友達とお兄ちゃん①
雨音が響く教室。私は雨粒が教室を叩くのをぼんやりと見つめていた。
指で窓をなぞって線を書いてみても、気分は全く晴れない。テンションが上がらないのは雨のせいだけじゃない。
「はぁ……」
こんな天気では今日は先輩とは遊ぶことは出来ないだろう。あのゲーセンは駅から遠いし、さっさと帰れと教師に怒られかねない。このまま晴れてくれればいいのに、天気予報は無慈悲にも大雨注意報を出している。
今日こそは試してみたい技があったのに、こういう時に限って雨が降る気がする。
「んあー……」
スマホを両手で握ったまま、ずるずると前に伸びをする。そんな私のうめき声を聞きつけてか、私に近づいてくる影が3つあった。
「どうしたの妃花、ため息何かついて」
「うーん?ちょっと悩み事……」
「アンニュイな妃花、珍しいね」
私の元に来て、机の横にぐいっと座ったのは美伽梨。小動物系の見た目に反して無表情なトーンで、しかしはっきりと心配したトーンで尋ねてくる。
「悩み事?私で良ければ聞こうか?」
「あー、美伽梨が?」
「私、こう見えても巷ではやりの聞き上手だから」
「流行ってんの?初耳だけど……」
疑問符が浮かぶ私に、美伽梨はふんと鼻を鳴らした。
「最近よく言うでしょ?どしたん、話し聞こか……いでっ」
はるか上空から手刀を食らって、美伽梨は頭を押さえる。彼女はちっちゃくて可愛くて、大変いい子なのだが、唯一つ……おバカ、もとい、いささか純粋すぎるところが玉に瑕な女の子だ。……喋り方は賢そうなんだけどね。
「大丈夫、寸止めだから」
「……痛い」
「冴ちゃん……流石に叩いちゃ可哀そうじゃない?」
手刀を銃の様にして、西部劇のガンマンみたいに息を吹きかけるのは冴乃ちゃん。美伽梨とは対照的に背が高く、黒髪ショートカットの美人さん。
「やめときな、あのヒメの悩み事だぞ?ミカリンが聞いて理解できる話じゃないよ」
「冴乃、私の事なんだと思ってるの」
「それを言うなら私もなんだけど……」
冴乃はふっとニヒルに笑い、そっと私の肩に手を置いた。
「ヒメ……分かるよ。雨の中物憂げな感じを演出して、女っぷりを上げたかったんでしょ?」
「ほんと?妃花爆モテ?」
「……」
冴乃の見た目は女の私が見ても本当にカッコいいのに、本人の言動のせいで完全にプラマイ0となっている。
「大丈夫!そんなことしなくてもウチの男子は皆妃花にギンギンだから!」
「……」
やっぱりマイナスかも。
「皆で何の話してるのー?」
「千波、妃花がめちゃモテ委員長になろうとしてる」
「え!?ヒメちゃん元ヤンだったの!?」
「全然違うー!」
もう一人の参入者によってさらに脱線しそうになる会話を、必死に軌道修正する。あとどっから出てきた元ヤン。
「そうじゃ無くて、私がちょっと悩み事があったっていう、それだけの話」
「あ、なんだ……私はてっきりひめっちが抜け駆けして彼氏でも作るのかと思ってたよ~」
ほっと胸を撫でおろすポニーテールの活発そうな少女は千波。絶賛彼氏募集中。
明るく誰にでも分け隔てなく優しい彼女は正直クラスでも結構人気があるのだが、プロレス好きの彼女からしたら大胸筋が足りないらしい。……頑張れ、筋トレの道は長いぞ。
「そんな訳ないでしょ、ちーも私の性格分かってるでしょ?」
「まあ、それもそっか。ひめっち男子に興味ないもんね」
それもそれで誤解を生む表現な気がするが……。まあいいや、訂正して変な雰囲気になるのも嫌だし。
私を含めこの4人がいつも仲良くしているメンバーだ。さっきまで物思いにふけっていたはずの雨の教室は、途端に姦しさが出てきた。
「で、妃花の悩み事ってなに?」
改めて、と言った感じで千波が聞いてくる。純粋に心配してくれている顔なのだが、私は視線を合わせられない。
「い、いや~」
「どしたの?何か聞いちゃまずい話だった?」
私が悩んでいると、冴ちゃんはグイっと私の方に顔を近づけてくる。密着しそうな距離感で、風でも起こせそうな長いまつげが瞬いた。
冴ちゃんはふうと長く息を吐いた。
「これは男だな」
あてずっぽうだったのかもしれないが、咄嗟に否定が出来ない。その瞬間、にわかに沸き立つ友人たち。
「おお、流石は妃花、いつの間にか彼氏とは、爆モテだね」
むふーと何故か満足げに息を吐く美伽梨、私も必死に手を振る。
「違う違う!彼氏とかそういうのじゃないから!」
「ほんとか?ヒメからさっき男の匂いがしたんだけどな……」
「ちょっと、匂い嗅がないの!」
再び顔を近づけてくる冴ちゃんを、ググっと押し戻す。別に先輩は彼氏とかじゃないし、ただのゲーム仲間だから……。
しかし、そんなリアクションも火に油を注ぐだけの様で、私がいくら違うと言っても皆は面白がって聞いてくれない。
私には分かる、このテンションはみんな嘘だと分かっているからこそ必要以上に騒いでいる奴だ……。こうなったら私が何を言っても聞いてくれないな……。
そんな時、誰かの携帯の着信が鳴った。
「あ、ごめん私だ」
着信は千波だったらしく、スマホを取り出しながら輪から離れる。しかし、その瞬間に彼女が発した言葉を私は聞き逃さなかった。
「あ、もしもしお兄ちゃん?どしたのー?」
そう言って去っていく彼女を私は茫然と見つめることしかできなかった。みんなで見送りつつ、私は残りの二人に尋ねる。
「あのさ……千波ってお兄ちゃん、いたんだね」
「ん?あー、妃花は高校からだもんな」
私の方を見て、冴ちゃんは納得したようにうなずいた。
「ちー、ウチの学校の一個上に兄ちゃんがいるんだよ」
「千波のお兄ちゃん。結構有名人」
「へ、へー?一応聞くんだけど、千波の苗字って……」
「なんだよ、久我だろ?」
「そ、そうだよね……」
私のゲーム趣味や、先輩と最近放課後一緒に遊んでいることについては彼女たちには伝えていない。私だけの秘密だとか思っていたが、思わぬ落とし穴があった。いや、でもまだ千波のお兄さんが先輩だと決まったわけではない。
「そ、それで有名人っていうのは、どういう事?」
「うん、ちなみんのお兄さん。校内でも屈指のゲーマーって評判。昼休みとかもずっとゲームしてる」
「そっ、かぁ……」
これは認めざるを得ないだろう。千波のお兄さんは、あの先輩だ。世間って、本当に狭いな……。
私だけのものだと思っていたあの時間は、全然そうじゃ無かった。多分、千波は私なんかよりずっと先輩と多くの時間を過ごしている。
一人盛り上がっていたところに冷や水を掛けられたような気分だった。勝手に盛り上がって冷静になっただけとも言うが。
「ごめんごめん、今日夜どうするかってお兄ちゃんから連絡来ちゃって……」
「ちーのお兄さん、案外優しいね」
「こらミカリン、案外とか言ったらダメだろ」
「いいのいいの、ウチのお兄ちゃん全然優しくなんかないから。こうやって連絡してくるなんて滅多にないよ」
冴乃は好奇心と気遣いが半々になった表情で、指を遊ばせながら聞いてきた。
「千波のお兄さんって、今でも昔みたいな感じ?その、ゲーム好きな……」
「いいよ気遣わなくって、今も昔もずっとあんなだよ」
「昔と変わらず、陰を貫く久我兄、いいね」
「ミカリンは気を遣わなすぎ」
再び冴ちゃんが美伽梨の頭をぺしっと叩く。私以外は中学の頃からの知り合いの子たちだ。私が知らなくて、彼女たちだけが知っている先輩。
(何か、うらやましいな……)
なぜだか分からないが、胸の奥がチクりと疼く気がした。




