監査記録:005 儀礼は受理の顔して刃を出す
朝が来た。
王城の朝は優しくない、昨日の疲労を丁寧に回収して、頼んでもないのに追加料金まで請求してくる。
椅子から立ち上がって首を回す、骨が小さく体内で眠れと抗議するがシカトする。俺の身体の癖に俺の意に沿わないとは何事だ、抗議は受け付けていない。
戯言を心中で弄びつつ、廊下の向こう……会計局の正面入口に目をやる。
視線に気がついたのかグレイ先輩の気配が一度だけ揺れた。夜番から朝番へ、入口の空気を入れ替える合図だ。
ぼんやりとした頭で避難場所の扉を開けると、レナが毛布を抱えたまま小さく頭を下げた。俺も片手を上げて挨拶を返す。小さい子には酷な環境だったろう、儀さえ終えれば今日の夜にはベッドで寝てもらえるはずだ。
チラリとミレイアに目をやると、彼女と目が合った。
起きている、寝てない目だがあれは寝不足の目じゃない。“寝なくても困らない側”の目。
「おはようございます、ユウト様……」
「おはようございます、レナ。生存確認です、生きてますか?」
「はい、生きてます……多分」
「王城の“多分”は信用できません」
「生きてます! バッチリ生きてます」
グレイ先輩の口癖を真似てレナを弄ると、少しだけ緊張が緩和したのか笑顔で返事が帰ってきた。
ミレイアが欠伸もせずに言う。
「さて、文官。神殿に行くの?」
「行きます」
「儀礼に?」
「儀礼に」
「お風呂入りたいんだけど」
「儀礼が終われば入っていただいてかまいません、今は何よりも先に厄介事を終わらせましょう」
俺の言葉に一応は納得したのか、頬を膨らませながらも頷いた。
机の上には封緘された招請状。
『監査受理の儀、明朝』
あの紙は“受理”って顔をして、こっちの首を締めに来ている。二、三日の猶予は、昨夜の封蝋と一緒に固まって消えた。
レナは置いていきたい所だが……こうなった以上関係者だ、連れていった方がいいだろう。俺はレナを見みながら、最低限の忠告を始める。
「いいかいレナ。今日、向こうが何か言ってきても、すぐ返事しない」
「……はい」
「“はい”も返事です」
「っ……えっと……じゃあ、確認します!」
「よし、百点」
ミレイアが口元だけで笑う。
「素直な子ね。壊れないといいけど」
「縁起でもないこと言わないでください」
「縁起は作るものよ」
「作りたくない縁起はあります」
扉の外で、薄いノック。
薄いのに重い、権力のノックだ。
「ユウト。来い」
「顔だけ洗ってすぐ行きます」
ヴィオラ局長の声。
俺は足早に避難場所を後にして局内にある、最低限の身嗜みを整えるための水場に向かい、冷たい水で顔を洗った。
サッパリとした頭と顔で局長室に入ると、机の上に書類束が三つ積まれていた。
ここで目にする紙の塊はだいたい凶器だ。
そしてその横に王太子殿下もおまけで着いてきている、なんでいるんだ。
殿下の顔は相変わらず疲れているのに崩れていない。“国の顔”だ。
「ユウト」
「はい、殿下」
「受理の儀は神殿の庭だ。主導権を渡すな」
どうやら局長も殿下も、受理の儀に関しては既にご存知らしい。流石、耳の速い二人だ。
「渡しません」
「……断言するな。胸がざわつく」
局長が鼻で笑う。
「ざわつくのは、レオンが真面目だからよ」
呼び捨て。
殿下の眉がぴくりと動く。周囲の空気が一瞬固まった。
「ヴィオラ」
「本来は来ないで欲しい所なのよ? 王太子殿下が監査前に顔を出したら勘繰られる。余計な勢力争いはレオンも避けたいところでしょう?」
「……分かっている」
「分かってるなら黙って信じなさい、アナタが拾ってきた子達でしょう」
殿下が苦く笑う。
その笑いが消える前に、局長が俺に書類束を押し付けた。
「持っていきなさい。身分証明、監査権限の根拠、記録権限、拒否書式。あと——」
局長が薄い紙を一枚、上に乗せる。
「相手が“教義を盾に拒否を匂わせた時”に叩きつける紙。拒否受領書式。拒否した瞬間から監査対象を広げる」
「性格が悪い……」
「褒め言葉ね」
殿下が最後に言った。
「滅多なことはないと思うが……無事に戻れ」
それだけ。
短い言葉が命令になる、俺は頷くしかない。
会計局を出る前に入口を見た。
グレイ先輩がだらけた様子で壁にもたれている、胸ポケットにはペンが一本……書類も何も持っていない。
彼の基本装備だ、両手が塞がる物は持たない……特に血の匂いがする場所に向かう時は。
いつもそうだ、派手じゃない。だからこそ怖い。
「さて大将、出陣かい?」
「はい、いざ神殿へ。何かあれば、お願いしますよ」
「やだねぇ、あそこ。俺ァ苦手だ、空気が高い」
「空気に税をかけたいですね」
「お前それ、局長に感染してるぞ」
先輩がペンを指で軽く弾く、乾いた音が人気のない明朝の廊下に響いた。
頼りたくないのに頼りになる、最悪だ。
ミレイア達に声をかけ、最低限の服装を整えさせてから会計局を出た。ゆっくりと静かに、それでも気は抜かずに。
神殿の正門は、相変わらず“綺麗”さだ。
綺麗なものほど人を黙らせ、黙らせたまま、好きに縛る。
それが神殿……というより聖王国のやり口、友好を謳い他国に取り入り、いつの間にか掌握する。
我が国はまだいい方だ、勢力的には王国と神殿のパワーバランスが守られている。
だが、神殿の信仰やら教義に乗っ取られた国があるのもまた事実……宗教って恐ろしい。
神殿の入口付近につくと、既に人の列が出来ていた。
先頭に立つのは昨日の女神官。仰々しくも出迎えのようだ。相も変わらず微笑は柔らかい、だが目が笑っていない。
「会計局よりお越しの監査官の皆様、ようこそ」
「受理手続きに参りました」
俺は言った。
“儀に付き合いに来た”は喉で飲み込んだ。今日は喉が頼もしい。
女神官は頷き、白い布を持った神官を数人呼ぶ。
「まず清めの間へ。規程です」
「筆記は?」
「清めの間では筆記は禁止となっております」
「ではその間の記録は?」
「神殿の立会人が」
「却下です」
俺の声が先に出た。
女神官の微笑が、ほんの一瞬だけ固まる。
「監査の記録は監査官が持つ。改竄防止のため、二系統が原則です」
「神殿は聖地です」
「ここは王国領です」
レナが息を呑むのが分かる、張り詰めた空気に肩を震わせていた。やはり、連れてきたのは失敗だったかもしれない。
俺の視線に気がついたレナはそれでも、俺達にだけ聞こえるように小さく言う。
「確認します」
恐らく、大丈夫の合図。
よし、生きてる、偉いぞ。
女神官が視線をミレイアに移す。
「聖女様は別室で」
「却下」
今度はミレイアだ。
「聖女絡みの監査でしょう? 当事者を別室に置いて、何を受理するの?」
おいバカ、堂々と聖女絡みとか言うな!
「清めのためです」
「私は清められる側じゃない。私は“契約の当事者”よ」
芯のある声と目で放たれる正論は、時々神殿に効く。
効くからこそ怖い、後で倍の儀礼になって返ってくる。
周囲の教徒達のざわめきが大きくなる、いくらイカれた神殿とはいえ、いきなりの荒事は無いはずだが。
俺が念の為にアイコンタクトをする前に、グレイ先輩が一歩、俺の斜め前に出た。
彼のペンを持つ手が自然に下がる。
構えじゃない“いつでも能力を使える”手だ。
女神官の目が一瞬だけそこに落ちて、すぐ逸れた。
「ふぅ……分かりました」
女神官が言う。
「では受理の儀へ。記録は神殿立会人と監査官で併記。ただし……」
来た。
ただし、の一言がここでは刃物よりよく切れる。
俺は局長の紙束から一枚抜き、先に見せた。
「“ただし”の前に。監査権限条項、ここです」
「……」
「条件を付けるなら条文で。神意は後で聞きます」
分が悪いと諦めたのか、彼女はそっと手で神殿の内部へ入るように促した。俺達はそれに従い神殿の内部へと足を進める。
儀礼の広間は、香と祝詞と沈黙でできていた。
祝詞は長い、意味は半分しか頭に入らない。
入らないのに時間だけ削れる。これが“儀礼に殺される”ってやつだ。
ミレイアなんて心底つまらなさそうに欠伸をしている、聖女なのに。というか本当に聖女か? ここまで来て偽物とかないよな?
考えているうちに受理文書が運ばれてきた。
局では中々目にしない、豪奢な紙に豪奢な封。つまるところ豪奢な罠。
こういう紙切れ一枚だろうが、神殿は手を抜かない。相手を萎縮させ、思考能力を奪う為のものだ。
俺は頭を回し、目を走らせる。
監査範囲、順序、記録の扱い、立会人……そして。
『儀の後、聖女は聖地にて浄化を受けるものとする』
やはり来た。
聖地隔離、正面からの追い出し。
監査受理の皮を被った拉致だ……ミレイアを取られ、手出が難しくなれば、その分国が滅ぶ確率が上がる。
机の下でポケットに手を突っ込み、願いを込めて握りしめる。《余白註釈》は自動で発動する為に、俺の意思ではタイミングが読めないが、恐らく何かしらのアドバイスが来るはずだ。
ポケットの中で、予想通り紙が熱を持った。
《余白註釈》嫌な予感の専門家、使い勝手の悪い俺の相棒。
封緘の隙間、誰も見ない紙端に、文字が滲む。
〖追記〗
その一文は“鎖”。
ここで削らなければ、首が締まる。
その文字に目を通し、俺はペン先を止めて神官に目を向ける。
極めてにこやかな声音を心掛けつつ、口を開いた。
「この一文、削除してください」
女神官が穏やかに言う。
「聖女の安全確保は神殿の責務です」
「安全確保なら、王家保護下で足ります」
「ここは聖地、私共にも聖地規則というものがございます」
「今回は監査受理の儀ですよね? 移送は完全な別件だ、条文に混ぜるのは不適切では?」
沈黙が一拍。
次の瞬間、女神官の微笑が刃になる。
「では、受理を見送ります。監査は拒否、ということで」
見え透いた脅し、これが儀礼の剣。
ここで折れたら国が詰む。
折れたくない。折れないが、背骨だけで耐えると折れるのは心だ。
だから、紙で殴る。
局長の“拒否受領書式”を、机に置いた。
「監査拒否の意思表示、受領します」
「……」
「拒否した場合、監査対象は“拒否理由”にも拡張されます」
俺は淡々と読む。
「拒否理由が“聖女移送のため”なら、その一点も監査対象です。神殿規程の運用、聖女の拘束、関係者の資金流動……全部」
女神官の笑顔が止まる。
止まれ。止まったまま割れてくれ。
「痛くもない腹の中を探られるのは、そちらも避けたいところでは? 何か、やましいことがあるのなら別ですが」
広間の空気に小さな亀裂が走る。
儀礼の空気は、亀裂に弱い。
ミレイアが追い打ちをかける。
「私は行かない」
静かな声。
「私を動かしたいなら、条文で動かしなさい。神意じゃ足りないわ」
女神官の目が細くなる。
それでも彼女は微笑んで言った。
「……削除しましょう。受理を進めます」
一勝。
俺は署名した、神殿側も署名した。
監査受理の儀は無事クリア。
これで監査開始の足掛かりが出来た、紙がようやく武器になる。
だが俺は知っている。武器になった瞬間が、一番危ないのだ、なぜなら相手が本気で奪いに来るから。
余白が、最後にもう一行だけ滲んだ。
〖警告〗
儀礼に勝っても、沈黙が動く。
次に来るのは“奪取”だ。
奪取。
奪われる、取られる……それはミレイアの事か、はたまた国の存亡か。
まだ先のはずの地獄が、もう影を落としている気がした。そして《余白註釈》が示したということは、必ず近い内に訪れる確定事項。嫌になる、考えることが多すぎて。
帰路、ミレイアが俺の横で囁いた。
「文官。今、勝った?」
「勝利……と言えば勝利ですが、本番はここからです」
「これで何日生きられる?」
「二、三日」
「じゃあ、その二、三日で準備しなさい」
ミレイアが笑う、聖女らしく何かを予感したのだろうか? 俺のように神託でも授かったか?
「国が終わる前に、私を買い取りなさい」
レナがミレイアの服の端を握った、不安そうな顔で。それをあやす様に、ミレイアがそっとレナの頭を撫でる。
そんな光景を見ながらグレイ先輩は肩をすくめ、ペンをくるりと回す。
「さーて、本番はこっからだぜ監査責任者殿」
俺は受理文書を抱え直した。
紙は軽い。だが、紙が動かす現実は重い。
神殿の鐘が鳴った。
祝福の音じゃない——開戦の合図だ。




