そして、これから
霧の静寂が、言葉を待っていた。
誰もが沈黙したまま、バルバトスの語った過去――“ネフェルティア”の話に、思考を巡らせていた。
そんな中、ルカがゆっくりと立ち上がる。
「なあ……今の話、全部本当なんだな?」
腕にはまだ治療痕が残り、動きは重たい。
それでも彼の声は、微かに震えながらも、真っ直ぐだった。
バルバトスは眉一つ動かさず頷いた。
「なら、俺も話さなきゃいけないことがある」
その場の全員が、自然とルカに注目していた。
「……俺は、祝福の儀を受けたことがある」
誰かが息を呑んだ。
その音があまりにも鮮明で、この場の静寂を際立たせる。
一瞬、空気が変わった。
時間が止まったかのように、誰もが動けずにいた。
レダが眉をひそめ、ハイドラの手が震える。
カマキリは口を開きかけて、何も言えずに閉じた。
「……マジ、かよ……」
ぽつりと呟いたのはレイヴンだった。
普段は豪快で飄々とした彼の声が、驚きに染まっていた。
「奪われたんだ。幼い頃、孤児だった俺を引き取った貴族に、“情”を植え付けられて……信じてた相手に、全部、裏切られた」
ルカの声は乾いていた。
怒りというよりも、今はそれを飲み込んだ後の、残った灰だけが喉を擦っているようだった。
「……白の魔力だったんだ、俺。だが今、もうその力はほとんどない。残ったのは、断片だけ。欠片のように、体に残ってるだけなんだ」
レイヴンが目を細め、カマキリが思わず「ほぁぁ……」と呟いた。
リダが素朴な疑問に足を踏み込む。
「……だが今の力は白じゃない。黒の魔力を使ってたよな?」
ルカはわずかに表情を陰らせる。
「……ああ。黒は……別のところで、得た力だ」
「どこで、誰からだ?」
「……それは言えない。いや……言うべきじゃないと思ってる」
ルカは静かに、だがはっきりと答える。
「ただ一つだけ言えるのは……あの時の俺にとって、それは“最後の選択肢”だった。生き残るために、手を伸ばすしかなかった」
その言葉の奥に、誰にも触れられない影があった。
誰とも分かち合えない、深く黒い淵。
レダが煙草をふかしながら「……借り物ってわけか」と呟き、ルカは無言で頷いた。
そして、ルカはバルバトスを真っ直ぐに見た。
「……あんたが“奪う側”だったってのは、正直ぶん殴りたくなった。でも、話を聞いて少しだけ分かった気がする」
ルカの声が少しだけ軟らかくなる。
「……ネフェルティアのこともな……」
ルカの瞳には、静かな決意があった。
「でも、それでもネフェルティアを放っておくわけにはいかない。止めなきゃいけない」
バルバトスは黙っていた。
だがその目の奥に、微かな感情の揺らぎが走る。
「……ルカ」
レイヴンが口を開いた。
「さっきの“もうひとつの頼み”ってのはな……こいつを、ジジイに預けたい」
ルカが驚いたように振り返る。
「預けるって……修行、か?」
レイヴンは頷く。
そして、バルバトスに向き直る。
「教えてやってくれねぇか、ジジイ。白の魔力を、ちゃんと扱えるように――いや、“本来の自分の力”として、取り戻せるようにさ」
長い沈黙。
バルバトスは、誰にも見えないような微笑を一瞬だけ浮かべた。
「……白の魔力を使うってのは、一朝一夕にはいかねぇ。だが、乗り越える覚悟があるなら――導く価値もある」
「つまり?」
「教えてやるさ。俺も、そろそろ過去とのケリつけねぇとな」
ルカは、静かに頭を下げた。
そして、再び顔を上げた時――その瞳には、どこか光が戻っていた。
◇
レイヴンは座っていた椅子をギシリと鳴らし、立ち上がった。
「さてと。じゃあ、そろそろ次の動きといくか」
オーフェンが腕を組み、真顔で問う。
「情報収集っすよね。どう動きます?」
「簡単だ。インフェルノ内を制圧しつつ、情報をかき集める」
地図を広げ、指をトンと置いた。
「亜人街と狂信街。どっちもクセが強ぇ連中の巣窟だ。だが……犯罪者のことは、犯罪者に聞くのが一番だろ?」
ハイドラが「誰がどこへ?」と顔を上げる。
レイヴンは即答した。
「オーフェンとレダ、お前らは〈狂信区〉。カマキリとハイドラは〈亜人区〉だ!」
レダがニヤッと笑った。
「やっとウチらの出番か、楽しくなってきたね」
ハイドラは頭を抱えるように嘆いた。
「ええ〜〜!!カマキリさんと、ですかぁ!?」
「あァ?どういう意味だ、ハイドラっ!!」
ルカがレイヴンに目を向ける。
「あんたはどうするんだ?」
その問いに、彼は肩を竦めながら背を向ける。
「俺か? ちょっくら、酒の調達でもしてくるわ」
「えぇ……」と全員が一斉に呆れた声を上げた。
だが、ルカは気付いた。
レイヴンの口元には、微かに意味ありげな笑みが浮かんでいた。
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