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監査記録:祈願契約の更新で王国が消える前に/余白を読む文官は聖女の自由を買う  作者: 輝戸


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監査記録:001 「ちょっと修正」は地獄の合図

ゴンッ!


 朝っぱらから俺の額を正確に殴り抜いたのは、王城書庫の棚だった。

 いや、正確には俺が突っ込んだ。

眠い……棚は悪くない、俺が悪い。

たぶん全部俺が悪い。


「おーい、生きてるか下級文官」


 背後から声。

振り向くと、先輩文官のグレイが、片手に紙束、片手に人生の諦めを持った顔で立っていた。


「生きてます。たぶん」


「たぶんで返すな。王城は“たぶん”で死ぬ」


「じゃあ確実に生きてます」


「よし。じゃあこれ」


 ドサッ、と紙束が俺の腕に乗る。


「……え、増えてません?」


「増えてる。神殿が“ちょっと修正”した」


「ちょっと修正って、書類の世界で一番怖い言葉じゃないですか」


「怖いだろ。だからお前に回した」


「先輩、俺のこと嫌いですよね?」


「好きだよ。便利だから」


 王城書庫は紙の埃と蝋の匂いがする。

 あと権力の匂いもする。気のせいじゃない……ほんとに。吸い込みたくないタイプの匂い、油系の匂いだ、飲食店のグリストラップが近い。


 便利で優雅な現代日本との生活も随分と昔、見知らぬ世界に転生した俺の仕事は、王城会計局文書課。

正確に翻訳すると「紙の海で溺れる死ぬ係」だ。


 剣? 無理。

魔法? 無理。

貴族? 論外。

 そんな俺がここで首の皮一枚繋がってる理由は一個だけ。


 公式文書の余白に、たまに変な注釈が滲む。

 インクでもない、朱でもない、灰銀色。筆致だけが残って、文字になりきれてない。

 誰に見せても「汚れだね」で終わる。掃除係が泣く。俺も泣く。

 でも俺には読める。読めちゃう。


 俺はそれを《余白註釈マージナル》って呼んでる。厨二? うるせぇ、俺だってそう言いたいよ。


「で、今日は何?」


 グレイが欠伸を噛み殺しながら聞く。


「祈願契約の更新案です」


「あー。国の生命線」


「雑に言うとそうです」


「雑に言うと、ミスったら死ぬやつ」


「雑に言わなくても死ぬやつです」


 祈願契約。

簡単に言えば、神様と国の取引。

 豊穣と治癒と結界をもらう代わりに、税と供物と、あと“祈り”を払う。


 そしてその更新を通せる存在がいる。

契約鍵と呼ばれる人達……世間はそれを、聖女って呼ぶ。その聖女様がこの国に訪れるらしいので、現在王城はバケツをひっくり返したような慌ただしさだ。

 ため息混じりに紙束をめくった瞬間、余白がじわりと熱を持った。


「……あ」


「出た?」


「出ました」


「よーぅし! 俺は見なかったッ!」


「先輩ッ!? 逃げ足だけは一級ですよね!」


「生きるための才能だ」


 滲む。滲む。滲む。

 嫌な予感って、当たるから嫌なんだよな。


【祈願契約 第七条:更新】

更新後三十日以内、王都に“帳尻”発生。

規模:国家。

誘因:契約鍵(聖女)の意思。


 

 音が消えた。

 書庫の蝋の匂いも、紙の擦れる音も、先輩の欠伸も、全部どっかに行った。


「……国家?」


 声が、変なところから出た。


「国家って言った?」


 グレイが一瞬だけ真顔になった。


「俺、今“国家”って聞こえたんだけど」


「聞こえました? そうです、国家です」


「国家がなんだ?」


「帳尻合わせの規模が国家らしいです」


「帳尻って、家計簿の話じゃないのか」


「国にも家計簿はありますけど、国家規模の帳尻って何ですかね」


「やめろ。想像したくない」


「俺もです」


 その瞬間、廊下がざわついた。


「聖女様が到着です!」


「王太子殿下が直々に__!」


 うーわ、来たよ、来ちゃったよ。、

 うちの国の未来を握ってる人が、今この瞬間に。

 どうしたもんかとフリーズしていると、グレイが俺の肩をポンと叩いた。


「行け」


「先輩は?」


「俺はここで祈る」


「祈願契約の担当じゃないのに?」


「担当じゃないから祈れる」


「言えてますねクソッタレ!」


 俺は書類束を抱えて控えの間へ向かった。

 逃げたいか? そんなもん決まってる、当たり前だろ。だが逃げたら三十日後に国ごと命が終わる。

つまるところ、やるしかないということだ。


 控えの間の扉は半開きだった。

 中は、笑顔の侍女、愛想のいい神官、完璧な営業スマイルの王太子。


 そして中心に――白い礼装の少女がいた。

 小柄で、淡い髪で、肌は雪みたいに白い。

 いかにも「守られるべき聖女様」に見える。


 でも、目。

 乾いてる……揺れてない、王太子にも着飾った神官達にも揺れも靡きもせずに、確かな石を宿した瞳。


 そう、あれは言わば値札を見る目だ。

商人の目……というよりもギャンブラーに近い。自分自身の勝ち筋を計算する目だ。


「あなたが文官?」


 少女が誰にも気が付かれていなかった俺を指した。

敬語なし、前置きなし、初手から殴るタイプだ、怖い。


「……はい。会計局文書課のユウトです」


 王太子レオンが柔らかい声で割って入る。


「ミレイア殿、彼は……」


「よかった。話が早い」


 少女……ミレイアは、王太子の言葉をぶった切った。なんの躊躇いもなく、俺だけを見据えて。


「この国、いくらで私を買うの?」


 空気が死んだ。

 侍女の笑顔が固まり、神官の喉が変な音を出し、王太子の完璧な営業スマイルが醜く歪む。


「失礼聖女様……買う、とは?」


 王太子が辛うじて返す。


「契約鍵を“聖女”って呼んで飾るのは勝手。でも実態は違う」


 ミレイアは淡々と言う。


「私が更新しなければ祈願契約は維持できない……でしょ? 維持できなければ結界が落ち、魔害が増える 、作物が死ぬ。ここまでは前提」


「前提にする内容ではありません!」


 神官が即噛み付いた。


「あなたは聖女でしょう! 慈悲を持って救いの手を差し伸べ、神を敬い……」


「うるっさい! ピーチクパーチクやかましいのよ」


 ミレイアが一言でバッサリと神官の言葉を切った。

 神官は粗暴な聖女の暴言に面食らってしまっている、それを王太子が目だけで「落ち着け」と制した。

 侍女連中は慌てることなく、笑顔のまま目が死んでいた、なにそれ器用だな。


 嫌な空気に包まれながら、視線を逸らすように下げると俺の腕の中の文書がじわりと滲み始めていた、最悪のタイミングで追記だ。


【追記】

契約鍵は“更新条件”を選べる。

条件は“祈り”として処理され、現実に反映される。

反映の代価は、国家が払う。


 あぁ、クッソ! なるほど、そういことかよ!

 こいつ、知ってやがる、最初から。

自分が何者で、何を握ってるか。


「私が望めば、王都の水路を詰まらせることもできる。望まなければ治癒は止まる」


 ミレイアは王太子を見上げた。


「だから聞いてる。私の自由は、いくら?」


 王太子は笑みを貼り直そうとした。王族仕草ってやつだ。


「ミレイア殿、君は我が国の恩人だ。自由は当然保証する!」


「当然?」


 ミレイアが首を傾げる。


「当然なら、今この部屋に“監視”が何人いるの?」


「監視ではない。警護だ」


「言い換えが上手いわね」


「褒めていないな?」


「皮肉に気がついてくれて嬉しいわ、王太子様」


 聖女……ミレイアはその場で恭しくスカートの端を持ち上げて頭を下げた、なんだこの殺伐とした会話は、短くて刃物みたいだ。


だが状況的には我が国大ピンチ、王太子が押されてる。ギリギリ笑っ……いや笑えないな、胃が痛い。

 ミレイアは俺を見る。


「文官。契約書、読める?」


「読めます」


「じゃあ読ませて。私に」


「それは――」


 神官が食い気味に遮る。


「契約文書は神殿管轄! 外部の者が勝手に見ていいものではない!」


「外部?」


 ミレイアが神官の方に首を振った、挑発するように。


「契約鍵が外部なら、誰が内部なの」


 神官が詰まる。侍女が「今日も長い一日になりますね……」って口だけ動かしてる。おい、この状況で同意を求めるな。

 そのとき、控えの間の隅で小さな影がよろけた。

 見習いの給仕……まだほんの子どもだ、恐らくだが緊張で盆が傾いたのだろう、聖女にと持ってきた銀の杯が盆の上で滑り落ちる。


「――っ」


 俺が踏み出した時にはもう遅かった。

 でも、杯は床に触れなかった。


 ふわり、と空中で止まり、くるりと回って盆に戻っていく、中身まで一緒に。


 手品じゃない、あれは魔法だ。

 そして、その魔法を行使したミレイアが、ほんの少しだけ眉を寄せた。


「焦ると危ないわ、気をつけなさいな」


 冷たく静かな忠告、でも言葉の節々には幼い侍女への心配が滲んでいた。


 小さいけど、確かに温度がある。

 少ないけれど、そこに感情がある。

 幼い侍女は半べそかきながらミレイアに頭を下げて去っていく。

ミレイアはその背を、ほんの一瞬だけ目で追った。


そして、何も出来なかった俺はその様を見て思ったのだ。


付け入る隙が確かにあると。


 ・・・


 空気が少しだけ変わったのが肌で分かる。

 

神官も王太子も侍女も、もしかしたら彼女でさえも。測りかねている、口の悪く冷徹だと思われた聖女を。


 そして俺だけは冷静に、必死になって頭を回し続けた。守りたいものができたら、この子は揺れる。


 揺れるなら、話ができる……交渉ができる、そしてそれは俺の戦場だ。

 俺は文書束を掲げた、まるで印籠を翳すように。

こういう時、文官の武器は筋肉でも剣でもない、紙だ。

俺の手の中に握られた、このちっぽけな紙が世界を殴る。


「ミレイア殿。ひとつ確認していいですか」


「なに」


「あなたの言う“自由”って、具体的にどこまでです?」


 ミレイアは俺を見た、値踏みの目。

 でも、さっきより少しだけ柔らかい。


「監禁されない、監視されない、勝手に祈らされない、命令されない」


 一拍置いて、ミレイアは言う。


「あと、契約に署名する前に、私に条件を読ませること」


 今の短い会話で色々分かった。

 この子は信仰で動いてない、契約で動く。

そして、彼女は更新の内容を何故か知っているが、読めはしない。

条件は出揃った、ならば俺の土俵だ。


「現行の更新案だと、この国は三十日以内に帳尻を払います」


 言い切った瞬間、室内がまた死んだ。


「ユウト」


王太子が低い声で言う、顔に困惑と焦りを滲ませながら。


「それは本当か……?」


「えぇ、本当です」


王太子が神官達に視線を向けると、彼らは当然何も知らないので首をブンブン振っていた。


「根拠は?」


「殿下、俺の能力は分かっているでしょう?」


 この城に文官として俺を取り立てたのは、何を隠そう王太子のレオンだ、この王城内で俺の力を知る、極わずかな人間。

 俺と王太子の間でだけ交わされる会話の意味が分からず、それに神官が噛み付く。


「下級文官風情が神殿の条文に口を出すな!」


「風情って便利な言葉ですよね」


「褒めていない!」


「知ってます!」


 ミレイアは、王太子も神官も見ずに俺だけを見る。


「文官。あなた、私を救いたいの?」


「俺が? 貴女を? ご冗談でしょ、俺が止めたいのは滅亡だけですよ」


「同じこと」


 ミレイアは薄く笑った。勝ちを確信した笑み。

 でも嫌な感じが不思議としない、さっきの温度のせいで、俺の脳がちょろい。


「じゃあ取引しよう」


 ミレイアは高らかに宣言する。


「あなたは私に、自由へ繋がる“手続き”を用意する。私はあなたに、滅亡しない更新条件を渡す」


 王太子が目を見開く。


「待て、君たちは何を!」


「殿下」


俺はそれを言葉だげで拒絶した。明らかな命令違反、今すぐ投獄されてもおかしくない愚行だ。だが場の雰囲気は最早、俺と彼女の二人の物だ。


「止めるなら、代案を」


「……っ」


 息を飲むように喉を鳴らす、王太子の判断の方が正しい、イカれた聖女相手に譲歩したくない気持ちは分かる。

でも、それは正しいだけだ、この場においてはインクの切れたペンみたいに役に立たない。

 

ギャンブルにはギャンブルで対抗する、彼女の人生を掛けた一世一代の大博打に乗っかるしかないのだ。


「じゃあ取引成立ね、文官。貴方、ユウトでいいんだっけ?」


「えぇ、ユウトで構いません。コチラは聖女様とお呼びした方が?」


「ミレイアでいいわ、硬っ苦しいのは苦手なの。長い付き合いになりそうね」


「いや、手続きは最短で終わらせます。王城の文官ってのは中々どうして忙しいもので」


俺の軽口に彼女が驚いたような顔をして笑顔を向けた。

 そして、またもや余白が、最後の一行だけ滲み始める。


【結論】

聖女ミレイア・文官ユウトの間に同盟は締結された。この同盟はお互いを救うためのものである。

ただし、同盟が守られなければ、最初に代償を払うのは文官ユウトである。


 はいはい神様、脅し文句がお上手ですね。


 俺はミレイアの目を見た、相も変わらずの値札を読む目。


だが、あの時の幼い侍女を心配する目は本物だった、この聖女は……たぶん落ちる、人を守りたいって気持ちに。


 そして俺は真面目で最低なので、その落ち方を利用する。

 国を救うために、自分自身の人生をチップにして、彼女のギャンブルに乗っかるのだ。

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