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監査記録:祈願契約の更新で王国が消える前に/余白を読む文官は聖女の自由を買う  作者: 輝戸


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監査記録:004 「寝る前が一番弱い」


 監査命令書が封緘され、会計局の受付箱に収まった瞬間。俺の中の何かが、ふっと静かになった。


 静かになっただけで、軽くはならない。

 外が少し静まったぶん、内側の雑音が聞こえるようになっただけだ。脈とか、息とか、責任とか。

 三つ揃うとだいたい胸に来る、今日は喉の奥が先に拒否してる……あぁ人体はなんて賢いんだ。


「はい。明日の地獄の予約、完了」


 グレイ先輩が控えめに親指を立てた。葬式の乾杯みたいな角度で。

 周囲の職員たちは机へ戻っていく、戻ると言っても書類の山に溺れ直すだけだ。


「規程通りなら猶予は?」

「二、三日。受理の手続きと通知の段取りで、儀礼的に足踏みしますから」


 一応、受理された段階で証拠の隠滅などを計られないように、城内の衛兵と会計局の監査補助専門の人達が神殿に張り付くことにはなっている。

 

「儀礼って便利だよな。敵にも味方にもなる」

 

「味方の顔した足枷です」


 だが、あくまでも俺が見張る訳じゃない。

 見張りをする人間の何人かは神殿側に買われていると考えて差支えがないだろう。となると、今は一秒でも時間は惜しいが、ルールには逆らえない。

 

 ため息混じりに俺は鍵束を触った。

 空き室の鍵……ミレイアの鍵、俺の寿命を削る金属の束。

 王太子に渡したスペアは、戻ってこない前提でいい。戻ってきたら、それはそれで国が終わる。


「で?」

 

 先輩が俺の鍵束を見て言う。

 

「鍵番は誰だよ。お前が寝落ちしたら終わりだろ」

 

「ま、2、3日なら寝ないでも何とかなります」

 

「正気かよ」

 

「局長が出勤すれば、少なくともその間に仮眠は取れますからね、寝ずの番くらいなら何とかなる」

 

「なーんでここで人に頼ろうって思考が出てこないのかねお前さんは……手伝うよ俺も」

 

「仕事は?」

 

「明日の俺に押し付ける」

 

「先輩……」

 

「今は護衛だ。局長に言われた」


 その言い方が、嫌に具体的だったので、俺は局長室の方を見た。

 いつの間にかヴィオラ局長が通路の向こうに立っていて、顎で「グレイを入口に置け」とだけ指示している。

 あの人、指一本で人を動かすのやめてほしい。格好いいのが腹立つ。


「会計局の外側、玄関は俺が見張る」

 

 先輩が言った。

 

「万一、神殿が“お客さま”を装って来ても、受付で止める。止まらないなら……止めるさ、無理やりにでも」


 先輩は胸ポケットに刺してあるペンを指先で叩いて笑う、彼が世界で1番信頼を置いている武器。

 

「どっちも止めるじゃないですか」


 ため息の笑みを零しながら俺がそう言うと、先輩はなんでもないような顔をして呟く。

 

「会計局の護衛ってそういう仕事だろ」

 

「違います。会計局に護衛って概念がある時点で間違いです」


 先輩は笑って、入口の方へ歩いていった……どうせサボりだろうが、夜になれば戻ってくる。仕事だけは真面目にやるのが、彼のいい所だ。

 軽薄な癖に背中だけが妙に頼もしい、俺のような……戦えない文官が、こういう背中に甘えると堕落する。

 分かってる、分かってるのに安心するのが最悪。


 それから暫くデスクワークをしてから空き室、書類保管庫のふりをした聖女避難場所を覗く。

 ミレイアは行儀悪く椅子に斜めに座って、机の上のパンを指でつついていた。

 リナは隅で毛布を抱えたまま、目だけで周囲を確認している。


「局長が置いていったの?」

 

 リナに小声で聞くと、彼女は小さな首を振って頷いた。

 

「これ、食べていいやつですか?」

 

「食べていいやつ。食べないと倒れる」

 

「倒れたら怒られる……」

 

「倒れても怒られるし、倒れなくても怒られる。王城はそういう仕様」

 

「仕様なんだ……」


 リナ……真顔で納得するな。俺の中で何かが削れる。


「これが会計局の味?」

 

 ミレイアが言う、目と声から不満が伝わってくる。

 ま、普段いいもの食べてるだろう聖女様からしたら、会計局の飯は獄中飯くらいの感覚だろう。

 

「会計局の味というか、妥協の味です」

 

「あー妥協、いいね、妥協好き」

 

「嫌なところで共感しないでください」

 

「神殿は甘いのよ。祈りの味……個人的には塩っけが欲しいところね、ここまでのは遠慮願いたいけど」

 

「言っときますが、それでも豪勢な方ですからねココでは。俺達が普段食ってるのはもっと酷い」


 もうなんか色々酷い、身体を動かす餌という感じだ。

 最早慣れてしまったが初めの方は残業する度に毎晩咽び泣いていた。ハンバーガーとかラーメンとか、食の娯楽があまりにも無さすぎる。

 

「酷い顔ね、価値が下がるわよ」

 

「俺まで売り飛ばそうとしてます? 残念ながら聖女様程の値はつきませんよ俺には」

 

「あら、残念ね。ま、仕方ないわね、私可愛いし」

 

「……そこは否定しません」


 リナがぱちぱちと瞬きをした。

 

「えっと……聖女様って、お店の人ですか?」


 俺達の売るとか買うとか価値とか、そう言う話で何かを誤解したのかリナがミレイアに視線を向けた。

 

「違うわ」

 

 ミレイアが即答する。

 

「私は商品」

 

「ちょいちょい、ストップです」

 

 俺の声が先に出た、子供になんてこと言うんだこの女。固まったリナはギギギッと嫌な音を立てて首をミレイアから俺に向けながら。

 

「……冗談、ですよね?」


 と呟いた。

 

「勿論、冗談よ」

 

 ケラケラと笑いながらミレイア。

 あぁ、なんだろうこの気持ちは……彼女が笑う度に俺の臓腑が締め付けられる。断じて恋では無い、ストレスだストレス。

 

「でも冗談に聞こえないのが、この国の品質よ」


 品質。

 最悪の言い換えだ、正しいのがもっと嫌。


 パンを割って、リナに渡す。


「文官」

 

「はい」

 

「あなた、何でここまでやるの?」


 ないを止められた気分になった。

 こういう質問は、儀礼より怖い。なんたって正解がないから。


「やらないと、三十日後に国が帳尻合わせで終わるからです」

 

「それは国の理由」

 

「俺の理由は……」


 言葉が渋滞する。

 吐き出すと何かが壊れそうで、飲み込むと喉に詰まる。

 いつもなら軽口言ってお茶を濁す所だが、今日は疲れているのだろう。無意識に口をついた言葉は意外なものだった。


「俺は拾われた身なので」


 言った後に「しまった」と思った、今日あったばかりの人物に、なぜ俺はこんな話をしてしまったのか。

 だが、ミレイアは言葉の続きを促している、俺は短く話の続きを始める。

 

「王太子殿下に……信じてもらった。だから、報いたい」


 リナが、へぇ、と小さく息を漏らした。

 ミレイアは視線を逸らさず、確かめるみたいに俺を見た。


「報いるって、何」

 

「殿下が国を背負えるようにする。その些細な手伝いがしたかった……」

 

「格好いいこと言う」

 

「格好よくないですよ、体良く利用されてるだけかも」


 自嘲混じりに思ってもないことを口にした、もし殿下が……彼が本当にそんな人間だったなら、俺もグレイ先輩もとっととトンズラしている。

 

「拾われた犬ほど忠実よね」

 

「言い方」

 

「褒めてる」

 

「褒め方が最悪です」


 リナが小さく笑いそうになって、慌てて咳払いした。

 笑える余裕が出てきたなら、いい。

 王城の毒に慣れる速度が早いのは怖いけど。


 ミレイアはスープの表面を指先でなぞった。


「祈りは条文になる。条文は現実になる」


 唐突に彼女は話を本筋に戻した。

 

「その現実の代価は国が払う」


 言葉の先を受け取って俺が呟くと、彼女は満足気に頷く。


「でもね」

 

 ミレイアは言う。

 

「払わせるのは簡単。でも、払わせ続けるのは難しい……人が壊れるから」


 リナが小さく言った。

 

「壊れるって、誰が?」

 

「例えば、あなた」

 

 ミレイアが何でもないみたいに言う。

 リナの手が止まり、顔色が少しだけ変わった。

 俺は反射で口を挟む。


「ミレイア様」

 

「冗談」

 

 ミレイアが肩を竦める。

 

「でも冗談にしないと、あなた達は逃げるでしょ」

 

「逃げません」

 

 リナが意外ときっぱり言った。

 自分で言って驚いたように目を丸くする。


「……リナ?」

 

 俺が呼ぶと、彼女は慌てて言い直した。

 

「だって……逃げたら、もっと怖い人に捕まります」

 

「正しい。貴女、思ったよりも聡明な子なのね、その感性は大事になさい」

 

 ミレイアが頷いた。

 

「怖いのは神殿だけじゃないわ、王城も怖い」


 リナが小さく震える。

 

「わ、わたし……聖女様の付きの人になるんでしょうか?」


 まぁ当然、こんな流れに巻き込まれては出るであろう疑問だ。自身の進退が気になる気持ちはよくわかる。

 俺は一拍置いて言う。

 

「今は“仮”。……でも、たぶんそうなる。嫌なら、速く言った方がいい。そこの聖女様は聖女らしからぬ悪辣さだからね」


「ちょっと文官!」


 ミレイアがぎゃあぎゃあと騒ぐのを片手で抑え、リナの言葉を待った。

 

「嫌じゃ、ないです」

 

 リナは早口で言った。

 

「怖いけど……怖いから、目を離したくないです」


 ミレイアが少しだけ目を柔らかくした。

 

「じゃあ決まりね。安心なさいな、側にいる人は……私が守る」


 その言葉に安心したのか、モリモリと残りの食事を平らげてリナが毛布に包まる。

 目は半分閉じている、疲労が戻ってきたらしい。

 さっきまで怒号の部屋にいたんだ。普通の人間は疲れる……特にこんな幼い子なら尚更。


「文官は、ここで寝る?」

 

 ミレイアが聞く。

 

「俺は廊下の椅子で」

 

「鍵番?」

 

「鍵番」

 

「寝るの?」

 

「寝ない努力をします」

 

「努力って弱い言葉ね」

 

「弱い人間なので」


 リナが眠そうに言った。

 

「ユウト様……寝ないと……明日……」

 

「明日はたぶん日常です」

 

「たぶん、って」

 

「王城の“たぶん”は信用しない方がいい」


 我ながら嫌な言い方になったな、なーんて思いながら灯りを落とす。

 会計局の夜は意外と早い……紙が眠るからじゃない、人が限界になるからだ。

 あぁ、なんと最悪な職場だろうか、人より紙の方が偉いなんてどうかしてる。


 俺は避難場所の扉の外、廊下の椅子に座った。それから鍵束を握る、強く握る。

 

 それから暫くは平和なもんだった、俺は廊下にぶら下げた灯りを頼りに溜まっている通常業務を進めていた。だが、突如として空気が変わる。

 

 遠く、会計局の正面入口の方角に、グレイ先輩の気配がある。入口番……またの名を口塞ぎ番。

 頼もしいのに、ありがたいと言いたくない。


 今はグレイ先輩よりも気になることがある、変わった空気感だ、嫌に……静かすぎる。


 巡回の足音も金具の音もない、それから遠くの咳もない。静か、というよりも誰かが“会計局の外”の音を押し殺してる……そんな、嫌な予感。


 ポケットの中に常備している紙が熱を持ったのが分かった、すぐさま手を突っ込んで取り出せば《余白註釈》嫌な予感の専門家。


〖追記〗

今夜、神殿は「儀礼」を差し出す。

同時に「沈黙」も差し出す。

受け取るな。——だが、拒め。


「んだよ、コレ……矛盾してるだろ」

 

 俺が呟くと、背中の扉の向こうから小さな声。


「……ユウト様?」

 

 リナだ、起きてる。

 

「どうかした?」

 

「いや、なんでも」

 

「なんでも、じゃない声なんだけど」


 立ち上がった瞬間に扉の向こうから、ミレイアの声が飛ぶ。

 

「来るわね」

 

「来るって何が」

 

「お客様よ」


 その瞬間。

 会計局の正面入口の方から、重い音が響いた。


 ——ドン、ドン。


 扉を叩く音。

 ここ(避難場所の前)じゃない。会計局の“外側”だ。

 続いて、遠くの廊下を反響する女の声。


「夜分、失礼いたします。神殿より——」


 昼間の女神官の声。

 声だけが、会計局の通路を滑ってくる。

 距離があるからこそ、余計に冷たく聞こえた。


 グレイ先輩の声が返るのが、さらに遠くで聞こえた。


「夜番の規程だ。用件は書面で置いていけ」

 

「これは失礼を……承知いたしました。では“封緘”のまま」


 紙が重ねられる音。封蝋が擦れる音。

 次に、足音。入口から奥へ来る足音じゃない。入口で止まったままの足音が、向きを変えて去っていく音。


 そのあと、会計局の内側を小走りする別の足音が近づいてきた。

 グレイから手紙を受け取ったであろう、夜番の職員。手に封緘された封筒を持っている。


「ユウト様宛てです。神殿から」

 

 職員が囁く、俺は礼を言ってから扉を開ける。

 暗闇の中でリナが息を止める気配とミレイアが指を鳴らす音、空気が揺れて周りから隔絶されたような気分になる。

 彼女が今日何度か使った「祈り」だろう、これがあれば大概の相手の目は誤魔化せる。

 一応彼女なりに俺が警戒しなくてもいいように、気を使ってくれたのだろう。


「俺たち宛てです」

 

 部屋の灯りを灯し、表題だけ読む。


『監査受理の儀、明朝』


「……これは?」

 

 リナが震える声で言った。

 俺は静かにその問いに答える。

 

「監査受理の儀——つまり「監査を受ける」と言いながら、手順と空気と縄を神殿側が握るための儀式だよ」

 

 ミレイアが獰猛な笑みを浮かべて、初めて聞く笑い声を上げた。

 

「いい度胸じゃない。正面から来いってことね」

 

「正面から行けば……どうなるんですか?」

 

 リナが聞く。

 俺は一拍置き、余白の言葉を思い出した。

 まだ滲んでないが、意味は分かる。


「時間を殺される」

 

「時間……」

 

「儀礼は長い。長いほど相手の庭になる」


 そして今夜は、もう一つ。

 “沈黙”が会計局の外側に張り付いている。

 入口番がいなければ、入ってきたのは手紙ではなく人だった可能性が高い。いくら殿下の命で発された王室保護と言えど、最悪の場合奪還されていた可能性もある。


「グレイ先輩に感謝だな……こりゃ」


 ミレイアが俺の横に立った。

 目が冴えている、圧倒的に強い目だ。


「文官」

 

「はい」

 

「どうする?」


 俺は招請状を握り、もう片方の手で鍵束を握った。

 金属の冷たさが現実を引き戻す。


 リアが小さく言った。

 

「ユウト様……負けないで」


 自身も不安だろうに、それでも今日知り合ったばかりの相手を心の底から心配する、そんな優しい声。

 その声が、胸の奥に落ちた。


 地獄はいつだって、夜に来る。

 そして俺たちは、その地獄の入口に立たされていたのだ。2、3日の猶予は最早無いものと思っていい、いきなり初戦を迎える羽目になるとは。



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