妹とゲーム仲間
逢坂と別れた帰り道、茜色に染まった空を見つめて、考え事をしながら歩く。
「デート、ねぇ……」
去り際に逢坂が語った言葉を、軽く反芻する。今どきのJKは「デート」なんて言葉気軽に使うんだろうが、買い物に付き合えくらいのニュアンスだろう。
正直女子と買い物なんて妹くらいしか行ったことがないが、運動不足の俺の体には荷物持ちですら結構ギリギリだった。
軽く腕を曲げてみて、ほとんど隆起しない上腕を触ってみる。
「……腕立てでもするか」
一つ決心して、帰り道への電車に乗った。
♢
「ただいまー」
玄関のドアを開けて声を掛けるが、返事は帰ってこない。
手を洗って煌々と輝くリビングにつながるドアを開けると、ソファーに寝っ転がる大きな影があった。
俺に気づいたようで、イヤホンを外してこちらを向く。
「あ、お兄ちゃんお帰りー」
「おー、ただいまー」
声の主……年子の妹、千波は俺に一言挨拶すると直ぐにスマホに目を向けた。
「母さんは?」
「うーん?今日仕事だからもうちょい遅くなるって」
「そうか」
今日は激闘のせいで腹が減っていたが、晩飯にありつけるのはまだ先らしい。残念。
「お兄ちゃんはまたゲーセン?」
「そうだな」
「こんな遅い時間まで毎日よく飽きないねー」
「お互いな」
後ろから妹のスマホを覗き込む。そこには、屈強な男たちが激しい技の応酬をしていた。
「またプロレスか昨日もその試合見てなかったか?」
「昨日はタッグマッチ、今日はトリプルスレット!全っ然違う!」
寝そべったままぐいっと首を後ろに曲げて、息を荒くして反論してくる。
「別に似たようなもんだろ……」
「人数すら違うー!」
千波はごろんと一つ寝返りを打ち、スマホを持つ手をグイっと伸ばす「。
「はぁ、お兄ちゃんもパパの息子なんだから、最低限ルールくらいは覚えなよ~」
「俺のプロレスDNAはお前に全部吸われたの」
もともとプロレス好きだった父さんが母親から白い目で見られるのが嫌で、子供を巻きこもうと考えた。
しかし、俺にはそのDNAは受け継がれなかったらしく、中途半端に格ゲー好きという形に落ち着いた。
千波は……まあ、言わずもがなという感じだ。
「かーっ、この胸、たまんないね~!」
「グラビア見てるオッサンかよ……」
船に上げられた魚みたいに、千波はソファーの上でごろごろバシバシ跳ね回っている。
「ほら、座れないから体ずらしてくれ」
「あーい」
見ているだけでもやかましい妹をどかして、俺もソファーに座る。
さて、ちゃんと今日の復習をしなきゃな……
「あれ、マリカー?珍しいね」
「まあな」
いつの間にか千波は俺の足に頭を乗せており、窮屈そうな姿勢から首を曲げて俺のスマホを見ていた。
「なに?久しぶりに一緒に遊びたくなった?」
「いや、そうじゃなくて。今日ゲーセンで負けたから、動画見て勉強」
「え!?」
千波は勢いよく体を起こすせいで、危うく顎をぶつけそうな所をギリギリで避ける。
「お兄ちゃん!一緒にマリカする友達いたの!?」
千波は目を真ん丸にしている。
「いや、まあ、友達って言うか……」
「よかったよ~お兄ちゃんに友達が出来て!高校では友達作らないとか言いだした時はどうしてやろうかと思ってたよ~」
目の前でパキパキと指を鳴らす千波。プロレスを愛する彼女の闘争本能は己を鍛える事にも向き、現在は空手で県大会優勝するレベルに達している。
どうしようかと思ったの言い間違いであってほしいと切に願う。
「そっかぁ、お兄ちゃんに友達かあ……」
ここで妙に否定してもこじれるだけなので、何も言わないことにした。
しかし、千波の追及は止まらない。
「ちなみにどんな人、イケメン?」
「いや、イケメンっつーか……」
「あーまあ、お兄ちゃんの友達だし、オタクなのは分かってるよ?その上でどうなの?かっこいい?具体的には妹に紹介してもいいレベルの筋肉?」
千波はソファーから身を乗り出して聞いてくる。
母親似と言われる妹は、贔屓目抜きにしても美人なのだが持ち前の無鉄砲さのせいで彼氏が出来たことは一切無い。
「ダメだ、っていうかそいつ女だし」
「……え、女の子?」
「ああ、女だ」
「へー、あっ、そう……」
急に引きつった笑いを浮かべる千波。スマホを握る手は少し震えている。
「待て、誤解だ」
「言い訳御無用、妹に抜け駆けして彼女作る様な兄に育てたつもりはありません!」
「そもそもお前に育ててもらった記憶はねえよ」
「だまらっしゃい!」
マズイ、なんでか知らんが完全に怒らせてしまった。こうなってしまったら出来ることは無い。さっさと部屋に帰って自体が沈静化するのを待とう……。
「お?部屋に戻って彼女に電話ですか!いいご身分だねぇ!」
後ろからヤジを浴びながらそそくさと部屋を退出する。しかし、部屋を出る前に妹に伝えておきたい事があった。
「一応言っておくが妹よ」
「何?まだ言い訳するつもり?」
「男女で遊ぶからってすぐに恋愛だとか騒ぐのはモテないずぉ!」
100%善意で行ったつもりの忠告には、鋭いクッションの一撃が返ってきた。
「うっさい!馬鹿兄!」
勢いのいい言葉と共に、リビングにつながるドアは勢いよく閉められた。
♢
「ひどい目に遭った……」
クッションの攻撃だったはずなのに、ぶつけられた顔面はヒリヒリと痛む。これなら今年の県大会も順調だろう。
妹の成長を感じながら椅子に座りPCの電源を付ける。鈍い音を立てながらファンが回り始める。
セットアップが完了したのを確認して、メッセージアプリを起動する。この作業はもう慣れたものだ。メッセージは、一件来ていた。
<今日この後どう?>
送り主の所には、<†アッシュテイカー†>と書かれている。こいつは俺の唯一と言っていいゲーム仲間だ。
知り合ったのはとあるMMO。
俺はソロプレイに執着していたのだが、ストーリーの中でどうしても複数人でクリアを強要してくるクエストがあって、それに付き合ってもらう形で彼とは知り合った。
友達何て作らないがモットーの俺だが、お互いの名前も顔も声も知らないネットだけでの関係性と言うのは案外心地よく、なんだかんだ関係が続いている。
暫くパソコンの前で考えて、返事を打つ。
<すまん。今日はパス>
打ち込んだ瞬間、向こうの入力が始まったのが表示される。
<残念、何か忙しい感じ?>
<ちょっと今日は疲れてて、一緒にやってもお前の足引っ張りそうだし>
<ノベルが足引っ張るなんてないと思うけど……、そういうことなら了解>
特に何も言わず、あっさり引き下がってくれるアッシュ。初めて会った頃はその名前に嫌な記憶を刺激され言いようのない寒気に襲われたものだが、話してみればさっぱりしたいい奴だった。
補足しておくと、ノベルと言うのは俺のハンドルネームだ。
<ちなみに今日もゲーセン言ってたの?>
<そうそう、学校帰りに格ゲーやってきた>
<いいね、学校帰りに格ゲー。何か青春っぽい>
<うらやましいならお前もやればいいだろ>
俺がアッシュについて唯一知っている事と言えば、彼も俺と同じく高校生である事。以前何かのタイミングで三角関数が分からんとぼやいたことで判明した。
<いやぁ、ゲーセンの格ゲーって何か敷居高くてさぁ>
<いやいや、優しいお兄さんたちが丁寧に指導してくれるぞ?>
<だからそういう所が敷居が高いんだってば……>
こうしていつもアッシュに格ゲーを布教しようとしているのだが失敗している。なぜだ、楽しいのに格ゲー。
あ、でもそういや今日は別のゲームもやったな……
<でも今日はギャラニンだけじゃないぞ?マリカもやったんだ>
<マリカってゲーセンの?凄い椅子がデカい>
<そうそう、合ってる>
<へー。あのゲーム、ソロプレイ対応してるんだ>
しれっと納得したような感じで失礼なことを言ってくるアッシュ。
<一応訂正しとくけど、二人でやったからな>
瞬間、あんなに賑やかだったチャットはぴたりと止まった。
暫く間が空いた後にゆっくりと入力が行われる。
<まじで>
?すら付かないところに、アッシュの感情が読み取れる。千波もそうだが、そんなに驚かれるほどおかしいか?……おかしいのか。
<マジだよ>
<アトラ、リア友いたんだ?僕ずっと高校拗らせぼっちだと思ってた……>
<いや、別に友達じゃないんだけど……>
別に逢坂とは友達という訳ではないのだが……。しかし、アッシュは一切聞いている様子はない。
<それだったら、こうして一緒に話したりゲームする時間も減っちゃうんだろうね……>
どこまで本気で言ってるか分からないが、なんだか湿っぽい事を言い始めるアッシュ。
<なわけあるか、それとこれは話が別だよ>
再び少しの沈黙
<ほんと?>
<ほんとほんと、今日はちょっと疲れてるだけで別にお前とこれっきりなわけじゃないから>
<……そっか、よかった>
アッシュの安心したトーンが画面越しに伝わってくる。こいつ……基本的にいい奴なんだけど、時々なんか湿っぽいんだよな。
……しゃーない、まだ飯までは時間あるか。
<短めのクエストだったら数回一緒に潜れるぞ>
<ホントに!じゃあ今欲しい武器素材あるんだけど、付き合ってくれない?>
武器素材か……要求値にもよるが、結構時間かかるかもな。
「まあ、いいか」
<ちなみに場所は?>
たまには慣れないことをしてみよう。そんなことを考えながらゲームを立ち上げた。




