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第36話:過去の終わりと、未来の始まり

『紅蓮の剣閃』が、僕の前から永遠に姿を消した、その翌朝。

フロンティアの空は、憎らしいほどに、青く澄み渡っていた。


僕は、一人、家の庭に立っていた。

朝露に濡れたトマトの葉が、昇り始めた朝日に照らされて、キラキラと輝いている。全てが、昨日と何も変わらない、穏やかな朝だ。だが、僕の心の中だけは、嵐が過ぎ去った後の、静寂に満ちていた。


昨夜の出来事を、思い返す。

僕を裏切り、追放した者たちとの再会。暴かれた真実。そして、僕が下した、冷徹な審判。

僕の胸に、後悔はなかった。彼らは、犯した罪の、当然の報いを受けたに過ぎない。

だが、勝利の歓喜も、また、なかった。あるのは、ただ、一つの重い章が、ようやく終わったという、静かな安堵と、ほんの少しの虚しさだけ。あれは、僕が望んだ復讐の形だったのだろうか。僕にも、分からなかった。


「カイ様」


そっと、僕の背後から、セレスティーナの声がした。振り返ると、彼女と、リナ、そしてライラが、心配そうな顔で僕を見つめていた。

「昨夜は、よくお眠りになれましたか?」

セレスティーナの問いに、僕は、少しだけ微笑んで見せた。


「ええ。久しぶりに、昔の夢を見ずに済みました」


その言葉は、嘘ではなかった。

何年もの間、僕を苛み続けてきた、追放された日の悪夢。あの、嘲るようなアレクの声と、軽蔑に満ちたタニアの瞳。その記憶が、昨夜を境に、まるで遠い国の物語のように、色褪せていた。

僕は、本当に、過去から解放されたのだ。


僕の答えに、三人は、心の底から安堵したように、その表情を和らげた。

僕たちは、言葉を交わすことなく、ただ、一緒に、生まれ変わった僕の畑を眺めた。僕が創り出した、温かい日差しと、清浄な空気。そして、僕の隣に立つ、かけがえのない仲間たち。

僕の新しい日常は、もう、誰にも奪わせない。



その日の午後。僕の家には、ギルドマスターのドルガンさんが、神妙な顔で訪れていた。

僕たちは、リビングのテーブルを囲み、最後の、そして、最大の脅威についての対策会議を開いていた。

――ウロボロス商会。


「奴らは、蛇だ」と、ドルガンさんは、重々しく語り始めた。「一度、獲物と定めれば、決して諦めない。アレクたちが失敗した今、奴らは、必ず、次の手を打ってくる。今度は、もっと狡猾で、もっと残忍な手を、な」


「経済的な圧力をかけてくる可能性もございます」と、セレスティーティーナが分析する。「フロンティアへの物資の流入を止めたり、この街の産物の不買運動を、他の街で扇動したり…」

「あるいは、もっと直接的な、暗殺者のような手駒を送ってくるかもしれません」と、リナが、鋭い視線で付け加える。


フロンティアは、豊かになった。だが、それは、まだ芽吹いたばかりの、小さな苗木のようなものだ。ウロボロス商会という、大陸全土に根を張る巨大な組織を前にすれば、あまりにも無力。

どうすれば、僕たちの平穏を守れるのか。


皆が、難しい顔で黙り込む中、僕は、静かに口を開いた。

「――要は、フロンティアという街そのものを、誰にも手出しができない、絶対的な聖域にしてしまえばいいんですよね?」


僕の言葉に、全員の視線が集中する。

僕は、工房から、一枚の、巨大な設計図を持ってきた。それは、この数日間、僕が、来るべき脅威に備えて、密かに構想していたものだった。


「僕の家の防衛システムを、このフロンティアの街全体を覆う規模に、拡張します」


僕が広げた設計図には、フロンティアの街の地図と、その上に描かれた、無数の、幾何学的な術式が記されていた。

「街の周囲、数キロに渡って、地下に魔力循環を補助するアンカーを設置します。そして、それらを、僕が新たに創る、巨大な『調律のオーブ』と接続させる。そうすることで、街全体を、半永久的に持続する、多層式の防衛結界で覆うことができるんです」


僕の、あまりにも壮大な計画に、ドルガンさんは、もはや驚きもせず、ただ、疲れ切ったように尋ねた。

「…その、結界とやらは、一体、何ができるんだね?」

「色々、できますよ」


僕は、設計図を指さしながら、その機能を説明し始めた。

「まず、第一層は、索敵結界。街に敵意を持って侵入しようとする者を、瞬時に識別し、その位置と規模を、ギルドへ自動的に通報します」

「第二層は、物理防壁。有事の際には、城壁を遥かに凌ぐ強度の、不可視の壁を出現させ、あらゆる物理攻撃を防ぎます」

「そして、第三層は、自動迎撃システム。僕の家の庭で動いたものと同じ、ミスリル製の戦闘ゴーレムを、必要に応じて、結界内のどこにでも、瞬時に転移させ、侵入者を無力化します」

「動力源は、この土地に流れる自然の地脈エネルギー。僕が、ヴァレリウス領で行ったように、この土地の魔力循環を最適化し、半永久的に、自己修復しながら稼働し続けます」


僕の説明が終わった時、部屋は、完全な沈黙に包まれていた。

リナも、セレスティーナも、そして、歴戦のギルドマスターであるドルガンさんですら、その口を、あんぐりと開けて、僕と設計図を、交互に見ている。

それは、もはや、街の防衛システムなどという、生易しいものではない。

一つの街を、大陸のいかなる国家、いかなる組織からも、完全に独立させる、絶対不可侵の要塞都市を創り上げるという、神の領域の計画だった。


やがて、ドルガンさんは、天を仰いで、乾いた笑いを漏らした。

「…はは。そうか。要塞都市、か。君は、本当に…。もう、何も言うまい」

彼は、僕の肩を、力強く叩いた。

「やれ、カイ君。君のやりたいように、やってくれ。ギルドの全人員、いや、この街の全ての住民が、君の計画に、全面的に協力しよう」



それからの数日間、フロンティアの街は、奇妙な熱気に包まれた。

僕の指揮の下、街のあちこちで、大規模な「工事」が始まったのだ。レオ君が率いる鍛冶師たちは、僕の設計図通りに、結界のアンカーを鍛え上げ、冒険者たちは、それを、街の周囲の指定された地点に、次々と設置していく。

そして、僕は、家の工房で、計画の心臓部となる、巨大な『調律のオーブ』の制作に没頭した。


そして、計画開始から五日後。

僕と、仲間たち、そしてドルガンさんは、ギルドの屋上に立っていた。眼下には、僕たちの愛する、フロンティアの街並みが広がっている。

僕の手には、完成した、赤ん坊の頭ほどの大きさのオーブが、静かな輝きを放っていた。


僕は、オーブを、屋上に設置された台座に、そっと置く。

そして、創成魔法を、発動させた。


オーブから放たれた光が、街の地下に設置された、全てのアンカーと結びつく。街全体が、一瞬だけ、柔らかな光のドームに包まれ、そして、その光は、何事もなかったかのように、すっと消えて、透明になった。

だが、確かに、そこには、存在している。

誰にも破ることのできない、フロンティアを守る、絶対的な盾が。


「…君は、本当に…」

ドルガンさんが、感極まったように、言葉を詰まらせる。

僕は、やり遂げた満足感に、静かに息をついた。

僕の過去との戦いは、終わった。

そして、未来の脅威に対する、備えも、完了した。

これで、僕がやるべき、大きな仕事は、全て終わったはずだ。


「カイ君。我々が、君にしてやれることは、もう、何もないな。君は、この街に、全てを与えてくれた」

ドルガンさんの、感謝の言葉に、僕は、ふと、いたずらっぽく笑って見せた。


「いいえ。まだありますよ」


全員が、僕の言葉に、不思議そうに顔を向ける。


「明日、僕の畑で採れた、完熟トマトで、みんなでパーティーをしましょう。それが、今の、僕の一番の望みです」


僕の、あまりにもささやかな望み。

それを聞いた、リナも、セレスティー-ナも、ライラも、そしてドルガンさんも、一瞬、きょとんとした後、全員で、朗らかに、笑い出した。

僕たちの、本当の意味での、平和で、穏やかで、そして、とびきり美味しいスローライフが、ようやく、始まろうとしていた。

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