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第1話:雑用係の価値

湿った土と、微かなカビの匂い。そして、遠くから響く不気味な滴下音。

『沈黙の王墓』と名付けられたSランクダンジョンの内部は、生者の進入を拒むかのような空気に満ちていた。


「カイ、水だ。浄化しろ」


先頭を歩くリーダー、アレクの命令が飛ぶ。彼の声は、この陰鬱な空間においても不釣り合いなほどの自信に満ちていた。

俺、カイは「はい」と短く応え、目の前に溜まった不気味に濁る水たまりに手をかざす。脳裏に浮かべるのは、純粋なH₂Oの構造。不純物が分離し、沈殿していくイメージ。

次の瞬間、泥水はまるで生き物のように蠢き、不純物だけが底に凝縮され、上澄みは水晶のように透き通った。


「よし。全員、水筒を満たしておけ。タニア、前方の魔力反応は?」

「問題ないわ、アレク。罠の反応もなし。ゴラン、あなたのその大斧、少し刃こぼれしてるんじゃない?」

「おうよ。さっきのスケルトンナイト、地味に硬くてな。カイ、後で直しとけ」

「分かりました、ゴランさん」


俺はパーティの荷物を背負いながら、淡々と返事をする。

王都で最も高名なSランク冒険者パーティ『紅蓮の剣閃』。その一員である俺の役割は、後方支援。具体的に言えば、ポーションの精製、装備の修復、野営の準備、食事の用意、その他もろもろ。仲間たちはそれを総称して「雑用」と呼んだ。


俺は転生者だ。

前世では、ごく普通の日本人として生きていた。不慮の事故で命を落とし、気づけばこの剣と魔法の世界に赤ん坊として生を受けていた。幸いだったのは、前世の科学知識と、この世界で『創成魔法』と名付けたユニークスキルを授かっていたことだ。

この魔法は、物質の構造を理解し、再構築したり、無から有を生み出したりできる。原理さえ理解していれば、ポーションだって完璧な純度で精製できるし、金属のひび割れも分子レベルで修復できる。


だが、この力は戦闘には全く向いていなかった。派手な炎や氷を出すことも、身体能力を強化することもない。だから、戦闘能力こそが絶対的な価値を持つ冒険者の世界では、俺の魔法は「便利な生活魔術の応用」程度にしか認識されていない。

パーティの仲間たちも、もちろんそうだ。


「よし、今日はこの辺りで野営する。カイ、準備をしろ」

「はい」


アレクの指示で、俺は背負っていた荷物を降ろす。石ころだらけの地面に手を触れ、土や石の構造を組み替える。地面は平らにならされ、湿気は取り除かれ、周囲には獣除けの魔力を帯びた簡易的な石壁が、音もなくせり上がった。

次に、乾いた薪と火種を「創り」出し、火を熾す。鍋を創り、浄化した水と、保存用の干し肉や野菜を放り込む。これも俺が創成魔法で風味を損なわずに長期保存可能にしたものだ。普通のパーティなら、この段階でカチカチの干し肉と味気ない堅パンをかじるのが関の山だろう。


「ふん、相変わらずお前の手品は便利だな」


腕組みをしてカイの作業を眺めていたアレクが、尊大に言う。彼は、俺が提供する快適な環境を享受しながらも、それを決して正当には評価しない。


「カイ君のおかげで、いつも遠征が楽で助かるわ。まあ、サポートなんだから当たり前だけど」


魔道士のタニアが、悪気のない笑みで言う。彼女にとって、俺の魔法はあくまで戦闘職である自分たちを支えるためのものであり、その貢献は当然の義務なのだ。


「おう、カイの作るメシはうめえからな! これがないとやってらんねえぜ!」


戦士のゴランが豪快に笑う。彼は三 人の中では一番俺に好意的だが、それは俺を便利な料理人か何かだと思っているからに過ぎない。


やがて出来上がった温かいシチューを全員に配り終え、俺も自分の食事を摂る。仲間たちの会話は、いつも次の戦利品や名声の話だ。俺がその輪に入ることはない。


食事を終えると、俺の仕事はまだ続く。仲間たちが休んでいる間に、彼らの装備を一つ一つ点検し、完璧な状態に修復していく。アレクの愛剣『クリムゾンエッジ』の微細な刃こぼれを分子レベルで繋ぎ合わせ、タニアの杖『賢者の枝』に宿る魔力の流れを最適化する。ゴランの大斧の柄にできたささくれを、新品以上に滑らかに仕上げる。

これら全てが、彼らが最高のパフォーマンスを発揮するために不可欠な作業だと、俺は信じていた。彼らが理解してくれなくとも、これがパーティにおける俺の価値なのだと。


「カイ」


不意に、アレクが声をかけてきた。


「次の間が、このダンジョンの最深部だ。お目当ての『沈黙の王の涙』もそこにある。だが、強力な守護者と古代の封印罠が仕掛けられているはずだ」

「はい」

「タニアが罠の解析と解除を行う。その間、俺とゴランで守護者を抑える。お前は…そうだな、いつも通り、俺たちの邪魔にならないよう隅で荷物でも見ていろ。分かったな」

「……はい」


邪魔にならないように。隅で。

それは、いつものことだった。戦闘における俺は、荷物持ち以下の存在。それがこのパーティでの共通認識だ。


翌日、俺たちは万全の準備を整え、ついに最深部の巨大な扉の前に立った。

扉を開けると、広大な空間が広がっていた。中央の祭壇には、青白く輝く宝石――『沈黙の王の涙』が安置されている。そして、その手前には一体の巨大な鎧のゴーレムが、主の眠りを守るように鎮座していた。


「来るぞ! ゴラン、前へ!」

「おうさ!」


アレクとゴランが雄叫びを上げてゴーレムに斬りかかる。凄まじい金属音が響き渡り、火花が散る。タニアは杖を構え、祭壇へと続く魔法陣の解析を始めた。


「なんて複雑な術式…。古代魔法語エンシェント・ルーンが幾重にも…。でも、解けるわ!」


タニアの額に汗が滲む。俺は言われた通り、壁際で荷物を見守りながら、戦況と魔法陣を冷静に観察していた。

俺の目には、タニアとは違うものが見えていた。創成魔法を通じて、俺は魔力の流れそのものを「構造」として認識できる。タニアが解析している表層のルーンの下に、さらに巧妙に隠された別の術式が存在しているのが分かった。それは、罠を解除しようとする魔力そのものを逆用し、暴走させるための起爆装置のような役割を持つトラップだ。


「(ダメだ…このままでは、タニアさんの魔力がトリガーになる…!)」


警告しなければ。

このパーティに来てから、俺が進言をして聞き入れられたことは一度もない。「雑用係が口を出すな」と一蹴されるのが常だった。だが、今回は次元が違う。パーティが全滅するかもしれない。


俺は意を決して声を張り上げた。


「タニアさん、待って! そのまま魔力を流し込んだら危ない!」

「なんですって? 黙ってなさいと言ったでしょう、カイ君!」


タニアが苛立ったように振り返る。


「余計な口を挟むな、雑用係!」


ゴーレムの攻撃をいなしながら、アレクが怒鳴った。

「タニアの分析が間違うはずがない! お前のような素人に何が分かる!」


ああ、まただ。いつものことだ。

だが、もう時間がない。タニアは詠唱を終えようとしている。彼女の杖の先端に、青白い解除の魔力が収束していく。


「やめてください!」


俺が叫ぶのと、タニアがその魔力を魔法陣に放ったのは、ほぼ同時だった。


瞬間、空間が絶叫した。

魔法陣は解除されるどころか、眩い光と共に暴走を始める。足元が激しく揺れ、背後の巨大な扉が轟音と共に閉ざされ、俺たちの退路を完全に断った。

そして、アレ.クたちが斬りつけていたゴーレムの目が、不気味な赤い光を放ち始めた。その体躯が軋みながら、先ほどとは比較にならないほどの禍々しい魔力を放出し始める。


「なっ…!?」


タニアが絶句する。アレクもゴランも、信じられないものを見る目で暴走する魔法陣と、明らかにパワーアップしたゴーレムを交互に見ていた。


「どういうことだ、タニア! 解除できるんじゃなかったのか!」

「そ、そんなはずは…! こんな術式、見たこともない…!」


パニックに陥る仲間たちを前に、俺は固く拳を握りしめることしかできなかった。

最悪の事態だ。そして俺は、この責任を全て押し付けられるであろう自分の未来を、嫌というほど正確に予感していた。

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