた。聖女らしさがギラギラ光る法衣じゃ、あまりにも人の目を引きすぎるからだろう。
昼過ぎに職場を後にする俺の足腰に、残業から逃げられずに涙を流す同僚達がまとわりつくが、振りほどいて会計局を出る。じゃあな同僚諸君、そこで書類に溺れてくたばるがよい。
城下へ向かう道中、視線を感じた。
訓練された視線だった、近づかず、目立たず、“居る”だけのやつ。それでも、俺が気がついたという事は、彼らなりの意思表示だろう「任務につく」といった類の。
王太子の私兵。
陰ながらの護衛は、こういう形が一番強い。
「なーんかいるわね」
ミレイアが小さく言う。
「見張り?」
「気のせいです」
「気のせいにした方が長生きする顔ね」
「会計局仕込みです」
「ま、護衛でしょうし野暮なことは言わないであげる」
気楽なミレイアとは裏腹に、見張りやら護衛やらと聞いて緊張がぶり返したレナが袖を掴む。
「ユウト様、こわいです……」
「怖くていいです」
「えっ」
「怖いと思えることは素晴らしいことです、正常な思考が出来ている証左ですから。それを忘れた人間から、王城では消えていきます」
レナがこくんと頷く。
それだけで今日は合格だ。
・・・
のんびりと世間話をしながら帰っていると家に着いた、途中あまりにも帰って無さすぎて二度ほど道を間違えたが着いたので問題ない。
玄関の鍵を開ける音がやけに安心する。
紙じゃなく、金属の音だからだろうか? それとも、何の権力も有していない私邸だから権力の重さがないのか?
そんなことを考えながら革靴を脱ぎ、部屋に入る。
後に続くレナは小さく挨拶をして、靴を揃えてから入った。丁寧すぎて、見てるこっちが落ち着かない。
ミレイアは遠慮という概念を置いてきたみたいに、靴を脱ぎ捨てて部屋を見回して言う。
「……生活の匂い」
「住んでますから」
「住んでるのに、薄いわね文官」
「仕事が濃いんです」
「かわいそう」
「同情はぜひ書面でください」
俺は“金を使う”を実行した。
近所の料理屋に使いを走らせ、温かいものを運ばせる。
ついでに果物と甘いものも……女の子は甘いものが基本好きだ、局長のような例外もいるが。
やはり、予想通りにレナの目が丸くなって輝いた。
それとは対照的に何故かミレイアの目が細くなる、嫌な予感がする細さだ。
「文官。アナタ金持ってるのね」
「持ってます。使う暇がないだけです」
「じゃあ今日は使いなさい。暇を買いなさい」
「……至言っぽいこと言わないでください、俺の金で豪遊したいだけでしょアンタ」
料理が届くまでの間に、風呂の準備だけする。
といっても、しばらくは会計局のシャワーを使っていたので、掃除からしなければならないのが難点だが。
だが、見習いとは言えど流石侍女……手伝いを申し出たレナは驚くべき速さで風呂を綺麗にしてくれた。
「レナ、先に入ってください」
「えっ、私が……?」
「風呂掃除を手伝ってくれましたから、ご褒美です」
「ちょっと文官ー! 私はー!」
「文句があるなら働いてください、もしくはレナと入りますか?」
「おっ、それはいい案ね。レナ、一緒に入ってもいいかしら?」
「えっ、私なんかがご一緒していいんですか!?」
「いいのいいの! じゃ、お言葉に甘えて先に貰うわね」
レナとミレイアが風呂場へ消える。
それを見送ってから、俺は椅子に腰を下ろして制服を脱ぎ、ネクタイを外す。それだけで、随分と息苦しさのようなものから解放された気がした。
だが、半休と言えどやるべきことはまだある、彼女達が風呂に入っている間に彼女達の服を準備して、夜飯を事前に頼んでおく必要がある。
それから布団もいる、男の一人暮らし(ほとんど家に帰れない)なので寝具は俺の分と、予備が1つしかない。
俺は風呂場のドアの外から「少し出てきます」と声をかけ外に出た。
ドアを出た瞬間、何かが視界の端を横切る。
「護衛ご苦労さまです」
声をかけると姿は見えないのに、その言葉に声が帰ってくる。
「ユーさんってば、相変わらず気苦労が耐えんねぇ」
「全くです、そろそろ胃に穴が開きますよ。というか護衛はハルだけですか?」
「いんや、セドリックのおじさんも居るよ。今はちょっと外してるけど、何かあった? 呼ぼうか?」
「いや、呼ばなくていいです。セドリックさんに会ったら殿下に迷惑かけるなと説教されそうですしね。俺はしばらく家から離れますのでその間、ここを任せます」
「委細承知。いやぁ、それにしてもユーさんってばワーホリだよねぇ……この国に労基があったらブラックで摘発されるでしょ会計局」
「政の世界に労働基準法はありませんよ、あって欲しいところですけど」
「ははっ! ユーさんと話してる安心するわぁ、やっぱ同郷がいるって心強いよねぇ。さて、あんましお喋りしてるとセドリックのおじさんに怒られそうだし、この辺で。頑張ってね」
それっきり人の気配も声も聞こえなくなった。流石はプロだ、とてもじゃないが出来る気がしない。
ハルは王太子の私兵であり、俺と同じ転生者……そして日本の出身。俺とは違い、何やら戦闘系の能力があるらしい、その力を見たことは無いので詳細は知らない。
だが腕利きであることは間違いない、これなら神殿からの刺客が来ようが安心である。
それからいくつか馴染みの店に顔を出し、夜飯を運んで貰えるように言付け、服と寝具を確保してから疲れきった身体で家に帰る。
「おっ、帰ってきた。おかえり、文官」
「ユウト様! 言ってくだされば手伝いましたのに」
「いえ、いいんです来客を持て成すのは家主の仕事ですからね。レナも今は仕事じゃないので寛いでいいんですよ、ここは王城ではありませんから」
頭を撫でながらそう言うとレナは照れくさそうに頷いた。素直な子だ、ミレイアが可愛がるのも分かる。
「レナもミレイア様を見習うべきです、見なさい身を粉にして働く文官を使用人ぐらいにしか思っていない彼女の姿を」
「やめなさい文官、悪影響よ」
「悪影響を自覚しているなら直してくださいよ。さて、服と寝具を持ってきました、レナ後は頼んでも?」
「はい、お任せください!」
「夕食は日が暮れれば運んで貰えるように頼んであります、それまでゆっくりしててください、寝てても構いません。俺はゆっくり風呂に入ります」
「覗きに行くね〜」
湯上り聖女は人のベッドの上ですっかりだらけきっている、聖女の聖の字もない。突っ込む気力も最早無いので、俺は無言で風呂場に向かった。
服を脱ぎ、顔と身体を洗う。
異世界に転生して思ったが日本……というかあの世界の誇るべき所は風呂だ。
ここではシャンプーもリンスもボディーソープもあるにはあるが最低限……というより石鹸が主流だ。文明レベルの隔たりを感じる。
その癖、魔法やら魔道具やらが科学よりも発展しているせいで、変な所でシャワーに近しいものもあったりするし、現代科学では有り得ないような物があったりもする、全体的に謎な文明レベルだ。
久方ぶりの熱い湯船に肩まで浸かると喉の奥から呻き声のような音が漏れた。
疲れていた、賭け値なしにクタクタに疲れていた。
この約二日は俺が王城に来て以来、史上1、2を争う忙しさだと言ってもいい、頭も身体も使い潰してようやく前哨戦に勝てたくらいだ、この先が思いやれる。
ぼうっと湯船に肩まで使って暖をとっていると頭が重くなっているのが分かる……自覚した時にはもう遅い、指先も動かない、眠っていないツケが回ってきたな。
このまま寝ては、運が悪ければ溺れ死ぬと分かっていても、動き出した睡眠欲求は止める方法がない。
しばらく無様に抗ってから俺の視界は暗転した。
・・・
「起きろ! 仕事だぞ、文官!」
声に突き動かされ、俺は飛び起きた。
「……ッ! はい! すぐ書類準備します!」
情けない声を上げて立ち上がると、風呂場にはミレイアが意地の悪い笑みを浮かべて立っていた。状況が読み込めなかったがどうやら計られたらしい。
「ちょっといつまで聖女の前で粗末なもの丸出しにしてるつもり?」
「勝手に入ってきた癖に人のナニを粗末呼ばわりとはお里が知れますよ聖女様」
苛立ちを隠さずに悪態を着いて、俺は湯船に浸かり直した。聖女様と言えばニヤニヤとしたまま風呂場から出ていく気配がない。
「私はてっきり「きゃあ!」とか言って隠すものかと思ったけど、恥じらいとかないの?」
「こっちが聞きたいですよ、つーかなんでいるんですか」
「言ったでしょ? 覗きに行くって」
「ほんとに来るやつが居るか!?」
「おっ、やっと口調が崩れたわね? それが文官の素と見た」
チッと本気の舌打ちを繰り出してからミレイアを睨む、マジでいつまで居る気だこのトンチキ聖女
「身体、傷だらけね? なーに、お姫様でも庇った? 名誉の負傷ってやつかしら」
「お見苦しい物をお見せしましたね」
嫌味のように呟いて、自身の身体に目を落とす。
本当に見苦しい、あちこち傷跡だらけの醜い身体がそこにある。背中の傷が自分で見えないのが幸いだ。
「なーに、文官の前は騎士でもしてたの?」
純粋な疑問を投げてくるミレイアは、どうやら動く気がないらしい、暇なのか俺とお喋りをする気のようだ。
「いいえ、戦いとは殆ど無縁でしたよ」
気が抜けていた……珍しく、自身の事を聞かれているのに素直に答えてしまった。
思い返せば昨晩もこんな感じだった、どうやら彼女の前では俺の口は軽くなるらしい。
ま、相手は聖女だしな、どうしたって懺悔の口は軽くなるように出来ているのだろう。
「奴隷だったんですよ」
俺の言葉に初めて、聖女が息を飲む音が聞こえた。
「俺が転生者だって気づいてます?」
「まぁ、何となくは」
「じゃあ転生者がこの世界に来てどうなるか分かります?」
俺の問いかけに聖女は口を噤んだ。
知らないのだ、彼女は……いや、この世界の殆どの人間が、転生者が転生して直面する現実を知らない。
転生者というのは、実はこの世界でそんなに珍しいものではない。俺や、さっきのハルもそうだが王城で働いている者も何人か居る。
その殆どが騎士団に所属し、華々しい戦果を挙げているお陰で皆、転生者=特別な存在だと思っている。
だが、実際は違う。
転生者が直面する現実とは最悪意外の何者でも無い。
たまたま生き残った転生者達が武功を挙げているだけの話だ。
「まず、転生者のスタート……始まりですね、これは二択です。生きるか、死ぬか」
言葉も分からず、金もなく、身よりもない転生者の半分はここで詰む。死因の八割は他殺だ、野盗に殺されたり、転生した場所が悪かったりで……残りの二割はおそらく自殺。
「運良く生き残っても、そこから更に二択が待ち受けます。何か分かります?」
「……分からない」
「巡り合わせが良ければ、生きていけます。現に、転生者だと分かれば積極的に恩を売ろうとする人が多いですからね。じゃあ巡り合わせが悪ければ?」
意地の悪い質問をした。
聖女は重苦しい声を出しながら答えを口にする。
「奴隷、でしょ」
「はい、正解です」
正確にはここから更に二択がある、奴隷になろうが何だろうが、与えられた能力が戦闘系なら上手く事が運ぶ確率が上がる。まず、戦闘系の能力の場合、刃向かっても殺される事は無い、冒険者ギルドや騎士団に売られるからだ。
だが、問題は俺のように戦闘系の能力を与えられなかった転生者だ。
「俺の能力は戦闘向きじゃありません。まず、徹底的に尊厳を破壊され、反抗心を折られます。そこからは奴隷労働ですよ、文字通りのね。それに比べれば会計局なんて天国です、飯も風呂も自由もある」
飯を与えられないこともあった、理不尽に半殺しにされたこともあった、遊び半分で野犬と闘わされたことも、水が飲みたくて雨水を啜ったこともあった。
その他諸々、口に出したくもない色々な地獄を生き延びて今がある。
それに比べれば会計局は地獄でも天国だ。
死ぬとしても猶予がある、悪戯に殺されることがない。
「どうやって生き残ったの?」
「言ったでしょ、拾われたんですよ殿下に。まぁ、それまでは運が良かったとしか言えませんね、大病にかかることもなければ、四肢を欠損することなかった」
だから生き抜けた。
大病を患えば治療費が掛るから殺される、四肢が欠損すれば口減らしに殺される。
命の価値がパン一つよりも軽い場所だ。
「殿下に拾われるまでは必死でした。文字を覚え、言葉を覚え、他の奴隷を蹴落してでも有用さを示して生き抜いた。死にたくなかったから生き抜いた」
人間、死ぬ気になれば何でも出来る……なんて言うやつがいたがアレは事実だ。
厳密には死ぬ気になればではなく、死が迫ればだが。
「……」
ミレイアは黙って聞いていた、俺の口は何故だか止まらなかった。
熱い風呂に入ったせいか……それとも、疲れのせいか。
はたまた聖女がいるせいか、珍しく自身の事を喋ってしまっている。
「ま、そんなこんなで殿下に拾われて今は哀れな文官ですよ。奴隷時代に比べりゃマシですけど、奴隷労働には変わりないですね」
雰囲気が重くなったので、俺の渾身の奴隷ジョークを笑いながら口にしたが聖女様には効果がない。
おかしいな、前に酔った時にグレイ先輩に言った時はあの人、息できなくなるぐらい笑ってたのに。
「なんですか、憐れんでます? やめてくださいよ。というか、憐れむんだったら健気な俺に免じて祈願契約やら何やら、よしなに頼みますよ」
ミレイアはふーっと息を吐いて立ち上がり、俺の目を見た。湯船に浸かったままの俺は、その真っ直ぐな視線に何故だか後ろめたくなって視線を逸らした。
「それは出来ない、私も必死だから」
ミレイアは真っ直ぐ、真摯にそう言った。
その視線には見たことない色が混じっている、敬意とかそういう物。少なくとも値踏みする目じゃない。
「でも、アナタの傷を茶化したのは心から謝罪する。知らなかったとはいえ、私が茶化していいものじゃなかった。ごめんなさい」
そう言って、深々と頭を下げる。
俺は慌てて彼女に顔を上げるように促した、本当に調子が狂う。
「ちょ、やめてくださいよミレイア様」
「文官……アナタ、よく生き抜いたわ」
顔を上げたミレイアは見たこともない静かな顔をしていた、哀れみか思いやりか……瞳の中に写る色を俺は上手く判別できない。
ただ、その目線に今までの色が無いのだけが事実。値踏みするような目でも、値札を見るような目でもない、ただ優しさに溢れる慈愛の色。
俺のつまらない話で、なんでそんな顔をするんだ。
「な……んで」
「少しだけ理解できた、アナタの事。その、壁を作るような話し方も、怯えたような目線も……同類だったのね、私達」
ミレイアは本当に聖女みたいな顔で俺を見つめている。
同類……その意味が掴めない俺を置いて、彼女は言葉を紡ぐ。
「アナタが生きていたから、私は今なんとか勝負の土台に立っている。アナタの生には意味があるわ、ユウト。少なくとも、私はアナタと出会えてよかった」
ミレイアが俺の名を呼んだ、初対面の時に一度だけ読んでそれから文官としか呼ばれなかったのに。
だが驚きはそれよりも、別のところで……彼女の言葉に俺は動けなくなってしまう。
だから、必死に……取り繕うように悪態をついた。
「……出てってください、いつまでも女性に裸体を見せびらかす趣味はありません」
「そう、邪魔したわねユウト。ゆっくり、疲れを癒すといいわ」
顔を背けて彼女を追い出した。
それから湯船の水を掬って顔を洗った、石造りの天井を見上げながら、とっくに水気が引いた顔から雫が湯船に落ちていく。
まさか、こんな所で……まだ知り合って間もない女に。
己が心の内を見透かされ、あんな言葉を掛けてもらうとは。
地獄の中で生きてきた、死にたくなかったから生きていた、ただそれだけだった。
生きていることに、希望も意味も見いだせなかった。
地獄を脱してからも、その事がずっとへばりついていた。あの地獄の中で見捨てた人達、蹴落とした人達、あの人達と自身の違いが分からない。
生きている意味が、分からなかった。
だから働いた、身を粉にして働いた。拾われた恩義に報いるために、国の為だと言い聞かせて。
そうじゃないと、何となく生きてちゃダメな気がしたから。
「あ……ぅ……くそ……」
ボロボロと水面を叩く雫が止まらなかった。
目元から落ちる灼熱の塊に感情を揺さぶられて、俺はこの世界に転生して、しばらくぶりに涙を流した。




