始動の刻
王国の各地に展開された魔術騎士団は、祝福の儀による第二・第三の“ヒボナ”を許さぬために、今まさに動いていた。
正義の名のもとに動く彼らの働きは迅速だった。
三都市に点在する魔法陣はすでに二十以上が破壊されており、民間人への影響も最小限に抑えられている。
この国のために。
この国に生きる人々のために。
魔術騎士団は、歩みを止めない。
だが、彼らの奮闘をあざ笑うように、“歪み”は忍び寄っていた。
◇
風の都市イントリア/第九部隊
「西側丘陵斜面、陣跡発見。石碑の下に魔力の痕あり。封印班を要請」
報告を受け、グローデン・マクノダスは頷く。
「北側の掃討が終わり次第、東門に合流させろ。」
王国北方に広がる草原都市イントリア。
風と大地に恵まれたその穏やかさとは裏腹に、彼ら第九部隊は、黙々と冷徹に任務を遂行していた。
“祝福の儀”――魔法陣による民間人の魔力吸収。
それを一刻でも早く断ち切るべく、彼らは魔力感知術と探索魔導具を駆使し、古井戸や祭壇、自然岩の下など、少しでも不審な地点を次々と洗い出していた。
だが、事態は思わぬ方向に傾く。
「……騎士が、市民に襲われた?」
耳を疑うような報告が入ったのは、昼過ぎのことだった。
呪具暴走かと疑ったグローデンだったが、報告を聞く限り――
「異形化の兆候はなく、身体能力も通常。だが彼らは、目を爛々と輝かせ、“教団の栄光”を叫びながら騎士に石を投げ、火を放った……と」
グローデンは眉をひそめる。
(言葉を話す。意識もある。なのに、理性は失っている。……洗脳? )
部下の制止を振り切り、彼は現場へ足を運んだ。
焼けた畑、折れた槍、そして無言で血を流す部下。
その傍らで、石を握りしめながら笑っていたのは、老婆だった。
「……神のために……神の栄光のために……」
目の焦点は合っていない。だが、口調には熱がある。
その異様な風景のさらに奥――廃屋の影で、ひとつの影が笑っていた。
やせ細った巨体、猫背、空を仰ぐようにゆったりと立ち尽くすその男。
クラーク。
「守るべき民に、傷つけられる騎士……ああ、なんと、美しい皮肉でしょうか……」
◇
水の都市メルゾナ/第八部隊
「――撃たれた!?どこからだ!?」
混乱に陥ったのは午後三時。
港に展開していた第八部隊の騎士が、突如として何処かから放たれた黒い矢によって膝を貫かれた。
即座に感知術と結界を展開するが、矢の射角と速度があまりに不明瞭。
「狙撃手が潜んでいる。市街の高所を制圧しろ!」
ゲルマ・ピサーロが怒鳴る。
その額には既に汗。街の構造は運河と水路が入り組み、高低差と死角が多い。
「くそ……何処からの攻撃だ!ええ、おい!!」
焦りと怒声が交錯するその中――
突然、水辺に白い靴音が響く。
そこに現れたのは、まるで天使の衣装を纏ったような少女。
白銀の長髪が水の光を反射し、風に揺れる。
「ようやく暴れられるぜ」
アンジュ。
ゲルマが思わず目を見張る。
「……なんだ貴様は!」
「見りゃ分かんだろ、天使様さ。大人しく殴られときな、オッサン!」
その口元は、楽しげに歪んでいた。
◇
鋼の都市カヌール/第七部隊
金属と火の匂いが渦巻く、王国随一の精錬都市。
第七部隊は市街の広範囲に渡り魔法陣の痕跡を探していたが、突如として各所で“小火”が頻発し始める。
「東工房、爆発音!被害者不明!」
「西塔、煙確認。火薬倉庫の避難を優先せよ!」
「っったく、何がどうなってんだよっ!」
焦げた煙と怒号のなか、ゼクト・ラグニルは歯を食いしばる。
対応に追われることで肝心の本命に手が回らない。
その背後から、ひとつの声が響いた。
「ほらほら、ゼクトぉ〜!早くしないと“祝福の儀”、始まっちゃうぜ〜?」
軽薄で、耳障りな声。
振り返った先、煙の向こうに現れたのは、赤髪の青年。
「お前……リーヴェルト……なのか!?」
「なんだよつれねぇなぁ〜!久しぶりの再会じゃんかよぉー、なぁ……ゼクト」
その笑みは、血よりも赤く、炎よりも冷たい。
◇
王都/騎士団本部
王都では、まだ“それ”は起きていない。
ザイラン・ヴァレントは作戦本部にて、各部隊の報告を冷静に捌いていた。
「まだ動きはないか……他の都市はどうなっている?」
「はっ!確認します!」
部下の一人が伝達係へと確認へ急ぐ。
その時だった。
「……ザイラン団長」
鎧の軋む音。
背筋を正して現れたのは、銀の軽装を身に纏った少女――セレーヌ・エルステリア。
その瞳は、決意に燃えていた。
「私も、騎士団の皆さんと共に戦います」
場が静まり返る。
「あなたは王族です。ここは――」
「ですが、私は逃げたくない。もう見ているだけは、嫌なんです」
ザイランは数秒だけ黙し、そして肩を落とした。
「……分かりました。だが、絶対に前線には出ないで下さい」
即座に声を張る。
「ラナ。王女殿下を、命に代えても護れ」
「はっ!」
ラナが静かに誓う。
セレーヌは微笑まず、ただ頷いた。
その姿に、騎士たちの背筋が正されていく。
◇
王都・裏通り
そこに、誰にも気づかれぬまま歩いていた者がいた。
ルカ。
彼は何かに導かれるように何処かへと向かっていた。
その途中、路地の奥から軽い声が響く。
「よぉ、ルカ」
振り返ることなく、彼は歩を止める。
レイヴン・バーンズ。
第十部隊隊長。その男が、肩に剣を担ぎながら立っていた。
「どこ行くつもりだ?」
ルカは沈黙のまま。
それでもレイヴンは語りかける。
「……お前の気持ちも、まあ分からんでもないけどよぉ。どうだ、俺たちを頼ってみねぇか?ん?」
だが、返ってきた言葉は、ただ一つ。
「……邪魔するな」
その瞬間、足元に黒が滲み、背後に白が渦巻く。
まるで、光と闇が一つの意思にまとわりつくように。
レイヴンの目が細められた。
「俺たちは……仲間じゃねぇのか?」
「……誰かを頼ったから……信じたから、裏切られた。もう二度と、繰り返さない」
「……そうかよ」
レイヴンは構えずに、ゆっくりと棒剣を手に取った。
風が止まる。
空気が張り詰める。
誰もいない王都の片隅で、
今まさに、“最初の境界線”が引かれようとしていた。
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