戦帝
──話は二十年前に遡る。
当時、王国最強と謳われていた魔術騎士団団長、〈バルバトス・グゥラ・アーケイン〉は、ある日、王より密命を受けた。
「この娘を、そなたに預ける。誰にも気づかれぬよう育てよ」
少女の名はネフェルティア。
王の妾腹に生まれた、王族としての籍も、血筋も公にされぬ“存在しない子供”だった。
それは忠義に報いる“褒美”であり、王の私的な“穢れ”を消すための隠蔽でもあった。
白の魔力を有するその少女は、光の化身のように清らかだった。
透き通るような肌、艷やかな黒い髪、何より人を疑うことを知らぬ、まっすぐな瞳。
最初は戸惑い、言葉少なだった彼女は、次第にバルバトスのあとを小鳥のようについて回るようになった。
「おじさま、剣の稽古、見てもいいですか?」
「おじさま、お弁当、半分こしましょう?」
そう言っては無邪気に笑い、折り紙で剣を作り、膝に乗って髪を結い直すのが、毎朝の習慣となっていた。
初めは任務だと割り切っていた。
だが、日々を重ねるうちに――彼女は、“娘”になっていた。
血の繋がりなど関係なく、心の奥にすとんと収まる、不思議で、静かな絆。
風邪をひけば心から狼狽し、夜泣きすれば朝まで背を撫で続けた。
戦地から戻るたび、小さな腕が彼を抱きしめるのが、何よりの報酬だった。
「おじさま。わたし、将来おじさまと結婚するの!」
無邪気な声に頬を緩めながらも、胸の奥がきゅっと締めつけられるような、そんな日々だった。
──そして、十五歳の誕生日。
王からの呼び出しが届く。
場所は、中央大聖堂。
そこで待ち受けていたのは、エルステリア王国国王。
そして隣には、白衣を纏った神官と魔術師たちが整然と並んでいた。
彼らの目に感情はなく、どこか陶酔したような笑みを浮かべている。
他者から魔力を奪い、それを己のものとする禁忌の儀式。
"祝福の儀"
「ネフェルティアの魔力を、そなたに授けよう」
それが褒美の本質。
希少な白の魔力を授かり、バルバトスを完全なる“王の剣”へと昇華させる意図。
神官たちが頷き、準備を始める。
バルバトスの目の前で、ネフェルティアが祭壇の中央に立たされた。
薄衣は剥がされ、冷たい魔方陣の上へと押し込まれる。
十字に拘束され、腕を震わせながら、少女は理由もわからず泣き喚く。
神官たちの唱える祝詞が、大聖堂に反響する。
祝福――その名を冠する儀式の正体は、“他者から魔力を引き剥がし、新たな宿主へと流し込む”禁忌の行為だった。
「ぁ……ひ……っ、いや、いやあああッ!! ア゛ッ……が゛ッ、う゛あ゛あああああああああッッッ!!!」
ネフェルティアの叫びが空気を裂く。
耐え切れず、バルバトスは目を瞑った。
全身が痙攣し、肌は白から赤へと変色。
魔力が引き剥がされる苦痛に、口から泡混じりの血を吐き、目からは赤い涙が流れ落ちる。
「やめてぇっ……おじさま、助け……ィ゛イ゛イ゛ィィィッッ!!」
その声に、バルバトスの拳が震えた。
神官たちは構わず儀式を続け、魔力の流れを調整する。
彼女の体は徐々に魔痕に覆われ、骨の軋む音が響いた。
だが、王の表情は一切揺らがなかった。
彼にとって少女は“捧げ物”でしかない。
バルバトスに、より強い力を与えるための生贄。
王の命。
抗うことの許されぬ絶対。
……受け入れなければならなかった。
やがて儀式が終わりを告げ、バルバトスが目を開ける。
目の前にあったのは、ネフェルティアの変わり果てた姿。
皮膚は焼けただれ、口元からは血泡を吹き、右目は破裂していた。
下腹部からは赤黒い液が広がり、全身は微かに痙攣を続けている。
「…………っ!」
バルバトスは、我を失った。
気づけば剣を抜き――
次の瞬間、王の首は宙を舞っていた。
神官たちが叫ぶ暇もなく、その全てを、屍と化すまで斬り伏せた。
返り血を浴び、ただ、崩れたネフェルティアの傍に膝をつく。
壊れた身体を抱き寄せると、少女は体温を失いかけていた。
息はなかった。
バルバトスは、子供のように泣き喚いた。
悔やみ、恨み、怒り、そして哀しみ。
世界が音を失い、空虚に沈んでいく。
彼が“処刑人”から“裏切り者”へと転落するには、それで十分だった。
──そして現在。
追われる身となったバルバトスは、自ら望んで監獄都市〈インフェルノ〉に身を投じた。
あの“祝福の儀”は、己の手で断ったはずだった。
だが、今また“ネフェルティア”の名を耳にするとは――
その瞳は、確かに過去を見つめていた。
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