地の武人(1)
イントリア・大広場。
静寂が、ほんの数秒だけ、戦場を覆っていた。
だがその静けさは、嵐の胎動にすぎなかった。
「では……始めましょうか。神に選ばれし民の粛清を」
クラークが手を広げた瞬間、彼の周囲に黒紫の魔力が広がる。
波打つように広がる精神干渉の気配。
ただの魔力ではない。
声なき声が、脳髄に直接囁きかけてくるような──ねっとりとした精神の毒。
「お聞きください……この“民の声”が、今も私を祝福してくれるのです。
私はその愛に応えましょう。この魂すら穢れぬよう、あなたを洗い清めて差し上げる」
「……ぬかせ」
グローデンの足元に、黄の魔力が再び満ちていく。
その眼差しは、どこまでも濁りなく、剣のようにまっすぐだった。
「貴様の言葉は、すべて偽りと欺瞞に満ちている。武に生きる者として……そういう類の甘言には、慣れているつもりだ」
「ふふ……それは残念です」
クラークが手をかざすと、閉じ込められたはずの市民たちが、再び狂ったように暴れ始める。
地面を叩き、檻を引っ掻き、口々に信仰を叫ぶその姿は、
まるで自我というものが完全に溶け去った存在のようだった。
「感情は、簡単に塗り替えられるんですよ。怒りも、悲しみも、喜びも……ただ少し“視点”を捻じ曲げればいい」
「……貴様、人の心を、なんだと思っている」
「花です。ええ、心とは花。咲かせるも、踏みにじるも、この私次第……咲き乱れる姿も、枯れてもなお美しい」
その言葉に、グローデンの拳が微かに震えた。
「許せぬ」
低く唸るように呟いた瞬間、地を打つような足踏みと共に、
グローデンの全身に剛力が奔った。
《断律拳―テクト・ノクス―》
まるで地鳴りのような連撃が、クラークの元へと迫る。
拳が、空気を裂き、大地を鳴動させる。
だが──
「ふふ……私には、届きませんよ?」
クラークの周囲に、歪んだ空間のような“見えない壁”が展開された。
否。これは魔力の障壁ではない。
心の“迷路”だ。
そこに踏み込もうとした瞬間、意識が引きずり込まれる。
「――ッ!?」
グローデンの瞳が、僅かに揺れた。
見えるはずの敵の姿が滲む。
拳が、急所を捉えられない。
数ミリ単位で、脳と肉体の認識が食い違っていく。
「精神干渉……認識阻害か」
「正確には“概念の撹乱”です。あなたは今、私の存在を確かに視ているはずなのに、“殴る”という行為が意味をなさなくなる……不思議でしょう?」
「確かに、不愉快だ……が、止めはせんッ」
グローデンは再び地を砕いた。
足元から飛び出す岩槍がクラークを狙う。
回避不可能な至近距離、土魔法の特性を最大限活かした一点集中。
「その執念……素晴らしいですね」
指を鳴らす。
突如、地面から幾つもの腕が生えた。
否、それは“幻視”だった。
心を揺さぶることで現実の五感を騙し、幻を現実と思い込ませる。
グローデンは躊躇わない。
その腕を構わず砕き、前へ進んだ。
「我が拳は、真を打つ……偽りの幻など、通用せんッ!!」
岩槍が貫く。
クラークの肩をかすめ、血が飛び散った。
その表情は──笑っていた。
「……愉快ですね。こういう“壊れない心”を見ると、私は燃えてしまうのです」
地面が歪む。
突如、周囲の市民たちが苦しみ始めた。
「感情の共鳴……!」
「ええ、彼らは私の“信仰炉”なのです。その心を通して、あなたに私の意志を突き立てましょう」
市民の叫びが、痛みが、苦悶が。
一気に精神の底へと押し寄せる。
グローデンの額から汗が滴る。
だがその両足は、決して崩れなかった。
「貴様に、民の苦しみを語る資格はない」
低く、地を鳴らすような声。
その声に乗って、地面が隆起する。
《地皇断柱―ドミヌス・スタグナム―》
何本もの岩柱が一気に立ち上がり、
クラークの立つ空間そのものを押し潰すように包囲した。
「──クフ……ははっ……いいですね。
ならば、私も全力で迎えましょうか」
クラークの周囲に、無数の幻影が現れ始める。
黒紫の衣を纏った“信者”たちの幻影。
その一つ一つが、クラークの精神魔法の投射体だ。
「さあ、“心の聖域”を踏み荒らしてごらんなさい。
私の信仰を、どこまで砕けるか──試してあげます」
「黙れ」
岩柱が一斉に崩れ、砂塵と共に拳が飛ぶ。
そこに宿るのは、ただひとつの意志。
“心を偽る者に、鉄槌を”
精神干渉が炸裂し、空間が歪み、視界が白黒に塗り潰される中で──
グローデンの拳は、なおもまっすぐだった。
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