第5話:虹色のFランク
フロンティアの冒険者ギルドは、その街の気風をそのまま体現したような場所だった。
王都のギルドが、静かで、どこか官僚的な雰囲気すら漂わせていたのとは対照的だ。ここは、熱気と喧騒に満ちていた。建物の主材は、磨き上げられた石材ではなく、武骨だが頼りがいのある太い木材。壁には、巨大な魔物の頭蓋骨や、歴戦の武器が飾られている。酒場が併設されており、依頼を終えた冒険者たちが昼間からエールを飲み交わし、大声で武勇伝を語り合っていた。
多種多様な人種。屈強なドワーフの戦士、しなやかなエルフの射手、そして僕のような人間の冒険者。誰もが自分のことで精一杯で、新参者の僕に奇異の目を向ける者はいなかった。その空気が、僕には心地よかった。
僕は、いくつかある受付カウンターの一つへと向かう。対応してくれたのは、亜麻色の髪をポニーテールにした、快活そうな女性だった。胸元の名札には「エリス」と書かれている。
「こんにちは。何かご用件ですか?」
「あの、新しく冒険者登録をしたいのですが」
「はい、新規登録ですね。歓迎しますよ、フロンティアへ! 経験はありますか?」
「ええ、まあ…少しだけ」
『紅蓮の剣閃』にいたことは、伏せておく。Sランクだったなどと言えば、面倒なことになるのは目に見えていた。
「分かりました。では、こちらの用紙に名前を書いてください。それから、登録には身分証となるギルドカードの作成が必要です。この金属プレートに、血を少しだけ垂らしてもらえますか?」
エリスさんは、そう言って一枚のくすんだ銀色の金属プレートを差し出した。直径5センチほどの、変哲もない円盤だ。冒険者の魔力と血液を媒介にして、個々人を識別する魔法具なのだろう。王都で使っていたものと同じ仕組みだ。
僕は、渡された針で指先を軽く突き、プレートの中央に血を一滴落とした。
血がプレートに染み込んだ瞬間、僕の体内の魔力が自然とプレートに流れ込む。
(これが、これからの僕の身分証になるんだ。すぐに壊れたり、傷だらけになったりしないように、頑丈にしておこう。名前の文字も、擦れて読みにくくなったら困るな。あと、汚れにくい方がいいかもしれない)
いつも通り、無意識に創成魔法を発動させた。僕にとっては、装備を修復したり、水を浄化したりするのと同じ、ごく自然な行為だった。
その瞬間、僕の手の中にあったプレートが、ありえない輝きを放った。
「え…?」
エリスさんが、小さく声を漏らす。
くすんだ銀色だったプレートは、まるで液体金属のようにその姿を変え、表面が虹色の光沢を帯び始めたのだ。光の角度によって、オーロラのように色を変える、見たこともない金属へと。その輝きは、カウンター周辺にいた他の冒険者たちの注意すら引き始めていた。
プレートはひとりでに形を整え、完璧な真円を描く。表面は鏡のように滑らかになり、僕が書いた「カイ」という名前と、新規登録者を示す「F-Rank」という文字が、彫られたのではなく、まるで素材そのものの一部であるかのように、くっきりと浮かび上がった。
「…できました」
僕が完成したカードを差し出すと、エリスさんは呆然としたまま、恐る恐るそれを受け取った。
「な……なんなの、これ…?」
彼女はカードを裏返し、指で弾き、爪で擦ってみる。だが、虹色の輝きは些かも失われず、当然のように傷一つ付かない。彼女は信じられないといった様子で、カウンターの引き出しから事務用のペーパーナイフを取り出し、その切っ先でカードを引っ掻いてみた。
キィン、と高い音が響く。ペーパーナイフの先端が、あっけなく欠けた。ギルドカードは、無傷のままだった。
「うそ…オリハルコンだって、こんな硬度はないわよ…。それにこの輝き…伝説級の魔法金属、『虹霓鋼』…? まさか…」
エリスさんは、僕の顔と手の中のカードを何度も見比べ、混乱したように小声で呟いている。
「あの、何か問題でもありましたか?」
僕が尋ねると、彼女はハッとして我に返った。
「も、問題…!? 問題しかないわよ! どうやったの、これ!? 普通の登録プレートが、どうしてこんなものに…!」
「え? いえ、頑丈な方がいいかなと思いまして…。少し、魔力を込めてみただけなんですが…」
僕が素直に答えると、エリスさんは天を仰いだ。その顔には「この人、自分が何をしたのか全く分かっていない」と書いてある。
「…分かったわ。分かりました」
彼女は深呼吸を一つすると、プロの受付嬢としての表情を取り戻した。
「カイさん。あなたのギルドカードは、確かに受理しました。おそらく、このギルド、いえ、この大陸で最も頑丈で美しいカードです。大切にしてください。絶対に、絶対に失くさないでくださいね」
その念押しの強さに、僕は少し戸惑いながらも頷いた。彼女は何かを諦めたように、登録手続きを完了させ、僕のカードを有効化した。
「はい、これでカイさんは、本日よりFランクの冒険者です。依頼はあちらの掲示板から、ご自身のランクに合ったものを選んで受けてください。何か質問は?」
「ありがとうございます。大丈夫です」
僕は礼を言って、掲示板の方へ向かった。
手の中には、虹色に輝く僕の新しい身分証。少し頑丈にしすぎたかもしれないが、まあ、悪いことではないだろう。
掲示板には、様々な依頼書が貼られていた。高ランクの依頼は、ワイバーンの討伐や盗賊団の壊滅など、物騒なものが多い。僕は、Fランクの冒険者向けのコーナーへと目を移す。
『ギルド倉庫の清掃』『迷子猫の捜索』『城壁の見張り手伝い』
どれも、平和で、僕が望んでいた「のんびり」とした仕事に思えた。その中で、一つの依頼書が目に留まった。
『依頼内容:薬草の採取』
『採取対象:月光草 10本』
『採取場所:フロンティア西の森』
『報酬:銀貨5枚』
薬草採取。これなら、森を散歩するようなものだ。最初の仕事としては、うってつけだろう。
僕はその依頼書を剥がして、エリスさんのカウンターへ持っていく。彼女は、まだ少しだけ呆然とした様子だったが、僕の顔を見ると、どこか優しい、苦笑いのような表情を浮かべた。
「最初の依頼ですね。分かりました。頑張ってください、カイさん。…色々と」
その含みのある言葉の意味を、僕はいまいち理解できないまま、ギルドを後にした。
ポケットの中の虹色のカードが、やけに存在感を主張している。
ともかく、これで僕も、フロンティアの冒険者だ。
僕は、最初の仕事に取り掛かるため、西の森へと向かって歩き始めた。まだ見ぬ穏やかな未来を信じて。