影と歪の刃
空気が、張り詰めた。
気圧がひとつ下がったような錯覚。
風すら止まったかのような静寂の中、異質な気配がその場の空気を侵食していく。
「何者だ……!」
リュミアはすでに構えを取っていた。
鋭く視線を走らせ、腰を低く落としながら、間合いを測る。
「教会の差し金か?」
問いと同時に目の前の存在を睨み据える。
そこに立っていたのは、全身を黒装束で覆い、髑髏の仮面をつけた不気味な人物――
〈ダブル〉
両手には、鋸のような刃と湾曲した刃という、異形の双剣が握られていた。
静かに、その存在が声を発する。
「消すか 『消そう』」
二重に響く奇怪な声。
低く重苦しい男の声と、甲高く耳に障る声。
まるで別々の人格が喋っているかのような違和感に、リュミアの眉が歪む。
「その声、気色悪ぃんだよ……!」
言い放つと同時に、彼は影を操る。
《朧―ファントム・レイン―》
足元の影が蠢き、無数のナイフが生成される。
それらが一斉に、鋭い音を立ててダブルへと撃ち込まれた。
だが――
ダブルの双剣が、渦を巻くように動く。
異様な動きで振るわれたその一撃が、空間をねじ曲げた。
「《伸びて、『曲がって』、交わって》」
右手に握られた歪な刃が、空気を断ち切る。
その瞬間、リュミアの放った影刃が、まるで迷子になったかのように軌道を逸らされた。
影が歪み、刃が空を切る。
「っ……空間干渉か!」
思わず漏れた声に応じるように、ダブルが続ける。
「《『ずれて』、逸れて、『斬り裂いて』》」
双剣が斜めに薙がれる。
その一振りは、もはや常識の範疇にない。
リュミアは地を蹴り、横に跳ぶ。
同時に短剣を引き抜き、迫る刃を受け止める。
金属の音が耳を裂いた。
「くっ……!」
重い。
刃の一撃ごとに、骨まで震えるような圧がかかる。
動きは読めない、軌道は歪む、殺気は正確――まるで重力を無視した動きだった。
歪みに支配された空間。
目の前の存在は、物理法則すら従わせない“異質”だった。
体勢を立て直しながら、リュミアは床を蹴る。
狭い空間を一気に駆け抜け、再び距離を取る。
《月隠ノ刃―ルナ・クローク―》
影が刃と化し、背後から斬りかかる。
目視しづらい角度、死角からの一撃。
だが――
ダブルの片腕が反射的に動く。
視界にすら入っていないはずの刃を、正確に受け止めた。
――そして
「《消えて、『縮んで』、現れて》」
次の瞬間にはもう目前にいた。
リュミアが気づいた時には、すでに刃が目前に迫っている。
「っ!?」
あまりの速さに、反応が一瞬遅れる。
まるで空間ごと距離が圧縮されたような動き。
剣が閃き、リュミアの肩をかすめる。
布が裂け、浅く皮膚を削る。
「クソッ……!」
地面に転がるようにして体勢を立て直す。
呼吸が荒くなる。
ほんの数合交えただけで、体が既に軋みを上げていた。
敵は速く、重く、予測不能。
一瞬の油断が、即死に繋がる。
「やるな 『やるね』」
ダブルが双声で言う。
リュミアは、笑みを浮かべて返す。
「てめぇこそな……」
再び、二人が踏み込む。
斬撃、踏み込み、回避、影の刃――
どれもが寸刻の間に交差し、地面には幾重にも傷跡が刻まれていく。
影が走り、空間が揺れる。
殺気が何層にも重なり合い、空気そのものが粘りつくような緊張に包まれていった。
その後も幾度も刃が交わったが、決着の兆しは見えなかった。
どちらも一歩も譲らず、息を荒げる中、やがて両者の足が止まる。
再び、にらみ合い。
静寂の中で、ダブルがゆっくりと口を開いた。
「やっと来たか 『やっと来たね』」
その言葉に、リュミアの眉が動く。
同時に――背後で、空気が揺れた。
まるで影のように、そこに“もうひとつ”の気配が現れる。
直感で、リュミアは体を翻した。
そして、次の瞬間――
「……お前っ……!」
その目が見据えた先に立っていたのは、信じがたい人物だった。
ありえない、ここにいるはずがない。
でも確かに、その姿、その気配。
胸の奥に冷気が走る。
剣を握る手に、わずかな震えが走った。
闇が――深くなる。
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