第8話:神業と錆落とし
Aランク冒険者である”絶華”のリナが、僕なんかに膝をつき、頭を下げている。
その異常な光景に、ギルドマスターのドルガンさんとポーション先生は息を呑み、僕はただただ狼狽えるしかなかった。
「え、えっと、頭を上げてください、リナさん! 僕にできることなら、協力しますから!」
僕が慌てて言うと、リナは顔を上げた。その美しい顔には、これまで浮かべていた険しさは消え、ただひたすらに切実な祈りの色が浮かんでいる。
「本当か…? 本当に、私の『刹那』を…?」
「やってみなければ分かりませんが、見たところ、直せそうな気がします」
僕の根拠のない、しかし確信に満ちた言葉に、リナは再び希望の光を見出したようだった。
ドルガンさんが、重々しく口を開く。
「…よし、分かった。ここは人目につきすぎる。奥の工房を使え。ポーション先生、我々も立ち会わせてもらうぞ。カイ君の…神業を、この目で見届ける」
ドルガンさんの案内で、僕たちはギルドの地下にある工房へと移動した。そこは、鍛冶師が使うための場所なのだろう。巨大な炉や金床、様々な道具が整然と並べられ、鉄と石炭の匂いが染み付いていた。
工房の中央にある頑丈な作業台に、リナはそっと愛剣『刹那』を置いた。
改めて間近で見ると、その剣がいかに素晴らしい物かが分かる。刀身には、水面を思わせる美しい刃紋が浮かび、柄や鍔には芸術的な装飾が施されている。だが、それら全てを台無しにするように、刀身全体から黒い靄のようなオーラが立ち上り、見る者に不快感を与えていた。
「この『刹那』は、私の家に代々伝わる宝剣です。呪いを受けてからというもの、かつての輝きは失われ、ただ私の生命を吸うだけの存在になってしまいました…」
リナが、悲痛な面持ちで語る。
僕は頷くと、作業台の前に立ち、静かに剣を見つめた。
ドルガンさんとポーション先生は、固唾を飲んで僕の一挙手一投足を見守っている。リナは、祈るように両手を胸の前で組んでいた。
僕は、おもむろにその剣に両手をかざした。ハンマーも、薬品も、炉の火も使わない。僕に必要なのは、僕自身の創成魔法だけだ。
目を閉じ、意識を集中させる。
僕の脳裏に、剣の内部構造が三次元的に展開されていく。本来あるべき、清らかで秩序正しい魔力鋼の結晶構造。そして、そこにこびり付くように侵食している、異質で歪な魔力構造――呪いの正体。それは、緻密な機械に絡みついた、一本の錆びた鎖のようだった。
(…見つけた。これを、取り除けばいいだけだ)
僕の指先から、淡い銀色の魔力が糸のように流れ出し、『刹那』を繭のように包み込んでいく。工房の中が、先日の月光草の女王が放っていた光と同じ、清浄な輝きで満たされた。
ポーション先生が「おお…」と感嘆の声を漏らすのが聞こえる。
僕の魔法は、剣を傷つけない。ただ、僕が「不純物」と認識したものだけを、分子レベルで標的にする。
銀色の光が、剣に付着した呪いの構造に触れると、黒い靄はまるで朝日に晒された霧のように、シュワシュワと音を立てて消滅し始めた。絡みついていた鎖が、一つ、また一つと解かれていく。剣の内部で滞っていた魔力の流れが、少しずつ、本来の輝きを取り戻していくのが分かった。
さらに、僕は剣の構造そのものにも少しだけ手を加える。魔力鋼の結晶の配列を、より魔力が流れやすいように最適化し、刃の先端は原子レベルで鋭く再構築する。これは僕にとっては、ほんの少しの「おまけ」のつもりだった。
やがて、全ての「錆」が取り除かれ、剣を包んでいた光がゆっくりと引いていく。
僕が目を開けると、そこには、先ほどまでとは全く違う姿になった一振りの剣が横たわっていた。
黒い靄は完全に消え失せ、刀身はまるで月光をそのまま閉じ込めたかのように、清らかで青白い光を放っている。工房の薄暗い光を反射し、その刃紋は以前よりも遥かに美しく、そして鋭く輝いていた。剣全体から感じられるのは、淀みなく流れる、清冽な魔力の波動。
「…できました」
僕が告げると、三人はまるで魔法から覚めたかのように、同時に息を吸った。
リナが、震える手で『刹那』を手に取る。
その瞬間、彼女の目が見開かれた。
「軽い…! まるで、自分の手足のように…! そして、この力…! 呪われる前よりも、遥かに…!」
彼女は、まるで恋人に触れるかのように、その刀身をそっと撫でた。すると、剣は主の想いに応えるかのように、心地よい共鳴音を響かせる。リナの瞳から、大粒の涙がいくつもこぼれ落ちた。それは、長年の苦しみからの解放と、かけがえのない相棒との再会を喜ぶ、歓喜の涙だった。
「…神の御業じゃ…」
ポーション先生が、腰を抜かさんばかりにへたり込みながら呟いた。
「呪いを浄化するだけでなく、武具そのものの性能を向上させるなど…! これは錬成や付与魔法の領域を遥かに超えておる! まさに、概念そのものを創り変える…『概念創造』…! 古代の神々が使ったとされる伝説の魔法…!」
ドルガンさんもまた、その鋭い目を驚愕に見開き、僕を凝視していた。その視線は、もはや「面白い新人」を見るものではない。「歩く伝説」あるいは「理解不能の災害」を見るような、畏怖の念が込められていた。
リナは涙を拭うと、僕の前に進み出た。そして、先ほどよりも深く、迷いなく、その場で片膝をついた。それは、騎士が主に捧げる、絶対の忠誠を示す誓いの形だった。
「カイ殿。このご恩は、言葉では返しきれません。私のこの剣、そしてこの命は、今日からあなたのものです。いかなる時も、あなたの盾となり、あなたの剣となることを、我が魂に誓います」
Aランク冒_険者が、その全てを僕に捧げると言う。そのあまりの壮絶さと真剣さに、僕は完全にうろたえてしまった。
「えええ!? 命なんて、そんな大げさな…! ちょっと錆を落としただけですよ!?」
僕の素っ頓狂な声が、荘厳な雰囲気に満ちていた工房に、間抜けに響き渡った。
リナは顔を上げ、涙の跡が残る顔で、それでも心の底から嬉しそうに、ふわりと微笑んだ。それは、”絶華”の異名を持つ彼女が、初めて見せた花の綻ぶような笑顔だった。