第3話:辺境という名の希望
『紅蓮の剣閃』が去った後、ダンジョンの入り口には、僕一人だけが取り残された。
ひんやりとした風が頬を撫で、先ほどまでの怒声や金属音が嘘のように、世界は静寂に包まれていた。手の中には、侮辱のように投げ渡された数枚の銀貨。これが、僕が長年尽くしてきたパーティへの貢献に対する、最終的な評価だった。
じわじわと、実感と感情が波のように押し寄せてきた。
まず感じたのは、燃えるような怒りだ。僕の警告を無視し、自分たちの未熟さで招いた危機を、全て僕一人に押し付けたあの傲慢さ。事実を捻じ曲げてまで守ろうとした、彼らの薄っぺらなプライド。その一つ一つを思い出すたびに、腹の底が煮え繰り返るようだった。
だが、怒りの波が引くと、次にやってきたのは深い喪失感だった。
どれだけ理不尽な扱いを受けようと、あのパーティは僕の居場所だった。来る日も来る日も、彼らのために魔法を使い、彼らが最高の状態でいられるように心を砕いてきた。それが、僕の存在意義だった。それを、今日、僕は失った。
「…これから、どうすればいいんだ」
独り言が、虚しくこだまする。
Sランクパーティを、仲間への裏切りという最悪の形で追放された僕を、王都で雇ってくれるパーティなどあるはずもない。アレクのことだ、僕がどれほど卑劣な人間だったか、尾ひれをつけてギルド中に吹聴しているに違いない。
途方に暮れ、その場に座り込む。夜の闇が、ゆっくりと世界を覆い始めていた。魔物が出没してもおかしくない時間だ。野営の準備をしなければならない。いつもなら、僕がパーティ全員のためにやっていた作業だ。
その思考に至った瞬間、ふと、奇妙な感覚が湧き上がった。
――ああ、そうか。もう、彼らのために準備をする必要はないんだ。
僕が準備をするのは、僕自身のためだけ。
その事実に気づいた途端、ほんの少しだけ、心が軽くなったような気がした。
僕は立ち上がり、近くにあった小さな洞窟へと歩を進める。中は湿っぽく、ゴツゴツとした岩肌が剥き出しだった。パーティと一緒なら、ここに全員分の快適な空間を無理やり作り出していたところだ。
でも、今は僕一人。
僕は洞窟の床にそっと手を触れた。創成魔法を発動する。脳裏に浮かべるのは、平らで、乾いていて、適度に柔らかい地面のイメージ。
ゴトゴトと微かな音を立て、地面の岩が形を変え、湿った土は水分を失い、まるで手入れの行き届いた絨毯のような、ふかふかとした苔のベッドが目の前に現れた。
「…すごい」
思わず、声が漏れた。
今まで、自分の魔法の成果を客観的に見て、感心するような余裕はなかった。常に、仲間たちの評価を気にしていたからだ。
僕は次に、乾いた薪と火口を創り出し、小さな火を熾す。煙が出ないように、魔力で空気の流れを制御する。洞窟全体が、柔らかな光と暖かさで満たされた。
夕食はどうしようか。幸い、僕の魔法は食料も創り出せる。懐から革袋を取り出し、水を注いでから魔法をかける。イメージするのは、前世で食べた、具沢山のポトフ。
革袋の中の水がひとりでに沸騰し、中にはホクホクのジャガイモや人参、そして柔らかく煮込まれた肉が出現していた。創り出した木の器に注ぎ、一口すする。温かいスープが、冷え切った身体に染み渡った。
そのあまりの心地よさに、涙がこぼれそうになった。
僕の魔法は、「雑用係の便利な手品」なんかじゃなかった。どんな過酷な環境でも、安全で快適な生活を保障してくれる、最高のサバイバルスキルじゃないか。
彼らは、この力の本当の価値に、全く気づいていなかったんだ。そして、何を隠そう、この僕自身も。
一晩、創り出した快適なベッドでぐっすりと眠り、僕は完全に気持ちを切り替えることができた。
あのパーティのことは、もう忘れよう。彼らがこれからどうなろうと、僕には関係ない。
問題は、僕がこれからどこへ向かうかだ。
王都に戻るのは論外だ。
では、どこか別の街で、鍛冶師や錬金術師として生きる道は?
それも悪くないかもしれない。だが、どうせなら、過去の僕を知る人間が誰もいない場所で、全く新しい人生を始めてみたい。
その時、脳裏に一つの地名が浮かんだ。
『フロンティア』
大陸の東端に位置する、辺境の街。王都の支配も緩く、様々な事情を抱えた者たちが、一旗揚げようと集まる場所だと聞いたことがある。開拓途中の土地ゆえに、仕事はいくらでもあり、実力さえあれば過去は問われない、と。
「…フロンティアか」
いいかもしれない。
あの場所なら、僕の創成魔法も、誰かの役に立てられるかもしれない。いや、誰かのためじゃない。僕自身が、穏やかに、のんびりと生きていくために、この力を使えるかもしれない。
行き先は決まった。
僕は自分が創り出した野営の痕跡を、魔法で完全に消し去った。ゴミ一つ残さないのは、前世からのささやかなこだわりだ。
数枚の銀貨を懐にしまい、僕は洞窟を出る。昇り始めた朝日が、森の木々の間から光の筋を落としていた。
フロンティアまでは、ここから歩いて一月以上の長旅になるだろう。
だが、僕には何の不安もなかった。食料も、水も、寝床も、この魔法があれば何も心配ない。むしろ、初めての一人旅に、少しだけ心が躍っているくらいだった。
「さようなら、『紅蓮の剣閃』。さようなら、過去の僕」
小さく呟き、僕は新しい希望の地に向けて、力強く第一歩を踏み出した。
もう二度と、誰かに価値を決めさせるような生き方はしない。僕の価値は、僕自身が決める。
辺境という名の希望を目指す、長い旅が始まった。