監査記録:002 「監査って言うと皆黙るのね」
取引成立、の一言で終わるほど、王城は優しくない。
控えの間に張り付いていた空気が、一度だけ「理解不能」の顔をしたあと——次の瞬間には怒号と殺意の視線に変わった。
神官が口を開き、侍女が笑顔を整え、王太子が大きく息を吸った。
あ、これ殿下が“王族の声”を出す前の呼吸だ。
俺がこの城で生き延びてきた上で学んだ、数少ない経験則のひとつ。
「本日はここまでだ」
王太子レオンは、部屋の温度を一段落とす声で言った。
さっきまでの営業スマイルを、紙屑みたいに捨てる声。
「ミレイア殿も来たばかりで疲弊している。神殿の方々は祈願室で待機を。侍女も下がれ……ユウト、お前は残れ」
「殿下! それは——」
神官の反論は、最後まで形にならなかった。
王太子が視線だけで黙らせたからだ。
殿下の目は優しい、普段は。
でも今の目は「国」の目だった。
国ってやつは、綺麗事より先に牙が出る。
「“聖女の安全”は王国の責務だ。神殿の権威も理解するし、必ず尊重する。だからこそ、今は出ろ」
言い換えじゃない、今度のは命令。
神官たちは歯ぎしりしながら退室していく、侍女も一礼して下がった。
扉が閉じた瞬間、やっと酸素が戻った気がして、肺の奥底から安堵のため息が溢れた。
胃は相変わらず死んでるけど。
残ったのは王太子と俺とミレイア。
そして色々な緊張やら恐怖やらで動けなくなり、隅っこで縮こまっている、小さな見習い給仕のリナ。
ミレイアがリナをちらりと見て、何でもないみたいに言った。
「さっきの子、ここに置いていい?」
「置く?」
「いや、可愛いから手元に欲しいなって。ダメ?」
「怒る元気がないです」
「じゃあ決まり。あなた、こっち来なさい。黙って立ってると余計に怒られるわよ」
リナが涙目で近づいてくる。
ミレイアはその手を取って、指先を一度撫でた。
短い所作……なのに、部屋の冷たさがほんの少しだけ緩む。
王太子が咳払いをして、俺を見た。
「ユウト。これからする話を、神殿に聞かせるわけにはいかないのは分かるな」
「分かります。俺も今すぐ死にたくないので」
ミレイアが椅子にもたれて言う。
「で、文官。あなたの“手続き”ってやつ、いつ始まるの?」
「今からです」
「おぉ、意外と仕事が早いのね」
「遅いと国が終わるので」
王太子が眉間を押さえた。
「お前の能力、確かに役に立つ。だがやり方を間違えれば神殿を敵に回す……というかもう若干回してる」
「もう敵に回す前提で動いた方が楽です」
乾いた笑みが溢れると、再び王太子は眉間を解すように指を当てて溜息を吐いた。
「楽に言ってくれるな……お前が心配だよ」
「ま、文官程度なら最悪替えがききます。王太子や聖女とは違うんで」
俺が呟くと、ミレイアが楽しそうに笑う。
俺の胃がまた痛む。
こいつ、俺のメンタルを娯楽にして楽しんでるな?
「まず、聖女……ミレイア殿の“自由”を確保します」
俺は言った。
「神殿の保護下に置いたままだと、手続き以前に勝手に更新の署名だけさせられます……その場合」
国は終わる、きっちり30日後に。
「それは避けたい」
王太子が即答する。
「でしょうね。なので一時的に“王室保護下”に移します。名目は体調不良でも疲労でも何でも。王族の言い換えは万能です」
「褒めているのか、それは」
「褒めてません。便利って言ってるだけです」
ミレイアが首を傾げた。
「王家保護下って、つまり監視?」
「監視じゃないです。鍵です」
「鍵?」
「あなたの部屋の鍵を、俺が持つ。出入りも、接触も、記録も“俺の責任”にする。責任があると、他人が手を出しにくい」
王太子が苦い顔で頷く。
「……政治だな」
「会計局の仕事です」
「政治の中で一番汚い種類の」
「紙が汚いのは昔からです」
ミレイアは俺を値札みたいな目で見たあと、あっさり言った。それこそ、ランチに何を食べるのか決めるくらいの気軽さで。
「いいわ。あなたが鍵」
「軽っ」
「軽く決めないと、あなたが潰れるでしょ」
「……優しいんだか何なんだか」
「取引相手には優しくするの。潰れたら困るもの」
そういうことを平然と言うから怖い。
でも……怖いだけじゃないのも、さっきのリナで分かってしまった。
最悪だ、分かりたくないのに分かる。
俺達の会話に浅い溜息を繰り出しながら、王太子が立ち上がる。
「ユウト、神殿相手にどう立回るつもりだ? 俺の命令で出した王室保護下も、情けない話効力があるのは一時的だ」
国としては如何なものかとも思うが、王室の権限と神殿の権限はほぼほぼ同列と言ってもいい。
信仰とはそれほどに重い、国を維持する背骨の1つなのだから。
神殿の司祭が持つ権限は、祈願契約や聖女周りとなれば、王太子をも上回る。
それこそ、王命でも引っ張り出さない限りは、確実に王太子の権限では負ける。
「考えはあります、殿下の名前を使わせて頂くことにはなりますが」
「……猛烈に嫌な予感がする、何をする気だ?」
「監査を入れます」
俺がその言葉を発すると、王太子がフリーズし、リナの肩が震えた。その様子を見て呑気な聖女様は笑いながら呟く。
「監査って言うと皆黙るのね」
「笑い事ではないですよミレイア殿……ユウト、お前は本気で神殿を敵に回すつもりか?」
「言ったでしょ、そっちの方が楽な時もあります」
王太子は虚空を見つめて何かをブツブツ呟くと、真剣な眼差しで俺を見る。
「勝算はあるのか?」
「無いなら言わないですよこんなこと……ま、負けても俺の首が飛ぶだけです」
それこそ文字通りの意味で。
「それに以前から局長が神殿を睨んでいました、全くの無策ではないですよ。最近の貴族連中が何かと怪しいので」
「ふむ、貴族連中と神殿の一部の神官達の癒着は我々も問題視していた。まぁ一応の理由付けにはなるが」
王太子はミレイアに視線を投げる。
「このタイミングだ、神殿も黙っていないだろう」
「決定的証拠が出てくれば万々歳ですが、出てこなくても大丈夫です。監査となれば神殿の動きは確実に止まる、その間に殿下は王への口添えを」
「神殿の動きを鈍らせている間に王命を出せと? まったく、無茶ばかり言う文官だ」
「拾ったのは殿下でしょう?」
「ちと私の手には余る拾い物だったかもな……」
懐かしむような声を出し、殿下は幼い顔をして笑う。それから咳払いを一つしてミレイア達を立つように促した。
「会計局へ向かう。私が同行できるのは途中までだ。ユウト、失敗するな」
「成功させます」
「断言するな……全く、奴にお前を預けたのは失敗だったか?」
「局長には世話になってますよ、ですが……多分失敗です」
廊下に出ると、王城の顔が変わった。
絵画が減り、掲示板が増え、決裁ルート表が増え、空気が現実になる。
王城の上の方は夢を売る場所で、会計局は悪夢を数える場所だ。
「匂いが変わった」
ミレイアが言う。
「紙とインクと……諦め?」
「紙の匂いです」
「都合が悪いと全部“紙”って言うのね」
「この国の重要なもの、だいたい紙です」
「聖女も?」
「それは、できれば紙にしたくないですね」
ミレイアが一瞬だけ、目を細めた。
笑ったのか、測ったのか、判別がつかない。
会計局の扉を開けた瞬間、俺たちは“現場”に突っ込んだ。
「ユウトォ! 五体満足じゃねぇか!」
グレイ先輩が机から上半身だけ生やして叫んできた。
「俺ァてっきり後輩が死んじまっ……」
先輩の声が途中で固まる。
視線の先、ミレイアと横にリナ。そして俺。
仕事の虫だった周りの職員達も、グレイの声に顔を上げてこちらを見ている。空気が一斉に「理解不能」の顔をした。
「……何を拾ってきた」
「聖女です」
「拾うな」
「拾ってません。国の存亡の為に買ってきました」
「余計わかんねぇよ!」
ミレイアがひらっと手を振った。
「こんにちは。あなたが“先輩”?」
「……はい?」
「この人、あなたのこと便利って言ってた」
「言うなぁ!」
俺は最短で動く。
空き室を開け、ミレイアとリナを入れて、鍵を回す。キッチリ二回。
この二回転が、今日の俺の寿命を削る音だ。
「ここが私の部屋?」
「“仮”です」
「金色の椅子とか無いの?」
「金色は神殿でどうぞ」
「嫌よ」
「でしょうね」
リナが部屋の隅の書類山を見て震えた。
ミレイアは平然としていた。興味が無いのか、それとも知っているのか、どちらにせよ平然としているのが怖い。
「ねぇ文官。紙ってどこから増えるの?」
「地獄からです」
「納得した」
俺は扉を閉め、額を壁に軽く当てた。
よし……今だけ……今だけ現実逃避。
——次、局長。
局長室の扉は薄いのに重い。
権力ってだいたい扉に宿る、俺はノックして入った。
「失礼します」
「ユウト?」
局長が顔を上げた。
きっちりまとめた髪、冷静な目、仕事ができる雰囲気で、そして何より“笑うと怖そう”な口元。
如何にもバリキャリだ。彼女こそがこの王城の最前線をペンと紙で支えている。
「顔が死んでるわね。何があったの」
「聖女が会計局にいます」
「……は?」
「王太子殿下の命で、“王家保護下”の仮滞在です」
「……は?」
局長でも“は?”って言うんだな、人間らしい。
いや、人間らしくないとこの仕事は続かないか。
俺は言葉を選んで、短く落とした。
「そして、臨時監査を行います」
局長の目が細くなる。
それは怒りとも取れるが、付き合いの長い俺は理解できた。心底、楽しんでいる目だ。
「どこに」
「神殿に」
言った瞬間、俺の腕の中の紙がじわりと熱を持った。
余白が滲む……最悪なタイミングで、相変わらず空気を読まない。
〖追記〗
監査理由は“一文”で刺せ。
長く書くほど付け入られる。
局長が机の上のペンを指で転がす。
「監査理由は?」
「神官達と貴族の癒着です」
「建前だろう? 本当の所は?」
「祈願契約更新案に、国家滅亡級のリスクが記載されているためです」
「《余白註釈》か」
「えぇ、そうです。殿下……レオン様の協力は取り付けました、この監査の責任者は俺がやります」
「なぜこのタイミングで?」
「とりあえず書類を準備して提出したら話しますよ、腰を据えて」
「私の名前を使わない理由は? 神殿相手の監査なら、局長の権威があった方がいいのでは?」
「純粋に、あの場に居たのは俺だからです。神官達も俺への敵対心凄かったですし。何かあった時、局全体が敵視されるのを防げます」
「まったく良い部下を持ったな、私も」
皮肉たっぷりの局長が、引き出しから分厚い印章箱を出した。
箱の蓋が開く音が、やけに重い。
「監査印は会計局長権限だ、貸す。というかレオンが噛んでるなら出さないのは無理」
「いいんですか」
「良くないわよ……まぁでも国が消えるよりマシね、切羽詰まってる時のユウトは本気だから」
俺は頷いて、命令書の下書きを引き寄せる。
ここから先は、紙で殴り合う世界だ。俺の得意分野。
得意分野がこれって終わってるけど。
署名欄の位置を決め、監査理由を建前の一文で刺し、宛先を整えた、その瞬間。
余白が、最後の一行だけ滲んだ。
〖警告〗
最初の監査対象は“祈願契約”ではない。
神殿の金庫だ。
やっぱりか俺は笑いそうになって、笑えなかった。
神様のお墨付き、やっぱり紙でぶん殴れとの神命らしい。
この国は祈りで回っている。
そして祈りを回すために必要なのは——結局、金だ。
局長が俺の顔を見て、薄く笑った。
「ユウト。面白い地獄を拾ってきたわね」
「拾ってませんよ……買ってきたんです、聖女をね」
「ふふ。返品不可よそれ、首と一緒に大事になさい」
「……最悪の励ましですね」
「最高の現実よ」
俺は命令書を抱え直した。
鍵も持ってる、聖女もいる、監査印もある。
そして、単なる足止めじゃなく、本気の殴り合いのゴングも鳴る。
あとは地獄の扉を、俺の手で開けるだけだ。




