第27話:調律の奇跡と、砕かれた傲慢
夜が明け、僕たちの前には、ヴァレリウス侯爵家の総力を結集して準備された、復讐のための舞台が完璧に整えられていた。
疲労困憊のヴァレリウスとギデオンを前に、僕は静かに告げた。
「お二人にも、同行していただきます。あなた方が犯した過ちの結末を、その目に焼き付けてもらう必要がありますので」
僕の言葉に、二人はもはや逆らうこともできない。ただ、青ざめた顔で頷くだけだった。
僕たち一行は、領地を一望できる、小高い丘の上へと向かった。そこには、昨夜のうちに兵士たちが刻んだ、五つの巨大な魔法陣の一つが、大地にその複雑な文様を広げていた。
リナとセレスティーナが、僕の左右を固める。その姿は、これから神の御業を執り行う神官王を護衛する、聖騎士と巫女のようだった。
僕は、魔法陣の中央へと、静かに歩みを進める。そして、懐から、昨夜、工房で創り上げた『調律のオーブ』を取り出した。それは、手のひらに収まるほどの、虹色に輝く水晶球だ。
「何があっても、僕から離れないでください」
僕は、二人だけにそう告げると、目を閉じ、意識を集中させた。そして、オーブに、僕自身の創成魔法の魔力を注ぎ込む。
――その瞬間、世界が変わった。
僕の足元にある魔法陣が、眩い光を放ち始めた。呼応するように、領地の四方に設置された残りの魔法陣からも、光の柱が天へと向かって立ち上る。五本の光の柱は、上空で繋がり、この死んだ土地全体を覆う、巨大な五芒星の結界を形成した。
「おお…!」
セレスティーナが、感嘆の声を漏らす。
だが、これはまだ序の口に過ぎない。
次に、僕たちの足元、地下深くから、空気を震わせるほどの凄まじい魔力の唸りが響き渡った。そして、厄災の中心地である森の奥から、六本目の光の柱が天を突いた。それは、制御不能に陥った魔力プラントから溢れ出す、禍々しい、赤黒い濁流のようなエネルギーの柱だった。
「ひぃ…!」
ギデオンが、その光景に悲鳴を上げる。
その、暴走するエネルギーの奔流を、僕が展開した五芒星の結界が、まるで檻のように、あるいは巨大なレンズのように、完璧に捕捉し、その中心へと収束させていく。
僕は、天に掲げた『調律のオーブ』を、強く握りしめた。今、この土地の、そしてあの忌まわしきプラントの、全ての魔力の制御権は、僕の手の中にある。
「――調律を、始める」
僕の呟きと共に、僕はオーブを通じて、赤黒い魔力の奔流に干渉を始めた。
それは、暴力的な破壊ではない。調律。
狂った楽器の弦を、正しい音階へと合わせ直すように。
濁った絵の具を、純粋な原色へと分離させていくように。
僕は、暴走する魔力の構造そのものを、創成魔法で分解し、そして、あるべき調和の姿へと、再構築していく。
赤黒い光の柱は、その色を少しずつ変えていった。濁りは消え、やがて、それは夜明けの光のような、清らかで、温かい、黄金色の光の柱へと変貌を遂げた。
そして、僕は、その浄化された膨大なエネルギーを、解放する。
天に集束した黄金の光は、無数の光の粒子となって、この死んだ大地へと、静かに降り注ぎ始めた。
それは、まるで祝福の雨だった。
光の雨が、灰色の骸と化していた木々に触れると、その枯れ木から、新しい緑の芽が、信じられない速さで吹き出した。
光の雫が、ひび割れた大地に落ちると、その地は潤いを取り戻し、色とりどりの花々が、一斉に咲き乱れた。
生命の気配が消え失せていた世界に、色が、音が、匂いが、生命そのものが、爆発的に回帰していく。
ほんの数分前まで地獄だった場所は、今や、神々の庭園と見紛うほどの、生命力に満ちた楽園へと生まれ変わっていた。
この、あまりにも現実離れした、天地創造の光景を前に、誰もが言葉を失っていた。
ヴァレリウスとギデオンは、その場にへたり込み、ただ、震えていた。彼らが追い求めた錬金術の、その遥か、遥か高みにある、本当の奇跡。それを、かつて自分たちが捨てた「役立たず」が、いとも容易く成し遂げた。その事実は、彼らの誇りを、魂を、再起不能なまでに、粉々に打ち砕いた。
リナは、ただ、僕の背中を、その目に焼き付けるように見つめていた。彼女の忠誠は、もはや揺らぐことのない、信仰そのものへと昇華されていた。
セレスティーナは、その頬に、とめどなく涙を伝わせていた。それは、聖女として、生涯で一度見られるかどうかの、神の御業に立ち会えた、至上の歓喜の涙だった。
やがて、光の雨が止み、世界には、新しい朝が訪れた。
僕は、ゆっくりと、オーブを掲げていた手を下ろす。そして、砕け散った心で、抜け殻のようになったヴァレリウスとギデオンを、静かに振り返った。
「これで、大掃除は終わりです、侯爵様。あなた方が創り出した厄災は、あなた方の領地を、以前よりも遥かに豊かな土地へと変えました。皮肉なものですね」
僕の、静かな声が響く。
「僕が、あなた方の工房にいた頃、あなたがたは僕の魔法を『役立たずの戯言』と笑った。ですが、あなた方を、そしてこの土地を救ったのは、その『役立たず』の理論の、ほんの応用です。この意味が、あなた方には、分かりますか」
それは、僕からの、最後の問いかけだった。
そして、僕の復讐が、完全に完了したことを告げる、終わりの鐘の音だった。
僕は、彼らからの返事を待つことなく、踵を返した。もう、この者たちに用はない。
「リナさん、セレスティーナさん。帰りましょう。僕の家に」
僕の言葉に、二人は静かに頷く。
僕たちは、生まれ変わった美しい森を背に、僕たちの本当の居場所である、フロンティアへと歩き始めた。
後に残された二人の男が、何を思ったのか。それを、僕が知ることは、もう、永遠にないだろう。




