第7話:絶華の剣士と神業の噂
翌朝、僕はすっかり上機嫌で目を覚ました。
初めての依頼を無事に終え、銀貨5枚の報酬も手に入れた。この街での生活は、幸先の良いスタートを切ったと言えるだろう。今日もまた、何か簡単な依頼でも探そうと、僕は再び冒険者ギルドへと向かった。
しかし、街の様子が昨日とは少し違っていた。すれ違う人々が、僕を見てひそひそと何かを囁き合っている気がする。気のせいだろうか?
僕がギルドの扉を開けると、昨日以上の視線が一斉に突き刺さった。昨日まで僕のことなど誰も気にしていなかったはずなのに、まるで僕が何か有名な人物であるかのような注目度だ。昨日あれだけ騒がしかった酒場コーナーの冒険者たちも、僕に気づくと少しだけ声を潜める。
(な、なんだ…?)
居心地の悪さを感じながらも、僕は受付カウンターへ向かう。そこには、昨日と同じく受付嬢のエリスさんがいたが、その顔には疲れと、どこか諦観のようなものが浮かんでいた。
「あ、おはようございます、カイさん…」
「おはようございます。今日も何か依頼を受けようかと…」
「その前に、少しよろしいでしょうか。ギルドマスターがお呼びです」
「ギルドマスターが? 僕をですか?」
ギルドの支部長が、登録したばかりのFランク冒険者に何の用だろうか。疑問に思いながらも、僕はエリスさんに案内されるまま、ギルドの奥にある執務室へと通された。
部屋の中には、初老の鑑定士、ポーション先生と、見るからに歴戦の猛者といった風格の、大柄な男性がいた。口元を覆う立派な髭、鋭い眼光。彼がこのフロンティアギルドのマスター、ドルガンさんだろう。
「君が、カイ君か。まあ、座りなさい」
促されるままに椅子に座ると、ドルガンさんは深々と頭を下げた。
「まずは礼を言わせてくれ。君が持ち帰ってくれた『月光草の女王』、あれは本物だった。ポーション先生の鑑定によれば、あれを元に培養すれば、この街のポーションの品質は飛躍的に向上する。多くの冒険者の命が救われ、街全体の戦力向上にも繋がるだろう。まさに、街の宝だ」
「はあ、それは良かったです」
「そこで、だ。本来なら、国に報告して正式な報酬手続きを踏むべきだが、君の希望通り、依頼はFランクのものとして処理した。だが、それではこちらの気が収まらん。これは、ギルドからの個人的な感謝の印だ。受け取ってくれたまえ」
そう言って、ドルガンさんは金貨がずっしりと詰まった革袋をテーブルに置いた。素人目にも、かなりの大金だと分かる。だが、僕はそれを押し返した。
「いえ、結構です。依頼の報酬は、昨日確かにいただきましたので。あれは、皆さんの役に立てばと思って持ってきただけですから」
僕の言葉に、ドルガンさんとポーション先生は顔を見合わせ、そして、信じられないものを見るような目で僕を見つめた。
「…君は、欲がないのだな。いや、欲がないというより、価値の基準が我々と違うのか…」
ドルガンさんは感心したように呟き、革袋をしまった。
「分かった。君の意思を尊重しよう。だが、覚えておいてくれ。このフロンティアギルドは、君の味方だ。何か困ったことがあれば、いつでも相談に来てほしい」
その言葉は、僕にとって金貨よりもずっと価値のあるものに思えた。
話が一段落した、その時だった。
ガンガンガンッ!
執務室の扉が、乱暴に叩かれた。
「ドルガンさん! いらっしゃるんでしょう! 開けてください!」
切羽詰まった、しかし凛とした女性の声。エリスさんの制止を振り切って、扉が勢いよく開かれた。
そこに立っていたのは、一人の女剣士だった。
陽光を反射するような銀色の長髪を一つに束ね、その身には、機能的でありながらも気品を感じさせる軽鎧を纏っている。何よりも目を引くのは、その鋭い眼光と、腰に差された一振りの剣。美しい装飾が施された、明らかに名剣と分かる代物だが、その刀身からは禍々しい黒いオーラのようなものが立ち上り、剣そのものが苦しんでいるように見えた。
「リナ…! ノックくらいできんのか、お前は!」
「非常時です! それより、噂は本当ですか!? どんな呪いも解くという伝説級の植物が、昨日このギルドに運び込まれたというのは!」
女剣士――リナは、ドルガンさんに詰め寄る。その目は、必死だった。
ドルガンさんは、やれやれといった様子で僕を見た。
「噂が広まるのが早すぎるな…。ああ、本当だ。そこにいるカイ君が、森の奥から見つけてきてくれた」
リナの鋭い視線が、僕に突き刺さる。Sランクパーティにいた頃に何度も向けられた、格下を見るような目だ。だが、彼女の目には侮蔑だけでなく、焦りと、わずかな希望が混じっていた。
「このFランクの…少年が…?」
リナの呟きに、ポーション先生が口を挟む。
「リナ君、見た目で判断するのは早計じゃぞ。それより、お主のその剣…『刹那』の呪いは、まだ解けんのか」
「ええ…。高名な神官や錬金術師を訪ね歩きましたが、誰もこの呪いを解くことはできませんでした。剣に宿る魔力が、日に日に私の生命力まで蝕んでいます…。これが、最後の望みなんです!」
"絶華"のリナ。王都でも名の知れたAランクの冒険者だ。その異名は、舞うように敵を切り裂く華麗な剣技と、触れる者全てを拒絶するような孤高の美しさから来ているという。彼女の愛剣『刹那』が、解呪不能の呪いにかかっているという噂は、僕も聞いたことがあった。
僕は、彼女の持つ剣に目を向けた。創成魔法の感覚で、その構造を分析する。
(なるほど…これは、呪いというより…)
僕には、剣の素材そのものに、特殊な魔力を持つ「錆」のようなものが、分子レベルでこびりついているように見えた。その不純物が、剣本来の魔力の流れを阻害し、異常な反応を引き起こしている。生命力を蝕むというのも、その異常な魔力波長が、持ち主に悪影響を与えているだけだ。
ポーション先生が、腕を組んで唸る。
「ううむ…月光草の女王を使えば、あるいは…。じゃが、ただ煎じて飲ませるだけでは効果は薄いじゃろう。剣に宿った呪いを浄化するには、女王の力を最大限に引き出す、神業レベルの錬成技術が必要になる。ワシでも、『刹那』そのものを損なわずに呪いだけを取り除く自信は…」
その時、僕は思わず口を開いていた。
僕にとっては、それはあまりにも単純な問題に見えたからだ。
「あの…その剣、呪いというか、魔力の流れを阻害する不純物が付着しているだけに見えます。取り除けば、直るんじゃないでしょうか」
しん、と執務室が静まり返った。
ドルガンさんも、ポーション先生も、そしてリナも、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、僕を凝視している。
「…不純物、ですって?」
リナが、かすれた声で聞き返した。
「ええ。金属の表面に、余計なものがくっついているだけ、というか…。綺麗に掃除すれば、元に戻ると思いますけど」
僕のあまりにも単純な、そしてあまりにも核心を突いた言葉に、その場の誰もが言葉を失った。
伝説の呪いを、「掃除すれば直る」と言い切ったのだ。それは、無知な若者の戯言か、あるいは、常識を超えた天才だけが到達できる真理か。
リナは、数秒間、僕の顔をじっと見つめていた。僕の目に、嘘や悪意がないことを確かめるように。
やがて、彼女は決意したように、その場に膝をつくと、僕に向かって深く頭を下げた。Aランクの天才剣士が、Fランクの新人冒険者に対して。それは、ありえない光景だった。
「Fランクの…いえ、カイ殿。どうか…どうか、私の剣を救ってはいただけないでしょうか」
その声は、震えていた。
絶望の淵にいた彼女が、初めて見つけた、細く、しかし確かな光。
僕は、彼女の必死な願いと、目の前の「興味深い修理対象」から、目をそらすことができなかった。