崩れ始めた静寂
──静寂は、何よりも恐ろしい。
王都の空は、晴れていた。
陽光が瓦屋根を照らし、風が路地を穏やかに撫でていく。
だが、まるで誰かが息を潜めているかのように、その“静けさ”は張り詰めていた。
その最中、三人の隊長はそれぞれの方向へ駆け出していた。
◇
最初に接敵したのはセズ・クローネ。
暴走体が現れたのは、東の礼拝広場。
かつては人々が祈りを捧げた神聖な場所。
今は、赤黒い魔力の渦に満ち、崩れた彫像と焦げた地面がその異常を物語っていた。
「……また、呪具か」
呟きと共に、新しく鍛え上げた大剣を引き抜く。
風が纏うようにその刃を這い、セズの瞳が鋭く光る。
暴走体──
その姿は人型のまま、四肢が異常に膨れ上がっていた。
動きは鈍いが、一撃は巨大な斧のような腕によって圧倒的破壊力を持つ。
《風裂破―ウィンド・セヴァー―》
斬撃が走る。
風が暴走体の肩口から胸部までを抉り、血ではない黒い液体が噴き出した。
ドスン、と倒れ伏す巨体。
風が、祈りの場を吹き抜けた。
セズは癒え切らない傷口を抑え、歯を食いしばった。
「……くっ、まだ本調子とはいかないか」
一度倒れた暴走体がゆっくりと起き上がり、再び鋭い腕を構える。
◇
南門市場──
果物や陶器が転がり、路面は血と割れ物で混沌としていた。
その中心で、一人の少女が泣き叫んでいた。
足元には倒れた母親。その傍には、牙を剥く異形。
そこへ――
「あらあら……」
シルヴィア・カロリア。
白橙の制服から覗いた白く細い腕で、大斧を軽々と持ち立ちはだかる。
斧は暴走体の腕を受け止め、地面に亀裂が走る。
暴走体は瘦せた女型。
背中に無数の触手のような呪具を生やし、周囲の物を吸収して強化を繰り返していた。
怒りを静かに、だが確かに燃やしながら、シルヴィアは魔力を斧に込める。
「こんな子供にまで手をあげるなんてぇ……おしおき、ですね」
《守護の裂斧―グラシレイク―》
放たれた一撃は、暴走体の触手ごと斬り裂き、背中の呪具が蒼い光と共に破砕された。
呻き声を上げてのたうつ暴走体に、慈しみを込めてもう一度だけ斧を振るう。
やがて静かに崩れ落ちたそれに、シルヴィアは手を合わせた。
「どうか、あなたの魂が、安らかでありますように……」
◇
中央公園。
木々が倒れ、石畳が破壊され、空間そのものが歪んでいた。
デルタ・ロンウェルは、傀儡たちを前に立たせていた。
黒服の小型戦士、猿型の四足機、球体型の自爆人形――
多種多様な傀儡が魔力糸で連動し、地形に応じて散開していく。
デルタは冷静だった。
その瞳に迷いはなく、指先は魔力糸を繊細に操る。
《命糸演陣―エクス・マリオネット―》
陣形が完成した瞬間、暴走体が出現する。
透明な膜に包まれた人型。
内部には人間のような姿が見えるが、目は虚ろで、外殻が時折振動し、瘴気を撒き散らしていた。
デルタは判断する。
「直接攻撃は不可。外殻を破壊して内部に魔力干渉を――」
傀儡たちが陣を変え、連携攻撃に移行する。
一体が囮となり、別の一体が後方から脚を破壊。
さらに、球体傀儡が跳ね上がり、内殻に向けて小型爆破を仕掛ける。
破裂音。
暴走体がよろけた隙に、デルタは魔力糸を一本、投げるように放った。
「……“繋がれ”」
その糸は内部に刺さり、暴走体の動きを止める。
完全制圧。
――その時。
誰かが“見ている”気配を感じた。
デルタが振り向いた先にいたのは……少女。
黒いツインテールに、無表情な顔。
その腕に抱かれたぬいぐるみは、まるで意思を持つようにゆらりと動いた。
“あれは……エリア……!?”
砂埃の先から、何も語らず歩みを進める。
そして、ゆっくりとぬいぐるみを地面に置いた。
「ポコさん……バトルモード」
◇
作戦本部。
セレーヌは、震える拳を胸元で握っていた。
報告が次々と入る。
隊長たちは戦っている。血を流し、命を懸けてこの王都を守っている。
(……私には、何もできない)
見ていることしか許されない。
だが、瞳に宿る意志は消えない。
“今は”まだ、見守るだけ。
だが、その目は戦場と同じように、燃えていた。
そのとき――
「……セレーヌ様。少し、よろしいでしょうか?」
すぐ傍にいた副隊長、ラナ・シトラが静かに声をかけた。
紫の髪が揺れる。どこか落ち着いたその声音に、セレーヌはふと顔を上げた。
「……はい。どうかしましたか?」
「別室に、少し気になる報告があります。人払いはしてありますので……」
「わかりました。案内をお願いします」
セレーヌがその背を追って歩み去ると、残された者たちの誰もがそれを特に気に留めることはなかった。
ほんの一瞬、ラナの横顔に浮かんだ、微笑。
静寂は崩れ、王都もまた、戦場となり始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら、ぜひ《評価》や《ブックマーク》で応援していただけると嬉しいです!
皆さまの一押しが、次回作への大きな励みになります!




