奇跡の教団
――王都・エルステリア。
大聖堂の跡地に建設された、仮設の新たなる祈りの殿堂。
眩い光が差し込む堂内には、老若男女、数百人に及ぶ民がひざまずいていた。
《真ネザリウス教団》
教会の崩壊と共に現れた、新たなる“救い”の旗印。
その名を口にする者は、王都でも日々増え続けていた。
人々の心を掴んだのは、祈りに応える“奇跡”の存在。
重病の子供が回復した、魔物に受けた呪いが解けた、長年寝たきりだった老婆が立ち上がった……。
どれも現実か幻かもわからぬ話ではあるが、それでも、絶望に沈む民にとって、それは十分な希望だった。
「教会が行っていた事は人を救うためではなかった」
「むしろ、汚れた者たちの私腹を肥やすだけだった」
そんな声が、噂として王都中に広がっていた。
教会の黒い噂が民に広がる一方で、真ネザリウス教団は清廉潔白な“新たな神託の代行者”として、着実に信仰を根付かせていく。
そして人々は、ある男の名を口々に語る。
〈ラファール〉
白き法衣に身を包んだ、穏やかで清廉な男。
優しい声音、慈悲深い眼差し。
まるで、神の使いのように語られた。
「神は我らを見捨ててなどいない……その証明を、ここに」
ラファールはそう囁き、足元に膝をついた老婦人へ手を翳す。
聖水を手渡し、一口飲むよう促す。
すると、身体を覆っていた湿疹と腫れがみるみる消えていく。
それは、まさしく奇跡だった。
人々は涙を流し、跪き、両手を合わせる。
「これぞ……真なる奇跡……!」
拍手が起こり、信仰が広がっていく。
その場に居合わせた者の多くは、その瞬間から「教団の民」となった。
だが――
《奇跡の聖水》
数滴口に含むだけで、瞬く間に病や怪我を治してしまう。
しかし……その代償を知る者は少ない。
脳に心地よい興奮と“依存”を生み、教団に対する強烈な帰属意識を植えつける。
神への信仰というより、ラファールへの絶対的な忠誠へと染め上げていくのだった。
裏手の静かな礼拝所、そこに一人の男が現れる。
猫背にローブを纏い、骸骨のような体躯。
「順調ですねぇ、ラファール君。まるで……そう、救世主だ」
異様に曲がった猫背にゆるりとした黒いローブの男。
〈クラーク〉
狂気を帯びた笑みで、ラファールの背を撫でるように見つめていた。
「民が救いを求めているだけだよ。私は、そこに手を差し伸べているに過ぎない」
「まったく、美しい詭弁です……うっとりしてしまう。
だが、それこそが“信仰心”。人は救われたと感じた瞬間……魂を売るものですよ」
「売らせてなどいないよ。彼らが“進んで”差し出しているだけだ」
ラファールは微笑む。
その笑みに、冷たいものが混じっていた。
クラークが、指先で宙に紋様を描く。
風に乗せたその魔力が、遠くの広場へと飛び、群衆の間に紛れ込む。
「導き、祈り、愛し合い……その果てに、民の魂すべて……神へと、あぁ……神よ!!」
その言葉に、ラファールは一瞬だけ目を伏せた。
しかし次の瞬間には、再び微笑みを湛えていた。
王都に響く鐘の音が、“新たな信仰”の始まりを告げる。
いつの間にか、街中の家々には〈真ネザリウス教団〉の紋章が飾られていた。
人々は気づかない。
その信仰が、己の命と魂を生贄とした“儀式の序章”であることを――。
◇
「……状況は、思っていたより悪いですね」
第一王女セレーヌ・エルステリアは、王城の高層にあるテラスから、遠くの尖塔を鋭く睨んでいた。
そこには、いつの間にか〈真ネザリウス教団〉の旗が掲げられ、祈りの歌が風に乗って響いてくる。
それはまるで――王都全体が、ひとつの巨大な教会へと変貌していくかのようだった。
隣に立つのは、魔術騎士団第一部隊隊長、ザイラン・ヴァレント。
白と金の軍服に身を包んだその男もまた、表情を曇らせている。
「奇跡を信じる気持ちそのものは……否定できません。
だが、これはただの信仰ではない。まるで――何かに取り憑かれたような」
「……熱が、ありますね。街全体に。触れただけで火傷しそうな……盲信の熱」
セレーヌは唇を噛んだ。
路地裏の雑踏、礼拝堂に並ぶ信者たち、子供に聖水を与え笑顔を見せるラファール――
どれも“救い”の顔をしていた。だがその奥にあるものが、見えてこない。
「今は……どうすることもできないわね」
王家でさえ、“信仰心”を否定することはできない。
民が心から“神を信じている”というならば、強権で介入すれば、たちまち王政そのものが疑われる。
それがどれほど偽りの奇跡であっても、証拠がなければ“信仰を弾圧した”とされるだけだ。
「……王都が飲み込まれる前に、何か手を打たねばなりません。
だが、我々にはその“何か”が、まだ見えない……」
ザイランの眼鏡越しの瞳が、遠い空を見据えた。
セレーヌもまた、拳を握る。
◇
――そのころ、王都から遥か東の街道。
「急ぐぞ……フィーラが、どこに連れて行かれたか分からない。少しでも早く動かないと」
焦燥を隠し切れない表情で、ルカが馬を駆る。
その背後には、レイヴン率いる第十部隊の姿。
この地獄の監獄都市インフェルノを共に制した仲間たちだ。
フィーラの拐取。
そして、真ネザリウス教団と“ネフェルティア”の名。
インフェルノで得た情報は、まだ騎士団本部には届いていない。
だが、ルカの中ではもう、答えは出ていた。
白と黒、二つの魔力が静かに蠢く。
怒りと焦りが心を焦がす中、ルカの瞳だけが、燃えるように前を見据えていた。
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