第10章
彼らは無念だったろう。自分達の人生をふいにしてまで行った行為が、彼らの予想に反して、ベティス嬢自身に何ら精神的な苦痛を与えなかったのだから。
なぜなら、ベティス嬢の素顔を見た生徒達から上がった声は、笑いでも驚嘆でも嘲りでもなかったからだ。
みんなはそろって目を細め、笑顔になって、「可愛いい」と呟いたのだから。
眼鏡が外れて現れたのは円な瞳だった。
しかしそれは、母親のような、それはそれは小さな円な瞳などではなく、ぱっちりとした大きな円な瞳だったのだ。
しかも、足と臀部を痛めたせいで涙で潤んだ瞳。
そう。ベティス嬢は絶世の美人ではなかったが、そこそこ可愛い顔をしていたのだ。愛らしいという言葉がぴったりの。
みんなは思い違いをしていた。
ベティス嬢は母親譲りの薄茶色のチリチリ天パーの髪に瓶底眼鏡をかけていたために、彼女はクーチェ夫人似なのだろう。そう勝手に思い込んでいたのだ。
しかし、子供というものは両親の遺伝子を受け継いでいるのだ。
たしかに彼女の髪の毛とその性質は母親譲りだったかもしれないが、ベティス嬢は基本的には父親に似た容姿をしていたのだ。
特殊な眼鏡のせいで他人にからはわからなかったのだろうが、顔の造形はそこそこ美形の父親に瓜二つだった。そして瞳も父親と同じ若草色だった。
それに運動神経も母親ほど酷くなく、人並み、いやむしろ良い方の部類だった。
そのことは十二歳の時から付き合っている彼女の婚約者、幼なじみの親友、そして生徒会役員達も知っていた。
自分の炯眼の力で信頼できる人間だと判断した相手の前では、ベティス嬢は普段から普通に眼鏡を外して素顔を晒していたからだ。
それは、生徒会の仕事をしている時は、眼鏡をかけていると書類仕事に差し障りが出てしまうからだった。
だからこそフランドル公子は、仲間の言葉にも過剰に反応をしていたのだ。彼らは可愛いベティス嬢の素顔を知っていたのだから。
フランドル公子はベティス嬢一筋だった。
しかしそれは、彼が伯父のように地味子が好きだったからではなく、彼女の優しさやほんわかした笑顔と声が好きだっただけだ。
瓶底眼鏡をかけていても外していても、それは関係なく、婚約者の全てが可愛いくて愛らしいと思っていた。
そしてそんなフランドル公子は物凄いヤキモチ焼きだった。癒しの婚約者を奪われてなるものかと、いつも回りを警戒していた。
それなのに不意を突かれ、大事なベティス嬢が怪我をさせられてしまった。彼の腸が煮え返った。
もちろん、そんな時でも彼は表面上は冷静だった。しかし、教師達が四人組を連れ出した後、みんなを見渡しながら、徐ろに同級生達に向かってこう言った。
「今日我が婚約者に起きた事柄は他言無用で頼む。彼女の素顔のことも忘れて欲しい。
もし、彼女の素顔に対する噂が少しでも流れたら、連帯責任でここにいる全員で償ってもらう」
(そんな無茶苦茶な!)
(頼むと言ってるが、それ、命令だろう!)
その場にいた全員がそう思ったが、怖くて誰も反論しなかった。
それに普段の公子の溺愛ぶりを知っていたので、これは口だけじゃないとすぐに理解した。
つまり公子は、ベティス嬢の可愛らしさを人に知られたくはないのだな。そう察した生徒達は、みんな素直にこくこくと頷いたのだった。
そんな彼に婚約者のベティス嬢は、いつものようにふんわりとこう言って彼を宥めた。
「フラン様、私は皆様のお好みではないと思いますので、そんな心配なんていりませんよ」
しかしフランドル公子はいつものようにこう言い張った。
「可愛いベティスの素顔を見たらみんな君を好きになるに決まっている」
それを聞いてベティス嬢は小さくため息をついた。
そもそもその事件が起こるずっと前から、ベティス嬢は焼きもち焼きで、かつ心配性の公子対策のために、卒業の日までは素顔を隠しておくことに決めていたのだ。
もちろん慧眼と魔眼の力の暴走を防ぐためというのが一番大きな目的ではあったのだが。
そのために彼女は、生徒会室以外では決して眼鏡を外さないようにしていたのだ。
それなのに、無理矢理眼鏡を外されて、人前に素顔を曝すことになってしまった。
「あいつら終わったな。馬鹿なのか? ガイヤール公爵家に楯突こうなんてさ」
「大体、公子の彼女への執着心なんて一目瞭然じゃないか。
それなのに彼女にちょっかい出そうと思うくらいの頭なんだから、どのみち奴らの夢なんて所詮絵空事に過ぎなかったとは思うけれどね」
「あ〜あ。本当に人迷惑な人達だこと」
ベティス嬢本人だけでなく、ララーティーナ公女や他の生徒会役員の男子は、深くため息をついた後でこう囁やき合ったのだった。




