【短編】妖精の国〜特別な目のせいで家族に虐げられた少女が幸せになるまで〜
ケイトには、生まれながらにして“妖精が見える目”を持っていた。
しかし、妖精は彼女だけに見える存在で、周囲の人々にとっては空想の産物にすぎなかった。
妖精が見えるケイトを村の人間は気味悪がった。
ある日、村の広場でのこと。
他の子どもたちが追いかけっこに興じるなか、ケイトはひとり、草むらの上でじっと空を見つめていた。
不思議に思った大人が声をかける。
「ケイトちゃん、そんなに真剣に何を見てるの?」
するとケイトはぱっと顔を輝かせ、指差した。
「小さな女の子たちが踊ってるの!ピンクのお花の服を着て、ふわふわ飛びながら輪になってダンスしてるの!」
無邪気な声に微笑んだ大人たちは、ケイトの指差す先に何も見えないことに気づき、その笑顔を引きつらせた。
「あなた、リリーって名前なのね!そこのお花と同じ名前だね。わたしはケイトっていうの。ふふっ、そのお洋服もお花みたいですっごく可愛い!」
ケイトはいつも誰かと楽しげに会話していた。笑い、頷き、時にはうっとりと頬を赤らめながら空気に向かって手を差し伸べる。
その姿は、周囲から見るとまるで「何もない空間に話しかける奇妙な子供」だった。
初めのうちは「子ども特有の想像遊び」と軽く笑っていた両親も、じょじょにその様子に怯えるようになっていった。
ケイトは周りの人間に自分がどう思われているか、気が付かなかった。ケイトにとって、妖精たちがそばに居るのは当たり前のことだったからだ。優しくて賢い友人たちが他の人間には見えないとは思いもしなかった。
ようやく自分が普通ではないとケイトが理解した頃、彼女は家族から虐げられるようになっていた。この世界の誰もが持っている筈の魔力がなかった事も原因のひとつだった。
「不気味な事を言う、魔法を使えない能無しの子」
うっかり妖精の事を口にしたケイトを「変な事を言わないでちょうだい!」と母親が片頬を打ったこともあった。
父は母の暴力を止めず、魔法の使えないケイトを穀潰しだと判断し、いない人間として扱った。後から生まれた妹でさえ、姉を軽蔑した目で見て嘲るようになった。
それでもケイトは、懸命に家の仕事を手伝い、傷ついた笑顔を隠して耐えていた。今は役立たずだと罵られていても、いつか頑張りを家族に認めてもらえる筈だと信じて。
たとえ誰にも見えなくても――
自分のそばには、優しくて聡明な“友達”がいつもいてくれたから。
◇◇◇
水桶の蓋を開くと、空っぽだった。
「あっ、どうしよう……。料理をしようにも掃除しようにも水がないと……」
ケイトは家族の誰よりも早く目を覚ます。
眠気を振り払いながら朝食を作ろうとした矢先、水の貯えがないことに気づいた。水は家事をこなす上で欠かせない。彼女はしばらく、蓋を手にしたままキッチンで呆然と立ち尽くした。
「あははっ!魔法が使えない能なしは大変ね」
背後から聞こえた嘲笑混じりの声に、ケイトはびくりと肩を震わせて振り返った。
「エ、エミリー……」
そこには、姉を見下すような目で見つめる妹・エミリーの姿があった。
この家で、ケイトは「能なし」「役立たず」と呼ばれていた。
この世界の人々は、日常的に魔法を使って生活している。魔法で種火を灯したり、畑や農園に水を撒いたりして、生活の一部として便利に使っていた。
だが、ケイトは魔法を使えない。誰でも出来る筈なのだが、ケイトは体の中をめぐる魔力を感じとれなかったのだ。
ケイトが水を使うには、重たい桶を抱えて川へ行き、往復しなければならない。水一杯を得るにも、骨が折れる作業だった。
「エミリー……。手間を掛けて申し訳ないけど、水を出してもらえる?」
そっと頭を下げて頼むと、エミリーは満足げに鼻を鳴らした。
「いいわよ。あんたと違って水を出すのも火を起こすのもラクショーだもの」
エミリーの手のひらの上に、拳大ほどの水の塊が浮かび上がる。
そして、ケイトの頭の上に――
――バシャッ。
ケイトは嘲笑とともに、大量の水を容赦なく浴びせられた。ケイトが見つめていた床にも水溜まりが出来る。
「あっはっは、感謝しなさいよ。ついでに洗顔もしてあげたんだから」
張り付いた前髪を払いのけながら、ケイトは黙って頷いた。桶にも水を貯めてくれたことをそっと横目で確認して、内心ほっと胸を撫でおろす。
「さっさと家事を終わらせて、薬草を探してきなさいよ。あんたの辛気臭い顔なんて見たくないのよ。それに、狩猟も農作業の手伝いも出来ないあんたには、草を拾ってくるしか出来ないんだから」
そう言うエミリーは、花嫁修行があるからと、なんの仕事の手伝いもしていない。花嫁修行である筈の家事もケイトに押し付けて、日がな一日好きな勝手に過ごしていた。
それでも両親は咎めたりせず、エミリーを可愛がった。エミリーは多少我儘であっても、妖精がいるなどと変な事は言い出さない。魔法も人並みに使えるし、器量も良い。彼らの望んだ理想の娘だった。
もっとも、甘やかされたエミリーの我儘は増長していくばかりだったが。
「うん、分かった。早く家事を終わらせるね」
ケイトは、嫌な顔一つ見せずにそう答えた。その笑顔には、滲むような寂しさがあった。
「ちゃんと床も綺麗にしておいてよね〜」
欠伸を噛み殺しながらエミリーが去ると、ケイトは黙々と掃除をする。髪からぽたぽた垂れる雫が床に染みを作っても、ひたすら拭き続ける。
すると、ふわりと風が吹いたかと思えば――
どこからともなく、光の粒を纏った存在が集まってくる。小さな羽音とともに、妖精たちが彼女の周囲に姿を現した。
妖精たちは人間があまり好きではないようで、ケイトがひとりの時にしか現れなかった。特にエミリーや両親のことは嫌っているようだった。
肩に乗ったひとりの妖精が、頬を膨らませて言う。
『ケイトをいじめるなんて!』
もうひとりは温かな風を起こして髪を乾かした。
妖精たちは心配そうに、ケイトの耳もとで代わる代わる囁やく。
『ケイト、かわいそう』
『ケイト、だいじょうぶ?』
優しい囁きが鼓膜に響く。
まるで羽毛のような声に包まれて、ケイトの瞳に光がにじむ。
「……慰めてくれてるの?」
自分が役立たずだというのは、痛いほど分かっていた。だからこそ、エミリーの言葉には何ひとつ言い返せなかった。
ケイトは俯きながら、こみ上げる涙を手の甲でそっと拭う。
それでも、泣き顔は見せたくなかったから――
ケイトは少し無理をして、小さな友人たちに、精一杯の笑顔を向けた。
「私は大丈夫だから。こんな私でも出来ることで役に立てば、いつかきっと家族として認めてもらえる筈だから……」
だから、うじうじしてなんかいられない。もっと頑張らないと。
ケイトは気を取り直して、掃除を再開させる。そんな彼女の背中を心配そうに見つめる妖精たち。ケイトには聞こえないぐらいの小さな声で、妖精たちは囁き合う。ケイトには聞こえないほどの、羽音のように小さな囁きが交わされる。
『……あんな家族なら、』
『こっちから、……ちゃえばいいのにね』
その声は風に溶け、部屋の隅へと消えていった。
◇◇◇
家事を終え、日課である薬草を摘みに森へいく。
ケイトは魔法が使えない代わりに、採取した薬草を売ることで日銭を稼いでいた。広大な森で薬草を探すのは本来ならば困難なことだが、森に詳しい妖精たちが道案内してくれるおかげで、ケイトは薬草を比較的たやすく採取することができた。
「こっち、こっちだよ。ケイト、ついてきて」
妖精が先導するように先を飛んでいく。ケイトは足元に注意しながら妖精についていく。妖精は薬草を見つけると、その場でくるくると旋回し始めた。
ケイトは口元を微かに緩めながら妖精に近づき、腰を落とす。薬草を摘み取り、肩から下げた鞄に入れる。暗くなるまで、それの繰り返し。
「あっ、雨だ」
夢中で薬草を摘んでいると、ふいに雨が降りだした。
「ちょっと早いけど今日は此処までにしよう。あれ、みんなは?」
辺りを見渡しても妖精の姿が見当たらない。気まぐれな妖精たちのことだ、何処かへ遊びにいっているのだろう。その時は大して気にもせず、ひとりで町へ帰ろうとした。
だが、今日は森の奥へ入り過ぎたようだ。どこまで歩いても家にたどり着けず、林道をさまよい続ける。普段なら妖精が帰り道を教えてくれるから迷子になったりしないのに、今日に限って妖精はひとりも見当たらない。
しばらくして、雨脚が強くなってきた。歩くたびに、足元から湧き上がる泥水が靴を汚す。服が濡れたせいで身体が冷え切って、何度も泣きたくなった。しかし、ケイトは泣かずに、歩くことを選ぶ。入り組んだ林道をケイトはさまよい続け、いつしか森の最奥に足を踏み込んでしまった。
そこは、幻想的な光が溢れる場所だった。
様々な色の花が咲き乱れ、香り高い風が吹き抜けていた。つぼみが、紫の花が、黄色い花が、虹色の花が、彩り鮮やかに咲き誇っていた。先ほどまでの土砂降りが嘘のように、澄み切ったように青い空が広がっていた。
その中でも、特に目を引くのは、透明の輝く羽を持つ妖精たちだ。彼らは、それぞれが個性的な姿をしていて、美しい歌を口遊みながら、花々の間を舞っていた。まるで、そこは妖精の王国のようだった。
妖精たちが花の中を舞い踊る光景を目の当たりにし、その美しさにケイトは圧倒された。
――こんな素晴らしい場所が存在するなんて!
そして、妖精のひとりがケイトを見つけた。煌めく羽をはためかせ、近寄ってくる。艷やかな銀髪に透けるように白い肌、それに切れ長の涼やかな目元。中性的で美しい端正な顔立ちをした妖精だった。
『おや、珍しいお客だ』
とびきり美しい妖精ににっこりと笑いかけられ、どきっとした。ケイトは慌てて挨拶をした。
「こ、こんにちは!あの、森の中で迷子になってしまったのだけど、……此処は何処だか教えて貰える?」
『ここは妖精の国だよ』
――妖精の国!
予想もしなかった返答に、ケイトは目を丸くした。
知らないうちにそんな場所に来てしまったことにも、そもそも妖精の国があったことにも驚きだ。
『驚いたかい?普通は人間は入って来られないから、僕たちの国はあまり知られていないからね』
「うん、妖精の国なんて初めて聞いた。でも、私はどうして来れたんだろう?」
『君は特別な人間だから、ここにたどり着いたんだろう』
「私が特別な人間……?」
『そう』
妖精はやわらかく頷き、ケイトの翠色の瞳を覗き込んだ。
芽吹いたばかりの若葉の色だ。水をたたえた湖面に初夏の陽が差し込んだ時のように、きらきらと輝く。ケイトの亜麻色の髪にもよく映えて、その瞳をいっそう美しく際立たせていた。
『おまえは、妖精が見える目を持っている。それは特別な力だ』
「そう、この目のお陰で……」
ケイトは自嘲気味に小さく笑った。その目で周りの人間に虐げられてきたからだ。
「こんな綺麗な景色ははじめてだったから、来れて良かった。そうだ、私の村への帰り方を教えてもらえる?」
『……すまないが、人間の国への行き方は私たちには分からない。けれど、人間の君が闇雲に帰ろうとしても迷子になるだけ。最悪、野垂れ死にしてしまうよ』
「えっ……」
妖精の返事に思わず声を漏らす。
けれど、ケイトは我が家に帰れないと分かっても、不思議と辛くなかった。それどころか、ほっとしている自分がいて驚いた。
「……それじゃあ帰れないのは仕方ないよね」
『落ち込まないでおくれ。君が此処へ来たのは、きっと何かの縁があってのことだ。この国で過ごせば、君が探しているなにかを見つけ出すことができるかもしれない』
「探しもの……?」
探しものに心当たりがないケイトは目をぱちくりさせた。
頬に手を当てて、これからのことを考える。
「うーん……。良かったら、帰り方が分かるまで此処に居させて貰える、かな?」
「勿論だとも。好きなだけ此処で過ごすといい。」
どうせ帰ったところで家族に虐げられる毎日に戻るだけなのだ。家族も自分が居なくなったところで悲しんだりはしないだろう。それならば、妖精達の好意に甘えてこの国に滞在しよう。有難いことに妖精は歓迎してくれている。
自分がなにを探しているのかも分からないけれど、そのなにかを見つけてみよう。ケイトはそう決意した。
◇◇◇
無理に家には帰ろうとせず、妖精の国で暮らすこと決めたケイト。
ケイトは森のなかを散策したり、妖精や動物と一緒に遊んだりして、幸せな毎日を過した。
妖精たちは花や果物を食事とした。時には鳥や昆虫などを食べることもあった。提供される料理にケイトが困惑することも少なくなかったが、自然に恵まれた妖精の国では新鮮で美味しいものが多かった。
妖精たちは歌や踊りが好きだった。暇さえあれば、皆んなで楽しく歌って踊った。
森の中にある美しい湖で、妖精たちが集会をする。妖精たちの歌は優雅で、繊細で、それでいて力強かった。花々が風に揺れるように、妖精たちも身体を揺らしながら踊る。ケイトも手を引かれて輪に入って一緒に踊った。
「君は魔法が使えないの?」
「うん……」
妖精たちはケイトが魔法を使えないことを知ると、彼女に魔法を教えた。
人間の魔法とは違って、妖精の魔法は自然の力を頼るもの。いくら使っても疲れる事はない。妖精の手ほどきのおかげで、ケイトはどの人間よりも上手に魔法を扱えるようになった。
「わあ、すごい!わたしにも魔法が使えるなんて夢みたい!」
「魔法で雨を降らせる人間なんて、そう居ない。人間の国に帰れば、重宝されるよ」
雨上がりの青い空に掛かる一本の虹に、ケイトは満面の笑顔を見せる。
ケイトは、家族に役立たずと罵られているうちに失った自信を、みるみる取り戻していった。
◇◇◇
そうして妖精たちと親しくするうちに、ケイトは妖精たちの世界を知った。彼女は、妖精たちに出来ることや好きなものなど、妖精たちの生活について多くを学んだ。
彼らは言う。
人間には見えていないだけで、私たちは存在しているのだと。
妖精たちは、自然界を守るために存在している。草木が美しいのも、川の水が澄んでいるのも私たちのおかげ。
知らずに人間は妖精達の恩恵に預かっている。
それなのに妖精を信じないばかりか、人間は森を切り倒したり、大地を汚している。人間はとても愚かな生き物だ。
同じ人間として申し訳なくなると同時に、ケイトは不思議に思った。
「ねぇ、私は人間だよ。それなのに何故、こんなにも親切にしてくれるの?」
「言っただろう?君は特別だからだよ」
「妖精が見えるから……?」
「そう、特別な目を君を持っている。それは妖精の愛し子の証だ」
ケイトの目は妖精が見えるだけではなかった。妖精に愛されている証だったのだ。
ケイトは家族にも村の人間にも嫌われ、誰からにも愛されていない。家族が言うように、生まれてきたのが間違いだったのだと、思い悩んでた事もあった。けれど、そうではなく、ずっと前から妖精たちが愛してくれていたのだ。
「泣かないでおくれ、愛し子よ」
「だって、わたし、うれしくて……」
ケイトの目から一筋の涙が溢れる。
嬉しい、こんな私でも愛してくれる存在がいた。私、生まれきて良かったんだ。次から次へと生まれてくる思いと一緒で、涙は後から後から溢れて頬を伝っていく。
妖精に宥められるように、目じりにたまった雫を吸われるも、一度あふれ出した涙は止まらない。
「……こんなに愛しい子を虐げていたんだ。君が居なくなった村はきっと大変な事になっているだろうね。」
ふふっ。妖精は、見る人をぞくっとさせるような悪戯めいた笑みを浮かべた。
◇◇◇
一方、その頃。
ケイトが居なくなっても、彼女の家族は気にする様子はなかった。むしろ「厄介者がいなくなってせいせいした」と言わんばかりの態度で、家の中に悲しむ者は一人としていなかった。
だが、それからというもの、家の中は急速に荒れていった。誰よりも早く起きて家事をこなし、薬草を採り、陰で家計を支えていたケイトがいなくなったことで、生活は目に見えて苦しくなった。
また、かつてケイトが暮らしていた村も、静かに、しかし確実に衰退していた。
以前は妖精の愛し子が暮らしていたため、豊かな大地は豊作をもたらし、森も恵みをもたらしていた。
だが、ケイトが村を去ったことで、妖精たちは彼女を蔑ろにした村に見切りをつけ、静かに去っていった。
実り豊かだった大地は痩せ細り、作物は育たなくなった。森の木々は枯れはじめ、鳥の声が消えて動物の影すら見えなくなった。畑も枯れ、狩りも出来ず、村人たちは衰退する理由も分からず、不安に駆られる日々を送っていた。
◇◇◇
ケイトは妖精の国で過ごす中で、少しずつ変わっていった。
毎朝、朝露の光で目覚め、花びらの上で踊る妖精たちと笑い合う。
優しい言葉、ふわりと包み込む羽音、手を引いてくれる小さな指。
「今日はどんな魔法を見せてくれるの?」
「ケイト、歌って。あなたの声、好きなの」
心が静かにほどけていくたびに、ケイトの中の“わたしなんて”という呪いが少しずつ溶けていった。
妖精の言葉が、ケイトの失った自信を回復させ、生来の明るさを取り戻していった。かつて、家族の言葉に傷つき、涙に濡れていた少女はもういない。妖精の国でかけがえない存在を見つけて、幸せになったのだ。
妖精の女王の頼みで、再び人間の世界に戻って妖精たちを助けることもあった。その旅の途中、自然との調和を大切にしている隣国の王子に見染められることもあったが、それはまた別のお話。
ただひとつ、確かなことは……
ケイトは、生涯にわたって妖精たちに愛し愛され、自分の居場所を見つけ、かけがえのない存在となり、
――心から、幸せな人生を送った。
――めでたし、めでたし。
以前別名義で投稿していた作品になります。
需要があれば、長編も完成させて掲載したいと考えてます。なので、面白いと思っていただけたら、☆マークから評価・お気に入り登録して頂けると嬉しいです!






